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Mi Pensamiento Diario

オールディーズ

やっと宿題が終わったぁー。2つのプログラムと1つの書き物。しめて10時間なり。疲れました。期末試験が近いせいか、最後の宿題はどれもこれも大変です。とりあえず終わったからか一安心。提出できなかったら大変なことになっちゃうから。明日は3つの教科で宿題を提出しなきゃいけないんだけど、2つは前倒しでやっていたから今日は1つの宿題に集中できたんだ。本当によかった。だってこれからあと2つやらなきゃいけないなんていったら、ムース、今晩寝れなくなっちゃうもん。ただでさえ、学校へ行く前の日はなぜだか夜遅くまでいろいろなことをやっているっていうのに。

今日は1日中宿題に集中してたから、何も考えることなく終わっちゃったんだ。でもね、いつも巡回するサイトだけは今さっき見てきたの。でね、その中で1つムースの心を釘付けにしたサイトが…。オールディーズ好きのムース、そこのサイトに書いてあった曲名を見たときに思わず口ずさんじゃった。♪I'm so young and you're so old This my darling I've been told…って。この歌知ってるでしょうか?ポール・アンカの「ダイアナ」って曲なんだけど…。ムースの持ってる思い出CDの1曲目がこのポール・アンカの「ダイアナ」なの。何で思い出CDかっていうと、ムースが昔、ある人に恋をした時にその人と2人でよくきいてたCDだから。1日に何度も聞いてたんだ。でもねぇ、「ダイアナ」が思い出の曲じゃなくて、そのCDの中に入っているボビー・ビントンの涙の紅バラ(Bobby Vinton / Roses are red (My love))って曲が思い出の曲なんだ。♪A long, long time ago On graduation day, You handed me your book, I signed this way. "Roses are red, my love, Violets are blue, Sugar is sweet, my love, But not as sweet as you."っていう甘ぁ~い歌なの。いいでしょー。恋した思い出の曲が甘い甘いオールディーズだなんて。この曲の前がポール・アンカの君はわが運命(You Are My Destiny)で、あとがまたポール・アンカであなたの肩に頬をうめて(Put Your Head On My Shoulder)なの。だからちょっとポール・アンカに反応しちゃった。
ムースが初めてお勤めをしたのって新宿だったんだけど、その時に同期の友達とよく新宿のKENTO’Sってオールディーズのライブハウスへ行ってたの。今はもうなくなっちゃったみたいだけど。でね、ムースね、KENTO’Sでよくいろんな曲を聴いてたんだ。酔っ払って踊ってたこともあるし。終電ギリギリまでいたかな?オールディーズを聞きながらお酒を飲むなんて最高なんだから。
映画とか見てるとよくオールディーズってかかってるじゃない。その度にいい曲だぁーって思うの。今の曲もいいけど、オールディーズの方がもっといいんだ。前も書いたと思うけど、スタンド・バイ・ミーなんかオールディーズだらけだよね。シュガー、シュガーとかロリー・ポップとか。甘いお菓子の曲ばかり。
去年、ムースがアメリカのアイオワ州のエイムス(Ames)ってところへホッケーの関係で行ったのね。そこへ行くのに車で移動したの。車の中では地元のラジオを聞いてたんだけど、どれもこれも似たような曲でだんだん飽きてきちゃったの。その時、ラジオのチャンネルを変えたらオールディーズが流れてたのね。たまたま車を運転してた人もオールディーズが好きで、そのままオールディーズを聞いてたの。何曲か聞いてるうちにムースの知ってる曲も出てきたから、ちょっと口ずさんだんだ。実はその曲ってオー、プリティーウーマンなんだけど…。そうしたらムースに「これ好き?」って聞いてきたから、「ムース、オールディーズ大好き」っていったの。そうしたら、そのままずーっとオールディーズ聞いててくれたんだ。ちょーうれしかった。
そういえば、ムースのところにポール・アンカの電話でキッス(Kissin' On The Phone)ってないなぁ…。
明日の休み時間はオールディーズを聞こうかな?


2002年04月30日(火)



ゆっくりと…

人はそれぞれに消化できる量っていうものがあると思うの。食べ物の話じゃなくって、何かをやった時にそれをやりこなせる量。消化できる量のことね。1度にたくさんのもの、たくさんの量を上手にこなしていける人もいると思うし、ムースのようにちょっとずつしかできない人もいると思う。1度にたくさんのことができる人にとっては、ムースのような人はまるで何もできない人のように見えるかもしれない。歯痒く思うことが多いと思う。でも、その人にとってはそれでいっぱい、いっぱいだから。
人生ってちょー長距離のマラソンみたいなものじゃないかな?たった100mだけでどちらの人が速いとか遅いって比較したら、短距離の得意な人の方が早いと思う。でも、距離が伸びていったとき、どちらの人が速いかといったら、それは誰にもわからないよね。うさぎと亀の競争みたいなものなのかな?速くかけてばかりいたらいつかは疲れると思う。いつかは休みたいと思うの。でも、もし休むことができなくて、走り続けなければいけないっていうのなら、そのうち脇腹が痛くなるかもしれないし、脱水症状になるかもしれない。倒れちゃうかもしない。本当はそうなる前に休めればいいんだけどね。
いつも走ってるんだか歩いてるんだかわからない人を見たらイライラするかもしれないね。イライラしない人もいるかもしれないけど、イライラする人が多いんじゃないかな?それは自分が速く走ってて、相手にも速く走ってもらいたいって思うからイライラするんじゃないかな。もしかしたら、自分がこれだけ速く走れるんだから、相手も速く走れるって勘違いして急かしちゃうのかもしれないね。でも期待したほど速く走ってくれないからイライラしちゃうのかも。
遅い人には遅い人のペースってあると思うんだ。もしかしたらゆっくりと歩いて、小さなことも見逃したくないのかもしれないね。
野原の中をかけている時、見渡す限り同じ景色だと飽き飽きするかもしれない。速く走って景色が早く変わってくれることを期待するかもしれない。でも、その時にゆっくりと歩いて道端にひっそりと咲く花に目を向けることができれば、速く走らなくても、先を急がなくても、いつもいつも楽しいと思うの。それ自体は小さな変化かもしれないけど、いつもいつも新しい発見をしているから。毎日、新しいものに巡りあってるから。だから飽きることはないと思うの。もしかしたら速く走っている人より、楽しいかもしれないね。
都会という無機質なところに生まれて、そこで育って、いつも新しいものを追うのが当たり前のような生活がずっと続いた。周りを見渡しても、みんながみんな走っていたから自分も走るのが当たり前だと思ってた。いつも大きな変化を追い求めて。みんながみんな速く走ってたから歩くってことを知らなかったのかもしれないね。でもこれはこれで幸せだったのかな。だって走ること以外知らなかったら、そうするしかないんだから。いつもいうことだけど、何も知らなければ幸せだから。選択肢があるから悩むわけで、選択肢がなくて、与えられたもの、自分の目に見えるものがすべてであれば悩む必要なんてないんだから。
今、歩くことも知った。今まで走らなきゃいけないって思ってたからゆっくりと歩くことがとっても新鮮に感じるの。息切れすることもないから楽ちん。少しばかりではあるけれども、余裕も持てるから楽しい。だから今は自分のことも周りのことも見れるかもしれない。一生懸命走ってる人が横を猛烈な勢いで駆け抜けていくのが見える。苦しそう。息切れしてるのに、もう走ることに飽きてるのに、でも走ることしかできないから。その人を不幸にしてしまうかもしれないけど、そんな人には教えてあげたい。歩いていいんだよって。
うぅ~ん、いつものようにまとまりがなくなってきたから、この辺でやめます。

今日で発音矯正のレッスンが終わったんだ。たった2ヵ月半くらいのレッスンだったけど、ムースにとっては役立つことばかり。まだまだ知りたいことはたくさんあるけど、今の所はこれくらいでいいのかな?前へ前へってことしか考えられないから、いつもあせっちゃって、今だに何1つ自分のものにできてないけど…。英語を速く話す人の前へ出ちゃうとどうしても速くしゃべろうとしてムチャクチャになっちゃう。どうしてこうも周りの速さにつられてしまって、自分を見失うのかって思うけど…。早く前へ進むことしか考えられなかったから、いつもあせってばかり。最近はゆっくりでいいって思うけど、まだまだ自分のペースがつかみきれてないかな?ラグビーをやってるわけじゃないんだから、前へ、前へって急ぐことないのにね。
ここ8ヶ月は英語の特訓をしたようなものだったんだ。8ヶ月前と比べると何にも進歩してないように思うけど、もしかしたら後退したかもって思うけど、実は少しずつだけどいろんなことを知ったんだよね。それに気がつかなかった。今だに英語でなんてものは書けないけど、エッセーの書き方だけは習ったから。もしTOEFLを受けるようなことがあったら、今度はエッセーを書けるかもしれない。あくまでも可能性だけだけど。TOEICはもう受ける気ないから、よっぽどのことがない限り受けないと思う。ムースができない発音もわかったから、英語を話す時、どういうことに注意すればいいかもわかったし。8ヶ月前と今では何1つ変わってないけど、何ができない、どこがいけないってことがわかったから次へ進みやすいのかな。今までだったら、そんなことより早くいろいろなことができるようになることにしか目がいかなかったから。原因なんて知らなくてもいいから、早くいい結果が出て欲しかったから。
言葉なんて所詮はコミュニケーションの道具って人はいう。どこかのHPで、「フランス人が英語を話せばフランス人訛りがあるのと同様、日本人には日本人訛りがあって当然。だから英語の発音なんて直さなくていい」っていう感じのものを読んだの。確かに訛りがあってもいいと思う。でもそれは正しく発音ができてるときのこと。だって正しい発音をしてたら相手に通じるもんね。コミュニケーションできるもんね。
サンフランシスコにいる友達と電話で話した時、彼女が友達の話をしてくれたの。その人が英語で「トラベル」といってるのにアメリカ人には「トラブル」って伝わってるんだって。不思議に思うでしょ?ムースにとっては不思議な話じゃないけど。だってムースのできない発音が入ってるんだもん。BとVの違い?ううん、違います。「トラベル」のラの部分の発音。Rじゃなくって母音の方。ムースが「トラベル」っていっても相手は「トラブル」って思うだろうね。だって「トラブル」のラの発音をしちゃうから。しかもラの部分強勢を置くから、相手はここの母音で何をいってるか判断しちゃうしね。BとVの発音ができなくたって、この場合ではラの発音さえあってたら通じちゃうんだよね。コミュニケーションとれちゃうんだよね。これって訛りじゃなくって間違ってるってことだもん。だからムースは発音の矯正をしてるんだけど。
もちろん、日本語にはない発音だから一朝一夕では直らないよ。でも、ムースが求めていたものは結果だった。だからあせってたよね。いつも、いつも。
スペインでよく先生にいわれたのは「ムース、Poco a poco(ポコ ア ポコ)」少しずつって。何も早く走ることはないんだよね。少しずつ、ゆっくりと。それが今のムースにとって大切なことかな。


2002年04月29日(月)



リニューアル

この週末はずーっとHPをリニューアルしてた。今日もお昼に起きてから、1時間だけHPのリニューアルをしようと思ってパソコンに向かったものの、気がつけば夕方の6時。本当に学習って言葉を知らないみたい。こうやって遊んでいて、夜になると後悔するんだもんね。今日は○○するはずだったのに…って感じで。いつも同じことの繰返し。もうちょっと賢くならなきゃ。
今日はリンク用のバナーを作ってみたけど、これが思うように作れないの。ムースはいろいろなサイトへ行って、いろいろなHPのリンク用のバナーを見るけど、どれもこれもきれいなバナーだよね。まぁ、デザインのセンスが全くないから、どんなにがんばったところで出来上がるものはろくでもないんだけど…。でも、きれいなバナーを作りたいよぉー。別にバナーを作るツールがないわけじゃないんだ。一応、ムースの使ってるパソコンにはフォトショップが入ってるから、大体のことは出来るの。もちろん、イラストレーターもあったら鬼に金棒って感じだろうけど、ムースにしたらそれは宝の持ち腐れにしかならないからいらないんだ。HPのリニューアルとかをやってて思うんだけど、本当、ムースにはデザインのセンスっていうのがまったくないと思う。もうちょっと右の脳が活躍してくれるとムース的にはうれしいんだけど…。
昨日はJava Script にはまっちゃって1日費やしたし、今日はバナー作りにはまって1日費やしたし。そんなことで、この週末は全くお勉強しませんでした。今週末から期末試験だっていうのに大丈夫なんだろうか?
これだけ時間を費やしてHPのリニューアルをやったんだけど、まだまだ昔のままになってるところもあるんだよね。そっちのリニューアルはまた今度にします。だって2週間経てばムースは夏休みに入るから、腐るほど時間があるんだもん。その時は3日でも4日でも時間をかけることができるんだ。っていうか、HPのリニューアルをするより、詩やエッセーを書かなきゃダメだよね。このHPのメインなんだから。今、ムースの部屋は日記サイトになっちゃったけど、本来は詩やエッセーを中心にしたページにする予定だったから。だから夏休みになってゆっくりと本が読めるようになったら、いろいろなことを書こうと思ってるんだ。その時は支離滅裂なことを書かないように気をつけまーす。
そういえば、HPをリニューアルした時に検索用のキーワードをトップのページに埋め込んだのね。そうしたら、今までヤフーの検索ではひっかかってたこのHPがひっかかんなくなっちゃったの。ショックだった。1度キーワードを消したものの、優柔不断の性格だからまた戻したり。今はキーワードが残ったままなんだ。どうにか検索にひっかかってくれるようになったらいいなぁーって思うけど、ダメならダメで仕方ないか。もう1度ヤフーに登録を試みないとね。
ムースにはゴールデンウィークってものがないから、明日からまた学校です。今日はHPのリニューアルでちょっと疲れました。


2002年04月28日(日)



プログラムエラー

今朝起きた時に何となくHPのデザインを変えたくなっちゃったから、今日は1日中パソコンとにらめっこしちゃった。って毎日パソコンとはにらめっこしてるんだけど…。ムースの住む北の大地はまだ寒く、今日は1日中雨だったけど、前に比べるとかなり暖かくなったんだ。だからHPも外の陽気に合わせて、ちょっとはさわやかな感じにしてみました。やっぱり、1面ピンクっていうのは、これからのことを考えるとちょっと暑苦しいよね。ってな訳でベースを白にして、文字をピンクにしたんだ。きっと修正しなきゃいけない部分があると思うから、これから数日間は大変なのかな?
HPの修正なんだけど、実はとっても大変だったの。何が大変って、今まで使ってたJava Script をちょっと手直ししたら全然動かなくなっちゃったの。このHPでJava Script を使ってるのはメール用に新しいウィンドウが開くところだけなんだけど、それがちゃんと動いてくれなくなっちゃったんだ。本当にねぇ、困ってた。だって、どうやってもスクリプトエラーってなって、ウィンドウの下のところに変なマークが出ちゃうんだもん。ムースのところにオライリー社のJava Script って本があるんだけど、それを見ても原因がわかんないの。もちろん、本に書いてあるようにやってるんだよ。でね、あまりにも上手くいかないから、晩御飯休憩をしているときに、インターネットでJava Script のことをちょっと調べようと思って何個かHPを見たのね。でね、そこに書いてあるプログラムをコピーして試したんだけど、何かのタイミングでダメになっちゃうの。こういう時って最悪ね。どこが悪いんだか全然わからないの。イライラはすることは簡単だけど、落ち着くことができなくって。ずーっと悩んじゃった。でね、あれこれと試行錯誤を繰り返してるうちに、いつの間にかちゃんと動いてくれたから、まっ、いいかぁーって思ってそのプログラムを使っちゃった。そんなことなんで、もしかしたらムースにメールを送るのは危険かも?っていってもこの日記のページからもメールを送れるようになってるから、何かムースに用事がある人はこっちから送ってもらった方が安全かも。
ムースがね、プログラムを書いているときに今日のように二進も三進もいかなくなっちゃうことってよくあるんだ。昨日も実は似たようなことがあったの。昨日は学校の宿題をやってたのね。お昼休みに学校で動かしたらちゃんと動いてたから、まぁ、問題はないだろうと思ってたんだけど、ちょっと直さなきゃいけない部分があって、ほんの少しだけ修正をしたのね。それからが大変。突然、プログラムがエラーになっちゃって、どうしようもないの。でね、どこの辺りが悪いっていうのはわかるんだけど、どこがいけないかわからないのね。昨日もねぇ、30分でできる修正が結局4時間もかかっちゃったの。でね、何がいけなかったかっていうと、この行がおかしいですよっていう前の行の終わりの1文字がどっかにいっちゃってたの。その1文字がないことに気がつかなくてずーっと考えちゃった。自分でHPを持っている人だったらわかると思うんだけど、HPを作る時にタグっていうのを書くじゃない。<html></html>みたいなやつ。それのね「>」を書き忘れちゃったって感じだったの。自分ではそれは存在してるものと思ってるから、プログラムの流れの中で何かおかしなことをやってるんだろうとしか思ってないから、ずーっと見当はずれなことばかり調べちゃうんだ。でね、最後はプログラムを印刷して、1行1行追っていかないとわかんないって状態までなってたの。そんなとき、ふと気がついたんだ。コピーして貼り付けた時に1文字どっか行っちゃったんだって。
今日もそうだったと思う。今日の場合はどこがおかしいっていうのがわからないままになってるから、実はあまり良くないんだけど動いたからいいかな?それにこれはお仕事じゃないしね。お仕事だったら動いたからいいでしょうってことは許されないもんね。
それにしてもムース、こんなんでいいのでしょうか?今は学生だけど、学校が終わったらまた現場に戻ってお仕事でプログラムを書くことになると思うのに…。しかも、ムースの場合はずぶの素人って訳じゃなく、プログラムを書いてご飯を食べていたのに。困ったものです。
っていってもプログラムを書くことに関してはまだまだ飽きが来てないので、また明日からプログラムを書くんだ。宿題のなんだけどね。明日はC++っていうコンピュータ言語のものとPascalっていうコンピュータ言語のプログラムを書かなきゃいけないんだ。ちょっと大変かもね。だってC++はOKなんだけど、Pascalっていう方は今学期になってから必要になって書き始めたから。今学期は授業の関係でFortranっていうプログラム言語のプログラムもよく書いてるの。だから、たまにどの言語がどの言語だかわかんなくなっちゃう。HPでHTMLとJava Script を使って、授業でC++とPascal、Fortaranを使って…。お仕事をしてた時はCっていう言語を使ってたし。そのほかにもいろいろと覚えなきゃいけないものってあるしねぇ。そう思うとコンピュータでオールマイティになるって大変。もちろん基本的なことは一緒だけど、細かいところが違うからそれを覚えなきゃいけないしねぇ。
コンピュータもいろんなのを使ったけど、やっぱり毎日使うウィンドウズが一番使い勝手のいいもんになっちゃうんだよね。これだってオールマイティになるなんて難しいよね。実家にはマッキントッシュがあるのね。だからムースはマックも少しわかるし、ウィンドウズもわかる。学校ではLinux を使ってるし、お仕事ではDOSかUnix なのね。一見、何でも使えそうでしょ?どれも中途半端にしか使えないから困っちゃうの。まぁ、それがムースらしいといったらムースらしいんだけど。
今日はこんな感じで、1日パソコンとにらめっこしちゃったからちょっと疲れちゃった。あっ、もし、ムースのHPに不具合がある場合はお知らせください。不具合の原因を調査して、修正しますので。


2002年04月27日(土)



航空政策

今日、いつものようにネットをフラフラしてたら、日本航空と日本エアシステムの経営統合についての書いてあった新聞が3紙あったのね。朝日とナベツネと日経なんだけど、思わず全部読んじゃった。だって興味あったんだもん。今のムースは日本航空にも全日空にも日本エアシステムにも乗ることはないけど、もし何かの用事で北海道へ行かなきゃいけなくなったとき、どれかの航空会社を使っていかなきゃいけないもんね。その時に東京-札幌の往復の値段が6万円とかっていわれたら困っちゃうもん。
格安と正規の飛行機の運賃を比べてこっちが高いとか、こっちが安いっていうのはナンセンスかもしれないけど、でも今って東京-札幌の正規往復料金より東京-ロサンゼルスの往復の方が安いでしょ?これって変だと思わない?東京から北海道への2泊3日のツアーの値段と普通に飛行機で往復する値段も同じくらい。これも変な話。東京-札幌便っていうのはドル箱路線だから、どんなに値段を上げても人が乗るもんね。だから航空会社も値引きをしないと思うんだけど、やっぱりロサンゼルスへ行ったほうが安いっていうのは腑に落ちないんだ。
例えば、東京からロサンゼルスへ行く便はいくつもの航空会社が参入してるよね。日本の会社もあれば、アメリカの会社もあるし、他のアジアの国の会社も就航してる。っていうことは、一応市場の原理が働いて競争ってものが起こるよね。価格競争でもあり、サービスの競争でもあったり。当然、お客さんの立場からすれば、安くて快適な空の旅ができる航空会社を選ぶようになると思うんだ。まぁ、今はどこの航空会社のサービスも50歩100歩いった感じだから、その人の好みの航空会社を選ぶと思うんだけど。その時に4万円でいける外国の航空会社と10万円する日本の航空会社のどちらを選ぶっていうことになると、多くの人は外国の航空会社を選ぶと思うの。だって日本の航空会社を使ってもメリットが何にもないんだもん。今は外国の航空会社を使っても必ず1人は日本人の客室案内係(パーサーやスチュワーデス)が搭乗してるじゃない。だから、いくら英語が話せなくたってアメリカへだったら行けちゃうもんね。空港でも日本語を話す人がいるから入国審査も問題ないしね。ムースはね、預けていた荷物を取って、税関を出て、そのときになって初めてあぁー外国来たんだぁーって思うの。だって、それまではすべて日本語なんだもん。ってことは、何も高いお金を出して日本の航空会社を使うメリットって本当にないと思うの。まぁ、事故があったときはそのメリットが生かせると思うけど、これはあってはいけない話しだから除外するね。ってことはいつも満員の外国の航空会社とガラガラの日本の航空会社っていう図式が自然と出来上がって行っちゃうと思うんだ。これねぇ、本当によくないことだよ。
今日の社説を読んだ時、ムースが昔勉強したことを思い出して、ちょっと検索してみたの。そうしたらね、日本航空のHPにぶつかったんだけど、その中に書いてある事は時代錯誤もいいところだなぁって思っちゃった。「現在の日本航空・全日空・日本エアシステムの3社体制は、昭和45年(1970年)の閣議了解「航空企業の運営体制について」と、その後の所謂「ロッキード事件」を挟んで出された「(閣議了解の)航空企業の運営体制を・・・具体化する」昭和47年(1972年)運輸大臣示達に基づいて作られて、30年後の今日に至っています」だって。バカみたいね。この昭和45年の閣議了解と昭和47年の運輸大臣示達でできた航空行政の体制のことを45・47体制っていうんだけど、今だに30年も前に決まったやり方で今のこの国際社会を渡っていこうとしてるんだから本当に寝ぼけてるよねぇ。それにね、日本の航空会社って外に向かっていこうとしてないみたいなの。内に内にって感じがする。一生懸命、国内線の路線拡張に走るのもいいけど、海外の路線はどうするんだろうねぇ。ムースが知る限りだと、路線拡張って話より、撤退って話の方をよく聞く気がするんだけど。こんなことやってると、そのうち日本向けの路線ってみんな外国の会社になっちゃうような気がする。国内路線だけは、政治の力でどうにか確保できるだろうけど、他はもうダメだよね。
日本の空港なんてアジアのハブ空港(中心となる空港)へ向かうための中継点の1つになってるよね。成田空港問題でガタガタやってるうちに他のアジアの国はアジアのハブを目指して大きな空港をどんどん作ったでしょ。韓国だって金浦空港から仁川空港になるんだっけ?香港も新しいところに飛行場ができたよね。シンガポールのチャンギ空港なんかは世界で1番大きい空港じゃなかったっけ?滑走路だって4本持つのが当たり前のようになってるし。成田はこの間やっと2本目でしょ?羽田でさえ3本あるのにね。中部国際空港とかいったバカげた飛行場を作るより、ハブとなる空港が必要なのにね。立地的には日本って恵まれてるのに…。ムースが思うに、このままだと格安航空券が世の中に出回った頃のように、海外へ行く人は香港かソウルで乗り換えっていう日がまた来るんだろうね。本当に航空政策はお粗末さまです。

この間は文部科学省に文句をいいましたが、今日は国土交通省に文句をいってみました。っていうか、本当は公正取引委員会に文句いわなきゃいけないんだけど…。実はこの日本の航空政策についてなのですが、遠い昔にムースは勉強したことがあるの。っていうか専門だったの。自分でも忘れていた過去だったんだけど…。ムースが昔、経済学部に在籍してた時に入ってたゼミが交通論で、先生は規制緩和のことを専門にしてたんだ。ムースは飛行機に興味があったので、日本の航空政策を専門に勉強したんだ。っていっても途中から学校へ行かなくなっちゃったんだけど…。でも、何冊か本を読んでレポートも書いているから今でも45・47体制のことや、今日は書かなかったけど以遠権のことについても勉強したんだ。ハブ化についてもしかり。ムースが経済を勉強していた頃からアジアのいろいろな国はアジアのハブになって経済を活性させようとしてたのに、日本は落ち行く一方だよね。その間に冬季オリンピックだって開催されてるんだし、今年はW杯も開催されるっていうのにねぇ。
さっきからハブ化っていうことを書いてますが訳わからないと思うので簡単に説明をします。これを読んでる人はコンピュータのことについてだったらわかる人もいるだろうから、そっちに例えた方がわかりやすいかな?ネットワークに詳しい人だったらハブと聞けばすぐにわかると思うけど…。日本語でいうと中心っていう感じかな?例えば四国の人が東北へ飛行機で行こうとすると羽田で飛行機を乗り換えるよね。何でかっていうと羽田空港には日本全国津々浦々から飛行機が飛んできて、散らばっていくから、羽田へ行けばどうにかなるでしょ。羽田空港のようにいろいろなところから集まってきて、散らばっていく中心的な空港のことをハブ空港っていうの。でね、アジアのハブ空港になるってことはヨーロッパやアメリカから来る飛行機がすべて日本行きで、アジアの他の国へ行く人はそこで乗り換えなきゃいけないような空港になるってことなの。日本人にとっては便利だよね。っていうか便利っていうひとことだけで片付かないけど。経済効果もあるし、価格競争も起こるから、海外旅行が安くなるし。支離滅裂になっちゃうからもうこれ以上書かないけど、メリットはたくさんあるんだ。もちろん、デメリットだってあるよ。今は思い浮かばないけど…。
日本にこういう飛行場があればいいなぁーって思ったんだ。
今日は昔勉強した、ムースの専門についてちょっと触れてみました。


2002年04月26日(金)



