Leonna's Anahori Journal
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2003年10月11日(土) ファンホ・ドミンゲス

午後までいつもどおり横浜。
夕方、東京駅でオットと待ち合わせて、中野ゼロホール、ファンホ・ドミンゲスのコンサートへ。

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ドミンゲスはアルゼンチンが生んだスパニッシュギターの超名手と呼ばれているひとだ。プロフィールには5歳ではじめてギターを手にし12歳の若さで音楽教授の資格を取ったとある。この間の事情は良くわからないのだけれど、尋常ではない。要するに“天才少年”だったということなのだろう。

面白いのは彼が、南米にいながらたった一人、独学でギターを極めたということで、だからいわゆるギターテクニックの“常識”とは無縁である(と紹介されている)こと。
この点について資料には「普通のトレモロはもちろん、フォルテにいたると3弦同時のトレモロテクニックで弾き込んでゆく」などと書かれている。ギターを弾かない私にはイマイチ良くわからないのだが、恐らくこの“3弦同時”というのがすんごい超絶テクなのだろう。

たしかに、ドミンゲスの演奏を目の当たりにすると、あのオッサンの指は一体どうなっちゃっているんだろう?と思う。モニターに大写しになった彼の指の動きを見ているだけでも退屈しない。そうしているうちにも、なるほど名手の前に“超”がつくわけだわいと納得させられてしまう。

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途中15分の休憩をはさんでの二部構成。
第一部で面白かったのはショパン・メドレーで、こんなショパンありなのかと、思わずのけぞってしまった。破壊行為ギリギリ一歩手前の革新的演奏。

またカプリーチョ・アラベ(アラブ奇想曲)も、アルゼンチン風とでも名付けるしかない斬新なアレンジで、私がいつも聴いているアンドレス・セゴビア(スパニッシュギター巨匠中の巨匠。87年没)の、とろけるように芳醇な演奏とはまるで趣が異なっていた。一瞬同じ曲かと疑ったくらい。

かつてナルシソ・イエペスは「ギターの流派はセゴビアで終わり、ドミンゲスで新たに始まる」と言ったそうだが、たしかにこの二人は、二人とも紛れもないマエストロでありながら、まるで違った位相にあることだけは間違いないようだ。

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楽しかったのは第二部で、ゲストの小松亮太(バンドネオン)と近藤久美子(ヴァイオリン)をゲストに迎えての演奏。二つの楽器、特にバンドネオンが入ることで雰囲気はガラリと変わって、中野での演奏会からブエノスアイレス、夜のライヴハウス風に。

小松亮太によればこの日の演奏は完全なぶっつけ本番のライブセッションで、事前に決めてあったのは曲目だけとのこと。小松曰く「いまの曲も予定より1分半くらい長くなってしまいました」。お互いの目と目を見交わし、ときに小さく頷きあいながらの演奏には聴いている方もおおいに盛り上がった。

このライヴ感、演奏者と聴衆の距離の近さ、そして少しの俗っぽさ(猥雑さ)。このあたりの要素がドミンゲスの超絶技巧と解け合ったしたときこそ、この南米アルゼンチンのギタリストが最も輝くときなのではあるまいか。そんな風にも思う。

もうひとり、第一部でも歌った歌手バネッサ・キロスがステージに花を添えた。典型的なラテン女の美しさを持った彼女は、以前ハイビジョンスペシャルでもドミンゲスと共演していた女性だ。

そのバネッサ・キロスがアンコールで歌った「のっぽの古時計」には驚いた。カンペなし、完璧な日本語でフルコーラス。すごいプロ根性だと思う。どう考えても日本人向けのサービスなのだけれど、にもかかわらずワタクシ、聴きながら涙ぐんでしまった。人間の声って(歌って)とんでもないパワーがあるんだなーなどと思いながら、ハンカチでみしみしと目頭を押さえた。

