Leonna's Anahori Journal
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シブヤAXで、トライセラトップス NO BARRICADE TOUR 初日。AX大入り満員、後ろまでぎっしりでした。
で、ですね。感想をひとことで申し上げますと。 ハッキリ言ってトライセラは、
かわいい。
なんちゅう感想かと自分でも思うのですが。いやはや実際のところ、和田唱、林幸司、吉田佳史、バラでもまとめてでも、目の中に入れても痛くないくらいかわいい。他に言葉がみつからない。
それで。そういう彼らをみていて思ったことというのが。 私、自分が歳をとるのはかまわないのだけれど、こういう人たちが歳をとってオジサンになっていくっていうのが、どうにも耐え難く思われるわけで。
ほんと、どうにかできないか。ダメなのか。やっぱりアレか、諸行無常なのか。・・・泣けてくる。
(ヘンなおばさん!)
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トライセラ、本日のカバー曲もなかなかふるっておりまして、ポール・マッカートニー「ジェッツ」の他、ポリスとマイケル・ジャクソンをやりました。
でも何をしたからとか、楽曲がどうだったとか、テクだとか歌唱力がとか、そういうことを言っても何か空しい気がするな。
どうも今のワタクシは、トライセラというと完全サレンダー状態になってしまうようです。
(ほんとうに、ヘンなおばさん!!)
コンフェデレーションズカップ。 日本代表が負けてしまった。コロンビアに。嫌な負け方だった。
それで今日は一日、ムッツリとして過ごした。 監督のことはともかく、選手達のことを考えれば、やはりなにがなんでも勝たなければいけなかった。
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武田百合子のエッセイにこういうときの気持ちを表すうまい言葉がある。 それは“墨汁を飲んだような気分”というのだ。
去年の6月、仙台でトルコに敗れたときには、胃の底に、ドロドロに熔けた冷たい鉛が溜まっているような気分だった。(熔けた鉛が冷たいなんてことはありえないが)
あのときほどではないけれど、ちょっと似た気分、墨汁の気分だった、今日は。
土曜日で、真夏日で、出勤だった。電車は空いていた。
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仕事を片付けて、午後、新しいCDプレイヤーを買いに行く。 くるりのCDを借りたのはいいけれど、いまうちにはCDウォークマン以外に再生装置がないことに、はたと気が付いたのだ。
それで、このままじゃあいけないだろうということになり、急遽量販店をまわって市場調査、ヤマハのマイクロコンポーネントシステム、PIANO CRAFTのアンプ+CDプレイヤー+スピーカーを買ってきた。
縦置き薄型のヤツとかいろんなのを観たけれど、どれもこれもバング・アンド・オルフセンの安っぽい亜流に見えてね。結局、昔の重厚長大オーディオセットの面影を残すヤマハのに決めた。もう生産中止になった廃番品だけど、音が良かったんだ。
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ところで今日は、電気店へいくまえに思い立ってディスクユニオンへ行き中古盤を漁ってきた。 ザ・ヴァーヴの "URBAN HYMNS" と、アンダーワールド "A Hundred Days Off" の二枚。ヴァーヴは半年位前から探していて、やっと当たりが来たのだ。
で、そのヴァーヴの "URBAN HYMNS"を電気店のCDプレイヤーで実際に鳴らしてみて品定めをしたんだけど。いやー、良かったですよ、体育館のように広い店内に鳴り響く Bitter Sweet Symphony のイントロってのは。買い物忘れてじっと聞き入りそうになったもの(笑)。
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新しいプレイヤーで「くるり」を聴いていて、中に一曲、知っている曲があるのに気が付いた。「男の子と女の子」という曲。 これは二、三ヶ月前、TVの深夜番組でくるりのライヴをやっていて、そのときに聴いたことがある。
私はこの曲を聴きながら何故か泣きだしてしまったりしたので、それで良く覚えていたのだ。そうか、あの曲がくるりだったんだナと思いながら、どうしてあのとき泣いたりしたんだろう、少し飲んでたんだろうかな、などと考えた。
