Leonna's Anahori Journal
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仕事を終えてから銀座へ映画『ベッカムに恋して』を観に行く。
この映画、もうずいぶん以前に特別鑑賞券を買ってあったのだが、昨夜ふと思い立ってネットで調べてみたら16日(つまり今日)が最終上映日だというではないか。あら大変、ベッカムに恋してでベックリ。(おもしろくない)
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主人公はイギリスに住むインド人の女の子。ベッカムの大ファンで、自分もベッカムのようなサッカー選手になりたいと思っている。実際、彼女はサッカーの才能に恵まれていて、相手選手を翻弄するドリブルの技術はなかなかのもの。
そして。その主人公が公園で草サッカーに興じる姿に目をとめ、女子サッカーチームへ誘うリーダー格の女子選手役を演じるのがウィノナ・ライダー。インド人の女の子も良かったけれど、このボーイッシュなティーンエイジャー役を演じるウィノナ・ライダーがとっても良かった。 最近私生活ではスキャンダルまみれであまり良いことのない彼女だけれど、こういう役をやらせると、ホント、最高に可愛い。
ウィノナは、ジム・ジャームッシュ監督『ナイト・オン・ザ・プラネット』で演じた可憐なタクシードライバー役も凄くよかったけれど、今度の女子サッカー選手役はあれと双璧じゃないかしらん。
あと、女子サッカーチームのコーチ役がジョナサン・リース・マイヤースって、『ベルベット・ゴールドマイン』でデビッド・ボウィもどきのグラムロックスターを演じた彼だった。相変わらず、すごーく痩せていた。
主人公の家族と親類縁者等、インド人が大勢出てくる映画だけに音楽にもインド風のアレンジが大胆に取り入れられていて、いつもの私だったら「カァ〜ッ、インドカレー食べたいッ」となるところだが、さすがに今回、その元気はなし。一週間べったり仕事だったし、明日も会社だし。
-- あ、そうそう。 サッカーといえば今年のCL、決勝戦はユヴェントス×ミランに決まりましたね。CLファイナルが、デル・ピッポ対決。いったい誰がこんなことを予想し得たでありましょうか?
しかし、今季ユヴェントス大躍進の立て役者ネドヴェドは痛恨のカード累積で次は出場できないとか。 でもさ、こういう“誰かが欠けた”ときのユヴェントスって強いんだよね。
いずれにしても私はミランの応援はしない。もうこれ以上ガッカリさせられるのは御免だからね。 無難に「ユーヴェじゃないのぉ?」と言っておく。でもって、万が一ミランが勝ったら柱の影から顔半分覗かせながら泣く。 「おめでとう、シェヴァ、ピッポ、ガットゥーゾ…」かなんか呟きながら。(ガットゥーゾってところがシブいわけです)。
イラク攻撃で使ってみたのだそうだ。その名もヘルファイア(地獄の業火)。いやはやまったく、付けも付けたりこの名前…
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一日一回、必ずチェックするのがココ。 このミニマムの数字、私が草津へ行く前に初めてみたときはまだ2000を越していなかったと思うのだが…
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おとといサウジアラビアでおきた爆弾テロ。 パレスチナ問題の仲介役として中東を訪れ、ちょうどサウジにいたパウエル米国務長官は「やり方からみてアルカイダではないか」と即座にコメントした。
同じ自爆テロ(結果的に犯人も死傷)でもアルカイダのような組織が計画的に行うテロと、抑圧に耐えきれなくなった個人が他に方法を見いだせないまま死をもって訴える自爆では、その動機も目的も違っている。だから、犯行声明の有無ややり口から、犯人象や目的等を個別に把握することはとても大切なことだ。 そうでなければ私たちは、いとも簡単に“中東=テロリストの巣窟”という図式を自らの頭に刷り込んでしまう。
もちろんどんな背景や動機がなんであれ、自爆テロは“悪い”。しかしあのテロとこのテロが根本のところで同じか違うかというのは非常に大きな問題のはずだ。つまり、私が言いたいのはこういうことだ。 果たしてイラクは“テロ国家(もしくはテロ支援国家)”だったのだろうか?
