Leonna's Anahori Journal
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2003年02月03日(月) 巌流島

おととい注文した『フランドル遊記 ヴェルレーヌ詩集』、山口の古書店から、もう届いた。早い。
コンディションも良く、装幀もなかなか洒落たきれいな本。表紙には金子光晴自らが描いたモンパルナスの絵が使われていた。

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このまえの土曜日、横浜の父の家へ行ったとき、ちょうどTVで『宮本武蔵』の再放送をやっていた。

それで、主演の市川新之介の顔が立派だとか、宮本武蔵って謎が多くてあちこちに“生誕の地”があるみたいねとか、とりとめのないことを話していたら、父が「そういえば俺は昔、巌流島へ行ったことがある」と言い出した。
驚いて「えっ、巌流島ってどこにあるの」と訊いたら「九州と山口県のあいだ。関門海峡のあたり」との答え。訪れたのは十代の終わり頃で、「お盆を伏せたような平らな小さな島で、岩も何にもないところだった」そうだ。

ふーん…。昔のチャンバラ少年にとっては、やはり武蔵、小次郎の対決の地というのは一度見てみたい場所だっただろうか。父にそうたずねると「うん、まあね」と答えて、ニヤニヤしていた。

今日は節分でもあるので、福豆くらいは食べようと思っていたのだが帰りにケーキを買ったら豆のことは忘れてしまった。
布団に入ってから頭の中で「鬼は外、福は内」とおまじまいのように繰り返してから寝た。
  
  


2003年02月02日(日) 椅子の誘惑

新しいテニスシューズはナイキのやつだ。
でもまだこなれてないので、スキーブーツみたいにかたい。
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テニスの後、輸入家具を扱っているインテリアショップで思う存分目の保養をした。実は私はこのところ北欧の家具に興味を持ち始めているのだが、一昨日の晩、出かけたついでに立ち寄った某家具店でみた家具があまりにもひどいので、すっかり嫌な気分になってしまっていたのだ。

別に輸入家具でなくても、国産だって良いものはたくさんあるし、特別高級なものでなくても値段に見合ったまっとうな商品だったら、私だってそんなにガックリきたりはしない。しかし一昨日見たのは、一見プチブル風を装ったまがい物ばかりで、色もデザインもどこかズッコケている(センスも悪いが、要するに人間工学を無視しているのだ)うえに結構な値段がついていた。

ソファもダイニングセットも総じてそんな感じだったのだが、なかに一脚、わざわざ“北欧風”と但し書きのついた一人掛けのソファがあり、北欧ブームにあやかろうというセコさも含めてその貧乏たらしさといったらなかった。腹立たしいやら情けないやらで、もう二度と来ないッと思いながら店を出るとき、うっすらと涙がにじんでいるのに気がついたのだが、どうやらそれは店内に充満したホルムアルデヒドの匂いによるものらしかった。

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そんな酷い思いをしたあとだけに、ウィンドーの中で下からのライトに照らされて浮かび上がるヤコブセンのスワンチェアーを見たときは、目を洗われる思いがした。

モーエンセンのスパニッシュチェアーの無骨なハンサムぶりを愛で、次にハンス・J・ウェグナーの椅子を一脚一脚見てまわる。最後にデコラティブチェアー(通称Yチェアー:ウェグナーの代表作)に腰をおろしたら、フゥと溜息が出た。お尻の下でしなっているペーパーコードの座面と、なめらかなオーク材の、オイル仕上げのフレーム。

椅子に興味を持ち始めた事は年齢と関係があると思う。身体に無理のかからない、楽で快適な座り心地の椅子にいつも座りたい。デザイン的な刺激や面白さよりも、座り心地優先。そう思ったときに、浮上してきたのがウェグナーをはじめとするデンマークのデザイナーたちの椅子だった。こういう生理的欲求に基づいた執着というのは強い。

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すっかり良い気分になっての帰り道、私は頭の中に、自分の理想のリビングダイニングを思い描いている。現在使っている丸座卓をリフォームしたテーブルにクロスをかけて、椅子はウェグナーのCH25だ。この椅子に座って食事をしながらサッカーを観る。中途半端なソファで場所を塞ぐより、食事もそのあとのサッカー観戦も、くつろげる一脚の椅子でした方がずっといい。

でも、ちょっと待てよ。私の理想のリビングダイニングには猫と犬が各一匹ずつ居ることになっているのだ。CH25は座面も背もペーパーコード張りだから、猫の恰好の爪とぎにされてしまうのではないのだろうか。それに子犬がウェグナーの脚をかじったりしたらどうしよう…
いまだ持っていない椅子、居もしない子犬や子猫に一喜一憂するのが、どうしてこんなに楽しいのだろうか。
 


