Leonna's Anahori Journal
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2003年01月23日(木) 冬の移籍シーズン

電車の中吊りで見たいま出ているAERAの表紙。あの高原直泰選手はカッコイイですねー。フーマンチューなんて書いて悪かったと思ってる、いやほんとに。

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サッカー、冬の移籍シーズン真っ盛りですが。

なんたって驚いたのがローマ、バティストゥータのインテルへレンタル移籍。じゃあ何だったのよ、あの代理人の「バティはすでに奥さんと一緒に英語のレッスンを始めている」っつー発言は。私はフラム(英国)だとばかり思ってたんだけど。この移籍バティにとって(そしてインテルにとっても)吉とでるか凶と出るか…

そういえば同じくローマのカフー。本当に来ちゃいそうですね、横浜Fマリノスに。岡田監督就任+カフー獲得で俄然勢いづく、のか?、Fマリノス。

外国人選手、獲得、とくれば。来ちゃいますよ来ちゃいますよ、帰って来ちゃいますよ、あの男が。
エムボマが、エジムンドの去ったヴェルディに入団です。しかし、ヴェルディにエムボマ。聞いただけでうれしくなってくるのは私だけですか(笑)。エムボマ、日本の冬は寒いけど、大好きなうどん食べてがむばってくれ。

ところで、単身英国へ渡って入団テストを受けている戸田和幸選手。その後どうしているんだろう。一部リーグで活躍して欲しい!、お願い!使って!。日本のガットゥーゾ、プレミアでさらに洗練、パワーアップの図を、是非とも!
  
  


2003年01月19日(日) 韮山町で

朝5時おきで、静岡県の函南霊園へ出かける。十年前に37歳で亡くなった友人のお墓参り。私は十年前の葬儀に出席しておらず、そのことがうっすらと気になり続けてもいたので、お墓参りの話があったときは、一も二もなく「行く」と返事した。

6時に電話が鳴って、マンション前に止まっているS氏運転のクルマに乗り込んだ。このあと都内に住むTちゃんとK子をピックアップして、昼前には韮山のお墓に着くことが出来た。霊園はなだらかな山懐のおだやかな景色の中にあって、そばを流れる川のせせらぎの音が聞こえてきた。

お墓のそうじをしてお線香をあげ、途中で買ってきたワインをコップに注いで供える。お酒の好きな男だったのだ。それから私たちもワインを注いで、お墓の前で立ち飲みしながら思い出話などした。

私たちはみな同年代で、私とTちゃんは同い年、K子とS氏は一歳下だ。S氏と私は今日が初対面だったのだがすぐにうち解けて、楽しく話が弾んだ。初めて聞く、S氏の故人をめぐる思い出話でさえもがなつかしく感じられるのが不思議であり、心地良くもあった。

小一時間も立ち話をしたあと、私たちは「ありがとう」「また来る」などと墓に声をかけて霊園をあとにした。「ありがとう」と言ったのは私で、それは亡くなってから十年もたって、こんな楽しい時間とH氏という新しい知己を与えてくれた死者に対する感謝の言葉だった。

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墓参りのあと、手打ち蕎麦屋で昼食をとり、“日帰り入浴”の看板に誘われるまま、韮山の温泉につかってから帰途に就いた。

静岡〜神奈川〜東京〜千葉と帰る途中、どこかで渋滞につかまることを覚悟していたのだが、クルマの流れはまったくつかえることなく、スイスイと、朝と同じマンションの前まで帰ってきた。

 ホリ、ありがとな。またみんなで会いに行くよ。
  
   
  
  


2003年01月17日(金) ジャンヌ・モローかく語りき

現在発売中のヴォーグ日本版、特集「オールド・ウーマン」に載っているジャンヌモローのインタヴュー。これが大傑作。

老いについてどう考えるかと訊かれたモローさん、少しだけ意地悪そうに目を輝かせながら、「それは女がする質問ね。あなたの質問じゃないでしょう?」
その瞬間、取材をおおせつかった小野正嗣という若い小説家、思わず首をぶるると振ったそうだ。モチロン違います、ボクはただ訊いてこいって言われただけなんです、とばかりに。

さらにモローさん、老いのことなんか考えたこともない、日々生きているというそれだけで十分ではないか、と。そして「でも質問はそういうことじゃなくて女の虚栄心の問題でしょ?人にどう見られるかって?」と鋭く看破。アタシはもう愉快で愉快で。笑いが止まりませんでしたわ…