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そんなこんなで、最終的には大盛り上がりのコンサートになったのだった。
アンコール二回とスタンディングオベーション。ムンムンのラテン美女(バネッサ)に花束を渡すオジサマ、感激のあまり次々にマエストロに駆け寄って握手を求めるオバサマたち。そのたびに会場はあたたかい笑いに包まれた。

そんな会場の雰囲気におおいに気をよくしたのか、予定になかった独奏まで披露して「ワシこんなのも出来ちゃうんだもんね」的表情をみせるマエストロ、ドミンゲス。上機嫌(笑)。私もほんとエガッタ、楽しかったー。



2003年10月09日(木) テニス部

会社のテニス部、記念すべき第一回目の練習日であった。

ナイター設備のあるアウトドアコートで夜の7時から2時間、みっちりと打ちあった。負けず嫌いゆえ、少しがんばり過ぎてしまったかもしれない。コリャ筋肉痛は必至(ばかばかー)

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二ヶ月くらいまえ。

会社でいつも一緒にお昼ごはんを食べている総務のサワさん(仮名。三十代女性。以下出てくる人名はすべて仮名です)は学生時代からテニスをやっていて、いまでも草トーナメントに出場するほどの腕前なのだが、その彼女から「今度テニス、一緒にやりましょう」と誘われた。

彼女の話によると、会社にはほかにもテニスをやる人がけっこういるらしく、以前音楽ネタで登場したゲッツ君もそのひとり。また私の向かいに座っている関所守(せきしょもり)、隣の部署の深川氏、クワガタ氏など、集めれば7、8人になる。この際だから全員に声をかけて月に一度くらい、仕事の終わったあとテニスをやらないかというのだ。

それで、わー面白そう、やりましょう!ということになり、この度のナイターが実現した。

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しかし“部長”であるサワさんは元スポ根少女(しかも実力派)であるだけに言うことがキビシイ。彼女のキビシサの一端を紹介すると…

たとえば私が「合宿なんかどうですか。温泉のあるところで」などと温泉目当て見え見えの発言をすると、「合宿。なら、朝食のまえに走るわよ」。
また、私が普段インドアコートでレッスンを受けているというと、「テニスは外でするものよ。今度コート整備の仕方を教えてあげるワ」。

…とまあ、こんなカンジ。

おかしかったのは部費(月決め)の話で、関所守や深川氏には「市のコートなら一人千円くらいでも」と言っておきながら、ゲッツ君には「3万円」と言っていたこと(笑)。なるほど、こういう“取れるところから取る”ことで部の基礎を築こうとしているのだな。さすが部長。私は心底感心してしまった。

帰りにゲッツ君に「もう3万円払ったの」と訊くと、「ひどいっすよ。僕の顔みるたびに3万とか5万とか言うんだから!」とのことだった。(アハハハハ)

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コートからの帰路、マイカー通勤組の深川氏のクルマで送ってもらった私。ワンボックスというのかミニバンというのか、とにかく白くて大きくて四角い、きれいなクルマの後部座席にラケットの入ったバッグを置きドアを閉めようとしたところ、コレがびくとも動かない。困惑していると「あっ、手は離していいです」と深川氏。「ヘッ?」と言いつつ手を引っ込めると、ドアは自分で勝手にスライドしてガチャリと閉まった。

自動ドアだった。(カルチャーショック)

しかも家の前でクルマの助手席から降りたあとで、またしても自力で後部ドアをこじ開けようとしてしまった私…

自動ドアだってば。(と、自分で自分に突っこんだ)
  
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テニスの最中、8時半をまわった頃だったか、後ろの方でバラバラバラッと大きな音がして、すぐそばで大きな花火が上がった。東京ディズニーランドの花火だった。
見よ、ミッキーやドナルドもテニス部の発足を祝ってくれているのだ。
活動の長く続かんことを祈る。

 
 




