Leonna's Anahori Journal
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ブルガリア戦とスコットランド戦、久しぶりに日本代表の試合をみて思うこと。それはズバリ、代表選手内におけるヘアバンド人口の増加、ですわね。
本家イタリアでは選手の髪の長さは短くなる一方で、ネスタ、ピッポ、ガットゥーゾ等々、みんな短くなりました。果てはカンナヴァーロやデル・ピエロのように頭丸めちゃう選手までいるっていうのに。どうしてなんだろう。 -- まじめなはなし、ブルガリア戦、スコットランド戦での最大の収穫は“勝てなかったこと”、これに尽きるでしょう。特にブルガリア戦の、あの負け方。せっかくいい時間帯に得点して1ー1に持ち込んだのに、試合終了間際のロスタイムに再び得点をゆるしたのでは、なんのために90分間頑張ってきたのかわからなくなる。最悪の負け方だよ。
この期に及んで神風(ラッキー)で勝っても、あとあとろくなことはありません。これがW杯本大会ではなくてほんとエガッタと思うのでありました。
このまえサワ部長が遊びに来た翌日、お手伝い妖精のゲンコツ山がふらりと現れた。部長に「段ボールの多い家だ」と言われたことを思い出して、ここはいっちょ本格的にお手伝いしてもらうことにする。
廊下に、かなり前から平たくて大きな段ボールがふたつ並べて立掛けてあった。それはプラスチック製の物置で、庭に置いて園芸用品(主に用土)を入れておくために買ったもの。でも、組み立てるのが面倒くさくてずーっと置きっ放しになっていたのだ。
これこれこういうものなのだけれど組み立てられるか、と訊いたら「多分、できる」と言う。「多分」というのが少し気になったけれど、とにかく箱をあけて作ってもらうことにした。
途中二度ほど、完成間近の物置のなかへ私が入り込んで「何してるんですか」「じゃまです」と怒られるアクシデントはあったが、約一時間ほどで、幅60センチ、高さ150センチ、前面のシャッターがバラバラッ(プラだから)と開く物置が完成した。 -- 本日。段ボールが減って、庭が片付いたお礼に映画をおごることにして、銀座へ『かもめ食堂』を観に行った。
混んでいて、一列目(一番まえ!)の席になってしまったため、冒頭、港の石畳のうえを歩いて来るカモメのアップが視界一杯に迫ってきて、この先気分が悪くなったらどうしようかと案じたが、幸い静かなホノボノとした映画だったこともあり、ホノボノとした気分のまま静かに見終わることができた。 まさこさん(もたいまさこ)が素敵だった。 -- 夜。初めて『●角』というところへ行って肉を食べる。がっ、『●角』は焼き肉屋さんでありながらロースはおいていない焼き肉屋さんなのだということを初めて知り、ショックを受ける。いつから、どうして、焼き肉=カルビが主役になってしまったのだろう。同じくロース派の同志であるゲンコツ山も、うつむいたまま、ただ黙々とカルビを焼いては食していている。 そのうえ悪いことに、少したのみ過ぎてしまった。肉も多かったけれど、ごはんものが余計だった。ゲンコツ山は、出された食事は残さず食べる主義だとかで、がむしゃらに箸を口元へ運んでいる。が、何やら顔つきがコワくなってきていたので、無理しなさんなと止めた。炭火の熱気と肉の脂で“ケダモノ”の異名を持つ私もぐったりだ。
「次はちゃんと銀色のお皿にヒラヒラのロースが載ってくるところへ行こうね、カルビ食堂じゃなくてね」と、カモメ食堂にかけて言ったつもりだったんだけど、ゲンコツ山は小さな声で生真面目に、「ハイ」と答えただけだった。
コイツが初めて窓の外に現れたのはいつ頃だったろう。多分、旅行に出るちょっと前、4月の初めごろじゃなかったかと思うんだけど。
以前、夜になると首につけた鈴を鳴らしながら庭へきてひとりで遊ぶチビ黒猫がいたんだけど、そいつとは別の猫。
