Leonna's Anahori Journal
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2005年06月06日(月) |
ピ(RAIN) アジア人 実力 |
このジャーナルには簡単なアクセス解析の機能がついていて、閲覧した人がどこからどんなキーワードでここへ飛んで来たか、つまり、どんな情報を求めてここを訪れたのかがわかるようになっている。
最近では、アジア予選の影響なのか「ザンディ」(イランナショナルチームのイケメンMF)のキーワードで来る人が多い。「イラン ザンディ」「ザンディ 画像」等々、一生懸命情報を探している様子が伝わってくる。
-- 他に多いのが、やはり韓国がらみのキーワード。
「ソウル 戦利品」 「イテウォン 革」 「漢江 夜景」 「チョンダムドン ホテル」 「韓国の住宅事情」…etc.etc. さらに、ここから一歩入ると面白いことに。
「オオカミの誘惑 妄想」 「クォンサンウ 整形」 「江南 焼肉屋 ピ」
なんか、わかる、わかるぞ〜(笑)
-- さて。今週に入って目にしたキーワード。
「ピ(RAIN) アジア人 実力」 「ピ(RAIN) MTV 迫力」
…イラッシャイマセ(笑)。うん、うん。私もやっと観ましたよ、VMAJの様子、4日にスカパーで。
-- 手術後、アメリカへ行ったりして休んだあとのステージだったし、鼻も通るようになったし、RAINも期するものがあったのでしょう。迫力があって、オーディエンスを楽しませる余裕もあったし、充実した良いステージでした。彼、MTVアジアのグランドスラムを狙うと言ったそうだけれど、これはあと中国を獲ればいいのだから、きっと達成するのではないかしら。
ところで彼、鼻の手術前の一時期、すごく体が重たそうに見えたのだけれど、少し絞って、さらに日に焼けたせいもあってか、かなりタテ長になってる印象を受けました。実際、NKホールへ見に行ったファンの中には「今日のジフニは確実に9.5頭身はあった」って言い張ってるひともいるらしいから…(笑)。なにはともあれ、ウェルカムバックRAIN、ですね。
ところで、私が驚いたのは、あれだけこじれた(ドタキャン後訴訟問題になりそうだった)MBCのドラマに出演承諾して、夏から撮影に入ると日本の記者会見場であきらかにしたこと。きっと凄く出たがってたのね、RAINではなくて、チョン・ジフンが。というわけでドラマ『悪い愛』、共演コ・ソヨンで出演決定だそうです。(ああ考えただけでドキドキする。また感情的にゆさぶられるのかと思うと堪りませんワ)
でもさ、日本ではまだ『フルハウス』すらオンエアになっていないわけで。あとがつかえちゃう、というか、息つく暇も無くヨンジェシーだの、年上の人妻だのが続いてくるってのは、体力的にかなりキツイ。 とにかく『フルハウス』のオンエアを止めている権利の問題ってのを早くはっきりさせて、毎日でもいいから流してほしいんだな。フジの深夜帯で月〜金とかさ。急がないとあのひと、どんどんどんどん仕事しちゃうから、なっかなか追いつけないのよ。ハァハァ。
どもども、横柄で威張る男が大嫌い、特にそれが地位や立場のあるヒトの場合には、容赦なく噛み付いてしつこく喰い下がる、チマリスです。(リプリーズ)
でもって、オーララ、やっちまったわ、おっかさん。 本当に噛み付いちゃったの、ボスに。完全にリミッターはずれてたわね、今日のあたし。
「このやり方を続けるのであれば私は降ります」「それとこれとは別です。話をすり替えるのはやめてください」えとせとら、えとせとら…。 激昂してボスに食い下がるうちに夕刻の空をさらに厚い雲が暗くして、大粒の雨が窓ガラスをバチバチと打ち始めた。さらに、しばらくすると雷鳴までもがゴロゴロと…。なんという相乗効果。まるで計算したかのように(笑)。 --
いつもの私なら、あとから一生懸命ハンセイする、必ずする。どんな場合でも遣っていい言葉とそうじゃない言葉がある、とか、いい歳した女が感情的になって得することなんか何もないし見てくれも悪い、本当にこれが最良の方法だったのか?、とか。
