Leonna's Anahori Journal
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横浜へ行く電車の中で。
開高健『輝ける闇』が佳境に入っていた。 輝ける闇とは一体何のことか。どういう状態のことなのか。タイトルの表しているものが何であるかを知って愕然とする私。 いやもう、とにかく、凄い小説。わなわなと心を震わせながら、必至で涙をこらえて読んでいると、電車は横浜駅に滑り込んだ。乗り換えなければ。
席を立とうとしてふと見ると、向かい側に座っている男性が、いましも閉じられようとしている私の文庫本の行方を熱心に目で追っていたので驚いた。私があまりにも一心不乱に読んでいるので、一体何を読んでいるのだろうと不審に思ったのかもしれない。
(もしかしたらハーレクインロマンスだと思われてたかも)
-- サッカー。
先週の浦和×FC東京はとても面白い試合で堪能した。でもたったひとつの不満はドロー試合だったこと。しかし、今週のFC東京はやってくれた。キレキレの石川が清水相手に2得点。文句なしの勝利。
もうひとつ。ホームで磐田に負かされそうになっていた市原。後半、チェ・ヨンスのゴールでドローに持ち込んだ。ドローゲームだけれど、これはチェが得点した瞬間のオシム監督の表情とアクションに免じてゆるす。劇的な幕切れ。
しかし。今日の主役はなんてったってジュンイチ・イナモト! マンU×フラム、オールドトラッフォードで気迫のゴール、トゥキック。 わあああー、本当に入っちゃったよー。スゴイぞ、イナモトー! イェ〜イ、ライヴで観ていた甲斐があったぜー(大興奮)
歯医者で。
治療の終盤、ゴーグルみたいなプラスティックの眼鏡を渡されて「レーザーを使いますからかけてください」と言われる。
「レーザー?」と思ったけれど言われるままにおとなしく眼鏡をかけていつも通り目をつぶっていた。大口をあけて。
すると先生「どうしても痛かったら教えてください」。そしてさっさと治療にかかる。痛いって、どうして。そこは以前に歯の神経をとったところじゃあないの…?
でも、レーザーのいいところはあのウィーンウィーンガリガリガリ…という耳をつんざくような音がしないところ。とても静かだ。そしてガマンできないような痛みというのも、とうとう来なかった。
エガッターと思ったのも束の間、「ハイ、今日の治療はこれでおしまいです」という言葉に続けて「外側の歯茎の余計な部分をすこーしだけ切り取りましたので歯を磨くときは気をつけてください」と、先生が。
つまりアレですか、レーザーて。レーザーメス。 きききき、切ったんですか、私の歯茎を。というより余計な部分て、どっ、どっ、どこなんですかっ(と訊いておきながらあんまり知りたくない)。
そして切られたとわかったとたんに微かな鈍痛が襲ってきた。マイッタナー。 --
そんなこんなで気がついたら今日も『マンハッタンラブストーリー』は観られませんでした(忘れてた)。マイッタナー。
先週。親戚のおばさんから電話がかかってきた。或る写真が必要なのだけれど探してくれないかとのこと。以前、私宛の手紙に同封した記憶があるという。たしかにその和服姿のおばさんの写真は送ってもらった覚えがあるので家中探してみたのだが、とうとうみつからなかった。
おばさんの写真は見つからなかったのだが、母の写真が出てきた。二十代後半位の頃の写真で留め袖姿でゆったりと微笑む母の上半身をななめ上から撮ったもの。セピア色に変色しているが、昔から私のお気に入りの一枚だった。
昨年母が亡くなったとき、私の住まいには仏壇も位牌も要らないけれどあのお気に入りの写真だけは飾っておこうと小さな写真立てを買ってきた。が、肝心の写真がどこに紛れ込んだのか、いくら探してもみつからなかった。その写真が出てきたのである。
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さっそく箱から写真立てを出して、件の写真を入れてみる。 すると、なかなか良いのだけれども、何かが違うのである。
どうやら私の中では、亡くなったときの母の顔が最終的な“母の顔”として定着してしまったらしい。それで、故人を偲ぶというような状況(心境)に、若々しい母の顔ではいまいちリアリティに欠けるようなのだ。 客観的にはあまり美しくなくても、本当の母の顔がいいんだけどな…
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ところが。 今日になって、写真の“若い母”に対する違和感が消えているのに気が付いた。いつのまにか若い頃の母と亡くなったときの母の顔、そのふたつのイメージが私の中でうまいこと統合されたようなのだ。