2003年02月01日(土) 『フランドル遊記』、その後。

このまえジャーナルに書いた金子光晴の『フランドル遊記・ヴェルレーヌ詩集』、bk1で検索してみたがやはり出てこなかった。

そのかわり、息子の森乾(もり・けん)という人が書いた『父・金子光晴伝』という本があることがわかったので、そちらを注文してみた。
プロの物書きではない息子の書いた父親および家族の話というのが、当たればプロの作家が取材して書いたもの以上に面白いということは森類(もり・るい。鴎外の次男)の『鴎外の子供たち』という“当たり本”を読んだ経験から解っている。

この乾という息子さん、三年前に七十五歳で亡くなったそうだが、私がいま読んでいる『どくろ杯』には可愛らしいいたいけな幼児として登場している。
たとえば、夜逃げのようにして住処を転々とする両親につれられて引っ越した先で、近所の主婦が昼寝しているその枕元に裸足で上がり込んだエピソード。きちんと正座して「お客様ですよ」と呼びかけると、びっくりして目をさました主婦に「お客さまですよ。お菓子をください」と言って催促したそうだ。寝込みを襲われたおかみさんは、尋ね尋ね家までつれてきたとき、それでも「ほんとうに可愛い」と、愛らしくてならないといった口上だったという。

金子の息子なのに森という名字なのは母の森美千代の姓を名乗っていたのだろう。

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ところが。

夜、外出先から帰って、Easy Seekで検索してみたら、あったのだ。たった一件、『フランドル遊記・ヴェルレーヌ詩集』を在庫している古書店が。
コンディションは普通で2千円だという。結局これも買うことにして、即購入を申し込んだ。山口県の古本屋さんだった。思い立ってEasy Seekにアクセスしてからわずか十数分間の出来事だった。



2003年01月31日(金) 映画、観てきました。

昨日。

仕事の帰りに渋谷で『デュラス愛の最終章』を観てきました。一瞬も退屈することのない素敵な映画でした。

デュラスの生きた金言名言がダダ漏れ状態で聴けて、しかもそれが発せられるのがジャンヌモローの口から、なんですから。面白くないわけがないです。

笑ってしまったのは初めてヤン(デュラスの最期を看取った38歳年下の恋人)がトゥルービルのホテルにデュラスを訪ねたときの会話。デュラスに「料理はするか?」と訊かれた彼が「まったくダメです」と答えると、「想像力がないからよ」と言われてしまうところ。
なぜなら昔々、私もまったく同じセリフをBFに投げつけられたことがあるから。でも、「あなたがお料理が下手なのは想像力に欠けてるからよ」と言われたその相手がどんな顔をしたのか、どんな返事を返したのかは、もう忘れてしまった。


38歳年下の恋人と聞いて、ワーと思う人も多いと思うけれど、デュラスは気難しいうえにとても正直だったから、そういう人とそういう関係になればワーもへったくれもない。恋愛の究極の相貌には、勿論年齢なんか関係あるわけがないのだ。そういうことが、とても良くわかる映画でした。

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きょう。

昨日。映画の帰りにAfternoon Teaで大好きなフレッシュグリーンティの香りの入浴剤を買ってきたので、それを溶かしたお風呂にゆっくりと浸かりました。
ああー、やっと一週間が終わった。うれしいなー。


2003年01月29日(水) フランドル遊記

うわぁ、さっぶぅ〜い!
会社から帰るなり、お湯を沸かして紅茶を淹れて、ふがふがとチョコレートクロワッサンを食べました。
じゃなきゃ寒いしお腹空いてるし、お夕飯なんか作れませんわ。(太るねこりゃ)

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柴田元幸訳『夜の姉妹団』を楽しく読み終わって、再び金子光晴の自伝三部作(の第一作目)『どくろ杯』を読み始めた折りも折り。机の引き出しの底にへばりついていたクリアファイルの中から妙な新聞の切り抜きが出てきた。

それは『フランドル遊記・ヴェルレーヌ詩集』という金子光晴の本の書評で、金子の没後発見された、1931年妻の美千代を伴ってのフランドル行を綴った文章とヴェルレーヌ詩集の訳稿を一冊にまとめたものだという。平凡社刊で413頁、2900円。