この間サッカーのパラグアイ戦を録画してくれたゲッツ君、この私の新しい同僚がなかなかの音楽好きであることが、ひょんなことから判明した。
判明のきっかけはほんのささいな言葉の切れ端だったのだが、同じような趣味を持つ人間は同類のにおいに敏感なもの。小さな言葉の断片も聞き逃さない。それで、もしやと思って訊いてみると案の定、昨年のフジロック、三日間通しでみてきたのだという。あっらー。 しかもステージ後のパティ・スミスと握手する幸運にまで恵まれたとか。あららー、そらチョットうらやましいぞー。
でもいいんだもんね、アタシは来月ブリッツのパティ・スミス行くんだもん。それから、今年はwireだってあるしさ。 そういうことをさりげなく大人の口調、会社の顔でゆーてみたら、ゲッツ君、目をまん丸くして、マッ、マジっすかぁ!?。一瞬のうちに形勢逆転。ウヘヘヘヘ。
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しかし、そのゲッツ君の口から「くるり」の名前が出たときにはハッとした。 なぜならこの「くるり」、私の友人のクの字(特に名を秘す)のお気に入りアーティストで、彼女からは「くるり、いいですよー」「今度くるり行きましょう」と折に触れて聞かされていたから。でもって、そのたびに私は、そうねーとか何とか言ってのらりくらりとかわしていたんだな。
「くるり、私の友達も大好きみたい。人気あるね」と言うと「聴きますか?貸しますよ。wire大丈夫なひとならきっと聴けると思います」。前門の虎、後門の狼状態に(笑)。 これも何かの縁と、最新アルバムの "THE WORLD IS MINE" を貸してもらうことになった。
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夜。疲労の蓄積からか、右足の指が激しく攣る。激痛。 これは、まじめに“wireへの道”強化特訓をやれということなのか。 嗚呼、何処の門の近くにも猛獣の気配(笑)
ホンダのTVコマーシャルのBGMにデヴィッド・ボウイのLET'S DANCEが使われている。
冒頭の、あの印象的なギターリフは、飛行機事故で早世したブルースギタリスト、スティーヴィー・レイヴォーンによるものだ。
80年代の半ば、LET'S DANCE TOURで世界を回るとき、ボウイはレイヴォーンにツアーに同行してほしいというオファーを出したが断られてしまった。理由は「その日はもうどっかのライヴハウスで弾くのが決まっているから」。
それで日本公演にはレイヴォーンの代わりに、エイドリアン・ブリューという、テクはあるけれども私にとってはなんとなく感情移入しにくいギタリストがやってきて弾いた。私は横浜スタジアムの真ん中あたりからそのステージを眺めていた。凝ったステージで有名なボウイだが、そのときは大きなヒラヒラしたクラゲみたいな形の飾り物が風に揺れていたのが平塚の七夕祭りみたいで印象的だった。
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私がこれまでみた海外ミュージシャンのコンサートのうち、もっとも素晴らしかったのが、レイヴォーンの初来日公演とキングクリムゾンのデシプリンツアー日本公演で、これらはいずれも80年代半ばの出来事だった。
このふたつの“強烈な経験”は私のライヴ体験における東西両横綱であって甲乙つけがたい。でもって、その当時キングクリムゾンで、ロバート・フリップのご下命によりギターを弾いていたが例の(バカテクだけど感情移入しにくい)エイドリアン・ブリュ−なのだった。
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そんなこんなで。くだんのホンダCFが流れるたびに80年代の私的記憶がよみがえってくるのだが。
回を重ねるうちに、レイヴォーンは死んじゃったけれど、エイドリアン・ブリューの方はいまどうしてるのかななんて(感情移入しにくいギタリストなのに)考えている自分を発見したりして、なんだか可笑しい。
やっとキリンチャレンジカップ、パラグアイ戦を観ました。ゲッツ君、ありがとう!
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それでですね、なにか気の利いたことを書こうと思ったけれど、ちょっと難しい。FWはもう若手にしたらいいのに、大久保+中山(悟)で、とかそんなことしか書けない。
それで、今回は戦術音痴の私にかわって、詳しい方の書いた非常に面白い文章をご紹介しますので、こちらをドウゾ!
(リンク快諾してくださってメルシー、ネギさん!)
