Leonna's Anahori Journal
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2004年07月07日(水) お元気ですか佐和子さん


数日前に雑誌クロワッサンを買ってきた。画家の合田佐和子さんが、きれいな写真とともに掲載されていたからだ。

合田さんは今から十年以上まえ、私がまだ神奈川県の端っこの方に住んでいた頃、短い期間だけれど近所に住んでらしたことがある。
ある日、町内会の名簿のようなものが配られて、その中の転入の欄に「合田佐和子」と書かれていて、私は我が目を疑った。

合田佐和子といえば、その昔、ルー・リードのレコードジャケットや京都で阿木譲が発行していた「ロックマガジン」の表紙などにヤバイ(←カックイイの最上級と理解してください)を描いていた、水もしたたる美女画家ではないか。しばらく立ったり座ったりを繰り返していたが、意を決して名簿の住所をたよりに偵察に出かけた。

訊ねていった住所にはおよそ佐和子さんには似つかわしくない、いかにも新婚さん向けといった、こぎれいな二階建てが建っていた。が、その小さな門扉の内側や、玄関まわりなどのちょっとしたところに、怪しげな石のオブジェのようなものが無造作に転がされている。フツーのひとはこんなミョウチキリンなもの、こんなところになんか絶対に置かない。

間違いない、同姓同名なんかじゃなくてほんものの合田さんが引っ越してきたのだ。私は高鳴る胸を抑えつつ、痺れたようになりながら、その日はいったん退却した。そうして、日を改めて「合田佐和子作品集 パンドラ」を携えて、サインを貰いにたずねて行った。
 
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その後もなんどか町で偶然佐和子さんと出会うことがあった。

一番印象に残っているのは家の近くにあった中華料理店でお会いしたときのこと。休日のお昼時、友だちと二人でおそばを注文して座っていると女の人の喋る声が聞こえてきて、そのひとは、向かい側に座った若いお嬢さん二人に向かって、手振りを交えながら「水の中のヴィーナスが…」と熱心に説明している。昼時の中華料理店で“水の中のヴィーナス”ですよ、アナタ。

びっくりして声の主を確認するのと、「やっぱり合田さんだ!」と納得するのとで合計三秒もかからなかった。立って行って「コンニチハ」と挨拶すると「あら、コンニチハ! ねぇ、ここ美味しい?」。そこはラーメン屋さんというよりはちゃんとしたお料理も出す中華の店という感じだったので「何でもまあ美味しい方だと思います」と答えた。すると、「ラーメンはどうかしら」。そこで「おそばも美味しいですよ。ラーメンもちゃんとしたラーメンです」と教えてさしあげたら、安心したようなとても嬉しそうな顔をされた。そのときの素敵な笑顔は、今でもはっきりと思い出す事ができる。

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しかし、こういう有名人に関するあれこれを、個人がネット上で勝手に書いたりするのは本当はいけないことなのかもしれない。迷惑なことかもしれない。なので、もし何かありましたらご面倒でも是非この私、チマリスまでご一報ください。

そして、ついでといってはなんですが、また展覧会のお知らせなどお送りいただけたら(あれからまた引っ越しをした私です)、とてもとてもうれしいです。何卒宜しくお願い申し上げます。ぺこり。




2004年07月05日(月) フェデラー全英二連覇

深夜まで心臓が痛くなるほど真剣に応援したかいあって、フェデラーが昨年に続きウィンブルドン二連覇を果たした。

しかし現金なものでフェデラーの勝利が決まると、とたんにロディックに対する賞賛の気持ちもわきあがってくるのだから可笑しい。

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私は闘志をうちに秘め、攻めているときも窮地に陥ったときも、比較的ポーカーフェイスでプレイする選手が好きだ。なんというか、そういうときのスポーツ選手ってとても色っぽいと思うのだけど。で、ロジャー・フェデラーというのはまさにそういうタイプ。(あとクエルテンなんかもこのタイプ)

一方のアンディ・ロディックは比較的「勝ったるでー!」が顔に出るタイプ。しかもそういうときの彼は観ている方もどうしたらいいのかわからなくなるくらい強い。この決勝も世界最速のサーブで押した第一セットはちょっと止められない感じだった。

しかし技術的な面で成長しつつあるロディックに対して、最高のコンディションとは言い難かったフェデラーが勝てたのは、かつて“天才肌だけれどムラっ気もある”と評された彼がメンタル面で大きく成長したからだろう。

