Leonna's Anahori Journal
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2003年07月10日(木) プリファブ・スプラウト、他

このまえオリジナルラヴを一緒に見に行ったときにクルミ嬢が貸してくれたCD三枚。どれも初めて聴くものばかりでオモシロイ。メルシ、クルミ嬢。
 
 
◎プリファブ・スプラウト 『アンドロメダ・ハイツ』

 やたらと美しい英モノです。ちょっとスワンダイヴってバンドに似てるなあと思ったけれど、こちらの方がより若々しくて意固地な感じでイイ。意固地というのはこの場合もちろん褒め言葉であって、つまりあまりにも美しかったり、永久に若々しくっていうのは意固地にでもならなけりゃ実現不可、維持して行けないものなんですね。私はこういうちょっと“過ぎた”感じのするものは大好き。そしてあの独特の浮遊感も、とても好きでした。


◎ティーンエイジ・ファンクラブ 『サーティーン』

 こちらは美学はいったん脇においてひたすら若さが前に出た。なんたってティーンエイジで、ファンクラブなんですから。リフよりはメロディだ。詞が泣かせるんだ。バンド名からして確信犯とみました。
 
 
◎田中フミヤ 『I am not a DJ』

 95年、いまから8年前の田中フミヤのアルバム。当時22才の彼、当然ながらその魂は荒ぶっております。可能性の海を抜き手を切って泳いでいるわけです。ハァハァ。本人はちがうと言っていますが、間違いなく田中フミヤはDJです。ツンタカ・ツンタカ・ツンタカ・ツンタカ……、プロデューサーは石野卓球です。
 
 
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◇ 今日の“wireへの道”

 8年前の、つまり初期の田中フミヤをきちんと学習しておく。これが今日の課題。この行為の意味や意図はきちんと把握しているつもりです。だから少しくらい息がハァハァしても負けたりしないわ、あたしがんばる。だってwireへの道はまだ始まったばかり…(ナンチャッテ)
 
 


2003年07月07日(月) ウィンブルドンのフェデラー

今年のウィンブルドン、ほとんど試合を見る暇もなくあれよあれよという間に終わってしまった。

わずかに男子シングルスの準決勝二試合だけはチラチラと観ることができたのだが、そこで驚いたことをいくつか。

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まず、長年アガシのコーチをつとめたブレット・ギルバートが、アンディ・ロディックのコーチになっていた。そうとは知らずにいた私、ロディック×フェデラーの試合開始前、ロディックのファミリーボックスに入るギルバート氏の映像に「あら、ロディックの試合観に来たのかしら」。その直後、解説者の話から真相を知ってドびっくり。

だって。アガシと言えばギルバートコーチ、だったもの。私の中ではもう二人でひとりみたいになってる。だから個人的にはかなり寂しい。彼(ギルバートコーチ)だけでもゴージャスな眺め、彼とシュテフ(グラフ。アガシの現パートナー)が揃えばまさに目の保養という、あのファミリーボックスをもう二度とみることがないのかと思うと。

次に驚いたのが、そのロディックを破り、決勝でフィリポゥシスに勝って優勝したフェデラーのテニス。
以前から“天才的なタッチ”と言われていたそうだけれど確かに。目にした瞬間、まわりの一切の音が消えたような気がした。残念ながら対ロディック戦の冒頭しか見られなかったのだけれど、これからは勝ち負けは度外視して、ただフェデラーのテニスをみるためだけでも彼の試合を観ようと思った。ショックだった。

最後に。驚いたというよりは笑ってしまったのだけれど。男子仏人プレーヤーってどうしてあんなにアッサリ負けちゃうんだろう。それもけっこういいところまで行っときながら。ピオリーン、アルノー、それからグロージャンと、ムッシュたちはみ〜んなそう。恐さってものがないんだよね。
でもって全員、テニスウェアを脱ぐといきなり粋で垢抜けたあんちゃんに早変わりするところまでおんなじ。まあ、そこがまた“らしく”て面白いと言えば言えるのだけど…

 
 


2003年07月05日(土) オリジナル・ラヴ at SHIBUYA-AX

午後二時、いつも通り表参道の石灯籠のところでクルミ嬢と待ち合わせ。
午後七時開演のオリジナルラヴ、ツアー『踊る太陽』までの時間をうろうろと青山〜表参道〜渋谷あたりを徘徊しながら過ごす。