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これだけだとちょっと寂しいので、そっくりさん画像付きVer.をやりますよ。
◎ 徴兵で髪を切ったアン・ジョンファン → 巨人の河原投手(入団した頃)
(同じ事を2日にも書いていたことが判明。ガチョ〜ン。チマリス、何故このネタがそんなに好きなのか)
そのサイードの本を、鶏屋に忘れたですよ(ガチョ〜ン)
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それで、横浜の父の家へ行った帰りに有楽町再訪。 昨夜の店をたずねてみると、あった、ありましたよ、三省堂の袋がふたつ。エガッタ〜。
・・・・アレ?
お店の人に「片方は違います。私のはこっちだけ」と一方を受け取り拒否しようとしたら「あのぅ、お連れ様のものでは…」。そういう店員さんの眼鏡の奥の目が笑っている。
私、「アレ?もしかしたら彼女のかなぁ。あの、あの、一緒の場所にありましたか?」。すると店員さん、きっぱりと、「ハイ」。
ダメじゃん、クルミちゃん。わたしらしっかり、忘れ物ダブルスよ。
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たしかに昨日は少し飲み過ぎた。それで朝から、一日中お茶だの水だの飲んで過ごした。鶏屋で受け取った本の袋を提げて東京駅から京葉線に乗るとき、キオスクで温かいおーいお茶を買って飲んだら、お、やっとワイン抜けたゾという実感があった。
一週間の仕事を終え、久々に有楽町でクルミ嬢と食事。
最初銀座方面へ出たのだけれど、金曜日の夜八時ではどこも満員、外に行列。しかたなくJR有楽町の高架下まで戻って鶏料理の店に入ったら、これがビンゴ!
キリッと冷えたシャルドネを二人で一本。旨い鶏と一緒に胃袋へ流し込み、梅雨時の鬱陶しさを吹き飛ばす。おりしも本日は13日の金曜日。「13は私のラッキーナンバー、きっと楽しいことがあるよ」と彼女を誘った甲斐があったというものだ。
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ところで。今年の三月頃、錦糸町方面で彼女と連日“放課後活動”に精を出していた頃、こんな会話があった。
彼女がカメラ付き携帯で撮ってくれた写真を私がこのジャーナルにアップしたりして遊んでいたときのこと、クルミ嬢が何の気なしに「やっぱりこういうネタが一番気楽だし、面白くて、いいですよね」と言ったのだ。
それに対する私の答えは「でも、お気楽で笑えるだけのものをやっていてもつまらない。せっかく誰の指図も受けずに自分の自由で始めたことなのだから、たとえ人が面白いと思わなくても自分が書きたいと思ったことを書く。そうでなかったらやっている意味がない」。
もちろん彼女の言いたいことはわかっていたつもり。要するに“こういうのって楽しいね!”と言いたかっただけで、そんなシリアスな話をするつもりではなかったのに決まっている。それなのに、私ときたら。まったく、こういう頑固でかわいげのないオンナと、よくまあ、今までつきあってくれたものだと思う。
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ところが、今日飲んでいるときにクルミ嬢がこんな言葉を口にしたのだ。 「レオナさん、あの掲示板の“私はやめません(あははー)”ていうの見て安心しました」って。「うれしかったです」って。
先月の中旬から一時期、掲示板上でイラク攻撃がらみの議論が紛糾(というほどのものでもない。そもそも議論にすらなっていない)したことについてハラハラしながら見守っていたという彼女。きっと私がオトナシクなっちまったりしたらどうしよーつまんなーいと思って心配してくれてたんだな…
で、この言葉にちょっとばかりジーンときてしまったチマリス。「どもども、アリガト」などと言いながらシャルドネを一口…、と、そこへ畳みかけるようにクルミ嬢、「あのですね、ワタシ、ひとつ提案したいことがあるのですが」。
彼女の提案とはこうだ。 8月末に一緒に参加予定のイベントwire03、このオールナイトのイベントを楽しみ尽くすにはかなりの体力造りと体調の維持が必要なのだが、その努力の過程を“wireへの道”としてこのジャーナル上で連載せよ、というのである。はーあ。
で、私は即座にこう答えたんだ。「いいよ、やる!」。 私をこうまで素直にさせたのは、友情か、好奇心か、はたまた単純なワインの酔いか。(なんかよくわかんないけど、とにかく、ヤルです)