2003年10月08日(水) 甘納豆の少女

少しまえからメールをやりとりしていた女の子の家が、すぐ近くだということがひょんなことからわかった。実に、最寄り駅をはさんで等距離くらいに住んでいた。アハハー、こんなことって本当にあるんだー。

「今度近くを通ったら寄って」と書いて送ったら、週に三度はそこのソバを通りますとの返事。「じゃあ、夜ならいるから電話して」ということになって、昨夜、その少女はやってきた。マンションの前で一度電話をかけてきたその3分後に、ピンポンとわが家のドアチャイムが鳴った。

おかっぱ頭が妙に親近感を抱かせる“妙齢の少女”は「おやつに食べる甘いものに凝っているんです」という。さてはコンビニのスナック菓子のオーソリティかと思いきや。彼女が手土産に差し出したのは、丹波篠山、井上農園の黒豆甘納豆。ムム、なかなか粋なお嬢さんだ。

マイペースでやわらかい独特の雰囲気を持った彼女と話していると、自分の学生時代(ふた昔以上まえ)の同級生が当時の年齢のまま私のまえに現れたような、そんな懐かしさをしきりにおぼえた。

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ところで、このHPがきっかけで実際に(現実世界で)お会いした人が今までに数人いるのだが、以前その中のひとりから、思っていたよりも小柄なので驚いたと言われたことがある。

そして今回訪ねてきてくれた少女からも、それとまったく同じことを言われてしまった。曰く「ほっそりしてらっしゃるのでビックリしました。もっと大柄なヒトだと勝手に思いこんでいました」。

うーむ。文章だけだとなんかそんなイメージなのか私は…。ドスドスと周りのものをなぎ倒して歩いていくような、そんなカンジなのか?(ごめんな、ホントーは貧弱で。曲線も不足してて)

さらに驚いたのは、部屋にあった映画『アカルイミライ』のポストカードをみながら「浅野忠信のファンでしたよね」というので、諾、と頷くと「私は、大竹まことさんにはなーんか惹かれるものがあるんですよ」と静かに話されたこと。そんなふうに言われちゃうと、なんか大竹まことを見る目が今までと違ってしまいそうだ。うーむ、うーむ。

とどめに。私の愛機(古マック)のキーボードを一瞥した彼女、「あっ、キートップが減ってる」と声をあげた。これには私もびっくりしたのだが、たしかに他のパソコンと比べたら、iMacのキーボードは妙にフラットかも…(新しいiMacはどうなっていたっけ?)

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現在、私のような数字に疎い人間には考えもつかないような分野の勉強に真剣に取り組んでいる彼女。“今風の若者”の雰囲気を難無く逸脱して、そのくせ軽々と生きているように見えるのはそのせいかもしれない。

この次はもう少しゆっくりできるときに遊びに来てください。休日なら、オットもおります。接近遭遇可能です。きっとオモシロイと思います(笑)
 
 
 


2003年10月06日(月) 歯医者とダービー

ついに、とうとう、歯医者に行きました。(アガガガガー)

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私の右上奥歯、奥から二本目を診た歯医者さん、ココ神経は残っていますか?、と。で、多分残っているだろうと答えたら、ではソレとりましょう、と。

それで、レントゲン撮って、麻酔注射を打たれて。通常の量の注射では効きが悪かったので、もう一本余分に歯の穴へ直接ブッツー。そしたら私の歯、ただの石、コンクリとおんなじになってしまった。

で、これならもう何やってもへーき!とばかりにガリガリゴリゴリされまして。いつの間に、どうやったのか知らないけれど、診察終わったときには神経も抜かれちゃってた。

途中、手鏡でもって見せられた私の奥歯。ダメになった詰め物を除いたところは、まるでアレだった。南太平洋。(要するに“環礁”と言いたいわけです)

あれじゃ神経とられても仕方ないな。だって絶対に痛いもん残しといたら。そして最後に、神経をとったあとが痛むかもしれないからと、痛み止めをもらって帰宅。

えー、痛いの?結局痛いの?どーして痛いのよ、そのために神経とったんじゃなかったのー(アガガガガー)