会議

日本とアメリカではお仕事のやり方が違うのは周知のことだと思うけど、でも実際に外資系の企業やアメリカの企業にお勤めしないとどこがどう違うんだかわかんないよね。ムースも外資系といわれるところに勤めたことがないからよくわかんないの。っていっても純粋な日本企業で1年くらいだけどアメリカ人やスコットランド人と一緒にお仕事をしたことがあるから、ちょっとだけ外人のお仕事の仕方がわかるんだ。でね、思ったのは本当にお仕事の仕方が違うなぁーって思ったの。雰囲気的には自由な感じなんだけど、実は結構厳しいノルマがあったりして大変だなぁーって思ったんだ。
それと調達の部長さんは日本のことについて書いてある本を読んで、一生懸命日本のことを勉強してた。何かねぇ、これがエリートなのかなぁって感じの人だったの。物腰はすっごくやわらかいんだけど、何となく近づけなかったの。住んでる世界が違うって感じだった。だから会議以外の場所ではほとんど話しなんてしたことなかったけど…。ムースはもっぱらスコットランド人と飲みに行く話ばかりしてたかな。
あとねぇ、会議のやり方っていうのが違うんだよね。よく日本の会社の会議と外国の会社の会議のやり方を比較していろいろなことを書いているHPがあったりするけど、ムースがそれを見た時は大体うんうんってうなずきながら読んでるの。だって本当に違うんだもん。こんなことはアメリカでもあんまり起こらないと思うけど、1度だけ会議で面白い終わり方をした時があったの。
ムースが前にお勤めしてた会社では毎週金曜日の午前10時に会議があったのね。その会議ではムースの担当してた仕事の進捗状況なんかを中心にして、これからどういう形で仕事を進めていったらいいかってことを話し合ってたの。でね、ある日のこと。いろいろな話をしてたら会議が12時になっちゃったのね。そうしたら、調達部長さんが「今日、家内とお昼ご飯を一緒に食べる約束をしてるんだ。そろそろここに来るはずだから会議を終わりにしない?」っていうの。さすがにこれにはみんな笑っちゃって、「うん、やめよう」ってことになったんだけど、日本じゃこんなことって絶対にないよね。ちなみにお客さんの勤務時間が金曜日はお昼の12時までだったの。だから12時以降のお仕事は勤務時間外になるんだよね。だからかもしれないね。誰もがやめようっていったのって。
日本の会社の会議って偉い人が一方的にいいたいこといって終わっちゃうって感じじゃない?ムースがお勤めしたところはそんな感じだったんだけど。だからいつも思ってたの。これって時間のムダだなぁって。眠い時とか、だるい時は会議ってうれしかったけど、山のようにやることがある時は会議ほどイヤなものはなかったんだ。っていうか会議っていうよりも、偉い人の演説を聞いてるって感じだったかな。でもね、アメリカ人とやってた会議は面白かったんだ。何でかっていうと、結論を出そうとするからなの。仕事をしてて上手くいかないことがあったら、どうしてそうなのか、何が必要か、どうしたらよくなるか等々いろんなこと話して、改善策となる結論をだそうとするの。これがおもしろかったの。時にムースにとってイヤな結果になることもあったけど、でもそれでお仕事が上手くいくんならって思って渋々とだけどやったし。これって大きな違いだよね。どっちがいいかってことはいえないけど、当時のムースにしたら外国のやり方って新鮮だったし、面白かったんだ。
今日は何でこんな話をしたかっていうと、いつもムースが巡回しているHPに「日米のビジネス文化の狭間で<プロジェクトの違い>」って題で日本とアメリカの会社の違いについて書いてあるのを読んだからなんだ。題名をクリックしたらHPが見れるようになってますので。これがねぇ、本当に面白いの。パソコンに向かって1人でニヤニヤしながら読んじゃった。ムースも当時は右も左もわからない新人で、いきなり大きなプロジェクトに放り込まれちゃったけど、きっと周りの人はこんな素人いらないって思われてたのかな?ムースの場合はそこのページに書いてある「期待以上に仕事をしてくれる人」でもなかったし、「プロジェクトが終わると会社を辞める」ってこともなかったし。ムースの場合はプロジェクトが終わる頃に会社からいらないっていわれて子会社に戻されたから。まぁ、その子会社も一昨年になくなって、その時にムースは社内で1番に首を切られたけど。会社にとってかなりお荷物だったみたいだね。だからMBAを取りに留学するってこともなかった。昔は興味あったんだけどなぁ…。MBAを取ることに。でも今はビジネスに興味がなくなっちゃったから。それより今は技術屋さんになりたいって思ってるんだ。だからコンピュータのこと勉強してるんだもん。ムースに何ができるかわかんないけど…。

昨日、久々にお酒を飲んだら今日は大変なことになっちゃった。二日酔いもいいところ。起きたのは午後2時。昨日寝たのは12時半くらいだったのに。今もちょっと気持ち悪いし、頭も痛いの。久々に飲むお酒なんだから、どれだけ飲んだらいいか考えればよかったのにねぇ。相変わらず記憶も飛んでたし。記憶にあまりないんだけど、寝る前に赤いきつねを食べて寝てたみたい。でね、今日起きてから冷凍庫の中にあるウォッカを見たら1/3なくなってたの。これはムースにしたら結構な量。だから今日は1日中ベッドの中で過ごすことになっちゃったの。本当に大変な日。でもね、1つだけいいことがあったの。それは、もうお酒を飲むのをやめようって思えたこと。前だったら、断酒してた反動でたくさん飲むようになっちゃうけど、今回はそれがないみたい。その証拠に今日は1滴も飲んでないもん。1度飲み始めると、すぐに以前の習慣が戻って毎日飲むようになるムースだけど…。元々下戸だったからこれでいいのかな?体にもいいしね。アルコールが1滴も飲めないってことはないから、適当にお付き合いもできるし。これくらいがちょうどいいかも。何となく思うんだけど、本当にお酒を飲むのをやめちゃいそう。今まで休むことなく、毎日飲んでたのに…。


2002年04月25日(木)



再開

ついに再開しました。またお酒を飲みます。っていうか、もうビールを飲んじゃいました。1本だけだだけど…。断酒71日目にして飲酒再開です。もし、ムースがアル中の病院に入っていたら退院できなかったね。やっぱり、ムースは飲んでなんぼって感じの人だね。つくづくそう思ったの。
昨日、この日記をアップしてからお友達の家に遊びに行ったのね。ホッケーの人の家へ。彼はカルフォルニア州のサンノゼで働くからっていって向こうへ行っちゃってたんだけど、今週1週間だけこっちに帰ってきてるんだ。でね、ちょっとだけ飲みに行こうかって話になったの。もちろん、ムースはお酒をやめちゃってたからコーラを飲んでたけど。ムースにとって生まれて初めての経験だったんだ。飲み屋さんへ行ってジュースしか飲まなかったのって。ビールを飲めないことは気になんなかったけど、何かが違うなぁって思ったんだ。
でね、今日は学校でホッケーの人たちが集まることがあったの。ムースも顔を出してきたんだけど、ネットの世界に入ってからというのも現実の世界とはあんまり付き合いがなかったから、会う人、会う人、みんな久しぶりだったの。70日断酒したんだから、みんなに会ったのは約80日ぶりかな?ネットの世界に入ってから約90日だし。去年からのゴタゴタを引きずってこっちに戻ってきて、疲れ果てて、表面上一段落した時に、心が悲鳴をあげちゃったんだ。で、現実から逃げるようにしてネットの世界に入ってきた。っていうか戻ってきたっていった方がいいのかな?いろいろ考えることがあったからお酒もやめたんだ。今は悲鳴をあげてた心も落ち着いてきた。だから、現実に少しずつ戻っていったんだ。でね、一緒にバカやってた人にちょっとずつ会っていったの。会うたびにみんなにどうしてたの?って聞かれたんだ。そりゃそうだよね。おバカさんの筆頭、ムースが突然消えちゃったんだから。すべてを話そうと思うと話が長くなるから、適当に笑ってごまかしちゃったけど。
みんなと話をしてて思ったんだ。何だかんだいっても、飲みながらコミュニケーションとってたんだなぁーって。みんなとの共通点って飲むことだったんだなぁって。飲むのをやめちゃってから、ムースはいっつも1人だった。前に書いたと思うけど、ムースに声なんて必要がなかった。だって使わなかったんだもん。話すことなんてなかったから。発音の矯正のクラスの時と英会話の時だけ声を出したけど、あとは声なんて出すことがなかったんだ。1週間で2時間だけ声が必要だったけど、あとは声がいらなかったの。でもね、飲んでた時は何だかんだいってもみんなとしゃべってたの。声が必要だったの。孤立してるなぁーって感じることはいつものことだったけど、本当の1人ではなかったの。今、それに気がついたかな。
ムースは適度とかほどほどにっていうことが上手くできないの。だから飲み始めると、普段の生活なんて無視して飲んじゃうの。だからしばらくやめたんだけど、またみんなと飲みに行くようになると思うんだ。っていうか、飲んでストレスを発散することもあるしね。考えすぎることもなくなるだろうし、分析しすぎることもなくなるだろうし。ムースの場合、飲んだほうが肩の力を抜けるときが多いかも。ってなことで、これからはまた飲みます。っていっても、たった1本しか飲んでないビールがとっても利いてるんだけど…。今いい感じで酔ってるかな。よく日記なんて書けるねぇって思わないでね。もうちょっと飲んだら、誤字・脱字が今まで以上に増えるし、今まで以上に支離滅裂になるから。
あと2週間したら期末試験で、それが終わったら夏休みになるんだ。去年の夏休みにここに来て、あと2週間で今年の夏休みを迎えるの。長いようで短かった1年だったなぁ。ちょっといろいろなことがありすぎた1年だったけど。いつも思うけど、この1年間の出来事を笑える日が早く来ればいいなぁーって思って。ムースにとってふさわしい人と知り合って、恋して、これでよかったんだぁーって思える日がいつの日かくればいいなぁーって思う。
いやぁー久々のお酒は利くねぇー。って今日はこれからまだまだ飲みますよー。では、また明日。明日も皆さんが読んでくれることを願いつつ、今日の日記を終了します。


2002年04月24日(水)



数字のマジック

数字のマジックに踊らせられている。そう思うんだ、今日この頃。1日にカウンターの回る数、体重、成績などなど。毎日これらの数字に踊らされてる。
例えば、ムースのHPにもついているカウンター。1日のカウンター数を増やそうと思ったら再読み込みを繰り返せばいくらでも増えていく。ReadMe!とかにでてるアクセス数。朝から晩まで、何度も何度も自分のHPを見れば自然と増えていく。もちろん、つないだままになってるとダメだけど、ダイヤルアップでつなげてる人だったら、つなぎ直すたびにカウントされていくの。だって、サーバの名前が毎回変わるんだもん。コンピュータはそれを違う人がつないでると思うよね。もし、ドメイン名、xxxx.co.jpとかxxxx.ne.jpだけで判断してたら大手のプロバイダーを使ってる人は一向にカウント数が増えなくなっちゃうもんね。こうやってからくりがわかってるのに、アクセス数が増えた減ったと一喜一憂して数字に踊らされてる。
体重もそう。本当は全然太ってないんだけど、たった500グラム増えただけでも体重が増えたとちょっと落ち込む。だって、もうデブとはいわれたくないから。実はムースが一番太った時でも普通だったの。だって身長-100よりは2kgくらい下だったんだもん。それでも、毎日のようにデブといわれればやっぱり気になる。いつの間にか数字のマジックに踊らされるようになっちゃった。減量しても体重ってなかなか落ちないじゃないよね。最初の1ヶ月はムースにとってもつらかった。だってどんな走っても、どんなに汗かいても体重が減ってくれないんだもん。がんばって、がんばってやっと1kg。2ヶ月が過ぎても2.5kg。ちょっと大変だった。食事制限は一切しなかったから、やせるっていっても急にはやせなかったよね。お酒だって毎日たくさん飲んでたんだし。今思うととってもバカげてるんだけど、ビールで酔うためにはたくさん飲まなきゃいけないし、カロリーもたくさん摂取しちゃうからって思って、最初の1杯だけビール飲んで、あとはずーっとウイスキーを飲んでたんだ。しかもいつもロック。これだもん、胃がボロボロになって、そのうちに背中が痛くなっちゃうよね。胃薬が手放せなくなっちゃうよね。でも、数字のマジックに踊らされていたから、やめることできなかったなぁ。
運動はやめることなかったんだ。胃は痛かったけど、基本的には調子がよかったしね。そうしたら、ある時からやっとやせ始めてきてくれたの。やっと念願がかなって。でも、ここからも数字のマジックに踊らされたけど。それは体脂肪率。ムースの場合は運動してやせてたから、体重の減少とともに体脂肪率も少しずつ減ってくれてたけど、でも思うようには減らないんだよね。だから減量大作戦はとどまるところを知らなくなる。元婚約者がもうそれ以上やせなくてもっていってたけど、やめる気にはなれなかった。だってその人こそが毎日デブデブいい続けた張本人だもん。いつ、そんなこといったっけ?っていうかわからなかったし。結局半年で12kgやせた。体脂肪率も10%落とした。でも、数字のマジックに踊らされることは終わりを知らなかったけど。
お正月、実家で毎日ゴロゴロしてたんだ。気がついてみればたった2週間の帰省で3kgも増えてたの。こっちに戻ってくればすぐにやせるだろうって思ったんだ。確かにすぐにやせた。正直、ここまでやせるとは思わなかったけど。だって、こっちに帰ってきてからずーっと疲れてたし、何食べても美味しくないんだもん。だから自然と食べたいって欲求がなくなってきちゃったんだよね。その上、鬱による無気力症にもなってたから、料理もしなくなっちゃってたし。2ヶ月で6kgもやせてた。今回は運動したわけでもなく、何もせずに6kgもやせた。まぁ、それだけ疲れてたんだろうけど…。体重計に載って自分の体重を見たときには正直いって驚いた。だって、昔やつれ果ててげっそりした時があったんだけど、それよりもやせてるんだもん。だから、体重を戻さなきゃ死んじゃうって思ったけど、何日かその体重を見続けたら感覚が麻痺して、その体重が普通だと思い始めちゃったんだよね。だから今、本当はやせてるんだけど、たった500グラム増えたくらいでも太ったぁーって思っちゃう。でも、これはちょっとトラウマも入ってるよね。だっていやだぁー、いやだぁーって思ってたのに毎日のようにいわれ続けたんだもんね。イヤっていってもなかなかいうのをやめてもらえなかったけど…。
今、ムースがとっても踊らされてるって思うのはやっぱり成績かな?学生だから成績っていうものがついて回るのは仕方ないけど…。ムースの場合、このプレッシャーに負けちゃっていろいろと大変。例えば小テストや宿題の設問で1点ずつ減点されていく。気がつくと、とんでもないくらいの点数が減点されてるときがあるんだ。とはいっても20点中8点の減点とか。これだけでみると大したことないかなとも思うけど、これが積もり積もるといつの間にか100点満点で60点くらいの点数になってる。だからたった1点でも減点されるとがっかりする。もっともっと大きなところからみたらたった1点なんだけど、今は数字に踊らされているから1点が重くのしかかるんだ。1000点満点の試験の1点なんて大したことないかもしれない。一生涯のうちにやるテストの中の1点なんて本当は大したことがないのかもしれない。でも、今は大きい。
試験ってそれだけで人の価値が量られているいるようだからムースはあまり好きじゃないの。ムースの場合、いわれた言葉を自分のものにする時間が必要だし、言葉を噛み砕く時間が必要だから…。もちろん、学生やってる限りは試験っていうものがあるから勉強するのかもしれない。それで理解度を測る以外方法はないのかもしれないけど…。前に過程が大切って書いたけど、今学期は赤点しか取ってない数学を除けば、って他はコンピュータの授業しか取ってないんだけど、それだけだと過程より結果の方がいいんだ。普段はボロボロ。でも、実はこれって普段たくさん間違えてわからないところがわかるようになるから、試験の時までにいろいろなことを覚えて、試験ではある程度納得のいく点数を取れるんだよね。でも、成績表につく成績は全部をひっくるめた成績だから、当然悪い。それを見てがっかりする自分がいるの。でも、皮肉なことに前学期は普段の成績に助けられたんだ。今学期は普段の成績に足元をすくわれてるけど…。だから今は毎日1点に一喜一憂する。
もう、数字のマジックには踊らされないようにしようって思うけど、どうも心がいうことを聞いてくれない。頭の中では人の価値は数字で計れないし、数字にも置き換えられないってわかってるのに、踊らされてるし、一生懸命踊ってる。いくら成績が悪くたって、本人にやる気さえあれば、いくらでも勉強できるのになぁ。でも、この成績を見てると、もう勉強するのをやめたらっていわれそう。
学費や生活費といったお金という数字に踊らされ、成績という数字に踊らされ、体重という数字に踊らされ、アクセス数という数字に踊らされ、踊りつかれたかな?今、それに気がついたのかも。自分が自分でいるために数字にとらわれないようにしようと思うけど、そうはいかないんだろうなぁー。
何で世の中のものすべて数字で置き換えようとするんだろう。ってもしムースがコンピュータに感情を持たせるためにはどうすればいいかって勉強をしたら、感情までも数字で置き換えるようになっちゃうんだ。きゃー、最悪。でも、心理学好きのコンピュータ学科の学生、ムースが興味を持つことってそういうところなんだもんなぁ。やっぱりしばらくは数字のマジックに踊れされ続けなきゃいけないのかな…。世の中って皮肉なものなのね。

今日、久しぶりに詩を2つほどアップしたんだ。もしよかったら読んでください。前に書いたものだから季節的におかしいかもしれないけど…。実はムースのメモ帳にあと3つ、4つ詩が書いてあるんだ。近々アップしますので。もし、この日記を読んでる人の中ででトップへいけないって人は、申し訳ないんですがヤフーへ行って「ムースの部屋」で検索してみてください。1番最初のひっかかったHPがムースのものだと思いますので。


2002年04月23日(火)



コミュニケーションって難しい

コミュニケーションって難しいと思わない?ムースはいつもコミュニケーションをどう取ったらいいか悩んでるの。だってコミュニケーションって難しいんだもん。
例えば、友達に同じ言葉を使って話しても、いい方によってはイヤな思いをさせることだってあるよね。みるみる相手の顔が怒っていくのがわかったりして。それをいってる本人は何も気にせずにいっているつもりでも、自分がイライラしてたりするとどうしても言葉の調子が強くなってしまいがち。言葉の端々にイライラが出ちゃったりしてね。楽しい話をしていても、自分の気持ちが落ち着くまでは、怒ったようないい方になってしまうこともあるんじゃないかな。そんなの私の知ったことじゃないよって思うかな。ムースは知ってて欲しいと思うんだ。だって、コミュニケーションって1人でするものじゃないんだから。相手がいるからコミュニケーションなんだから。自分のいい方次第で、相手の気分を害すことも出来るし、相手の気分をよくすることも出来るよね。これってコミュニケーションの難しいところだよね。
もし、ムースが多くの人に同じ言葉を同じ感じで話したとするじゃない。TVを通じて話したってことの方がいいかな。それだと、同じ言葉を同じ感じで話しているって状況に合致するもんね。じゃ、TVを通じてみんなに何かを伝えたとするね。でも人によって受け取り方って全然違うよね。好意的にとる人もいれば、敵意を剥き出しにする人もいるだろうね。同意してくれる人もいれば、反対する人もいる。これには個人の考えっていうのが入ってくるから当然の結果なんだけど、それを知らないでお話することってあるよね。例えば、知り合ってからまだ日が浅い人としゃべる時って普段以上に丁寧に気を使って話そうとも、相手の受け取り方次第で会話が予期せぬ展開を迎える時がある。ムースはそういう場合に困ってしまって、ついつい黙っちゃうんだけど。これもコミュニケーションの難しいところだよね。
仲のいい友達とお話しているときって、ついつい言葉を端折ってることない?いちいち事細かにいわなくたってわかってるよとか、自分が何をいわんとしてるか相手がわかっているだろうって期待したりとか。でも、本当にわかってるのかといえば、わかってないんだよね。もちろん、いつもわからない訳じゃないと思うけど、相対的にみたらわかってないことの方が多いと思う。いわなくてもわかってよとか、どうしてわかってくれないのってことをいっても、相手は自分じゃないから100%わかることはないんだよね。一緒にいる時間が長くなればなるほど推測っていうものが働くから、こうだろう、ああだろうって思うけど、その推測があってるという保障は実はどこにもなくって、時にそれが間違えだったりするよね。で、その間違えに気づくのはかなり時間が経ってからだったりする。もしかしたら、気づくだけいいのかもしれないね。だって中には気づかないままの人もいるだろうから。本当はいわなきゃいけないことをわかっているだろうって推測して、いわなくなっちゃってるんだよね。人と人との距離が近くなればなるほどこういうことって起こりやすいんじゃないかな。コミュニケーションがどんどん少なくなっていっちゃってるんだよね。
いい方、受け取り方、そんな些細なこと1つで上手くいったり、上手くいかなかったり。人と人との距離が近くなればなるほど、コミュニケーションをとってるようで、実はとってなかったり。だからコミュニケーションって難しいと思う。

今日は前学期に習ったエッセーの書き方を参考にして書いてみたんだけど、どうだろう?って本当はもっと断定的に書かなきゃいけないんだけど…。実はここでこういう書き方をしたくないんだ。今日は実験的に書いてみたの。っていうのはね、中には読みづらいって思ってる人もいるだろうから。多分、エッセーのように論点をずらさず、これでもかぁーって書いていけばいいのかもしれない。でも、いくらエッセー風の日記を書くムースといえども、エッセーは書きたくないの。だってそれって日記じゃないもん。
これってコミュニケーションは難しいってことを一生懸命いい続けてるけど、どうしたらいいかってことに一切触れてないよね。エッセーを書く時は別にそんなことに触れる必要ないけど、それじゃ、読んでる人も面白くないだろうし、書いてるムースも今1つ面白くないんだ。
それに、もし悩みを持っていたとしたらエッセーなんて書けないと思うし。っていうのは論点がずれると思うから。悩みを書きそうだから。悩んでることを書き始めると、日々いってることが変わってくることがあるよね。だから悩んでるんだと思うけど。エッセーのように私はこう思いますっていい切れなかったり。エッセーとしてはよくないよね。でもそれって生きてる証しじゃないのかな?人間らしいんじゃないかな?コンピュータじゃないんだから、これをインプットしたら、この答えが出てきますってことないもんね。今日は1かもしれないし、明日は2かもしれない。明後日は何もしないかもしれない。その次はマイナスかもしれない。だって人間だもん。悩んでるものに対しては、その日、その日でいってることが変わる時だってあるよね。ムースはいってること全体をとらえて、日々いってることが変わってもいいっていってないからね。だから時に訳のわからない文章になっちゃったりすることもあると思うんだ。ってムースの場合は毎日そうだから読みづらいとかっていわれちゃうんだけど。でも、もしエッセーを書いたら面白くないし、コンピュータのようだし、ムースらしくないから書かないんだ。
前もそうだったんだけど、カウンターの数字に振り回されちゃったかな。HPにいろいろ書いている以上、やっぱり多くの人に読んでもらいたいって思うのが本心だけど、それために時間を使いすぎて悩みすぎちゃったのかもしれない。いいくせか悪いくせかわからないけど、分析しすぎちゃった。すべてのことに対して。
今日ね、英語の発音を直すレッスンへいったのね。先生に今日はいい感じでしゃべってるっていわれたの。顔がこわばってないし、瞬きの数が少ないし、話す前に考えてないっていわれたの。って実は何にも考えてなかったから、そういう感じだったんだけど。それに今だにコンピューターってうまく発音が出来なくて直されてるけど…。でもね、いつもはこうしなきゃ、ああしなきゃってことを考えすぎて、肩に力が入りすぎてたから、どうしてもこわばっちゃってたんだよね。でね、その時にいわれたんだけど、分析しすぎないで自然にした方がいいよっていわれたの。
実は、これを別の人からもいわれたことがあるの。ムースって自分の心の中をよく見るでしょ。で、分析するのね。実はこうすることが却って自分をがんじがらめにする結果になってたんだろうなぁって思うことがあるの。この日記もそう。多くの人に読んでもらいたいって思いすぎて、ちょっとおかしくなってたと思う。書いた内容はムースが考えたことに嘘偽りはないけど、あんなこといつも考えてるわけじゃないし。書きたくない日もあったけど、今日は○○して○○して疲れた…だけじゃつまんないと思っちゃって。ちょっとムリしたかも。
文章の書き方も考えたけど、素人だから多少書いてることがあっちこっちに飛んでもいいかなって思ったんだ。要はムリして書くよりも毎日思ったことを続けて書くってことの方がムースには重要だと思ったから。継続は力なり。その言葉を信じて…。


2002年04月22日(月)



欠陥人間

欠陥人間。ふと、思い出した。昔、ムースがいわれた言葉。それをいった人によるとどうやらムースは欠陥人間のようだ。
5年くらい前のある日、何人かでお酒を飲みながらいろいろと話をしていた時のこと。お付き合いをしている人がいる、いないの話になったんだ。まぁ、恋に縁のないムースは、その当時、誰とお付き合いをしているわけでもなく、1人でフラフラとする毎日だったの。誰かいい人がいたらお付き合いはしたいと思ってたものの、これといった出会いもなかったから、ただ時が過ぎていくばかり。気がついてみれば、何年も1人のままでいたんだよね。ムースに欠陥人間といった彼女も、ムースが誰とも付き合ってないってことはずーっと前から知ってたんだ。でも、その日に限ってはムースが誰ともお付き合いしてないっていうだけでは終わらなかったの。彼女曰く、「最近別れたから、今は誰ともお付き合いしてない。そういうんだったらわかるけど、ムースのようにずーっと誰ともお付き合いしたことがないっていうのは魅力のない人なんだ。それは人間として欠陥がある」んだと。何もいえなかった。確かに人間的に魅力がある人なら、これといって何するわけでもなく、自然とその人の周りにたくさんの人が集まってくるんだろうね。しかし、ムースの場合は…。
動物の世界では、相手に欠陥があるって本能が判断すると遺伝子を残すことを拒否するみたい。そんなことをどこかで聞いたことがあるの。ってことは、ムースはどうなってしまうのと自問自答してしまう。幸か不幸か、欠陥人間といわれた後にムースにもお付き合いをしてくれる人ができた。結婚を前提にお付き合いしたこともあったし、実際に婚約したこともあった。でも、最後の最後でどうも上手くいかなくなってしまう。相手が本能的に結婚してはいけないと気づいたからかな?真意はムースにもわからないけど。相手のみが知っていることだから。
前にも書いたけれども、三浦綾子は聖書の中のコリント人への手紙っていうところの1部をよく引用してたんだ。「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない」ってところを。そして愛ってところを私っていいかえたとき、あなたはどうですか?ってよくいってた。「私は寛容であり、私は情深い。また、ねたむことをしない。私は高ぶらない、誇らない」というように。ムースは寛容でないと思う。破談になったとき、元婚約者の性格を考えて、どうしてこうなったか考えて理解してあげるべきだった。でも、そこまで人間は出来てないから、受け入れることは出来なかった。もちろん、現実だけは受け入れないといけなかったから、それだけは自分にいい聞かせて、どうにか受け入れたけど。きっと本能的に一緒になったらいけないと嗅ぎつけてしまったんだろうね。だからこういう結果になったんじゃないかな。だってムースにとって、人をそのままのかたちで受け入れるってことは、とても難しいこと。怒ってしまうこともしばしば。だからムースは寛容ではないと思う。情深くなるっていうけど、自分のことで精一杯だもん。人に情をかけることなんて滅多に出来ない。そこまでの余裕がないんだもん。だからムースは情深くない。うらやましいと思うことだってたくさんあるし、時にそれが妬みになることだってある。誇ることだってある。こう考えると、やっぱり欠陥人間なんだろうね。だからムースの遺伝子は残されることのないまま、今に至ってしまったのかな?
完璧な人間なんていないと思う。それに完璧な人間っていうのはどういう人間かもわからないよね。どんなに本人が私は完璧な人間だって思ってても、視点を変えてその人をみれば、必ずどこかに至らない部分があると思う。その行為は重箱の隅をつつくようなことでちょっとイヤなんだけど…。
金八先生じゃないけど、人は支えあって生きてるんだって思う。お互いの至らない部分を補い合って生きてるんだと思う。確かにムースは欠陥人間だけど、その欠陥を補ってくれる人だって世の中にはいるんじゃないかなって思う。っていうか、そう信じてる。そう信じてないと、前にすすめなくなっちゃうから。過去ばかりを見てたら、イヤなことばかりに目がいっちゃって、人を信じられなくなっちゃうから。楽しいことがなくなっちゃうから。たとえ信じてた人から裏切られようとも、少しでも自分が寛容になるために、その人の性格を考えて、起こってしまったとは致し方ないって思うようにするんだ。何か理由があったんだろうと思うようにするんだ。そうじゃないと人を信じられなくなっちゃうから。猜疑心の塊になっちゃうから。これ以上欠陥を増やしてもしょうがないしね。
それに不幸にも自分が無知で欠陥だらけだってことを知ってしまったから、もう無知ではなくなってしまったよね。無知でなくなってしまったから、いろいろなことを知って人間としての欠陥部分が欠陥でないようにしていかないといけないと思うんだ。だからムースは勉強する。いろいろなことを習っていく。学んでいく。たとえ社会のはみだし者といわれようとも。まぁ、勉強したところで、テストをやると成績は良くないけどね。でも、いろいろなことに興味を失わないように、好奇心をなくさないようにして生きていこうと思うんだ。だってその気持ちがなくなったとき、ムースがただの欠陥品としてしかこの世の中に存在しなくなっちゃうもんね。それだけはイヤだから。

