Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEXpastwill


2002年11月28日(木) TRICERATOPS “DAWN WORLD”

月曜日からまた仕事に行く。うれしいような、残念なような…(さらば朝寝よ)。
こんどの仕事場はちょっと遠い。家から1時間半くらいかかる。朝が弱いので少し心配だけど、往復の電車の中で本が読めるから、まあ良しとする。きょうは午後から横浜(父の家)。

--

きのう今日と、お台所をしながらずっとトライセラトップスの『DAWN WORLD』を聴いていた。例の音楽療法ではなくて、来月彼らのライヴに行くから、その予習。

続けて何回聴いても飽きないアルバムだけど、シングルカット曲以外では林幸司(B)の『Driver』と吉田佳史(Dr)の『Old Lighter』が良かった。私は佳史のファンだから(彼の叩くタイコは聞き分けられるよ)、彼がヴォーカルをとるオリジナル曲というのはとても嬉しい。林幸司は前作でもオリジナル曲を自演していて、その『Listen』という曲も、とても素敵な曲だった。

和田唱の中では『スカルの柄』という曲が好きだ。魅力的だけれど、とても上手くいくとは思えない女の子に発熱してる男の子の歌(笑)。異様に刹那的になってるのがいいんだな。いま見て触っているものが世界のすべて、みたいな感じで。過去や未来のあるストーリーではなくて、その瞬間、一刹那のことを歌えるのがスリーコードのロックンロールのよいところ。

--

ところで話はかわるけれど、今日は変な勘違いをしてしまった。青山ブックセンターのサイト内にある柴田元幸サンの頁を見ていたら凄く面白いタイトルの本があって。『ロックピープル101死んでいるかしら』というんだけど…。私、これはきっと無茶な生き方をしたロックミュージシャンがその後どんなふうにビッグになった(もしくは凋落したり落命したりした)かを追跡調査して書いた本だ、と思い込んでしまったのですね。ところが…

よくよく見たら『ロックピープル101』と『死んでいるかしら』という別々の本だった。(前者は佐藤良明さんと共著でロックについて書かれたもの。後者は柴田サンのエッセイ集)ガーン。自分のアホさ加減に衝撃受けました。
   
   


2002年11月27日(水) ジャンヌ・モローの写真

はじめて『婦人公論』という雑誌を買った。表紙がジャンヌ・モローだったからだ。手に取ったり、戻したり、ずいぶん迷ったけれど、彼女が日本の雑誌の表紙になるなんてこの先あるかどうかわからない。

家に帰って、篠山紀信が撮影したジャンヌの写真(表紙も入れて5カット)を何度も何度も眺めた。そして、彼女へのインタビューから構成した短い記事を読み終えてページをめくったら、そこには朝吹登水子の連載があった。
『人生の四季』というエッセイで、<最終回>ヴェルサイユの日常、と書いてある。

つい最近『私の巴里物語』『愛のむこう側』という朝吹作品二冊を読み終えたばかりの私はうれしい反面、最終回という文字がなんだか寂しかった。
朝吹さんはヴェルサイユに住んでもう28年になるという。またなにか書いてほしい、お元気ならいいなと強く思った。



2002年11月26日(火) シェリーに口づけ


最近私の物忘れがひどくなったのは、何もせずにひとりで家にこもっていることと関係があるんじゃないかと思う。CDでもかけたら、少しはいいのかもしれない。音楽で脳細胞を刺激してやったら多少は違うのかも。
 
--

それで、というわけでもないのだけれど、今日は朝からミシェル・ポルナレフのCDを聴いていた。一昨年、初めて日本でCD化された『シェリーに口づけ』のシングルCD。

シングルとはいえ、もちろん当時のドーナツ盤をそのままCDに焼いたわけではない。これは正確には、日本で編集した“昔のポルナレフ”4曲入りCDである。ベスト盤も持っているけれど、私はこの4曲入りがけっこう気に入っていてこちらの方をよくかける。収録曲は以下の通り。

