Leonna's Anahori Journal
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2003年08月31日(日) |
wire03行ってきた |
きのう。 寝不足気味の重たい身体を引きずりながら、行ってきました、wire03へ。
初めて武蔵野線、府中本町方面行きに乗車。南浦和でK嬢と落ち合って、さいたま新都心駅へ。軽く腹ごしらえをと、駅そばのロイヤルホストへ入ろうとしたら、入り口でいきなりロイヤル・ターリ(インド料理。早い話がカレーです)という大きなポスターに遭遇してドッキリ。
なぜなら。この日の午前中出勤していた私は、その帰り、昼食にまたしてもインドカレーを食べたばかりだったから。このあいだはマトンだったけれど、今回はキーマ。お皿からビヨーンとはみ出る巨大ナンを、ちぎっては浸しちぎっては浸し…ハフハフムハムハ、あっと言う間に平らげたのがほんの6時間位前。そこへまた色鮮やかなインド料理のポスターがドーンと現れたので、思わずオワッとなってしまった。
気をとりなおしてサイコロステーキのセットをたのむ。なんかこの頃、食生活が肉寄りに傾いているけど。ま、えーがな。 K嬢はサンドイッチとビール。「村上春樹風じゃああーりませんか」などとからかうも、ビンビール1本にコップがふたつ、お注ぎしましょう、いえいえまぁまぁ、はいお疲れさんなーんてやってるんじゃああんまり春樹風とも言えないか。
その食事中、私はここ数日ずーっと疑問に思ってきたことをK嬢に訊いてみた。
「あのー、いまパリの大会で活躍中の陸上選手のひと、ミにツヅくと書く名前のひと。あの人の名前はナント読むの。」
この時点でもうオカシイと、賢明なアナタならお気付きのはず。私が知りたかったのは末続選手の名前の読みかただったのだが、この時点ではまだ「未続」選手だと思いこんでいるのだ。要するに知らないだけでなく、はなから間違ってる。(でもって、ミゾクじゃあないしな、とか思ってた)
この世間知らずのチマリス(←なんか無垢な感じがする良い表現だ)の問いに、K嬢の答えていわく、「えっ、それ誰ですか。私も知らないですー」。 駄目だよ、結局、類友だよー。しゃーない、とにかく今はwireだ会場へ急げというわけで、読めない名前の話はそれきりになってしまった。
ここで、K嬢へ私信デス。 あのひとは未続じゃなくて、末続という名前デス。 でもって読み方は「スエツグ」!! 覚えておいて損はないとおもうよ。 以上。
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wire03、印象に残ったことを思いつくままに書くと…
まず音がでかい。だから振動がスゴイ。あの大きな会場全部がボディソニック状態。特に解放されていた二階の椅子席は、真面目に全席ボディソニック仕様なのかと思ったくらい。
ウェストバム(ドイツのおもろいオッサン。有名な人らしい)のプレイをステージ横、やや後方の二階席でしばらく座ってみていたんだけど。これがなかなか面白かった。だってフロアを埋め尽くした数万人が、ウェストバムの選曲、一挙手一投足にウワァァァーーー!と反応する様が、ほぼウェストバムと同じ視点から眺められるんだもの。ああなるともう、単なるDJではなく一種の英雄なのだなあと(そのときその場所では圧倒されながら)そう思う。集まっている人数がデカイから受ける印象も少しばかり異様なのだ。
ウェストバムが前半に響かせた低音は、まるで重戦車が何百台も集って踊っているみたいな感じだった。あれはあの規模のレイヴじゃないと体感できないものかもしれないな。
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あと印象に残っているのは、眠気との戦い。セカンドフロアの田中フミヤで踊っていて、ふと気付いたら棒立ちで意識が薄れそうになっている自分がいた(笑)。で、さすがにこれはイカンと二階の椅子席へ戻ってみたら、けっこう眠り込んでいるひとがいる。当然ながら私もカクーン!と眠りに落ちました。
それでねたり醒めたりしているうちに、朝の三時過ぎになったら急にお腹が空いてきて。何かあたたかいものでも食べようとテクテク歩いてフードエリアへ。この時刻になると、スーパーアリーナの長い長い通路は、いたるところに横になって眠るひとがゴロゴロ。三崎のマグロ状態。踏まずにあるくのが大変なくらい。
フードはけっこう充実していて、特にエスニックものは美味しそうなのがたくさんあった。私は迷わずタイ風ラーメン(米粉の平打ち麺と鶏挽肉入り)をチョイス。旨かった。あと串焼きのプルコギも。(朝の三時にまた肉かい)
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眠気と食い気と重戦車。これが私の初wireの印象。あまり役に立ちそうもない情報ばかりで御免あそばせ。 でも、夜明けのタイ風ラーメンは最高だったワ(まだ言うか!)