ムースがいつも行くある日記サイトさんが一昨日くらいにリニューアルしたのね。とってもきれいにきれいになったの。でね、トップに東西南北のゲートがどっちの方角かを指す写真があるの。青空の下の指示板。でね、今日そこのBBSをボーっと眺めてたら、その写真に意味があったみたいなの。「Turning point of one's life」って書いてあった。なるほどぉーって思っちゃった。管理人さんは今高校3年生で受験勉強をしてるようなんだけど、彼女にしたら今がまさにターニングポイントだもんね。今まで一緒だった友達の中に東へ行く人もいれば、西に行く人もいる。北へ向かう人もいれば南へ向かう人もいる。みんな、心に夢や希望を持って、それぞれの方角へ羽ばたいていくんだよね。うらやましくなっちゃった。

昨日の晩から降った雪はちょっとだけ積もったみたい。っていっても1cmくらいだけど。つい何日か前までは30℃まで上がって、暑くてしょうがなかったのに、昨日の晩は雪が降ってるし。今日のお昼、ムースの部屋のセントラルヒーティングがついてる音で目が覚めちゃった。だって鉄の管をハンマーで叩いてるような音するから。起きてから窓の外を見たら雪がチラチラと舞ってたんっだ。今日は1日中、チラチラと舞ってたみたい。暑かったり、寒かったり、本当にまいっちゃう。


2002年04月21日(日)



お疲れ気味

ちょっとお疲れ気味のムースです。毎日あれだけの量の日記を書いてたらさすがに疲れちゃった。最初は1時間くらいで書いてた日記なんだけど、最近は大体4時間~5時間かけて書いてたの。毎日、ちょっと大変だったんだ。だって7時に書き始めたって書き終わるのは12時なんだもん。書くことがない時はその前からネットでいろいろなものを見て情報を集めてるから、実際には1つの日記を書くのに優に7時間はかかってたと思う。でも、それだけ時間をかけても上手く書けないものは書けないんだよねぇ。情けない話しだけど。しかも最近はエッセー風の日記になってたから、ネタを吟味するのに結構苦労してたし。
昨日、虚像が恐いって書いたものの、ムースが自分自身で虚像を作り出してたんじゃないかなとも思うし…。っていうのは、多くの人が読むんじゃないかって思うような題材を選んでたよね。とっても矛盾してるけど、多くの人に読んでもらいたいと思う反面、多くの人が読んでくれるとどうしようって慌てふためいたり。多くの人が読むってことは自然と批評が多くなるんだもんね。だからアクセス数が減ると妙に安心してみたり。ムースにとって毎日読んでくれる人が読んでくれることが1番うれしいことだな。また矛盾したことをいっちゃうけど、毎日読んでくれる人がもうちょっと増えてくれるといいなぁって。
そんな訳なので、以前のように今日は今日起こった出来事を。いつもだったら、2時くらいまで日記書きに夢中になってるんだけど、昨日は疲れて早く寝ちゃったんだ。12時半には寝てたかな。寝る前に今読んでる本、Outlander っていう恋愛ものの本を読もうと思ったんだけど、1ページも読まずに寝ちゃった。ムースにしては珍しく早く寝たの。でも、今朝はゆっくりだった。10時半過ぎになってから起きたし。
起きてからはいつものように日記を読んでたんだけど、今日は題名の面白い日記を読みにいったのね。スペインの内戦についてだったんだけど、興味深かったなぁ。でね、その人の昨日の日記にはスペインの内戦をテーマにした映画の紹介もあったんだ。「誰がために鐘は鳴る」とか「ミツバチのささやき」、「大地と自由」などなど。ムースは実はどれも見たことがないけど。「誰がために鐘が鳴る」は途中まで読んで挫折しちゃったし、「大地と自由」はスペインにいた時に映画がやってるのは知ってたけど、となりでやってた「あなたが寝ている間に…」(スペイン語タイトル:Mientras dormías)を見ちゃったし。ってこの「あなたが寝ている間に…」って実は夏にイギリスで見てたんだけど、季節的によかったせいかスペインでも見ちゃったの。ちょうど冬だったし。でも、スペインの映画って吹き替えだからちょっと面白みに欠けたけど…。でね、その中で1つだけ見たことのある映画を発見したんだ。「歌姫カルメーラ」っていう映画。ムースはね、授業中に見たから原題の「Ay, Carmela!」の方が馴染みあるんだけど。この映画のタイトルおを見たとき、懐かしく思っちゃった。
そこのHPからスペインの現代史について書いてあるHPへ飛べたからそこへ行って今日はスペインの現代史についてゆっくりと読んじゃった。やっぱりスペインといえばフランコだからね。フランコというのは1939年に内戦が終わってから1975年までの36年間、スペインを独裁していた将軍の名前なの。スペイン人の中にフランコを好きな人もいるけど、ムースの知る限りだとフランコのことを好きな人はいないな。何てったって独裁者だったから。フランコは何でもダメ、ダメっていって何でも禁止しちゃったからテロリスト、ETA(エタ、バスク語:Euskadi ta Azcatasuna)も生まれちゃったしね。だって、バスク地方の人たちはバスク語を話すのも禁止されててたからね。スペインのカタルーニャ地方の同じかな。彼らにはカタルーニャ語というフランス語とスペイン語の中間の言語があるんだけど、禁止されてたからね。だからバルセロナオリンピックの時、いろいろともめたんだよね。まぁ、元IOCの会長、サマランチはカタルーニャの人、カタランだからいろいろと融通は利いたと思うけど…。ムースのスペイン語の先生によると、サマランチは昔からお金には汚かったみたい。
スペインのことを読み終わってから、今日はね、JavaScriptの本を読んでたの。何でかっていうと、この間800x600でこのHPを見たらちょー見づらかったことが気になっちゃって。でもいい考えは全然浮かばなかったんだ。ちょっとだけ実験して遊んでたけど…。JavaScriptの本を読んでても、どうもいい考えが浮かばなっくてねぇ。どうやらムースにはHPをデザインするセンスは備わってないみたい。こういうことがやりたいっていうのがあるとプログラムも書きやすいんだけど、今はそれがないから…。どうやらJavaScriptは自分のものにできそうにないかな?そんな気がしちゃった。
今日、久々にオンライン小説を読んでたの。今まで気がつかなかったけど、いい作品ってまだあったみたい。ゆっくりと読んじゃった。本当はちょっと宿題をしなきゃいけなかったけど、明日やることにするんだ。でね、オンライン小説、って実は恋愛ものばかりなんだけど、どれもこれもみんな心がきれいというか…。うらやましくなっちゃう。もちろん、いつもいつもハッピーエンドってことじゃないけどね。ただ、現実の世界の人ってもっと攻撃的だし、もっと人を傷つけるし、謝るなんてことあまりないって思ったんだ。でも小説の世界だと、反省したり、心を開いていったり、謝ったり、ハッピーエンドの物語じゃなくても人がいい方へ変わっていくんだよね。だから読んでていい気分になれるのかもね。もちろん、そうじゃない小説もあると思うけど、無意識に避けてるんだろうね。だからムースはきれいなものしか読んでないのかも。
ムースが読んでる小説って若い人が主人公になってるのが多いのね。でね、それを読んでると若いっていいなぁって思う。純粋だよね。それに何だかんだいっても自分に正直な感じもするし。もう1度あんな感じの恋をしてみたいと思うけど、きっと出来ないんだろうなぁ。もっとドロドロした欲と利害の混ざりあったものなんだろうなぁ。あぁーいやだ、いやだ。
もっと純粋な心を持ちたーいって思う今日でした。

今日も時間かかっちゃった。何やってるんだろう。


2002年04月20日(土)



虚像

この日記を読んでくれてる人ってムースのことをどう思ってるのだろう。ふと、思った。もちろん、ムースっていう人がどんな人かを判断する材料はこの日記しかないから、これを読んでムースっていう人物像を作り上げていくんだろうね。もしかしたら、それは実体より大きい人かもしれないし、等身大のムースに近いかもしれない。実体より小さいかもしれない。等身大だったり、実体より小さい分にはこれといって気にもなんないんだけど、ムースという人物が大きな人になっちゃうと、ちょっとばかり恐くなってくるんだ。
ムースは毎日いろんな人の日記を読んでるんだけど、1日に1000近いアクセスのある日記書きさんもいる。まぁ、1000もアクセスがあれば、当然いろいろな人が読んでるわけだし、いろいろな人がいるよね。いつも励ましてくれる人もいれば、嫉妬だか、妬みだかわかんないけど、文句をいいたくてうずうずしてる人とか。でね、その中で結構困ってしまうのが、日記書きさんの虚像が大きくなってしまってる人が期待を裏切ったとか、そんな人だとは思わなかったっていうことなんだって。そういうときに多くの日記書きさんがいうのは、日記に書いてある自分も本当の自分だけど、それはあくまでも一側面であって、すべてではないんですってこと。ムースはこの気持ちがよくわかるの。ムースもこの日記でいろいろなことを偉そうに書いてるけど、そんな偉いわけじゃないし、社会復帰が出来るかどうかわからないような、はみだしものだから。でも、はみだしちゃったから、外から冷静に社会を見ることができるって特典もあるけど。
何でムースがこんなことをいうかというと、大きくなってしまった虚像って恐いなぁって思ったからなの。だって虚像が大きいと、それに比例するように期待が大きくなってくるでしょ。期待が大きいってことは、期待通りにならなかったときのショックも大きいし、裏切られてって気持ちも大きくなってくると思うの。ムースは何も人に期待をしちゃいけないとはいわないけど、過度の期待はされた人が困るなぁって思ったの。
今日ね、前に書いた日記を読んでたんだけど、そこに「過度に期待されるのがイヤだったから、ちょっと小さめに見せることが多かった」って書いてあったの。期待されるなんてことが気にならない人もたくさんいるだろうと思うけど、ムースの場合はそれがかなりのプレッシャーになっちゃうの。いつも書いてるけど、失敗することに異常に恐怖感を持ってるから、失敗できないって思っちゃって。失敗、失敗って何が失敗なのって思うよね。そういう時、ムースにとって失敗と感じるのは、期待してたことが出来ないと失敗なの。そんなこと出来るわけないよって思うかもしれないけど、期待されちゃうと期待を裏切らないようにしようって思ってムリをするから、大変なの。だからいつも自分が出来るって思ってる80%がムースにとって出来ますっていえることになっちゃうんだ。
それとね、期待してたものが裏切られたときの痛みもわかるの。だから、なるべく裏切らないようにしようと思うんだけど、時にそれがうまく行かなくなっちゃうから、1人で悩んでる時もあるんだ。まぁ、悩んでたって期待には応えられないから、最後はいろいろといわれておしまいなんだけど。ただ、一応、傷つくからあんまりこういうことは起こって欲しくないって思ってねぇ。

今週の初めは30℃を越えるほどだったのに、今朝は-1℃まで下がったの。でね、明日は雪が降るかもしれないっていってるんだ。もう、体が気候の変化に追いついていかなそうで大変。きっとねぇ、来週になったらまた暑くなるんだよ。徐々に暖かくなっていってくれるんだったらいいんだけど、1週間で30℃も上がったり、下がったりはさすがに厳しいね。もう、ストーブのお世話になることはないだろうと思ったけど、今日はまたストーブのスイッチを入れちゃった。電気ばかり使ってあまり暖かくならないストーブだからほんのりとしか暖かくならないけど、ないよりはマシって思ってストーブをつけてるんだ。
今日はこれっていって書くものもないし、今日はこの辺で終わりにしようかな。ちょっと疲れちゃったし。あっ、別に何かムースに身に起こったってことはないから。ちょっと寝不足なだけ。


2002年04月19日(金)



興味を持つ

ムースはよく興味を持つことが大切だってことをこの日記に書いてると思うんだ。何かあると、興味を持って…って感じで。ムースはいろんなことに興味を持ってるし、好奇心もあるから、1つのものに飽きても興味を持てるものが見つかりやすいかな。何でそんなに簡単に見つかるかっていうと、身近なところにたくさん転がってるから。その中の1つを拾い上げてあげればいいから。でも、昔は興味を持てるものなんて何にもなかったけど…。
この日記を読んでる人の中にも英語を話せるようになりたーいって思ってる人がいるんじゃないだろうか。英語が話せたら、視野が広がるんじゃないかって思うだろうね。ムースは広がると思ってるよ。でも、何で英語を話せるようになりたーいって思うのかな?恰好いいから?海外旅行に行った時に困らないように?ムースはね、英語が話せたら恰好いいだろうなぁって思ってた。高校生の頃のことだけどね。でもね、英語が話せるようになるまでの道のりはとんでもなく長いよね。興味もなくなっちゃうよね。そのうちにどうでもいいやぁーって思うようになっちゃうかもしれないね。
ムースは高校生の頃、英語が話せたら恰好いいだろうなぁーって思ってたし、話せるようになりたいと思ってたけど、何せ英語の勉強というと学校の勉強すら出来ないムースだから、勉強することが楽しいとは思えなかったんだ。英語は話せるようになりたいものの、勉強に関しては一切の興味なし。どうしても興味が持てなかったんだ。だって楽しくないんだもん。でもね、ある日興味を持てる日がきたの。それは初めての海外旅行の時。ひとことも英語の話せないムースは苦労の連続だった。その時に英語が話せたら…って何度思ったことか。
そしてある日のこと。グアテマラって国があるんだけど、そこに旅行した時に、ある日本人に出会ったのね。その人は横田基地っていう東京にある米軍基地で勤めてたっていってたんだ。だから英語を話すことができたの。ムースにしたら、救世主みたいな感じだった。だってその人に通訳を頼めたんだもん。ムースね、そこでスペイン語を習ってて、そこの学校で知り合った外人にピクニックへ行こうって誘われてたの。訳わかんなかったけど、とりあえず行ったんだ。で、そのピクニックでその日本人と知り合ったの。ピクニックから帰ってきて、みんなで飲みに行ったんだ。英語のわからないムースはもちろん会話には参加できなかったよ。でね、ちょっとしてからその日本人と2人で別のところへ飲みに行って、ちょこっとお話をしたのね。今でも忘れないのがその時に、「基地で働いてる人でもNHKのラジオを毎日聞いて英語の勉強をしてるんだよ」っていってたの。その時にムースねぇ、普段英語を話すような人でもNHKを聞きながら勉強してるんだって思ったの。なぜか素直にそう思ったんだ。でね、その旅行から帰って来てから毎日ラジオを聞いたの。中学生の時には3日として聞けなかったラジオの英語講座を。いつか英語を話せるようになったらいいなって思って。英語を話せれば、みんなの輪の中に入って話が出来るようになるって思って。きっとこの時に英語ってものが身近になったんだろうね。ラジオを聞きながらいつも思ったことは、これが聞き取れるようになったら英語が話せるようになるんだろうなぁーって。今思うと気持ち悪いくらい素直だったんだけど、ラジオの中でリピートアフターミーっていわれた後にちゃんと声を出していってたんだから。
ムースが聞いたラジオ英会話の題材は、ある日本人がワーキングホリデーを使ってカナダのビクトリアって所へ行って、そこでいろいろなことが巻き起こるってお話だったの。ちょうど、ビクトリアへ行ってたこともあって、ラジオの話題は英語をさらに身近なものにしてくれたかな。だから聞くことへの興味は失せることがなかったんだ。失せるどころか、どんどん興味は沸いていったの。ムースもワーキングホリデーでカナダへ行きたいとまで思って、ビザの申請書をもらいにいったくらいだから。だってムースはカナダへ行ったことあるんだけど、その理由ってTVで「ライスカレー」っていうドラマを見て行きたいって思ってたし、高校生の時にカナダの大学へ行きたいって行ったこともそこで思い出したし、カナダへ行ったらアイスホッケーが飽きるほど見れるって思ったし。って、実際2年前にバンクーバーへ行った時は、4日の滞在の間にプロの試合を2試合も見てたし、TVで女子の試合もずーっと見てて観光っていうよりホッケーだけって感じだった。まぁ、その旅行の目的はホッケーの防具買出し旅行だったから、日本に帰ってきたときには防具を買ったせいで荷物が倍になっちゃったし、ホッケー三昧でもおかしくないけど。またまた話がそれちゃった。こんな感じだったから、ムースはラジオを聞くことが楽しみになったの。ちょうどこの頃かな。NHK教育で英語Ⅰっていうのを朝の6時から見てたのは。夜はラジオを聞いて、週に1回TVで英語の番組を見てたの。TVでは文法を中心にやってくれてたから、ムースの頭の中で英語の構造がわかるようになっていったんだ。
言葉の勉強って一朝一夕じゃどうにもならないじゃない。とーっても時間がかかっちゃうし、飽きちゃうよね。でも、ムースの場合はたまたまだったのかもしれないけど、ラジオを聞くことに興味を持ち続けることができたんだ。ラジオを聞き始めてから1年後。海外へ行く機会があったから英語を話してみたの。聞かれてることがわからないっていうのはしょっちゅうだったけど、全くわからない1年前と比べれば天と地くらいの差だったんだ。だって英語で少しばかりのコミュニケーションが出来るようになったんだもん。NHKのラジオはそれからも聞き続けたよ。合計2年半聞き続けたかな。で、しゃべれるようになったかって?すぐにはならなかった。でも、それから半年後には英語で簡単なコミュニケーションなら取れるようにはなったよ。
昨日、イメージを作ればいいって書いたんだけど、同時に身近なものに置き換えることができれば理解しやすいとも書いた。興味を持ち続けるって大変なことだと思うけど、身近なものになって、それを理解できればおもしろいって思えるだろうし、それだとそんなに簡単には興味って失せないんじゃないかな?ムースがよく子供を使って例え話をするけど、子供に興味を持たせるときってみんな知らず知らずのうちに身近なものに置き換えて、言葉を噛み砕いて、簡単に、理解しやすいようにいってあげてるんじゃないだろうか?逆に身近じゃないもの、難しいものって面白くないし、どんどん興味がなくなっていってるんじゃないだろうか?もしくは面白くないもの、嫌いなものをどんどん自分から離していってしまっていってるんじゃないだろうか?英語を話せたいいなぁーっていうけど、勉強が続かないのは英語を身近なものに置き換えられないから、いきなり難しいものに挑戦するから、面白くもないし、興味がなくなってしまうんじゃないのかな?
例えば、これを読んでくれてるみんなが使ってるパソコン。これって身近なものだよね?初めて使ったとき、もしくは何回か使ってるうちにに面白いって思ったから今でも使ってるんだろうと思うけど。でも、このパソコンってみんなにとって身近じゃないころ、どんなイメージを持っていたかな?暗いとか、難しそうとか、そんな感じじゃないのかな?でも、身近になったから今でも使ってるんだよね。身近じゃなかったら、面白くなかったら、興味がなかったら、いくらパソコンを買ったからっていったってただの置物にしかならないもんね。
英語を話せたらいいなぁって思ったのはどんな時だったかな?海外旅行に行った時にそう思ったんじゃないだろうか?自分の身近なところで英語が必要なものになったからそう思ったんじゃないだろうか?だから興味を持ったんじゃないかな?初めて話した英単語が通じた時はうれしくもあり、楽しくもあったんじゃないだろうか?
身近でたのしいものだといつまでも興味を持っていられるんじゃないだろうか?ムースはそう思うよ。だから興味を持ち続けるってことは、身近なものに置き換えて、いつまでも楽しいって感じれるように、簡単なことから少しずつ勉強していけばできると思うの。そうしたら、いつまでも興味を持っていれるんじゃないのかな。

今日のムースの例え話って英語にこだわってるようでしょ?って、そうなんだけど。実はねぇ、それなりの理由があるの。3日前にある日記を読んだと時のこと。ムースね、それを読んだ時にその日記にかかれたことにとーっても共感したの。その日記のタイトルが「どうして英語を学ぶのか」だったのね。その日記を書いた人がずーっと自問自答してたみたいなの。でね、今、やっとその答えが見え始めてきたみたい。英語をしゃべれたら恰好いいからって答えを期待する?そんな不純なことをいうのはムースくらいだから。いろんな国の人と話せるようになれるからって思ったからなんだって。そんなの英語が話せればみんなと話せるなんて当たり前じゃんっていわないでね。ムースがこーんなにたくさんどうやったら興味が持てるかを書いた後なんだから。この理由って興味をもち続けることに1番いい理由だと思うの。だってとっても身近なことでしょ。いろいろな国の人としゃべりたいって。簡単なことでしょ。いろいろな国の人としゃべりたいって。当たり前って思うかもしれないけど、当たり前のことに疑問を持つのが興味を持つ第1歩なんだから。どうやったらいろんな人と話せるようになれるのって思うことが。
ニュートンが木からりんごが落ちるのを見て、それを不思議に思ったことが、万有引力を発見するきっかけになったよね。でもね、あの時代だって、りんごが木から落ちるのって当たり前だったと思うの。きっと何で落ちるんだろうなんていったら、当たり前じゃんのひとことで終わっちゃったと思うんだ。理由はわからないまま。だから身近なものに疑問を持つってことはいいことだと思うの。
でね、そのあとにもとーってもいいことが書かれてたの。1つは言葉を勉強することは文化を勉強することでもあるからって。まさにその通りなんだよね。ムースがスペインにいて何を学んだかって?スペイン語とともにスペインに関するいろいろなことを学んだよ。文化も然り。じゃ、グアテマラにも興味を持ってるのかって聞かれそうだね。興味ありますよ。マヤ文明にだって興味あるし。ムース、マヤのピラミッドだっていったことあるし。アステカ文明も然り。NHK特集でアステカ文明をやった時にはちゃんと見てたし、それを見ながら、ムースがメキシコの首都、メキシコシティの中心地、ソカロって呼ばれる広場へ行った時のことを思い出してたし。
ほかには、英語を学んでいくことによって、逆に日本語の凄さに気づくじゃないかなって。本当にそう思う。ムースもアメリカに憧れを持って、英語もスペイン語も勉強して、外国で暮らして、そして思ったことは、日本人でよかったってこと。それがムースのプライドって。
その日記に書いてあったことがちょっと頭から離れなかったから、今日はちょっと英語にこだわった例え話をしちゃった。でも、これって身近なことなんだよね?興味を持ってもらえたかな?
この日記を読んでくれる人がちょっと増えたりちょっと減ったりするだけで一喜一憂してるムースですが、これを読んでくれた人の中に1人でも共感してくれたり、納得したくれたり、理解してくれたりしてくれる人がいたらいいなぁって思います。


2002年04月18日(木)



イメージ

今日、休み時間にムースが学食へコーヒーを買いにいった時のこと。友達が1人で勉強してるのが見えたんだ。知らん振りして行っちゃうのも何だからって思って、声をかけたの。いつも忙しそうにしてるし、この間は宿題を仕上げなきゃいけないっていってたから、今日もそうなのかなって思ったし、おはようだけいおうと思ってたんだ。友達の座ってるテーブルのところへ行って、おはようって声をかけたら、突然、時間ある?って聞いてきたの。ムースねぇ、今日が宿題の提出日で先生にメールを送らなきゃいけなかったんだけど、学校のネットワークが死んじゃってたから、メール送れないでちょっと困ってたんだ。だから一瞬、何て答えようって思ったけど、1度ネットワークが死んじゃうと復活するまでに20分や30分かかるだろうって思ったから、次の休み時間にメールを送ればいいやって思って、彼には時間あるよって答えたんだ。何かねぇ、とっても話したそうな顔をしてたから何事だろうとも思ったし。そうしたら、彼が取ってる授業がとっても難しいからムースがそれを取る時は心した方がいいよってことだったの。その授業は必須の授業だからムースも来年、その授業を取ることは間違えないんだ。でね、彼はずーっと難しいってことをいってて、時間をたくさん割いて勉強したんだけど、どうもよくわからないっていってたの。話をよく聞いてると、どうやら何がわかんないかわかんないようでもあったんだ。彼はどういう感じで授業が行なわれてるかもムースに説明してくれたの。話によると黒板に定義だけを書いて、その説明をしてくれるだけで、それが一体どういうものであるか想像がつかないんだって。だからどんなに勉強しても今ひとつピーンと来ないみたい。でね、最後にいったのは、あんなの勉強したって仕事では使わないからって。うぅーん、そんなことないと思うけど…。勉強してても面白くないんだろうなぁーって思ったんだ。
その先生の授業をムースも前学期に取ったことがあるんだけど、彼のいう通り、授業は黒板にいろいろなことをたーくさん書く先生なのね。だからノートを見れば何でもわかるって感じのようなんだけど、実はそんなことなくって、やっぱり例が欲しい時ってあるんだよね。こんな感じですよっていう例えが。それがなくって何をやってるかわからないときにムースも質問をしにいったことがあるの。そのときにね、まず最初にいわれるのがちゃんとノートを見たの?って。もちろん、それを見てもわかんないから聞きにいってるんだけどね。その先生は授業中に学生時代はこういう風に勉強したってことをよくいってたんだ。先生がどういう風に勉強してたかっていうと、わからないことがあったら何度も教科書を読んだんだって。そうしたら、何度目かにわかったっていうの。なるほどねぇーって思って聞いてた。だけどムースは、何度教科書読んでも全然理解できない時が多いんだ。だって何が書いてあるかわかんないから。読んだっていうより活字を追ってるだけかな。だから、段々飽きてきちゃうし、面白くもなくなっていっちゃうし…。
話をしてる時にね、別の先生も話も出たのね。ムースがこの日記によく書くプログラミング言語の先生のことなんだ。彼もその授業を取ってるから、どんな感じで授業が進められてるか良く知ってるのね。でね、彼曰く、プログラミング言語の授業は面白いと。何でかっていうと、先生にいろいろな経験があるし、例え話を聞いてるだけでも面白いっていうの。それにはムースも納得。確かに、先生の話は面白いと思うんだ。でね、その例え話が何で面白いかっていうと、例えが身近なものだからなんだ。
例えば、今日の授業でやったことなんだけど、マルチプログラミングとマルチプロセッシングってことをやったのね。マルチプロセッシングは2個以上のCPUで可能で、マルチプログラミングは1個のCPUだけ。言葉だけだと何だかわからないでしょ。ムースも言葉を聞いてるだけでは何が何だかさっぱりわからなかったの。でね、先生がそのことについて説明をしたくれたときに、車に例えてくれたの。車を作るときにAさんはエンジンを作って、Bさんはトランスミッション(ドライブとかバックとかパーキングとか、車のギアのこと)を作って、Cさんは別の部分を作っていく。同時にね。それを最後に一緒にして1台の車を作る。これがマルチプロセッシングで、マルチプログラムは1人の人がエンジンもトランスミッションもボディーも作っていくことなんだっていうの。何となくイメージがつかめるよね。それを今度はコンピュータの話に戻して、マルチプロセッシングは何台ものコンピュータで1つのものを作って、マルチプログラムは1台のコンピュータで1つのものを作ることなんだよっていわれると、さっき書いた2個以上のCPUでとか1つのCPUでっていうより、イメージもつかみやすいし、どんなことかもわかりやすいよね。これを読んでもまだイメージがつかめないかな?例えば大きな画像のファイルがあるとするよね。デジカメで撮った大きな大きな画像ファイル。これを今使ってるパソコンで表示しようとしても一瞬では表示されないでしょ?何でかっていうと、パソコンが一生懸命ここは何色だろう?ここは何色だろうって?って計算してるから。でもこの画像を4つにわけて、Aのコンピュータには右上を表示できるように計算してっていって、Bのコンピュータには左上、Cには右下、Dには左下をお願いっていうでしょ。そうすると、4分の1の大きさの画像を表示すればいいだけだから、あっという間じゃないかもしれないけど、すぐに画像が表示されるよね。前者がマルチプログラミングで、後者がマルチプロセッシングっていうことなんだ。何となくわかってもらえたかな?
もし、この説明がなく、黒板に書かれた定義だけを読んでもわからないとするじゃない。教科書を読めば、確かにこの2つのことの説明は書いてあるの。でもね、それを読んでもイメージがつかめないと思うの。何度も教科書を読めば言葉を覚えることはできるだろうね。マルチプロセッシングとは…、マルチプログラミングは…って感じで。でも、これだと言葉を知ってるだけで、いつまで経っても何のことだかよくわからないと思うんだ。勉強してても面白くないよね。難しい言葉をどんどん覚えていくけど、何だかよくわかんないままなんて。身近なもの、簡単なものに例えるから、こんな感じっていうイメージが作れるし、理解も出来る。勉強してても楽しいし、興味を持てるし、疑問もたくさん出てくると思うの。
前にね、本当の賢い人と似非の賢い人のことを書いたことあるんだけど、ムースのいう似非の賢い人ってただ言葉だけを覚えただけのタイプの人。実はあんまりよくわかってないんだろうなぁーって思うの。別に先生が似非の賢い人っていってるわけじゃないからね。教科書に書いてある通りのことはいえるんだけど、それ以外はちょっと…って感じの人。でね、本当に賢い人っていってたのは、言葉を噛み砕いて教えてくれた人のことをいってたんだ。難しいことを難しい言葉でいうのは簡単だと思うの。でもね、難しいことを誰にでもわかるようにいうのって、その人が本当に理解してないと出来ないことなんじゃないかなって思うの。
もし、九九のわからない子に九九を教えようと思うとき、強引に九九を暗誦させて覚えさせる?8x7は56って当たり前のことだよっていってそれでおしまい?そんなことしたって嫌がられるだけで、算数嫌いを増やすだけだよね。九九のわかんない子だったら、まずは掛け算って何かってことから教えないとダメだと思わない?例えば、8x7だったら8という数字を7回足してあげること。8+8+8+8+8+8+8のことなんだけど、たくさん書くのは大変だから8を7回足してあげることを8x7って書くんだよっていって、何個か例題を出したら何となく掛け算のイメージが作れると思うの。もし、8x7が56になるってことに納得がいかなかったら実際に計算してもいいよね。それで納得がいくんなら。それで九九を教えてあげれば、九九が何であるかつかみやすいと思うし、2桁の掛け算を習っても、イメージが作りやすいと思うの。
勉強をしているといろいろな難しいことに直面すると思う。その時に、自分に身近なものにすぐに置き換えられれば、イメージが作りやすければ、理解もしやすいと思うの。でね、何を勉強してるかってことがわかると、勉強って苦にならないばかりか、やってても楽しめると思うんだ。今日はイメージの話をしてるからこれ以上話を広げないけど、これがムースのいう興味を持つことに通じると思うの。興味を持つことについてもそのうち書きますので、乞うご期待。っていっても支離滅裂のこと書いちゃったらゴメンなさい。
イメージを作るって難しいことだと思う。けど、1度イメージが出来てしまえば、あとは楽だと思うの。この間も書いたけど、いろいろなものが相互に関連してるし、覚える順番が多少前後してしまって、たまには苦しい時を過ごすかもしれない。でもね、1つ1つ確実に理解できれば、あとから関連してることについては、あぁーって思えるし、その時は2倍にも3倍にもなって自分のもとに返ってくるから。ムースもこのことを中学生、高校生の時に知ってればよかったんだけど…。ってここまで知ってたら、気持ち悪いか。まだまだ人からものを教えてもらってる立場だから、今は習ったことを消化することしかできないけど、もし、人にものを教えなきゃいけないときがあったら、イメージを作るってあげるってことを忘れずにできたらいいなぁーって思ったんだ。そして、いつもでも興味を持ってもらえたらいいなぁーって。
今日ねぇ、本当は興味を持つことについて書こうと思ったんだけど、イメージを作るってことだけになっちゃった。でね、集中して書いてないから、変なところがあるかもしれないけど、その部分については、いつもお願いしてるように想像して読んでください。集中してないから、時間ばっかり過ぎちゃって本当にイヤ。本当は昨日や一昨日のように早い時間に更新したかったんだけど、今日は出来なかった。
昨日もねぇ、アクセス数が多くてちょっとビックリしちゃった。でね、Myに追加してくれてる人もいるようになって。ありがとうございます。ムースのMyエンピツにもいろいろと登録してあるんだけど、ちょっと気恥ずかしいので非公開にしてあるんです。でも、Myに登録してくださった方の日記も楽しく読ませてもらってますので。みなさんのMyのところにはムースの名前がないけれども、ムースもいると思っていただけたらうれしいです。