さらにさらに。「老いに怯えるなんて冗談じゃないわ。年をとればとるほど、創造性と芸術性はより繊細に、より深くなっていくものなのよ」とキッパリ。もっともこれも無いものは出ないわけで。結局若くても年とっても漫然と生きていれば何も変わらないという、当たり前のはなしに行き着くわけなのだ。

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そういえば公開中の『デュラス 愛の最終章』、まだ観に行っていない。来週中にはぜひ。


2003年01月15日(水) ロマロマ(ドナドナ)

ローマ。ホームゲームででいきなりキエーボに負けちゃったんですよ。
再放送つけたら必死にボールキープしようとしながらことごとく奪われてしまうトンマージの映像が…

いつまで零点負けが続くかわからない状態で、またぞろインテルに負けたモデナ。ユヴェントスにSMショーでコテンパン(5−0)のレッジーナ。いずれもかなりつらいけど。いやいやローマもかなりつらい、やるせないことになってきました。





2003年01月14日(火) ねむれ巴里

仕事の行き帰りに電車の中で読んでいる金子光晴『ねむれ巴里』は汚くて、みじめったらしくて、不愉快な話だ。読んでいると腹が立ってしかたがなかったのだが、中盤にさしかかるにしたがい段々と書かれた当時と現在の世の中の違いということがわかってきて、それでは彼の小説世界のどうしょうもなさも多少は致し方のないことかという気になってきた。

今日あたりは自分が明らかに理解者の方向に転換しかかっているカンジなのだが、そうなってみると、今まで刺激的だった読書がフツーの読書になってしまうような、勿体ないような気がしてくるから可笑しい。
最後まで読んだらどんな気持ちになるのだろうか。まったくわからないので楽しみだ。
  


2003年01月13日(月) 三連休


11、12、13日。
サッカーをみているうちに、三連休はあっと言う間に過ぎ去った。

セリエAはボローニャ×ミランをライヴで。0−2でミランの勝ち。得点はシェヴァとセルジーニョ。それにつけてもガットゥーゾって本当におもしろいな。彼の一挙手一投足にいちいち大笑い。
ところで鹿島のつなぎ沢(ヤナギ)がキエーボに移籍するって噂、あれホントなの?

高校サッカー、国見×市立船橋は船橋フォーバックが国見の攻撃を押さえ込んで勝ちました。とうとうやりましたね布監督。それはそれとして、国見の小嶺総監督が名古屋章なら、市船、布啓一郎監督は長渕剛だよね(きっと誰もがそう思っているはずなんだ)。♪乾杯、今君は人生のぉ〜、てか。

くるんくるんのモクモク→マガジャネス→アンジョンファン→アンジョンファンがマルディニになりたくて自分で短くしてみたところ、という変遷をたどった我がヘアスタイル。ついに本日、ストレートパーマをかけてつんつんの真っ直ぐに。さらにばっさりとカットして、これまでとは別人二十八号。ちょうど良い気分転換。

足首は二日湿布をしたらよくなった。林家コーチは捻ったあと5分くらいですぐコートに立って前衛をまもっている私をみて「強いっすねえ」と驚いていたが。強いが“巧い=試合に強い”ではなくて“頑丈な躰”という意味だったのがとってもクヤシイ。

 


2003年01月10日(金) マーライオン

先週来、毎日恐いくらいの夕焼け空が続いていたのに、きのう今日の夕空はほんのりピンクと薄紫色のグラデーションだった。それだからか、寒さもほんの少しゆるんで、日中は暖かくなった。

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仕事に出てなにがうれしいって、行き帰りの電車で本が読めること、これが一番うれしい。今週前半に『但馬太郎治傳』を読み終えて、次に吉田健一『金沢 酒宴』のうち読み残していた『酒宴』を読了した。いまは金子光晴『ねむれ巴里』を読んでいるところ。

『金沢 酒宴』、他に類をみない素晴らしい小説だとは思うけれど、しかし吉田健一という人はあれだけお酒を飲んで、二日酔で苦しむというようなことはなかったのだろうか。私なぞ、書かれたものを読んでいるだけで頭痛がしてきそうなのだが、吉田健一という人はとんでもない量の酒を飲んだ翌朝でも、朝日を浴びながら澄まして「ウフフ」と笑っているようなイメージがある。実に悔しい。本当にニクイお方だと思う。