でも、なぜか今日はハンセイする気まったくなし。カマワーン!て感じ。 いまの私、もとより失うものなんて何もないし、何か制限があるとすれば父親より先に死なないって自分で決めてることくらい。 それに、よしんば生きてたって、大事なところで自分を殺して生きてるんじゃ死んでるのと大差ないんじゃない。そういうの、父親だって悲しむと思うワ。
だから、かまわないの、今回のことは。 クビになったらなったで、今までできなかったことをする、チャンス到来。私、今してる仕事のほかにも死ぬまでにやりたいことがあるんだー。 クビにしないんだったら、少しやり方考えて頂くってことで。 ただし、ここからは神経研ぎ澄ましていくわよ。簡単に感情むき出しにはしない。詰め将棋。
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とはいうものの、さすがに話し終わってボスが帰ったあと少しだけ不安定になった。誰かと話がしたかった。じゃないと本当に自分が100%正気かどうかイマイチ確信が持てない気がして。
それで、文明の利器片手に階段の踊り場へ出てクルミちゃんに電話した。持っててよかった、携帯電話イエー。 電話に出たクルミちゃん、「エエー」なんてびっくりしてたけど久しぶりに元気な声を聞かせてくれたし、私も世界の淵から落っこちてなんかいないってことを確認できた。エブリシングイズオールライト!と自分に檄を飛ばして本日の業務を終了し、大粒の雨の中を家へ帰った。
バーレーン戦。
良かったじゃないですか。ドイツ大会には、辛うじてまだつながってるわけで。(なぜか、必要以上に斜に構えるチマリス)
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久々に茨城組の面子の揃った試合でした。小笠原、柳沢(どこの国の人かと思った)、中田コージ。
私は特に中田コージの出場がうれしかったんですけれども。 しかし、もともと大柄な人ではありましたが、輪をかけて大きくなってませんでしたか、コージ。よほどフランスの食べ物が体に合うのかなぁ、とまじめにそう考えた(笑)。
(あ、監督サンも元茨城かと今気付いたけど、この方は選手ではないので除外!) --
とにかくポイントはドイツに行くってことですよ。いまさらチームの戦術がとかなんとか言ったって2年遅いんだから。この体制でここまで来ちゃったんだからね。
行ったら行ったあとから考えるの、ドイツで。とにかく次、北朝鮮やっつけちゃって。要らないでしょ、北朝鮮相手なら中田ヒデも中村も。はい、がんばっていってみよー
5月27日に発売になった『サンドゥ、学校へ行こう!』のDVDーBOX(1)。予約してあったのに発売日を3日過ぎても届かない。これなら発売してから買ったって同じじゃあないか。大人げない行動に走ってしまいそうな、でも駄目駄目ガマンしなくちゃという、非常に危うい精神状態に陥ったチマリス。
アマゾンへ問い合せたところ、手違いがあったようです、誠に申し訳ない、手配しましたというメールが来て、ムムン!てな心持ちでいたところ、来た、やっと来ました。日通のペリカン便で、サンドゥ到着。
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こういうとき一番に見たいのは、やはり特典映像。で、さっそく見てみたのですけど、素の見え隠れするこの手の映像って、知らないうちに一生懸命に見過ぎちゃうみたいで、本当に疲れるの。
とにかくRAINて、ショービジネスの世界に“激しく適合”していることだけは確か。(「良く」とか「凄く」という言葉では不十分。あくまで「激しく」適合)
彼が適合しているのは、表面的な可愛らしさや礼儀正しさといった部分ではなくて、あまり表面に表れてこない、頑固さ、プライドの高さ、孤独に対する耐性といった部分(だと思った)。 …ま、特典映像を見ている間中、こんなことばかり考えているのだから、そりゃあ疲れもしますわね。