2002年04月17日(水)



気配り

昔、っていっても昭和58年のことなんだけど、「気配りのすすめ」って本があったよね。ムースはそんな本を読む気なんてなかったから、今だに読んでないんだけど。読んだことある人は多いんだろうね。あの頃からかな?世の中に気配りって言葉が市民権を得たかのように表に出てくるようになったのは。気のせい?今では、気配りがどうこうとか、心配りがどうこうとか、そういった類の言葉をよく聞くと思うんだ。
ところで気配りってどんなことなの?いつものようにまずは辞書の定義から。気配りとは「いろいろと気をつけて注意していること。こころづかい」だそうだ。でもこれだけだと何となくわからないよね。そこでとある女性のお話を。っていってもムースのお友達のことなんだけど。ただ本人には了解をとってないからあとで怒られそうだなぁー。
その友達なんだけど、神戸の人でムースのルームメイトだったの。ムースがスペインにいた頃のお話ね。同じアパートに住み始めた頃、彼女はまだまだお嬢様っていった感じで、天真爛漫に何でもやってたんだ。どこか世間知らずなところもあったのかな?大学を卒業してすぐにスペインに渡って来たっていってたし。でね、その彼女なんだけど、とにかくマイペースな人なの。一緒のところに住んでたこともあって、週末はよく一緒に飲みにいってたんだけど、最初の1時間くらいは一緒にいるのね。でも、あとはお互い別れて飲みにいってたと思う。これって彼女がマイペースだからってことばかりじゃないんだけどね。ムースは別のグループの人と仲良かったから、そっちのグループの人たちと飲みに行っちゃうってことも多かったし。でもね、彼女がマイペースっていうのはこのことをいってるんじゃないんだ。この話はいろいろな人からされたから、この日記をきっと読むだろう彼女には心の痛い話かもしれないけど…。彼女ねぇ、ムースが一生懸命いろいろと話をしてても、あっ、そうなのって感じで、ちょっと冷たい感じの相槌をうったあとにプイッと自分の部屋に帰っちゃうことがあったの。っていうか、多かったの。私、勉強しなきゃいけないから聞いてられないって感じで。もちろん、彼女に何か話したいことがあって、彼女が一生懸命話をしてる時は誰もが聞いてたんだよ。だからねぇ、ある時、別の友達、ってのちのムースの同僚になるんだけど、その人が彼女に向かってそのことをいったことがあるの。こっちに何かがあって、自分が一生懸命話をしているのに、途中でプイッて消えちゃって冷たいよねぇって。いい方はもっときつかったかもしれないけど。さすがにこの時は彼女のそっかなぁーって思ってたみたいだし、その友達にゴメンねっていったと思うんだ。でもねぇ、彼女のマイペースはそんなことくらいじゃ変わらなかったの。
ムースはその頃、勉強が思うようにいかなくって、ちょっと悩んでたんだ。だから、彼女とはたーくさんお話をしたかったの。一番身近な人だったからね。でも、いつものマイペースでなかなか話す機会はなかったんだ。ムースねぇ、ちょっと疲れちゃって、ある日北スペインの町に1人で遊びに行ったのね。確かねぇ、5月の上旬だったと思うんだ。いつも1人でどこかへ行っちゃうのねって突っ込まないでね。この時は誰にもいわずにフッと部屋からいなくなったの。だってムースがいなくなったって誰も気にしないって思ってたから。他にもルームメイトがいたんだけど、彼女達にも何もいわずに行っちゃったしね。って彼女達はムースがいなくたって気にもしてなかったけど。夜行で出て、次の日1日テロで有名な北スペインのバスク地方のサンセバスチャンってところで過ごしたの。で、また夜行列車に乗って、自分のアパートに帰ったんだ。これって週末の出来事だったと思う。週末っていつも朝の5時くらいまで飲んでて、次の日はお昼過ぎ迄寝て、またその晩に飲みに行くって感じだったんだ。だから、たまには飲みに行かないで心のお洗濯でもって思って、出かけたはずだから。たった1日。誰にも何もいわないで。
スペインとフランスでは線路の幅が違うから寝台車に乗ってる人以外はみんな国境の駅で乗り換えをしなきゃいけないのね。それがフランスから来る場合だとIrún(イルン)って駅なんだけど、この駅から何駅か行ったところがサンセバスチャンだから、列車はそんなに混んでないんだ。この列車ねぇ、ポルトガルの首都のリスボン行きだから結構混むの。だから早めにいい席を確保しておかないと大変なんだ。でね、これに乗るとムースの住んでた街には朝の4時過ぎに着くのね。ちょっと眠いんだけど、まぁ、アパートに帰ってまた寝れると思うから、いいかぁって思って。
朝早くにアパートに戻って、お昼くらいまで寝て、寝起きに台所を覗いたら彼女がいたのね。ムースは小旅行してきて気分がよかったから、笑顔でおはようって声をかけたんだけど、彼女はその時、怒ってたの。何でかっていうと、ムースが何もいわずに1日だけだけど失踪しちゃったから。かなり心配してたらしい。さすがにムースの顔からも笑顔が消えて、素直にごめんと謝りました。でもね、それからちょっとしたら、彼女はもう怒ってなかったけどね。ムースがちゃんと家に戻ってきたから。でね、そのときに思ったんだ。普段、何にも見てないようだけど、ちゃんと気にしてるんだぁーって。何も気にしてないようで気にしてるんだなぁって思ったの。
このあとムースは1ヶ月だけ学校へは行ったものの、その後失恋傷心旅行をしにノルウェーに1ヶ月ばかり行ってたんだ。そして1度アパートへは戻ったものの、すぐに避暑と英語の勉強のためにイギリスへ行っちゃったから、彼女とゆっくりと話すことはなかったんだけどねぇ。イギリスから帰ってきたとき、彼女は南スペインへ引っ越す準備で忙しくってほとんどお話できなかったし。でもね、ムースが試験を終えて、日本に帰国する前に彼女の住んでるところへ遊びに行ったのね。たくさんお話が出来たらなぁーって思って。当時は、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダって所に住んでて、そこへ遊びに行ったの。彼女はグラナダ大学ってところへ行ってたし、週末以外はちょっと忙しかったみたいなんだけど…。その時にかまってもらいたかったといえば、かまってもらいたかったのかもしれない。彼女を訪ねて行った訳だし、彼女以外知ってる人いないからね。でも、なぜだかその時はかまってもらえなくっても気にはならなかったの。だってそれが彼女だもん。もし、彼女がもし変にかまってくれてたら、それはそれで気持ち悪かったかもしれない。それは彼女じゃないから。たまたまムースが1人でも平気な人だったせいもあるかもしれないけど、自分なりには十分楽しんでたし、1人でフラフラと街を散策してたから、ムースとしては満足。それに、5月のムース失踪事件でわかったけど、何だかんだいって気にはしてるだろうって思えたから。
その彼女に最近ちょっとしたことがあって、私は冷たい人のようだからって書いてメールしてきたの。原因は気配りをしてもらえた、もらえないって感じらしいんだけど。確かに彼女のような人だと、表に私はみんなにこころづかいしてまーすってことが出てこないと思うの。今でも、きっとマイペースなんだろうね。もしかしたらそれが誤解を生んだのかもしれない。でもね、私、気配りしてまーすって普通いわないよね。人のこと、いろいろと気をつけて見ていたって、その人によっぽどのことがない限りは、いちいち、どうしたの?大丈夫?なんて聞かないよね。目に見えないけど、これが本当の気配りじゃないのかな?自分でやりたいようにやってるっていいながらも、気にしてあげることが出来なかったっていってるくらいだから、実は結構気にしてるんだよね。私は気配りなんて出来ないからっていってる人って、本人が思ってる以上に、本当の意味での気配りをしてると思うよ。確かに、誰が見てもあの人は気配りをしてるって人はいると思うし、その人がうらやましく見えるかものしれない。でも、ちょっと考えて。その人と同じことやれば、自分をその人の枠にはめれば、自分も気配りが出来るようになるのかな?ムースはできないと思う。ただ、窮屈な思いをするだけで、気配りどころか、イライラして、それをぶつけるようになるだけだと思う。自分が自分でなくなっちゃうと思う。それよりか、例えマイペースだっていわれようとも、いつも自然体でいて、遠くから見てればいいんじゃないのかな。気配りをするんであって、もてなす必要はないんだから。
気配りが出来てないっていってるけど、本当の気配りをしてるのはそういってる人かもよ。だから、たまには自分にご褒美をあげてね。私はちゃんと気配りできてるよって。
ちょっとこんなことを思った今日でした。
今日もムースのところは30℃の真夏日。なのに週間天気予報によると、土曜日の最低気温は-3℃だそうです。今度は30℃以上も気温が下がってしまうのね。体調壊しそうでイヤだなぁー。もうねぇ、昼間は本当に暑いの。どうにかして欲しいくらい。そんな中、お昼から学校へ行ったんだ。でね、学校のコンピュータでムースのHPを見たんだけど、ちょっとびっくり。ちょー見づらいの。学校のはLinuxだし、ネスケつかってるし、画面も800x600なんだけど、これだと最悪って感じだね。ネスケを使ってる方、パソコンの画面が800x600の方、見づらいHPでゴメンなさい。学校から戻ってきてJavaScriptの本を読んだんだけど、JavaScriptでどうにかするいい案は浮かばなかったので、しばらくはこのままです。もし、いい案が浮かんだら何かしますね。
でも、これだけ暑いと何もしたくないって思っちゃう。だってムースは暑いところが苦手なんですもの。でも、アイスクリームを買ってきたから平気かも。ちっちゃい箱なんだけど、1.87リットルも入ってるアイス。これが1週間でなくなっちゃうんだから、ちょっと恐いかも。寝る前のアイスだけはやめないとねぇー。だって、それやると次の日の朝、顔が浮腫んでるんだもん。お酒以外で浮腫むなんてちょっとイヤ。
今日は久々にチャットもしたし、学校もなかったし。宿題も終わっちゃってたし。なんだかいい気分。あっ、そうそう。ムースの写真を見せてくださいっていうリクエストがあったのですが、見たらひっくりかえってしまうと思うので、公開は遠慮させていただきます。ごめんなさい。
最近、日記っていうよりエッセー書いてる気がする…。でも、エッセーとしたら及第点もらえないね。もうちょっとヒマになったら、文章の書き方を勉強して、読みやすい文章を書くようにしたいと思います。それまでは読みづらいものを書いてしまいますが、お許しください。


2002年04月16日(火)



相互関連

国語が好きっていう人に数学が好きかって聞いても、嫌いって答えが多そうな気がする。実際に質問したわけじゃないから、あくまでもイメージなんだけど。っていうか、高校時代、文系に進んだ人の多くは「これで数学をやらなくていいから」っていって、すがすがしい顔をしてたことを思い出すんだ。逆にムースのように理系に進んだ人は古文や漢文をやらなくてすむからっていってたような気がする。ムースは?って聞かれれば例にもれず、古文・漢文の苦しみから解放されたことはとってもうれしかった。ムースの行ってた学校は高校2年生の時に文系・理系にわけて、高校3年生の時に国立系と私立系にわけてたんだ。だから最終的には、国立文系・私立文系・国立理系・私立理系と4つのコースにわけられることなるの。国立系はセンター試験を、ってムースの頃は共通一次っていってたけど、それを受けるから、文系・理系に関わらず、英語、国語、数学、理科、社会と5教科の授業を取らなきゃいけなかったんだ。私立系は入学試験に必要な教科だけ取ってれば問題なかったかな。理系は入試に必要な教科と現代国語が必須だったんだ。でも、あとは何にもいらなかったの。だから、ムースは社会科、実際には歴史が全くわからないんだ。
ムースが旅行しているときって、よく美術館や博物館へ行くのね。買い物目的の旅行じゃないから、とりあえず名所・遺跡・博物館・美術館を見てまわるんだけど。そのときに思うのが、ムースって全くものを知らないと思うんだ。もちろん、何でも知ってて、何を聞いても答えちゃうって人の方が恐いけど…。名所や遺跡のことを知るってことは歴史を勉強しないとわからないよね。博物館へ行けば、歴史的なことばかりでなく、生物や地学のことを知ってると見てても楽しいよね。美術館へ行けば、もちろん美術のことを知っていれば見ていても楽しいと思う。でも、旅行そのものはどちらかっていうと地理だよね。旅行っていうとただの楽しみだけど、地理や歴史、美術や科学、その他いろいろなことを知ってたら、何倍も旅行が楽しめると思うの。
ムースは東京の人だから京都へ行くって旅行なんだけど、関西の人にとったらちょっとそこまでって感じなのかな?もしそうだったら、ピンと来ないかもしれないけど…。ムースが京都へ行くたびに、ってまだ4回しかいったことないけど、もっといろいろなことを知ってたらもっと楽しめるのになぁって思うの。例えば、ムースの嫌いな古文。古文の好きな人が京都へ行ったら、いろいろと古書にまつわるものを見て回ると思うの。ムースにはちょっと想像できないけど、これってすっごい楽しいだろうなぁーって思うの。古文の好きな人って自然と日本の歴史について勉強すると思うのね。っていうか、どういう背景でその本が書かれたか調べると思うんだ。もちろん、歴史が好きな人が京都へ行けばとっても楽しいと思うし、いろいろなところを見て回る時に、絵を中心に見て回る人もいるだろうし、仏像を中心に見て回る人もいるだろうね。ムースが京都へ行くのは、ただ単に京都がきれいだから行ってみたいと思っていくんだけど、行った時は有名どころのお寺を中心に見て回ってるんだ。そのときに襖や屏風にかかれた絵を良く見るかな。でね、歴史を知ってたらもっと楽しめるのに…って思うんだ。
京都旅行1つとっても、地理の知識も大切だし、美術の知識も大切だし、歴史の知識も、文学の知識も大切。これらのことがお互いに関連しあってるんだよね。例えば、コンピュータでのお仕事もそうかな。ムースねぇ、ここで学生をやる前にとある銀行の仕事をしたことがあるの。何をしたかっていうとデータを右から左へ移すお仕事だったんだけど、これっていくらコンピュータのことに詳しくても出来ないのね。っていうのは、銀行のお仕事だから、経済に関することを知らないと二進も三進もいかないの。それに、銀行のお仕事だったから利息のことも出てきたんだけど、これをコンピュータで計算しても、全く誤差が出ないかっていうと実はそうじゃないの。コンピュータにだって計算できる範囲ってものがあるから小数第8桁目とかの処理をどうするかっていうことが必要になるのね。小数点以下8桁目とかっていうと、あってもなくても変わらないと思うかもしれないけど、扱っているお金の額が大きいから掛け算すると一発で誤差になるんだ。一般家庭で1億円もお金を預ける人はいないと思うけど、もし1億円預けたとして、利息の小数第8桁目以下を切り捨てちゃいましょうってなんていったら、1年後にはもらえる1円玉もしくは10円玉の数が変わってくるからね。ってこれが今やってる数値解析にも関連するんだけどね。誤差を少なくしましょうって勉強してるんで。ちょっとしたプログラムなんだけど、いろいろな要素の事柄が混ざり合って1つのものが出来上げっていくのね。
ムースは何もすべてのものに詳しくなろうとは思わないけど、ものをたくさん知っているっていうのは、それだけ楽しみを増やせるかなぁって思う。お仕事のできる範囲が広いかなぁって思う。人にはそれぞれ専門っていうのがあると思うけど、ムースは広く浅く何でも知ってるっていうのも1つの専門かなって思うんだ。まぁ、このことについてはそのうちにゼネラリストとスペシャリストってことで書こうかなぁって思ってるけど。
何にも知らなければ幸せなことは幸せ。でも、ちょっとでも何かを知ろうと思ったり、何かに興味を持ったりしたら、いろいろなことを調べて欲しいなぁって思う。ただ、範囲を広げすぎて収拾がつかないってことにはならないでね。ものごとには適度っていうものがあるから。でね、そのときに気がついてくれればいいなぁって思うのは、私は文系だから数学なんて知らなくっていいのとか、僕は理系だから社会科を知らなくっていいのってことはないんだって。建築家って理系だよね。その人が本当に理系だけの知識で建物が作れるかっていったらそうじゃないよね。もちろん、建物の種類にもよるだろうけど。もし、お子さんのいる人がこれを読んでていたら、その子に教えてあげてもらいたいなぁーってことがあるんだ。国語も算数も理科も社会も習っててムダになるものは1つもないんだってことを。大人になると算数なんて必要ないから…とはいえないよね。もし、その子がHPを作りたい、見た目のいいものを作りたいっていったら、きっと何かしらのプログラムを書きたいって思うんじゃないかな?今でいうと、PerlやJava、JavaScriptを使ってみようって思うかもしれない。これってただのプログラムだけど、小学校の算数の応用問題を解いているようなものだと思うの。紙に図を書いたりして、いろいろと試行錯誤しながら答えを出していったりして。でも、基本的はテキスト系のサイトにするっていったら国語の勉強をたくさんした方がいいだろうし、その内容は旅行記だなーんていったら、社会科のことだし、旅行中は山にたくさん登って火山もたくさん見てきて、それも書くっていったらそれは理科だし。だって火山のことは地学だもんね。これだけいろいろなものが相互に関連して1つのものが出来上がっていくでしょ。例がちょっと強引だったと思うけど、いろいろなものが相互に関連してるってことを伝えたかったから。こんな感じだから、いくら入試にはいらないからといっても、勉強しなくっていいってことじゃないと思うし、ある日、自分の専門分野が今まで勉強しなかったものに関連してるかもしれないし。何事に対してもムダと思わず、ちょっとずついろんなことを知ってもらいたいと思います。
で、さっきも書いたけど、そのうちにゼネラリストとスペシャリストについて書きます。そのときに相互関連してるものに矛盾が生じたらどうしようっていうことを書こうと思ってます。もし、上手に書けなかったらごめんなさい。
今日ねぇ、数値解析の3回目の中間試験があったんだけど、相変わらず何もできなかった。本当に情けないって感じ。その上、金曜日提出した宿題は、かなりボロボロだし。何がわからないかわからないなんて書いてる場合じゃなかった。っていっても、宿題する気になれなかったらしょうがないんだけど…。でね、今日は朝一番で試験があると思って、昨日はこの日記をめずらしく早い時間にアップしたら、とっても多くの人が見に来てくれたからビックリしちゃった。ってムースにとって多くの人って意味ね。毎日のように読んでくれてる人にはなんていっていいかわからないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。ムースのこんな駄文に付き合ってくれてありがとう。たまたま読んでくれた人。ありがとうございます。期待してくださった内容じゃないかもしれないけど、もし、ここまで読んでくれていたら、ムースはうれしく思います。また気になる題名の日にでも立ち寄っていただければ幸いです。
それにしても、昨日は何で多くの人が見に来てくれたんだろう?やっぱり題名が題名だったからかな?プライドなんて書いてあればなんだろうって思っちゃうもんねぇ。
そういえば、先月まで1日に30cmも雪が降っていたムースのところにも、ついに夏がやってまいりました。今日は30℃まで気温が上がりました。とぉーっても暑かったです。たった1ヶ月で約40℃も気温が上がっちゃったから、体調を壊さないようにしないといけないって思っちゃった。今月に入ってから日々気温が上がって、ついに30℃だもんね。先月の半ばまでは雪は降るし、毎日-10℃くらいだったのに…。夏になるとさらに暑くなるんだよなぁ。去年、ここに来た時に、東京より涼しいだろうって思ったら大間違えだったし…。だって東京より暑くって、さらに蒸すんだもん。着いてすぐは大学の寮にいたんだけど、エアコンないし。ちょっと暑すぎー。っていっても、今日スーパーには冷房が入ってたんだ。涼しくて気持ちよかった。でも今朝学校では暖房がガンガンかかってました。本当に不思議なところです。それがムースの住む北の大地でーす。


2002年04月15日(月)



プライド

あの人はプライドが高いとか、あの人はプライドがないとか、プライドって言葉、よく使われるよね。プライドなんて言葉、会話の中に1度も出たことがない人っているのかな?少なくともムースはプライドって言葉、何度か聞いたことあるし、自分でも使ったことあるよ。下らないプライドを捨てたらどうなの?とか、こんなことやるなんてプライドが許さないかな?とか。記憶の中から抹消しちゃったんだか、使ったことがないんだか、よくわからないけど、自分に対して使ったことがない気がするんだ。このプライドって言葉。
ところで、このよく聞かれるプライドって一体何なの?辞書にその定義が載ってるかなって思ってひいてみたんだけど、自尊心や誇りって書いてあるだけなの。でね、自尊心を辞書でひいたら、「自分を尊び他からの干渉をうけないで、品位を保とうとする心理や態度」って書いたあったの。これじゃ、何だかよくわかんないよね。だから今度はネットで検索。プライドってキーワードだけで検索するとたーくさんひっかかるんだけど、どうもしっくりくるものがないんだよねぇ。この言葉を使う人って一体どんな意味で使ってるんだろう。そう思ったんだ。
ムースが使った場合なんだけど、自尊心って意味よりも虚栄心って意味で使ってた場合が多いかな?実質が伴わないのに見せかけだけよくしようとしてる場合に見栄って言葉を使わないでプライドって言葉を使ってたの。だからなのかな?下らないプライドを捨てたらっていってたのは。例をあげると、ある人が英語を習ってたのね。でね、その人はまだ初心者レベルだったの。でも、読んでる本といえば、英語で書かれたペーパーブックといわれる本。ムースにしたらそれはちょっと…って思うんだよね。だってその人に適した読み物ってあるから。でもねぇ、そのことについてムースが何かをいうと「私は高校生の時、英語の成績がよかったし、英語は得意だから」って感じの言葉を返されたんだ。確かに高校生の頃、英語の成績がよかった人にとっては、ムースのような偏差値30台後半の人からは何もいわれたくないだろうと思う。でもね、それは昔の話で今じゃないんだよね。ムースだって高校時代は微積の成績がよかったけど、今じゃないんだよね。今、数値解析の試験の後、赤点が返されてきて、昔は…な~んていったら誰しもが、「昔は昔、今を見なさい」っていうだろうね。だって昔話してたって、数値解析の成績が上げるわけじゃないから。これと一緒で、昔、英語の成績が良くても、それは昔の出来事。今を見なさいっていうんだけど、なかなか受け入れてもらえない。そのときにいったのが「下らないプライドなんて捨てたら」って言葉。過去の栄光にすがってしまってるんだよね。まぁ、こんなことをいってもムースのいったことなんて誰も聞いてくれないけど…。
いつもの、ちょっと余談なんだけど、ムースがねぇ、何かいうとみんな猛烈な勢いでいい返してくるの。「お前にはいわれたくない」とかってことはよくいわれる。でもね、同じことを他の人がいうとみんな素直に聞くんだ。ムースってよっぽど信用されてないか、鼻につく人間何だか、イヤミな人なんだか、よくわからいけど。それともいい方が押し付けがましいのかな?じゃなかったら、下だと思ってた人間にいわれるのがよっぽど癪にさわるんだか。とにかく大変。だから今は人には何もいわないようにしようって思ってるけど。ってHPを作って、いろいろなことを書いてること自体、矛盾でしょう、なんてこといわないでね。こんなムースでも、中にはムースのいってることに耳を貸してくれる人もいるから。耳を貸してくれる人の誰か1人でも、ムースのいったことがヒントになっていい状態になればいいなぁーって思ってるから。だから書きたいこと書いてるんだ。
で、余談は終わりにして、このムースの使ったプライドだと虚栄心って意味合いが強いと思うんだ。だって実質が伴ってないのに、干渉を受けないで、品位を保とうとしてるから。見せかけをよくしようとしてるから。
ネットでの検索は諦めずに続けたら、あるHPに到達したの。研究所「象」って所なんだけど、そこでなかなかいい感じの定義があったの。「プライドという言葉は、「全体のなかの一成員として、価値観を極め、その価値観を基に、吸収できるもの、吸収できないものを、魂の赴くままに、主張したい」という意味になります。言い換えますと、「全体のなかのものに対して、従えるものと、従えないものを、魂のままに主張したい」といえる」んだって。これだと辞書に載ってる定義よりはずーっとわかりやすいんじゃないかな。従えるものと従えないものを思ったままに主張するってことだから。
じゃ、プライドが高いっていうのはどういうことって思うよね。研究所「象」ではそれについてもちゃんと書いてありました。「プライドの高い人といいますと、「従えるものが少なくて、従えないものが多い人」という事になります。従えないものが多くなれば成る程、よりプライドの高い人となる訳です」って。もちろん、ムチャクチャなものに対しては誰だって従えないと思うんだ。でもね、ここでいってる従えないっていうのは、ムース流に解釈すると、人の話を聞いてあげることが出来ないってことじゃないかと思うの。人の話を聞けないっていうと頑固って言葉の方が近いかもしれないけど…。
プライドが高いっていわれる人っていつもツーンとしてて、お高くとまっていて、人の話なんて全く聞かないってイメージがない?もしね、その人が親身になって人の話を聞いてくれてたら、ツーンとしてるとか、お高くとまってるって印象は受けないと思うの。人それぞれ考え方は違うんだから、他人の考え方に納得がいかない、従えないってことはたくさんあると思うけど、話を聞かずしてあなたのいうことはダメっていわれちゃったら、もう何にもいいたくなくなっちゃうよね。そういうときに、愚痴のように出てくる言葉って、「あの人はプライドが高いから、私のいってることなんて…」ってならないかな?「いつもお高くとまっちゃって…」とか。従う、従えないって話を聞くことができる、できないってことに置き換えても意味が通じるような気がするの。
でもね、私は変なプライドはないっていって何でもかんでも従うっていうのはまた違うと思うの。それは従うんじゃなくって依存するってことだから。依存って自分がなくなっちゃうよね。いつも他人まかせだよね。研究所「象」では依存しましょうって書いてあるけど、これは多分ムースの定義する依存じゃないと思うから。ムースのいう依存は自分というものがなくなって、常に他のものに頼って、他のいう通りにする。これがムースのいう依存で、研究所「象」の依存はどう見ても、自分っていう存在はしっかりとしている上での依存だから。
プライド。とっても抽象的な言葉だけど、よく使う言葉。高くても低くてもよく思われないプライド。それは従えるか従えないかっていえるから。人の話をよく聞いて従えるものを的確に見極めることが出来るようになれるといいね。そして、不必要に高いプライドを持たないようになれればいいね。
プライドって聞いて、今井美樹の歌?って思った人もいるかな?ムースがよく今井美樹を聞いてるってここに書いてるから。ってさっきまで今井美樹のプライドを聞いてたんだけど。研究所「象」にはプライドの解釈も載ってたからちょっと紹介します。「プライドという歌では、「あなたへの愛こそが、私のプライド」と歌われていましたが、これは、「私にとって、あなたこそが、全体の中で心から従える人だ」といっている」ことになるんだって。いいねぇ。ムースもこんなこといわれたいし、いってみたいねぇ。っていってもムースの場合は「南のひとつ星を 見上げて誓」うってよりも北の星かな?誓うことは「どんな時も 微笑を絶やさずに 歩いて行こう」ってことでも…。
実は、このプライドってことを書こうと思って金曜日の午後に頭を悩ましてたの。でもね、ボーっとしてて全然書けなかったんだ。そして昨日も。昨日は1日中頭が痛くって。お昼に起きたのに、3時頃昼寝してたし、日記書く前も寝てたし。プライドって本当に難しい言葉だね。何気なく使ってるだけに、どう書いていいかちょっと考えちゃった。ちょっといい訳だけど…。そんなんだったから昨日はまとまりのないこと書いちゃったし。ムースの中でアメリカって国はずーっと夢の国だったんだ。無知だったから何ひとつ疑うことなく、いい国って思ってた。無知って幸せだよね。でも、今は現実が見える。いいところも悪いところも両方見える。でね、何を思ったかっていうと、日本で日本人として生まれてきてよかったなぁーって。アメリカは今でも憧れの国だけど、アメリカ人として生まれこなくってよかったと思う。今、ムースは日本人ってことに誇りを持てるんだ。
これがムースのプライド。初めて自分にプライドって言葉、使っちゃった。