中田選手のパルマ残留が決まったようです。ラツィオからのオファーを正式に断ったそうだ。
ナカータ、来季もパルマ。 むーむーむー。 --
新しいモデムが到着しました。明日中に取り付けてもらう予定。 これでやっとダイヤルアップともサヨーナラーです。
(光ファイバーではなくて、またADSLですが) -- 22日以降のジャーナルを後出しでアップしました。 (下へスクロールしてみてくださいませ)
さて、いよいよあさってはwire03。 なのにその日の午前中は仕事があるんだ会社なんだ。うぇ〜ん。 ま、いいけどね。いざとなったら芍薬甘草湯があるしね、私には。
2003年08月27日(水) |
九州名物『しろくま』 |
今週の月曜日。
ちまりす掲示板で教えてもらった情報に基づき、会社でゲッツ君相手に白くまばなしをしていたときのこと。「羊羹入りの白くまがあるらしいよ。あとコーヒー味のもあってそれは黒熊というんだって」などと知ったかぶっていたらば。
「苺のもあるらしいっすよ。なんて言う名前かなぁ、苺熊?」
なんと。返す刀で切られてしまった。 -- それで、ダイヤルアップというハンデにもめげず検索エンジンで調べてみて、以下のサイトを発見。画像入りで解説も丁寧。白くまの人気のほどがうかがわれる。(苺熊らしきものの写真も)
しろくま図鑑 しろくま 2001-2003 しろくま同好会 --
ところで私は、「しろくま」というのはどこか特定のメーカーの商品名だ思っていたのだが、上記サイトをみて、九州名物の氷菓(主として、かき氷+果物+あずき+練乳)の総称であることを初めて知った。
もちろん元祖とか本家というのもあるのだろうけれど、どれかひとつのメーカーのものが本物で他のものがニセモノという訳ではないらしい。関東圏に生まれ育った私は、こういうことを今の今までまったく知らずにいた。
ふーん、ふーん、そうだったのか。日本は広いし、しろくまは深いのだなぁ。
はじめてネットオークション(easy seek)で落札した。
手に入ったのは『ボン書店の幻』という本。 少し前に正剛さんのサイトでみて、読んでみたいなと思っていたのだ。でも調べてみたら、もう普通に入手するのは難しい状態になっていた。
それで、古書で探そうと思いeasy seekで検索したら、1件ヒット。そのたった1件がオークションだったので、自動的にオークションに参加ということになってしまった。
ちなみにスタート時の価格は39円(何故こういう値段かはワカラナイ)。で、結局期間中「買います」と手をあげたのが私ひとりであったため、これまた自動的に、落札。39円でハンマープライス!