クルミ嬢お気に入りのオリジナルアクセサリーの店(全部アンティーク風の一点もの)でデカいピアスを買っていきなり散財してみたり、探し歩いてやっとたどり着いたNADiffというアート系の本屋さんがあまりにも品数豊富なうえに若いお客さんで混みあっていたので、なんだか落ち着かなくなって早々に逃げ出してみたり、Cafe Maduへ向かう道すがら偶然発見したギャラリー収納青山のショウルームへ入り込み、壁にビターッと納まった壁面収納のあまりの素晴らしさに「やっぱりこれから家具は壁面でしょう!」と納得させられるも、買うお金がないという現実にふたりして突き当たってみたりと、なかなか実り多い散策タイムであった。

無事たどりついたCafe Maduで軽食。私はタイ風のサンドイッチ(ピタの中にてり焼きチキンと野菜を入れてエスニックソースをかける)を食べた。これは美味かったなぁ、ちゃんとパクチーまでついてたし。リーズナブルだと思うわー。これにチンザノロッソ飲んで、ええ気分。

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さて、そのウロウロ散策の間にクルミ嬢に教えてもらったのだが、オリラヴ93年の大ヒット「接吻」をカヴァーしているのは、なんと中島美嘉サン!

クルミ嬢によれば「中島美嘉本人がすごい好きらしいですよ、オリラヴのことを」とのことだったが、それを聞いた私が思わず「だったら何だってのよ」などと大人げないことを口走ってしまい、一体どういう反応なんですかッと年下の友人からたしなめられる一幕も。

だってさだってさ、ちょっとちがくない?ああいうひとがああいう歌を、好きだからって理由だけでカヴァーしちゃうってのは…(オバンしつこい)
 
 
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肝心のライヴの話を。

ちょうど一年くらい前にみた「ムーンストーン」のツアーライヴも良かったけれど、今回のステージはそれよりもっと良かった。で、予感的中でした。ディスクで聴くより生で聴いた方が格段に良いんですよ「踊る太陽」の楽曲って。特に「相棒」や「欲しいのは君」みたいな一見地味目のマイナーコードが抜群だった。(だからってなにも「欲しいのは君」で涙流して泣かなくても…)
 
それから、カヴァーが面白かった。えーと、私はネタバレ部分を白地で書いてドラッグしなければ読めるの読めないのなんて繊細な細工はようせん乱暴者ですから、あえて知りたくないというひとは、ここから引き返してください、ゴメンヨ、回れ右。 
 
えーと、それで今回のカヴァーは邦楽特集。本人曰く“邦楽にハマッテる”。でもって選曲が、ルースターズ、椎名林檎、高倉健って、田島氏のハマり方も半端じゃありません。

しかし、ルースターズって、なぁ…。「どうしようもない恋の歌」、何年ぶりに聴いただろう。そういえば、田島貴男と大江慎也って遠目だとほんの少し似てるんじゃないだろうか。・・・♪網走番外地〜〜〜(脈絡ナシ)

途中にもうひとつ、初めての試み(演出)があったんだけど、これはわかる人にとっては凄く重たいものだった。いま地球でおきていることを思えばああいうことをしたくなる田島貴男の気持ちはワカル。(さすがにこれ以上のネタバレはいくらなんでもまずいので、この演出の詳細についてはツアーの終わった22日以降に再度書きます。)
 
後半はオリラヴ初期ヒットのオンパレードで軽快に飛ばしたのだけど、私にとっては“どマイナー”を田島の朗々とした美声で、というのが一番の贅沢だった。ベストはピアノ一本で演った「プライマル」の弾き語り。あのフランネルのような裏声に震えました。
  
  


2003年07月04日(金) 誰だろう(2)

今回の誰だろうは、私が「あれは誰ですか?」と訊かれたはなしです。

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少し前にサイトのトップページ画像を入れ替えたのですが、それをみたある方から「左端の写真、ギターを弾いている人は誰ですか、もしかしたらあれはCDジャケットなのでしょうか」というメールをいただきました。

えー、あれはレイ・サンドヴァルというギタリストの"a la naturaleza"というCDのジャケ写真です。

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サンドヴァルは1969年、アリゾナ州トゥーソンの生まれ。メキシコ人の父と日本人の母の間に生まれたチカーノ(メキシコ系の混血)で、現在はLAを本拠地として活動中、だそうです。

"a la naturaleza"はギターインストアルバムで、ジャズを基調とした中にフラメンコやキューバ、ブラジルなどのエスニックな音とクラシカルな響き(サンドヴァルは大学でクラシックギターを学んでいる)が美しく織り込まれており、ひとことで言うととてもエキゾチック。