2002年04月14日(日)



夢の国

アメリカに行ったことある人はきっと多いと思う。ムースもアメリカへ行ったことある人のひとり。ムースの場合は初めての海外旅行がアメリカだったんだ。今からちょうど10年前のこと。初めての海外旅行が10年前だなんていうと、年がバレバレだよね。何かイヤだねぇ。だって大学では20歳そこそこ人たちと毎日同じ授業受けてるムースなのに…。10年前の1992年2月28日、初めての海外へ旅立ったんだ。
最初に着いたところは航空会社の関係でカリフォルニア州のサンノゼ。シリコンバレーの中心として有名なところだよね。サンノゼ空港について、そこからサンフランシスコへ移動して、サンフランシスコ観光をしたんだ。だから実質的にはサンフランシスコがアメリカ最初の都市になるのかな。この時のムースは英語なんて全く話せなかったの。とはいっても、1人で海外へなんて行く勇気のなかったムースは、友達と一緒だったしすべて友達まかせ。しかもその友達は、その時点でヨーロッパへ2度も行ったことがあったし、中国へも行ったことがあったし、海外旅行にはかなり慣れてたんだ。それに英語を話せたしね。でも、ムースにとっては初海外旅行。緊張の連続。だから成田エクスプレスに乗る前に東京駅でビール買って飲んじゃってた。酔っ払いはイヤだね。でもね、英語がわからないムースが海外へ行くんですもの。そりゃ、緊張もするし、お酒でも飲んでリラックスしたいと思うよね。当然、カバンの中には旅行会話集。この海外旅行って一緒に行った友達が企画したもので、実はムースはどこへ行くか何も知らなかったんだ。でもね、メキシコへ行くんだけどいかない?って誘われたからメキシコへ行くっていうのは知ってたの。でも、メキシコのどこへ行くかは知らなかったんだ。あとね、メキシコの隣りにベリーズって小さな国があるんだけど、そこの国のビザを取りに行ったからそこへ行くのも知ったたんだ。それ以外のことは何も知らなかったの。ただメキシコならスペイン語だって思って、旅行会話集はスペイン語の会話集を買っていったんだ。実はスペイン語の隣りに英語も書いてあったから、これはちょうどいいやって思ってそれを買っていったの。だからその会話集は手放せなかった。っていってもほとんど役立たなかったけど。何でかっていうと、発音が悪くて通じなかったから。今も発音が悪いってことを考えると10年間進歩ないなぁーってちょっと思っちゃうけど…。
飛行機の中ではお酒をたくさん飲んじゃった。日記によるとスコッチ飲んで、ビール飲んで、さらにスパークリングワインも飲んでるらしい。これだもん、サンノゼに着く頃になっても、完全には酔いが覚めてる訳ないよね。だからかもしれないけど、飛行機がサンノゼ空港にそろそろ着きますっていうアナウンスをした時に、ムースねぇ、窓の外を見て友達にちょっと大きめの声でいったの。「うわぁ、車が右側走ってるー。TVで見てたのと一緒だぁー」って。アメリカだもん、当たり前なんだよね。でもねぇ、ムースにとってはそれだけでもちょっとした感動だったの。その時、友達はどうしてたかというと、ちょっとあきれた感じで、ちょっと恥ずかしそうで。そんな感じだった。
これがムースが初めてアメリカにいったときのことなんだけど、その1年半後、ロサンゼルスへ1人で行ったし、一昨日の日記のも書いたけど、サンフランシスコへも2年前にいったんだ。これも1人で行ったんだ。っていっても現地に友達がいたから、夜と週末は一緒に遊んでたけど。
今日は何でアメリカのことを書き始めたかっていうと、相変わらずネタを探すのにネットをフラフラしたのね。でも、これを書きたいっていうお題が見つからなかったの。それと、ここんとこの寝不足でちょっと疲れちゃって、さっきまで寝てたんだ。でね、日記を書かなきゃって思って起きようと思ったんだけど、ネタがないなぁーって思ってベッドの中でゴロゴロしてたんだ。その時に昔のことをふと思い出したの。そういえばムースが最初に見た映画って何だったんだろうって。「キングコング」のような気もするんだけど、「アドベンチャーファミリー」かなとも思ったんだ。この「アドベンチャーファミリー」って映画、ムースはこの時に1度見たっきりであとは1度も見てないんだけど、何となく記憶の片隅にあるの。ある家族が都会から大自然の広がる田舎に引っ越すって感じの話なんだ。「北の国から」のアメリカ映画版って感じかな?っていってもこっちの方が先に封切られてるから、映画が元祖なのかな?この映画を見てね、アメリカってところに憧れを持ったんだと思う。アメリカって所は雄大ですごいところだぁーって感じで。あと、日本ではこんなことはできないだろうってことも何となく感じたのかな?この映画を見た後にムースねぇ、どうやら英和辞典を買ってもらってるらしいの。辞書の存在は知ってるし、微かな記憶の中では「アドベンチャーファミリー」と辞書が1つの出来事になってるから、何かしらの関係があると思うんだけど…。
でね、このあとに見てる映画って「がんばれベア-ズ特訓中」っぽいんだ。この映画は何かの時にTVで見てるからどういう内容か何となく覚えてるよ。この映画にヒューストンのアストロドーム球場っていうドーム球場が出てくるのね。今じゃ、日本でもドーム球場なんて珍しくもないけど、25年前にドーム球場を見たムースにしたらアメリカってところはすごい国なんだとしか思わないかったの。
それとね、父が日曜日の朝によく「兼高かおる 世界の旅」を見てたのね。あの当時、海外旅行っていうのは高嶺の花で、ってムースの家が貧乏だったからうちだけだったかもしれないけど、外国へ行けないと思ってたの。もし行きたければ、アタック25で優勝してエールフランスで花の都パリへ行くしかないって思ってた。兼高かおるの番組は子供だったムースにはちょっと…って感じだったけど、父はよく見てたからムースも見ざるを得なかったんだ。今と違ってあの頃ってまだまだTVって一家に1台だったから。あっ、ムースの家は祖父の部屋に1台と両親の部屋に1台の2台だったんだ。うわっ、実は金持ちじゃん。いや、やっぱりそれはないなぁー。TVはたまたまだぁ。でね、兼高かおるの番組を見ながら子供心に外国ってどんなところなんだろうって思ってったんだ。日本航空と全日空には乗ったことあったけど、パンナムには当然乗ったことなかったし。でも、番組の協賛がパンナムで、いっつも世界の翼パンナムの協賛でお送りしてますってようなこといってたから、パンナムに乗れるようになれたらいいなぁって思ってたの。
そして日テレではアメリカ横断ウルトラクイズが年に1回やるようになってたし。実はムースも1度ウルトラクイズに出たことがあるんだけど…。もちろん、成田すら行けず、1問目でアメリカへの夢は木っ端微塵に砕かれたけど。でね、ウルトラクイズを見るたびにアメリカの大きさを感じてたの。映画で「アドベンチャーファミリー」を見てロッキーの大自然を目の当たりにして、ウルトラクイズではニューヨークの摩天楼や、アメリカの広大さに感動して、最終決戦はパンナムビルの屋上。兼高かおるの番組で出ていたパンナム。ムースの中ではアメリカって国がどんどん大きな国になっていってた。だからかな、どんなに英語の成績が悪くっても英語を話せるようになりたいって気持ちが失せなかったのは。ずーっとアメリカへ行ってみたいと思ってたんだ。
でもねぇ、アメリカへ行けるチャンスなんてなかなかなかった。ムースの友達で小学生の時にハワイに行ったことがあるって人がいたんだ。ちょーお金持ちだと思ったもんね。ムースの行った学校では夏休みに約3週間の短期留学のプログラムがあったんだ。でもねぇ、とんでもなく高かった。当時の値段で50万円くらいしてたかな?まだ1ドルが250円くらいの時だったしね。アメリカに行ったことあるって人がどんどん増えていくけど、英語が全くわからないムースにとっては常に未知の世界だったなぁ。友達の家はお父さんが英語がしゃべれたりするところもあったみたい。ムースの両親は英語なんて無縁だし、アルファベット書くのがやっとだしね。友達の家みたいなことは決して起こんなかったよ。そんな多感なころに「トップガン」も公開されたし、ムースのアメリカへ行きたいって気持ちがそこで大爆発したかな。だからねぇ、高校3年生になって進路相談をした時にカナダの大学へ行きたいって行ったことがあるの。何でカナダ?って思うよね。その時、たまたまカナダの大学を知ったの。でね、アメリカじゃないけど、カナダも似たようなものだろうと思ってカナダへ行きたいっていったんだ。当然、親子喧嘩になったよ。だって英語の偏差値が30台後半の人がカナダなんていったって英語なんて話せるわけないだろうって。ムースは日本の教育がよくないから英語が話せないだけで、カナダへ行ったら話せるようになるって主張したけどね。結局は資金面でも大変だし、その考えは却下。そうだよねぇ、学費に生活費にって仕送りしてたらとんでもない金額になるよね。働くようになってわかったけど、あれだけの金額を稼ぐっていうのがどんなに大変だかねぇ。
このあと一時的にアメリカへの夢は消えたけど、メキシコの話がムースのもとに転がり込んできた時はすぐに飛びついちゃった。だってやっと海外旅行へ行けるんだもの。もちろん、言葉の不安はあったけど、それ以上にやっと海外へ行くチャンスが出来たっていう喜びの方が強かったねぇ。父にメキシコへ行きたいって行ったらすぐに反対されたけど。っていうか、父は何でもとりあえず反対するから。ムースは原付の免許を16歳の時に取ったんだけど、それにも反対してたし。まぁ、反対しててもムースは外国へ行きたくってしょうがなかったから、父の反対なんて無視してたけど…。そうしたら最後は渋々承知したみたいだけどねぇ。きっとムースの周りに海外へ行った人があまりいなかったからなのかもしれない。今みたいに猫も杓子もって感じだったらまだよかったんだけど、いったことない人も多かったからねぇ。だからかな。
「アドベンチャーファミリー」を初めて見てから十数年経って、やっと映画で見た世界へ行ける日が来たって感動は忘れられないと思う。多分ねぇ、ムースが都会に疲れて、田舎に引っ越す結果になったのって、潜在意識の中にあの映画が存在してるんじゃないかな。だから夢の地であるアメリカと田舎っていうのがムースにとっての憧れの場所になっているのかもね。今では気軽にアメリカへ行けるし、海外旅行は高嶺の花じゃないよね。だって国内旅行の方が高いもん。一昨年、ムースがカナダへ行った時は4泊で6万5千円。国内旅行だってそれくらいするでしょ。だったらカナダへ行った方が楽しいもんね。アイスホッケーも見れるし。
子供の頃思ってた夢の国に行くってことの価格的価値は下がったけど、心の中での夢としての価値は昔も今も変わることはなく、今でも生き続けてるんだ。もちろん、アメリカって国へは何度も行ったことある国だけど、まだまだ行きたい場所はたくさんあるから。だからムースの中ではアメリカはまだまだ夢の国なの。いつの日にか、英語を話すのに問題ないっていえる日が来たらいいなぁ。そして、アメリカもいろいろなところへ行ったことがあるっていえる日が来たらいいなぁ。いつもそう思う。
今日、ヤフーで「ムースの部屋」で検索してみたの。そうしたらヒットしちゃったからちょっとびっくり。そういえば登録申請してたんだっけって思っちゃった。
ネタに困ってつまんないもの書いちゃった。もうちょっと頭の中で考えがまとまれば、ムースがどれだけアメリカってところに憧れていたかってことが上手に書けるんだけど…。頭の中に思いついたものだけ、ちょこちょこって書いちゃった。さぁーって、遅いからもう寝よう。おやすみなさい。


2002年04月13日(土)



お休み

昨日、夜遅くまで日記を書いていたから、またまた3時間睡眠で学校へ行っちゃった。こういう日って午前中はどうにか起きてられるんだけど、午後の1番最初の授業は眠くて、眠くてしょうがないの。でね、船を漕いじゃうことがあるんだけど、今日も知らぬ間に船を漕いでたみたい。本当に困っちゃうんだけど…。でね、おかしなことにその授業が終わる頃になると段々目がさめてきて、今まで眠かったのはどこへ行っちゃったのって感じになるんだ。いつもだったら、夜になると睡魔からもある程度解放されるんだけど、どうも今日はダメみたい。さっきまで別のことを書こうと思って、パタパタとキーを叩いてたんだけど、限界だった。思考能力ゼロ。エッセー風の日記なんて書けない。今までのような、今日1日の出来事を書くのが今のムースに出来る最大限のことです。じゃ、今日何が起こったかダラダラと書いていくんだねっていわれそうだけど、実はそれもかなり厳しい。だって眠いんですもの。
そんな訳で今日の日記はお休みさせていただきます。明日、ゆっくりと書こうと思ってるけど、今日書けない分を明日まとめて書くってことはないと思うんだ。だって、前に2部構成の日記を書いた時、文章が長すぎてアップできなかったから。


2002年04月12日(金)



何がわからないかわからない

この間どこかのHPを見ていたら、わからないことがあるならわからないっていってくれればいいのにって書いてあったんだ。何がわからないかいってくれれば教えてあげるのに…って。職場での話をしてたみたい。これ自体は全然おかしな話じゃなくって、本当にその通りだと思う。一緒にお仕事をしているときに、何していいかわからないからっていってボーっとされてたらイライラしちゃうだろうねぇ。同じお金もらってるのに片や一生懸命働いて、片や何もしてなかったら不公平感が募ってくるだけだから。
でも、ムースはこれを読んだ時に、わからないっていえない気持ちって伝えられたらいいのにって思ったんだ。どういうことかというと、何がわからないかわからないから、わからないってことがいえないって気持ちを簡単に伝えることができたらどんなに楽かと思う。訳のわかんないことのように聞こえるかな。最近、これに近いことがあったから、例を出せばわかってもらえるかな。
この日記によく登場する、ムースの苦手な教科、数値解析でのお話。高校卒業以来、数学とは無縁だったムースにとっては、数値解析の授業はちょっと難しすぎたんだ。だっていきなり微積の教科書に出てくるようなことをやるんだから。ムースの場合は運良く、高校時代に微分・積分を習ってたし、微積は得意な方だったから授業でいってることはわかる、と思ってた。ここがそもそもの間違えだったんだけど…。授業に出てくる公式、テイラーの定理は数式を見てる限りだと何をやってるかわかった。どんどん微分して、それを足していってって感じで。授業がどんどん進んでいく。するとわかってたと思ってたことがどんどんわかんなくっていく。だから先生の所へわかりませんっていって質問をする。もちろん、先生は教えるのが商売だからちゃんと教えてくれるよ。これがこうなって、こうで、こうで…って。その場では気持ちいいくらいに数式が展開されていって答えにたどり着く。わかった気になっちゃってるから、わかった?って聞かれると、いつもわかったって返事をしてたんだ。もっと驚くことには、自分でこの数式は誤差を求めるのためのものでしょ?とか、的を得た答えもいってたから、先生もムースがわかってると思っちゃってた。でも、本当は何1つわかってなかったの。っていうのは、何がわかんないかわかんなかってなかったから。どんなに一生懸命質問しても今1つしっくり来てなかったんだ。だから試験の度に赤点だった。でも、ある時、宿題の問題を解いていたら、テイラーの定理を使ってこれを証明しなさいっていうのがあったんだ。数値解析の授業が始まってからいっつも出てくる定理。その時、ふと思ったの。テイラーの定理って公式は知ってるけど一体何なのって。もちろん、もう赤点なんて取りたくないから先生のところへ行って聞いてきた。このことは3月27日の日記にも書いたんだけどね。でね、そのときに微積の教科書を借りてテイラーの定理が何であるかってことを読んだ瞬間、この授業って何をしてる授業だかやっとわかったの。先生がいろんな公式を説明してたんだけど、それが何であるかがわかったの。
ムースの場合は一生懸命わからないっていい続けたし、あるときにふと何がわからないかってことがわかったからよかったんだけど、これがわからないままだと、ある日疲れ果ててわからないってことがいえなくなっちゃうと思う。もしかしたら、何がわからないかわからないから、どう質問していいかわかんなくって、ただ手をこまねいているだけかもしれない。だって、ただわかんないとしかいえないもん。聞かれた方は普通、何がわからないのって聞き返すよね。でも、わかんないことがわかんない人にとってはわかんない以外いえないと思う。出来るだけ早いうちに何がわかんないかってことがわかればいいんだけどね。なかなかそうはいかないから、時ばかりが過ぎていく。いつまで経ってもわからないまま。本当はちょっとしたきっかけでわかるかもしれないのに。
何がわからないかわからないっていうときはちょっとだけ前にかえってみたり、基本的なことを教えたりすると、今まで点でしかなかったことが線になることって多いと思う。いつも数学の例ばかりで悪いんだけど、高校時代にも似たようなことがあったの。高校1年生の時に数A(ってムースの時代は基礎解析、その前の人にとっては数ⅡBかな)の授業で漸化式っていうのを習ったの。数列の規則を見つけてあげるような式だよね。これが全然わかんなかったの。っていうか、このころは数学の授業すべてがわかんなかったんだけど、ある日、何でそのことを聞いたんだか全く覚えてないんだけど、担任の先生に漸化式のことを聞いたの。担任の先生からは数Ⅰ、別の先生から基礎解析を習ってたから、今でも担任に漸化式のことを聞いたのって不思議でしょうがないんだけど。でね、その時、ちょー簡単な数列を使って説明してもらったのね。授業中に出てくるような訳のわかんないものじゃなくって。そうしたらねぇ、漸化式が何かがわかったの。それからというもの、数学の問題を解くのが楽しくなっていったんだ。だって自分が何をしたいかがわかったから。問題を解くことが苦痛でなくなったから。何がわかんないかわかんなかったけど、その時は何がわかんないかってことがわかったのと同時に全部わかるようになったんだ。ほんの些細なきっかけで、今まで苦痛だったものが、苦痛でなくなったの。
英語の場合は残念ながらいいきっかけってなかったような気がするけど、NHK教育の英語Ⅰはちょっとしたきっかけを作ってくれたと思う。っていってもそれを見てたのは大学生の時だけど。高校時代、ムースの英語の偏差値は30台後半から40代前半。模擬試験はすべて勘。多少英単語は知ってたものの基本的には語彙は少なかったの。でも、これが英語がわからない理由ではなかった。すべての単語を辞書で引いても、文の構造がわかんないから何が書いてあるのかさっぱりわからなかったんだ。関係代名詞って何?副詞節って何?名詞句って何?そんな感じだった。文中にthatが2回出てきたらもうお手上げ。もしかしたら1回でもダメだったかな?It's an apple. ムースでもこれはわかった。それはりんごです。じゃ、It's the apple that I want to eat and that you don't like. こんなのが出てきたらもうお手上げ。それはりんごです。私は食べたい、そしてあなたは好きではない。何じゃらほい。こんな感じの訳。これは単語が簡単だし、文も短いからここまで訳せるからマシだけど、文がもっと長くなったらもう日本語にもならない。決して、私は食べたいけどあなたは嫌いなりんご、とは訳せなかった。ってこの例文も何かおかしいね。
ずーっと何がわかんないかわかんなかった。だから質問なんてできなかった。時はいらずらに過ぎていく。英語がわからないことへの不安。わからなければいけないという焦燥感。そんな重圧を日々感じていた。何かすればよかったのかもしれないけど、手をこまねいていることしかできなかった。英語なんて小学校の時に習った知識のまま高校を卒業。今思うと、本当に小学生の時は賢かったなぁ…。受験はムースお得意の運でどうにか切り抜けたけど、大学生になっても英語はさっぱりわからなかった。でも英語を話せるようになりたいって気持ちだけはなくならなかったから不思議なんだけど…。
もし、これが職場だったらわからないことはわからないっていってくれっていわれそうだよね。でも、わからないといった時に、何がわからないの?と聞かれたところで、どう答えていいかわからない。今は何がわからないかわからないってことがあるってわかったから、何がわからないかわからないっていえるようになったけど、昔は知らなかった。わからない。このひとことが精一杯の表現。
何がわからないかってことがわかる人にはこの気持ち、なかなか伝わらないかもしれないけど、ムースのような気持ちになったことのある人には伝わってるんじゃないかな。っていうか、そういう人ってたくさんいると思うの。もしかしたら、今だにわからない以外いえないかもしれない人。何がわからないかわかってないから何もいえないの。だから何にもいわないの。
わからないっていえないこの気持ち、伝えられたらいいのに…。そんなことちょっと思っちゃった。
今日は日記の更新が遅くなっちゃった。ちょっとその言い訳を。この間、お友達がムースのことを心配して電話をかけてくれたんだ。ここんとこいろいろ大変だったし、かなり沈んでたからね。けれども、いっつもインターネットにつないだままになってるムースの家の電話は全然つながらない。で、心配になったっていってメールをくれたの。もちろん、すぐに返事を書いたよ。普段は電話なんて使わないんだけど、今日は何となく電話をしたくなって、その友達のところへ電話してずーっとお話しちゃった。気がついたら12時ちょっと前だったの。2時間半も話してたみたい。久々に人と話したような気分だった。電話でもいったんだけど、2年前の今頃、彼女の所へ遊びにいったんだなぁってふと思ったんだ。時差ボケしてないムースを見てびっくりしてたっけ。その2ヵ月後、彼女が実家に帰ってきたときに飲みに行ったのが最後で、それから全然会ってないんだ。懐と相談して、また遊びに行こうって思ったんだ。だって彼女のところへ遊びに行けば、新庄の試合が見れるかもしれないし。ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフへ行って、クラムチャウダーをまた食べたいなぁ。値段は$4とムースの感覚にしたらちょっと高いけど…。でも2年前に行った時は安いと思ったんだけどなぁ。ってあの時は職安に行って失業保険をもらってたし、退職金もあったから何とも思わなかったのかな?野球が好きな人だったら彼女がどこに住んでるんだかわかるよね。ケーブルカーっていっただけでもわかるのかな。そう、その友達が住んでいるのは海の向こう、アメリカのサンフランシスコなのです。昔はよく横浜で飲んだりしてたんだけど、3年前からアメリカに移り住んじゃったのでなかなか会えないんだ。たまにメール書いたりする程度。でもムースが去年の夏にここに引越しをしてきてからは2ヶ月に1度は電話するようになったかな。なんてったって1人暮らしに関しては彼女の方が先輩だから。
今日はそんな訳でこの日記の書き出しは非常に遅くなってしまったのです。宿題だっていい加減にしかやってないし。ちょっとだけどうしようって思ってるけど、まぁいいか。全くやってないわけじゃないし。


2002年04月11日(木)



