2005年09月29日(木) |
出産しちゃいましたよん!(何年ぶりの更新〜?) |
妊娠期からずっと書いてなかったのです!
もし、もし、覚えていて下さった方いらっしゃいましたらごめんなさい!!!
妊娠日記になりそう・・・と言いながら、実はつわりはひどいわ、 腹は張りがちで安静生活だわで、日記どころではなかったのです。 (あと、スミマセン、インターネットの掲示板で詩などを書いて 遊んでいました・・・選集も出たり自分としては結構楽しかったでございます。 コテハンはきゃれるではありませんが必死で詮索すれば分るかも・・・です。)
しかしお陰さまで今は子供(男児でした)も4か月。 写真をさらすには至りませんがぼちぼち書いていければなあと思います。 そうすると、これはカテゴリを変更しなければいけないのかな?
坊主は元気にすくすく。夕方はいつも泣いてますよ。 あああ今も・・・・。どうして切なくなるのかな?
暑い。とにかく体温が高くて暑い。
ひんやりした手触りのものが何でも愛しい・・・。
とにかく眠れなくて困っています。
基礎体温はいつまで測った方がいいのだろうか? 胎盤が落ち着くまで、だった気がするが・・・
うろ覚えだもんな、何せ数年前の知識・・・・。
早めに留意することや準備することの知識を得るため、 プレモを買った。主婦の友社かあ。
昔、学研のPアンドという雑誌を母性の学習のため買っていたが、 あれが一番良かったんだけどなあ。 余計な内容がなくて、必要十分。 それに他紙よりセンスが良くて、 赤ちゃん、妊婦、親子写真が上品なのが好きだった。
妊娠・育児雑誌じゃないけど、この前休刊になった「vita」。 あれも同じ理由で好きだったのに〜 余計な記事がなくて、ストイックに商品をばん、ばん、と 並べていたあの紙面。
いい!それでいいんだよ洋服雑誌は! こっちは商品知識や、昨今の流行を知って参考にしたいだけなんだから。
ああ・・ あの、着まわしなんちゃら2week!とか、 小手先の企画記事はどれもこれもただただ 突っ込みの対象にしかならず、つまらん。
最近の雑誌は、そのつまらなさ加減に頭にくるものが 多いから、あまり買うことがない。
わたしの好きな雑誌は、結構世から消えていく率が高い。 これは、自分の嗜好が世間一般からずれてるってことなんだろうか?
たまひよは、ベネが嫌いなので買う気がしない。 あのアランジアロンゾ(好きなんだけど)を使って いかにも「親しみやすさ」をねらっているのが嫌だ。
今は妊婦さんと言っても激しくライフスタイルや 求めるセンスが多様化しているのだから、 妊婦雑誌ももっと色々あるべきだ。妊娠した途端に既製の 「妊婦センス」にはまるのなんて不可能なんだから。
愛読雑誌が「vita」な妊婦と、「女性自身」な妊婦と、 「現代詩手帳」な妊婦と、「VERY」な妊婦とを、 一緒くたにされると大変困窮する。
2004年10月07日(木) |
病院でも(+)でした。 |
昨日病院の予約をとりながら、職場の上司に仕事の都合をつけてもらった。
「どうしたの」と聞かれたので、婦人科で、 受診の結果また報告しますと言っておいた。
病院。 入院・出産設備のないクリニックなので、 ゆったり受診できる。内装や、アロマや、 雰囲気が女性の受診に対して配慮されているなあと、 いつも感心されられる。ここは不妊治療が熱心らしいので、 てっきり自然妊娠は敬遠されるかと思ったのに。
見直したあ。
おまけに、助産師か看護師か不明だけど、師長さんが優しかった。 仕事が結構ハードな体力仕事であることを話すと、 「心配な時はいつでも言ってね」と言ってくれた。 嬉しいな。 もしこれで何かあっても、こういう対応をしてくれるなら痛みも和らぎそう。
さて予想に反して、尿検と採血だけだ。尿の結果だけ見て 先生、 「あれーあれー、何週?(と横の看護師さんに聞き、はっとこちらを見て) ・・・あ、できてますね(あたしはついでかよ!)」
きっかり4週0日目なので、次は2週間後に受診して、 胎嚢の存在を確認することになりました。
長い2週間になりそうです。
2004年10月06日(水) |
お久しぶり・・・だけど妊娠日記になりそう・・・。 |
まあ最終が4月下旬なら、わたしならいい方だ!! どんどん自分に甘くなっていく、こうしてある種の 女はオバサン化していくのか、嗚呼・・・・・・・、
しばらくネットはネットでも、他のことをして遊んでました。 何かって・・・恥ずかしいから今日は書きません。
さて、うちは今年から子作り解禁をしていたのですが、 なかなか排卵日というのは毎月同じ日に来ないようで。 今回は?と思うとだめだったり、そんなことを繰り返していました。
今月は、26日周期なのに予定より早く23日目に出血があり、 (しかも旅行中!)うちの人に、 「ナンダ・・・出血したよ・・・」と不機嫌な声を出していたのでしたが。 何だか出血はその1日くらいで止まってしまい、あれ・・・。 ナプキンがもったいない・・・・・。
そして。 あーーあーー休みも終わっちゃったし、うちの人は 職場で食事会だし、ちぇ、何だかつまんないよーつまんないーーー。と、 個食後珍しく缶カクテルでも飲んで退屈を紛らしていたのですが、 ふと思い立って何だ、妊娠チェッカー新品あったじゃないの、 どれ、よ。
1〜3分待つ、と。呟きながら尿をかける。 尿が染みやすい製品なので、見る間に浸透し、「尿量十分」窓に 赤い線が出る。さて、1ぷ・・・ん・・・判定窓も初めは うっすら色が全体に付くんだよね。 ちょっと赤めに見えるのは、照明のせ・・・線だよねえ。これ。
思わず食卓に持っていって明るい所で確認する。 線の濃さで、陰陽が違うんだぞきっと。この製品は・・・・ ・・・・ああ、真っ白でなければ(+)だ。陽転だよ。
おわわわわアアw嗚呼アアアア尾わわアウェア亜わわわわわわ 尾ララララララララああらららららあらららあらららr
ていうか、大変慌てましたよ。 思わず気付けのカクテル一口、って違うって!口にした分は 名残の一口としてありがたく嚥下し、残りを流しに捨てる。
春に癌検だけ受けて基礎体温のことを聞いただけの、 完全予約制クリニックに電話する。19時代。いつものちょっと訳の分らない 事務嬢ではなく、紳士風な院長が出た。ラッキー!
