Leonna's Anahori Journal
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2002年12月14日(土) NHKのアサノ

出かけて帰ってきてTVを点けたらBSの番組にアサノが出ていた。
NHKの「キー・パーソンズ」とかいう番組。
男性アナウンサーから尋問みたいに、いろいろ訊かれてた(笑)
アサノって言葉、丁寧だよね。あんな風体でああいう日本語遣うって、いったいどーゆーひとかと思っちゃう(←勿論、褒めてます)。


 


2002年12月12日(木) 家が建った

父の八十回目の誕生日。
プレゼントとケーキを持って会いに行く。

ちなみに父の誕生日はレイモン・ラディゲの命日と一緒だ(同年同日)。べつに意味もオチもない、単なる事実というやつだけれども。

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今日、横浜から家へ帰る電車のなかで長らく読みかけになっていた吉田健一『絵空ごと 百鬼の会』を読み終えた。

『絵空ごと』の終盤、戦後焼け跡になった麹町に、実際に洋館を建てる相談が始まるあたりから急に話がそれまで以上に生き生きと感じられるようになり、読み終えるのが惜しいような気持ちになりつつ、凄いスピードで頁をめくっている自分がいた。面白くて目が本に吸い付きそうになっていたのである。そうして、とても穏やかで静かな場面なのに胸がわくわくするのが不思議だった。

麹町に洋館が建ったとき、お披露目に呼ばれた外国人の男が暖炉の上にかかっている『シテル島に向っての船出』という絵(の、写し)のまえに立って「久しぶりだな、」という場面がある。この「久しぶりだな、」という言葉を私は、私自身の言葉だと思って読んだ。ああいうときに発する言葉として、他のいかなる言葉というものも考えつかない(あり得ない)、と思う。

ということはどういうことかというと、私の頭の中にも“洋館が建った”ということなのだ。これが私は、本当に嬉しかった。まだこれから死ぬまでの何年間かの間に、いまはまだ開けることの出来ないその邸の部屋の扉を開けて、いまはまだ知らない何ものかを見聞きすることが出来たらいいな、素敵だなと思う。

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いつも本の頁の更新を楽しみにしてくれている友人がいて、なのに(気持ちはあるのだけれど)ずっと手つかずになっているので心苦しい。
読み終わったものからすぐに感想をアップするような形式を作ろうと思っているところです。

今日のジャーナルは半ばその友人宛の私信のつもりで書きました。(私に吉田健一を教えてくれたのは彼女だから)それで、そのために少しわかりにくい書き方になっていたとしたらゴメンナサイ、です。
   
   


2002年12月11日(水) 鳥肌カレー

冬晴れ。今年最後の眼科受診に出かける。
そのあと、銀行に寄ってから買い物。明日は父の誕生日なので、軽くて歩きやすい靴をさがす。

とはいえ、いかにも老人風だったり介護用品然としたのはいやなので、なんとか軽くて何にでも似合う“紳士靴”をと探し回り、やっとそれらしいのをみつけることができた。父には別のを買ったけれど、G.T.ホーキンスのAIR LIGHTというのも随分軽くて履きやすそうだった。今度オットに教えてあげよう。

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家へ帰って遅い昼食をとるために、マーケットでレトルトのカレーを物色していたら『小野員裕の鳥肌の立つカレー』というのがあって、そうとう悩んだのだけれど、結局買ってしまった。

急いで帰り、鍋の湯にレトルトパウチを入れて温める。箱のウラには“この味をご堪能していただくためには…”として、ライスとルーを別々の器に盛りつけ、ルーをライスにかけながら食べるのがベターと書いてあったのだが、かまわず平皿のご飯の脇にルーをあけた。

すると、みるみるうちにルーはご飯をとりまき、ご飯は大海に浮かぶ孤島のような状態(しかも浸食され続けてる)になってしまった。鳥肌カレーはチキンの入った辛口のインドカレーで、小麦粉を使わないとても水っぽいルーなのだった。