さっそく常備のブレッキーズを出してきてお皿に入れてやったら、きれいに食べて、ふっとどこかへいなくなった。
それ以来よくやって来ては、食べて、どっかへ消える。完全なノラではなくて、以前、ひとに飼われていたことがあるんじゃないかと思うのだけど…
そうそう、テニスで思い出しました。 今回はドイツで、テニスとボーリングをしましたよん。
テニスはインドアの、カーペットコートで。コートといいロッカールームといい、併設のレストラン(広い!)といい、素晴らしく快適な環境でした。 ↓テニスクラブの看板に、なぜか、ド〜ンと金色のリスです。 ↓レストランからインドアコートを眺めるの図。
ここは窓がとても大きくて外の眺めも素敵だったのですが、テニスの後でビールを飲みながらふと見ると、表にアウトドアコートもあるではありませんか。テニスはある意味ウィンタースポーツみたいなところがあって、炎天下は危険だけれど、寒いぶんには外のコートでもできなくはない。 なにゆえ誰も外でプレーしていないのかと訊ねたところ、「冬は地面が凍っちゃうから。」と、明快なお答え。「だから、ネットが取り外してあるでしょう?」。
そうか。どうしてこんな当たり前のことがわからなかったんだろうな、チマリス。どこへいっても日本の、それも関東地方に住むひとの常識でしかものを考えられない、チマリス。やっぱり、テニスはウィンタースポーツなんかじゃなかったのでありました。 -- テニスでスポーツ心に火が点いてしまった我々は、その余勢を駆ってボーリングへ行くことに。一軒目、バイエルンミュンヘンの旧ホームスタジアムのお隣にあるボーリング場は混んでてかなり待つとのこと。(下の写真、左下の屋根に丸い看板がのっているところが入れなかったボーリング場です)
で、もう一軒別のボーリング場へ行って、そこでも少し待たされて、やっとゲームをスタートすることが出来ました。 ↓基本的に、日本のボーリング場と同じ。ガコォ〜ン!!
が、駄目だ、ここでも駄目だったチマリス。投げれば投げるほど悩み深いボーリングになってしまった。どうしても納得いかず、あともうワンゲーム!と、結局3ゲームやったのだけれど、結局、最下位決定してしまいました。だいたい、1ゲームにストライクみっつ出して、それでスコアが100以下ってのはどういうことなんだよッ(これ以上詳しく書きたくない) ところで、ボーリング場に遊びに来ている若い男の子の中には、日本と同じで、ジーパンのウエストをグイッと下げて穿いてる子がちらほらといたのです。ところがですね、彼ら日本人と違ってスラーッと長身だし腰の位置も高い。なんか、日本人の私からすると視覚的にヘンな腰穿き。ルーズなんだけれど、妙にフィットしている、みたいな。そんなら最初から下げんときや!、と突っ込みたくなります。 ボーリングで負けて、日本帰ったら練習しちゃる!とのかたい決意を胸に、そして、変な腰穿きジーンズに無言で突っ込みを入れながら、ドイツでの初ボーリング場をあとにしたチマリスでありました。悶々々。
以前勤めていた会社で一緒だったサワさんが訪ねて来てくれた。テニス部の部長で、今でも『エースをねらえ』のコミックスを全巻持っている人だ。
今回のドイツ行きは、妹以外ではこのサワさんと、あともうひとりくらいの人にしか知らせずに行った。それで、帰ってきました、ちょびっとだけどおみやげありますとメールして、遊びにきてもらったのだ。 彼女とは3月に一度逢って一緒におでんやさんへ行っているから、顔をみるのは一ヶ月ぶりくらい。例によって、チマリス特製チヂミでおもてなししました。でも、もうぼちぼち次の必殺メニューを考えないと。私の数少ない友人たちは、もうほぼ全員がチヂミ食べちゃったもんなぁ… -- そういえば今回は、ドイツでもチヂミを作ったのだった。モランボンのチヂミの粉をスーツケースに忍ばせて行ったのです。ニラだの、パプリカだの、中に入れる具は向こうでもほぼ手に入ったけれど、ミョウガだけは駄目だった。
