2005年04月11日(月) |
二千四年十二月二十六日 |
その朝インドネシア沖で巨大な地震が発生したとインターネットが速報を流した。そのときNHKは当たり障りのないクラシックが流れ一向に地震についてのニュースが流れる気配がないままだった。年末なのでかなりの邦人が旅行に出かけているであろう場所での大きな地震、それでも日本のメディアは沈黙したままだった。 二十万人以上の人が亡くなった地震の始まりはまったくこんな風だった。
その頃日本最大の放送局は年末の歌謡番組へ向けて以外の事についは無頓着になっていたのだった。
三ヶ月後日本最大の放送局は地震についての検証番組を放送していた。結果を次に繋ぐためには必要な事ではあってもテレビがすでに速報の旗手でないのは明白であり、世界の広さに追いすがるのみだと改めて思うのみだった。
情報があふれていると情報に
左右されやすいというが
果たしてどうなのだろう。
飽和するほど情報があふれていると
むしろ情報そのものを疑い始めはしないだろうか。
情報源がラジオと若干の紙媒体だった頃には
比較すべき対象がないまま
情報を受け入れていたのだから。
理由はない。若者は使われるだけ、ただそれだけで終わっていく。
正直に生きればなお使う側の思うツボだ。
立場を逆に利用してやろうと思うならば
踏み越えていかなくてはいけない、戦いは避けて通れない。
時代は若者に味方する。
撃て。
先人は常に屍を越えていく。
下り車内のシートはまばらな乗客で
両端の席から埋まっていく。
ゆったり座りたければ真ん中辺りがいい。
邪魔をされずにくつろげる。
肘も膝も縮こまらせない快適さは
朝の特別な時間だ、眠い時にはありがたい。
へんないきものがキャラクターで 子供の飲み物だってみんな思ってる。 ビタミンが入っているからってごくごく 500mlの一気飲みはどうなんだ。 糖分の取りすぎは良くないよな、やっぱり。
生きていくためには必要不可欠なモノを
集めていくとそれは楽な様で実はかなり
しんどくて痛いものだったりする。
時間はいつもハッキリと
ただそれだけを刻み、死を迎える。
杉花粉症にかかってから十六年経つ。
発症当初はあり得ないほどのかゆみと
涙とくしゃみと体温上昇など多重苦に
耐えるだけで春先を過ごしていた。
アレルギー抑止の薬が効くようになって
ましにはなったが副作用で服用すれば
眠くなる。
杉花粉から逃れる事は未だ出来ない。
ただそれだけ
|