ああああのあのあの、hCGがですね、普通の妊娠でもこちらは 受診よろしいんでしょうか、何だか酔いも回っていて訳が分らなく なってるのはわたしの方です。
院長はいいですよ、と優しく対応してくれた。嬉しいなあ。 きっとこういう患者さんの電話に慣れているんだろうなあ。 ダイレクトに院長先生を通して翌日の予約を取る。
あー。さて、どうしようかな。
うちの人には妊娠判定薬が陽転したことを告げ、 これは正常妊娠以外に胞状奇胎や癌でも上がるのだから、 まず今日は糠喜びしないこと、と説明した。
だってあとでがっかりさせたら可哀相だもん。
やたらに暑くて眠れない。 そしてやたらに乳房に手を伸ばすうちの人の手をはたく。 ちょっと張って痛いんだってば。これからもやたらに 乳房は触らんこと。 流れるよ。
2004年04月28日(水) |
どうやって死にたい?死にたくない? |
同じこと書いちゃうかも知れません。
いつも、病気のために死を意識している人たちと お話させていただくと、やはり色々思ってしまう。
自分はどうやって死にたいのかなーーーーって。
さすがにです、いい大人の年になりますと 「死ぬことなんて想像できなーい」 「お祖母さんになる前に死ぬのー」なんてアホみたいなことは 考えなくなります。 (えへ、あなた、考えてる人?それはそれでいいと思います。)
痛いのは嫌だな、苦しいのは嫌だな、それだけです。 正直、ワタクシ今夜眠った間に、我知らず死んでても それはそれで不満がありません。
痛みや苦しみがあればね。
今日、職場で何人もの同僚たちと話をしていて思った。 ああ、いいんだな、自分は今すごく満足だな、と。
あと、明日から訪問させていただくあの方に、 病気で心が苦しんでいるその方には、開口一番何て言おうか、 そんなことを考えていた。 「○○さん、会いたかったーーーーー!」 と抱きしめるのはやり過ぎ・・・・かも。 奥さんにあらぬ誤解を受けて 「あの訪問看護師明日から来させないでください!」と 怒られてしまうだろう。
でも。ワタクシはあなたとまた会えて嬉しいってことを どうにかして伝えたい。「何で」って聞かれたら、 「あなたの顔が好き、そう話す姿が好き、 あなたの話すことが好き」と言うことを答える。
言えるか?そんなことが?他人を訪問していて?
HAHAHAHAHA!言えるんですよ、ちゃんと言葉を選べば。 だって、ワタクシたち、そういう仕事のプロですもの。 相手の存在を認めて、死に行く人じゃなくて、今目の前にいる その人と「今」が楽しいね、穏やかだね、素敵だね、という ことを分かち合う。
そういうプロでござんすよ。ワタクシたち。
ただね、ターミナルに向かう人への援助でやっちゃいけないことがある。 いけない、と淀川キリスト教病院のマニュアルに書いているわけではない。 日野原先生が言ってるわけでもない。 似たようなことは書かれてるかも知れないけど、 それは、あくまでワタクシが考えているワタクシローカルルールです。
それはね、
家族の役割をとっちゃあいけない。
その人の疾患のことは良く分かっている。 最適な介護方法も、ひょっとすると家族より分かってる場合もある。 予後も、一定のパターン内限定だけでも、ある程度その人の 心持ちや揺れ動く範囲もわずかばかり分かってる。 そこで、相手に訪問の度にすがられたり、 「あなたを必要としている」というサインを送られたりすると、 たちまち援助者は舞い上がるわけです。
「こんな人生の局面で、わたしを頼りにしてくれてるなんて」 「こういう場面であなたと出会えたのはきっと運命よ」 「あーっ、この人を救ってあげられるのは私しかいない!!!!」
・・・だめですよ。これ。ナースに愛情乞食が多いと 言われるゆえんです。ナースとして必要とされていることを、 「私人であるわたし個人」が求められてるーーーっ、と まるで愛を告白されたかのように錯覚してしまうわけです。 その挙句に、看取るまでは親身になれる大きな動機になるので まあ家族にも喜ばれますが、さて、亡くなって、お葬式。 これ、行ってご覧なさい。
いかに看護者が愛着を持ってかかわらせていただこうが、 所詮自分は部外者で、他人であることを残酷なまでに 思い知らされます。余裕のあるご家族は、ワタクシたちにも 優しい言葉をかけてくれます。ケアされるんですよ、 ワタクシたちの方が(笑)。
これらを全否定すると、またそれはスピリチュアルケアの原則から 遠く離れていってしまうようなので、一応、今の看護的には 推奨されているかかわり方なのかも知れません。
でもワタクシはダメだと思うな。 ダメダメ。そ・れ・は・家・族・の・仕・事・で・し・ょ。
そういうことでした。
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