実際に払ったのは送料の280円と郵振手数料130円を足した、計459円。そして今日送られて来た本は、大阪府某市の私立図書館のリサイクル図書だった(分類ナンバーや除籍済のシールが貼ってある)けれど、安い買い物だったことには違いない。
それにしても、昭和の初頭の十数年間というのは(まだ生まれていなかったにも拘わらず)どうしてこうも懐かしい気持ちにさせられるのだろうか。これからうんと想像力を働かせながら「モダニズムの時代」について読む。
ベランダの下の排水口からのびた朝顔のその後。こんなになりました。
2003年08月20日(水) |
空を飛んで来た池澤本 |
サッカー、日本×ナイジェリア。
3−0で圧勝。めでたくジーコニッポン初勝利となった訳だが。だからといって今夜を境に「ジーコ流、約束事は作らない、選手の自主性におまかせサッカー」が認知されてしまったりするならば、それは全然おめでたくないことだ。
だいたい、今日のナイジェリアに勝てないとしたらそれこそ大問題、異常事態発生ではないか。 (その後、日本サッカー協会はナイジェリアに対して、ベストメンバーで試合に臨んでほしかったと苦情を申し入れたという)
今夜の試合で幸いだったのは初っ端に高原の豪快なシュートが決まって、観る側のテンションをいきなり引き上げてくれたこと。これで先に興味をつなぐことができた。
それから。高原も当たっていたけれど、遠藤って本当に大したパサーだ。(二点目を入れたときの彼の、落ち着きっぷりたるや見事) --
数日前、遠くに住む読書家の友人から「池澤夏樹の本を送りました。うちにあるよりあなたの所にあった方がいいと思うので」というメールが来て、今日その本が届いた。
包みを解くと黄色い表紙の『新世紀へようこそ』という本。しかも表紙を開けるとそこには青い万年筆による、池澤氏のサインが…。 しかし私が驚いた(ほとんど呆然としてしまった)のは、署名本だったというそれだけの理由からではない。
15日のジャーナルに、有楽町の三省堂で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を買ったと書いたが、実はあのとき私は『新世紀へようこそ』を買うつもりで三省堂へ立ち寄ったのだ。
それで、書架から平台から一通りさらっと見回したが見あたらず、それでは『新世紀』はまた次の機会にとけっこうあっさりあきらめ、フイッと予定外の行動で『ライ麦畑』を買って帰ったのだった。
そうしたところが、なんと今日、書籍の方からはるばる空を飛んでわが家へ訪ねてきてくれたのである。あのとき、普通に本が見つかって普通に本を買っていたら完全にダブっていたはずだと思うと、さすがに少し不思議な気持ちになる。
いずれにしても、類は友を呼び、本も友を呼ぶのだ。素晴らしい書き手に、そして素晴らしい読書仲間に、感謝、大感謝。 -- ※『新世紀へようこそ』はこちらのサイトでも読むことが出来ます。
オリジナル・ラヴ『踊る太陽』ツアーで田島貴男がステージ上で初めて試みた演出について書く。
(ネタバレになるため7月5日のジャーナルには書かずにおいた部分です)
-- 田島貴男が試みたのは、ポエトリーリーディング(詩の朗読)。 読んだのは自作曲、『悪い種』の歌詞。 抑揚と緩急をつけて、朗々と、あの声で。なかなか堂に入った朗読だった。 同感しないもの敵だって 賛成しないもの敵だって 価値がないから踏みつけて 踏まれてもまだ生きる種 悪い種 おれは 悪い種
…私のなかに或る連想がおこり、波紋のようにひろがって行く。
飛んで墜ちて墜ちて飛んで舞い上がって吹き飛ばされ しがみつく杭はどこにもないさ 燃えて燃えて消えて燃えてまたもういちど幾たびでも 墓の中からつよく飛び上がれ! 幾たびでも、墓の中から。パレスティナ。アフガニスタン。それから… 墓石の摩天楼を駆け抜け逃げてゆけ 涙の雨 試す神 黒雲のドーム 雷 エコーエコーエコーエコー 祈り届け ヒロシマ。ナガサキ。ニューヨーク。それから、まだ、それから… 芽を出せ悪い種 灰に埋もれて 暗い土の中深く根をのばせ 深く深く深く深く深く深く いつか実を結べ -- 『悪い種』のあとにもうひとつ、世界的なパントマイマーで振り付師のリンゼイ・ケンプのワークショップで行われている実習テキストの朗読があった。これはたった今自分の人生が突然終わると仮定し、それをイメージする実習のためのテキスト。突然の、理不尽な死。そして再生。メメント・モリ。
ケンプのワークショップではないが、まったく別の場所で私もこの実習を体験したことがある。そのとき私は、擬似的死をうまく想像、体験することが出来なかった。それは、出来るわけがないという抵抗感が最後まで消えなかったからで、その思いは間近で母の死を見た今も変わっていない。
