Leonna's Anahori Journal
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イラクで解放された三邦人。彼らが「それでもイラク人が嫌いになれない」「できれば残りたい」等と語ったときに、小泉首相が記者団に向かって言った言葉。 「あーれだけ大勢の人に心配をかけて、それで、まぁーだそういうことを言うのかねぇ。」 -- こういうひとには、こう言ってやるしかない。
…アンタは親戚のおっさんか!? (もともと公私の区別のあいまいな人だとは思ってたんですが…)
2004年04月10日(土) |
イラクの邦人拘束事件 |
この時期、世間の話題といえばイラクで3邦人が人質にとられた例の事件だろう。
で、拘束された人たちの安否がわからず、身内の人間にしてみたら居てもたってもいられない気持ちのときに、バッシングというのか、批判的な意見(対身内含む)がどこからともなく聞こえてきた。
いわゆる、世間の声。言うは易いことを、易いがゆえに平気で口にして、はなから責任とる気もない、だいたいそんなこと言われっこないんだからってんで、いくらでも思ったことが言えちゃうという、つまり、昔ながらの“世間”の声。
これ、多分発信元はインターネットだよね。こういう、昔だったら腹の中で思いはしても口に出すのがはばかられるようなことが、平気で表に出てくるっていうのは。きっと、ネットだと思うな。
つまり、こういうのって、昔からあった感情なんだと思う。人間が抜きがたく持っている、でもこれまでは表にでることのなかった醜さ。それが、インターネットという匿名性の高いメディアの発明によって顕在化してしまった。
だから、最近の日本人が急に底意地悪くなったわけでもないと思うんだな。いままで隠しおおせてきた(キタナイ)ものが隠しきれなくなったというだけで。 -- そりゃたしかに、なんでこの時期にイラクなんだよとは思ったけどね私も。なんで、いまのいま、劣化ウラン弾のことを調べなきゃなんないんだ、とかね。イラクに関心があったり、イラクに詳しい人なら、そのあたり普通以上にわかっててもいいはずじゃないの?とも思った。 でもジャーナリストのひとが、この時期だからこそ行かねばならぬと思うのはむしろわかる気がするしねえ…。
だから十把一絡げにして“自己責任”て言葉で裁こうなんてのが、そもそもの間違い。でも責任のない(顔もない)世間は、そんなときこそ声を強めて言いたがるんだよ「自己責任!自己責任!」て。
だからね、そういう「なんでこんなときにイラクになんか行ったんだ」って、別段自分が迷惑被ったわけでもないのに偉そうに言うやつには、言ってやればいいのさ、「なんでこんなときに、お前に追求されなきゃならないんだ」って。「いまこのときがどんなときだか、わかってないのはアンタだろ」ってね。
(ま、顔のない奴に意見なんか出来ないってのもあるけんだどさ)
2004年04月08日(木) |
よみがえる愛聴盤(1) |
音聴箱がやってきたことでお気に入りのアナログ盤が再び日の目をみることになった。それらのレコード達についての覚え書き。
-- ■コパカバーナ/サラ・ボーン
このディスクについてはこれまでにもたくさん書いたので今回は割愛。でも、ひとつだけ。もしかしてこのLPは未だCD化されていないのかしらん?私が店頭で探した限りではみつからなかったのだけれど。もしそうだとしたら何故?こんなに素晴らしい歌がいま普通に入手できないのだとしたら、それはあまりにも勿体ないと思う。 ■JAZZ at the PHILHARMONIC/ビリー・ホリディ
ずっと昔、ビリー・ホリディというひとのことが知りたくて買った。A面がライブ録音、B面がスタジオ録音で全14曲。「ストレンジ・フルーツ」「ボディ・アンド・ソウル」「ザ・マン・アイ・ラブ」等々、彼女の代表曲、有名曲が目白押し。こりゃお得な一枚だわいと思って買ったのだったが、実はコレ、世間様ではいわゆる“名盤扱い”されていたらしい(ずっとあとになって知った)。とにかく二十代の初めから終わりまで、繰り返し聴きに聴いたディスク。邦題“ビリー・ホリディの魂”。
冒頭、ジャズクラブの客の前に現れたビリー・ホリディが「ボディ・アンド・ソウル」の前奏中に二回咳払いをしてから歌い始めるところ。そして、その彼女をあたたかく迎える聴衆の拍手。「確かにこのとき彼女は熱烈に愛されていたのだ!」という思いがこみ上げてきて、何度聴いても胸に迫る一枚。 ■モーツァルト ソナタ第2〜5番/内田光子
やはりずっと昔、モーツァルトを一度きちんと聴いてみようと思い立って買った。とはいうもののお店には数えきれないくらいのモーツァルトのピアノソナタが売られており、誰のどの演奏が良いのだか悪いのだか、皆目見当がつかない。
