Leonna's Anahori Journal
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2005年11月14日(月) 帰国しました。

 
本日午前、成田に到着。
ミュンヘンからロンドン経由で、飛んでいる時間だけでも13時間余という長旅だった。

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在欧中は天候に恵まれ、特にベネチアでは日中Tシャツ一枚でも大丈夫という馬鹿陽気に当たった。美しい秋天のもと、肉とワインを胃袋に詰め込んで際限なく歩き回るという日々だった。とにかく、肉喰った。それでも念願だった鹿肉だけは時間切れで食べられず。

帰り際、ミュンヘンの空港内にあるビアレストランで鹿肉を注文したところ、呆れ顔とともに「まだお出しできません」との返事。考えてみたらまだ朝の9時半なのだ。こんな時間から鹿食う奴がどこにいる。

おとなしく、白ソーセージとビールを注文。白ソーセージは午前中だけの食べもので、ドイツに着いてすぐにたべようとしたところが、すでに昼を過ぎていたため食べられず。出国間際になってやっとありつくことができた。

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帰りの飛行機では「バットマン ビギンズ」を観た。実にゴシックで良かった。が、しかしリーアム・ニーソンが出て来るとどうしてもスター・ウォーズになってしまうのだな。ううむ。

 
 
チマリスTOPの画像、更新しました。

 



 


2005年11月04日(金) 長い一日〜ミュンヘン市内散策

 
※このジャーナルは、11月4日から13日までの欧州滞在中のことを帰国後に書いて、順次アップしているものです。

※この後出し旅ジャーナルの更新状況につきましては、チマリスの穴TOP頁にてお知らせいたしますので、そこから入って頂き、ジャーナル左上の will をクリックしながら一日分ずつ読んでいただければと思います。

 
 
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きのう(3日)は長い一日だった。

朝、一睡もしない状態でタクシーを呼んで、出発。いつものJRではなく、京成線の駅から行こうとしたところが、意外に道が混んでいてお目当ての電車に間に合わず。しかも跨線橋の階段をデカいスーツケースを携えて上り下りしたため、不眠でフラフラの全身に大汗をかき、手のひらにマメを作った。

さらに。乗り込んだ飛行機(ブリティッシュエア)の座席は三人掛けの真ん中の席で、しかも両隣は、大柄なイギリス人と思しき男性であった。これ以上悪くなりようのない条件の座席に深々と身を沈め、機内食もとらずにブランケットをひっかぶってとにかく眠る。

おかげで目覚めてから、空腹感に苛まれることになった。ヒースローに着く少し前にやっと出た二度目の機内食をガツガツと平らげる。飢餓状態であったことを差し引いても、なかなか美味しいサンドイッチとマフィンとフレッシュフルーツであった。

ヒースロー空港上空で強風のために飛行機が揺れた。離着陸の間隔をあけないと危険であるため、このまましばらく旋回するという。出発前、「帰りの飛行機が墜ちることになっている」とくだらない冗談を言ったところが、立て続けに三人のひとから「確率的には低いよね」、「俺も飛行機は乗り倒すくらい乗ったけれど、いやぁ墜ちないよぉ」、「まず、大丈夫でしょう」と真面目に切り返されて困ってしまった。こんな不謹慎なスレスレジョーク、軽くつっこんでくれればいいのに、みなさん確率まで持ち出して「墜ちないよ」と真顔で言うのだ。

なのに、なんだよ。往きでこんなに揺れて、しかも着陸できないなんてさ。まさか墜ちるとは思わなかったけれど、あまり良い気分のするものではない。以前ジャーナルには“友人に本を届けてから”なんて格好付けて書いたけれど、実際は本のほかにも、味噌に佃煮、生ワカメ、ホカロンと、いろんなものを詰めてきているのだ。ヴェニスも見ずして生ワカメとともに、って…、冗談じゃあないわよ、ここでおっこちてなるものか!。恐怖心のためか、やや興奮(笑)。

結局、機体を空港ビルに横付けする事が出来ず、タラップを下りたところで待っていたバスに乗って、ビル内へ。離着陸が遅れているということは、ミュンヘン行きの便も遅れて発つということで、すると外貨をまったく持っていない私は、この中途半端な待ち時間にコーヒー一杯飲む事も出来ないということになる。旅慣れた感じの日本の人をみつけて、少しポンドと替えてもらおうかと思っていたところ、ブリティッシュエアから5ポンドのバウチャーをもらうことが出来た。おぉー、サンキューBA!