あと、私の友人はピーマンが嫌いで。パプリカとピーマンは違うんだよと何度説明しても納得しない。なので、パプリカ入りとパプリカ抜きのと二種類作って、これで全員にこにこ、チヂミディナーを平和裡に終えることができたのでした。 -- サワさんは、わが家の廊下や階段に積まれた段ボール(主に父の家から引きあげてきた本が入っている)を見て「あー、もうッ。片付けたくなるぅー!」と、パワフルに言い放っていました。たしかにうちは、引っ越してきて以来、段ボールが全部すっきり片づいたことってないんだよなぁ…(黙ってみてても片づくわーけがない) そんなパワフルなサワさんは、午後からパン屋のバイトがあるといって、いまにも雷雨の来そうな怪しげな空の下、愛車に乗り込むが早いかぴゅ〜んと走り去って行ったのでした。 (以下、私信)
部長、いただいた丸い食パン、厚めに切ってトーストして食べたら、すんごくおいしかったです。アリガトウ。 次は久々にテニスでも。また遊びに来てくださいね! 岡ひろみ
4月12日。日帰りでザルツブルグを訪れた。
ミュンヘン中央駅からオーストリアのザルツブルグまでは電車で1時間半。前回11月のヴェネチア行きのときもそうだったけれど、国同士が地続きで接しているヨーロッパというものを実感する。もちろんパスポートを持って出たけれど、今回は一度も提示を求められなかった。
ザルツブルグといえばモーツァルトの生誕地として有名。おりしも今年はモーツァルト生誕250周年ということで、ご当地、少しは盛り上がっているのかと思いきや。全然、まったく。というより、いくらなんでも地味すぎやしないか、ザルツブルグ駅。古い、暗い、人いない。なんというか、金彩プラス曲線美(アラベスク文様みたいな感じ?)を想像していた私としては、かなり拍子抜け。
でもって、表に出てみるとバス乗り場のある駅前ロータリーがまーた地味で! なんかジャージみたいなの穿いてもそもそ歩いてる地元のおじさんいるし。ミュンヘンはドイツの中でも特に都会的な都会だと聞かされてはいたのだけど…これほどまでに違うとは。町を歩いてる人たちの着てるものの色合いとシルエット、それに歩く速度や姿勢までもが違って見える。はーーー。
それにしても寒い日だった。どんよりと曇った灰色の空からは時折、みぞれまじりの雨が落ちてくる。バスに乗って市内へ入り、ミラベル庭園なんてところにも行ってみたけれど、まだ本格的な花の季節には少しばかり早かったようで、寒空の下、縮こまるような格好でパンジーやビオラが咲いているばかりだった。もしかして昨年11月のヴェネチア(あふれる陽光、初夏のような馬鹿陽気)で行楽運、使い果たしたってことなんでしょうか?
お店ごとにきれいな看板を掲げるゲトライデ通り。しかし、石畳というのは足底からしんしんと冷えますな、身体が。でもって、モーツァルトの生家、あの子供だましの展示は、もう少し何とかなりませんかな。
↑この現代美術館は面白かったです。なにしろ『空飛ぶ絨毯』にのってパレスティナまで飛んだのだから。
オフシーズンの平日でほとんど人のいない館内。ある展示室に入ると、広々とした床にアラビア風の敷物とクッション、それから刺繍をほどこしたつま先の尖った室内履きが置いてあった。少々歩き疲れていたこともあり敷物に腰をおろしてくつろぎの体勢に入ると、壁一面にパソコン画面、その端っこの方にジュウタンに座る私たちの姿が映っている。そしてクッションの傍らに電話機が。「これ、インターネット電話だよね、きっと」と友人。どうやら受話器を取り上げると、パレスティナのラマラというところへ繋がるらしい。要するに、これが『空飛ぶジュウタン』という現代アート。おー、なんてコンテンポラリーでインタラクティヴなアートなんだ!