で、食べてみた結果。うーん…筆舌に尽くしがたいとはこういうことを言うのだろうか。馴染みのない味ゆえ旨いのか不味いのかの判断がつきにくい。敢えて言うなら“辛くてマタリ〜ン”みたいな?たとえば“別の意味で鳥肌が立った”と書いて落とす、なんてことも出来るのだろうけれど、それもちょっと違うという気がする。

…ひとくち食べてみて「これってどういうの?」という疑問が生じる。もうひとくち食べるとこれが「これって四百円弱も払ったことを考えた場合どう言ったらいいの?」に発展する。こういうことを考えながら食べているうちに軽い情緒不安定に陥る。
そうなのだ。私の場合は『鳥肌の立つカレー』というより『情緒不安定に陥るカレー』と呼びたいような状態になってしまったのだった。

特筆すべきは、食べ終わったあとのコップ一杯の水の、まさにみずみずしく美味であったこと!『鳥肌の立つカレー』には、必ずコップ一杯の水を添えること。そして、食べている途中では決して水を飲まないこと。水は最後の一匙を食べ終えてから。コレ、注意書きとして加えるべきだ、絶対。

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あとから箱に書かれた解説をていねいに読んだら小野員裕という人(カレー研究家だそうです)の顔写真の横に太字で「カレーの旨さは、作り手の執念で決まる」と書いてあった。
もしかすると、あの鳥肌カレー独特の味は“執念そのものの味”だったのかもしれない。
  
   


2002年12月10日(火) ぶつぶつ言うひと

最近パソコンを買ってインターネットを始めたという友人から「HPみたよ」というメールが届いた。そこには拙HPを閲覧した感想として、身体が弱そうなのと、ぶつぶつ言ってる感じが相変わらずで私らしくて良い、という意味のことが記されていた。

 そうか。私はブツブツ言う人なのか…。それも、昔っから。

なんとなく、晴天の霹靂、寝耳に鉄砲水、瓢箪からこまわり、というような気分になり思わず、ううーん、そうか、そうだったのかなどとブツブツ言ってしまった。

が、そう言われてみるとなるほどそうかなという気がして来ないでもない。もともと文句が多い人だしな。フツーに喋っても“一家言”みたいにとられがちなのな。フン。

思えばこの十年ほどは、こんなことの連続だった。他人から“あなたって○×ね”と言われてヘッ?と思い、後ろを振り返りつつ左の胸に右手の平を当てて考えてみると“ああそうか、確かに私ってそういう人だったかも”と認識を新たにすることが幾度も、幾度もあった。

面白いのは、若い時分だったらムッとして終わるであろうところ、年のせいか、考え込んだ挙げ句たいていのことはナルホドと納得してしまうようになったことだ。場合によっては新鮮で面白い発見だとうれしくなってしまうこともあった。こうして書いてみると私のアイデンティティなんて、つくづくいい加減なもんだと思う。

さて、そういわれてみれば確かにぶつぶつ言うひとだった私といたしましては、これからもさらに、そのぶつぶつに磨きをかけるべくガムバル所存でございます。こうなったらもう、やったるからな〜(←これが本当に納得してるひとの態度だろうか)
  
  


2002年12月06日(金) 大島弓子

久しぶりに母のお墓参りに行った。
父と妹と、三人で。

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帰りに横浜で妹とお茶を飲んでいたときのこと。
妹が「いま大島弓子の漫画読んでるんだ」とバッグから本を取りだして見せてくれた。割と最近(といってもここ数年?)の本で、私のまだ読んだことのないやつ。

「サバ(大島弓子の愛猫で漫画にも登場した)は死んじゃったけど、その後別の猫を飼っていて、今は四匹もいるんだって」
「ふーん」
「それで、こんど別のマンションに引っ越すらしいよ、猫四匹つれて」
「ふーん」
「いいなあ、猫飼いたいなあ」
「うん、飼いたいねえ…」

面白そうだったので、コレ今度貸してと言ったら「うん。読み終わったら貸してあげる」という返事。でもそのあと急いで鞄にしまっていたから、強引に持って行かれたら大変だと思ったのかもしれない。
   
そういえば妹はバナナブレッドを注文してたけれど、あれも大島弓子の『バナナブレッドのプディング』からの連想だったんだね、きっと。
   
      


