Leonna's Anahori Journal
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昨晩。新宿でヴィスコンティの「山猫」を観る。 威勢良くイタリア語を話すアラン・ドロンに最後まで違和感。「若者のすべて」のときは全然気にならなかったのにな。なんでだろ。 上映時間三時間余には、さすがにお尻が痛くなった。 (「山猫」についてはまた日を改めてゆっくり) -- 14日に市川の書店で買った本。
「虜」 藤田宜永(文春文庫) 「愛の領分」 藤田宜永(文春文庫) 「巴里からの遺言」 藤田宜永(文春文庫) 「おとこくらべ」 嵐山光三郎(ちくま文庫) 藤田宜永はこのまえ読んだ「銀座24の物語」の中の一編がとても良かったから。洒落てはいるけれど、奇をてらったところのまるでない文章。爽やかな読後感がとても印象的だった。
ところが書店で本を探しても思った程にはみつからない。それよりも目につくのは奥さんである小池真理子氏の著作の方。いやぁ、小池サンて多作だなぁ。あるわあるわ、色っぽい内容の小説がわんさか。これはセクシー女優ならぬセクシー女流だわいと大感心。
そして、感心しながら文春文庫の棚でやっとみつかった夫君、藤田氏の著作。しかし、これもまた「虜」あたりはかなり微妙な内容(これってエロなん?)みたいなのだ。ふぅん、夫婦で小説家で、しかも双方ビミョウな男女関係を描いているのね…。
こういうのってどうなんだろう。同じ屋根の下で夫婦のそれぞれが、他人の情事を(そしてそれをとりまく感情や心理を)描くのに心血注いでいるのって…。ああだろうか、こうなんじゃないだろうかとあれこれ詮索しまくっているうちに、いま自分は夫婦のモンダイなんか深く考えちゃいけないんだったと気がついた。つまり、滅入ってしまったのだ。(アホか)
しかも。最後に手に取った嵐山光三郎の本、これまたタイトルがビミョウ(つまり、これってエロなん?)なので少しばかり怯む。「こんなの購入本でジャーナルに書いたら、また変なメールが来るんじゃないだろうか」なんて真面目に考えてしまって。割と真剣に悩みながら、さして広くもない書店の中を小一時間も歩き回ってしまった。
おいおい、なにしてるんだ。しっかりしてくれよチマリス。文庫本買うだけでこんなんじゃこの先思いやられるぜ。 (結果的にはどの本もみんな、低俗なエロとは無縁な、読み応えある“当たり本”デシタ。エガッタ〜)
Kさん
メールありがとう。心配させてごめん。 家のパソコン(iBook)、調子が悪いので、いま会社から新住所書いたメールを送りました。送り先はKさんがHPに公開しているアドレスです。
改めて、家パソ(iMac)からいつものアドレス宛にメール送ります。 東京はちょっと冷え込んだり、暖かかったり、です。私は元気です。
以上、取り急ぎ、業務連絡。
2004年12月10日(金) |
待っててタンクレディ |
なにが辛いって、映画を観に行こうと思うと、まず使い捨てコンタクトレンズの箱をどこへしまったか、前日の晩にダンボールを開けて探すところから始めなければならないという、この面倒臭さ。もーいや。 -- 仕事で外出。午前中、九段下。午後、麻布十番。で、夕方、また九段。いやぁ、歩いた歩いた。健脚をほこる私も、さすがに少しくたびれた。
ヴィスコンティの「山猫」、とうとう来週で終わってしまうというので会社の帰りに観に行くつもりでいたのだ。それで午後五時には昨晩発掘したコンタクトをばっちり装着して準備万端だったのだけど、結局やめにした。
肉体疲労からくるモチベーションの低下だ。いそいで映画館に駆けつけて、夕飯抜きで三時間余も、とてもじゃないけどもたないと思われ。来週出直すことにして、今日は早帰りすることにした。来週必ず観に行くから、待っててタンクレディ。
支払いの度に、財布を開けて思うこと。新五千円札の樋口一葉の顔、あれはちょっとないんじゃないだろうか。 -- 久々に文庫本を買った。本を詰めたダンボール箱をまだひとつも開けていないので、とうとう読む本がなくなってしまったのだ。購入したのは