さっそく友人が受話器を持ち上げると、ややや、壁面に大きく映し出されたオフィスのような場所(多分パレスティナ)で、電話をとった人と通話ができるではありませんか。要するにTV電話状態だ。友人は、ハロー、私たちはいまザルツブルグにいて、日本から来た日本人なんだけど、などと話しております。先方はラマラのゲーテ研究所という場所らしい。こっちは雪が降りそうですごく寒いですと言うと、こっち(パレスティナ)は25度くらいあるよ、とか、なんかそんな会話でした。
これはストリートミュージシャン、ピアノを弾く兄ちゃんの図。背板ベコベコのちっちゃなピアノを台車みたいなので運んできて弾いているのだが、このベコベコのピアノがまたいい音で鳴るんだ!石畳と回廊の天井に反響するショパンに、しばし聞き惚れてしまいました。このピアノの人の前にフルートを吹いている人も見かけたのだが、その人もえらく上手でした。このあたりは、さすがザルツブルグ。水準以下の演奏ではモーツァルトに申し訳ないってことなんでしょう。
ところで、天候にはあまり恵まれなかったザルツブルグ行でしたが、私、ひとつ大きな“当たり”を出しましたのです。それは、、、“肉”。お昼に入ったレストランで頼んだ牛肉のなんとかソースというのが、旨かった旨かった、ああー旨かった! どうやら私には肉の神様がついているらしいデス(in 欧州)。
きっと、もう少し暖かく光量の多い時に来ればまったく違う印象を抱くのだろうけれど、でも、私はこういうレアな体験というのも好きです。中でも、寒くて暗いヨーロッパの町の灯ともし頃(夕方)には特別の美しさがあります。…そんなことを思いつつ、また1時間半電車に揺られてドイチェランドはバイエルンの都へと帰ったのでありました。 (ここから余談。)
で、ですね。戻ってみると、やっぱりミュンヘンは都会、大都会。きらめく中央駅、行き交う人々のシルエットはピシーッと縦長、タイトです。(服の)色は、基本的に黒。「やっぱココ都会だわ、全然違うよザルツブルグと!」。興奮気味に叫ぶ私を見ながら、在欧16年の友人は、うっすらと微笑むばかりでありました。
今回ミュンヘンで、初めてサーカスというものを観につれて行ってもらった。象、馬、シマウマ、犬、猫、ラクダ、トラ、ライオン、白いライオン(今回の目玉)等々、たくさんの動物が出てきた。巨大な象が六頭くらい出てきて間近で芸をする様は、まさに大迫力だった。
しかし、大人になるとただウワ〜っと喚声をあげるだけではどうしてもすまないようで。友人ふたりと私は、サーカスのテントのまわりに停まっている夥しい台数のトラックやトレーラーハウスを眺めながら「採算とるの大変だろうね」とか「花形スターはいいけどそれ以外の人は大変なんじゃないのか」とか、どうしても悲しいことを考えてしまう。
どうもサーカスというと“サーカスの少女(売り飛ばされる)”的な連想が自動的に起ってきてしまうようなのだ。しかし。長い年月大きなサーカス団が存続してきたということは、それなりに運営システムの確立がなされているのではないかと更に話し込む、東洋人の大人3人。
そうだよ、そうだよ、もしかしたらそこいらの中小企業なんかよりよっぽどスマートなシステムで動いてるんじゃないの、などとさらに口角泡飛ばしつつ、寒風吹きすさぶなか地下鉄の駅へと急いだのだった。 空想のサーカスの少女よりも、サーカス観てもただ単純に楽しむことのできない大人になってしまったことのほうが寂しいといえば寂しいかも。
4月8日。離陸したルフトハンザ機が水平飛行に入った頃。持参のバルト本『彼自身によるロラン・バルト』を取り出してみる。
買った時に気付いていたのだが、この本、冒頭約50頁のつるつるした厚紙部分に古い白黒写真が掲載されており、そのうち最初の20頁が袋とじ(週刊現代かッ)ならぬ頁の下辺だけが繋がった状態になっていた。
