Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEX|past|will
2003年06月08日(日) |
リケルメ・サビオラ・アイマール |
キリンチャレンジカップ、日本×アルゼンチン、面白かったですねえ。 結果は1−4で惨敗、日本はモモコの不思議な頭による一点どまりでしたが、リケルメ、サビオラ、アイマール等によるフレッシュなアルゼンチン代表はなかなか魅力的でした。
これまでサビオラが代表としてピッチに立ってもなかなか生き生きとした動きをみせられなかったのは、バティ、クレスポはもとより、ベロン、シメオネ、オルテガなんてこわいオニイサンたちに周りを囲まれていたから。確かにあれじゃ萎縮するなって方が無理だよ、なーんてことを思いながら観ていました(笑)
個人的にはリケルメのFKに感動した。ダイレクトでは入らなかったけれど、敵の頭を越えて味方の足元にポトンと落ちたあのボール。一瞬虚を突かれたあとで、ああこの人はユースとかトレセンとかいうシステムとは無縁の、ボールだけを遊び道具として育った子供だったんだなという思いが強くして。ジワ〜ッとくるものがありました。
--
ところで先週、海外から3チームを招いて行われた親善試合ですが。
浦和×フェイエノールト、なごやかな良い試合でした(引き分け)。 C大阪×パルマ、大久保ガッツみせた良い試合でした(引き分け)。
ところが、仙台×キエーボはちょっと違ってた。 オイッ、仙台ってこんな凄いチームだったんか、キエーボ全員顔つき変わってるじゃないか(特にデルネリ監督)。 で、やっちまいましたよ仙台まさかの勝利。ビアホフの引退セレモニーまで含めて、見応えのある素晴らしい試合でした。
ああいう試合を観てしまうと、もう日本も若手で行こうよ!という気になります。佐藤や根本といった選手たち、まじ熱いし、巧いし。観てるこちらまで湯気が出そうになったもん。本当に2006年のWCを考えるのなら、この時期、中山ゴンちゃんをアルゼンチンにぶつけても意味ないんじゃないの? --
さて。もう気付かれた方もあるかと思いますが、トップページのカウンタ下にイラク戦争に反対するサイトへのリンクを張りました。
このサイトを発見したとき(今日、ですが)私は本当に安堵の溜息をつきました。もう私の舌足らずでグルグルした説明で読んでいる人を煩わせる必要はなくなった、と思って。
このサイトはイラクボディカウントにもリンクされているし、年表も整備されています。あと思わず笑ってしまった(扱っているのは笑い事ではないのですが)のは、この10項目のチェックリスト。ぜひ一度訪れてチェックしてみてください。そして管理人さんの主張を読んでみてください。
(ETVスペシャル、『バクダッド日記─イラク戦争とインターネット』の第二部については明日以降更新いたします。)
2003年06月07日(土) |
ムーア監督の自己演出 |
米国防総省の国防情報局(DIA)が昨秋、「イラクに化学兵器が存在する有力証拠はない」という報告書をまとめていたことが分かった、そうだ。(→ソースはこちら)
ま、そんなこと、今さら誰が驚くかい!と思う今日この頃なのだが、本日はボウリング・フォー・コロンバインのマイケル・ムーア監督について、書き残していたことを書いておく。
--
“監督のマイケル・ムーアがC・ヘストン氏の自宅の柱に、銃の犠牲となった6歳の少女の写真を立てかけて俯きながら立ち去るシーンで思わず引いてしまった”という意見を某掲示板で目にして、思わず、あーそれ私もー!と叫んでしまった。
あのシーンのムーア監督の自己演出は、知性で巨悪を告発するジャーナリストの行動というよりセンチな女子中学生という感じで、すごく違和感があったので、妙に印象に残っている。
同じようなことを最近、彼の著書『アホでまぬけなアメリカ白人』を立ち読みしたときにも感じた。 どうも、マイケル・ムーアという人は世の中の不正や欺瞞に目を向けさせるというよりは、それを大胆に暴く自分という人間に注意を集めたい人ではないかと、どうしてもそういう印象が拭えないのだが。
--
コロンバインを観てから暫くして、チョムスキー『メディア・コントロール』という本を読んだ私は、もしかしたらムーアもチョムスキーを読んだのかな、と思った。怒れる賢老チョムスキーの権力批判と暴露っぷりのすごさは、嫌でもコロンバインのムーア監督を思い出させるからだ。 さらに少し前、ムーアの次回作のテーマが911テロ(ブッシュ政権が911をいかに巧く利用しているか)だと知ってからはよけいにその感を強くした。
でも、どうだろう。 たとえばチョムスキーの『メディア・コントロール』を読むと、書物そのものが読者(つまり私)に、自ら検証することを強く求めてくるのをビシビシと感じる。これはノンフィクションにしろ小説のようなものにしろ優れた作品に共通した性質で、読み終えた読者の行動にまで影響を与える力を作品そのものが内包しているということなのだ。
しかし『アホでまぬけなアメリカ白人』には、その手の迫力、読み手の生活にまで爪をかけられる感触というのは無かった。 おもろいオッサンが歯に衣着せずに書いた暴露本、ちょっと硬派の雑学満載本という印象を受けた。この違いはいったいどこから来るのだろうか?