いっしょに出てきたもう一葉の切り抜きがポール・オースターの『ムーン・パレス』(本邦初訳)に関する沢木耕太郎の文章だったから、同時期に切り抜いたものだとすると、金子の発掘本が出たのはだいたい十数年前。この本、恐らく今はもう手に入らないだろう。『フランドル遊記』、夫人との関係が危機的な状況に陥った時期のものと聞けば、またかよ!とうんざりしないこともないのだが、でもやっぱり気になるなぁ。ちょっと調べてみるか…

そういえばポール・オースターも、やっと去年になって、初めて読むことが出来たのだった(『孤独の発明』、『偶然の音楽』)。こんな切り抜きのことなんか忘れていたけれど、結局、だいぶまえからこの人達の本は、私の中で読むことに決まっていたのだという気がする。



2003年01月28日(火) ロマー!セリエA第18節

セリエA第18節は、ハランハランのロマロマだった。

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まずミランがホームではやたらめったら強いウディネーゼに1−0で負けてしまった。アラララララ…、そんなつもりじゃなかったのにね。

でもって、ラツィオもレッジーナに0−1で負けた。どうした、クラウディオ・ロペス。

ペルージャ×キエーボは1−0でペルージャ。頑張れば頑張るほど主力選手を引き抜かれるキエーボ。プロヴィンチャ(中小チーム)の悲しいところだなあ。

極めつけはコモに2−0で負けたローマ(でたー)。ついにエンドレス“ロマロマ”状態か?
この試合、後半の20分過ぎまで観ていたけれどその時点では0−0のスコアレスドロー。こりゃ1点勝負だなと思いながら台所に立って、戻ってきたら2点入れられて負けてた…
カペッロ監督の怒りとあきらめの表情も見応えあったけれど、もっと凄かったのはその後ろにいたカッサーノの顔。「ゴワァー!勘弁してくれよオイ。こんな負け方、がまんできねーぞゴラァ。俺を出せ〜!ウガ〜!」て、そういう顔。オットとふたりで死ぬほど笑ってしまった。

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一方、磐石の勝利組はというと。

ユヴェントス×ピアチェンツァは2−0でユーヴェ。デルピ+ネドヴェドだけでもシブイわ恐いわ手堅いわだったのに、そこへトレゼゲまでもが帰って来ちゃった…。ヒタヒタと、静かに、連覇を狙うユヴェントス。

インテル×エンポリは3−0でインテル。さっそくローマから移籍してきたバティストゥータがスタメン出場。得点したのはビエリだけど(トリプレッタ!)、何なんだろうねバティのあの派手さって…。ビッグクラブの似合う男バティの移籍第一戦に勝って、これでインテルがミランを抜き単独トップに躍り出た。

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キエーボのルシアーノ(元エリベルト)、謹慎が解けスタメンで試合に復帰。あれ?インテルに移籍じゃなかったの?と思い調べてみましたら。現在レアルマドリーのソラリ獲得のために交渉中のインテル。もしソラリが獲れなかったときにはルシアーノのインテル電撃移籍ということになりそう…そういう報道がイタリアではなされているようです。

あとラツィオのインザギ弟(オデコ)。アタランタへの移籍交渉中で、こちらはじきにまとまる模様。移籍して出場機会が増えるのなら、その方がいいもんね、オデコも。



2003年01月27日(月) 真冬の雨

よく降る雨だなあ。それに凄く寒い。仕事から帰ってきてからずっと、軽い頭痛がする。まさかインフルエンザではないと思うんだけど…。お風呂に入ってから葛根湯をのんだ。

今日はヴァン・ショー(ホットワイン)でも飲んで早寝することにしよう。

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あ、そうそう、忘れてました。
戸田和幸選手、プレミアリーグ、トテナム・ホットスパーに入団が決まりましたね。よかった、よかった。スカパーみて応援しよう。

私は、イナよりフーマンチューより俊輔より、戸田選手のファン。自分のスタイル(考え方)を持って行動していると思うから。プレイもいいけど、脳味噌がね、チャーミングなのだ。
 
 


2003年01月26日(日) テニスシューズ

今日もテニス。さすがに右腕が筋肉痛。

張り替えたガットのテンションが適正値に弛むのは4、5月頃の予定だが、テニスシューズの方は一足先に買い換え時期が来てしまった。私がテニスを始めて以来所有したただ一足のテニスシューズ。いくら一週間に一度レッスンで履くだけといったって、ウン年間も履き続ければもう限界だよね。

二年位前、さかんに新しいシューズを物色していた時期があったんだけど、その後一回スクールをやめたりしたこともあって、それじゃまたの機会になんて思っているうちに、とうとう履きつぶしてしまった。