亡くなってからわりと直ぐにも書いたのだが、いまや母は変幻自在なのである。時間と空間を超え、姿を変えて、現在もメッセージを届けてくる。そういえば、これははっきりと断言できるのだけれど、母の死後、私は一日たりとも母を思わずに過ごした日はない。
それどころか、一日に幾度となく母のことを考える。これは母が生きていた時分にはなかったことだ。しかもそれはきわめて自然なことで、決してオブセッションというようなものではない。
ふーむむ。これではまるで亡くなった母との新しい生活が始まったようなものではないか。しかし死者というもの、その存在のなんと自然なことか…。はっきり言ってこれは、かなり素敵だ。
目下、私が抱えている切実な悩みは読書の時間がなかなかとれないこと。 一番まとまった読書時間は毎週土曜日に横浜の父の家へいく往復の時間で、電車に乗っている合計四時間程は貴重な読書タイムだ。
今読んでいるのは開高健の『輝ける闇』なのだけれど、これが滅法面白い。こういうしっかりとした重さのある小説(本当に小説らしい小説)を久しぶりに読んだ。この本を読んでいるうちに、どうして私が現在の若い小説家の作品を読まない(読む気がしない)のかがなんとなくわかったような気がした。
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『輝ける闇』は作家がヴェトナム戦争を体験して帰ってきてから書かれた小説なのだけれど、題材がヴェトナムだからシリアスで良いとかそういうことでもないのだ。なんというか、ああいうへヴィな状況を見て(体験して)きたにしては、小説が事実に負けていない。つまりテーマではなくてきちんと小説の出来そのもので勝負しているのだ。
しかも開高健はこのほかにも『ベトナム戦記』『夏の闇』というヴェトナムものを書いている。『ベトナム戦記』はルポルタージュだが、通常ならこれ一冊でハイ次となるところ、さらに同じテーマを小説に昇華させているところに尋常ならざるものを感じる。
(そしてこの種の尋常ならざるものを感じさせる作家は、近年激減してしまった)
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まだ途中だけれど『輝ける闇』を読み終えたら次は『夏の闇』、それを読み終えたら『ベトナム戦記』を読む、というのが一応の計画。通常ルート(書かれた順)の逆を行くのがミソ。
これは書かれた順に行こうとしたら何か自分の中に抵抗するものがあってうまく入れなかったからなのだけれど。逆順にしたらスラスラッと行けそうなのだ。こういうことまで含めて読書って本当に楽しいし、面白い。
きのう。
印旛沼へサイクリングに行った。 佐倉ふるさと広場(千葉県佐倉市)から印旛沼沿いに利根川までサイクリング道路を走る。往復約50キロの道のり。
さいわい、天気は快晴。おかげでまったく日焼け対策をしていなかったオットは大いに日に焼けてしまった。それで今日はバラ色の頬と、酔っぱらいのごとき赤鼻。
かたやファンデーションを塗っていた私はほとんど影響なし。ただしずっとハンドルを握りっぱなしだった両手の甲だけは、薄皮饅頭のような色に焼けてしまったが。
満々とたたえられた秋の水と、どこまでもひろがる田園風景。白鷺をはじめ、たくさんの水鳥をみた。久々に自然を満喫、大いにリフレッシュしたのだった。(ひざとお尻が少し痛むけれど平気平気。)
2003年10月18日(土) |
パーシモンホールの石川直樹 |
きのうのトークショーのこと。
場所は東京都目黒区、めぐろ区民キャンパス内パーシモンホール。東急東横線の都立大学駅から歩いて6〜7分の所。私はうっかり間違えてひとつ手前の学芸大学駅で降りてしまい開演時間の7時を5分ほど過ぎて到着。中にはいるともうトークショーは始まっていた。
正面にスクリーン、その左手にデスク。マイクを持った石川直樹氏がそのデスクに向かって座り、スクリーンに映し出されたスライド写真を見ながら話をする。写真(話)の内容は大きくふたつに分かれており、前半は今回上梓した写真集『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』に関するもの。後半は今年の夏訪れた中東の国々に関するものだった。
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前半部分についてはつい最近『この地球を受け継ぐ者へ』を読み終えたばかりということもあり、映し出される大きな写真を見ながら「あー、これが!」とか「こういうふうな場所だったのか」などと一々感心しながら見た。