2002年12月05日(木) 家事大嫌い。

風邪もほとんどよくなったし、お天気も良かったので布団を干して洗濯機も回す。

皺の気になるシャツはドライ用洗剤で別に洗う。
棚のほこりを払い、掃除機をかける。
干した布団を取り込んでさらに布団乾燥機をかける。
食事をしては後かたづけ。朝食べてお茶碗洗い、昼食べてお鍋洗い。
夕方、五日ぶりに買い物に出たら、外があまりにも暖かいので驚く。
夕飯の支度をして、お風呂に入る。

これらのことをちょっとやっては休み、やっては休みしていたら実に朝から晩まで(夜の十時過ぎまで)かかってしまった。
風邪の余波でぼちぼちやっていたということもあるけれど、普段からこうなのだ私は。何年やってもお掃除とお洗濯は好きになれない。嫌々やるからくたびれる。ひとつ仕事がすむたびに、大息ついてバタッと大の字になる。

短時間でいろいろなことをサササッとすませられたらいいんだけれど、一度も出来た試しがない。こんなこと書いてどうにかなるわけでもないけれど、家事、本当に大嫌い。
  
     


2002年12月03日(火) ビーフンとロートレック

きのう。
喉が痛い。微熱あり、だるい。

昼食に「台湾 汁ビーフン」を作ろうと布団から起き出したが、冷蔵庫にトマトがないことに気がついて呆然とする。この次「台湾 汁ビーフン」を作るときは袋の調理例の写真みたいに必ずトマトを入れようと決めていたのに…。ニラと挽肉はちゃんとあるのだ。なのに野菜室に首をつっこんでいくら探しても、トマトだけがない。

そういえば昨日の夕飯に湯むきした大きなトマトが出てきた。あれが最後の一個だったのに、そうとは知らずに食べてしまった。知っていたら食べずにとっておいたのに。ああ、もう駄目だ…。風邪で弱っているのか。急に気が抜けたようになって涙がぽたぽたとこぼれた。

私は味の素のアジアめんシリーズ「ベトナム フォー」と「台湾 汁ビーフン」が好きだ。よく鶏肉やチンゲン菜、セロリなどを入れて作る。フォーにはシャンツァイ(芹菜)、ビーフンにはウーシャン(五香粉)の小袋が入っていて、これをかけるとグッとそれらしい味になる。

結局ビーフンはトマト抜きで作った。もちろんトマトなしでもちゃんと食べられた。現金なもので、満腹になったらどうしてトマトごときで涙が出たのか、自分でもさっぱりわからなくなってしまった。
  
  
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今日。

今日も涙が出た。といっても、今回はビーフンではなくてロートレック。
BSハイビジョンスペシャルの『ロートレックからの招待状』という番組、とても面白かった。岡田真澄が、ロートレックの友で画商だったモーリス・ジョワイヤンに扮し案内役をつとめるというもの。

『ロートレックからの招待状』、再放送があったら観ると面白いです。きっと泣きます(ただ悲しいだけの涙ではなくて)
      
      


2002年12月01日(日) 珍品堂主人

朝、微熱がある。昨夜はノドが痛くてよく眠れなかった。
チャンス!とばかりに薬を飲んで布団の中で読書。おかげで井伏鱒二の『珍品堂主人』を一日で読むことが出来た。大満足。

珍品堂主人には小林秀雄(評論家)や青山二郎(装丁家)をモデルとする人物が登場する。(ちなみに主人公である珍品堂のモデルは骨董商の秦秀雄)。

珍品堂の友人で天才的な目利きの山路孝次という男のセリフ、『俺はもう碁は嫌いだよ。もう知らねえよ。しかしね、お前が本当に打とうと云うなら、賭碁で来い。賭碁でなら打ってやるよ。』というのを読んだら、あ、これジィちゃん(青山二郎)だ!とすぐにわかった。写真でしか知らない青山二郎の生の声を聞いたような気がしてうれしくなる。

昼から夕方にかけては調子が良いのだけれど、夜九時を過ぎると熱が出る。温泉のことや本の頁も更新したいのだけど、いつまでも寝ているわけにもいかないのでおとなしく布団にはいることにする。
  