 1.シェリーに口づけ TOUT,TOUT POUR MA CHERIE (1969)
 2.ロミオとジュリエットのように COMME JULIETTE ET ROMEO (1971)
 3.ラース家の舞踏会 LA BAL DES LAZE (1968)
 4.僕は男なんだよ JE SUIS UN HOMME (1971)
   
  
ポルナレフというのは私がまだ本当に子供で、ロックとかポップスとかいう言葉も知らなかった時代の記憶の一部である。『シェリーに口づけ』が日本の歌でないことくらいはわかっていたけれど、それが英語で歌われているのか、それともフランス語かとなると、恐らくわかっていなかったのではないか。それだけに私の『シェリー』に対する愛情は単純で強いものがある。

今朝は『ラース家の舞踏会』の高音部分、ポルナレフの声の若くて美しいことに、今さらのように気付いて驚いた。なんというか、とにかく繊細で瑞々しいのだ。三十年以上前の人間の声を耳元で美しく再現してしまうレコード(やCDその他)というのは、考えようによっては悪魔の発明なのではないかと思ったくらいだ。(だからといって何も泣くことはないと思うんだけど)

--
 
音楽が健忘症に効くかどうか、詳しいことはよくわからない。しかしそれはそれとして、明日もまた悪魔の発明に耳を傾けてみようかななどと、何かを再発見した気になっている私がいるのです。
    
     



2002年11月22日(金) 複雑なキモチ

暑いので元に戻してほしいと書いたら、本当に寒くなった(息が白かった)。

--

例によって新聞もTVもみていないので、高円宮さまが亡くなられたことをまったく知らずにいた。きょうの夕方、余所のサイトで知って慌ててニュースサイトへ飛んだ。

一昨日のジャーナルで自分の検診結果をネタに“心臓が止まるかと思ったわよ”などと書いた私としては、なんかすごく複雑な気分。47歳では、口惜しすぎる(おそれながら他人事とも思えず)。殿下のご冥福を心からお祈りいたします。
   
     


2002年11月21日(木) ブライアン・フェリー

暖かい一日だった。というより暑い、暑すぎる。元に戻して欲しいです。

--

午後から横浜。
帰りに本屋で立ち読みしていて、ブライアン・フェリーが来ることを知る。
しかも東京公演は11月30日だって。それ、もう来週じゃん。

行きたいけどなあ、最近金欠気味なんだなあ。
またチケットビューローから、ハーフプライス!とかってメール来ないかなあ…(このあいだポール・マッカートニー東京公演の前日に、当日会場渡しの半額チケットの案内があったのだ。悩んだ末、行かなかったけど)
  
    
ところが帰宅してメルチェしてみたら。ちゃーんと来ているではないか。“ブライアン・フェリーがハーフプライス”ってメールが、チケットビューローから。うわあああああ、ビンゴー!

それでよろこび勇んで申し込みしようとしたら・・・・・・12月2日(月)大阪公演て書いてあった。
歓びは一瞬にして失望に。気分はまさに、ア・ハード・レインズ・アゴナ・フォール。

正規料金払って観に行くしかないのか?しかしそもそも東京公演のチケットはまだ残っているのだろうか。早くもフェリーさんの歌声が聞こえてくるような気がする。曲はもちろん、イズ・ユア・ラヴ・ストロング・イナフ。(試されてるぅ)
   
    


2002年11月20日(水) 白い影

先月受けた健康診断の結果が数日前に戻ってきて、要精査だの要経過観察だの、三箇所も×印がついていた。
それで、自覚症状もないし「どうせ再検査すれば全部シロに決まってるわい」と思ったけれど、歳も歳だし、ここ数日はなんとなーく湿気た気分で過ごしていた。

きょう。午後から病院へ行って担当医と話をする。蛍光灯つきのボードに貼られた胸部レントゲン写真を見ると…ああああーっ、肋骨の真ん中あたりに大きな白い影がある。こんな大きな影があるということは、もしかしてアタシ、もう手遅れなんじゃないの?!