しかし、なぜいま田島が、このテキストを(『悪い種』の歌詞に続いて)読むのか、なぜメメント・モリなのか、その意図と気持ちは理解できたと思っている。演出は成功した、と、私は思う。
-- ところで、田島貴男は(実習は未知であるが)ケンプの来日ステージは観たことがあると言っていた。リンゼイ・ケンプ・カンパニーの初来日公演、『真夏の夜の夢』を。そうか。 実はまったく同じそのステージを、私も観ている。 1986年の7月。五反田の簡易保険ホールで。
インクレディブル・オーランドーという全盲の役者がタイターニアを演じて見事だった。チェンジリングを演じた類い希なる美青年フランソワは、ケンプがベジャールバレエ団から盗んできた男の子。そして当のケンプ本人はすでに人間の域を脱して、妖精(もしくは小悪魔)的な生き物になってしまっているように見えた。
ケンプはデヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュの先生として有名だったから、きっとあの公演にはほかにも有名無名、多くのロックファンが駆けつけていたのに違いない。
夕方。
地震。グワラァッと大きくひと揺れして、おさまる。 マンションの一階のわが家があんなに揺れるのはめずらしい。ついに来たかと一瞬覚悟したが、それきりだった。
地震のあとしばらくしてベランダに出てみると、ほとんど真っ暗な中、足下の前庭に猫がいる。まっ白い、お姫様みたいにきれいな顔をした猫が、前脚を揃えてすわっていた。
急いで、猫用ドライフードの箱をとりに台所へ走った。いつ何時お腹を空かせた猫がたずねてきてもいいように、わが家にはカルカンブレッキーズ(フィッシュミックス)500グラム箱が常備してあるのだ。
ドライフードをひとつかみ下へ落としてやると、最初は驚いて逃げたが、3、4メートル行ってから振り返ってじっとこちらを見ている。私が見ていると食べづらいだろうと思い、部屋へ入ってサッシを閉めた。
夜。帰宅した家人に、今日、ベランダの下に白猫が来たよと言ったら、「ブレッキーズやったんだろう」と言われてしまった。バレテ〜ラ。 -- 今日もフランス語講座をみてしまった。パトリスとリヒトのお料理教室(実際にオレンジタルトを作る)が最高だった。 んもー、ほんとにパトリス・ルロワってけったいなおじちゃん。スキスキ、ダイスキ(笑) --
リンク頁に一件、追加しました。 グッドミュージックをハイファイで。にょりさんのとても素敵なダイアリです。
先週の木曜日からたった四日間の短かい夏休みでしたが、それも今日でおしまい。ずっとお天気悪くて寒かったけれど、「トーク・トゥ・ハー」面白かったから良しとする。地味、地味ー。 -- Jのセカンドステージが昨日開幕。 浦和のエメルソンがスタートダッシュ。でもそれよりなにより私が伝えたいのは…
モモコ、200勝達成オメデトウ!(チマリス愛のメッセージ)
ところで、マリノスへの移籍話が消滅して久しかったローマのカフー。なんか知らないうちに、ちゃっかりACミランへ完全移籍してたみたいです。 チマリスのあのアドバイス(人生は一度きり、よーく考えた方がいいぞカフー)が効いたんでしょうか。しかし、なんかそれって藁しべ長者みたいだぞ、カフー。
さて、残るはナカータです。メンディエタの移籍話いかんではラツィオ入り濃厚のようなのですが。いいじゃんラツィオで。上等だよ。とにかくパルマを出て欲しい!というのが私の勝手な希望なのですが。
(だって面白くないんだもん、パルマのサッカー)
インドアコートでテニスの特別レッスン。3時間。
レッスン中はそんなに感じなかったのに、終わって家へ帰ってきたら足も腕も重たい。疲労が小さなしこりになってくっついているような感じ。
-- きのう有楽町でクルミ嬢と会ったとき、久々にお茶を飲みながら“wireへの道ミーティング”を持った。そのときの会話。
「最近どうですか、はかどっていますか?」と彼女。「駄目よ。もー忙しくてさ、なんにもしてないもん。出たとこ勝負になりそうだわ、このままだと」と、私。するとクルミ嬢「ですよねー、仕事仕事で、時間ないですもん。私もサッパリですわ」。
彼女は前日、朝から横浜のアウトレットへ出かけたそうだが、一日歩き回って帰宅したところ、足が生まれたての子馬のようにブルブルブルブル震えて止まらなかったそうだ。