ところで『金沢』はともかく(こちらは別の意味で酩酊させてくれる佳品)、『酒宴』は酒飲みにとっては冗談抜きで危険な小説だと思う。なぜなら、あれを読んだら必ず飲みたくなるにきまっているからだ。しかも場合によっては命懸けで飲むことにもなりかねないという…
『酒宴』という稀有の小説は、飲むなら読むなと注意書きをつけたいような一種危険な魅力をもった掌編だった。(以上、読穴のためのメモ)

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そういえば。きょう昼休みに仕事場の人たちと“電車のなかで遭遇した奇妙な出来事”について話していたら「突然何の前触れもなく吐くひと、アレたまんないですよね」と言ったひとがいた。

えっ、と驚いていると、別のひとが「そうそうそう。たまたま前になんか立っていたら災難としか言いようがない」。さらにビックリしていると、また別のひとが「ポツンと道に立ってる人が、突然、ぴゅーっと吐くのを見たことがある。まるでマーライオン」。

マッ、マーライオン!! 死ぬほど笑ってしまった。流行らせようよ、マーライオン。飲み過ぎで、突然嘔吐する奴を今後マーライオンと呼ぶの(笑)

(ちなみに吉田健一の『酒宴』はマーライオン程度の事では済みませんので。念のため。)
  
    


2003年01月05日(日) テニス・テニス・テニス

テニスの初打ち。

いままでお世話になったコーチがダーリンの故郷ニュージーランドへ移住してしまったので、私たちのクラスは今年から新しいコーチに。新コーチは小柄で若くて声の大きな男性。ちょっと噺家さんみたいな雰囲気も。芸風からいくと林家門下ってとこか。
でもこの林家コーチ(←コードネーム決定)、声が大きいだけではなくて、生徒ひとりひとりの長所短所をパッとつかんで、的確なアドバイスをくれるなかなか良いコーチだった。

私には、一対一のラリーで前後左右に走らせたあと「足が速いんだから、慌てなくてもボールに早く追いつける分、ゆっくり大きなスィングで打てばストロークが安定する」とのアドバイスが。さっそくすばしっこくて慌て者であることを看破されてしまったのだった。(でもこのアドバイスは即効性があった!)

レッスンのあとガットの張り替えにラケットを出してから、幕張へ免許の更新に行く。幕張へ行ったついでにガーデンウォーク(アウトレットモール)のナイキでテニスシャツを購入。

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夜。スカパーで昨年秋、上海で行われたマスターズカップの決勝戦を観た。ヒューイット対フェレイロ。実力伯仲、フルセットマッチの凄い試合だった。う〜ん、フェレイロ、惜しかったなぁ!
打ち込まれたスマッシュに追いついて返しちゃうなんてプレーみたのは、シドニー五輪の男子シングルス決勝以来だ。
  
  



2003年01月01日(水) 天皇杯観戦

元旦。お雑煮とおせちで簡単に朝食をすませてから、国立競技場へ天皇杯決勝を観に出かける。鹿島アントラーズ対京都パープルサンガ。朝起きたときには一体どうなることかと思ったが、幸いキックオフの頃には晴れ間が広がり気温も上がって、絶好の天皇杯日和となった。
    
   
















  
芝の緑も清々しい、元日の国立霞ヶ丘競技場。鹿島アントラーズのサポのすぐご近所席で観戦。アントラーズカラーの赤のユニで埋め尽くされたゴール裏。キックオフ前、そのサポ席の下の方からスルスルスル…と旗が上がってきてサポ席を覆い尽くす。その他、試合中も声を合わせての一糸乱れぬ応援の数々。いや〜実に面白かったです。
   
前半15分に鹿島のエウレルが柳沢(つなぎ沢とも言う)のボレーシュートがバーに当たってはね返るところ、まるで読んでいたかのような詰めでビシッと決めて先制。しかし後半の京都、50分に鈴木のゴールで追いついてからは疲れを知らぬ怒濤の攻めで、手練れの鹿島をオタオタのガタガタにしてしまいます。結局80分に黒部のシュートが決まって京都、逆転。そのまま初優勝をさらいました。
    
    
















   
実際に競技場で試合をみて驚いたのは、アウグスト選手やさんざんネタにして笑っていた秋田選手等、熟年選手が実にかっこよかったこと。いやー驚いたよー。グラッときた。チマリス改めてモモコ(秋田選手)のファンになったもん(笑)。