「銀座24の物語」 銀座百点編(文春文庫) 銀座をテーマにした短編のアンソロジーなのだが、それだけに執筆者には久世光彦、志水辰夫、連城三紀彦、常磐新平、平岩弓枝、高橋治等々、なかなか渋い作家が名を連ねており、そこに椎名誠、安西水丸、嵐山光三郎など“かつての銀座棲息者組”が混ざる。
タイトルも、銀座という“追憶の都”にふさわしく、しっとり落ち着いたものが多いのだが、その中でひときわ異彩を放っているのが、藤沢周の「Coffee and Cigarettes 3のトム・ウェイツについて」(笑)。銀座というより表参道という感じだけれど、果たしてどんな物語なのだろうか。江國香織「カステラ」なんていうのも収められていて、なかなか面白そうな本だ。
毎日、仕事場でFMを聴きながら仕事している。 ここ最近のヘビーローテーションはなんてったって彼奴だ、ボノボノだ。 つまりヴァーティゴ、U2の。ハロー、ハロォ。
それで、家へ帰ってテレビをつけると、うわっ、また出たよ。 こんどはボノボノおやじのシルエット付きで、カモン、カモォン。 つまり、アレです。iPodのコマーシャル。
このあいだの米国大統領選挙では、ブルース・スプリングスティーンやボンジョビがタッグを組んでケリー候補を応援したけれど駄目だった。 おやじロックの使い道としては政治より商売、iPodあたりが妥当なのだろうか。
で、昨日、秋葉原はラオックス、コンピュータ館へ出かけたら、うわー、またしてもカモンカモンだ、ヴァーティゴだ。しかもばかでかいモニターには例のCF、激しく踊る影の映像が、ばぁーんと。さすが電気街。 で、なにゆえ電気街へ出かけたのかというと、iBookに入れる無線LAN用のカードを買いに行ったのだ。
というわけで本日、やっと開通しましたインターネット。なにせまだダンボールだらけのわが家ですので、サクサクッとはいかないと思いますがメールをいただいたみなさまにはこれからお返事書かせていただきますので今しばらくお待ちを願います。アリガト&ヨロシク。
(それにしてもiBook、無線にしたら速い速い。チマリス大感心。)
激動の11月も終わろうとしております。 引越し、今回も徹夜で朝方泣きましたが、一応無事に終わりました。 で、とにかくいまは眠いです。そのひと言に尽きる。起ったまま眠れるなんて一昨年のwire以来だよ。ブフゥーン。
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11月後半、一身上の一大事でばたばたしている最中にも、心奪われるようなスバラシイ出来事はありました。
まずテニスマスターズでロジャー・フェデラーが本当に二連覇を達成(!)。ふつうの人にとっては奇跡でも、今のフェデラーにとっては十分実現可能なことだったんですねー。 今回のマスターズはこのフェデラーとロシアのマラト・サフィンが本当に目を楽しませてくれました。プレーはもちろんのこと、発するハンサム光線が、もう、半端じゃなかったです。おかげでチマリス、幸福なのか不幸なのか自分でもよくわからない境地に。ウワーイ、フェデラーバンザーイ! それから27日、引越し前日に荷造りほっぽり出して聴きに行った、すみだトリフォニーホールのジョバンニ・ミラバッシ・トリオ。
いやー凄かったー。なんだったんだろうかな、あれは(←最大級にほめておりマス)。欧州ジャズのキモはピアノだ、とは思っていた。でももっと(良い意味で)軽くてカラフルなものだと思っていたのに。とんでもないよ、陰影深いよ、魂取られるよ!。しかも普通に超絶テク。ジョバンニ・ミラバッシ・トリオ、超ヤバイ。
愛情込めて、録って・作って・売って・呼んだ、澤野工房の澤野由明社長に深い感謝と大きな拍手を。 --
とまあ、相変わらずこんな感じで暮らしております。 が、いま家のパソコンはダンボールに入ったままで、まだ繋がっておりません。ですのでメールをいただいても見られないし、お返事も差し上げられないのです。メールをくださった方にはごめんなさい。 パソコン&インターネット環境が整うまでにあと一週間くらいかかるかと思います。今しばらくお待ちください。
以上、実はインターネットないと楽だな、のんびりできるなーなんてチトだけおもってるチマリスでした(コラー!)