あるいは、書き手はテーマを選んで書いているつもりでも、書かれる内容(テーマ)というものは、書き手や文体を厳しく“ふるい”にかけるものなのかもしれない。出来上がった作品はこの点に関して、正直に語る。
--
マイケル・ムーアは本当に次回作で、911を通してブッシュ政権批判をするつもりなのだろうか。 もしそうだとすれば、観たくないなー、間にあってるよという気持ちと同時に、いったいどんな作品になるのだろうという(下世話)な興味もある。
が、いずれにしてもそれより先に“本家”チョムスキーの『9.11』(渋谷アップリンクでアンコール上映中)を観てこようと思っているところだ。
wire03のチケット、二次予約に当選した。
--
あんまりうれしいので、今日は、唐突にそっくりさんをやりますよ。
◎ 兵役のために髪を切ったアン・ジョンファン → 巨人、河原投手
…やぁこりゃ、久々のヒットでないかい(自分でゆーな)。
日韓戦でしたが。なんだか意味不明だったですね、今日の試合は。 負けてもクヤシイというより、あれじゃ負けてもあたり前ってかんじDeath。
--
韓国に負けたのもアレなんですが、もっとスゴイ悲劇がわが身に…
おとといCL決勝を録画したテープの頭の部分に、今日の日韓戦を録画しながら観ていたのですよ。 途中いいところでお台所に立ったりして見逃したりしてはイケナイと思いましてね。たまにこういうことするんです。
で、ああいう試合内容だったから途中で止めてしまってもよかったのに、そのままにしておいたのですね、REC状態に。 でもって、そのまま試合が終わってもREC止めるの、忘れてしもたんですわ。そしたら、どーなります?…とうぜん消えますわね、CLの決勝戦。 うわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜ん! オールドトラッフォードでのCL決勝戦消失!!
