|
|
2009年08月03日(月) ■ |
|
物部日記・セレモニーとカーニバル |
|
僕は農学部の出でして、実習で牛の世話なんぞもしていました。
で、年に一回、授業の中で石碑の前に立って祈る時間があるんです。 研究の為、食用のために殺す肉牛達の魂を慰める時間。大事なことです。 神主さん呼んできて、祝詞をよむ間、僕達は静かに黙っています。
儀式が始まる前に、神主さんは祭というものについてお話をしてくださいました。 曰く、「世の中にはセレモニーとしても祭とカーニバルとしての祭があります。今回のこれはセレモニーですね。皆さんはカーニバルの方がなじみ深いとは思いますけれど、こういうのは両方あるから大事なのです。しっかり祈ってください」
いい大人は、いい言葉を用いるもんです。
閑話休題
そうして考えると、セレモニーもカーニバルも、生きている人のための祭。 だからこそ、どっちも生きている人間が頑張らなければならない。 今年の夏も高知市中心でよさこい祭してます。いい祭になればいいな。
その分、墓参り行けよおめーら。 もちろん、僕も。
|
2009年07月23日(木) ■ |
|
駄文〜祭〜 |
|
祭というものは、祀であり政であったのでしょう。
血なまぐさく、エロティックで、無節操。
例えば高知のよさこい。
諸説語源はあるが、よさこいは、夜さり来い(夜に来て下さい)という言葉が変化してできたものだという説が有力だ。
何故夜が来てほしいのか?
夜這いがしたいからだいう説が最も私は納得できた。
山内一豊が入国して高知城を築いたとき、作事場で歌われた木遣り唄のヨイショコイという掛け声が変化したとする説や大奥女中の絵島と俳優生島新五郎の情話が絵島節となって諸国に流行し、それが土佐に伝わって変化したという説などがある。しかし、前者は何故入城した時のお祝いだとか、亡くなった時の慰めではなく、作業場での掛け声なのか?後者は何故高知でしか残っていないのか?など個人的に疑問が残る。下世話で、助平な男が仲間内で謡っていたいたような唄だとするとなんと楽しいことかという願望も十二分にあるのですが。
日本のすべての祭りがこのようなものであるとは決して言わない。
しかし、大きな祭りのうち幾つかは大っぴらに人前で言えないようなものなのかもしれないなと想像してみるわけです。
……
急に何故こんなことを書いたかと思われるでしょうが、今年も夏の祭りに行けることになりそうです。 休みを上手く取れそうな気配です。
誰か行く人はいませんか?
|
2009年07月09日(木) ■ |
|
物部日記・動物占い |
|
動物に例えると?
よく聞く見立てです。
僕は結構特徴的な外見と温和な性格をしておりまして、大柄な動物に例えられがちです。熊とか、クマとか、くまとか。
でもある日、「動物に例えると?」「トトロ!」 ついに妖怪呼ばわりされるようになりました。
びっくりしたのは小学生の女の子にもトトロと言われたこと。 あー、最近の小学生でも十何年も前の映画知ってるのか、ジブリすげー、と強く思うことで凹む気持ちを抑えましたとさ。
人と違うって、結構おもしろいけれど、結構辛いのよ。
|
|