ではなぜそれらあまたのディスクの中からこの一枚を選んだのかというと、それは、えー“霊感”です(笑)。ジャケットに写った内田光子の顔をはじめて見た瞬間、「このオンナこんな顔して、これでもし演奏がアチャパーだったら詐欺で訴えるよ」と、ナゼか思ったのだ。購入店はたしか新宿紀伊国屋書店二階の帝都無線だった。
果たして、家へ帰って聴いてみると、清潔で硬質で、でも核にやわらかい花のような愛らしさをチラチラと感じさせる演奏ぶり。「うんうん、これでいいのだ。はずしちゃいなかったぜ」と頷いたあの日以来、ずっとワタクシ、内田光子の味方なのです。(モーツァルトなら内田!) ■ショパン ピアノ協奏曲第2番、ポロネーズ第5番嬰ヘ短調/イーヴォ・ポゴレリチ
モーツァルトが内田なら、ショパンはポゴレリチ!これチマリスの常識(笑)。1980年のショパンコンクールで落選、この決定をめぐって審査員の退場など抗議行動がおこり、一躍有名になった“天才児”ポゴレリチ。しかも彼の自由奔放、天衣無縫ぶりは演奏スタイルのみならず服装にも顕著だったようで、他の出場者が普通に黒のタキシードを着用する中、なんと革のズボンにヒラヒラブラウス、シフォンのスカーフといういでたちであらわれピアノを弾いたとか(イヤッホー!)。そういうブラボーな天才児の演奏っぷり、実際のところはどうなの?と興味津々で買った一枚。オーケストラはシカゴ交響楽団、指揮はクラウディオ・アッバード。
で、ポゴレリチの演奏はというと、この人、ほんまもんの天才なのね。すごく先鋭だったり意表をついたりする演奏は人を驚かすためではなくて、自分でよくよく楽譜を読み込んだ結果なのだと思う。技巧的にもすごいものを持っていることは私のような素人の耳でもわかる位だけれど、でもテクニック至上主義が陥りがちな冷たさはなく、むしろ熱々という感じ。つまり、音楽そのものに対するなみなみならぬ愛情を感じさせる演奏だった訳です。こうなりゃもう、私のハートは彼のもの(笑)
お気に入りをあげるなら、ショパンの作品のなかでも、特にポロネーズ。これは私、いまだにポゴレリチの演奏じゃないと満足できない。彼の演奏は非常に強くて、かつユニークだから、耳に聴き癖がついてしまったのだろう、きっと。
なおこのディスクで棒を振ったアッバードは、この数年後にカラヤンの跡を継いでウィーンフィルとベルリンフィルの指揮者にダブルで就任、指揮者としてのキャリアを上り詰めたひと。地味な印象の人だとしか思っていなかったので、そのニュースを聞いたときはエッと思ったけれど、あの破天荒ともいえるポゴレリチとオーケストラの間をとりもって美しくまとめあげた手腕を思えばそれもむべなるかなと、後々深く納得したのでありました。
-- しかし、こんなことをつらつら書いていると、仕事休んでレコード聴いて、けっこう楽しく暮らしていたみたいな、何だか自分でもそんな気になってくるから不思議なものです(笑)
あとまだ4、5枚、書いておきたいディスクがあるので、(2)に続きます。
2004年04月07日(水) |
音聴箱(おとぎばこ) |
たしかこれくらいの時期(四月上旬)だったと思う。“音聴箱”(おとぎばこ)という名前の卓上型ステレオを買ったのは。
もうかれこれ十年以上も聴きたいと思いながら聴けないままになっているLPレコードが何枚かあって、そのうちにちゃんとアナログプレーヤーを繋いで聴けるようにするんだ、するんだ、と言い続けているうちに時間が過ぎてしまった。
それがなぜか、この四月に思い立ってネットで検索、即注文したというわけなのだ。休職して家にいてもなんだか所在なくてイライラするばかりだし、何をしようとしても頭が痛い。サッカーも観られない。それで、せめて音楽くらい好きなの聴きたいわ!と思ったのかもしれない。
“音聴箱”のことはこれまでも何度か家電売り場で実物を見ていたし、買おうと思ったこともあった。でもこれだけアナクロな商品にしては少し高いんじゃないかと思って踏みとどまっていたのだ。それが調べてみたら、これならまあまあという値段で手に入ることがわかったので注文してみた。
“音聴箱 GP-38”についている機能は、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、カセットデッキ、FM/AMラジオ。リモコンはついておらず、電源とボリューム、ラジオのチューニングはつまみを回す式。音質の調整も出来ない。レコードプレーヤーにはオートリターン機能がついていないので、針を戻すのを忘れると、レコードはいつまででも回り続けている。
それでも私は、けっこうこの“音聴箱”が気に入っている。レトロな外観も好みだし、それに箱から出してコンセントに繋げば即聴ける、音が出るというのが、何より私向き。(コクーンなんかだとこうはいかない!)