この5ポンドで、カフェへ行ってポットティーとアイスクリームの盛り合わせを注文し、煙草を一服。ここいらあたりから、やっと旅モードに入ってきた感あり。疲れと、とにかくイギリスまでは来たという安堵と、初めての場所に一人でいるという少しの緊張感、そしてそれを上回る幸福感。
 
 
ミュンヘンの空港へは、友人のK嬢とT氏が迎えに来てくれていた。霧の中をT氏運転のクルマでアパートへ向かう。夜目にも美しいメルヘンの都ミュンヘン、そのど真ん中にあるアパートへ到着。ドアを開けると、写真でしか会った事のなかった愛猫くん(ラージサイズ)が出迎えてくれた。

T氏(料理上手)の作ったスペイン風オムレツを頂きながら、ドイツ入国時に係官が私のパスポートを虫眼鏡で検分しながら、「どこに泊まるんだ、ホテルバウチャーをみせろ」と言った、バウチャーなんかないから手帳を開いてココの住所を示して解放してもらったと話したところ、工作員と間違われたんだよ!と散々笑われる。憮然。

とはいえ気分は、イヤ〜ン、本当に来ちゃった〜!(しゃーわせー)なのである。長い長い一日を終えて、就寝。
 

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日付変わって、ここから(やっと)4日。

アパートの真後ろにそびえる教会の心地よい鐘の音に、欧州に来た事を実感しながら起床。ミュンヘン初日はこの鐘の音と、手回しのミルで挽いたコーヒー豆の香りから始まった。“忙しい”“時間がない”が口癖の生活からすっと離れてみれば、豆をひく手間さえ楽しいし、やはり挽きたてのコーヒーは旨いのだ。

K嬢にミュンヘン市内を徒歩で案内してもらう。聞いていた通り、本当に何でも、歩ける距離に揃っている。マルクト(市場)、教会、デパート、美術館、ショッピングセンター。市庁舎前広場から銀行へと歩いて両替を済ませ、マルクトを軽く一周する。たくさんある店の中で、それぞれの家庭でいつも行く店が決まっていて、肉でも野菜でもそこへ行き、必要なだけ量ってもらって買っているようだ。香草と香辛料の店の前を通りかかると、ドーンと痺れるような良い香りに包まれた。


その後、ビアレストランで、ソーセージとビールの昼食。(…思えばこれが、私の欧州肉食行脚の始まりであった)

 




帰り道、K嬢はコーヒー豆を買って帰るという。日本でも有名な高級食料品店(たしかダルマイヤー、だったかな)へ行くと、歴史の匂いの染み込んだ石造りの立派な建物。そのコーヒー売り場では、量り売りの豆を、天秤ばかりで計量していた。片方のお皿に鉄のオモリをカチャリと載せる、あれである。聞けばK嬢、この店のこの秤で量るところを見たいがために、豆で買って挽いているのだという。うん、わかるわかる。私がここに住んでいたとしたら、やっぱり同じことすると思うもん。

先ほど、マルクトでハチミツ専門店を発見していた私は、どうしても欲しいものがあって、再度寄り道してもらうことにした。お目当てのブツは“生ローヤルゼリー”。扱っているかと聞いてもらったところ、サッと冷蔵庫から出してみせてくれた。実は昨年来、仕事で生ローヤルゼリーを追いかけ続けていた私(韓国への出張も、このローヤルゼリーがらみだったのである)。初めての欧州産生ローヤルゼリーとのご対面(しかも現地で)に大感激。結局、買ってしまった。125グラム入りで、25.5ユーロ(約3,500円)。良品にして、適正価格なり。大満足。




 

夜。初のドイツ、バイエルンの都はミュンヘンにてネギを刻む。この日の夕食は、なんと鴨鍋。こんなに大量の鴨肉を食したのは初めて、というくらい食べた。回りだした運命(欧州肉食行脚という名の運命)の車輪は、徐々に加速しながら進みだしていたのだった。

この日はさらに、夕食後、ジャズクラブへ出かけたのだ。怠惰な生活に狎れきっている私、朝から晩まで、一日のうちにこんなにいろんな事をするのはめずらしい。というより、初めてかもしれない。

