10年前まで写真を自分で現像なんかしなかった。 他人が写真をプリントしてくれたのだ。 当然倫理に反する写真は恥ずかしいしプリントはしてはくれず出せなかった。ポラロイドで撮るぐらいが似合ってた。 いまはどうだ、デジカメで好きにエッチな写真だろうが何だろうが、自分で保存できる。 いつかはプライバシーだとか、倫理観や深遠なる興味はやっぱり失われて現実との隙間が無くなっていくのだ、きっと。
足の数はなんで生物によってちがうのだろう、 というのをある本がせつめいしてくれていた。 昆虫はたくさんあった足が少しずつ減って 一番活動しやすい6本に落ち着いたらしい。 で脊椎動物はひれが元々6っつなのだが陸に あがったら4っつのひれ以外は必要ないので 無くなって4本に落ち着いたらしい。 じゃ2本足で歩く人間はというとこれはまた別の話なのでまたこんど。
どう猛じゃない、もうどう。働く犬につく冠みたいな言葉だ。
でももうどうだけだと何のことやらさっぱりわからない。
たとえばねこやうまやさるがもうどうの仕事をしてもやっぱりもうどうとつく
のだろうか。
もうどう猫・・もうどう猿・・もうどう馬・・・。
なんかぴんとこないからもうどう犬でいいのだろう、きっと。
おもいではあいまいで、ひとのきおくはてきとうだ。
だからびかしすぎたりこちょうして
あまりにひどいはなしになったりする。
ほんとうにただしいきおくなんてこのよにはない。
わすれていた、のぞくことはしても、かくことをわすれていた。 かけないほどいそがしくも、めんどうでもないのにかかなかった。 わすれてたのだ、そんざいを。ごめんなさい。あやまるひつようは ないとはおもいますがあやまっときます。
しろいのはだれでも知っている。冷たいのもだれでも知っている。 でもどこからやってくるのか、つもったものがいつ氷に変わるのかは 意外と知らない。いや興味がないのだと思う。 しらべた人、報告おねがいします。
ずーっとふるえる、ものすごく小さくなって消えてしまうくらい ふるえる。足を抱えてぎゅーっとして、ふるえ続ける。 それでも寒いのは寒くて、やっぱり寒さは嫌いだとふるえる。
|