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ミラノダービー。
一言でいうなら“セリエへの愛が再燃”。これに尽きる。

なぜかしらピルロがFK蹴ったその刹那に、身体の奥底からメラメラ〜ッときた(笑)。やっぱりミラノダービーは格別というか、別格というか。

アガガ、ガ、ガルチョ万歳〜(くち、半分動かないの)
 
 
 


2003年10月05日(日) 泣きぼくろ

久々にスカパーで中田の番組(いまも nakata.netTV でいいのかな)を観る。

毎年オフには優雅なリゾートライフを満喫するナカータ選手。今年はルーマニア、ベラルーシ等、東欧諸国を漫遊。ルーマニアではかつてのチームメイト、ムトゥ(現チェルシー)に手厚いもてなしを受けたそうな。

で、そのムトゥについて語るナカータの言葉が最高におかしかった。曰く、

「一緒に試合に出てたときはジコチュウだと思ってたけど、ピッチを離れたらすごくパス回してくれるイイヤツだった」。

やぁ、笑った笑った。日本だけのオンエアだからこそ言える言葉だよね(笑)。

ルーマニアのレストランでムトゥや彼の友達と一緒の映像も流れたんだけれど、ムトゥは夜遊びはあまり得意ではないようで、お酒も入っていいかげん眠たくなってる。テーブルに肘をついて顔を手で覆ってるところをナカータが「ムトゥッ!」って起こそうとしたら、か細い声で「ノーモァ…(もう飲めないよぅ)」って。そのときのムトゥの顔の可愛らしかったことといったら!(笑)。いやいやいやぁ〜、ホントに意外な(そして微笑ましい)ものをみせていただきました。

(それにしてもナカータ、あのひとの派手好きはとどまるところを知りませんね。どこへいっても、どこの町を歩いても、注目の的でした)
 
 
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ところで、みなさん。突然ですが。

あのファン・ルード・ニステルローイは、右目の下に、小さな小さなほくろがありますね。試合だけ観ていても決してわからないような大きさの泣きぼくろが。

…いや、だからどうしたって言われると困るのですが。(MUTV万歳!)
 
 
(つまりその、NHKもなかなかやるけれどスカパーもけっこういいよー、とか、そんなことを言いたかったわけです)



2003年10月04日(土) 参考書としてのドキュメンタリー

横浜の父の家の近くで。
金木犀が満開、姫林檎の木に小さな実が鈴なり。
しまった、デジカメ持って来るんだったーと残念がることしきり。

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きのう、NHKのハイビジョンスペシャルのことを書いたが、911からアフガン空爆、そしてイラク攻撃までの間、NHKのドキュメンタリー(もしくは特集)番組をたくさんみた。

NHKスペシャルは、特にイラクと米国のことに関して興味深い番組が多かった。

 『イラクを追われて〜緊迫・砂漠の難民キャンプ〜』
 『アメリカとイラク〜蜜月と敵対の20年〜』
 『イラク戦争〜アメリカ・イラクの人々はいま〜』
 『亡命イラク人たちの戦争』、等々

後々、人名や数字がわからなくなるのを避けるためにも、出来る限りビデオに録りながらみた。

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特に印象的だったのは『亡命イラク人たちの戦争』で、これは米国デトロイトのディアボーンという町に住むイラク人の兄弟を取材したもの。兄は元報道カメラマンで、イラク攻撃には反対している。弟は彫刻家で、攻撃には賛成。なぜなら一緒に亡命した奥さんの父と兄弟をフセインに殺されているからで、フセイン政権が倒れるならば攻撃もやむなしと考えているのだ。

