Leonna's Anahori Journal
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2004年02月08日(日) |
今度はインフルエンザか? |
きのうのサッカー、日本×マレーシア。 まあ、勝つことは勝ったわけですが、どこまでよろこんだらいいのか、よくわからない。
山卓は出てるは、アツヒロは出てくるは、なんだか大層にぎやかな試合で…。後半はもう、人の出入りが激しくてまるで落ち着かないし、勝負そのものに対する興味も薄れていました。
そうそう、宮本による二点目、ガーッと後ろから突っ込んできてバシッと叩きつけるヘディングは、まるでピッポ・インザギみたいでしたね。
-- 昨晩、横浜から帰って夕飯を食べたところ、胃がひどく張っていて。そのうちに気分が悪くなり、もの凄い胃痛に襲われて、嘔吐。
疲れがたまって消化不良をおこしたのかと思ったけれど、胃薬を飲むと、それも吐いてしまう。もう、水を飲んでも吐くような有様。胃液の海に、ただ一人。
みぞおちに鈍痛を抱えたまま横になると、背中がゾクゾクと寒い。腰も痛い。インフルエンザかな。症状がけっこうキツイので“鳥”の字がつくんじゃないだろうねと心配になる。
今日はとうとう固形物は何も食べないまま夜まで過ごし、やっとさっき、おかゆとウィダーインゼリーを摂ったところ。熱は七度八分ある。
先月半ばにも風邪で休んだばかりなのに。通勤の電車の中でうつされたのかなぁ… (感染された→感染るんです、の連想で思い出したそっくりサン。わが家では石破防衛庁長官のことを“カワウソくん”と呼んでおりマス)
2004年01月28日(水) |
ミラン、トップにたつ |
毛ほども疑わなかった勝利ではあるけれど。ミラン×シエナ、日本時間で本日早朝の4時過ぎにキックオフ。2−1でミランが勝ち、これでミランが念願のリーグ単独首位に。
ミランの勝ち点は45、二位ローマは43。三位ユヴェントスが40でこれに続き、ここまでが優勝候補。四位には勝ち点32で、インテル、パルマ、ラツィオが並ぶ。二位に落ちたとはいえ、ローマは得失点差で29とダントツの成績(ミランの得失点差は26)。また、優勝経験が豊富で静かに勝ち点を重ねてくるユーヴェも不気味な存在だ。
しかしいまは、素直に、単純にミランの首位奪取を喜びたいと思う。イェーーーーーイ!!!
このシエナ戦、目を見張ったのはアグレッシブで鋭いトマソンの動き!コッ、コイツ、こんなヤツやったんか。まさに“ヴェールを脱いだ”の感あり。 また、超新星カカも相変わらず好調で目を楽しませてくれているが、彼はこのたびめでたくジャンニ・ブレラ賞を受賞。授賞式でのコメントは、「選手としても一人の男としても、現在自分の人生に起きていることすべてに満足している。ミランに所属していること、高いレベルで自分を表現できていることに大きな幸せを感じる」というものだった。泣かせてくれるじゃないか、青年。
2004年01月27日(火) |
あの世へ持ってゆく本 |
ここしばらくの体験から、どうしても、人間いかに逝くべきかみたいなことを考えてしまう。 いまのうちからある程度身辺を小ぎれいにしておいて、何か希望があるのであれば、“こうしてほしい”とはっきり書いておくのがよかろうとかなんとか。
たとえば、棺の中に入れてほしいものは何かと考えると、やはり私は本を入れてほしい。(二年前、母親の棺にも岩波文庫の漱石を入れた)。 それでは、たった一冊あの世へ持って行くとしたらどの本がいいか。少し考えただけで、すんなりと答えは出た。私は、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』を持って行きたい。 この小説の魅力、それは“無惨な美しさ”ということに尽きる。そうして(駄目になったのなんのと言われても)カポーティらしさ、その全てが含まれている。しかも、未完の遺作。私はこの本を読んで泣いた覚えはないのだが、無惨(あるいは醜怪)といってもよい場面で生唾がわいてきて困ったという記憶ならある。感動のあまり生唾がわく、しかも美しいとは言いかねる、むしろその逆の場面で。『叶えられた祈り』とは、(少なくとも私にとっては)そういう種類の小説なのだ。