それから京都に逆転されたあとでふと見てみたら、鹿島サポ軍団最前列の旗持ちニイチャンズが、いつのまにか全員、上半身裸になっていたのには目を剥きました。はじめはみんなTシャツ着てたのに。凄いひとたちだ…(笑)。

その熟年アウグスト選手とファビアーノ選手はこれが鹿島での最後の試合。試合後、鹿島のサポ席の前まできて別れを惜しむ姿にはジーンときました。移籍や引退でチームを去る選手がファンに挨拶する姿はTVでよく目にしていましたが、実際目の当たりにすると、やはり感動の質が違います。

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それにしてもサッカーグラウンドの緑ってきれいですね。冬晴れのもと、魔法瓶のお茶を飲みながらのサッカー観戦ってなかなか良いものです。
国立競技場は利用駅がたくさんあって交通の便もいいし、うちからも比較的近い。これから毎年“元旦は国立で天皇賞”と決めました。
   
     


2002年12月31日(火) 2002年の終わりに

たしか11月上旬頃のことだったと思う。
午後三時頃、部屋に掃除機をかけようとしていたら、不意に天井の隅の方がキラキラッと光った。何事かと驚いてよく観察してみたら、すでに傾きかけた晩秋の陽の光がベランダ側のサッシ窓から深く鋭角に入り込んで、薄暗い天井の隅っこで踊っていたのだった。

その金色の光があまりにもきれいだったので、掃除機などという無粋なものをかけるのはしばし止めにして、ベランダの掃き出し窓の桟に腰をおろして西の空を眺めることにした。すると今度は、隣地との境のヤマモモの植え込みが風に揺れる音がいつになくはっきりと耳に聞こえてきた。それは風が常緑の葉を鳴らすザワザワという音だったが、そのときの私には何故かそれが“風そのものの”の音のように感じられて、こういう音を聞くのは随分と久しぶりのような気がした。

植え込みのずっと先には有料道路が通っていて、クルマが連なって通るときの音が、相も変わらず低く唸る壁のように聞こえていたけれど、それを差し引いてもなお、風の音の存在感は圧倒的だった。それで、私はもっとよく聞こうと右手の平を右耳のうしろにあてがってみた。試してみればわかるが、単なるジャスチャーではなく、こうすると人間の耳の集音機能は格段に上がる。それから、木の葉のざわめき、風の音の細部までもを聞き逃すまいと、私は左手も左耳のうしろにあてがってみた。

・・・そして。そして私は気がついたのだ。たしかに葉ずれの音は良く聞こえるようになったような気がする。しかし。しかしな。これって、高原直泰(もしくはローマのデルベッキオ)がゴールを決めたときの、あのゾウサンのポーズとおんなじなんでないかい・・・?
   
      
嗚呼、どうして。どうしてこうなっちゃうんだろう。なにをやっても、詰めが甘いんだよな私は。このHPにしたってそうだよ。リニューアルだって微妙にやり残してるし、読穴、旅穴、サカ穴だってそう。最後は“夢は枯野を駆けめぐる”の心境でうつむくことになるのだ。クゥ〜ッ。

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ま、そういう忸怩たる思いもありながら、それはそれとして今年も終わろうとしている。思えば、実にいろんな事があった一年だった。正月早々クルマのマフラーを落っことし、その翌月には母を亡くし、そしてワールドカップがやってきて、去っていった。パートで仕事にも出た。

また私にしては随分あちこちへ出かけた年でもあった。一月に鳴子温泉、その後、日帰りで京都。夏に岡山県牛窓〜京都〜富山。九月に父と妹を伴って九州は博多〜小倉〜別府。九州から戻って再び富山。そして最後は秋田県の乳頭温泉郷。

考えてみたら、けっこう無理をしたかもしれないな。私の能力では、なにもかも上手く納めようったって無理だったのかもしれない。

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きょう横浜の父のところへお料理を届けた帰り、電車の窓の外には不思議な色の空が広がっていた。昼間は晴れ。その青空に雲が出て底冷えのする天気になったのだが、そういうときの雲は普通どんよりと低く垂れ込めるものなのに今日の空は見た事もないようなブルーグレーで、しかも天高く、どこまでも透明だった。

もしも一年の終わりの日、大晦日が特別な日だとするならば、その特別な日にいかにも似つかわしい空のような気がして、私は、この次いつ見られるかわからないその不思議な空の色を飽かずに眺めていた。
そうして(多少詰めが甘かったにしても)これってそんなに悪くない年の終わり方じゃないかな、などと思ったのだった。
   
      


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