するとそのときお医者様が、落ち着き払ってこう言った。「この白い部分が心臓です」。…心臓がっ、その心臓がっ、止まるかと思ったわよー。ものを知らないっていうのはときに大きな危険を、我が身のうえにもたらしますな。

それで、問診されてあれこれ話した結果、わりとアッサリ「特に問題なさそうですね。六ヶ月後にもう一度調べてみましょう。それで何でもなければシロ」と言われる。ちょっとは覚悟してきただけに拍子抜け。でもまあ、大したことなくて良かったけれど。(おどかさないでよ!)

--

かえりに露店でパンジーとビオラを買って帰る。草花を買うのは随分久しぶりのような気がする。帰って、鉢に植えようとクヌギの腐葉土を出してみたらビニール袋の中できれいな黒土に変わっていたのでびっくりした。微生物ってすごい。

--

夜。サッカー、日本×アルゼンチンを観る。まあまあの感じで前半を折り返したら、後半すんごい勢いで二点入れられて、そのまま0−2で負けた。奴等、前半は寝たふりをしていたのだ。手練れのサッカーってコワイ。
  
  


2002年11月19日(火) 創刊第一号を読む。

古い雑誌がらみの話が続いたので、きょうは新しい雑誌の話を。
先週末買ってきた『インビテーション』と『プレミアシップ・マガジン』の二冊。
創刊号だけに力が入っているというか、どちらもなかなか面白かった。

--

『インビテーション』はWeeklyぴあ別冊、なのだそうだ。Invitationなら片仮名表記はインヴィテーションじゃなかろうかと思うのだが、インビテーションと書いてある。カルチャーの趣味的専門誌ではなく、カルチャーの一般総合誌というものを目指している、という編集者からの言葉が書かれてあった。

書店で手に取ったのは、もちろん、表紙にアサノが写っていたからだが、立ち読みしていたらContributors(寄稿者、協力者みたいな意味か)という欄にスタイリストの北村道子の名前と写真があって。あの、いまにも性差を超えそうなすっぴん顔を見たら、ついフラフラとなって買ってしまった。

北村道子は少し前にもアサノとのコラボレーションで私にロッキングオン社の『H』を買わせたが、どうも『殺し屋1』『水の女』『アカルイミライ』の衣装も彼女が担当しているらしい。知らなかった。もうこうなったらあきらめて、ワタシ、アナタについていきます。

一番面白かった記事は、柴田元幸がニューヨークにポール・オースターを訪ねて、そのあと村上春樹の朗読会へ行って来たレポート。柴田サンはそのうえなんとローリング・ストーンズまで観にいっちゃったらしい。たった二日のNY滞在で…よく鼻血出さなかったものだと思う。

朗読会でインタビューを受ける村上春樹の態度はなかなか堂に入ったもの。柴田元幸はこの春樹の受け答えについて、オラクルイングリッシュ、ほとんど神託の域と書いている。「人間はみんな核は病気だと思う」と即答する春樹のその“病気”という言葉の意味について、私はゆっくりと考えを巡らせているところだ。

(以前は、こういう言葉はペシミスティックで嫌だとしか思わなかったのだけれど、いまではかなり気になる言葉になってしまっている。しかし考え始めたら、一生考え続けることになりそうな命題ではありますね)

フィルムレヴューを読んでいて思わず目を剥いたのが、ジャンヌ・モロー主演最新作『デュラス 愛の最終章』。そこには、まんまマルグリット・デュラスになりきって38歳年下の恋人役青年と共演しているモローの姿(写真)が…。なんかもう、観ろ!というメッセージを受け取るだけで、私、精一杯でした(笑)

最後に表紙の豪華絢爛集合写真についてひとこと。小雪サンとってもキレイですが、そのドレスは反則です。あと三池崇史カントク恐すぎます。

--

次は『プレミアシップ・マガジン』。これは英国サッカー専門誌。私はイタリア、セリエAについては『CALCiO』という雑誌をたまに買って読むのだが、二年くらい前、こういう雑誌でプレミア版が出ていないかと探しまわったことがあった。それが今回やっと英国の方も出してもらえることになったというわけだ(しかもCALCiOと同じ出版社から)。出すなら、はよ出せ。