階段を下りたあとに続く、元は戦時中の防空壕と思しきトンネルの先に、そのジャズクラブはあった。新しいピアノの弾き初めということで、ベテランのジャズピアニストが出演、その他に2名のピアニストが出演して、それぞれソロを弾いた。

ベテラン、新人、中堅の順で弾いて、三人目、トリを務めたラスタヘアの小柄な黒人ピアニストが素晴らしかった。ちょっとジョバンニ・ミラバッシを思わせる“ヨーロピアンスタイル”で、恐らくパリあたりでも弾いているのではないか、すでにある程度の評価を得ているひとなのではないかと思われた。

しかし、夕飯の鴨鍋のときからワインを飲み、夜も更けて、ジャズクラブでもワインで通し、正直フラフラだったのである。ピアノの旋律に没頭しているつもりが、つい眠り込みそうになることも。今思えばこの時、控えめながら、もうひとつの車輪も回り始めていたのだな、「肉にはワイン」という運命の車輪が…。





 
 
 
 


2005年11月03日(木) さて、出かけますか。

 
誰がホリーやねん!というはなしですが(笑)

ちょっと出かけてきます。

いま、自分が旅を楽しめる状態かどうかあまり自信がありませんが、とにかく。
 
いってきまーす。
 
 
 


2005年10月26日(水) ゴォォォォォォ〜ル!

 
プレミアリーグ9週、ボルトン×ウェストブロムウィッチ戦にて、中田英寿に、うれしいプレミア初ゴール。

後半35分、FKでした。右足の内側で蹴ったボールがきれいにゴールマウスの左隅へ。中田本人+ボルトンの面々は歓喜爆発。ブラウン管の前のチマリスはウッシッシ(変な反応だけど、ウッシッシ)
 
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もっと歓喜爆発だったのが、セリエA第8節、ミラン×パレルモ。こんどこそ本当に戻ってきたピッポ・インザギに、今季初ゴール。

後半31分、セルジーニョが流れるようなドリブル(巧いねぇ…)からヤンクロスキーへ、ヤンクロスキーが絶妙のタイミングでファーサイドへクロスボールを上げます。そこへからだごと飛び込んできたピッポの頭が、低い位置でボールをとらえて、ゴォォォォォォ〜ル!

この低空飛行で頭から突っ込んでくる姿は、まさにインザギスタイル。これでけっこう痛い目もみているし、リスキーといえばいえるスタイルなんですけどねぇ。これを決めて、オーバーアクションでガッツ・ポーズ、ダァ〜ン!するのがスーペル・ピッポの証しなんですねぇ(笑)

実に1年半ぶりにゴールを決めたインザギ。アンチェロッティ監督のもとへ全力疾走、一直線に走っていってビョ〜〜〜ン!とジャンプして抱きついた姿は無っ茶苦茶かわいかったですねぇ!いやぁ、感動的なシーンでした。

ちなみにこの試合は2−1でミランが勝ちましたが、ミランの1点目はガッちゃんこと、ガットゥーゾによるもの。つまりこの試合、チマリス的には、チョア、チョア、チョア〜!!まったく、なんて日なんでしょうか(笑)
 
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ひとつ、プレミアで不思議なプレーがあったので、書いておきます。

対マンチェスター・シティ戦で、この日2度目のPKを蹴ることになったロベール・ピレス。しかし、アンリを使うつもりのトリック・プレーに失敗して、みすみす1点を逃してしまいます。

あれっ、なにしたなにした?いま、どうしたのピレス様は???と、チマリス、一瞬目が点になりましたよ。ま、試合に負けなくてよかったです。PK失敗したことより、プンプンに元気そうなピレス様と再会できたことの方が、正直大きいんですよ、いまのチマリスには(笑)
 
 
 


2005年10月24日(月) フィレンツェじゃなくてヴェニスだろ!

 
わからなくならないうちに書き留めておこう。
ここ1ヶ月位の間に買った本。(もう書いた分を除く)
 
 
 「未亡人の一年」上・下 ジョン・アーヴィング(新潮文庫)
 「神様がくれた指」 佐藤多佳子(新潮文庫)
 「ニッポンの狩猟期」 盛田隆二(角川文庫)
 「昭和歌謡大全集」 村上龍(集英社文庫)
 「世界がみえる地図の絵本」 ブライアン・デルフ(あすなろ書房)
 「わがまま歩き旅行会話 イタリア語+英語」(実業之日本社)
 「nakata.net ITALY WALK 2005」 中田英寿・監修(角川書店)
 