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大量破壊兵器はみつからない。非道な独裁者は戦わずして逃げてしまった。アルカイダやビンラディンとの関係も特定できない。生物化学兵器で多くのクルド人を虐殺したと皆声高に叫ぶけれど、その時代にイラクを大々的に支援していたのは他ならぬ米国だったんじゃないのか?
イラクへの先制攻撃は、テロを叩くためというのが当初の理由だったはずだ。「テロ」「ジハード」「悪の枢軸」といった刺激的な言葉で国民の恐怖をあおって、イラク攻撃の諒解をとりつけてしまったブッシュと米国。 でも結果的に叩きのめされたのは、本当にテロリストたちだっただろうか?
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どうしてこの時期にパウエルがパレスチナ問題の仲裁で中東にいるのか。 どうしてこの時期に復興人道支援室のガーナーが解任されて、新しく文民行政官のブレマーがイラクへやってきたのか。
不謹慎な言葉かもしれないが、私はいま興味津々なのである。中東をわがもの顔で歩き回る米国人たちの行動から目が離せない。
2003年05月14日(水) |
象さんのマッサージャー |
なんだかんだいっても、新しい環境ではけっこう緊張する。 連日夕方になると、肩はこり足はむくみ、目の奥が痛い。
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夜寝る前、ピンク色の象さんで、足首からふくらはぎをマッサージ。 樹脂製の突起のついたタイヤでコロコロしたあと、NEAL'S YARDのウォーミングオイルを手で擦り込む。 これで足はすぅーっと軽くなる。
私は気が小さいから、最初のうちは疲れるけれど。でも慣れてしまえばこっちのもんだ。 もう暫くは象さんをコロコロしながらがんばろう。(部屋中にジンジャーと杜松のいいにおい)
バス用品の店でみたとき赤ちゃん用のオモチャかと思った。
やっぱり、こうなってしまいました。
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ユーヴェが優勝すると何が嫌だって、あそこの選手は勝っても脱がないんだよ。 去年もそうだったけれど、歓喜爆発!もってけ泥棒的に、ユニフォーム脱いでポンポーンと放る、なんてことはあまりしない。私はそれが寂しい。
ファンもファンで、ピッチになだれ込んで選手のパンツを脱がすとかそういうことはしない。選手、ファン、双方がスクデット慣れしてる。
やっぱ違うやね、ローマとはね…(しみじみ)
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しかし、最後の最後、ロスタイムに同点に持ち込んだペルージャは根性みせたじゃあないか。エライよ。
それにひきかえ、どうなの、ミラノのチームのへたれっぷりは。 は?どちらのミラノのチームか? 両方だよ、両方! ったく、CLまで仲良く引き分けてからにもぉ。次は白黒つけるよーに! --
◎今日の主張: 私は脱がなかったから怒っているのではない。 脱いだのがディ・バイオだけだった事を嘆いているのでもない。 ただミラノ勢が不甲斐なさ過ぎた、と言いたいだけだ。
リンク頁に素敵なサイトを追加しました。以下の2件。
・Montreal Life ・river's edge
この2件、なにが素敵だって、両方とも管理人さんの頭が明るい! 書かれたものを読んでるとコチラまで明晰になったような錯覚に陥ります。 本当に明るくなってるのは“気分”だけなんですが(笑)
あと両方ともブックレヴューがすんばらしいんですよ。 ウチとこももうすぐ三万ヒットなので、これを機会に読書サイトに特化しようかなーなんて事も考えていたのですが、やめたくなった(笑) こういう書評読んじゃうとねぇ。「読み手に徹するのも悪くないかも」なんて思ってしまいます。
特にriver's edge、艾梵さんの斎藤美奈子『紅一点論』、真にオットコマエの女が考えていることってのはこうなんです。この思いやりに、泣きなさい!(笑)あと太宰の『斜陽』ね。これには死ぬほど笑わせていただきました。
今回追加した2件や Munich Life、こういうサイトのブックレヴューを読んじゃうと、プロのレヴューでもつまらないものは読めなくなりますね。 --
くるみ嬢と待ち合わせて、有楽町〜幡ヶ谷〜新宿。椅子と机、物色の旅。 私は念願のE.W.サイードの本、三冊を購入。
『戦争とプロパガンダ』 『戦争とプロパガンダ2 〜パレスチナは、いま』 『イスラエル、イラク、アメリカ 〜戦争とプロパガンダ3』
すべて、みすず書房刊。
2003年05月05日(月) |
N・チョムスキー『メディア・コントロール』 |
ベランダの薔薇が咲き始めた。いま、蕾が四十個くらいついている。