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肝心のサンドゥー本編はというと。やっぱりサンドゥは字幕(地声)じゃないと!と、これに尽きます。これ見ちゃうと吹替え版(現在LaLATVで毎週土曜夜オンエア)は見られなくなっちゃうよなぁ。
ストーリーと演出では特に第4話あたりが前半の白眉になるのではないだろうか。もうチマリスは胸が一杯で、苦しくて、目から何か出してしまいました。(結局、特典でも本編でもクタクタになってる)
2005年06月01日(水) |
人生を超越しているもの |
少しまえに銀座の福家書店でヘンリー・ミラー(山羊座生まれの雄!)の『南回帰線』をみつけて買った。本当は『北回帰線』をさがしていたのだけど、ヘンリー・ミラーの文庫本なんて、それが何であろうと稀少なものだからオッてな感じで、即購入。
いつもの習慣で、まずあとがき(解説)に目を通すと、ミラーは自分のことを“クリスマスに生まれるべきところ、母親の手違いで12月26日に生まれてしまった《遅れてきたキリスト》”と認識していたらしい。 このあたり、同じ山羊座生まれでも“年も押し迫った師走の、しかも給料日前に生まれてきてゴメンナサイ”という認識(12月23日生まれです)で生きてきた私とはずいぶん違うなと感心する。しかしねぇ、キリスト、ねぇ…(さすがだ)
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さてその『南回帰線』、まださわりの部分をほんの少し読んだだけなのだが、なかなか凄いことが書いてある。たとえば、以下のような部分。 『考えてみれば、ぼくはこれまで生きることに感心を抱いたことはなく、ぼくの関心はただ現在の行動に、人生にも匹敵し、人生の一部分であると同時に人生を超越しているものにしかないことを悟ったのだ。』 ヘンリー・ミラーが“人生すら超越している”とみなした“現在の行動”とは、おのれを表現すること(恐らくは、小説をものすことの意)で、もし他の人間たちのやっていることが“生きること”であるならば、自分はそんなものに関心を抱いたことはない、と言っているのだ。
しかし。ミラーのように“現在の行動”を“表現すること”と限定しなくても、すべての現在の行動は、人生にも匹敵するのみならず、人生すらも超越しているのではないだろうか。つまり、現在というこの一点を通らずして自分の人生は成立せず、人間は自分の死後を知ることはできないことになっているのだから、たったいまこの瞬間の行動(と、書いている間にも飛び去って行くこの今)のリアリティ、ヴィヴィッドさは、人生という過ぎ去った時間の集積物(完成しているけれど死んでいる)を超越しているとは言えまいか。
けれども勿論、だからこの瞬間を大切に生きなければ、とかなんとかいう話では全然ないのだ。なんというか…前述のミラーの文章を読んでから、私は“たったいま”という時間に対する感覚がにわかに変わってしまった。未来も将来もなく、いまがそれらも含めたすべての時間なのだと、極めてリアルに感じるようになった。
そして、今という時間に対する感覚が変化すると同時に、世間が規定(らしきことを)する「幸せ」とか「愛情」とかいう言葉から完全にリアリティが失われた。なんかもう、関係ないのだ。そんなリアリティのない、意味もわからず想像もつかないものを追い求めて生きることは、できない、興味がない。そもそも世間などという実態のつかめないオバケのようなものの言うことを真に受けるわけには行かない。これが私の(今まで自分でも気付かなかったが)本心だったのだろう。 --
ほんの14、5ページ読んだだけでこんなだから、最後まで読んだらどんな面白いことがあるんだろう、『南回帰線』。 でも、いまほとんどまともな読書時間がとれない状況。気長に、その一瞬を爆発させながら、ミラー本とつきあって行きます。
2005年05月30日(月) |
昔のひとは言いました |