英米のロックやポップスに慣らされた耳には地味といえば地味な音楽ではあります。買った当初は(三年くらい前)、昼間よく家の中で、大きな音で鳴らしっぱなしにしていました。

そうやって聴いているうちに、自然の声を聞きとり、それと唱和しながら生きている人間がいる(いた)ということ、自然の一部分としての人間ということについて何か知らされるものがあった、ような気がします。

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ちなみにレイ・サンドヴァルは2001年の春に来日公演を行っています。ちょうど私とオットがマウイ島への旅行から帰ってきて直ぐだったと思う。

あっ、こんな地味な人が来るのか、これ聴き逃したらもう生でサンドヴァルを聴く機会はないかもしれないなぁと思っている間にも公演日は来て、過ぎ、とうとう聴けず仕舞いでした。
 
 


2003年07月03日(木) 誰だろう

会社の帰り。

駅まで送ってもらうクルマの中で、カーラジオから田島貴男の声。オリラヴ『朝日のあたる道』だ。美声。

次に自宅近くの化粧品店に寄ると、今度はオリラヴ『接吻』のカヴァーが流れてきた。誰なんだろう?女の人の声。

個人的に、血中の田島濃度が上がりつつある今日この頃。

(しかし、あのカヴァー曲を歌っているのは誰なのかなあ…)
 
 




2003年07月01日(火) 和田さんち

会社のお昼休み、ゲッツ君と世間話をしていたときのこと。

トライセラのライヴ(6/24シブヤAX)の話になったので「一緒に行った友達が、和田唱が喋るたびに小声で『レミー、レミー』と言うのでマイッタ、笑った」と話したところ、反応は「…???」。

あれ、ご存じなかったのかしらと思いつつ説明。
ええと、平野レミさんていますでしょ、マシューズベストヒットなんとかにご出演中の。あのひと、トライセラ和田くんのお母さんです。

でもって、イラストレーターの和田誠さんてご存じでしょ?文庫本のカバーや新聞雑誌でよく見る、著名人をそっくりに描く絵描きさん。あの和田誠さんがトライセラ和田くんのお父さん。つまり和田唱の“和田”ってのは和田誠さんの“和田”ってわけよ。・・・・・
 
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ゲッツ君は驚いたようだった。しばらくは「ハァ〜〜〜」なんて感心していたが、そのうち謎が解けたようなうれしそうな顔になって「う〜ん、ウン、ウン、」と満足げにうなずき、とどめにこう言った。

「なんか、ドラゴンアッシュの降矢とイッコウちゃんより、こっちの方がうれしいっすね、知った瞬間の満足度が高いっていうか」

あら、私また善行を施してしまったかしらん?
しかし、満足度ってなにさ…(笑)
笑っていたら、

「これってけっこうトレビアじゃないっすか?」

知らんがな!(いまだみたことナシ)
 
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和田唱のあのポップセンスは間違いなく父親譲りだ。
単純な線、キュートな表現、カラフルさ。
ま、たしかに喋りのセンスはかなりお母さん似だと思うけれども(笑)
 
 


2003年06月29日(日) KOOKAI

という訳で、きのうは9時に寝ました。

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テニスの帰り、オリジナル・ラヴ『踊る太陽』と、KOOKAI(クーカイ)でカーデガンを買って帰る。

KOOKAIの方は、会った途端に一目惚れで、衝動買いしてしまった。ここの赤やピンク色は本当にきれいなんだ。私は普段は黒やベージュ、グレーなどの地味な色を着ることが多いのだけど、年に一度か二度、KOOKAIできれいな色の服を買う。

今日買ったのは絞り染めの着物の柄をプリントしたナイロン地のカーデガンで、よく伸びてピタッと身体に張り付く。前立ての上部にゴムが入っていて女性の胸の曲線を際立たせる工夫も(私はあんまり際立たない体型だけどさ)。

これ、軽くてしわにならなくて小さく畳めるから、冷房の強いところで羽織るのにちょうどいい。地味な色、シンプルな服がこれ一枚でがらっと変わるのも面白いし。

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さてオリジナル・ラヴ『踊る太陽』ですが。

特に最初の数曲がまんまデヴィッド・ボウイだった(笑)。(オマージュってやつだよね?)
たとえば『Hey Space Baby!』のイントロ、このギターリフは紛れもなく『ジーン・ジニー』だ、ミック・ロンソンだ。燃えるブギー魂。