ディアボーンは多くの亡命イラク人たちが暮らす町で、こういう町が米国にあるということ自体、私は知らなかった。その町で、道をはさんで攻撃賛成と反対の二手に分かれ、デモを繰り広げるイラク人。深刻な騒動にこそならないが、ときににらみ合い、罵声を浴びせあう。

TVニュースをみて心配になり、バクダッドに住む妻の母親と姉家族に頻繁に国際電話をかける弟。電話回線が破壊されていなかったため、爆撃のさなかでも電話は通じる。家の近くを爆撃されながらの電話での会話。「もうだめ」「そんなこと言わないで頑張って」「でも、だめなものはだめ」。命の危険にさらされながら逃げることも出来ずに受話器を握っている姉の、切迫しているのだが不思議に静かな、押し殺したような声が、いつまでも耳について離れなかった。

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『アメリカとイラク〜蜜月と敵対の20年〜』は、これまでの両国の関係を資料映像や著名人の証言を交えて振り返ったもの。各国の歴代大臣や、大物武器証人までもが顔と名前を出してカメラのまえで証言していた。
米国の傭兵として次々にロケット弾を放っている若きオサマ・ビンラディンの映像もあった。

またBSプライムタイムでは米国の公共放送が作った『戦争への長い道』という番組が前後編で放送された。コレ、米本国で放送できたのかなと思うくらい、ストレートなつくりのドキュメンタリー。

これらの“歴史を振り返る”番組は私に、ニュースをみたり、新聞をいくら読んでもわからない(つながらない)国際間のアレコレに道筋をつけ、そのときどきの国と国との関係、利害について理解させてくれた。つまり、私にとってはとても大きな役割を果たしてくれたことになる。

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なにがいいたいのかと言うと。

NHKが公正・客観・中立を守るために、箸にも棒にもかからないような、安全で、しかも面白くもなんともないようなものを作っていると思ったら大間違いなのだ。けっこうギョッとするようなものもたくさん作っている。意外にラディカルなのである。

もちろん、流されたものを鵜呑みにするかどうかはまた別問題。しかし、こういう番組をいったい誰が観ているのだろうかと思うことも少なくない。話をしても「ああアレ、みたよ」という人と会ったことがないのだ。
そのたびに、あんなに面白いのになーと、単純に残念に(チョットさびしく)思うのだが。



2003年10月03日(金) ピースフル・トゥモローズ

夜。

NHKハイビジョンスペシャルで『ピースフル・トゥモローズ〜9・11テロ 戦争反対を訴えた遺族たち〜』という番組をみる。

見終わってから調べてみたら、このドキュメンタリーが最初に放送されたのは昨年11月で、今年になってから放送文化基金賞のドキュメンタリー部門本賞を受賞した番組であることがわかった。(→詳しくはこちら

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911テロ後、米国内では自由に言いたいことも言えない雰囲気であるということは何度か聞かされていた。いくつか具体的な話も読んだ。しかし話だけでは、その場の雰囲気というのはわからないし、“噂”がどの程度本当なのかということも気になっていた。

このドキュメンタリーをみて、911テロで家族を失った遺族の反戦活動に対する風当たりの強さに驚いた。とにかく、テロリスト(=フセインとイラク)は叩きつぶさなければならない。それに反対するとは何事であるか。非国民、国から出て行けと言われてしまうのである。

創設者のひとりである女性(テロで夫を亡くした)は、批判の域を超えた嫌がらせに屈してピースフル・トゥモローズの活動(主に講演)をやめざるを得なくなってしまう。保守的な町の中で完全に村八分にされてしまったのだ。自分一人ならばまだしも、女手ひとつで子供を育てていくためには仕方がない。彼女は活動を断念する。

会の中心メンバーのひとりで講演活動を行っている男性は、メジャーなニュース番組に請われて出演するが、イラク攻撃に異を唱えた途端に口を封じられる。生番組を仕切るメインキャスターの慌てっぷりが、生々しく、滑稽だった。