アン・ジョンファンのゴールシーンを残して、デル・ピッポ対決は消失て。 これ以上の悲劇がどこにある。
今日はもう寝ます。(ショボ〜ン)
2003年05月29日(木) |
CL、優勝はミラン! |
チャンピオンズリーグの決勝戦、夜中の三時半からTBSで放送するというので、ビデオのタイマーをセットして寝た。
といってもうちのビデオのタイマー予約機能は数年来壊れたまま(リモコンの受光部が壊れている)なので、1時頃、適当なテープを放り込んでクィックタイマーをかけておいた。クィックタイマーはリモコンを使わずにビデオ本体についたボタンを押せばかかるのだ。 5時間半かけておけば、テープが2時間半まわったところから先にCLの決勝戦が録画される、と、計算ではそういうことになる。
--
朝起きて、とにかく結果だけでもと試合の終わりの方を再生してみたら、スコアは0−0。 ややや、と思っているうちに延長戦に突入。 しかし延長戦でも決着がつかず、ああああー遂にPK戦…!というところで無情にも放送は終わっていた。録画のセット時間が尽きたのではなくて、TBSの放送時間の枠が尽きてしまったのだ。ガーン。
蛇の生殺し状態でテープを止めたところへ、TVのニュース映像。そこにはマルディニ兄貴が輝く優勝カップを頭上高く掲げている姿がっ。 なんとなんと、PK戦を辛くも制したミランがユヴェントスを破り9季ぶり6度目のCL優勝を果たしたのでありました。 イェ〜イ、イェ〜イ!(←踊っておりマス) ついにやっちまったなぁ。オメデトウ!ピッポにシェヴァにガットゥーゾ、マルディニ兄貴。 イェ〜イ、イェ〜イ!(なにやらクルクル回っておりマス)。 (やっぱり私に星明子のまねはムリでした)
--
ところでCL決勝を控えた18日のセリエA第33節、対ボローニャ戦でまたしてもPKを外してしまったピッポ・インザギ。このときアンチェロッティ監督は、もしCLでPKを与えられたらピルロに蹴らせる、他の選手にはボールに近づくことすら許しません、と語ったそうだが(アハハハハ)。
その言葉通り、オールドトラッフォードのPK戦ではピッポは“ボールに近づくことすら許してもらえなかった”模様(笑)。最後にPK決めたのはシェフチェンコらしいですが…
とにかくまだ録画した試合の方を観ていないので、これから時間を作ってゆっくり観てみようと思っております。楽しみです。
2003年05月28日(水) |
シャルロット・ゲーンズブール |
いま書店に出ているフィガロジャポン最新号の表紙のひと、誰かと思ったらシャルロット・ゲーンズブールだった。
目のまわりをシャドーで真っ黒に塗って、とてもあの彼女(『生意気シャルロット』に主演した女の子)と同一人物とは思えない。オンナは化粧でここまで変わるというわかりやすい実例。
一緒に写っているのは夫君のイヴァン・アタル。つまりもうすぐ日本でもアタルが監督した夫婦共演作『ぼくの妻はシャルロット・ゲーンズブール』が公開になるという、そういうことなのだ。
観に行くつもりでいるけれど、この映画2001年制作なんだから日本でももう少し早く公開してほしかったなあ。 --
一日がもうあと三時間あったらなあ、と思う日が続いている。 寝る前に突起のついた板を踏んで足の裏の反射区をよーく刺激してから、グラス一杯のワインを飲んで寝るのが最近の習慣。
ワインはラベルに雉の絵のついた LE FAISAN というフランスの赤。毎週金曜日に駅のそばの小さな酒屋さんで買ってくる。フランスの、などと言っても一本700円の安ワイン。お気に入りで、数年来家ではずっとこの“雉ワイン”しか飲まない。
ところで、このワインの名前、 LE FAISAN とはどんな意味だろうとずーっと思い続けていて、ずーっとそのままにしてあったのだが。それを、とうとうさっき辞書で調べてみた。
もしかしたら“雉”という意味だったりて、などとと思っていたのだが、結果はズバリそのまんま、雉という意味でした(落ちない)。
これが LE FAISANのラベル。色鮮やかな水彩で描かれた雉の画。 そういえば以前友達からRaffaelloというイタリアワインをもらったことがあって、 そのラベルには少年ラファエロの顔(鉛筆画)が描かれていた。 綺麗なワインラベルって、あるものですねえ。
2003年05月26日(月) |
イラク戦争とインターネット |
昨夜のETVスペシャル『バクダッド日記─イラク戦争とインターネット』、大変面白かったです。
--