試合後も、表彰式のときも腕組みをしたままのブレット・ギルバートコーチ(ロディックのコーチ)。当のロディックも含めて、相当くやしかったとみえる。
いずれにしても、見応えのある試合だった。今後もこの二人はランキングのトップを争ってしのぎを削るのだろう。楽しみだ。(フェデラーガンバレ)
 
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EUROが終わったので。

熱き血潮のギリシャサポーターの皆さんへ→「おめでとう!」

心中察するにあまりあるルイス・フィーゴ主将へ→「しかと見届けました」

WOWOW持たない私からTBSサンへ→「アリガトウッ!」(谷村新司調で)

 
 
 


2004年07月04日(日) ラブリー!下妻物語

映画「下妻物語」を観てきました。

もぅ、めちゃくちゃ面白くて、ラブリーな映画でした。
なんか下妻ってけっこういいところなんじゃないの、みたいな錯覚に陥りそうなくらい楽しかった(笑)。中島哲也監督、最高です。

中島哲也さんといえば二年前、TVドラマ「私立探偵濱マイク」でも楽しませてくれた監督さん。あのとき私が“一等賞”だと書いたピザ屋の兄ちゃんこそ、下妻の八百屋の若旦那、荒川良々だったのでした。バンザーイ!(笑)
 
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家へ帰って、先に「下妻観たわよー」とメールしてくれたクルミ嬢に「今日観てきたッ」とメールすると、折り返し「最高ですよね。世界上映もきまったみたいですよ」との返事が。

思わず「マジっすか!、スッゲエじゃん!!」と土屋アンナ(苺)の口調でつぶやいてしまいました。たったひとつ残念だったのはサントラを買おうとしたら売り切れていたこと。全然オッケーっすよ!、アマゾンで買います(笑)



 
 


2004年07月03日(土) シャラポワ!

いやぁ〜強い!これは本当に強いわ、マリア・シャラポワ。
ジロリ対決なんて冗談言ってる場合じゃあない。S・ウィリアムズをストレートでくだしてウインブルドンで初優勝してしまった。これがグランドスラム初タイトルだそうだ。
しかし、これからしばらくは彼女の時代が続くのではないだろうか。強さのみならず、若さ、美しさの点でも申し分なし。話題性も十分だ。

一方、試合後は、負けたS・ウィリアムズの魅力が光った。自分の三連覇を阻んだ新女王をたたえる表情は本当に優しくてあたたかかった。人間性ってこういうところに出るんだな。あんなにチャーミングなセレナはじめて見た。

さて。次はいよいよ男子決勝。フェデラー×ロディック。
こちらはなんとしてもディフェンディングチャンピオン(フェデラーらぶ)に勝っていただかなければ。
 
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横浜の父の家へ行く途中、東京駅のキオスクブックガーデンで購入した本。

 
 「美女入門3」 林真理子(角川文庫)
 「ただならぬ午睡」 江國香織選/日本ペンクラブ編(光文社文庫)
 
 
今日から石川淳「紫苑物語」を読むつもりで持って出ていたのに、「美女入門3」をパラパラっとめくってみたら離れられなくなってしまって。実は昨晩から少しばかり落ち込んでいたのだけど、そのことを忘れて読みふけっていた。

なんなんだろうね、あのアドレナリンが出てくるような感じは。いい人の仮面を吹っ飛ばして、女性の本性の部分を元気づけるとでもいうのでしょうか(笑)。林真理子的なもの、不本意ながら私には、たまーに必要なのかもしれません。(ふほんいながら、て。失礼な!)
 
 
 


2004年07月02日(金) マリア・シャラポワ


ウィンブルドン女子シングルスの準決勝、ロシアの17歳マリア・シャラポワがダベンポートを敗って決勝進出を決めた。ダベンポートファンの私としては悔しいかぎり。シャラポワはこの前の試合では杉山愛と対戦、杉山の四強入りを阻んだ。

…しかし何なのだろうな、あのド鋭角に来る速いボールは。杉山もダベンポートもあのド鋭角ボールにやられたのだ。加えて、噛みつかんばかりの集中力。まさに“妖精”といった風貌にもかかわらず、プレーの合間合間に対戦相手をジロリと睨みつける顔はすごい迫力だ。顔にデルデル負けじ魂。

決勝はS・ウィリアムスかモレスモのどちらかだそうだが。
一度、ゴリ子(引退したマルチナ・ヒンギスのわが家での呼び名)と戦わせてみたかったと、つくづく思う。というより、シャラポワ旋風に刺激されてゴリ子カムバックなんてことになったら、うれしいんだけどな。

考えれば考えるほど観てみたい、シャラポワ対ヒンギス。テニスの妖精のジロリ対決。

 
 
 


2004年06月28日(月) ようするに馬?