2004年10月31日(日) |
アーバン改めサバービア |
きのう。
これからは、どこでも好きなところに住んでかまわない、住めるのだと思っていた。思い切ってこれまでとはまったく違う環境に住んでみよう。そう思って茗荷谷へ行ったのだった。
文京区には少し前から目をつけていて、会社の帰りに音羽や小石川の辺りを歩いてみたりもした。夜の春日通りは、どこか知らない外国の町と同じくらい愛想も取り付く島もなかったけれど、それでも何とかなると思っていたのだ。
あちこち案内してくれた不動産屋さんの担当者は、ずけずけ物を言う、でもとても回転の速い話の分かる人で、私はこういう人とはウマが合う。それで、最後にはワンルームに形ばかりのお台所の付いた部屋で「ヨシ」ということにしたのだった。したことはしたのだが最終的な返事は「横浜の父親に話してから」と言って一日延ばしにした。でも、父に話してからなんて勿論うそに決まっている。
雨の中、疲れきって家へ帰り着く。コートを脱いでからべったりと座り込んで泣いた。文京区は暗くて寒くてよそよそしかった。 それに寝ても起きてもあの一部屋きりで、どうやって暮らして行けるだろう。引越の荷造り以前に家具の大半を処分しなければならない。不便とか便利とかいうまえに、精神的に参ってしまいそうだ。
やめよう。明日、別の場所を当たろう。不動産屋さんには申し訳ないけれど電話を掛けて断る。それだけ決めたら少し落ち着いた。 -- きょう。
寝て起きたら、晴れていた。一時間くらいインターネットで相場を調べてから不動産屋さんへ電話をして出かけていく。市川は今住んでいるところから電車で十分くらい。全く知らない場所ではないし、住環境はここよりも良さそうだ。東京方面へも近くなる。
訪ねた不動産屋さんは私の出す条件をフムフムと聞いてから「うん、ありますよ。一件すごくいいところがあります」と言う。そのオススメ物件も含めて四カ所みせてもらったが、結局、開口一番の“いい物件”にすんなりと決まった。ほかの三件も広くてきれいな部屋ばかりで、昨日の悪夢が嘘のようだった。
その家は二階建ての家が五所帯くっついて建っている、いわゆるテラスハウスというやつで、静かな住宅街の中にある。他の四所帯は法人契約の妻帯者ばかりだそうで広さも申し分ない。駅からはバス便だけれども、環境優先ということでよしとした。気に入った場所に住んでいれば駅からの距離はある程度がまんできるということは以前に葉山に住んだ経験から知っている。
そうか。なんとなく自分のことを東京生まれの都会っ子だと思い込んでいたのが勘違いだったんだな。 家からバス停までの道を教えてもらって地図を頼りに歩いて行ったら、今年の春、頭痛でかかった病院のそばの、見覚えのある調剤薬局の真ん前へ出た。「あらっここ。知ってるー。なあんだ、ここへ出るのか」と、見覚えのある景色が何だかひどくうれしかった。
地下鉄丸の内線、茗荷谷駅で見覚えのある初老の男性を見かける。短くて硬そうな半白の髪をきっちりと分けて撫で付けている。誰だったっけ。以前勤めていた会社で同じフロアにいた人ではないかと思うのだが。私は派遣で働いていたときも含めるとお世話になった会社の数は二桁になるので、どこの誰だったか、咄嗟に思い出せない。