内容はおおきく三つに別れていて、第一部がイラク戦争の開戦以前から公開されていたイラクの青年(HN:サラム・パクス)の日記の紹介。 この日記は英語で書かれており、欧米で多くの人に読まれた。3月だけでそのアクセス数は50万。米国の読者とのメールによる意見の応酬などもアップされており、イラクという国の情報について飢えている欧米の人々が多く訪れたと言われている。
フセイン政権には批判的で、戦争になったら必ず負けるとまで看破していたサラム・パクス。彼は“フセイン政権を倒すために戦争が必要だ。でもあなたの無事を祈っているということは信じてほしい”という米国人のメールに対して、座って死を受け入れることは出来ないと、激しく反論している。また他の米国人からのメールには、僕たちはアメリカに何かしてくれと頼んだ覚えはない、頼むから出ていってくれ”と強い調子で訴えている。
開戦前日、ホームタウンの最後の姿を目に焼き付けようと友人と町をドライブしたサラム・パクスはその後もHPに戦争の様子を書き続けていたが、3月24日、電磁波爆弾の投下と同時に更新は途絶えてしまう。 が、サラム・パクスの日記は戦争終結後に復活、未公開だった日記も含めてふたたび閲覧が可能になったそうだ。
--
リンクを貼っておきます。『サラム・パクス』の日記へはこちらから。
--
この番組は戦時下の情報操作、メディアコントロールという状況でインターネットがどのように機能したかということについて検証していた。
イラク戦争について、本当のことを知りたいと思うひとたち、TVや新聞の一方的な報道に飽き足らなくなった多くの人たちが情報を求めてインターネットにアクセスした。またそれに呼応して多くの一般人が、インターネットを使って生きた情報を発信した。そういう新しいメディアを通じて行われたコミュニケーションについての考察だった。
(同番組の第二部『イラクと米国の小学生によるTV会議』、第三部『空爆下の友から届いたEメール』については追ってご紹介します)
16日のジャーナルに『ベッカムに恋して』のことを書いたら、それを読んだ方からメールをいただいた。そこにはこう書かれていた。
“「ベッカム」にでてくるのは最近英米で売り出し中のキーラ・ナイトリーではないかと思うのですが・・・・ウイノナ・ライダーではなくて。”
さっそくこのまえリンクを貼った公式サイトへ飛んで確認したら、やはり、ウィノナ・ライダーではなくキーラ・ナイトリーと書かれていた。 アッタァー!『ベッカムに恋して』で二度ベックリ。てか、あの、あの、ウソ書いて、すんまそーーーーん!
--
とにかく。私は映画の間中、あの彼女はウィノナ・ライダーだと思って観ていたのだ。そうかたく信じて、毛ほども疑わなかった。
でも、ま、三田選手をドリカム中村、茂庭選手をチャゲと書くようなひとですからね私は。ついでに書くと、森岡隆三は井筒監督、とかね。(開き直る気か)
--
さらに悲しいことに、どうしてもキーラ・ナイトリーという名前が頭に入らない。覚えられない。キアヌ・リーブスとキアラ・マストロヤンニまでは何とかなったんだけど。
(あ。Jの若手選手の名前に領域のほとんどを使用中だから、他に入る余地がないのか)
いずれにしても、メールをくださったMさん。感謝してます。 “私の記憶違いか、日本での公開版が違うのかもしれませんけど”なんて書いてくださって、なんというやさしいお心遣いでしょうか。 本当にありがとうございました。
2003年05月19日(月) |
チマリス・ア・ゴーゴー |
トライセラトップスのチケット、プレオーダーに当選。
当たってから言うのもなんだけど、6月24日って思いっきり平日じゃん。大丈夫なのか。本当に7時にシブヤAXへ行けるのか。
--
トライセラのあとは7月にオリジナルラヴとパティ・スミス、8月末にwire03(夜通し踊ったる)としばらく楽しみなライヴが続く。
--
行くもんね。こうなったら行っちゃうもんね。君知るや、谷岡ヤスジ。アヘアヘの鼻血ブー。
午後まで仕事して、そのあと横浜の父の家。 この頃ばかに寒いので、味噌煮込みうどんなど作ってみた。
--
父の家で、浦和×G大阪を観る。 終わってみれば4−4。最後の最後までドキドキ、たくさん点が入って面白いといえば面白い試合だった。
しかし凄かったなあ… 田中達也、永井雄一郎、鈴木啓太、坪井恵介…ほんと凄いよ。よく覚えたもんだ若手の名前。
は? いや、だから私の記憶力のはなしなんですが。随分覚えたでしょう若手の名前。 ガンバの方だって知ってますよー。ナニワのゴンといえば中山悟志だもんね。新井場徹だっているもんねー
--
応援していますよ、U-22。 アテネ五輪も、チマリスにまかせてください。(まかせるって何をだよ)
|