表紙はお約束のベッカム様。巻頭インタビューも彼だが、いつものことながらこの人は喋ってもあまり面白くない。むしろ面白かったのはギグシーことライアン・ギグスのインタビューの方。あとはアーセナルのトレーニングセンターへの潜入記、「代理人の真実」という記事、テディ・シェリンガムによる「マイパーフェクト11」、なんてのも面白かった。

しかし何といっても一番興奮したのはMUSICというページ。これはイギリスのミュージシャンにサッカーへの熱い思いを語ってもらうというもので、創刊号のゲストはロバート・プラント。なんでもウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズの筋金入りのサポーターだそうで、ファン歴は50年(!)ですと。「半世紀もファンをやっていて散々辛酸を舐めさせられたけれど、それでもまだ昇格の夢を捨てられない」と熱い思いを語っておられる。これじゃあまるでニック・ホーンビィ著『僕のプレミアライフ』そのまんまじゃないか…

ロッド・スチュワート、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、デビッド・ボウイー等々イギリスにはサッカー好きのミュージシャンがわんさかいるから今後の展開が楽しみだ。そうそう、オアシスのギャラガー兄弟なんか、このあたりどうなっているのだろうか。兄弟にインタビューしたら、そのうち意見が食い違って揉めだして、編集者そっちのけでとっくみあいの大喧嘩…なんて、ありそうだ。絶対に、ありそうだ。楽しみに待ちたい。
  
   



2002年11月18日(月) 景山民夫の思い出

先日来、薩摩治郎八を探して80年代中頃から90年代初めにかけてのブルータスをひっくり返してみていたら、案の定、時間を忘れてあれこれ読みふけることになってしまった。

寺崎央、松山猛、西川治、永倉万治、西木正明、ジミー・ネルソン、鈴木エドワード、ドクター・レオナルド、などなどなつかしい顔また顔、名前また名前。ほかにも村上龍、中上健次、高橋源一郎、新井満にライアル・ワトソン、高橋睦郎や中井英夫までもが、この時代のブルータスで健筆を奮っていた。

なかでも特に印象に残っているのが四年前に急逝した景山民夫。『世間はスラップスティック』『トラブルバスター』など連載の他に、単発の執筆も多かった。『普通の生活』『〜スラップスティック』『転がる石のように』『だから何なんだ』『遠い海から来たCoo』など当時買って読んだ記憶がある。それだけに、若々しい彼の写真とテキストにはとりわけなつかしさが募る。

--

もう十年以上も昔になるだろうか、一度だけ、渋谷の書店で景山民夫を見かけたことがある。東急プラザの上の方に入っている紀伊国屋書店で本を探していたら、背の高いニットキャップを被った男性がやはり本を探していて、よく見たらそれが景山民夫だった。寒い季節のことで、たしかダウンヴェストかカウチンセーターを着ていたように思う。長身で格好良くてとてもシャイな人、という印象だった。

比較的低目の書架が並ぶ店内で、彼が何処へ移動しても、毛糸の帽子を被った頭と顔だけは書架の上に出てしまう。あまりジロジロ見てはいけないと思い、しばらく自分の本を物色してから周りを見回すと、やはりどこかの書架の向こうに彼の頭が見えているのだった。

そのうちにその頭も見えなくなり、私も買い物を終えて帰ろうとエスカレーターの方へ向かった。すると店の端の方にある洋書コーナーで洋雑誌を物色している長身、ニットキャップの男の姿が目に入った。そうか洋書か、うんうん、と、納得しながらエスカレーターに乗ったのを覚えている。

このとき抱いた“景山民夫=かっこよくてシャイ”という印象は、彼がひょうきんプロレスでフルハム三浦になって出てきた後も、ずっと変わることはなかった。

--

景山民夫は洒脱なエピソードの宝庫みたいなひとだったが、その中でも私が一番好きなのは、彼が仕事でスティーヴィー・ワンダーに会いに行ったときの話。TVの仕事だったので、視聴者にプレゼントするために楽屋にあった安物のハンガーを盗もうとしてS・ワンダーにばれてしまった…という話を景山は文章に残している(何という本に収録されたかは忘れてしまったが)。