これで、やっと(本当に、やっと)サラ・ヴォーンの『コパカバーナ』を聴くことが出来ました。今年は冷房なし&アナログプレーヤーで、懐かしき“昭和の夏”を満喫します(笑)。
これが音聴箱。上に置いたLPジャケットが『コパカバーナ』。
頭痛、目まいときて心配になるのは眼圧のこと。私は緑内障をもっているので一応かかりつけの眼科で診てもらうことにする。
診察の結果、幸い視力、眼圧とも正常だった。意外に視力が出ていたので「見えてるじゃ〜ん」という感じで、ひとまずは安心した。
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帰りについフラフラと入ってしまった書店で購入した本。 「百禁書」 ニコラス・J・キャロライズ他(青山出版者) 「サブカルチャー文学論」 大塚英志(毎日新聞社)
どちらもページ数の多い、ずっしりと重い単行本。 立ち読み時にはやたら興奮していたのに、家へ帰って読もうとしたらけっこうアタマ痛くなりそう(比喩的な意味でも)な感じだったので、あらららーとなった。(だから、立ち読みは駄目っつったじゃん!)
それからもまあいろいろあって、結局、休職することになったのだった。 しかし、オミャー状態で会社を休んでいる人間がこういうサイトに入り浸っているというのは、客観的に見てどうなのだろうか。 (ううう、目まいする)
その後も頭痛は続いた。
頭の後ろ側、左右の耳の間ををつなぐような形で、モヤモヤとした雲のような痛みが居座っている。痛みというよりは、乗り物酔いの気分の悪さに似ていると思うこともある。しかし、少しでもイライラしたり感情的にたかぶったりすると、雲は即座に孫悟空の額の鉄輪の形になって締めつけてくる。
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そんな状態であったので、今までのようにサッカーの試合を観ることもままならなくなってしまった。頭痛がひどくて、選手たちの動きを目で追い続けることが出来なくなってしまったのだ。無理をすると、目まいがしてくる。本当に情けないことになってしまった。
しかし、今期Jの試合でひとつだけ強烈印象に残っていることがある。もうそれが頭痛以前だったが以後だったかも忘れてしまったのだが、たしか開幕戦だったと思う。横浜Fマリノス対浦和レッドダイアモンズ。
まず、マリノスの松田がいきなり頭を丸めて出て来たのだった。ワーイ(笑) インタビュアーが“そのココロ”について訊ねたが、もちろん、彼は黙して語らない。そういう男なんだよ松田は、などと思いながら、笑って眺めていたのだった。これが、試合開始前のこと。
しかし。試合開始後は、なんてったって浦和だった。 清水から移籍して来た三都主とエメルソンのふたりが終始画面狭しと暴れ回るという、やたら派手な絵の連続だ。燃えるブラジル魂、飛び散る汗。このうえまだ後ろに闘莉王が控えているのかと思うと、思っただけでも目まいをおこしそうになる。
しかし、この程度のことで目まいなどと言っていた私は甘かった。浦和はこのほかにもまだ、とんでもないタマを隠し持っていたのだ。 試合の終盤、後方から飛び出してきて強引にボールを運ぼうとしているその男の顔をみて私は仰天した。 ……、いつ戻って来たんだ?!岡野。 なぜいま、“野人”岡野雅行なのか、わからない。 わからないけれど、面白い。
唖然としながらも、こりゃ今期も浦和から目が離せないわんと思ったという、これが私のJ開幕時における感想(というか決心)なのだった。
(その後どうしてる?岡野)
あれからいろいろな病院にかかった。
ふり出しは市の夜間診療で、そのあと総合病院の脳神経外科。その総合病院にはその後もう一度救急車で運び込まれ、運ばれる途中は何でもなかったのに、着いて注射と点滴を打ってもらい静かに横になっていたら、どういうわけか過換気症候群になってしまった。
“過換気”という言葉だけは知っていたが、生まれて初めての体験。手は氷のように冷たくなっておかしな形に固まったまんま。手足の末端から痺れが広がってきて、最後には腹も胸も顔の筋肉まで痺れてきた。ほんなこつ恐ろしかー。病院側はパニック障害だというのだが、何かもうひとつ納得がいかない。
その後、病院を変えて国立の心療内科にかかる。すでにまえの病院でCTはすんでいたのだが、今度はMRIをやってみることに。 これまた初体験だったわけだが、かかってみてビックリ。スンゴクうるさいのだ、MRIは。ガンガンバンバンと耳元で凄まじい音がする。こっちは頭痛でオミャー状態になって医者に来てるのに、これじゃまるで嫌がらせみたいじゃないか。ミャー。