 
アーヴィングは、旅行中、主に往復の飛行機の中で読もうと思って。そろそろまたアーヴィングが読みたくなってきた。読後の、あの独特の満腹感が恋しくなってきたんだな。

「神様がくれた指」、これは今読んでいる本。この小説は、当たったな。久々のヒット。なんでも、本屋大賞(書店員によって選ばれる賞?)の「発掘本」だそうだが、うん!発掘してくれてありがとう(笑)。
小説の主人公は出所してきたばかりのスリの青年なんだけれど、作者がこの青年に惚れて書いているのがよくわかる。この小説の魅力は、そこですね。私はこの主人公の会話部分を読むとき、佐藤浩市の声が聴こえてくるんだけど…(笑)。あとは読了してからのお楽しみということで。

「ニッポンの狩猟期」。これも、おそらくヒット。登場人物の言葉と息遣いに、無惨な物語の気配が濃厚。無惨な青春の物語は、今の私のキブンに合ってる(笑)。立ち読みをやめて購入し、ときめきを押さえつつ、いまは静かに寝かせてある本。

「昭和歌謡大全集」。リュウの本のうち、未読で読めるものがあれば読んでおこうと思って。未読だけれど、読めない(恐ろしくて)本も結構あるのだ。

「世界がみえる地図の絵本」。絵本売り場にあった子供向けの本。朝日だか読売だかの文化欄に載ったフローラン・ダバディ氏による書評のコピーがそばに貼ってあって、それによるとダバディ氏はすでに地球上の、100以上の国を旅して歩いているそうだ。へぇ、と感心して、ハタと気がつくとレジでお金を払っていた(笑)。冗談ではなくこの本、レベル的には私にぴったり。役に立ちそうです。

「わがまま歩き旅行会話 イタリア語+英語」。ヴェニスへ行くのを機会に片言でもいいからイタリア語を、と…(笑)。フランスへ行ったときには、別の出版社のだけど、やはり仏語と英語の併記してある会話本を持って行ったのだった。でもフランス語はふってある片仮名の通りに言えば通じるというもんじゃないので、結局挨拶以外は下手な英語を使ってましたが。てことは、イタリアでも下手な英語で、となるのか…?

「nakata.net ITALY WALK 2005」。馬鹿チマリスめ、買う本間違うとる!これはナカータによる、実質、フィレンツェ案内本で、チマリスの買うべきはその隣にあった須賀敦子氏らによるヴェネチア本のはずなのに…。一度は手に取ったそのヴェネチア本を棚に戻して、なんでわざわざフィレンツェ本買うのさ!(…だって、ナカータのフィレンツェ本なんて、みつけたときに買っとかないと、もう手に入らないかもしれないじゃ〜ん!)・・・
 
 
ユルい脳味噌で読書し、かつ、世界を歩こうとするチマリスの、明日はどっちだ!!
 
 
 



2005年10月22日(土) 噂の二人

 
来月訪ねることになっている在欧州の友だちが、ヴェニスの宿と列車の切符をとってくれた。シーズンオフのスペシャルオファーで、けっこうな高級ホテルがとれたそうだ。それで、メールで“晩秋のヴェニスでヴィスコンティの映画に出て来るような、退廃的な有閑マダムごっこは如何”なんて書いてきたんだ。

だーれが退廃的な有閑マダムやねん!なれても、せいぜい勇敢マダムがいいところだろ(笑)。だけど、ただムリです、出来ませんというのも芸がないので“ツバメと喧嘩して黄昏れちゃってるって設定でいこか”と書いて返信した。いまのあたしにゃ、このあたりがギリギリチョップ。
 
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ところが。今日になってもっと面白い“ごっこ”を思いついたんだ。それはね、“マダムとツバメごっこ”(笑)。その友だちってのは、長身で、私よりもスラリと背が高いので、彼女にロングコート+光り物(イミテーションでも良いから宝石は必須です)でマダムになっていただいて、アタシが白シャツにゴツいブーツ+キャスケットでツバメに化ける。

で、ふたりして、それ風の小芝居かましながら水の都を散策。サン・マルコ広場のカフェで彼女が煙草を吸おうとしたら、チマツバメがチャッ!と火をつけるんですな、デュポンのライターで。マダムはいい気分で煙を一吐きしてから、あいてる方の手の甲でツバメの顎から頬をさっと撫でてニッコリ、とかね(笑)