このごろ検索エンジンから“ジャンヌ・モロー”“名言”なるキーワードでいらっしゃる方が多くて、ナニナニ、などと興味が湧いてきて、私もその手の「名言集サイト」へ飛んでみました。
そこでみつけた18〜19世紀の偉人の言葉。私一人でうなずいてるのでは勿体無いので二つばかり転載いたします。はい、どーぞ。 -- 『二十代の恋は幻想である。三十代の恋は浮気である。人は四十代に達して、初めて真のプラトニックな恋愛を知る』 by ゲーテ 『あらゆる人間の知識の中で、結婚に関する知識が一番遅れている』 by バルザック --
どうやら、四十代にならないと玩味できない人生の味があるらしいですよ。というより、自分はもう立派なオトナだなんて思ったら大間違いなんだな、やっぱりな(このあたり妙に内省的チマリス)。
やっぱり人間、そう簡単には生の混沌や懊悩から抜け出せないように出来ているみたいですねぇ。含蓄のカタマリみたいな二つの金言デシタ。
2005年05月28日(土) |
レイニーサタディ(晴れてても) |
朝、英会話。仕事がかなりグルグルしてきているので、仕事のことを完全に忘れることのできる(忘れざるを得ない)英会話の授業は、かなり良い気分転換。
その後、歩いて会社へ。今日は本当は休みなのだけれど、引越のあおりでいろいろと片付かない仕事がたまっているのだ。途中、高島屋の地下でお昼ご飯にフォションのパンだのお惣菜だの買ってから行く。いいよね、こういうとき日本橋って。
会社でガサゴソしてから(って書くとなんか動物みたいだ)打合せで鎌倉へ。季節が良くなったので、休日の鎌倉は人で混み合っている。思ったより早く30分ほどで終わらせることができたので横浜の父のところへ寄って行くことにする。
昨日RAINが来日して、もうおスシは食べたかしら(なにしろRAINといえば、スシ、ですから)なんて考えていたこともあり、鎌倉駅のホームで鯵の押し寿司を買う。父へのお土産。ついでにこれもRAINの好物、厚焼き玉子をお総菜屋で買う。私はサカナは食べられないけど、玉子焼きならば大丈夫だから。
-- さてRAINの“活動計画”説の続き。 彼が寝る間も惜しんで仕事していることの他にも、私にとっては理解に苦しむ言葉(というより私をうんと苦しめた言葉)がどこから発せられたものなのか、この頃になって何となくワカッタような気がすることがある。
つまり彼は“RAIN”という人物を、素の自分とは別の、理想の芸能人、パブリックな自分のあるべき姿として捉えているのではないのかしら。特に彼が折に触れて言う「もっと努力して皆さんを歓ばせるピになります」という言葉にそれが現れているような気がする。
あと、もっと端的なのが「皆さん、もっともっと、ピを愛してください。」というやつね。ピ(RAIN)を自分とイコールの一個人だと思っていたら普通ああいう言い方はできない。ピ(RAIN)というのはチョン・ジフンという個人にとっても、イメージの向こう側にある努力目標なのではなかろうか。
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それにしてもこの人、本当に本当に大スターなのね。いま、たまたま爆発的に人気を博しているアイドルスターという域には既にいない。一種の尊敬の対象でもあって、故にそこはかとなくアンタッチャブルな雰囲気(すでに有形無形のものに守られているという感じ)がただよっている。
このところ、LaLaTVやKNで立て続けにRAINの特集番組(の再放送)を観る機会があって、正直クタクタなのだけれど、それというのもこのヒトの多面性とえらく努力家であることが原因なのだ。なにしろ真面目で努力を惜しまず目標は必ずクリアしてしまう。優等生と言えばそうなのだけれど、自然体で可愛らしいキャラゆえ誰からも好かれてしまう。
こういうのを見ていると私のような人間は、段々と元気がなくなってくる。画面の向こうのRAINは屈託なく笑っているだけなのに、それを見ているコチラは、勝手に叱られているような気分になってしまうのだ。(我ながらつっまんない性格!)