思い出せないまますれちがい、寒さを避けて近くのベーカリーカフェに入る。寒いばかりか、ざーざー雨が降っている。セーターのうえに薄手のコートを羽織ってもまだ寒い。あいているテーブルをみつけて座ると、おや、すぐ斜め前の席に先ほどの男性が座っているではないか。テーブルを挟んで彼と向かい合っているのはスーツ姿の若い男性で、相槌をうちながら熱心にメモをとっている。初老の男性の口から流れ出る言葉は途切れることなく、その中に時折「アメリカ」「ブッシュ」「自衛隊」等の単語が混じる。
瞬間、初老の男性が誰であったか思い出した。中東情勢に詳しい某大学教授の某氏だ。9.17からアフガン空爆、イラク攻撃と、ワイドショーやニュース番組でこれらのことが取り上げられるたびに、コメンテーターとして頻繁に目にした識者のうちのひとりだった。 -- イラクでまたひとり、捕らえられて人質になっているひとがいる。しかも今度の犯人はアルカイダに関連のある組織で、声明も出ている。さらに悪いことに、この組織はこれまでも何カ国かの人間を人質にとり、要求が受け入れられないとみると予告どおりに殺害してきているのだ。交渉に応じる可能性は、ほぼない。時間稼ぎもできない。
こういう状況で「人質になった男性をどう思いますか」と街頭インタビューをかましたニュース番組(夕方。民放)があった。そうしたら、なかにひとり「自分の勝手で行ったのだから死んでも仕方ない。新潟の地震で大変な目に遭っているひとがいる。そっちの方が大事」と答えた中年女性がいた。オー・ララ。どこから見てもお母ちゃんという感じのフツーの中年女性が、にこりともせずにそうのたまった。
TV局とすれば、まったく無視するわけにもいかない、何かしらの形でこの事件を取り上げなければという思いがあったのかもしれないが、こういうインタビュー、そして質問内容、あんまりにも紋切り型ではないか。こういうことをしてどんな意味があるのだ。それで訊いてみて、一体どんな(パターンの)答えが返ってくると思っていたのだ。
何人のひとにインタビューしたのか、答えの内容(パターン数)がいくつあるのかもまったく分からないのだが、結局みんな「カワイソウ助けてあげてほしい」「しょうがないんじゃないの」「危ない」「なんで行ったんだ」くらいのことしか言っていない。当たり前だ、ほかにどう言いようがある。政府関係者だってどうしたらいいかわからないんだから。 一応やるだけやってみて、つまらないコーナーしか作れないと思ったらやめればよかったのにな。 --
ここからは、蛇足の深読みコーナー。 あの「死んでも仕方ない」のオバサン。突然の街頭インタビューに内心舞い上がって、ついああいう言葉を発してしまったのではないだろうか。
いや、最終的に最悪の結果になっても「致し方ない」というのは彼女の本心。「人騒がせな。新潟だって大変な思いしてるのに」という思いも確かにある。しかし彼女も人の子、人の親(恐らく)。一言ではいわく言いがたい感情だってあるのだ。その一言では言い表せない気持ちを、TV向けに短く言い切ってみた。それがああいう異様に直裁で容赦のない言い方になったのではないか、と。
それに。なんたってTVに映るのだ。TV出演なんてこれが最初で最後かもしれない。なんとか短い時間、短い言葉でもって際立ちたい。ほかの人より目立ちたい…。と、まあ、私の個人的かつ勝手な憶測を書くとこういうことになるのだが。“際立ちたい”というエゴが表現(言葉)を誤らせるというのは往々にしてあることだと思うのだがどうだろうか。
もちろん、あのオバサンが根っからの冷血オバサンで、ぜ−んぶ本心ざますよ何処がいけないざます、の可能性だってある。というより、深読みしないでフツーにとればそうなりますわね。 だとしたら、だとしたら、、、、ケッ!いやな渡世だぜ!とでも吐き捨てて、生きていくよりないんでしょうね、やっぱね。