悩んでます

今、悩んでます。一体何をしたらいいんでしょう。何かを書きたいと思っているのに、何を書いていいかわかんなくなってきちゃった。所詮、日記なんだし好きなこと書けばっていわれそうなんだけど、それが書けないから困ってるの。
今日も学校から帰ってきて、これを書き始めるまでの約7時間、ずーっといろいろなサイトへ行って、いろんなものを読んでたの。でも、それを読めば読むほど何を書いていいかわかんなくなっちゃう。基本的には、日常の中で起こったこと、感じたことを書こうと思ってるんだ。でも、それが書けない。何も感じてないわけじゃないの。今日だって朝起きて、学校へ行って、家に帰って来るまでのたった数時間の間にいろいろなことを思ったし、いろいろなことを考えたの。ムースの頭の中はその瞬間に考えていることで一杯なんだけど、別のことを考えた瞬間に今まで考えていたことが消え、新たな事柄がムースの頭の中を支配するの。そして現実に引き戻された瞬間にそれまで考えていたすべてのものは消え、自分が何を考えていたかも覚えてない。だから今日はこれ書こう、明日はあれ書こうと思ってみたところで、それがこの日記に現れることはなく、学校から帰ってきて、ネットの中で拾った題材についてしか書けなくなっちゃってる。ただ、その題材についても、今1つボケたままになってるときが多くて、考えがまとまらないの。当然、文章としてはまとまらないよ。その時にムースが感じることは、いたずらに過ごしてしまった時間がもったいないなぁーってことだけ。時は過ぎていくだけで、戻ってくることはないから。今、この瞬間に思ったことを思ったままに伝えないと、次の瞬間にその思いは過去のものになり、今の思いではなくなってしまうから。だから、少なくとも今日思ったことは今日のうちに伝えたいし、書き残しておきたい。それがうまく出来ないから悩んじゃってるの。
実は、毎日ダラダラと書いているこの日記をもう少し短く簡潔なものにして、日記を書くのに費やす時間を少なくしようとも思ったの。でも、いつも1度書き出し始めるとなかなか書き止むことが出来ないのが事実で、書いてること自体にはこれといった問題がないのかもしれない。じゃ、何に困ってるかというと、やっぱり何を書くかということ。昨日のように社説を読んだ瞬間に書きたいことが決まる時もあるし、前々から書こう書こうと思っていたことを書く場合もある。でも、くどいようだけど、それは自分の中で考えがある程度まとまってるものだけ。今まで考えたこともないようなことや、初めて遭遇した考え、意見に対しては、そうなんだぁーって思ったとしか書けない。たまに「今日はこのページを見てください」ってリンクだけ張って終わりにしたいときもある。だってそれを読んでもらった方がいいんじゃないかって思うときもあるから。
でもその反面、自分の言葉を使って、いろいろなことを伝えたいって気持ちもあるの。だから自分の頭の中でぼやけたままになっているものをまとめようと時間を費やしてる時もある。ただその時間が長すぎるの。目的意識なく、ボーっとしてるだけに思えるから、その時間を振り返ったときに時間を無駄遣いしたことを後悔することもあるんだ。本当に複雑。どうしてもっと単純に考えられえないものかと思う。
この日記を多くの人に読んでもらいたいなぁと思う反面、1日のアクセス数がちょっとでも多くなると、次の日は「人様に読んでもらうのに変なものは書けない」って思って悩みに悩んで、何も書けなくなって、ついには訳のわからないものを書いちゃったりする。そして読んでもらわない方がいいんじゃないかって思ってみたり。今日も思ったんだけど、毎日書くのをやめて書きたくなったときだけ書こうかと思う反面、日記って思ったことを書けばいいんだから、書きたくない日は書きたくないってことを書けばいいって思う自分もいたりする。今日の昼間はもう書けないって思ってたのに、家に帰ってきてから覗いたサイトは、文章の書き方のサイトで、そこに書いてある事を読んでいくに連れて、少しでもいいから毎日何かを書いていかなきゃいけないなぁって思ってみたり。葛藤の繰返し。「To be, or not to be, that is the question.」「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ(小田島雄志訳)」まさにそんな感じ。
文章の書き方のサイトを見た感想としては、駄文であろうが支離滅裂な文章であろうが、やっぱりムースは書き続けていかなきゃいけないと思った。これが使命とか、運命とかそういったものでなく、ただ単に何かを書くって作業になれるために書き続けることが大切だって思うの。今、こうして毎日いろいろなものを書いて、その文章の出来の悪さ、構成の悪さに苦しみ、嘆き、そして何がいい文章であるかを探していく。独学で続けていかなきゃいけないから、かなり遠回りだとは思うけど、やっぱり書くってことに慣れないと次に進むことが出来ない、そんな気がするの。ムースの当面の目標は英語で論文を書くことだけれども、日本語で文章を書けないのに英語で書けるとは思わないんだ。だって語彙が違いすぎるんだもの。思ったことを思ったまま、思った通りに書ける言語で書けないものが、どうして他の言語で書くことが出来ようか。早く英語で書けるようになりたいという気持ちが強くって気持ちが空回りしている部分もあるけれども、書くという行為そのものは何語で行なっても一緒だと思う。だって何をいいたいかってことをまとめなきゃ何も書けないんだから。
日本語には日本語の書き方があると思ったけど、英語のエッセーを書くように書いた方が論文には適しているってことがわかったし…。だからまずは日本語で自由に書いて、そのうちに日本語で焦点がぶれることないエッセーを書いて、それから英語で書けるようになってもちっとも遅くないような気がするんだ。だってそれは語学の問題であって、書くって行為の上にあるものだから。
何だか訳のわからないものを書き連ねちゃったけど、今日のムースはこんな気分。途中まで書いては休んで、また書いて。こんな日もあるのかな。


2002年04月10日(水)



学習指導要領

ここんところ、毎日のように夜更かししてるから何となくボーっとしてるのかな?今日はねぇ、お休みだからゆっくり寝ようと思ってたんだけど、10時半には目が覚めちゃった。って十分遅いか。午前中は相変わらずネットを巡回してるんだけど、今日は明日提出の宿題をやらなきゃいけないと思って、早く切り上げようと必死だったの。っていうか、朝のうちに日記のネタを探しちゃおうって思ったんだけど、なかなかいいのが思い浮かばなかったんだ。検索をしたのは狩野探幽っていう画家のことだったんだけど、あまりにもたくさんヒットしちゃったから、これは今日の日記に書くには適してないって思ってやめちゃった。っていうかムース自身がこの人のことをよく知らないの。だからネットで検索したんだけど、ここまでヒットするとは思わなかった。この画家のことをどこで知ったかっていうと、昔京都へ行ったときに、この狩野探幽って人の絵を見て感動したっていう記憶があったからなんだ。昨日、オートバイで事故起こしたことあるって書いたけど、その事故の2日後くらいに、ふと京都へ行きたくなって、夜行列車に乗って京都へいったの。東京から京都へ行くのに夜行列車なんてあるの?っていわれそうだね。今はわからないけど、当時は急行銀河っていう夜行急行があって、それに乗っていったの。3月の終わり頃のことで、桜が散り始めた頃にいったんだ。でも、まだまだ桜の花は咲いたままで、朝早くに、って7時半頃だけど、誰もいない清水寺へいって1人でお花見しちゃった。その日はねぇ、天気があまりよくなかったの。午後から雨が降ってきちゃってねぇ。しとしとと雨降る中、1人さびしく哲学の道を散歩してた。だって、すれ違う人たちはカップルだったり、楽しそうに旅行してるOLっぽい人たちだったり。ムースくらいだったかも。1人でポツポツと歩いてたの。でね、そのあとに大原三千院とか寂光院へ行ったんだけど、あそこでも1人ぼっちって人は見なかったと思う。でも、その夜に泊まったところのTVでアイスホッケーが見れたからムース的には大満足なんだけど。この京都旅行の時、狩野探幽って人の絵をたくさん見たんだ。1人だから気ままだしねぇ。大覚寺では般若心境の写経なんかしちゃってねぇ。何やってるんだろうって思っちゃった。っていうのは、ムースねぇ、借りた筆で字を書くのってあまり好きじゃないの。筆のクセがわかんないから、何となくイヤでねぇ。だから写経した時は思いのほか時間がかかっちゃった。
狩野探幽についてはちょっと大変なので、書くのはやめようと思ったものの、これっていうネタが見つからないまま宿題に突入したんだ。でもねぇ、これが思ってたより早く片付いちゃったの。金曜日に提出しなきゃいけない宿題もあるんだけど、それはまた明日ってことにして、またまたネットに戻っていろんな物をボーっと眺めてたんだ。思いつくものはいろいろあるんだけど、調べるのに時間がかかりすぎちゃって何も書けないの。何を思いついたかっていうと、例えば、儒教って何だろうとか、孔子って何書いたんだろうとか。ムースって高校時代に古文が苦手で赤点以外とったことないってこの日記にも書いたことあるじゃない。でね、古文はわからないけど、漢文はできたってことはないので。漢文ってほとんど中国語でしょ。そんなのムースにはさっぱりわかりません。お習字で漢文を書くことはあるけど、何が書いてあるんだかいっつもさっぱりわかりません。でね、困っちゃうのが、たまに質問されるの。これ何書いてあるの?って。いつも答えは同じ。さぁ、何でしょう?って答えるの。それ以外答えようないしねぇ。ちなみに、ムースはお習字を書いている時は漢字を専門にしております。先生はたまには仮名でも書いたらと勧めてくれるんだけど、ムースねぇ、ここでも緊張しちゃって全然書けないの。だから仮名を書くことからいつも逃げ回ってるんだ。っていっても、本当は仮名の方がいいのかなぁーって思うときもあるんだけど。っていうのはねぇ、ムースの字って体形と一緒でヒョロヒョロなの。先生は褒め上手だから良寛みたいねっていってくれるんだけど…。良寛って小学校の教室の後ろにあった学級文庫の伝記シリーズとかにあったあのお坊さんの良寛。良寛の字ってねぇ、ミミズが這ったようなヒョロヒョロの字なんだ。前にねぇ、上野の美術館へ行って何かの展覧会で良寛の字を見てきたんだけど、字の上手な人とはいえないの。ムースはねぇ、藤原行成って人の字をその時に初めて見たんだけど、かなり上手ですぐにファンになったの。ってこの藤原行成って平安時代の書家で三筆の1人っていわれてる人なんだってねぇ。道理でうまいと思った。ちと話がそれちゃった。っていつものことか。
そんなんでね、いろいろと調べては見たもののしっくりこなかったの。その時に気分転換を兼ねて、コラム系日記サイトへいったら今日っていうか明日の新聞の社説が載ってたのね。何かねぇ、おかしくなっちゃった。どうしてこうも横並びって感じだったから。だって朝日・ナベツネ・毎日・産経、各紙社説の内容は教科書検定問題についてなんだもん。一応ねぇ、各紙の社説に目を通したけど、どこも似たようなこと書いてるしつまんない。突拍子もないこと書いてぇーっていう期待もあるけど、会社経営って観点から見たら当り障りのないことしか書けないもんねぇ。新聞にその会社の色を出しちゃうと、読者の中には離れていっちゃう人もいるだろうし。今は販売部数を伸ばすのに各社必死になって取り組んでるのに、読者離れさせるようなことやったらそれこそ大変だもんね。つまんないけど、これが平和な証拠だもんねぇ。
あとねぇ、社説を読んだあとに必ず思うのが、だから何?、どうしたらいいの?ってこと。この間の日記に書いたエッセーの書き方じゃないけど、私はこう思いますってこと書いてくれると、読んでても楽しいんだけど。事実を羅列しても読んでる方は面白くないんだもん。っていうか、ネット上にある日記やコラムを読みすぎちゃったからこう思うのかな?だってネットの中にあるコラムってその人の考えをストレートに書いてあるじゃない。ムースとねぇ、考え方が合わないって思うサイトのものでも、読んでて楽しいの。その考えを受け入れてっていうことになると拒否反応が出ちゃうけど、それを毎日読んでる分には一切拒否反応が出ないんだ。もちろん、考え方が似ているサイトのコラムはいつでも楽しんでるけどね。こんなことを毎日のようにやってるから、新聞を読んでても茶番ににしか見えなくなっちゃうと思うんだろうね。
でね、その中で日経新聞は小中学校の週休2日制について書いてあったんだ。って一応、教科書問題に関連してるんだけどねぇ。日経新聞も例にもれずどうしたらいいってことは何1ついってないよ。「社会変化の速度とニーズに合わせた政策の再構築をためらうべきではない」っていってるだけ。読んでるとだから何すればいいのぉーっていいたくなっちゃうけど、そんなことはどうでもいいとして、この社説の中で新学習指導要領のことに触れていたのね。今日の教科書問題はすべてこの新学習指導要領の問題から来てるんだけど、社説には「知識の詰め込み教育を改め、「ゆとり」と「個性」を重視して子供たちの「考える力」を育てようという狙い」で今回の新学習指導要領を作ったみたいなの。ムースねぇ、ここの部分を読んだ時に何ぃーって叫びそうになっちゃった。だって「個性」を重視してっていうけど「個性」が何だかわかってない人がどうやって「個性」を伸ばしてあげるの?日本って個人っていうよりは集団を好む国なのに、どうやって「個性」の重視するの?「横並び」については誰しもが教わってるし、教えることの出来る人もたくさんいると思うけど、「個性」ってことがわかってないのに、どうやって先生が生徒の「個性」を重視できるんだろう。「個性」を重視するってことは「個性」を受け入れてあげないとダメなんだよ。でも日本っていう国は他と違ったことをすれば差別をしてきたっていう背景があるのに。
これは別に日本に限った話じゃないけど、田舎へいくと村とか集落とかいった1つの小さな地域社会の中だけで人たちが生活してるじゃない。外からの人をあまり受け入れないような小さな地域社会の中で。その中で生きていくには、みんなと地域の為にがんばっていこうっていって生活してた訳だよねぇ。ってことは、個人っていう考え方があまりなくって、全体って考え方がどうしても主流になっちゃうよねぇ。ムースはよくいわれたんだけど「君がどうなろうと私達には関係ない。でもみんなが大変なことにはならないために君はこれをやらなきゃいけないんだ」ってようなこと。書き方があまりにも抽象過ぎてわからないかな?例えば、仲良しグループでどこかへ旅行しようということになった。ムースは北海道へ行きたいけど、みんなは暖かくて海があるところがいいっていうとする。そうするとムースの北海道は当然却下。で、沖縄へ行こうということになるとする。その時にムースが「海は嫌いだから1人で北海道へ行く」っていうとそりゃ大変なことだよねぇ。我がままいうんじゃないとか、自分勝手すぎるとか。最後は全体にとって何がいいかってことで意見がまとまると思うの。ムースねぇ、これを「個性」が尊重されてないっていってるんじゃないんだ。でも、これに似たような状況ってたくさん出てくると思うの。「個性」を尊重しよう、伸ばそうって思ったら、その人の考えを受け入れていかないと「個性」なんて伸びないから。時にそれは社会の常識とは違ったものになるかもしれない。その時にどこまで受け入れられるか。あの人は違うからって差別しないでいられるか。そこに問題があると思う。
でね、今先生をやってる人が「個性」って何だかわかってないと思うのね。だって「個性」とは無縁の生活、「個性」を無視された学生時代を送ってきたのに、突然、「個性」重視でーすっていわれたって困っちゃうよね。ムースねぇ、ある集団の中で「個性」を尊重していきましょうっていうのならわかるの。仲良しグループの中でも、人それぞれ違うよね。その違いを指して、これがあなたの「個性」ですっていうのなら、「個性」ってそういうことねって納得できるの。その小さなグループの中での小さな違い。でも、クラスっていう観点でものをとらえると、その仲良しグループは1つで全体としてしかとらえられないと思うんだけど。
今まで全体の中でずーっと生きてきて、全体しか知らない先生に「個性」っていったってそりゃムリな話。まずは先生の意識改革をしなきゃいけないし、一体誰がそれを教えるの?大体、今日の新聞の社説でさえ「個性」が欠けてるのにねぇ。あるのは「横並び」と全体。よくぞ「個性」などといったものだ。
それとねぇ、知識の詰め込みを改めて考える力をつけましょうっていうけど、先生自体が詰め込みしか知らないのに、どうやって考える力をつけさせるんだろう?ムースの同級生の中で先生になったって人はすっごく真面目で、ってあまりよく知らないからイメージなんだけど、成績はそこそこ良くて、詰め込みの勉強にも平気な人だったんだけど。先生になる人ってこういう感じの人って多いと思うんだけど、どうやって未知の世界の人の気持ちをわかってあげられるんだろう。「考える力」っていうけど、ムースがよくいう興味を持たせてあげなければ、考えることもないと思うんだけど。だっていきなり、「今日は火山について考えてみましょう」っていったって、そんなものに興味がない人がどうして山が爆発するかなんて考えるかな?考えないでしょう。そこが試験に出るといえば、火山の仕組みを覚えるだろうけど、そうじゃなきゃやらないよね。どうしてそこがわかんないのっていいたくなっちゃうけど、文部省にお勤めできるような人はムースと違って学生時代に一生懸命勉強してきた人だから、落ちこぼれがどう苦しんできたかなんてわかんないんだよね。それとお役人さんってなかなか人の話を聞いてくれないよねぇ。だから落ちこぼれの話になんて耳を傾けてくれない。だから的を得ない、抽象的な学習指導要領しか作れないんだよねぇ。さらに付け焼刃でやってるから、コロコロいってることが変わっちゃうし。
今日はちょっと文部省批判をしちゃった。だけど文部省が、もうちょっと考えてくれればって思うんだけど。文部省こそ「個性」を重視して「考える力」をつけることが大切だろうねぇ。
子を持つお父さん、お母さんへ。先生って聖人じゃないし、今ではただのサラリーマン、OLと変わらないと思うんだ。先生って会社でいう課長さんとか部長さんだと思うの。生徒の成績だけを見て、それですべてを判断して、激を飛ばしたりしてね。テストの点数のいい生徒は学校にとって利益があって、悪い生徒はお荷物。会社だったらこれでいいって思うかもしれないよね。でも、学校じゃそれはいけないって思うかもしれない。でも、先生がサラリーマンになっちゃったんだから、自然と会社みたいになっちゃったと思うんだ。自分の子供を長い時間預けているのにそんなんじゃ困るって思うのは当然。でも、これは変わらないと思う。でね、ムースの考えなんだけど、もし学校という名の会社に適応しない子でも、子供を適応させようと注意するばかりでなく、いいところを1つでも多く見つけて褒めてあげてください。褒められてうれしくないって思う子供はいないと思うから。みんな褒められたいと思うから。学校だけがすべてじゃないし、学校の詰め込み教育に適応してないだけだと思うから。だからいいところを伸ばしてあげるよう、興味を失わせないよう、子供とたくさんお話してたくさん褒めてあげてください。家庭の事情でなかなか時間が作れない人って多いと思うけど、ちょっとでもお話ができるようにしてもらえるといいなぁって思います。もし子供の成績が悪くても、興味さえ失わなかったら、ムースのように学校に戻る人もいるかもしれないし、独学でがんばる人もいるかもしれないし。勉強するチャンスはいくらでもあると思うの。でね、それを生かすのも殺すもの、その時に勉強する気があるかないかだと思うんだ。やっぱり、学校の成績が悪かったりするとやる前から諦めちゃうからね。昨日の劣等感コンプレックスの話とは矛盾するかもしれないけど、やる前から諦めちゃうよりは、やったけどダメだったって方がいいよね。納得できるよね。だから子供には出来る限り何でもやらせてあげられれば、何でもやっていいんだって思わせてあげれば、この歪んだ教育も少しは変わっていくと思います。
ムースがこれをできるかっていうと、うぅ~ん、ムリそう…。でも、もし結婚することが出来て、もし子供を持つことが出来たなら、できる限り子供とはお話していきたいなぁーって思ってます。っていっても、自分自身が疲れているときとかは、ムリをしないようにするけど。親とはいっても1人の人間だもんね。疲れて1人になりたいことだってあるだろうし、1人で楽しみたい時もあると思うし。そういう時はムリしないでね。がんばりすぎると、ムースのように心が風邪ひいちゃうから。ものごとは適度ってものが大切だしね。
きゃー、今日は偉そうに書いちゃったぁー。理想を書くっていうのは偉そうに書けて気持ちいいねぇ。これが現実だともっと気持ちいいけど。でも、明日から誰も読んでくれなくなっちゃったりして。それはそれで悲しいなぁ…。


2002年04月09日(火)



劣等感

今朝は最悪だった。学校へ行こうと思って、駐車場へ行ってみると、ムースの車のそばに赤い車のものと思われるプラスチックの破片を発見。ムースの車って赤い車なのね。だから、これはもしかして自分の車のものかな?って思って車の周りをぐるりを1週したの。ドアに傷はないし、バンパーにも傷がついてなし、大丈夫だなって思って車に乗ったら、なんと右側のドアミラーがなくなってるの。しかも窓ガラスには、明らかにドアミラー傷つけられたと思われる赤い傷跡を発見。かなり沈みました。もうねぇ、何にもしたくない気分。でも、今日も数値解析の授業に遅れそうだったし、って完全に遅刻する時間だったんだけど、沈んだ気持ちのまま、とりあえず学校へ行って授業を受けてきました。でも、いい気分じゃないよねぇー。でね、学校へ行ってから思い出したんだけど、今日ってプログラム理論の中間試験の結果が返ってくるんだって思ったら、落ち込んでた気持ちがさらに沈ませる結果に。どよぉーんとした気持ちだった。でもねぇ、今日は中間試験の結果が返ってこなかったの。先生が疲れちゃってて試験の採点が出来なかったんだって。喜んでいいんだか悲しんでいいんだかわかんないけど、とりあえず新たなるショックは受けずに済んじゃった。でもねぇ、水曜日に試験を返却するっていうから、水曜日は落ち込んでること間違えなし。さらに金曜日に数値解析の3回目の中間試験があるから、今度こそはいい点とらないとまずいしねぇ。あぁー、また鬱になりそぉー。っていっても、あと5週間で期末試験だから、鬱になろうが、無気力になろうが、気合で乗り越えます。だって、期末試験が終われば夏休みですもの。どうなっても平気だもん!でねぇ、車なんだけど、発音矯正の先生にちょっと愚痴っちゃった。そしたらね、保険で直せばっていわれたんだけど、それって警察へ行って事故証明もらわなきゃいけないし、面倒くさそうだから保険屋さんに電話しなかったの。だって、いろいろやったけど免責額の範囲内だから自腹でっていわれちゃったら、余計疲れるだけでしょ。で、何をしたかというとアロンアルファでドアミラーをくっつけたんだ。でもねぇ、アロンアルファってくっついて欲しい時にくっついてくれない接着剤なんだよねぇ。くっつかなくていいものには、信じられないくらいよくつくんだけどねぇ。仕方がないからアロンアルファ&セロハンテープでただ今応急処置中なの。明日はいろいろとやらなきゃいけないことがあるから、明後日あたりに修理屋さんへ持っていこうかなぁって思ってるんだけど、どこに修理屋さんがあるか知らないんだ。それも誰かに聞いてこなきゃー。またまた、やることが山積みなっていくよ。本当に最悪。
今日ねぇ、学校から帰ってきてから、ボーっとネットを眺めてたんだけど、気がついたら3時間くらい時間が経ってた。ヤバイ、ヤバイ。この空白の時間が自己嫌悪の始まりになるから。でねぇ、晩御飯を食べてから、日記のネタ探しをしようと思ったのね。でもねぇ、今日、学校の帰りに雑貨のスーパー、Wal-Martによってシャンプーとかを買いに行ったのね。そのときにねぇ、ビデオのコーナーもちょっと覗いたら「トップガン」が安く売ってたの。今日は今朝の1件で沈んでたし、明るい気持ちになりたかったから、「トップガン」を買ってきちゃったの。っていうか、ムースねぇ、「トップガン」が好きで何度も見たんだ。実家にもビデオがあるんだけど、ベータだからここじゃ見れないのよ。だからここには持ってこなかったんだけどねぇ。っていうか、今どきベータのテープを持ってることがすごいでしょ?でね、晩御飯を食べたあと、ネットに接続したにもかかわらず、「トップガン」をねぇ再生しちゃったの。そしたら、この間の「オール・アバウト・マイ・マザー」の時と一緒。最初っから最後まで見ちゃった。久しぶりだったから面白かった。2月2日の飲み会の時に「トップガン」のサントラを聞いたからかもしれないけど、何となく見たくなっちゃんたんだ。ちなみの2月2日の日記には「トップガン」のサントラを聞いたって書いてあるんだよ。朝の5時にへべれけになって帰ってきたのに、よく日記なんて書いたなぁーって感心しちゃう。でねぇ、そこにもムースにとって青春の1ページだったって書いてあるんだけど、本当に「トップガン」にははまったなぁ。ムースねぇ、中学校の時にちょっとだけバレーボールをやってたんだ。でねぇ、たまに母に呼ばれてママさんバレーの玉拾いに行ってたことがあるのね。だからちょこちょことバレーボールってやってたんだ。だからあの映画でビーチバレーが出てきたときにやりたくなっちゃてねぇ。っていっても、あれを公開したのは冬だったからビーチバレーなんて出来なかったけど。今じゃ、ビーチバレーもメジャーになったけど、あの頃はビーチバレーなんてやってる人見たことなかったもんね。あと、トム・クルーズの乗ってたオートバイを見て、いいなぁーって思ってたの。GPZ900R、通称Ninjaだよねぇ。あれに憧れちゃってねぇ。そしたらねぇ、大学の同級生が黒のNinjaに乗ってたの。もちろん、時代がちょっとだけ違うから「トップガン」に出てきたA2の赤黒のNinjaじゃないけどねぇ。でねぇ、ムースも乗りたぁーいって思って、赤黒のGPZ400Rに2年ほど乗りました。ちょうど車検1回分だね。気分はいっつも「トップガン」だったの。でもねぇ、ある日ムースねぇ、事故起こしちゃって。修理してそのオートバイには乗り続けたんだけど、友達からは族車だぁーっていわれてたんだ。だって修理した時にマフラーも変えちゃったから、ちょーうるさくってねぇ。ムースが来たぁーってすぐわかるっていわれてたし。それに交通機動隊の人の何度か止まられたことあるし。でねぇ、「いい音するねぇー」っていわれてた。ちなみに「いい音するねぇー」っていうのは騒音の測定をしに行こうか?って遠まわしにいってただけなので。話を「トップガン」に戻すと、あの映画って何曲かオールディーズを使ってるんだよねぇ。1曲は題名を忘れちゃったけど、昔、タバコのフィリップモリスのコマーシャルに使ってた曲。で、もう1曲はあの映画でかなりキーになってる歌。「You've Lost That Lovin' Feelin'」ムースねぇ、この歌好きなんだぁ。でもさぁ、映画を見てるとオールディーズを結構使ってるよねぇ。例えば「スタンド・バイ・ミー」なんて見たらオールディーズばっかって感じでしょ。そういえば「Great Balls of Fire」は「スタンド・バイ・ミー」のサントラにも入ってるし、「トップガン」の中でもみんなで歌ってたねぇ。まだ、メグ・ライアンも今ほどじゃなかったし、グースこと、アンソニー・エドワードも髪の毛あったしねぇ。ERを見ると今は髪の毛なくなっちゃったもねぇ。懐かしいに気分になっちゃった。
今日ねぇ、ちょっと劣等感について調べてたのね。っていうのは、ムースは劣等感を持っているのだろうかって思ったから。今って劣等感=コンプレックスって思いがちだけど、これって実は違うんだよねぇ。劣等感ってコンプレックスの1つで、正しくは劣等感コンプレックスなんだよね。じゃ、その反対の優越感のコンプレックスはあるのかって聞かれそうだけど、あるんだって。優越感コンプレックスっていうのが。じゃ、コンプレックスって何よって思うよね。ムースもそう思ったから調べてみたんだけど、何かねぇ、無意識の中で起こってる心のこだわりみたいなものなんだって。ってこれだけじゃ、はっきりしないと思うんだけど、例えば、外出恐怖症とか学校恐怖症とか本人が自覚してないのに出来なくなっちゃうものなんだって。じゃ、劣等感コンプレックスはどういうことだろうって思うよねぇ。劣等感コンプレックスっていうのは、「たとえば、ソフトボールが下手な人がいるとする。この人が、練習を重ねてソフトボールを上手になることで劣等感を克服するか、あるいは自分はソフトボールを下手でできないと認めることで、劣等感というこだわりから克服されれば、心の悩みはない。ところが、劣等感コンプレックスにとらわれた人は、下手なくせに無理にピッチャーになりたがったり、失敗したことにいつまでもぶつぶつ言ったりするもの」だそうだ。これを考えると、ムースは自分の出来ないものは出来ないって認めてるから、ただの劣等みたい。っていうか、劣等感コンプレックスの方が聞こえがいい。だってただの劣等っていったら、単純に劣ってるだけでしょ。それって心の悩みはないかもしれないけど、すっごく傷つくんだけど…。
コンプレックスって日本でいうと「心的複合体」とか「感情複合体」っていわれてるんだって。何となく納得できる。だって、人の心って複雑だもん。上のソフトボールの例じゃないけど、下手だけど、ムリにピッチャーとかやりたがる人っているしねぇ。ってムースはただの劣ってる人なのでそんなことないですけど…。下手っていう現実を見ることが出来なくて、ムリにやったものの、結果はボロボロになる。そうなると人のせいにする人もいるし、何かのせいにする人もいるし…。でねぇ、どこかのページに書いてあったと思うんだけど、劣等感コンプレックスの人って人と比較して自分の方が優っているのを確認したりすることもあるみたい。これは優越感コンプレックスかな?どっちかわかんなくなっちゃった。どっちにしろ、そういう時って劣ってる人にはとっても偉そうにする場合もあるみたい。もしかして、これって自分を大きく見せようとする行為なんじゃないのかな?実態は伴ってないんだけど、ある特定の人に対してのみ自分の方が優れてることを強調しちゃったりねぇ。本当、人の心って複雑だけど、1つ1つ紐解いていくと、どこかに原因になってるものってあるんだよねぇ。
これもコンプレックスになるのかなって思うんだけど、ムースの異常なくらいまでの緊張。よく初対面の人が苦手とか書いてるでしょ。何話していいかわからないっていって。緊張するのはこればかりじゃなくって、英語を習いに行ってる時も緊張してる時が多いのね。緊張するのはそこら辺でしてるし、この日記にもいろんなこと書いてるから、どこでどう書いたかは覚えてないけど、ムースの異常なる緊張の原因って完璧主義にもつながってるの。ってムース本人は完璧主義って思わないけど、そう思ってる人もいるんだ。何でかっていうとねぇ、異常なまでに失敗することを恐れてるからなの。子供の頃って間違えたりするとバカされることってあるじゃない。ムースね、それがイヤでねぇ。間違えないようにしてたの。もちろん、わかんないものはわかんないっていえてたんだけど、ムース1人だけがわからないってことはなかったのね。でねぇ、例えば、ムースがわかんないことでも、誰か他の人が知ってるとするじゃない。そうするとね、親切に「お前、わかんなかったろー」ってバカにしてくれる人もいたんだ。っていってもバカにしてる本人だって知らなかったんだよ。それを棚に上げていわれてたの。そんなことがたびたびあると、知らず知らずのうちに、バカにされないようにしようって思っちゃうんだよねぇ。だから失敗なんてもってのほか。失敗することが恐くなっちゃうんだよねぇ。今度は何をいわれるんだろうって思って。それが今は無意識の域に存在してるから、異常に緊張しちゃうんだ。でもねぇ、これも結構大変なんだよ。普段できることが出来ないんだから。一番面白い例は、毎年お正月に行なわれる日本武道館での席書大会(書初め大会)での出来事かな。この席書大会に10年くらいいったのね。でもねぇ1度たりとてちゃんと書けたことがないの。だって緊張しちゃって手が震えて筆がもてないんだもん。当然、頭の中は真っ白。前の日まで何気なく書いてた文字が書けないんだから。自分の名前を書くことさえ難しくなっちゃうの。無意識の中で起こってることだから、まさにコンプレックスなのかな?バカにされたくないってコンプレックス。だからムースって誰かに見下されたような態度をとられると、人一倍過敏に反応するんだろうねぇ。バカにされたくないコンプレックスだから、劣等感コンプレックスにもつながると思ったんだけど、それはちょっと違ったみたいだから…。やっぱり、ただの劣等は傷つくなぁ…。
わぁー、こんな時間。もう寝ます。また明日。