しかし、そういう優等生の彼でも未だ理解できないのが時間の流れに身を削られた後のビタースイートというもので、だからああいう“20年前に、一人の青年がいたな”云々などということが言えるのだろう。そう思ってみれば「かわいいもんじゃん」と呟いて、ま、ここはひとつ赦してやってもいいかなと思うのだ(あま〜い、リスちゃん、あま〜い!)
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さて。夜ともなれば『サンドゥー』の再放送(ノーカット吹替え版)だ。 第四回にして、やっと不幸の匂いがし始めましたよ。前回までは、何かはしゃいだような、コミカルな部分ばかりが強調されていてなじめなかったのだけれど、来たわよ、メロな雰囲気が、悲しい影が。
私のように、最後の四回分だけを先に観てしまっている人間にとっては、今回はかなり堪らないシーンが多かった。子供時代を過ごした土地、楽しい思い出とツライ記憶が重なるその場所に、あと一歩の距離まで近づきながら「やっぱり行きたくない」と言って、目の前の橋を渡らずに引き返すウナンとサンドゥ。タクシーの中から後ろを振り返って、海にかかった橋を眺める二人の姿には、チマリス、慟哭を禁じ得ませんでした。んもぅっ…、 サンドゥゥゥゥっ…! (韓国ドラマには気をつけないと、こんなんなりますよ)
チエちゃん、今朝韓国へ帰国。午後、RAIN来日。
てことは、ムム?、今回はチマリスじゃなくてチエちゃんがすれ違ってる?
-- 「誰でもピカソ」に出演したRAIN、可愛かったですね! それに、彼のああいうシチュエーションでのダンスというのはかなりめずらしいのでは。すごい迫力でドキムネでした。
ビートたけしは、あれ、いきなり惚れちゃってませんでした? 「たけし先生」とか「カリスマ」とかって持ち上げられて、とどめに「カワイイ」ってオトされて(笑)。他愛もなくバッサリ。秒殺でしたわね。 ところで、今日オンエアされた「誰ピカ」は、もちろん生ではなくて録画。収録は4月8日でした。RAINは翌日9日にソウルで鼻の手術が決まっていて、なんとその前日に、一日のみの極秘来日で収録されたと聞きました。
あの時期、ファンは彼のオーバーワークを大変心配して、ネット上でも「休ませてあげて!」という大規模な署名運動まで展開していたというのに、童顔君は休むどころか手術の前日まで緊急来日して仕事をしていたという…(笑) でもって、その収録のオンエアが今回の来日にぶっつけてあるわけだぁね。フンフン、フフン…(ヘンな顔しながら小鼻をうごめかすのはやめて)
-- しかし、どうして彼がこんなにも働くのか、その理由が、最近になって少しわかってきたような気がします。つまりですね、キーワードは「兵役」ではないかと。
韓国の成人男子には通常2年半の兵役の義務がある。今年に入ってからはソン・スンホンが入隊。彼は兵役逃れのスキャンダルが発覚して、たいそう苦しんだのだけれど、結果的にはそれがさらなる人気アップに繋がった。その後、ソ・ジソプも入隊。さらに秋にはウォンビンとイ・ドンゴン(ミンソク先生!)までもが入隊することを表明した。
で、今が旬の人気俳優たちがその一番美しい時期に二年半も業界を離れなければならないというのは、日本人の私にはにわかには信じがたいことだけれど、当事者側としては現実問題として、入隊のタイミングを計ったり、いろいろとするべきことがあるのではないか、と。
で、RAINのケースは。 あくまで私個人の推測なのだけれど、彼には兵役にとられる二年半の期間を考慮に入れた『活動計画』のようなものがあるのではないかしら。RAINは19歳でRAINとしてデビューして、瞬く間にスターダムを駆け上がったわけだけれど、その成功が大きければ大きいほど、だからこそ今しておかなければいけない仕事、踏み固めておかなければいけない足下というものがあるのだと思う。
そう考えてみると彼(RAIN)の言動の、これまで(少なくとも私には)理解できなかった部分がなんとなーく解明されてくるのだけれど…、この続きは、また明日。(眠くてもう、ドロドロチマリス)
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さて、今頃RAINは何してるんだろうね。 やっぱりリハか打合せ(MTV Video Music Awards)、だろうかな。 スシはもう食べたのだろうか。 少し痩せたと聞いたけれど、どんな感じなのかしら。 そして何より、鼻は無事なのか、鼻は。
29日、NKホールの観覧チケット外れて、何とも残念無念なチマリスなのデス。
ジャスト、ワンス♪ で、うふぅ〜ん、なんてやってる間に。
なんてこったなんてこったなんてこった!