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父の家へ行ったついでに横浜で購入した本。
『すいかの匂い』『都の子』 江國香織 『花を運ぶ妹』 池澤夏樹 『メディア・コントロール』 ノーム・チョムスキー
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チョムスキー『メディア・コントロール』には日本語で“正義なき民主主義と国際社会”というサブタイトルがついている。集英社新書の新刊で、平台に山積みされていた。
この本の後半には日本版プレイボーイに掲載された辺見庸によるインタビューが収録されている。これはインターネット上でも一部公開されていたものだが、こうして改めて全部通して読むとスゴイ。家まで待てずにインタビュー部分だけ、帰りの電車の中で読んでしまった。
チョムスキーはこの中で「アメリカはおそらく世界一自由な国だ」と言っている。政府はできるものなら言論を統制したいと願っているけれども、その力はないのだと。つまり言論の元は絶てないから、メディアをコントロールするわけだ。そして、問題はそのコントロールと“闘わない知識人”にあると言うのである。
本書を読めばわかるが、米国の情報公開は意外なくらい進んでいて、知ろうと思えばかなりのことを知ることが出来る。(このことはイラク攻撃をめぐって内外で制作されたドキュメンタリーを何本も見た結果、私もなんとなく気づき始めてはいたのだが)
たとえばこのインタビューでは、アメリカによる宇宙の軍事化について語られているが、この計画はすでにクリントン政権時代に情報公開されているそうだ。それを受けて99年以来毎年国連総会で外宇宙条約(この条約により宇宙の軍備は禁止されている)が再確認されており毎回満場一致で可決されている。ただし、アメリカとイスラエルだけは棄権し続けているのだが…。(つまり棄権者を除いて満場一致、とうわけ)
こういった政府の活動に関する文書は膨大にある。そのなかにはインターネットでみることができるものもある。なのにこういう非常に危険な事柄に関してアメリカ国内でさえ、まともな報道がない。ボストンの道端やハーヴァードの学生ラウンジでインタビューしたって、学生は誰ひとりこのことを知らないだろう、“公表”されているにもかかわらず…そうチョムスキーは語るのだ。
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知識人の腰抜けぶりに対する彼の批判はまことに仮借のないものだが、インタビューの最後に来て、その舌鋒は日本人対しても向けられた。
曰く、日本の戦後復興(富の蓄積)はなにによってなされたか、そこをもう一度よぉく見つめ直す必要があるのではないか、と。 曰く、東京にいてアメリカ人を批判するのは簡単だが、日本人が今すべきことは東京をみてみること、鏡を覗いてみる事なのでないか、と。 とどめに、そうしたらそれほど安閑としていられるのでしょうか?、と。
こういう言葉を(若いうちならともかく)中年真っ盛りになって突きつけられるのはツライ。 What happened is all good.(おきてしまった事はみな良いことである)
これは、シャロン・テート事件の犯人(凶悪な殺人犯)が刑務所にたずねてきたカポーティに対して語った言葉なんだけれど。 チョムスキーを読んだら、我知らず自分もそのように生きていたのではないかという思いがしてきて、さすがに気分はヘヴィーだった。
家へ帰って、ムッツリしたまま玉子炒飯をつくり、ムッツリしたまま食べました。
2003年05月04日(日) |
チョムスキーとサイード |
朝八時からテニスの特別レッスン。コーチを入れて8人で3時間。滝汗。
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いまだにアメリカのイラク攻撃にこだわっている。セリエAの優勝争いもそっちのけで、しつこく考え続けている。だって、やっぱりどう考えてもおかしいんだよ。
イ・イ戦争、湾岸戦争、911テロ、ネオコンの復活と台頭、ブッシュの先制攻撃理論、これらを通して考えたときに「アメリカに正義がある」っていうのは「洗濯ばさみにも脳味噌がある」というのと同じくらいおかしい。
政治のことを深く知らなくても、最近起きたことと、ブッシュの演説(ブッシュ・ドクトリンの表明)を聴けば、こりゃあどえらいことになったゾと思うのはあったりまえだと思うんだけれど。
それから、911テロの前も後も、十年一日のごとく反戦デモなんかやるのは烏合の衆みたいな言い方するひとの鈍感さも嫌だ。そりゃ私だって、知らない他人とつるんで歩くのなんか大っ嫌いだけれど。でもさ、国連安保理もNATOも止められなかった戦争を唯一止められたのは米国民だったかもしれないんだよ?