それで、晩秋のほんの短い期間、ヴェニスで小さな噂になる東洋人のワケありカップル(笑)。「みたか?」「みた!」「昨日、ため息橋の上で小さい方がマダムの腰に手を回そうとして、手ひどく拒絶されてた」「ケンカか?」「らしいな!それで小さい方がため息橋の上で、ホントにため息ついてうなだれてた」。…ま、最後のオチはちとダサイですが(笑)
 
 
 
・・・・・、草葉の陰でお母さんが嘆いてるような気がしてきたので、本日はこのへんで。
 
 
 
 
 


2005年10月21日(金) 『私の頭の中の消しゴム』

 
ついに、というか、やっと、と言うべきか。
チョン・ウソン主演『私の頭の中の消しゴム』が日本でもロードショー公開になりますね。

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今年の2月、初めての韓国出張からの帰路のこと。
いつ帰れるのかわからない日々(社長からはブツを買い付けるまでは帰って来るなと厳命)が終わり、帰ることにはなったけれど。とにかく疲れた、疲れすぎてもう荷物まとめて帰ることすら億劫だったチマリス。

とにかく席に着いたら爆睡してやろう、機内食なんか要らないワという心づもりで乗り込んだ帰りの便。ところが、席についてみるとそこは、飛行機のほぼ中央。前に座席はなく、かわりにスクリーンが…。でもって離陸早々そのスクリーンに映し出されたのが、映画『私の頭の中の消しゴム』の予告+メイキング映像。

いやぁ、とにかく凄い衝撃受けました。何がすごかったって、主演のチョン・ウソンが…。今年5月のジャーナルに、わたくしチョン・ウソンのことを“現実がファンタジーを超えた実例”と書いたのですが、あれはこの映画(のメイキング)を観ての感想なんです。その上この予告映像、短いシーンひとつひとつが、全部胸にくい込んでくるんだなぁ。

結局私、その短い映像に目が腫れ上がるほど泣かされまして(笑)、あれだけ疲労困憊していたにも関わらず、とうとう成田到着まで一睡もできませんでした。往きの機内誌(RAIN掲載)といい、帰りのチョン・ウソン爆弾といい、マイッタ、アシアナ航空には本当にマイッタよ!
 
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チョン・ウソンという人はモデル出身だそうですが、TVドラマにはほとんど全くといっていいほど出ない。TVCMや広告にはよく出てくるのですが、それ以外は映画だけ。このあたりは浅野忠信とよく似ています(俳優としてのタイプは違いますけれども)。

チョン・ウソンについて詳しく知りたい方はこちらのサイトへどうぞ。私も帰国後は、こちらへ入り浸ってウソンの学習にいそしみました(笑)。
ちなみに私がRAIN(チョン・ジフン)のことをジフンチャンと呼ぶのはこちらの管理人さんの方法論を踏襲(早く言えば真似!)したのでございます(笑)。
 
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昨今、日本でも“泣ける映画”が軽くブームになっているようですが、その手の映画が観たければこの『私の頭の中の消しゴム』をおすすめします。相手役のソン・イエジン(『夏の香り』『四月の雪』でも大活躍)も素晴らしいし、とにかく、このメロは凄いです。日本語公式サイトはこちらなのですが、本当は韓国の本家公式サイトを観て頂きたかった!

本国での公開から2年近くたったということで、いまはもうなくなってしまったのですが、インターネット先進国である韓国のサイトの中でも群を抜く美しさと機能性。デザイン性があれだけ高くて、しかも信じられないくらいサクサク動く(動画満載、メイキングも長ーいやつが4種類位アップされてた)なんて信じられない。ハングルのまったくわからない私ですが、一度入ると1時間以上は入りっぱなしで遊んでたなぁ。
なんで早く、この映画のことを書かなかったのか(半年以上も出し惜しみ!)、今になって悔やまれます。
 
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代わりと言ってはなんですが、韓国のアパレル、ジョルダーノのCFページにリンクを張っておきます。チャン・ドンゴン、チョン・ウソン、チョン・ジヒョンが三角関係を演じるストーリーもの。どうやらウソンssiはふられちゃうらしいのですが(笑)。なかなか美しい映像ですよ。

こちらは、ジョルダーノCFに関する記事。ドンゴンssiのこの若々しさは、いったい何?!(笑)