インターネット、掲示板上での批判は推してしるべし(笑)。とにかく、憎しみの嵐。負のパワー全開。黒さ横溢。しかしまた、そこからコミュニケーションの可能性が生じるのもインターネットなのである。メールによる長く激しい応酬の末にお互いを理解するに至る非戦派(兄をテロで亡くした)と一投稿者とのコミュニケーションには、か細いけれども確かな光りがあった。

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私は米国のイラク攻撃に関して、このジャーナルでも“反米”と取られかねないような批判的なことを書いてきたが、書きながらいつも苦しかった。

米国のどこかに、米国人として(当事者として)米国の現政権のやり方に異を唱えるフツーの人がいるはずなのだ。チョムスキーやバーバラ・リーのような“著名人”ではなく、無名だけれども、ただ人間としての原則を曲げたくないという理由(私と同じ理由)からイラク攻撃に反対している人が。

でも、その人達の顔が見えてこない。その存在を感じることが出来ない。このまま自分の理屈に拘泥していったならば、私は私の意に反して、本当の反米主義者になってしまうのではないか、そういう危機感が常にあった。

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そういう私であったから、このドキュメンタリーを吸い付くようにしてみたことは言うまでもない。

観ながら、「やっぱりこの人達はいったんコミットしたらやり抜くんだ。」と思った。こういった活動に相対する姿勢には、さすが一日の長、ぽっと出の日本人には真似できないものがある。どのひともシンプルで、知的で、我慢強く、寛大だった。

ちなみにそれらは、どれも私に欠けているものばかりで、私が、どこかかたくなで“自由でない感じ”がする(自分でそう感じる)のは、このせいだったのかと思い至った。

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ピースフル・トゥモローのメンバーは昨年来日して、広島を訪れたらしい。そのときのスピーチの和訳があったのでリンクをはっておく。

アフガン、イラク、ヒロシマ、パレスティナ。「集団的暴力は、嘆かわしい、しかし必要な悪」と思いみなしていた個人が911テロをきっかけに考えを変える、その過程がリアルで共感を持った。
 
 
 
 


2003年10月02日(木) CoCoonが欲しい

ソニーのコクーンが欲しい。もちろん、効率的にサッカーの試合を観るために、だ。

スカパーでチャンピオンズリーグが放送されるようになったおかげで、通常のリーグ戦(プレミア、セリエ)の放送数がうんと減ってしまったような気がする。今までは、夜TVをつければ(スカパーの)どこかのチャンネルで何かしら観たい試合をやっていたのだけれど、最近は全然そんな感じではなくなってしまった。

こうなると、どうしてもという試合は面倒でもビデオのタイマーセットをして留守録しておくしかないのだが、わが家のビデオデッキは数年前からリモコンの受光部が壊れていて、タイマーセットの出来ない状態なのだ。

それにサッカーの試合をビデオに録ってもせいぜい一回観ればそれでオシマイ。二度三度ビデオテープを再生して観ることなどまずない。それに何が映っているのかわからないままに増え続けるビデオテープは場所ふさぎだし、始末に困る。だからコクーンでHDに録画して、観たら消しちゃうというのは理想的なのだ。

しかもCSV−P500ならスカパーのシリーズ予約も出来るし。(嗚呼、また、いいお客になりかかってる…)
 
 
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今日のプレミアリーグは、ブラックバーン×フラム。早帰りしたオットと夕食をとりながら観る。

いわゆるド級のスター選手というのはいないけれど、どの選手もトラップやパスなどの基本動作が速くて巧い。だから観ていてとても面白い。その面白さがダレずに最後まで続く。とても締まった良い試合だった。言いたかないけど日本のサッカーの比じゃない。

(あのサアの二点目。ゴール前での切り返し、そしてシュート。「ここまで来れば俺のもんだ」という憎いまでの自信と落ち着きぶり。ああいう日本人ストライカーは残念ながらJリーグにはいない)