まだ一回聴いただけだから断言はできないけれども、これはディスクで聴くよりライヴの方が“向き”かもしれないな、と。土曜日のAXがさらに楽しみになった。

しかし面白いな。ついこのまえボウイの曲がCFに使われていると書いたら、田島貴男がボウイへのオマージュをやっていて。
松岡正剛が町田康のファンだったなんて、と書いたら、その町田康がこれまた田島に詞を提供していたりして。いや、ほんと、楽しいな。
  
  
  







大きな白い花みたいに見えるのは絞り染めの模様です。
着物の柄+絞り染めとは、まさに七十年代、グラムの時代を彷彿させるカーデガン!



2003年06月28日(土) ニューズウィーク日本版

ねむい。とにかく、ねむい。

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横浜(父の家)へ向かう途中、キオスクでニューズウィーク日本版を買った。表紙に“ネオコンの誤算と挫折”と大書きしてあったので。

でも読んでみたら、おっと言うような記事は特になかったなあ。イラク関連は日々、ベリタ等で細かい記事までできるだけひろって読むようにしているから。そっちの方がよほど役に立つ。というよりこの時期、中東とアメリカの動きに関しては、紙媒体(しかも週刊)では追いつけないのではないだろうか。

でもって遅い分、時間をかけ力を入れた面白い特集記事があればまだしもなのだが、これもまた、ちょっと…
“ネオコンの誤算と挫折”と言いながらも、なんとなーく歯切れの悪い書きっぷり(米国人記者による記事の翻訳)には、やっぱり規制されてるのかなぁ、という感じがつきまとう。

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唯一面白かったのは大量破壊兵器の未発見問題における情報操作疑惑に関する記事。特に大きな問題は、イラクがニジェールからウランを購入しようとしたという情報に関するもので、CIAの現地調査ではこの取引証拠とされる文書は偽物(またかよ!)と判明した。

ところが数ヶ月後、この偽情報がイラク攻撃の根拠のひとつとして大統領の一般教書演説に登場してしまった。さて国民をだましたのは大統領かCIAか(CIAが大統領にウソを報告したのか、大統領がウソと知りつつ演説に使ったのか)というはなしなのだ。

ちなみに議会周辺ではホワイトハウスの主張を疑う声が多いのだそうだ。なぜなら一般教書演説の内容は最も厳重にチェックされるものであり、大統領と側近全員がコロッと騙されるとか考えにくいから。

でもわからないよね、ブッシュさんの一般教書演説には、イラン・イラク・北朝鮮が悪の枢軸国だなんて言葉が平気で登場してくるのだから。十何年来敵対関係にあるイランとイラクがどうして枢軸国なんだよ?(この件に関してチョムスキーは「ブッシュはおそらく枢軸国という言葉の意味がわかっていないのだろう」と書いている)

記事にはブッシュがCIAの情報を操作してイラク攻撃をおこなっていたとしたらウォーターゲート事件よりも悪質だと書かれている(当たり前だッ)。しかしCIA長官のテネットというひとが(ブッシュの忠臣ではないため)スケープゴートにされるのでは、という見方も。こういう人たちに民主主義を云々されるんじゃたまらないよねほんと。

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あああ、駄目だ、眠い…ねないと死ぬですよ(パタッ)
 
 



2003年06月26日(木) 他人の本棚

チョムスキーとサイードについて書いた5月4日のジャーナルで、松岡正剛の千夜千冊というサイト(第七百三十八夜)にリンクを張った。

そこにも書いてあったが、その昔、七十年代の半ば、松岡正剛といえば工作舎のセイゴーであり雑誌『遊』のセイゴーであった。今は九州で定型詩をやっている叔母が当時横浜にいて、その叔母の本棚にも何冊か『遊』があったのを覚えている。たしかタオ(道教)や神道、身体・気象・言語などを特集した号だったと思う。

あるときその家で叔母とブンガクの話をしていたとき、突然叔母が「ねえ、あなたこの人どう思う」と言って『遊』に掲載された松岡正剛の写真(プロフィール)を私の目の前に差し出した。叔母曰く「あたしは、なかなか見所があると思うんだけどな。それにこういう立派な顔をした日本人、いまなかなか居ないわよ」。