それからモデルとしての仕事(vogue)も。体重の増減の激しい人らしいのですが、それにしても、これで格別“モムチャン”という扱いを受けないのですから、つくづく、韓国ってのはオソロシイ国です…

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最後に。主演のチョン・ウソンssiもチョアですが、私がこの映画で一番好きなのはなんてったってイ・ジェハン監督です。ああいう方が、クールな顔してこういうメロを作っちゃうって…、萌えます(ああ、また馬脚を…)。
チマリス、映画館で本編観たら少し寂しく感じるかもしれないな、メイキングと違って監督さんの姿が出てきませんから(笑)
   
 
  
  


2005年10月19日(水) なつかしい顔、また顔

 
スカパーでサッカーを観られるようになってまず嬉しかったのは、ACミランの試合よりもマンUの試合を観られたことで、この夏、鹿島とのフレンドリーマッチを観に行ったときの、あの少年ニステルローイ、少年ファーデナンド、少年ファンデルサール等との再会に、胸ときめいた。

ついでといってはなんだが、新加入のイタリア人、ロッシ選手の初出場、初得点シーンに出くわしてビックリ、ドッキリ。この選手といい、パク・チソンといい、なんだかマンUのニューカマーには「頑張れよ!」と肩を叩いて揺すぶってやりたくなるようなタイプが多いですね(笑)

いつのまにか盤石の地位を占めつつあるチェルシーに、なんとか歯止めをかけてほしい、もっと噛み付いてほしいと願うチマリスだった。(じゃないと面白くないもんね)

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ACミランよりマンUと書いたけれど、さらに、ACミランよりもインターミラン(インテル)なのだった。あれー?!

対リヴォルノ戦のね、あのレコバの顔見たら、そして、あのドリブル、あの左足のシュートを見たら…。震えたよ、チマリス、まじ震えたっすー!!

思えば先シーズンは、ほとんど(というより全く)レコバの顔を見ずに過ごしてしまった。で、ワンシーズン、チェックを怠れば、移籍やケガ、不調などでガラリと様変わりしてしまうのは、どこの国のリーグも同じ。

クレスポはまたしても海峡を渡ってイングランドへ戻ってしまったし、カッサーノはもうローマにはいられない状況だと言う。それを言うなら、ナカタだってもうイタリアにはいないのだ。

件のインテル×リヴォルノ戦だって、ココの名前が聞こえてきたから、おや先発メンバーかと思ったら、それはもうインテルの選手ではなく、リヴォルノへ移籍したココのことなのだった(彼、リヴォルノの先発メンバーだった…)。

そんな諸行無常のカルチョ界だというのに。レコバは、いきなり目の前に現れて、以前と変わらぬファンタジスタぶりを、当たり前のように見せてくれたのだ。しかも、なんか男前になってるしさ(ホントだってば!)

それに、今季インテルにはアノ人がいるではないか。ポルトガルの大将、ルイス・フィーゴ!!
そんなこんなで、今季はなんかチョット、インターミランが気になるチマリスなのです。

いずれにしても、なつかしい顔、また顔に、連日相好崩れっぱなしー(笑)





2005年10月18日(火) 調節可能だったのか!

 
用事で、渋谷へ。
そのあと視力矯正をうけた眼のチェックで、広尾のクリニック。

どうも右目の視力がかなり戻って(後退して)しまっているようだ。ドライアイがあるので、目薬で乾燥対策をして経過をみることになったのだが。多少視力は落ちても、できれば再手術は受けたくないんだがなぁ…

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受診後、思い立って、五反田に勤める友だちを訪ねる。ここの会社は経営者のオジサンやその他の社員も、まとめて顔見知りである。
久々に現れた私が現在独身であること知って、驚く経営者氏。そのあまりの驚きように、私が驚いちゃったりして(笑)。その後は大人っぽい(?)話題で盛り上がる。

某T氏が「何年一緒にいたんだっけ?」。チマリス答えて、「9年近かったですねぇ。9年もったのなら、10年も15年もいっしょじゃないか。こうなるなら何故4〜5年で答えが出せなかったのかと。そういうことは思いますけれども」。そこで某T氏が「だよなぁ。たしかに、そう言われればそうだよなぁ」と頷くと、経営者である某S氏が「オレは14年目で別れたんだから」。
そこで、わが友人であるK子も含めてその場にいる全員が「これは深いよ。なかなか奥の深い問題だよー」。