  


2002年11月30日(土) パーティトーク


午後1時から神宮前のコパTOKYOで知り合いの結婚披露パーティ。
会場で久しぶりに見知った顔と会い、歓談。食欲なく、ほとんど食べられず。ワインだけ飲む。しっかりした味だけど飲み易い美味しい赤ワイン。

久しぶりに会ったヨットマンのI氏が「腰を痛めてからあまり乗ってないんだ」と言うので「あら、腰痛とかそういう話、ワタシ大好き。お互いに大人になったなぁって気がして。親近感湧くわ。お子様相手にこういう話、出来ないわよ」などと受ける。横からもう一人のヨットマンA氏が「婆ぁくさいこと言うようになったのぅ!」と茶化すので「自らを省みよ!自分だけ若いつもりは許さないわよ」とお返ししたら「そやなぁ。フットサルやってもまともにプレーできるのは最初の5分間だけやもんなあ…」としんみり。結局私たちのテーブルはではずっと、健康(どこが痛いとか、検診の数値とか)や老親(他界した親含む)が話題の中心だった。

そういえばI氏は数年前の夏、小笠原から東京へ帰る船でジャック・マイヨールと乗り合わせたことがあるのだ。そのときマイヨールと一緒に撮った写真を残暑見舞いに送ってもらったことがある。真っ黒に日に焼け、Tシャツを着て並んだ二人はまるで親子みたいだった。「残念だったわね、マイヨールさん」と言うと、I氏は「うん…」と静かにうなづいていた。

ビンゴ大会ではA氏が当てた。賞品は、新婦のヨーコちゃん(我々の年下の友人)が沖縄の出身ということで乾燥ゴーヤ、アーサ、ランチョンミートなどなど。彼女の沖縄のお友達が演奏する三線(サンシン)にあわせて踊ったあと、新郎新婦の写真がラベルについた泡盛をいただいて会場をあとにした。

原宿駅まで歩いて、デメル(ウィーンのチョコレート菓子の店)で濃いコーヒーを飲み、再び地下鉄の表参道駅まで歩いた。途中、アート系書店のナディッフに寄るつもりだったが喉と背中が痛みだしたので止めにした。昨夜から風邪気味で、熱っぽかったのに外へ出たら浮かれて、忘れていたのだ。銀座線に乗ったら急にガックリきた。そういえば表参道のクリスマスイルミネーション、期待していたのだが、まだだった。
   
   


2002年11月29日(金) 蛸と他人

月曜日からの予定だった仕事が少し先に延びた。うれしいような、残念なような…(朝寝に逆戻りか?)

きょうは午前中からテニス。温泉行きで休んだ分の振替えレッスンだ。アウトドアコートでテニスをしたのは何年ぶりだろう。陽射しがあったせいか意外に暖かく、ウォームアップを脱いで半袖でレッスンを受けている人もいた。

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きのうは柴田元幸の本のタイトルを勘違いした事を書いたけれど、続けざまにもうひとつ、とんでもない勘違いが発覚してしまった。

“過去と他人は変えられない。”皆さんはこういう言葉をご存じだろうか?実は私、この言葉をずっと“タコと他人は変えられない”だと思っていたのだ。

どうやら最初に耳から入ってきたときに過去をタコと聞き違えて、それからずっと訂正の機会のないままに過ごしてきたらしい。ところが昨日TVから「過去と他人は変えられない、と言いますね、」と話している人の声が…。ガーン(またかよ)。

しかし、真実を知った今でも、私は“タコと他人”の方がよほど含蓄のある良い言葉だと思っている。いや、これだけは自信を持って言えるね。だって想像してみて欲しい。蛸という生き物の、あのなんとも言えぬ姿形、感触、弾力、等々を…

煮ても焼いても、刺身でも、酢だこにしようがおでんに入れようが、人間の小手先ではどうにも変えようのないあの蛸特有の存在感。じっと考えていると、タコにくらべたら他人なんて案外簡単に変えられちゃうものなんじゃないかとさえ思えてくるほどだ、etc、etc・・・

(↑いっくら書いても勘違いは勘違い)
   
    


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