やっぱりアメリカ国民の戦争支持率70%ていうのがどこか変なのだ。ただ数値が大きいとか、そういうことだけじゃなくて、30%の非戦派との温度差があまりにもありすぎる。 911で「なぜアメリカを嫌うの?」と言った(思った)人たちが、そのナゼを真面目に追求したならば、こんな70%なんて支持率はあり得ないと私は思うのだが……(以下、延々と続く)
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そんなこんなで、ノーム・チョムスキーとE.W.サイードの本をあたってみることにした。
著名な言語学者であるチョムスキーが、911のかなり以前からその著作でアメリカを告発し続けていたことを、私は知らなかった。
そのことを知ったのは、少し前、久しぶりにこのサイトを訪れたとき。いつもは内外の文芸書や好きな作家の既読本のレヴューしか読まないのだけれど、この時期この書名には思わず目玉が吸い寄せられてしまった。
チョムスキーについてはもうひとつ、このサイトの紹介文にリンクを貼っておく。それから、彼のひととなりを知るのに良さそうなインタビュー記事をみつけたので、これも。
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もうひとり、エドワード・W・サイードは草津でBSのドキュメンタリーを観て強い印象を受けた人。TVを点けた五秒後に、この人の本を読まなければいけない、と思った。
サイードについては、少し古いけれど浅田彰氏のこの文章を紹介しておく。 ちなみに現在サイード氏の健康状態は比較的良好のようで、日本でも今年に入ってすぐ『戦争とプロパガンダ』の三作目、『イスラエル、イラク、アメリカ』が出た。
まだ自分も読んでいない本の著者を紹介するというのもアレだけど、興味のある人は、ぜひ。 “外しちゃいないぜ”という、根拠のない自信があります(笑)
サッカー、アテネ五輪予選。ミャンマーとの二戦目。 5−0で快勝という結果に敢えてあーだこーだ言うのは私の任ではないと思う。どちらかというと私の役目はコッチだろう。
◎今日のそっくりさん: FC東京茂庭選手→ チャゲ兄(ちゃげにぃ)
ついでに。一昨日出場したDF三田(新潟)のことをわが家では“ドリカム三田”と呼んでいる。
(あそこでカル手を休止にしたのは正解だったという気がいま強くしている)
2003年05月02日(金) |
カヒミ・カリィ ライヴ “COME FLY WITH ME” |
SHIBUYA-AXにてカヒミ・カリィのライヴ。
表参道でくるみ嬢と待ち合わせて、渋谷へ。まずはチャーリーハウスにて腹ごしらえ。私がチャーリーさんのところでご飯を食べるのは実に二十年ぶりだ。
私たちが五時五分前に店の前へ着くとちょうどお店を開けるところで、店の人が出てきて入り口脇のランプにパチッと灯をつけ「どうぞ」と中へ入れてくれた。新宿の串揚げ屋さんに続いてここでも口開きのお客に。
外はまだ明るいし、初夏のような暑さ。さっそくラプチョン(中華の腸詰め)でビール中ビン(笑)。ラプチョンは初めてだというくるみ嬢に、辛みそをつけてスライスした長ネギと一緒に食べるのよんと教えてあげて、二人で「ウマー!ウマー!」と言いながら食べた。いんやもぅ、最高だったなー、ラプチョン!