2002年04月08日(月)



お見合い

ただ今時差ボケ中です。っていってもたったの1時間だけなんだけど。お腹が空く時間が微妙にずれてるようなぁ…。今日起きたのってちょうど12時だったんだけど、ムースの体内時計はまだ11時のまま。この1時間のずれが明日の朝、ムースを恐怖のどん底に突き落とすんだろうなぁ…。だって6時半に起きてたってことは、5時半に起きることと一緒なんだもん。うぅー、つらぁーい。
今日起きたのはこのようにちょー遅かったので、午前中を失う結果となりました。休みの日でもどうにか早く起きれればいいんだけど…。でね、今日は1つでも山のようにたまってる宿題を片付けなきゃいけないと思ってたんだけど、やっぱり寝起きは皆さんの日記を読まないといけないって思って、恒例の寝起きからネット。昨日、寝る前にお気に入りのサイトを一回りしてから寝たせいか、更新されてる日記が少なかったんだ。だから20分もしないうちに全部読み終わっちゃったの。でね、何となく今までムースが何を書いたか読みたくなっちゃって、自分の日記を読んでたんだ。自分の中では、順序立てて書いているつもりなんだけど、読んでる人はどうなんだろう?支離滅裂にしか見えないのだろうか?ちょっとそんなことを考えてみたりして。それとねぇ、今日は間違えを発見しました。3月30日の日記で、「蓮の花が咲いたと聞けば…」って記述があったんですけど、これは蓮ではなく、水芭蕉の間違えでした。訂正してお詫び申し上げます。って日記はもう直しちゃってるんだけど。こういうボロがたくさん出てきそうだなぁ。一応、あやしいと思われるところは、ネットで調べながら、なるべく嘘のないようにしてるつもりなんだけど…。勘違いが多いし、これで間違えないって思っちゃってるものに関してはろくに調べなっくって。あとになってから正しいものがわかる場合があるので、それがわかった時はこのように修正してきますので。
でね、日記を読むのに飽きちゃってから、この日記の文字とかを今日は微妙に変えることに挑戦してたんだ。宿題もやらずに、全く困ったもんなんだけど…。例えば、今まで題名の文字が青だったのを赤っていうかピンク系にしたりねぇ。そんなことをやってたんだ。っていうのはねぇ、ムースのイメージってピンクだと思うの。って変な意味じゃなくってよ。ピンクと白って自分で思ってるから、その路線を貫き通して、気合でそのイメージを定着させようと思って。
マリリンがよくいってたんだけど、「無理が通れば道理が引っ込む」って。本来の意味は「道理に反することが世の中に行われるようなことになれば、道理にかなった事が行われなくなるということ」なんだけど、実は間違った解釈をしていて、無理を押し通してそれを道理にしてしまえぇーっていう風に使ってたの。ってことで、ここでもその解釈をして、ピンクのイメージを押し通して、ムースの色はピンクということが理にかなったことにしてしまえぇーって思ってるんだ。すごい言葉の解釈の仕方だけど…。っていうか、言葉って変化するものだから、みんながこのような使い方をし続ければ、今まで間違ってたものが、ある日、正しいものとなっちゃうんだよねぇ。例えば、「情けは人の為ならず」って言葉。本来は「情を人にかけておけば、それがめぐりめぐってまた自分にも善い報いが来る」ってものだけど、こういう意味で使う人って少なくなっちゃったよねぇ。「情けは人の為ならず」っていったら、「人に情けをかけると、その人がダメになっちゃうから、情けをやたらにかけちゃいけません」っていう感じの使い方するじゃない。これねぇ、そのうちに後者も正になる日が来ると思う。だってそれこそが新解釈の「無理が通れば道理が引っ込む」だもん。あぁー、金田一春彦がこれを読んでくれないかなぁ。納得してもらえると思うんだけど…。あっ、金田一春彦って国語の辞書を作った人で、探偵の金田一耕助とか金田一少年の事件簿の金田一一と勘違いしないでね。ムースはよく見てたんだけど、1時からNHK教育でやる手話ニュースによく出てる人。ってそんな時間にNHKなんて見てる人いないよねぇ。
これが終わってからは、やっと宿題をやり始めました。コンピュータのプログラムの宿題なんだけど、これねぇ、時間ばっかかかるのよ。でね、今日これをやる前に、どういうプログラムを書かなきゃいけないか、問題をみて、これをやるのにどれくらいの時間がかかるか見積もってみたのね。ムースの見積もりでは約4時間だったの。まぁ、一応、元プログラマーなので、何をやるかさえつかんじゃえば、大体の所要時間は想像つくのねぇ。でね、3時にプログラムの宿題を開始したの。もうねぇ、面倒くさいことがたくさんあって、あぁーって叫びそうになりながら、プログラムを書いていったのね。でね、6時半くらいに大体終わって、あとはテストしてってやってたら、7時10分にテストが終了しました。予想通り約4時間の作業。手前味噌だけど、自分の予想が当たったことに感心しちゃった。だってここまでドンぴしゃりとあたるとは思わなかったんだもん。本当はまだまだやることがたくさんあるんだけど、今日はねぇ、疲れちゃったから宿題はこれで終了。あんまり根を詰めてやると、明日何にも出来なくなっちゃうから。適度ってものが大切だしねぇ。
今日はこんな感じで1日過ごしたから、書くネタがないの。っていうか、一昨日からお見合いの話を書こうと思ってたからちょうどいいかな?2日も引っ張ったけど、大したことじゃないのよ。この間ね、いつも読んでる日記の中に、見合い話って来るうちが華よねぇーって書いてあったのね。でね、そういえば最近ってお見合いで結婚したっていう人ってあまり聞かないなぁーって思ったの。友達と話していても、お見合いしてみたぁーいっていうのは聞くけど、お見合いをしたっていう人はいないなぁって思ったの。っていっても友達でも男の友達からはお見合いしたいっていうのは聞いたことないよ。お見合いしてみたいっていうのを聞くのは女の友達からね。今って恋愛結婚が多いから、お見合いをしたことない人って多いもんねぇ。統計によると、今って87%が恋愛結婚みたいだしねぇ。まぁ、統計なんてあてにならないから、この数字がどこまであってるかはわからないけど。もし、ムースが結婚してたとしたら、恋愛結婚の割合を増やすことに貢献してたことになるしねぇ。
でねぇ、今日はお見合いの起源なんかもちょっと調べちゃったの。あるHPによると「見合いの起源は鎌倉時代といわれています。当時は、男尊女卑の世界でしかも結婚は家と家とで決められていて本人の希望などありません。結婚は、両家の間で大方決められ、最後の段階で男性のところに女性が呼ばれるわけですが、女性にお茶を持ってこさせたりしてその時に男性が目をちらりと合わせる。目が合うので、つまりこれがお見合いの始まりとされてい」るんだって。ふぅ~んって思いながら読んでたんだ。
ってここまで、関係ない話をしておいて、これから実際のお見合い話を。実はムースは1度お見合いをしたことがあるのです。っていっても昔の話しだけどね。ちょっとばかり強引な「会ってよー、会うだけでいいからぁー」攻撃に負けてしまい、会うだけ会いました。結果はもちろん撃沈です。だってそのお見合いが成功してたら、今、こんな気ままに暮らしてないから。って結婚が決まっても、気ままにやってたけど…。そんでね、お見合いなんだけど、今って別にお互いの両親が来て、どこかの和室でカチカチになって「ご、ご趣味は…」っていうような感じじゃないの。っていうか、ムースの場合、当日お見合い相手に会うまではどんな人に会うかも知らなかったし。よくTVとかで見る表紙のついたお見合い写真なんて見なかったもん。今はねぇ、お見合い写真っていってかしこまった写真を撮る人ってあまりいないんだって。普通の写真使うみたい。って、それすら見ないで会ったムースは?って思うけど…。でね、お見合い当日は、地元の駅で仲人さん、って大家さんだったんだけど、と待ち合わせして、そこにお見合い相手も現れて、じゃ、2人でどこかへいってお話してきたら?って感じだったの。友達に誰か紹介してもらうのとほとんど変わらならなかったんだ。でもねぇ、ムースって初対面の人がちょー苦手なのね。っていうか、何話したらいいか悩んじゃうの。だからねぇ、会話が沈んだっきり。全然発展しないんだもん。最悪だった。まぁ、そんなんだったから即行断られたんだけど。っていうか、その時って結婚する気まったくなかったから、内心ホッとしちゃった。っていうのは、お見合いって結婚前提がルールでしょ。でね、そのときにいわれたんだけど、大体3回目か4回目に会った時に結婚する意志があるかどうかを確認するっていうの。要するに、それ以上ダラダラとお付き合いするのはダメですよってことなの。3回目か4回目のデートってさぁ、やっと相手のことがわかり始めたころじゃない。そんなんじゃ、なかなか決められないよねぇ。だって周りのプレッシャーに負けて、訳わからぬうちに3、4回会っちゃって、いきなり決断迫られそうだし。特にムースのように優柔だと、もっとムリ。ってな訳で、お見合いはもうやめようと思ったんだけど、実はここに引っ越してくる前に、またまたお見合いの話が舞い込んで来ちゃったんだ。その時は結婚が決まってたので、結婚するからお見合いはムリって断っちゃった。っていっても、今はそれもなくなっちゃったから、実家に帰ったら、またお見合いの話が舞い込んでくるのかなぁ…。見合い話があるうちが華とはいうけど、ちょっと恐いなぁ。だってお見合いって年相応の相手を押し付けられるのね。自分が年をとれば、それなりに相手も年をとってる訳だし、それなりに人を見る目も肥えてるし、理想も高くなってくるから、大変なんだもん。それとは逆に、中には切羽詰っちゃって、とにかく結婚って人もいるし。ってムースも昔は、このまま一生ひとりで結婚できなかったらどうしようって思って、かなり切羽詰っちゃったこともあったけど…。今はっていうと、どうもムースは結婚運がなさそうだし、結婚したいって思ってもムリそうだから、ひとりで楽しく生きていくにはどうしたらいいだろうっていうことを考えなきゃいけないって感じだけどねぇ。かなり諦めモード入ってるよね。でもねぇ、ムースはルネッサンスの人だから。これでいいかなぁって。
ムースって魚なんて食べないけど、ちゃんとおろせるのね。って、これは父に強制的にやらされたので覚えざるを得なかったんだけど…。だって冬休みでゆっくりとしていたある日のこと、父が何の魚か忘れちゃったけど、数尾買ってきて、ムースにひとこと。これ、おろしといて。はっ?そんなのできなーい。もちろんそういったよ。そうしたらねぇ、一応、魚のおろし方を教えてくれたの。でね、その数日後。「おーい、しゃけ買ってきたからおろしとけー。今晩あら汁作るからぁー」といって、父は部屋に戻ってTVに夢中。台所には新巻鮭が横たわってました。ムースも多少抵抗したんだけど、結局しゃけをおろさなきゃいけない羽目となり、新巻鮭を1匹おろしました。っていったって、ムース、あら汁なんて食べないもん。お味噌汁だって滅多に飲まないし、白いご飯だって滅多に食べないんだから。じゃ、何食べてるの?っていう突っ込みが入りそう。基本的にパスタかパン食べて生きてまーす。
父はムースにいろいろとやらせようとするんだけど、これとは反対に、母はムースがやっているのを見てるとイライラするのか、「ちょっと貸しなさい」といって横取りちゃうんだ。ってなことなんで、アイロン掛けはムチャクチャ下手です。出来ないことはないけど、時間がかかっちゃう。いつも横取りされてたんで。それと裁縫が全くダメ。母はいつだったか本を見ながら型紙をかいて服を作ってたけど、ムースにそんな能力は備わってません。大体、波縫いすらあやしいんだから。それと母はヒマさえあれば編物をしてるけど、ムースは小学生の時、リリアンにはまった以外は編物とは無縁だし…。っていっても、ボタン付けくらいだったらできるからいいかな。ってなことだから、何となく1人で生きていけそうな気もするんだけど、やっぱりいつかは結婚して子供も欲しいなぁーって思う。でも、これだけは縁ものだからどうすることも出来ないしねぇ。
2日間も引っ張った割には大したことない話でゴメンなさい。ムースのお見合い報告でしたー。ってもう何年も前の話しだしね。このお見合いがきっかけで、ムースはある人に告って、その後お付き合いすることとなったんだけど…。って考えてみれば、その人とは結婚前提でお付き合いしたんだっけ。懐かしい過去だなぁ…。


2002年04月07日(日)



人間失格

今日も相変わらず勉強しなかったけど、本を読んだり、ビデオを見たり、充実した1日だったかな。っていっても今晩ちゃんと休まないと、明日になっても気持ちが切り替わらないから、山のように出された宿題を片付けることが出来なくっちゃう。もうねぇ、今日はいろんなもの見ていろんなこと感じちゃった。っていっても、本も2度目だし、ビデオも2回目だから、普通だったら何とも思わないはずなんだけど…。ってなことで、昨日の最後のちょこっと書いたお見合いネタは明日のために取っておいて、今日は今日の出来事を。
今日っていうか昨日の晩の出来事からなんだけど、昨日ねぇ、いつもムースが読みにいってる日記系のサイトでキリ番踏んじゃって、1人であたふたしてたの。だってキリ番なんて踏んだことないし、どうしていいかわかんなかったんだもん。ムースは掲示板にカキコした方がいいのかなぁーって思ってたし…。だから掲示板にいって過去ログを読んでたの。したらメールで教えてくださいって書いてあったから、メールしたりしてねぇ。ムースはROMが多いのね。何でかっていうとメールとかカキコって何書いていいかわかんなくって。何かこれっていう共通のものを見つければ書きやすいんだけど、そうじゃないと何を書こうかと考えすぎちゃうんだ。だからあまり足跡って残していかない、っていうか残せないの。普段行くところにはなるべく残していこうって思ってるんだけど、なかなか…。まぁ、とにかくそんな感じで、1人パニックになってたので、寝るのがすっごく遅くなっちゃってねぇ。気がついたら4時だったんだ。だからあわてて寝ちゃった。
でねぇ、今日はお昼まで起きないかなぁーって思ってたんだけど、これが意外。10時半には起きちゃったの。チャットは出来る時間じゃないから、いつものようにいろんな人の日記サイトにいってお気に入りの日記を拝読。人の日記は面白いねぇ。本当なら自分の日記をもっと面白くしなきゃいけないんだけど、どうも今1つねぇ。人気のある日記サイトのようには…。っていっても日々の記録を兼ねてる部分もあるから、これでいいのかなって。人は人、自分は自分っていってみたりもして。それにムースの場合、自分を飾るとそのうち疲れて書くことをやめちゃいそうな気がするので、これがムースでーすって感じで、そのままを書いていったほうがいいかなぁーって思ってねぇ。ってなことで、日々の生活の中で見たもの、聞いたもの、感じたものを今までのようにダラダラと書いていこうって思ったんだ。
で、今日は日記サイトを巡回し終わってから何をしたかというと、先日ここの日記に書いた「パニックルーム」を見に行こうと大張り切りだったんだ。だってここに来てから映画なんて見に行ったことないもん。でもねぇ、映画が始まるにはまだまだ時間が合ったから、じゃ、その時間に何か読み物でもって思って、国木田独歩の「武蔵野」を読んでたの。国木田独歩なんて初めて読んだけど、情景をきれいに表現する人だねぇ。東京も昔は美しいところだったんだって思えるよ。っていっても、東京の中心部でなく、題名の通り、東京の武蔵野のことなんだけどねぇ。その武蔵野のきれいな情景が目に浮かんでくるようだった。でね、その中に国木田独歩の朋友が、ってチューヤンと伊藤君じゃないのでパンヤオって読まないでね、が武蔵野っていうのはここだって定義してたんだ。それによると「武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線(現:中央線)の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。 東の半面は亀井戸(現:亀戸)辺より小松川へかけ木下川(きねがわ)から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる」んだそうだけど、東側はいらなんじゃないの?って思ったんだ。そうしたら次の文章に「この範囲は異論があれば取除いてもよい。」って書いてあった。うんうんって1人で頷いてた。だってこの東側こそ、ムースの生まれ育った城東地区だから。木下川って地名は今はないけど、水門にだけは木下川っていう名前が残ってて、木下川水門っていうんだ。この木下川と呼ばれてたところに首都高速道路の葛飾ハープ橋っていうS字の橋があるんだけど、ムースが減量大作戦を遂行していた時に毎日横目で見てた橋なの。だからねぇ、これらの地名を聞くと懐かしくって…。
「武蔵野」が読み終わったところで、時間的にもかなりいい時間になったら映画に行こうかなぁーって思ったんだけど、何かねぇ、行くのが面倒臭くなっちゃって。それに「武蔵野」を読んだせいなのか、別の本も読みたくなっちゃってね。前々からいってた夏目漱石の「こころ」を読もうと思ったの。でもねぇ、「こころ」って結構ファイルがでかいのよ。ってことはこれはページ数がたくさんあるなって思って却下しちゃったの。でね、次に2つ候補が上がったの。島崎藤村の「千曲川のスケッチ」と太宰治の「人間失格」。この2つなら、迷うことなく太宰です。ってなことで、久しぶりに太宰治の「人間失格」を読んだの。これねぇ、ムチャクチャいい。今日は映画を見に行かなかったけど、「人間失格」を読んでよかったって思える。っていうか、ちょー引き込まれてた。それとねぇ、何で昔読んだ時に何も感じなかったかもわかった。人生経験が少なすぎて共感できるものが少なかったの。だって当時は1滴もお酒って飲めなかったの。だからつらさを紛らわすために酒を飲むっていうことがわかんなかったの。でもねぇ、ムースもかなり飲んだくれてたし、「人間失格」の主人公、葉ちゃんじゃないけど、昼間から酔っ払ってるなんて普通だったの。スペインへ行く前のことだけど、あの頃は休みの日っていったら、寝起きからビールを飲んで、昼間には出来上がってたし。で、夜は夜でちゃんと飲んでたし。若かったしね。ムリも出来たし。今思うと面白いことがなかったんだなぁーって思うし、自分が満たされてない気がしてたんだよねぇ。気が合うような人とは休みの日に会いたいと思ったけど、みんなその頃は忙しくって大変だったから。だから1人でいるしかないのかなぁって思ってたんだ。でもヒマでねぇ。思いついたのが飲んで、酔って、寝ちゃえば時間が過ぎると思ったんだ。これが一番いい休日の過ごし方だったかな。自分もそんな経験をしたし、争いごとを避けるために何もいわない日々も過ごしたこともある。で、たまったストレスはすべてお酒で…ってまさに「人間失格」に出てきそうな感じの生活も送ったの。もうねぇ、今日は共感しまくり。主人公の気持ちが手にとるようにわかるようになったしねぇ。
ものごとには対象年齢ってあると思うけど、あの「人間失格」を若いうちに読んでもなかなか理解できないんじゃないかな?もちろん、わかる人はわかるだろうけど。っていうのは、ムースが毎日読みにいってる日記サイトは、「人間失格」で描かれてる世界に近いところで生きてるって感じの人が多いの。だから若くても共感できる人がいるって思うんだ。「この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです」って最後の方に書いてあるんだけど、正にその通りで、現代でも心が病んで病院へいったら精神疾患で、行かなければ正常って思われる節があると思うの。だから心の病で病院へいってる人はあまり人にいわないと思う。でも、ネットだと顔が見えないこともあるし、匿名性が尊重されるから、心のよりどころとしてネットにいる人って多いと思うんだ。そこで等身大の自分を出してみたりねぇ。でもね、難しい病名がついても、大抵の心の病の人は普通の人っていわれてる人と変わらないと思うんだ。イライラしたり、無気力になる度合いや頻度が多いだけだと思うの。ただ、猟奇的な犯罪を犯してる人も精神的におかしいっていわれて、心の病という大きな枠の中に放り込むから、知らない人は「心の病=正常な人ではない」っていうような飛躍した解釈になっちゃうだと思うんだ。だって風邪をひいただけだったら普通に生活できるでしょ。でも、風邪なのに世間の人から結核だと思われ、しかも結核が空気感染するからっていわれて避けられるようになったら、風邪ひいたって風邪ひいてますっていわなくなっちゃうでしょ。それと一緒かな。この「人間失格」は心の叫びを書いたいい作品。自分の弱さが故に最後はモルヒネ中毒になっちゃうけど、今の人が麻薬に手を出してしまう過程と一緒のような気がする。っていうか、モルヒネって麻薬だもんね。アヘンから抽出されたものがモルヒネで、それを化学的に化合したものがヘロインだから。この作品って昭和でも戦前の時代設定になってる感じだけど、現代でも全く変わらないと思う。特に今の世の中、ストレスが多くて、疲れている人が多いし。
「人間失格」を読み終わったときはちょっと興奮状態だったし、そのまま勢いで今日の日記を書こうかなって思ったものの、とりあえずTVでもつけようって思ったんだ。本を読んでるわけじゃないし、いいかぁーって思って。でも、TV番組がつまんなかったの。だからアルモドバールの「オール・アバウト・マイ・マザー」をとりあえず流しておこうかなぁーって思ったものの、しっかり見てました。今日は2回目だったせいか、スペイン語に少し耳が慣れたせいか、比較的言葉が耳に入ってきたの。でね、それと同時に物語りも入ってきたんだけど、何ともいえない気持ち。主人公のマヌエラは強い女性だ。そんな印象だった。1回目とは全然違う視点で見れたと思うし、とってもよかった。前もアルモドバールの映画について書いたことあるけど、彼の映画って1回目に見た時は重いの。でもねぇ、2回、3回と見ていくうちに違うとらえ方が出来るの。っていうか、2回、3回って見たいと思うこと自体いい映画だと思うの。アメリカ映画は娯楽として大好き。でも、ヨーロッパの映画って考えさせてくれるから好き。重いから、またそれが面白くってねぇ。でも、フランス映画だけはあんまり見ないけど。そういえば、今日ビデオを見て気がついたんだけど、この「オール・アバウト・マイ・マザー」って「イブの総て」(原題:オール・アバウト・イブ)に掛けてたんだねぇ。ちょっとパクッてるところあったし。でも、本当によかった。スペインへ行きたくなっちゃった。
本当、今日は休みとしては充実した1日。「こころ」を読む前に「津軽」とか「斜陽」とか読んでみようかな?ちょっと太宰にはまりそう。っていうか、読みかけの本があるから、そっちを先に読まなきゃいけないのにねぇ。あぁー、それにしてもこのままだと「パニックルーム」は遠のきそう。まぁ、いいか。どうせ半年もすればビデオが出るし。
あっ、そうそう、告知があります。今までは午後4時頃に新しい日記をアップしてましたが、明日より午後3時頃にアップすることが多くなると思います。個人的な理由でもあり、ここが田舎だからかもしれません。とにかく、これから体内時計を1時間ずらさなきゃいけないので、しばらく時差ボケが続くと思います。最近は時差ボケがひどいもので…。


2002年04月06日(土)