某S氏が「いまでも会ってるの。一応、友だちとしてのつきあいはある、とか」。これに対しては「それだったら、別れちゃだめでしょう。そういう関係を築けるだけの余裕があれば、私絶対に別れませんよ。駄目か大丈夫かの二つに一つ。そのへんを曖昧にすると、あとがややこしくなるんです」。

ちなみに同席の4人のうち、某T氏を除く3人はリコン経験者。帰り際、エレベーターの前まで送って来てくれたお三方に「しかし、これだからニンゲン、やめられませんよね!」と言うと、一同「???」という顔。「いや、こういう予想外のことがおきると、なーんか嬉しくなっちゃうんですよ私、最終的には」と言うと、一同大爆笑。

別に座を盛り上げようとかそんなつもりはないし、本心には違いないんだけれど…、ひとりで電車に乗る頃になって、軽く落ち込む(笑)。ま、こういう性分は一生もんで、死ぬまで変わらないんだろうけど。いずれにしても、こういうとき盛り上がるのは断然、くっついた話よりも、別れた話の方だということが、よぉーくわかったのだった(笑)
 
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ところで。

渋谷の某帽子店でキャスケットをみていたら、店長さん風の年配の女性がそばに来て「頭囲なら、お直しできますよ」と言う。私は、頭が小さくて、昔から帽子のサイズには苦労してきたのだが、こういうことを言われたのは初めてだ。

「(直し代は)おいくら位かかるのですか」と訊くと、「いえ、ここですぐに直してさし上げますから」。どうやら大した時間もかからず、費用もタダらしい。うーむ、こんなことを言われると、キャスケット、買わないわけには行かないくなってしまうではないか…。

店長さん風のオバサマは、レジ下の抽き出しから針と糸と芯地のようなものを取り出すと、サクサクッとワンサイズ縮めてみせてくれた。「どうかしら。被ってみて」。もう少しだけ、気持ち小さくしてもらえますかと言うと、またサクサクッと針を動かし「あ、そうそう、風で飛ばないように櫛を付けておいてあげましょうネ」と行って、帽子の内側、両耳の上あたりに髪留めを付けてくれた。

で、結局そのオバサマの勝ちだったんだよね。私買ったんだから、そのキャスケットを(笑)。でも、帽子のサイズがこんなに簡単に直せるなんて、知らなかったなぁ。オバサマにお礼を言うと「餅は餅屋ですから。」とニッコリしながらもクールなお答え。これから帽子を買うときは、帽子のサイズを調節してくれるプロのいる店で買おう。

 



2005年10月16日(日) 大きな手の上の、温かい心臓

 
父に会いに横浜へ向かう途中、電車の中で『ヤスケンの海』を読んでいたら、突然、吉田健一のエピソードに出くわした。

村松友視がヤスケン(故・安原顕)のことを書いたこの本は、そうでなくても(何故か)私の涙腺に揺さぶりをかけるので、たまに呼吸を整えながら長時間かかってここまで読んできたのだが、まさかこんな不意打ちにあうとは思わなかった。

村松友視と安原顕は、昔、中央公論社で同じ雑誌『海』の編集部にいた同僚だから、担当編集者としてけっこう多くの著名な小説家と関わっている。それで、たとえば武田泰淳、百合子夫妻あたりならば何がどう語られようと覚悟は出来ていたのだが、吉田健一とは…。これは盲点だった。うっかりしたよ。

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話は、いかにも吉田健一だなぁという、氏のちょっと浮世離れした生活態度について触れたものだったのだが、これに、チマリス感動してしまって。吉田健一って、誰の口から語られても“同じ一人の人”なんだよなぁ。よくある“意外な素顔”みたいな部分は見あたらなくて、どこを切っても吉田健一なのだ。

でもそれは、私にとっては、ただ裏表のない人だったということを意味しているのではなくて。本当にあんなにスタイリッシュで、しかし世俗的な意味では不器用きわまりない生き方を通していたのかと思うと、アタシはもう泣けて泣けて…。でもそれは悲しい涙じゃなくて、ほわぁっとした勇気がわいてくうような涙なんだなぁ。

まるで、私の心臓が大きな温かい手の上に載せられていて、その手がゆっくりと心臓を左右にゆすっているような、そんな感じだった。

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この本、欧州に住む吉田健一好きの友人のところへ持って行くことにしよう。来月には会えるから、それまで具体的なエピソードには触れずにおこう。





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