そのころのセイゴーさんは長く伸ばした髪を束髪にして、丸眼鏡をかけていた。あるいは鼻の下にうっすらとヒゲをたくわえていたかもしれない。
それで、その写真(プロフィール)をみた私は即座に「なんか思想犯みたいな顔した人だ」と思ったのだけど、そのままを口にするのもためらわれ、「うーん、立派かなあ…。そうかなあ、そうかもしれないなぁ」などと歯切れの悪い返事をしたことを覚えている。

それでも工作舎という、ちょっと謎めいていてアカデミックな匂いのする本屋さんには惹かれるものがあって、ライアル・ワトソン『生命潮流』や草間弥生『マンハッタン自殺未遂常習犯』など何冊かの本を買った。
ちなみにその当時、チョムスキーは生成文法論ですでに世界的に有名な言語学者であり、いくらアカデミックなものに憧れたところで、私のようなものには一生縁のない“象牙の塔”の人だと思っていた。

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そのセイゴーさんのサイトを訪れ、あれから実に二十年ぶりくらいでセイゴーさんの書かれたものを読んでみると、意外にミーハーだったことがわかって面白かった。

町田康(町蔵)が手放しで好きというのも可笑しいし、江國香織に対するほのかな思いも読んでいて微笑ましい。

なんだー、早く言ってよー。そうしたらあの頃、新宿ロフトの暗闇ですれ違っていたかもしれないのね、私とセイゴーさんは。なんだー、なんだなんだ、こんな思想犯あるもんかー(笑)

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さて。その松岡正剛の千夜千冊でチョムスキーがとりあげられているのをみて、私は最近のチョムスキーの(言語学者としてではない)ジャーナリスティックな言動を知ったわけだが、それではサイードはどうなのだろう。そう思って検索をかけてみたのだが残念ながら(千夜千冊には)該当がなかった。

それでもあきらめきれずに、おかしいなあ、松岡正剛がサイードを読んでいないハズがないんだがなあ、と思いながらなおもサイト内をうろうろしていると…あった!やっぱりありましたよ。ちゃんと本棚に、エドワード・W・サイード『パレスチナとは何か』が。

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いま私は、何も知らないところから初めて、次第にパレスチナ問題の歴史と背景について知りつつあるところであり、正剛さんのようなひとにはぜひ手引きとなるような書評並びに関連図書の紹介をしてほしいと思っているところ。

こういうとき(ロードマップの実現と隔離壁建設という二律背反にテロの応酬という予断を許さぬ状況)だからこそ、ぜひ千夜千冊でサイード本と関連書籍について取り上げてほしいと、そう思っているのですが。(メールしてみるか)




2003年06月25日(水) 次は田島貴男

朝。通勤途中、バッグの中からオリジナル・ラヴ“踊る太陽ツアー”のチラシを発見。昨日シブヤAXから持ってきたものだ。

そうか、来週にはまたオリラヴでAXへ行くのか。私にしては異例の過密スケジュールだ。大丈夫なのかなあ、もうすでに足つってるし。(なさけない)

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オリジナル・ラヴのニューアルバム『踊る太陽』、田島貴男自身の言葉によれば、

 "フィフティーズ、もしくはロックンロール・リバイバルとしてのセブンティーズ "

 "そう、グラムロック。デイヴィッド・ボウイとマーク・ボランに代表されるような。ああいう、スゥイングするビートで、コンボスタイルによるブギーであるという、そんなグルーヴを持ったアルバムを作りたかった"


…だそうです。なるほど、それでジャケ写がチョークストライプのタイトなスーツに太ネクタイなのね(笑)。要するにボウイの『ヤング・アメリカンズ』ってわけだ。(これでSAXってのは決まるだろうなぁ)

それから、

"濃いアルバムが作りたかった、原色でしかあり得ないロックンロール、その原色でワビサビをを出したかった。そのためには自分自身がまず生命力を持たないと作品が作れなかった"、とも。とにかく週末、山野でCD買って来よう。

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今回のアルバム、脇を固めるメンツは、町田康、友部正人、矢野顕子、松本隆、松井五郎 etc.と超豪華。特に、矢野顕子のピアノはやっぱり凄かった!と感激することしきりだったようで。

それから友部正人の詞はけっこうガツーンと来そうですよ。町田康とは一緒にSMAPへ楽曲提供(「たてながの自由」 作詞 / 町田康  作曲 / 田島貴男 )も。

詳しくはこちら、オリラヴのサイトで。(しかしこのひとは音楽もいいけど文章もいいよね。Tajima's Voice、楽しく読みました)



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