CL決勝で、ミランがリバプールに・・・・(うわぁぁぁぁ〜ん)
-- 仕事の打合せで、チエちゃん韓国から来日中。 一緒に日本橋のデパートや、コレドのユナイテッドアローズへ出かけて(私は内心)憂さ晴らし。夜は銀座ですき焼き。
しばし悲しみを忘れて、霜降り肉に集中。しかし年齢とともに代謝が緩やかになったのか、このごろ富みに太りやすくなった私。帰宅後、恐怖に駆られて腹筋運動などするも虚し。
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ミラン。来季は本腰入れて応援するぞ。ごめん、クレスポ。あと一年がんばって、あの素晴らしいプレーをもう一度みせてくれないか。
だめだ! ミラン、パレルモに3−3のドロー。嗚呼自滅回路。
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事務所の引越し真っ最中。新しいオフィスは日本橋某町。
今読んでいる須賀敦子の本に、日野啓三『断崖の年』について書かれた文章があって、そこに日野作品からの引用があった。深刻な病で生死の境をさまよったあとで、最初に現れた人たち(病後に見た幻影)について書かれた部分。屋上に現れたサラリーマンらしき人影についてこんなふうに語られる。 “形もない幻影荒れ狂う錯乱のあと、まず最初に現れたのが、未知の親しい人たちだったことに、彼は深く打たれた。彼らは迎えに来てくれたのだろう。おまえの世界つまり孤独であることが親しさを成り立たせているこの都市の世界が待っている、と” 日本橋界隈の雰囲気に妙にしっくりくる文章だ。 特に、個人的に「孤独であることが親しさを成り立たせているこの都市の世界」という部分に感動する。 まだ引っ越してきたばかりだけれど、日本橋、好きです。
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今日は朝、英会話のクラスがあった。私の通っている学校ではいろんな国の人の話す英語になれる為に、毎回先生が変わる。たとえば、先週は黒髪でシリアスな雰囲気(笑わないのだ)のピッポ・インザギそっくりな顔したオジサン先生。その前は碧眼で若々しいカナダ人の先生。
今朝、私たちのクラスに現れたのは大柄で童顔の東洋人の顔をした先生。顔だけ見るとまるで日本人のようなので、全員が一瞬ハッとなった。でも彼は(おそらく)アメリカ人。この先生は歯切れがよく朗らかで、なかなか楽しい授業だった。
特に二月に韓国へ行って以来、西洋人の顔に妙な違和感を覚えるようになった(でも貧弱な日本人はキライな)私にとっては、理想的な先生(笑)。しかも、シンプルで優しげな童顔ときている。
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それにしても。事務所の引越しで、帰宅時間が昨日は11時、きょうは10時。ほんと、こんなことしてたら老化が進んじゃうわ!。で、たまにはこんな頬の緩むような出来事でもなければやってらんないわ、という心境の私なのだ。何から何まで一個人にやらせる、このビンボー会社、なんとかならないか(怒)。
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