まさかフランス綴じの本ってわけでもないだろう。乱丁落丁の類いに違いない。違いないのだけれど、なんとなくすぐに切り離す気になれなくて、そのまま持って出た。飛行機が日本を離れたら頁も切り離すつもりで、それまでは、破れないようにそーっと拡げてのぞき込んだりしていたのだ(それじゃホントに週刊現代だろう!) 前の背もたれについたテーブルを出して、眉毛用の小さな化粧ばさみを取り出し、慎重に頁の下部を切り離して行くと、そこにあらわれるバルトの“記憶の絵”。最愛の母親にしがみつくようにして抱かれる幼少期のバルト。彼の故郷バイヨンヌに存在した、三つの庭をもつ古い家。そこに、窓ごとの鎧戸は優しい、薄いグレーに彩られていた等々の説明がある。
バルトは書いている。過去のうちで私を最も魅了するのは自分の幼年期であると。消えてしまった時間への後悔を感じさせないのは幼年期だけだ、と。この数ヶ月、父の遺品整理で古い写真をしこたま見続けてきた私にとっては非常に興味深いテキストなのだが、いかんせん少々難解(頭悪くて残念)だ。
難解ながらも、しかし何故か、直接心臓に触れられたような気がした数行を、以下にメモしておく。 “これらの写真を前にして私が魅了されているのは、しあわせだった時期へのノスタルジーによってではなく、もっと混濁した何ものかによるのだ。” “私は自分に似ていたためしがない。” “そこに読み取られるために差し出されているのは、下にひそんでいる私の身体である。” “まだ発作的にときおり私の中に存在を示すすべてのもの…”
陽射しと黒雲と豪雨。妙なお天気の下、銀座の画廊へ出かける。フロイライン・トモコ嬢の夫君の個展会場へ。
いつものように緑滴る森の描かれた大きな額の並ぶなかに、比較的軽いタッチで描かれた小さな葡萄の絵が。たわわに実って葡萄棚から垂れ下がる葡萄。その中の一房。
私はその額の前に立って、じっと絵の中の葡萄をみつめていた。 今回、ミュンヘンの市場では苺やラズベリーや葡萄といった果物をたくさん買った。なかでも皮を剥かずにそのまま食べられるラグビーボールみたいな形のやつが好きで、たくさん食べた。そのミュンヘンの葡萄の味を思い出して、半ばうっとりしながら、立っていた。
いいな、葡萄。食べてよし、眺めてよし。(私の中に小さな葡萄ブームがおこりつつある気配) -- 帰宅すると、留守番電話のランプが点滅している。再生してみると、知らないおじさんの声が、親しげな調子で何か言っている。最初何を言っているのかわからなくて、二度再生して、間違い電話であることがわかった。
(うちの留守電は私個人の声ではなく出来あいのメッセージを使っているので、かけてきた人が間違えに気付かずに吹き込んでしまう可能性がある)
で、そのメッセージなんですが。 『××(地名)の○○青果です、お世話になっております! えー、キャベツがありましたら、また出荷してください! よろしくお願いしまーす』 …、キャベツって、なぁ。 無理だよオジサン、それはちょっと無理。
チマリスです。生きてますよ。 今日なんかTV観てて、はしのえみをあややと見間違えちゃいました。 あー、自分らしく生きてるなーと実感した瞬間でしたわね。フン。
-- 今月上旬から暫く、飛行機に乗って友だちの家に遊びに行っていたのです。 春は名のみの風の寒さや、てな感じで雪に降られたりして(寒すぎるって!)
↑4月11日、朝起きて窓の外を見たら・・・。がーん。 ひざ丈のトレンチと、ツィードの半コート、ずいぶん迷ったけれどトレンチ捨ててツィードの方を持って行って大正解!でした。 でもね。寒くったってなんだって、念願の鹿肉はしっかり食べましたよ。あと、鴨のローストも。 で、帰ってからは向こうで買ってきたベーコンのかたまりを刻んでは焼いて食べております。これがまた、ウマー!ウマー!
いやはや、春の味覚と言えばやはり肉、ですわねっ。うふん!
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