もしもこれが、無人島へ持って行く一冊というのであれば、同じカポーティでも『犬は吠える〜ローカルカラー/観察日記』を選ぶ。そうして、くる日もくる日も『白バラ』だの『ローラ』だの、大好きな短編を繰り返し読んで、そのうちに全部暗記してしまえたらいいと思うのだが… そんなことをとりとめもなく話したあとで、とても久しぶりに件の本を手に取ってみた。すると、本文タイトルのまえ、扉頁をめくったところにこんな言葉が書かれていたので驚いた。 『叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される。(聖テレサ)』 実は私、この扉の言葉のことは失念していたのだが。生前に頼んでおいて一緒に焼いてもらう本に書かれた言葉としては、なんだか出来すぎってくらいにピッタリの言葉ではないか! あまりにもピッタリすぎて野暮な感じがしてしまうとしたら、それが唯一の難点、かもしれない。
2004年01月26日(月) |
ルイ・コスタに初ゴール |
昨夜。
ヘトヘトに疲れ果てて家へ帰ってみると、やさしく迎えてくれるはずのわが家、わが町が、どことなくよそよそしい。数日にわたり馴れない土地で馴れない人々の暮らしに首まで浸かり、激しいカルチャーショックを受けた。その衝撃が大きすぎて何かがマヒしてしまったのかもしれない。
しかし。そんな私にも、セリエAだけは以前とまったく変わらぬ喜びを与えてくれた。なかんずくミラン。我が心のモナリザ。実際、ミランの選手の顔見た瞬間、この数日のことは夢だったんじゃないかと、そんな気になったもの。
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今節のハイライトは、ついに出た、ルイ・コスタにミラン移籍後初ゴール。 いやぁ、ルイ・コスタと大久保嘉人(代表初ゴール)、どちらの呪いが先に解けるのかと興味津々だったのですが。実に二年以上もかかったけれど、先にゴールしたのはコスちゃんだった。
ミランは、アンコーナ相手に前半こそ0−0で折り返したが、後半シェフチェンコのPKによる得点で勢いづき、終わってみれば5−0という大量得点で圧勝。まいど!
これで2位ミランは現在首位のローマ(今節ウディネーゼ相手に引き分け!)に勝ち点で1点差、得失点差でも4点差というところまで詰めた。しかも28日には、トヨタカップのために延期されていたミラン×シエナ戦がある。
すでに真後ろまできているミラン。もうトッティの首筋にはマルディニの息がかかっているはずだ。フー、フー。(どんな図だよ!) (実況:倉敷保雄+解説:後藤健生、あのコンビの妙にしっとりした話しっぷりはスカパーでも異色だな。けっこうキツいことも言ってるんだけど、あくまで印象は、しっとり)
二年前の母に続き、義父も、あっという間に消えてしまった。
それでも母のときは、姿を変えて数ヶ月の間、父のそばに在ったのだけれど、義父は火葬場からすぐに代々のお墓へ直行だったので、もう本当に、魔法を見ているようだった。
それで、数日間のあれやこれやを経て、とにかくやっと我が家へ帰ってきた。これから二日ぶりにお風呂に入るところだ。明日から仕事。 --
家へ帰ってみたら届いていた本。
「歌枕」 中里恒子(講談社文芸文庫) 「女性作家シリーズ5 網野菊・芝木好子・中里恒子」(角川書店)
義父が亡くなった。 おとうさん、日曜日にお見舞いに行ったときはそんなふうに見えなかったのに。
逝くものはかくのごときか、昼夜を舎(お)かず、とか。
でも、ちょっと往生際がよすぎますよ、おとうさん。
ほんとうに、サヨナラだけが人生だ…
ちょうど試合数の半分を消化、折返し地点まできたセリエA。スクデット争いが俄然面白くなってきた。
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◎今季のローマは強い。なにしろまだ一試合しか負ていないのだから。今節ホームでのサンプドリア戦も3−1で、ごっつぁんです。どうしちゃったんだローマ。阪神化か?(たしかに共通点はある)
◎そのローマを唯一負かしたのが、わがこころのモナリザ、ACミラン。今節ブレシア戦の白眉は、後半のカカ、激走シーンでしょう(スゴイモノミタ。クラクラ)。このチームはトヨタカップで来日したために消化試合数がひとつ少ない。ここが優勝争いのポイント。