それと同じときの話で、初対面のS・ワンダーと握手したときのエピソードを、私は文章ではなく彼の肉声で(つまりテレビかラジオで)聞いた覚えがあるのだ。それは…

「挨拶しながら握手したら、僕の右手を握ったスティーヴィーの右手が、そのまますすすーっと腕の方へ上がってきてさ。で、そのあと彼、なんて言ったと思う?ニヤリとしながら“君も猫を飼っているの?”だって」

つまり目の見えないS・ワンダーが、猫を飼っている人間につきもののひっかき傷を素早く確認して、景山の飼い猫の存在を言い当てたという…(言葉は正確ではないと思うが)そういう話だった。

--

もしかしたら、この話も何かの本に収録されているのかもしれない。なにしろこの頃の私の記憶ときたらあてにならないことおびただしいのだ。しかしこの猫の逸話を、私はいつも景山民夫の肉声とともに思い出す。いずれにしても一番好きなエピソードであることには違いない。
   
      


2002年11月12日(火) バロンの香水

海外にすむ本好きの友人がこのあいだから薩摩治郎八に関する本を読んでいるという。

薩摩治郎八というのは明治時代に豪商の息子として生まれ英国へ留学。そののちパリへ渡り遊蕩の限りを尽くした人物。その財力を背景に社交界の寵児として君臨し、芸術家のパトロンとなって藤田嗣治ほか多くの芸術家を援助した。現在も使われているパリ国際大学都市内の日本館(学生会館)は治郎八が私財を投じて建築したもので、この功績によりレジオンドヌール勲章を授与されている。昭和に入ると世界恐慌のあおりをうけて無一文になり帰国するが、生涯に遣った金は600億円(現在のお金で)とも言われている。

“バロン(男爵)薩摩”と呼ばれたこの桁外れの人物については、かなり以前に雑誌BRUTUSで特集を組んだことがある。治郎八の靴、ネクタイ、クルマ(純銀製のロールスロイス)、美人の誉れ高い千代子夫人の顔などを写真でみた覚えがある。それで、そのBRUTUSを探し出し、バロンの特集頁をカラーコピーして友人のところへ送ろうと思ったのだが、お目当ての号はとうとうみつからなかった。雑誌も引っ越すたびに少しずつ処分してきたから、きっともう捨ててしまったのかもしれない…

雑誌は出てこなかったけれど、その特集に書かれていたことで今でもはっきりと覚えていることがひとつだけある。それは治郎八がつけていた香水の名前で、“ニュイ・ド・ノエル(クリスマスの夜)”というのだ。いかにもバロンに相応しい名前という気がして、何だかうれしくなってくる。

さっき調べてみたら1922年にキャロンが発表したものだそうだ。おそらくいまも売られているのではないか。いったいどんな香りなのか。一度でいいから嗅いでみたい。
  
  


2002年11月06日(水) 爺本(じじいぼん)

きのう。

カイロプラクティックにかかる。頸椎と骨盤、調整してもらう。こう書くと私まるでポンコツロボットみたいだ。実際先生からは「首、肩、腰、背中。全部ガッチガチだなあ」と言われてしまった。

本屋へ寄って、金子光晴『ねむれ巴里』と三島由紀夫『愛の疾走』を買って帰る。別にからだの老化に合わせている訳じゃあないのだけれど、最近は爺本(じじいぼん)ばかりに目が行くなぁ。

『愛の疾走』。なぜかいま、このタイトルがグッとくる(笑)

--

きょう。

きのうカイロの先生から「二、三日だるいと思うけど治るから。あんまり無理しないで」と言われたのだったが。果たして今朝目が覚めたら、とってもだるかった。(それ、いつもじゃん!という声が聞こえてくるような気もするけれど)それで、午前中いっぱい布団の中。この頃は自分でも呆れるくらい、眠っても眠っても、際限なく眠れる。

午後、ベランダの片付け。朝顔の鉢を片付けて、痛んだ薔薇の葉を落とした。
   
   


レオナ |MAILHomePage