0−2でフラムが勝った。稲本の生き生きと力強い動きが印象的だった。彼をプレミアへ連れていったベンゲル監督の慧眼は、今さらながらさすがだと思う。
 
 
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台所で洗い物をしながらモンクの『ミステリオーソ』を聴く。

聴きながら、やっぱりこのモンクという人はちょっと変わっているんじゃないかと思った。特に三曲目 "LET'S COOL ONE" のハズシ方(キメ方?)とか。モンクにとってのかっこよさというのは、実感として、やはり少ーしばかりひととズレているんじゃなかろうか。

もともと私は深沢七郎や森茉莉の小説ような、ちょっとヘンな魅力、奇妙な味わいを期待してこのアルバムを買ったのだ(モンクについて書かれた短い惹句などをななめ読みしてね)。

だから今日はそのヘンなカンジを聞き取ることが出来てとてもうれしかった。お皿を洗いながらウフフとほくそえんだくらいだ。
モンクについては、これからも引き続き、ゆっくりとDIGして行こう。ふふふふ。

 



2003年10月01日(水) ささやかな幸せ

疲れ切って帰ってきて、洗濯機を回して、食事の支度をして、テーブルの前に座る。オットは残業。TVではサッカー。

プレミアリーグ、第七節。
1−4でレスターシティをボコボコにするマンチェスターユナイテッド。
なかんずく、ニステルローイのハットトリック。

最高だ、最高だよ、ルード・ファン・ニステルローイ!

戦術もフォーメーションも知らない。難しいサッカー談義なんか要らない。ただただ私はシャーワセなのだ。ヘロヘロになって帰ってきて、やっと一息ついて、たったひとりでこのゴールシーンを堪能している、この瞬間が至福の時。(フットボール万歳)

プレミアではニステルローイだが、セリエでは今季、アンドレイ・シェフチェンコが“らしい”ゴールを連発して私を喜ばせてくれている。
ふたりともこのままシーズン終了まで、怪我なくゴールを量産し続けてほしいと心から願ってやまない。
 
 
 


2003年09月29日(月) 秋の音

朝。

植物に水をやりにベランダへ出たら、聞き慣れない音がする。何だろうと思ったらコンクリートの前庭を枯れ葉が風に吹かれて転がってゆく音だった。
カサカサ、ガサガサ…という、けっこう大きな音。

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今日は一日中、風が強かった。
会社で仕事をしていても、時折、ビュウウゥという風の唸り声がきこえた。

昨夜からしつこい頭痛が居座っていて、まったく冴えない気分でいたのだが黙々と仕事をしているうちに、いつしか外の風の音が自分用のBGMみたいな気がしてきた。後頭部、鈍痛のテーマ。ビュウウウゥ、ゴゥッ…
 
 
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この週末は予定通り、パレスティナに取材したふたつのドキュメンタリー番組をみた。みたあとで、ふと、いつから私はこんなことに興味を持つようになったのだろうと考えた。

“どうしてアタシはこんなところに?”(ブルース・チャトゥイン風に)

そうだった。きっかけは911だったのだ。二年前のNYのテロ。
どうして、こんなことが。どうして、どうしてと問い続けて、ふと気が付いてみたらガザの隔離壁と相対して、眉間にタテ皺を寄せながら、突っ立っていた。

ふたつのドキュメンタリーの詳細については今日は書かない。どちらもとても丁寧に作られた労作だったけれど(よくああいうものが撮ってこられたと思う)。今日は個人的な“発端”の再確認のみ。
 
   
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BGM、夜の部は自然音ではなくクラシックで。

チェリビダッケ指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団「ブルックナー 交響曲第三番 ニ短調」。1980年の録音。

もちろん大きな音で聴いても素晴らしいが、夜遅いので、至近距離からごく小さな音で鳴らしている。これがまた、沁みる。噂に違わぬ名演、名盤。私がいままで聴いたチェリのディスクの中ではダントツ一位だ。
 
 


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