◎しかしここからが強いのだ、ユヴェントスは。今節はシエナ相手に4−2で順当勝ち。やはりローマの最大の敵はここなんじゃないのか。今節トリノは大雪。雪中試合では赤いボールを使用、ピッチ上のラインも赤色になることを初めて知った。なんだか不思議なカルチョ風景。 ◎哀愁のインテル。ついに崩壊の危機か。なんとエンポリ相手に0−1で敗北。しかも伝説の名選ジュゼッペ・メアッツァの名前を冠したホームスタジアムで…。このチームは脇はいいんだけど、むかしっから主力選手、それもビッグネームに問題が多い。(ケガとか、不振とか、職場放棄とか) ◎勝ち癖がついちゃった感のあるボローニャ。キエーボに3−1。忘れるくらいに久しぶりの三連勝。地元での堂々の勝ち戦にきっとボローニャファンは涙ぐんでる。マジ、ナカタ、サイコウ。 -- 会社から帰ったら、bk1から注文した本が届いていた。
「時雨の記」 中里恒子(文春文庫)
一緒に注文した中里恒子のほかの本は、取り寄せ中とのことで、少し遅れて届くらしい。
午前中仕事。午後、横浜。 -- 横浜からの帰り、川上弘美『蛇を踏む』を読み終えて、セリーヌ『夜の果てへの旅(上)』にブックカバーを掛け替える。
川上弘美は収録の三作中、最後の『惜夜記(あたらよき)』というのがとても良かったのだけれど、『夜の果てへの旅』を開いたらその初っ端に
“これは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街も、自然も一切が想像のものだ。小説、つまりまったくの作り話だ。”
という一節があり、これはまるで川上弘美の小説世界、特に『惜夜記』をそのままを表した言葉でもあったので、うわ、まだ続いていたのか?、という感じでびっくりした。
2004年01月16日(金) |
自分を守るということ |
そんなわけで、とうとう今週は白でかマスクをしたまま週末まできてしまった。
水曜日(早退した翌日)は仕事を休んで一日寝た。たいした熱も出ずに関節、ノドの炎症もおさまり、いまはもうほとんどいつもと変わらない。そんなこんなで今年はテニスの初打ちもまだ。多分、次の日曜もレッスンには出ない。
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今日、ぼんやりと考えていたこと。
他人と特に問題なくつき合っていけること(会社でそこそこうまくやっていけること)は良いことだと思うし、いっこうにかまわないのだけれど、あんまり“いい人”でいることに慣れ過ぎると自分を損なってしまうだろう。
十代から二十代にかけての私はコンプレックスが強く、他者と上手にかかわってきたとは言えない。でも、そのかわり自分の世界を守ろう、他者に屈するまいとする気持ちは人一倍強かった。そうやって守ってきたものを、そこそこ世渡りが上手になったかわりに失くしてしまったのでは、何のために生きてきたのかわからなくなる。
いまの私は、もっと自分を意識的に守ってもいいんじゃないか、と。はなはだ抽象的な書き方でわかりにくいとは思うのだけれど、そんなことを考えたのだった。(そして、そうだ、守らなくちゃ!と決心したのだった)
熱が三十七度を超えた。とにかく出勤して、さしあたりの仕事を片付ける。マスクの内側の息が熱い。仕事をしているうちに左手の指の関節が痛くなってきて、そうこうしているうちに右の指も痛くなった。午前中で早退。
家の最寄り駅の向こう側(ふだんほとんど行ったことがない方角)の内科医にかかる。午後の診療は二時からだというので、三十分ほどまえに行って待合室のソファでじーっと待つ。 静かだ。風邪をひいたお陰で日常を逸脱することができた。私の、今日の仕事はもう終わったのだ。それで、まだ日の高いうちからひとりでいつもと違う場所にいる。奇妙な開放感。
初老の女医さんの見立てでは、インフルエンザではなく、ましてやニワトリなどとも関係なく、薬の処方箋をもらって三十分ほどで病院を出た。朝方の雨は上がった。いまは、よく晴れた暖かい日だ。日射しのせいか、町がいつもと違ってみえる。忙しい人たちは出払ってしまって、のほほんとした気分の町。少し眠たそうな、午後の町。
初めて行った薬局で風邪薬とうがい薬をもらって表へ出たら、病院に傘を忘れてきたことに気が付いた。のほほんとした町の中をゆっくりと歩いてとりに行く。ほんの少し日が傾いて光線が変わった。のほほんとした町が、少しうらぶれたような、寂しげな顔になった。早く帰って横になりたい。そう思いながら、ゆっくりと大股で歩く。
家へ着いたらちょうど三時。炎症をおさえて熱を下げるという薬を飲んで横になると、身体中から揮発性の疲れがしみ出してきたようで、あーと溜息をつく間もなく眠りに落ちた。
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