問題は後半で、この夏、石川氏が訪れたのはトルコ〜シリア〜レバノン〜ヨルダン〜イスラエル〜イラクという国々。つまりイラク戦争直後の中東を旅してきたわけなのだ。スライドを見せる前に「これらの場所はとてもリアルな場所で、詳しく語るととても暗い話になってしまう。なので、今回は写真をじっくりみてもらうことに主眼をおく」というような前置きをしてからスタートした。
私個人としてはその「リアルな場所の明るくはない話」をこそ聴きたかったのだが、こういう話題が“取り扱い注意”であることもわかる。そこで、頭を切り替えて新たな好奇心を自らに吹き込み、トルコの聖洞窟教会や、シリアのクラーク・デ・シュバリエ(天空の城ラピュタのモデルとなった町)や、エルサレムの旧市街やファイサルホテル内の様子などを興味深く眺めたのだった。
中東のことに関してはもう少し勉強してから本に書きたいとのことで、ウェブ日記に書かれていた戦車に威嚇射撃された話などにもまったく触れなかったのだが、パレスティナ問題についてはたった一言「世界最大級のイジメ」とだけ言われたのが印象的だった。
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石川氏は現在気球を使った冒険に興味を持っているそうで、ライセンスをとるために訓練を受けているとのこと。気球は風まかせ、その受け身のところがいい(面白い)と石川氏。
なんでも、早い気流に乗るためには高度8千メートルから1万2千メートルくらいまで上がらねばならないらしい。当然のことながら空気は薄いし、万全の装備が必要だ。しかもこの高さは航空機が飛ぶ高さでもあるので「ちゃんと避けなければ」なんて平然とした顔で言うんだよぅ。ヒィ〜
トークショーのあと、新しい写真集『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』にサインをしてもらうとき、雪をいただいた山の大きな斜面を背景に立つ石川氏の写真の頁を開いて差し出すと、石川氏は「これはビンソン・マッシフという山の麓なんですよねぇ、うん」と半ば独り言のように呟いた。
ビンソン・マッシフは POLE TO POLE の到達点である南極にある山。この間読んだばかりだから覚えている。それでワタクシ「ええ、」と言いながら頷いたのだったが、それがあまりにも控えめだったので(だってこういうときに何と言ったらいいか、咄嗟にわからないじゃあないですか)、石川氏はまるで独り言を言ってるみたいになってしまった。アチャー。
そこで、サインしてもらった写真集を受け取るとき、ハッキリクッキリした声で「握手していただけますか」。そして、差し出された石川氏の華奢な手(石川氏はとてもをほっそりしていて、比較的小柄な方でした)をガシッと握り、グッと力を込めながら「アリガトウ!」とやってみた。
この“ばかに力強い握手”は知る人ぞ知る、私の強力なコミュニケーションツールなのだ。こういうときに使わない手はなーい(笑)。おかげで柄にもなく控えめな人にならずにすんだ。それに笑顔でお礼も言えし。エガッター。
写真集の入った紙袋を抱えたチマリスは、転がるように柿の木坂を下り、家路を急ぎましたとさ。メデタシ、メデタシ。
ここのところ忙しくて睡眠不足が続いていたのだが、ついにダウン。 リンパ腺が腫れて頭も痛い。限界だ。上司に電話を入れて、薬のんで寝る。 すると…
午後三時頃、目覚めて起きてみたらば、アレレというくらいスッキリしていた。ほとんどよくなってる。寝れば治るというこの単純さ。ニンゲンが単純にできてるんだな、きっと。
それですっかり安心して、写真集出版記念石川直樹トークショーへ出かけたのだった。(どのみち良くならなくても出かけるつもりだったけど。だってずいぶんまえからチケット買って楽しみにしていたんだもん) えー、石川直樹トークショーについては明日以降詳しくご報告いたします。明日は仕事。また体調戻っちゃうと困るので。
関所守(せきしょもり。会社の同僚)がオトナの階段をひとつのぼり、昇進を果たしたというのでインド料理でお祝いすることになった。
言い出しっぺは桃太郎侍で、要は以前から行きたいと思っていたインド料理店があり、関所守のお祝いはその口実みたいなものなのだ。
それで、今日も今日とて行きましたよ、インド料理店へ。でもつい先日ラムステーキを食べたばかりで、さすがにマトンカレーを食べる元気はない。チキンをたのむ。