そういえば、このオンリーワン・テニスシューズをはいて、マレーシアはランカウイ島の、アマゾンよりも古いといわれる熱帯雨林の中のテニスコートでテニスしたことがあったっけなあ。あのときは黒い布を頭から被ったモスリムの女の人たち(隣接のゴルフコースで働いているひとたち)が、どんな物好きがこんなところでテニスしているんだって覗きに来たんだった。でもって、けっ、ヘタクソ!てな感じですぐにどこかへ行ってしまった。

さらにその二年くらいまえには、インドネシアのプロウスリブの寂れ果てたリゾートのテニスコートでもテニスした。あのときはナイター照明に照らされて、コートを囲んで植えられた椰子の木から逆さまにぶらさがるフルーツバット(50センチくらいある大コウモリ)に見守られながらのテニスだった。もしかしたらあのコウモリも「こいつら今までで一番ヘタ」とか思いながら見ていたのかもしれない…。(いずれも相手はオット)

長い間どもどもありがとう、マイファースト、ジオンリーワンテニスシューズ。でも、とうとう来週は新しい靴を買いに行かなくちゃ。


 


2003年01月25日(土) テンション

先月休んだ分のテニスの振り替えレッスン。朝9時半から二コマ続けて出る。二コマ目はアウトドアコート。風が強くて、弱いボールはぜんぶ変化球(バウンドしてから戻っていく)になってしまうので往生した。

ところで今年に入ってからコーチのすすめで張り替えたガットは、いわゆるナチュラルガットというやつで、高いけれどフィールは最高と言われているしろもの。それじゃあ、と、試してみたのだけれどそんなに打球感は変わらない。というより、硬い。むしろ飛ばなくなった感じ…

今日コーチとそんな話をしていて「テンションいくつですか」と訊かれたので「56ポイントです」と答えたところ。
「かてぇ〜。そりゃ強く張りすぎですよ。僕なんか45とかそんくらいですよ」だって。よ、よんじゅうごぉ?私テニス始めて以来ずっと52〜56で張ってたよ…

さらに。「僕くらいのテンションだとボレーでガットがグッと押し込まれる感じがわかります。たわむ、って言うの?またこの感触がいいんだな」ですって。あっら〜。そんなボレーでガットがどうこうしたなんてこと、アタクシこれまで、一度も経験ございませんでしたわ。

…ふむふむ、そうだったのか。つまりこれってテンションを弛めてやることによって私のテニスに新たな上達の可能性が加わるってことよね?
よーし、やるわ。アタシやったるわよー。いま56のテンション、使っているうちに弛んで45、6になるのって、そうね、だいたい4月くらいかしらね?(根性がケチすぎる)




2003年01月24日(金) とびきりの現代英米小説

夕方。電車の窓の外にひろがる空が、特別青い。
きのうの雨で、汚れをきれいさっぱり洗い流したような空の色。

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金子光晴の『ねむれ巴里』を読み終わって、いまは柴田元幸訳『夜の姉妹団〜とびきりの現代英米小説14篇』を読んでいるところだ。

まず最後(14篇目)に収録されたウィル・セルフ『北ロンドン死者の書』を読み、それからあとは先頭のスティーブン・ミルハウザー『夜の姉妹団』に戻って収録順に読んでいる。

『北ロンドン死者の書』は荒唐無稽で面白いとしか書きようがない。『夜の姉妹団』では、あーミルハウザーってこういうかんじなのかーと諒解。レベッカ・ブラウン『結婚の悦び』にはまるで前衛派の具象絵みたいな緊張感が。
少し恐かったのはジョン・クロウリー『古代の遺物』という作品で、これ、もし原書(つまり英語)でダイレクトに読んだら、もっと薄ら寒いような何とも知れない気味悪さが際立って感じられたんじゃないかと思う。

『シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋』のレベッカ・ゴールドスタイン、こういうスタイルの女の小説家って日本にはいなんじゃないかな。わくわくもドキドキもしんみりもしないんだけど、なぜかとても好きだった。どんな顔してるのかちょっと見てみたい小説家。
逆に、ドナルド・バーセルミは面白すぎて楽しめない(こんなこと書くとバーセルミファンから叱れれますか?)。きっとバーセルミって読者以上に、翻訳家が翻訳していて楽しめる作家なのでしょうね。

と、まあ、こうして英米の奇妙な味わいの掌編を読むのも、ひとつには金子光晴の自伝三部作(の内のあと二冊)を読むまえの“箸休め”的意味があるわけでして。結局買ってしまったんですよね『どくろ杯』と『西ひがし』も。『ねむれ巴里』のこと、あんなに不快だって怒ってたのにな。

まったくもって、詩人侮るべからず。いまや私、良いお客さんになり果てました。
  


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