穴馬ギリシャの予想外のがんばりで番狂わせ状態のユーロ2004。

連覇を狙う本命フランスは、ジダンが最後の大輪の花を咲かすかとの期待を抱かせながら、結局伏兵ギリシャに刺された。

グループリーグはイチヌケと目されたスペインも結局だめだった。これも勝てるはずだったギリシャに引き分けたのが効いたのだ。非難の矢面に立たされることになったラウール主将。

トッティの唾棄でケチのついたイタリアは、土壇場で舎弟カッサーノが得点をあげるも、得失点差で敗退。ああ無情。

開催国ポルトガルとのガチンコ勝負でPK戦にもつれこんだイングランドは、またも出ました、ベッカミ主将のボコりで、ハイ消えた。敗退決定。
女性問題を取沙汰されてさんざんな目に遭った直後だけに、心機一転、頭をまるめて挑んだベッカミ主将でしたが、その結末はかなーりイタかった。試合後の会見でも「あそこはほんっと、ピッチがひどくて…」と、またしても言い訳するはめに…

当たりまえの事とはいえサッカーも一寸先は闇。人間万事塞翁が馬なのだ。(ただしベッカミ主将だけは“弱り目に祟り目”“泣きっ面に蜂”でしたが)
 
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Jリーグはファーストステージが終了。

こちらは横浜Fマリノスが連覇して、どちらかといえば大方の予想を裏切らない結末だった。選手も監督もすでに優勝慣れしてきた様子。よって“塞翁が馬”のことわざには該当しないと思われるマリノスだけれど、あそこは、GKの顔が馬。

(榎本達也、けっこうイケメンだったのに、なにがどうしてああなった。というより、無理矢理でスミマセン)
 
 
 


2004年06月27日(日) 梅雨時のベランダ


高木正勝の音楽は苔類シダ類の世界に流れる音のようだ、などと気取ったそぶりでプチデカダンかましてる間に、わが家のベランダでは大変なことが起こっていた。
 
 









ごわぁ〜〜〜、キノコはえてる〜!
おとといまでは影も形もなかったのに、今朝見たらキノコはえてる〜!
びっくりして、梅雨時のベランダを見回すと、他にもこんな生物が。

 
 








蚊トンボみたいなカマキリ。コイツはかわいい。
 

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読書のことも少し(覚え書き程度に)。 

昨日から読み始めた開高健の「ロマネ・コンティ・一九三五年」という短編集。その中の「飽満の種子」という作品が素晴らしい。特に前半、コクトーやグレアム・グリーンを引き合いに出して阿片の魅力を語る部分。痺れんばかりの美しさ。

思うにこれは、ただの明晰さや文章の達者さだけでは決して書くことのできないもの、だろう。もっとはっきり書くなら、これは作家の鬱気質が咲かせた花、鬱の精華とでも呼ぶべきものではないだろうか・・・
  
 
・・・て、あら、また今日もデカダンかましちゃったかしらん。(アレもコレもきっと梅雨のせい)
 
 



2004年06月25日(金) Journal for people


きのう一昨日と、二晩続けて洋服を着たまま眠ってしまった。

帰宅して洗濯機を回し、夕飯を作って、食べて、しばらく食卓の椅子で録画したサッカーの試合など眺めているうちにたまらなく眠たくなり、三十分だけ横になってから後片付けをしようと思った。薄くて柔らかい壁に突き当たったような、ソフトな行き止まり感。これ以上は動けない。無理したら、きっとまた頭が痛くなる。

ベッドに横になるとスーッと吸い込まれるように眠った。で、目が覚めてみると夜中の二時半。一昨日は化粧すら落としていない状態だったので、パジャマに着替えて顔を洗い、歯を磨いてから寝直した。きのうは洗顔済み、部屋着という状態だったので、歯だけ磨いて、目覚ましを早めにセットして寝た。翌朝起きてから、シャワー、洗髪、台所の洗い物を片付ける。

それでも、体の言うことを最優先に聞いて、あまり時間を気にせず必要な事から片付けていけば、それなりに生活は回っていくものだ。早起きが何より苦手な私でもちゃんと朝シャンして、紅茶とヨーグルトを食べて出勤した。台所の洗い物が半日遅れたって、特に命に別条はない。がつがつと追いかけさえしなければ、むしろ時間は静かにゆっくりと流れるものなのかもしれない。

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夜。まだ、やりたいことはたくさんあるけれど今日はもうこれまでということにして、白ワインのソーダ割りを作る。そうして、高木正勝のCD、"Journal for people"をかけながら、足裏マッサージをする。冷房でだるくなった足にマッサージオイルを塗ってさすってやる。