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食事しながらの話で面白かったのが地震の話。関所守の友達が少し前にグアム島に出かけてけっこう大きな地震(ありましたよね)に遭遇した。 その友達はホテルのレストランで食事の最中だったのだけれど、グラリときた瞬間、居合わせた日本人という日本人は全員テーブルの下へもぐり込んだのだそうだ。
ところが、日本人以外は全員、建物の外へ飛び出してしまった。それで落ちてきたガラスなどに当たって大勢がケガしてしまったそうな。
ケガ人が出てるのだから笑い事ではないのだけれど、でもこれ、ビジュアライズしてみるとやっぱり可笑しいでしょう。グラリときて、迷わずテーブルの下にもぐったら日本人。(さすが地震大国のニンゲン、と感心すべきなのか)
あと面白かったのは、税関で捕まった贋サーファーの話。 サーフボードの胴体をくり抜いて、中に禁制の品(粉)をつめて持ち込もうとしたところが、あえなく捕まってしまった。何が原因だと思う?と聞かれて「警察犬ですか?」というと「違う」。果たしてその原因は…
「そいつさサーファーにしては色白だったんだって。ていうより全く日焼けしてなかったらしい。それで不審に思われて別室に呼ばれたんだって」。 こいつは馬鹿馬鹿しくっていいや。死ぬほど笑ってしまった。
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たったひとつの痛恨事。
やっぱり、インドカレーには羊だよ。チキンじゃなくてマトンにすればよかった。
久々、銀座でクルミ嬢と会う。
ランチに、牛の頬肉赤ワイン煮というのを食べる。連日の肉。秋の味覚、肉(ちがうー)。
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クルミ嬢はついに『木更津キャッツアイ』のボックスセットを購入したとかでご機嫌であった。
藤宮官九郎といえば現在オンエア中の『マンハッタンラブストーリー』だが、私はまだ観ていないのだ。解説してくれと頼んだら懇切丁寧に教えてくれた。小泉今日子+ミッチーというのは聞いてるだけでとーっても面白そう。
松岡昌宏演じる“店長”の屈折具合も面白いというのだけれど、私はどうもこの官九郎作品に横溢している屈折感が、ニガテといえばニガテなのだ。なにかこう「グジュグジュしてないで行けよ、ドーンと!」かなんか言いたくなるのである。じれったい。
そう言ったらクルミ嬢は「ああーワカリマスー」といいながら朗らかに笑った。ワカラレてるのか、私は。まあいいやと思いながら私も笑った。
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たったひとつの痛恨事。
ニコラ・フィリベール『ぼくの好きな先生』が終わってしまったこと。 どこかで再映してます、こうすれば観られますという情報があったら教えてください。ヨロシクオネガイシマス。
テニスの帰り道、オットと待ち合わせてT田沼のマモル亭でラムステーキを食べる。ランチのコースなり。美味ー。
運ばれてきた骨付きの羊肉は桜色で、おいしそうな肉汁がジュワァ。ローズマリーの葉を浮かべたフィンガーボールが一緒に運ばれてきて「骨にくっついている部分が美味しいです。手づかみでどうぞ」。
もう、ガルル〜って言いそうだった。ガルルゥ〜ッて(笑)
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マモル亭で(お料理以外で)いいなと思うのは、大きな音で音楽をかけたりしないこと。まったくBGMなしということも多い。
以前パリで食べ物屋さんに入ったときに、これみよがしの音楽がまったくかかっていなくて、テーブル毎のひとの話し声と、ナイフやフォーク、食器がたてる音や、調理場からきこえてくる“自然の”音だけ。それが渾然一体となって活気を感じさせ、とても居心地いいなと思うことが多かった。
今日みたらマモル亭の壁にはちゃんとスピーカーが据え付けてあるのだけれど、お客さんで混みあう時間には、店内にBGMは流れなかった。 遅く行った私たちが帰る頃、ランチタイムの終わり間際になって、ごくごく低い音でサラ・ボーンらしきボサノバ風の音楽が流れてきた。
日本人はまじめすぎて、とことんまでこだわりキチンと“完成”させないと気が済まないのか、お洒落な空間にはお洒落な音楽が必須だと思っているようなふしがある。なかにはその店でかける曲を集めたCDを出して売るカフェまであるらしいが、そういうお節介よりも“無音”であることの自然さの方が私は断然好きだ。
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