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なにかの拍子にわかったのだが、どうやら私は今年、天中殺であるらしい。 はー、そうですか。天中殺。それでね。なるほど。 そうしたら、今後こういうよからぬことに見舞われたら「しゃーない天中殺だもん」と呟いてあきらめることとしようか。 それはそれで使い道だよね、天中殺の。
ところが。本日医者にかかった帰りに立ち読みをしていて、天中殺以上に嫌なことを知ってしまった。 なんでも鬼谷算命学という占いによれば、私は人によろこんでもらうことがとにかく好きで、“他人のよろこぶ顔見たさに行動してしまう”星のもとに生まれているのだそうだ。これを最悪といわずして何を最悪という。
他人なんかよろこばせてどうするんだよ。自分がきもちいいと思うことを最優先して暮らせばいいじゃないか。そういうことだから、いいわいいわでホイホイときて、最後に阿凡!でアチャパーになるんだろう。馬鹿か、おのれは! オミャー…。 私はいやーな気分になって書店をあとにした。
教 訓: オミャー状態の人間は立ち読みなどせず帰るべし。
そうさ、帰って、さっさと寝るのだ。そういえば死んだ母親もよく言ってたよ。“寝るより楽はなかりけり、浮き世の馬鹿はおきて働く”ってね。ミャー。
そして忘れもしないこの日、午前11時40分頃、私の頭がアボ〜ン!になったのだった。
はやい話がストレスつーことなのだが。(ま、ここには書けないようなことも、いろいろあった訳デス)
それでついに、とうとう、アットラスト、パンドラの箱が開いてしまったらしい。
この日以降、私は頭痛をともなう長いオミャー状態へと突入したのだった。ミャー。
2004年03月17日(水) |
内田光子とロンドン響 |
暑いうえにやたら風の強い日。 青山一丁目の交差点、ホンダ本社前の横断歩道を渡ろうとしたところ強風に押し戻されて立ち往生。
前へ進めない。押し戻されてしまう。かと思うといきなり下から突風にあおられる。チマリスもう少しで春の大空を舞ってしまうところでした。
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夜。サントリーホールでロンドン交響楽団+内田光子(ピアノ)のコンサート。
内田光子は私が愛してやまないピアニストです。クラシック、いや全てのジャンルの演奏家の中で最も好きなアーティスト。どれくらい好きかと言うと、もし彼女が男だったら結婚したいくらい好き(笑)。
八十年代の終わりに彼女の弾くモーツァルトのピアノソナタ第2〜5番のLP(まだCDではなくLPでした)を買ったその日から、ピアニストといえばミツコ、モーツァルトといえばウチダのわたくしなのです。
そういえば亡くなった安原顕氏も内田光子、好きだったですねー。以前、日曜夜のNHK教育の番組で彼女にインタヴューしてましたけれど。そのとき私、内田光子もさることながら安原氏のあまりにヒップなスーツ姿に釘付けになってしまいまして(笑)。すごかったですよねー、ヤスケン氏のファッションセンスは。(ああ、なつかしい。)
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初めて生で聴く内田光子の演奏は期待をまったく裏切らぬ、素晴らしいものでした。主役のロンドン交響楽団がまた良くてねー! 品格があって、しかも楽しい演奏とでもいうのかな。
パンフによれば内田光子は指揮者のサー・コリン・デイヴィスのことを絶賛していて「彼がモーツァルトをやるときは本当に嬉しそうにニコニコしながら指揮するんです」ということだったのだけど、本当にその通りでした。 実は今回私たちの席は舞台後方寄り左側の二階席で、すぐ足下にはパーカッション(銅鑼とマリンバ)の奏者が立っているという場所。だからずっとサー・コリンの顔を見ながら音楽を聴くことができたのです。
サントリーホールでこういう席に座るのは今回が初めてだったのだけれど、舞台に近いというのはすごい事で、指揮者も奏者も間近に見る事が出来る。内田光子の右手の指が優雅にキーの上を跳ねるのまで見えるのだ。しかも、足の裏からオーケストラの生音がガーッと這い上がってきて、膝から胸を通って頭に抜けるんですよ! もー、至福でしたわ。
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ひとつ印象的だった事。私たちのすぐ足下で演奏していたにいたパーカッショニスト氏、一曲目の『ピーター・グライムズ』で一発目の銅鑼をジャーンと鳴らした途端に顔が上気して、みるみるうちに耳の先まで真っ赤になってしまった。きっと最初のジャーンまでの緊張が一瞬にして解けた、その瞬間だったのでしょうね。 (4月某日 記す)
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