それを聞いて「あらヤダ、心配〜」などと笑った私。けれど実は私だって、少し冷房に直撃されただけで足の指とふくらはぎが痙攣を起こす。これが恐ろしくて、会社では毛布のような膝掛けを手放せない。寝苦しい夜だって足だけは絶対冷やさないように気を付けている。(でないと真夜中、激痛に襲われて七転八倒することになる)
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wire対策ももちろんあるけれど、少し真面目に足腰をケアしないとまずいのではないか。テニスをしながらそう思った。
数ヶ月に一度位、どんなにフォームやポジショニングが良くなっても、足腰をもう少しなんとかしないと、私のテニスはこれで頭打ちだなと思うことがある。レッスンが今日のように2時間を超えると、一時的に足がついて行かなくなることが、ままある。
まず第一に、毎日の疲れをできるだけ取り除いてやるケア。そのうえでストレッチやごく軽い筋トレを組み合わせてやる。…そろそろこういうことを普段から心がけないと、なし崩し的に老化してしまうのではないか。
私は年相応でかまわない、若作りしたい気なんか毛ほどもないのだけれど、かといって、放っておいたらこんな結果になっちゃいました的老け方もツライしな。すこし真面目にエクササイズしてみるか…
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それにしてもよく降るなあ。これじゃあまるで、秋の長雨。
(こういう日は、二十歳のときスキーで捻った右足首に力が入らなくなるんだなあ。あー…)
久々にクルミ嬢と会った。一緒に銀座テアトルシネマで『トーク・トゥ・ハー』を観る。
多くの人に絶賛されたこの映画、素晴らしい作品、感動作であることは間違いない。高尚なほめ言葉はいくらでも巷にあふれているので、ここではあえて、チマリスらしく。
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・女闘牛士役のロサリオ・フローレスが尋常でなくカッコエエ。いくらラテン系だって、こんな女、ありなのか。(私もクルミ嬢も一目惚れ)
・相手役のダリオ・グランディネッティというアルゼンチンの俳優。長身で知的で暗ーい目つき。ハリウッドではあまり見ないタイプだ。女闘牛士と並べてもぜ〜んぜん負けない男の色気。
・二人が演じる大人の感情(ビターで悶々)がとても贅沢だった。駆け引きではなく、正直だからこそより深く傷つくのだという当たり前のこと。それが大人のフェロモンムンムンのふたりによって演じられるというのが。
・劇中ライヴで歌われる、ブラジルの歌手カエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」。とにかくアタシCD探して買ってくる〜
・それにしてもスペイン。この映画の影の主役はスペインそのものなのだ。色彩と陰影。あのちょい露出アンダー気味な感じにグラッときた。
・結論。アルモドバルってやっぱりちょっと変。でも素晴らしい(特別な)映画監督。サイコーです、大好きです。
(こういう映画を観ると、もっと次々映画が観たくなっちゃうなあ!)
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帰りに有楽町の三省堂で購入した本。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 D・J・サリンジャー/村上春樹訳 実は私、この「ライ麦畑」を読んだことがない。これ以外のサリンジャーは訳違いまで含めておそらく全部読んでいるのに。なんでだろー。
二十年以上前に買った野崎孝訳(白水社のハードカバー)も、多分もう手元にはないだろうと思い、この機会に村上訳で読んでみっかと購入した。最近こういう、自分で自分の禁を破るというのが続いている。
それで、醒めた目で読むホールデン・コールフィールドもまた一興か、などと思いながら帰って家の書棚をがさがさやってたら野崎孝版「ライ麦畑」が奥の方から出てきて。さすがに、醒めた目で自分自身を観察した方がエエのではないかと思った。
新訳版の巻末に、訳者の解説を加えようとしたら原著者(サリンジャー)の要請と契約の条項に基づき不可能になってしまった、ご理解いただければ幸甚です、ということが書かれている。あの隠遁者、あいかわらず陰で威力を発揮してるんだな。
でも、そのお陰で『サリンジャー戦記 翻訳夜話 2』が出せたのかも、という考えも成り立つのであり…(なんだかんだ言って、結局これも買って読むんだろうなという気がしている)。
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