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本日、有楽町三省堂でサイード本、二冊購入。
「イスラム報道 (増補版)」 みすず書房 「パレスチナへ帰る」 作品社
2003年06月12日(木) |
石川直樹とエリア・スレイマン |
きのうエスクァイアをみながらとってきたメモから。
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石川直樹という若き冒険家、このひとはエベレストでも6400メートルくらいまでは本を持っていく(!)というつわものなのだが、彼に5万円渡して青山ブックセンターで買い物をしてもらうという企画ページから。
なにしろ、彼の選んだ本が素晴らしい。チマリス、思わずメモ帳をとり出してしまった。以下、書名を箇条書きでご紹介します。
「砂の本」 J・L・ボルヘス 「幸福な無名時代」 G・マルケス 「テレピン月日」 大竹伸朗 「文化の窮状」 ジェイムス・クリフォード 「CIVIL OPERATIONS」 ウォルター・ニーダーマイヤー 「地上にひとつの場所を」 内藤礼 「スーパーフラット」 村上隆 「フィッシュ」 J・デリダ 「ベンヤミンコレクション 1&2」
…こんな冒険青年ありなのかと溜息が出るようなラインナップ。 デリダ、マルケス、ベンヤミンの間に大竹伸朗と村上隆(アート系)がきちんと挟まっているところなんか、本当にニクイ。 マルケスは「幸福な無名時代」を選んでいるところが渋くて、要するにこれは「族長の秋」「百年の孤独」あたりはもう読んじゃったってことなんだろう。
私はまったく知らなかったのだけれど、内藤礼という人はアーティストでインスタレーションなんかをやっているひと。「地上にひとつの場所を」というのはその作品展の写真集らしい。 「CIVIL OPERATIONS」というのも、写真集(洋書)。 この“見る”と“読む”のバランス感覚に親近感を覚える、などと書いたら生意気ぬかすなと叱られるだろうか。
(あー、デリダ。ひさびさに読みたくなってきた)
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もうひとり、エリア・スレイマンという映画監督についても。
彼は1960年イスラエル、ナザレの生まれ。昨年「D.I.」というパレスチナ映画でカンヌ国際批評家連盟賞と審査員賞をダブル受賞した。 他に91年「戦争の終わりのための序章」、93年「消滅の年代記」などの作品があるらしい。 私は特に、レジスタンスだった父親をモデルに作ったという「消滅の年代記」という映画に興味があるのだが…
この人は82年からニューヨークに住んでロックミュージシャンをしていたというのも面白い。(93年にナザレへ戻ったそうだ) 「D.I.」はイスラエル人とパレスチナ人の恋愛を描いたコメディだというのだが、はてさていったい、どんな映画なのだろうか。
仕事帰りに某家具店へ。念願だった一人掛けのソファーを注文する。
以前から幾度となく訪れていたその店では、革の色を選んで注文してから張り上がるまでに二ヶ月かかるということだったので、早く決断しないといつまでたっても椅子に座ることが出来ないということになる。 思えば私が仕事を始めた理由のひとつは(肉体的に)ラクチンに暮らすための家具がほしいというものだった。特に椅子やソファはその筆頭。
それに、現在私は往き帰りの通勤電車のなかでまったく本の読めない状態(超満員)なので、家でゆっくり読書に没頭できる自分だけのソファが一日も早くほしい。オーダーした革の色は白。配送予定日は8月9日だ。待ち遠しい。
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某銀行のロビーにて。エスクァイヤの6月号に面白い記事発見。一生懸命メモをとってきた。
ひとつはとても若い冒険家で、とてつもない読書家でもある石川直樹のこと。もうひとつはエリア・スレイマンという映画監督のこと。このスレイマンというひとはパレスチナ人なのだ。
エスクァイヤを読む私の目の前には、大きなTVのフラット画面があり、ちょうどセルタ×レアル・マドリーの試合が映し出されていた。だから私は雑誌を読んだりメモをとったりサッカーを観たりで、とても忙しかった。
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