"Journal for people"を聴いていて私が思い起こすのは、“Secret life of plants"というスティービー・ワンダーの古いアルバムタイトルだ。頭に浮かぶのはアルバムの音ではなく、あくまでタイトル。『植物たちの隠された生活』という。

"Journal for people"を聴く限りでは、どうも高木正勝の音楽は通常の人間の生活コードと少しずれたところで鳴っている音、という気がしてならない。人間の生活というよりも、まるで、シダや苔類のような密やかな生活を送る植物たちの世界に流れている音、みたいな。

或る植物たちにとっては普通に聴こえている音や音楽。でもそれは通常人間の耳では聴くことが出来ない。その出来ないはずのことをやってみた、植物界の音楽を人間にも聴こえるように音楽家としての自分の脳みそを通して変換してみせたというような。そんな雰囲気が濃厚に漂っている。高木正勝の音楽には。

だから、彼の音楽には通常の人間の言葉というものが存在しない。いわゆる「怒り」とか「悲しみ」とか「歓び」とか、そういう半ばパターン化された人間の感情に相対する音というものがない。

それから、もうひとつ。高木正勝の音楽は聞く側に沈静化、内面の静けさというものを求めてくる。というより、沈静化していないことには上手く聴こえてこないし、楽しめないように出来ているのだ。

この高木正勝の音楽の求めに応じて(アタマがではなく身体が、応じて)、これまでなかなか作り出す事のできなかった静かな時間を持つことができるというのは、うれしいことだ。

シダ類や苔類の世界の言葉(というのは私の勝手な思い込みであるけれど)に耳を傾けながら、つめたく冷えたシャルドネのソーダ割りを飲むと、時間の流れや密度がそれまでと、まるで変わってしまう。逸脱する歓び。
 
 
 
 


2004年06月22日(火) world is so beautiful


あついっちゅうねん!(台風一過。熊谷で35度だって)

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amazonから高木正勝のCDとDVDが届きました。

あまり時間が取れないので、"world is so beautiful"というDVDのみザーッと流してみたのですが。仕事で目が疲れているせいか、けっこうきついんです。めまいしそうになる。映像美を堪能しようにも受像装置がガタガタだという…。ピカチュウ。

そのうえ。一番最後に収録されたアルバムタイトル作品"world is so beautiful"の、元気一杯エネルギーを放出する子供たちの映像に思わず口をパクパク。弱った人間にいきなり高濃度の酸素吸わせたらショックのあまり息苦しくなっちゃた、みたいな。疲れきった大人にはあまりにも純度の高い映像でしたねあれは。

高木正勝の音楽っていわゆる電子音楽、つまりアコースティック音楽の対極に位置するものなわけですけれども。しかしながら、電子音学=無機的で冷たい、アコースティック=人間的で暖かい、というあまりにも紋切り型の先入観が強いと、目の前で起きている彼の映像と音が理解できなくなると感じました。なぜなら、彼の場合は無機的な音と人間的な映像が有機的に結びついてひとつの世界を形作っているから。

若いアーティストの作品は、古い世代の固定観念を軽々と超えた地点に成立するのだなぁと嘆息しつつも、お、この音はまるでブライアン・イーノ(アンビエントサウンド以降の)みたいじゃん、などと思ったりも。これからも、まだまだ高木正勝の作品を聴き続けよう(観続けよう)と思います。
 
 



2004年06月20日(日) 胴着をつければ世界一

吉田秀彦強し。マーク・ハントを腕ひしぎ逆十字固めで撃破!

サッポロドラフトワン(ビール)とボールド(洗濯洗剤)のCFに出ているときの、あの狛犬が笑ったみたいな顔の持ち主と同じ人物とは思えぬ引き締まった表情。闘志。鋭い眼光と、こういうとき強いものだけが持ち得る落ち着き、静けさ。今日の吉田はすっごいハンサム光線出してましたよ。

今年に入って以来ずっと、あれらのCFを見るたびに情けな〜い思いをしてきた私。特に洗濯物に顔を埋めて「やわらかぁ〜い」というあアレ見るたびに涙ぐんだものだったけれど、もうかまわない。ゆるす。

やっぱり胴着をつけたときの吉田は強いや。にっぽんいち、いや、世界一!
 
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今日はおやつにじゃがいもをふかしてみた。
レンジでチンしてバターをのせ、粗挽きの塩こしょうをかけただけのものだけれど、これがけっこう美味しかったのだ。で、記念撮影。
 
 









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