その後、食卓の上の本の小山が少しばかり嵩を増した。AMAZONで古書で買った村田喜代子の本が届いたのだ。 「台所半球より」 村田喜代子(講談社) 「名文を書かない文章講座」 村田喜代子(葦書房) 「人が見たら蛙に化れ」 村田喜代子(朝日文庫) --
AMAZONは通常の新本を買おうと思ってアクセスしても、そこから簡単にユーズドのページへ飛ぶことができる。これは便利だ。すっかり病みつきになってしまい、これら三冊は全部古書。
支払いの窓口もAMAZONで一本化されているので、この点でもとても便利。買いすぎないように注意しないとな。
気がつくと、少し前から食卓の端に数冊の本が載っている。ほとんどが文庫本ではなく単行本。あれ、コレなんだったっけ、と、少し考えたら思い出した。例によって八重洲地下街の古書店で買ってきた古本だ。
いつ頃だったか、もう一ヶ月くらいまえになるかもしれない。一週間か十日のうちに二度、用事で八重洲地下街を通ったことがあって、結局本屋の前を素通りすることが出来ずに、二度とも三冊ずつ購入して提げて帰ってきたのだ。そして、いつものように購入本としてジャーナルに書いておこうと思ったきり忘れていたのである。 -- まず、最初の三冊。 「巴里の空はあかね雲」 岸惠子(新潮社) 「昨日」 アゴタ・クリストフ(早川書房) 「病床六尺」 正岡子規(岩波文庫) これはたしか、八重洲古書館で買った本だ。このときは、立ち読みした岸惠子の文章にたちまち魅了されてしまったのだった。これらの文章は、昔々資生堂の「花椿」に連載されていたもので読みおぼえのある文章も多いのだが、しかし、今読んだ方が断然切実で心にしみてくる。たとえば、イヴ・シャンピ(別れたご亭主。映画監督)が亡くなったときの心情を綴った一編とか。この正直さ、哀切さは、書き手の文章の上手さや個人的な魅力に頼ったものでは決してないだろう。
さて、次に二度目の三冊。
「その日の風」 中村汀女(求龍堂) 「菊帝悲歌 後鳥羽院」 塚本邦雄(集英社) 「立原正秋」 高井有一(新潮社) この三冊はR.S.ブックスで買ったもの。R.Sは歌人、詩人などの本に面白いものが多いので要注意なのだ。買いすぎてもいけないが、たまに覗くと珍しい本に当たることがある。求龍堂刊の中村汀女は箱入り本で発行は昭和五十四年。美本で、白檀のようないい匂いがする。これで八百円だった。 「立原正秋」は、少し前に会ったとき「実は昔、立原ファンだったんだよ、それですっかり影響されて薪能まで観に行ったんだけどチンプンカンプンだった」と話してくれたいとこに送ってあげようと思って。 -- 八重洲地下街で古書を買うと、そのあとは日本橋まで歩いて、地下鉄の通路にあるスターバックス(普段はスタバには入らないのだが)でお茶を飲みながら購入本をめくってみるという、いつの間にかそういう習慣ができてしまった。しかしこれをやっていると帰宅が遅れてしかたがない。
なので二度目(R.Sブックスの帰り)は、今日は寄らずにまっすぐ帰るゾと強く自分に言い聞かせながら歩いて行った。すると、いつもはそう混んでいないスタバのカウンター前のハイチェアが全部ひとで埋まっているではないか。それで、なんだか妙に納得した気分になって、すぅーっとまっすぐ家へ帰ってきた。
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