で、最後はもちろん、チャーリーハウス特製のチャーシュートンミンで締める。驚いたことに二十年前とまったく変わらない味だった。またしても二人して、ウマー!
へたすればライヴを忘れて帰ってしまういそうに満腹&満足してしまった私たちは「でもカヒミのライヴのまえに腸詰めってどうなの?」とかなんとか話しながらAXへ移動。(さんざん食べて飲んだあとで、どうなの?もないもんだが)
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この日のカヒミ・カリィのステージはアルバム『トラペジスト』のかなり忠実な再現だった。特に印象的だったのは、めちゃうまミュージシャンによる強烈なフリージャズ(ハードバップ)。それと、三面スクリーンを使って映像をながす等の凝った演出。お金がかかっている。
ちなみに、パーカッションは仙波清彦。ジャズに疎い私でもこの人くらいはわかるという有名人。終盤にはものすごい量のシャボン玉が客席全体に降ってきて、あたり一面よい香りにつつまれるという演出も。
個人的に最高だったのは"SLEEP"の、歩き回りながらの朗読。逆にダメだったのは『ハバネラ』(歌劇カルメンの有名なアリア)。フィリッパ・ジョルダーノのひっどいハバネラを聴いて以来、毛色の変わったハバネラというのは、私の中でトラウマになっているのかもしれない。
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ライヴがはねたあとコーヒーを飲みながら話していたときのこと。 「あのー、カヒミって、すごく男っぽいひとなんじゃないですか?」とくるみ嬢。ムム、慧眼。実は私もアルバム『tilt』あたりから以降のカヒミには、とても男性的なものを感じ続けていたのだ。
つまらぬ流行には目もくれず、自分の表現世界に妥協ナシ。些末な現象より本質的なものを、臆することなく手づかみしようとする。しかも決してエモーショナルな方向に流されない。熱くなって自分を見失うということがない。
フェミニンな外見や声と、それを支えている男性的な内面の落差はとても魅力的。表現者であるカヒミ・カリィにとってこれは、大きな財産なのではないだろうか。
2003年05月01日(木) |
カヒミ・カリィ 『トラペジスト』 |
明日、渋谷へカヒミ・カリィのライヴを観にいく。 それで、聴いてから観るか、観てから聴くか迷ったのだけれど、結局最新アルバムの『トラペジスト』を買ってきてしまった。
クレジットをみたら周りの面子は日本人ばっかりで、カトリーヌくらいしかフランス人の名前は見当たらなかった。おそらく最近(いつ頃からかよく知らないけど)はこんな感じでやっているのだろう。
さっそく聴こうと思ったらラジカセが壊れてしまって(グッスン)、しかたなくディスクマンで聴いてみると…
いやー、思ったよりずっと良かった!『トラペジスト』。アルバム世界に深度がある、というのかな。とても感覚的で、その感覚が人間の最深部にある本質的なものと強く強く結びついている。そもそもカヒミって、本質的なものしか興味の無いアーティストだよね。特にここ四、五年の作品にはそういう傾向が顕著。
こういう深い世界をくっきりと出そうと思ったら、今は日本人(スタッフ)の方が上手いのかもしれない。(フランス人てこの手の音楽に関してはなんかツメが甘くないですか?)
-- サッカー、スカパーで戸田の出場したトテナム×マンUの再放送を観ようと思ったら、U−22のアテネ五輪二次予選(対ミャンマー)と時間が重なっていた。 しかたなくトテナムの試合は録画してあとで観ることにする。
五輪予選、日本×ミャンマー、大久保が得点したので、大久保贔屓の私はとてもうれしい。3−0で日本勝利。松井の足の痛み具合が少し心配。
トテナム×マンU、ひたすら戸田の姿を探しては目で追いましたよ。 スコールズの得点シーンではそばにいたおかげで、一緒にブラウン管に収まっていましたが。 要するにおさえる役目なのに振り切られちゃったわけだから、ま、そばにいたのは当然と言えば当然か(笑)。
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