クローン

ふぅー。今日も1日どうにか無事に終わってくれた。今日は何でだかわからないけど、すっごい眠かったぁー。昨日の夜、遅くまで起きてたからかな。何だかんだで、2時半まで起きてたし、今日は学校があったから6時半には起きなきゃいけなかったし…。いつもはかなり遅刻しちゃう数値理論の授業だけど、今日はたった2分の遅刻で済んだんだ。っていっても2分しっかり遅刻してるけど。実は水曜日にある事件が起こったの。5分遅刻したらその5分の間に小テストがあって、ムースはその小テストを受けれなかったんだ。ってこんな小さな事件なんだけど、ムースにとってはちょっとした事件。だからこんなことが2度とないように、今日はちょっとだけ気をつけたの。2分の遅刻だったのでどうにか小テストは受けれたものの、頭が働いてなかったから受けた意味がなかった。だって公式だけ書いて、それを提出しちゃったんだもん。その後の授業は聞いてるだけでよかったので、どうにか無事乗り切ることが出来たんだ。でも、その次の授業、プログラミング言語は今日も試験。っていっても水曜日に中間試験をやってるから、今日のは小テストになるのかな。テスト範囲は中間試験と一緒だから特に勉強する必要はなかったし、気楽に試験が受けれたんだ。ムースには滅多にない、緊張しない試験。そんでもって、もう1つの授業を受けてから家に帰ってきたんだ。
ムースの住んでるアパートって2階建ての建物で、1階は大家さんの経営する会社で、2階に部屋が3つあるだけなの。で、ムースの部屋は2階の突き当たりの部屋なんだけど、今日、アパートの階段を上がったら、なんと突き当たりのムースの部屋の玄関が開いているではないか。なにーって思って見たら、見知らぬ人が台所で何かをやってる。何、何?って思って、自分の部屋に入ってそのおじさんを見たら、おじさんが「水道の蛇口を直しに来たんだ」っていってきたんだ。あっ、そういえば、この間大家さんがムースの部屋に来て、蛇口が直ったかどうか見てたっけ。やっと修理の人呼んでくれたんだぁーって思ったものの、今日は車の保険を支払いに行ったり、確定申告の書類を税務署に送ろうと思ってたのに、このまま家を空けるのはイヤだなぁー、支払いにいけないじゃんって思ったんだ。でも、ここは田舎だし、まぁ、いいかって思って、リビングルームで支払いの準備開始。最近、残高確認をちゃんとしてないから、銀行にいくらあるかよくわからなかったの。だから、まずは小切手帳の整理をして、そしてエクセルに記入。それから銀行のサイトに接続して、エクセルに記入してある情報と銀行の情報が一致してるかを確認したんだ。最近はあまりお金を使ってないし、今月に入ってから小切手を使ってないので、残高はすぐに一致。そんでもって、オンラインバンキングで普通預金の口座から当座預金の口座に振替。っていっても約20万円ほどなんだけど。これで不渡りを出すことはないから、保険料の金額を書いた小切手を振り出す。何か小切手って書くとムースってちょーお金持ちの人みたいだよねぇ。変な感じだなぁ。だってここでは現金なんて持って歩くことってあまりないし、お買い物へ行った時は千円くらいから小切手を使ってるし。ムースにしたら普通にのことなんだけど、いざ文字にしてみるとお金持ちの人が高いものを買ってるみたい。水道工事のおじさんがお勝手で蛇口を直してくれてる間、ムースは部屋を空けて家の前にある郵便局へいって、書類を送って来ちゃったのでした。うぅ~ん、都会だったらこういうことって考えられないと思うけど、田舎だとなぜか普通に出来ちゃうんだよねぇ。だって車だってロックしないまま家の前に置いておくことあるしねぇ。ムースはエンジンをかけっぱなしにして、車を離れるってことはしないけど、ここの人たちは平気でそういうことやってるんだ。田舎だなぁー。そういえば、玄関に鍵をかけてない家ってあるもんねぇ。ちょっと驚きだけど。水道工事のおじさんは何だかんだで1時間半くらい作業してたんだ。でねぇ、終わった時に、ひと言「おわったよー」っていってムースの家を出ていたんだけど、玄関は開けっ放し。大家さんの持ってるマスターキーだけ持って出ていっちゃった。おじさん、玄関を閉めてよー。仕方がないからムースが玄関の戸を閉めて、それからお勝手へいって蛇口をみると、今までの古くてダサい蛇口から、今風の蛇口に変わってたの。何かいい感じぃー。実家でさえ、こんな今風な蛇口は使ってないのに。どんな感じか試すため、蛇口をひねってみたんだ。軽いし、今までのようにぽたぽたと滴が垂れたままってこともないし。よかった。
おじさんも帰ったから、これで心置きなく何でもできるって思って、プリンになった髪を今日は染め直しました。でもねぇ、今日は今1つの出来だったの。だって染め忘れ箇所を何個か発見しちゃったから。お店でやってもらえばこんなこともないんだろうけど、安く仕上げるにはこれしかないんだよなぁーって諦めました。これでしばらくはプリンとはおさらば。茶髪と金髪の間くらいの髪に復活しちゃった。そういえば、実家に帰った時にこの髪のまま外出したんだけど、完全に田舎のヤンキーって感じだったなぁ。そんな恰好して銀座とか行っちゃったんだけど、ちょー浮いてたもんなぁ。秋葉原で電車を待ってたときも変な目で見られてたし。って当たり前か。真冬なのにトレーナー1枚しか着てなかったんだもんなぁ。っていっても、今日のここより、お正月の東京の方が暖かかったんだけど…。今日の最高気温は7℃だったのね。ちなみに今日は半袖で歩いているおバカさんをここではたくさん見ることができたんだよ。っていうムースも、晴れていると薄着をしてしまうので、この間は日が差してたからっていって、-2℃だったのにトレーナー1枚でお買い物に行っちゃった。でも、ちょー寒かった。
髪を染め終わってからは、眠くなってお昼寝しちゃった。っていっても6時くらいになってたから、お昼寝って時間じゃなかったんだけど。で、起きたらもう8時。いつもだったら日記を書き始めるんだけど、今日はそれからお買い物に行って、晩御飯食べて、それからネタ探しをしにネットにいったんだ。最初はねぇ、ネタが見つからなかったんだけど、っていうか、今思い出したんだけど、書くことはあったんだ。だけどその時は忘れてたの。でねぇー、フラフラとその辺を見てるうちに、ヤフーのニュースでいいネタ見つけましたよ。
「アブダビ(アラブ首長国連邦)発のタス通信によると、イタリア人医師は5日、不妊対策としてクローン技術を使った女性の妊娠に成功したことを明らかにした」んだって。それでその「女性は現在、妊娠8週目に入っている」そうだねぇ。ついにクローン人間が誕生するんだねぇ。っていっても、どういった種類のクローン技術を使ったかまでは書いてなかったからよくはわからないけど、世間はこの子供のことをクローン人間と呼ぶことは間違えないだろうねぇ。ムースの中で最初のクローン人間といえば、やっぱりルパン3世に出てきたマモーかな。ムースが初めてクローンという言葉を聞いたのも映画の中でだったと思う。あのときはクローンっていうのはマンガの中での出来事で、現実になるとは思っても見なかったけど、それが近い未来に起こるんだねぇ。でも、自分と全く同じ遺伝子を持った人間がこの世にいると思うとちょっと気持ち悪いなぁ。
クローン羊「ドリー」のことが新聞に出たときに、スペイン語の授業でその記事を読んだのね。って、なぜか議論の対象になるものってスペイン語でばかり読んでて、理解が今1つだから困っちゃうんだけど…。ちょっと余談なんだけど、この間も数値解析の先生に神道について聞かれたのね。だから古事記の話や天照大御神の話をしようと思ったんだけど、ムースねぇ、古事記ってスペイン語で読んでるからよくわかんないの。そのことをいったら、それじゃ、仕方ないねぇっていって会話が終了しちゃったんだ。どうせだったら、どこかの赤坂の料亭好きのおじさんみたいに「天皇は神です」っていっちゃった方がよかったかな?そういえば、マモーとの対決で、エンディングの歌を歌ってた人は、「お客様は神様です」っていったんだよねぇ。話を戻して、その記事を読んだときにクローンについてどう思うか聞かれたんだけど、ムースはねぇ、何となくいい感じがしないんだ。きっとねぇ、技術が完全に確立されているわけではないし、今はまだまだ実験の段階だから、技術者でもわからない部分が多いと思うの。ってことは一般市民のムースにはもっとわからないことだらけ。だから漠然としかいえないんだけど、今はしっくりとこないっていう感じなんだ。でね、あーだ、こーだ、いろんな話をしてたときに、もし誰かが歴史上の人物のクローンを作ったらどうするの?っていう話になったのね。その時、歴史上の人物として例に上がったのがナチスのヒトラーだったんだけど、もし、ヒトラーのクローンが存在したとしても、同じ遺伝子を持って、同じ見た目だけれども、同じ人間になるってことはないっていわれたの。だって、どういう人間になるかは生まれ育った環境によるもの、すなわち後天性のものであるから、先天的に独裁者になるっていう要素は持ってないっていうの。確かにそうだと思うけど、やっぱりイヤだよねぇ。別にムースはヒトラーに何かされたわけでもないし、PTSD(Post-traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)でもないからヒトラーを見ても何とも思わないだろうけど、ヒトラーは悪い人だっていう先入観を持ってしまってる今、同じ顔かたちをした人を見たら、植え付けられた先入観が呼び起こされて、この人は悪い人だって思っちゃうと思うんだ。だからしっくりこないのかもねぇ。
ムースはクローンがどういう方向に進んでいくかわからないし、今の段階ではいい感じはしないけど、悪いとも思わないんだ。カトリックの人だとこれは自然に反した行為だし、神への冒涜だって思うのかな?ローマ法王はクローンについては容認しそうにないよね。どう考えたって自然じゃないもん。でも、今の時代は遺伝子レベルでいろいろなことをやる時代だもん。聖書の世界では想像もつかなかった出来事が現実に起こるんだもん。SFの世界だけだって思ってたことが、現実になってるんだもん。そんなんだから、驚いちゃうし、簡単には受け入れられないよね。知らない世界に足を踏み入れるってことは不安でしょうがないし。だからクローンについても反対が多いと思うけど、しばらくは中立の立場をとって、何が起こるかこの目で見ていきたいなぁ。っていうか、クローンのことについて詳しく書いてあるページがないのかな?何で培養することによって今まで眠ってた遺伝子まで活動するようになるの?これ、「ドリー」の話のときにスペイン語で説明してもらったけど、わかんなーい。おしえてー!
そういえば、また書こうと思ってたことを書かなかった。明日こそは書こうかなぁ。お見合いの話を。うぅ~ん、でもわかんないなぁ…。


2002年04月05日(金)



エッセーの書き方

昨日ねぇ、この日記を書き終えてアップしたくらいに1通のメールが舞い込んで来たの。夜も遅かったし、誰だろうって思ったら、英会話の先生だったんだ。具合が悪いから明日の英会話は出来そうにないってものだったの。そっかーって思って、そのままネットを巡回してたら、かなり夜更かししちゃって、今日もお昼近くまで寝ちゃった。っていっても何となく眠いんだけど…。ちょっとだれちゃってるのかな。ここんとこ、調子がいいと思って張り切りすぎたかな?ちょいペースを落とさないと。まぁ、お昼になるまで寝てたから、チャットすることはなく、ちょっとだけネットを巡回。だって気になることがあったんだもん。
昨日、「無知は幸せ」って題でいろいろなことを書いてみたものの、実は自分で何を書いているかあんまり理解してなかったの。っていうのはね、書いてる時って結構興奮した状態になってるし、冷静な判断ができないのね。そんなわけで、もう1度昨日書いたものを読んでみたの。結論がずれちゃってるねぇ。「無知は幸せ」っていう書き出しで、最後は興味を持っていろんなことを知りましょうってなってるもんねぇ。うぅー、やっぱり書くって難しい…。
だから今日はネットでエッセーの書き方っていうキーワードで検索してみたのね。そうしたらねぇ、このキーワードでひっかかってくれるのはどれもこれも英語のエッセーの書き方なの。別にムースは英語のエッセーの書き方を知りたいって思ってないから、これは却下。で、次に書き方っていうキーワードで検索したら、やっと1つこれかな?っていうサイトが見つかったの。そこには日本語での文章の書き方が載ってたのね。ちょっと抽象的ないい方だなぁ…。日本語の論文やエッセー、報告書等の文章の書き方が載ってたのねぇ。エッセーを書くムースにしたら、日本語での効果的なエッセーの書き方っていうのを知りたかったから、このページだぁーって思って、順番に読んでいったんだ。
何が問題ってことから始まって、どういう風に書けばいいかってことも書いてあったの。その中で、報告書等の実務文章と小説、エッセー等の楽しむための文章は違うって書いてあったんだけど、あれっ、エッセーって小論文じゃないの?って思いながらも、そこはさらりと読み流して読み進んでいったんだ。
そしてどういう風に書けばいいかっていうところに入ってからは、書く上で大切なことがたくさん書いてあったから楽しみながら読んでいったんだ。認知心理学とかっていう心理学の裏づけまで取りながら、どういう書き方がいいかってことまで書いてあったの。読んでてなるほどーって思ってたんだ。読者って文章を読んでいく上で次に何が書かれているんだろうって予測をしながら読んでいくんだってねぇ。って考えてみればムースもそうなんだけど。小説だったら展開を楽しむ部分があるから、突然の出来事にも驚きながらも、それが読者の興味をひきつける結果になるかもしれない。けれど、エッセー等の文章は書き手の考え方を示してるものだから、突然場面が変わっちゃうと読んでる人がビックリしちゃうみたい。起承転結の有名な例、「京の五条の糸屋の娘 姉は十七 妹は十五 諸国諸大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」っていう文章を見たときに、突然、文脈に関係ない諸国諸大名が出てきたら何この人って思うし、その人は糸屋の娘とどういう因果関係にあるのって思うもんねぇ。だから起承転結でいう転の部分はいらないっていうの。確かにそうだよねぇ。
それとねぇ、読者が予測できるように書くことについての例も挙げてたの。「昔々、おじいさんとおばあさんがいて…」って文章があったときに、読者はおじいさんとおばあさんの話なんだなって考えるよね。そうすると読者は次に「おじいさんとおばあさんに関する情報の入力を予測」するんだって。「正確にはおじいさんに関する情報の入力を期待します。なぜならおじいさんとおばあさんという順序で述べられているから」っていうのがそこに書いてあったんだ。なるほどーって思いながら読んだんだ。
ここまで来るとじゃ、どうやって書けばいいの思ってくるよねぇ。もうねぇ、ムースもどう書けばいいのぉーって叫びそうになりながら読んだたんだ。でもねぇ、今1つどう書けばいいかをつかみきれないまま、ページだけは進んでいくの。でね、あれよあれよと思ってる間に、どう書けばいいかっていうページは終わり。で、次に出てきたのが、正しく書くとどのような文章になるかっていうのの紹介だったの。これはねぇ、よかったよ。だって違いがよくわかるんだもん。書き直したものの方がかなりよくわかるの。いいたいことの順番を並べ替えて、段落をうまく使って。これはいいって思いながら読んでたんだ。でね、何を題材に使ったかというと、とある新聞の社説だったの。この間久しぶりに読んだものの、ムースは社説なんて普段読まないんだ。でね、改めて読んでみたんだけど、読みづらい文章だってことがわかっちゃった。そんな気がしたの。新聞ってムースの頭の中じゃ、プロの書き物って思うけど、ちょっと…って感じだった。
ムースねぇ、英語のエッセーの書き方は今いってる学校で、先学期に習ったのね。先学期は英語の授業を取ってて、週に2回、授業があったの。毎回宿題として200語程度のエッセーの宿題を出されていていたから週に2回は英語でエッセーを書いていたのかな。っていっても語彙もないし、日本語ですらどう書いたらいいかわからないエッセーだから、いつも直されまくってたけど。英語のエッセーって最初に私はこう思いますっていうのを書いて、そのあとはこれでもかぁー、これでもかぁーってくらい自分のいいたいことを裏付けることを書いて、って大体3つなんだけど、それで最後に結論で最初にもいったけど、だから私はこう思うってことを駄目押ししてエッセー終了って感じなの。だから英語での書き方は何となく頭の中に入っているんだ。
話を書き方のHPに戻すと、最後に知識人の書いたものを直すっていう題だったの。どこかの学校の先生が書いたものだったんだけど、ムースのエッセー同様、ちょっとボケてるの。でね、このHPの作者がどう直したらいいかを次のページで紹介したんだけど、そこをゆっくりと読んでいったの。最初に総論を書いて、そのあとはそれを裏付けることを3つくらい書く。で、最後に、だから最初にいった通りでしょ、こーなんだよって。そんな感じだったの。あれっ、これって…。どこかで見たことがあるような…。最後の最後のになってムースはどう書いたらいいかわかりました。英語で書くエッセーと一緒だったの。ちょっとがっかり。日本語で書くエッセーとはいうものの、手法は英語と一緒だったの。なーんだって感じ。だって、起承転結はどうのとか、文章は短くとか、日本語での書き方はこうなんだよって感じに受け取れてたんだけど、とどのつまり、言語に関係なく手法は一緒。最初にいいたいことを書いて、これでもかぁー方式みたいなの。高校で教えてもらった序論結も起承転結もどこ吹く風。このHP自体が起承転結になってて、ムースはその展開の面白さに最後まで引っ張られたのねぇー。そんな感じだった。でもこれを読んでどう書いたらいいかわかったから、今度はこの日記を読んでる人に伝わるように書けるようになるかなぁーってちょっとだけ思っちゃった。
今日の昼はこんなことを思ってたのね。それから発音の矯正のクラスへいったんだけど、そうしたらねぇ、このエッセーの話じゃないけど、話が飛んじゃうと聞いてる人がわからなくなっちゃうから、流れを作っていってあげなきゃいけないってことをいわれたの。うぅーん、鋭いところをついてくる…って。今日は1日中そんなことを考えなきゃいけない日なのかなって思っちゃった。だから何となく今日は会話が進まなかったの。ちょっと考えすぎちゃったかな。考えすぎちゃうから、無意識に緊張しちゃうし、そのせいで顔がこわばっちゃうし。だから久々にいわれたんだ。瞬きが多いよって。それに顔の筋肉が緊張してるって。そりゃ、緊張しちゃいますよ。リラックスできないんだもん。
文章にしても、話すことにしても、筋道を立てて、流れを作っていかないと読んでる人、聞いている人には何のことだかわかってもらえないっていうのはわかるんだ。そして最後に結論をいう。多少途中がぼやけても、これさえしっかりしたらどうにか話としてはまとまりそうだし。笑い話でもそうだけど、オチってものが必要だからね。それがないと、どこで終わったんだかわからなかったり、尻切れトンボになっちゃうしねぇ。モヤモヤした感じが残るだけ。だからどうにか結論だけはしっかりとしていきたいなぁーって思ったんだ。日本語が美しいと思われるのは直接的にいうだけじゃなくて、遠まわしにいって、いいたいことをぼかすからいいっていうところもあると思うの。でね、ムースのいいたいことは何だかわかんないことも多々あるだろうとは思いますが、日本語の美しさを強調したいんだなぁーってことにしてください。っていつも日本語の美しさを強調しちゃうことになっちゃうけど。そして、こんなムースの駄文でも、もし何かを感じることがあって、それが何かの役に立つことがあればうれしいなぁーって思います。
今まで、新聞に載ってる社説は小論文の勉強のためには非常に参考になり、いいものだっていろんな人にいってきたのね。でも、今日は考えを改めました。社説も役立たないことがあるってわかったし、全面信頼はしちゃいけないんだなぁって。そして小論文についての書き方もネットで調べて読んだけど、入試に必要な小論文は小論文って名前であって小論文じゃないこともわかったの。なぜかっていうと自分の考えを書く必要なんてないって思ったから。自分の考えよりも大切なのは、参考資料として書かれた文章をいかに効果的に自分の書く文章に盛り込めるかってこと。要は入試の小論文の試験におけるスポンサーなので、スポンサーの顔を潰さずに、持ち上げてくださいという試験だって感じたの。だから社説なんて読む必要は全くなし。主張のはっきりしない社説を読んだところで、スポンサーの顔を立てる文章なんて作れないから。今まで、社説は考えを述べてる文章であって、小論文っていうものは自分の考えを述べるものだって思ってたの。だから2つのものは関連があるって考えてたけど、それは違うとわかった今は、入試用の小論文を書きたい人は予備校へ、社説を書きたい人はどっかへいって勉強してくださいっていったほうがいいかもしれないね。
ものを書くってことが大変なことはわかってるの。話す以上に大変だって。だって読み直すことが出来るから、もし矛盾があれば、その矛盾をいくらでも指摘することができるもん。でもねぇ、ものを書くってことは自分の考えをまとめるいい練習になるし、ものを順序だてて考えるいい訓練になると思うの。書くことが好きじゃない人は、それを読んで考えるだけでもいいと思うの。だっていろいろなものを読んでいくうちに目が肥えていって、いいものと悪いものが自ずとわかってくるようになるから。それにムースは小論文を書かせるっていうことはとってもいいことだと思ってたし、そのために社説を読むってことはいいことだと思ってた。でも今日はちょっと失望。この2つの事柄の関連性がもうちょっとしっかりしていて、読むことと書くことをやり続ければ、大学教授が嘆くような生徒ばかりじゃなくなると思うんだけどなぁ。
今日も、日本語の美しさを強調したままムースの日記を終わりにしたいと思います。


2002年04月04日(木)



無知は幸せ

今日、プログラミング理論の中間試験がありました。昨日の日記で予告した通り、今、後悔の念でいっぱいです。もう本当に情けない。だって、家に帰ってきてから、今日解くことの出来なかった問題を見直したら、すぐにやり方がわかっちゃったんだもん。いつものことだけど、本当に学習っていうことがわからないみたい。前回の試験は驚異的な運に助けられ、どうにか平均点を越える点数、っていっても1点だけなんだけど、を取って、喜びと同時に自分自身の行動を反省したばかりだったのに…。とはいっても、終わってしまったものはしょうがない。期末試験でどうにかすればいいって今は自分にいい聞かせてるんだ。まぁ、くよくよと考える傾向があるムースなので、来週の月曜日に試験結果が返ってくるまでは、ちょっとだけドヨォ~んとしてまーす。
昨日、ネタがなくって書くのにかなり苦労したしたけど、今日は逆にちょっといわせてぇーっていうことが。実は昨日の晩、この日記を書く前にネタ探しに見ていた日記を読んでて、ふと思い出したことがあったの。それはムースがスペインにいたときのことなんだ。ムースの行っていたスペイン語の学校では、最初の2時間はスペイン語の文法を主体とした授業だったのね。で、30分の休み時間をはさんで、後半の1時間半は会話の授業だったの。会話の授業といっても、実際は討論会なんだけどねぇ。朝まで生TVみたいなものかな?ある議題があってそれについて話し合うってものなの。一昨日の捕鯨問題じゃないけど、いろいろなことが議題に上がったの。在り来たりなネタとしては、死ぬ権利の問題とか、中絶問題とか、環境問題かな。この辺がいつも繰り返される議題。でもねぇ、ある日、先生が黒板に5個くらい格言じみたことを書いたの。例えば、「人は生きるために働くのであって、働くために生きるのではない」とか。これって日本人を皮肉ったものなんだけどねぇ。もちろん、プログラマーを辞めて渡西したムースだったので、1日何時間働いてたか聞かれたけど。当時は9時出社で10時に会社を出ることが多かったので、13時間は会社にいるって答えたらかなり驚かれたけど。ってスペインから帰ってきて勤めた会社では、もっと働かされたんだけど…。まぁ、そんなことはいいとして、その他で覚えているものが「無知は幸せである」ってことなのね。そのクラスは11人くらいも生徒がいたんだけど、って普通は7、8人だから、ほとんどの生徒がそれは違うっていったの。だけど1人のイタリア人が、そう思うっていったからそれは大変だったの。何にも知らないことは不幸だってことから始まって、こういうことがあった時に知らなければ何も出来ないとか、ああいうときに困るとか…。クラスのみんな対イタリア人って感じだったんだ。ムースはあまりしゃべれなかったので、議論にはほとんど参戦しなかったのね。って酔っ払うとよくしゃべってたけど、それ以外はあまりしゃべらない人だったから。って今もそうだけど…。先生もムースがそういう生徒だってことを知ってたから、ある程度みんなが落ち着いてきて静かになったところでムースにどう思うか聞いてきたの。で、ムースはイタリア人と一緒。「無知は幸せだ」って思うって答えたの。そう答えても、いつもつるんでるメンバーだったからムースが責められることは一切なかったんだけどねぇ。でもねぇ、ムースは今でも「無知って幸せ」だと思うの。だって何も知らないんだもん。いろんなことを知れば知るほど自分の愚かさに気づいていくと思わない?時に何でこんなことも知らないんだろうって自己嫌悪に陥ったり。何も知らなければどんなに幸せだろうと思う。
でね、「無知は幸せ」って検索してみたんだけど、「無知は幸せ」ではひっかからなくって、ひっかかったのは「無知は罪」ってことだったの。だから今度は「無知は罪」で検索したのね。いつもはヤフーで検索するんだけど、今日はライコスで検索したんだ。そしたら、まぁー、次から次へと出てくる出てくる。あまりの多さにビックリしちゃった。もちろん1つ1つ中身なんて見れないから、簡単な説明文しか読まなかったけど、みんな「無知は罪」って思ってるんだねぇ。ただねぇ、それを見れば見るほど何となくイヤな気分になっていったの。っていうのはねぇ、「無知は罪」だから無知な人はいけないとか、困るとか、その人たちを切り捨てるような感じに受け取れてきたから。何となく悲しかった。だって、無知な人は無用なのかな?って思えるんだもん。っていうか、無知な人っていらないって思われてるんだと思うの。ムースも何度か「使えないやつだ」って面と向かっていわれたことがあるの。カッチーンってきたから、高校生の時は口より先に手が出てたんだけど…。きゃー、恐い。もちろん、今は非常に穏やかだから黙って我慢してるけどねぇ。でも、何でそんなことをいわれたか考えたの。「期待通りにやってくれない=私のいったことがわからない=何も知らない」ってなってる気がするんだ。そして「『何も知らない=無知』は罪」ってなったら、それは困ってしまうでしょう。っていうか、困ったことは何度もあるんだけど。
誰でも自分の期待したようにことが運んだら、それはうれしいよねぇ。でも、うまくいかないのが現実だと思うんだけど。で、自分の期待したようにいかないときに、あの人は何も知らないからっていって人を切り捨ててないだろうか?万人が万人、何でもかんでも知ってるわけではないのに。ムースが昔いわれたものの中で、メジチ家を知らないことが無知であるといわれたことがあるのね。歴史なんて中学生の時にちょっとやって、大学の時にちょっとやったきりなので、バリバリの文系の人のようにはわからないから。メジチ家だって今でこそ名前だけは覚えたけど、今だにわからないんだ。でも、当時いわれたのは、それは常識であって、知らないことは非常識だって本当にいわれたの。だから思うの。人のことを無知だとか、無知でないといったり、決め付けたりするのは、それをいう人の物差しで計っていってるんだから気にしちゃダメなんだなぁーって。だってムースは旅行が好きなこともあって、高校時代は地理を勉強したんだけど、メジチ家のことを聞いた人にイグルーって知ってるって聞いたら、そんなことは常識として知る必要がないと一笑されちゃったんだ。イグルーってエスキモーの氷の家、マンガとかに出てくるドーム型した家のことなんだけど、常識じゃないイグルーだけれども、カナダのビールのコマーシャルでは「ボクはイグルーに住んでない」っていう台詞があって、多くのカナダ人はイグルーが何であるか知ってるのに…。
実は、この常識だっていってた人こそ自分の世界以外何も知らない、無知で幸せな人じゃないのかなって思う。「無知は罪」っていうけれども、人は何かしら無知なところがあると思う。だって、すべてのことを知るのは不可能であるから。自分自身の存在が罪であるというなら、「無知は罪である」っていうことに納得がいく。でも、自分の物差しで人を計って、この人は自分が聞いたことを知らないから無知だと決め付け、「無知は罪だ」っていうのだったら甚だおかしな話だと思うんだ。そして、人をばさばさと切り捨てていく。そろそろやめたほうがいいんじゃないかなぁーって思うんだ。
「無知は罪である」っていう反面、ものを知りすぎていると「出る杭は打たれる」んだよねぇ。こんなことばかりしてると、いいことなんて何にもないのにねぇ。横並びで、人と同じことやってるから安心する気持ちはよくわかるけど、どんどん自分を失っていっちゃってるような気がする。他人と同じことをすることで、自分の存在価値を確認しても、いつも自分の心に隙間を感じちゃうと思うんだけどなぁ。神戸新聞に「よみがえれ知力」っていう連載があったみたいなの。で、その第1回目は「さらば日本/ノーベル賞に最も近い男」っていう題で1人の大学教授が紹介されてるのね。ムースねぇ、去年の夏にTVでたまたまこの人のことを見たことがあったから、この記事を読んだ時にピーンときたの。この人、いろいろな発明をしてるのに、何の評価もされてないの。ちょっと風変わりな人かもしれない。わがままかもしれない。でも、功績はしっかりと評価してあげないと。期待通りにやってくれないからって切り捨てていくのはやめようよ。だって彼がいろいろな国の人から評価された瞬間においしいところ取りが始まるんだから。プロ野球を見ればわかると思うけど、いくらお金をかけて花形選手ばかりを揃えたって優勝できないのと一緒で、おいしいところだけかき集めたって、うまくいくわけないのに。最近のノーベル賞の受賞者の中で、純粋に日本だけで研究して賞に結びつけた人って何人いるの?みんな自由な土地を求めて日本を離れちゃったじゃない。しかも出る杭の人の方が知らない人にわかってもらおうと一生懸命だし。ムースが落ちこぼれ街道を歩いてきてわかったのは本当に賢い人と似非(えせ)の賢い人。似非の賢い人はムースがわからないところを聞いてもちゃんと説明が出来ない上に、ムースをバカにして切り捨ててくれた。でも、本当の賢い人はムースがわかるようにわかりやすく説明してくれて、切り捨てる人はいなかった。だからいうの。もう「無知は罪だ」なんていって切り捨てるのはやめようよ。わからない人がいたら教えてあげればいいことなんだから。中には「無知は罪ではなくて、調べようとしないことが罪なんだ」っていってる人がいたんだ。これなら十分納得がいくの。もし調べ方がわからなければ、調べ方を教えてあげればいいんだし、何がわからないかがわからないんなら、それを一緒に見つければいいんだから。
この春から小中学校はゆとりの教育という名のもとに、完全週休2日制になったみたいだね。ムースの視点からものを見ると、何がゆとりなんだかよくわかんないんだけど。もし、本当にゆとりの教育なら、この間もいったけど、そのゆとりの時間を使って子供達がいろいろなものに興味を持てる環境を作っていけばいいのにねぇ。昨今、大学生の学力が下がってっていって悲観してるみたいだけど、当たり前だって。大学の教授が生徒と話をしても一歩通行でつまんないって。何をいっちゃってるんでしょう。いつもいうけど、小学校の頃から一方通行の授業をしてきて、マークシートの入試になれて、自分で考えるってことをやめてしまってるのに、どうして自分の考えが生まれるだろう。本当に不思議。しかも成績の悪い生徒を切り捨てて行くのにねぇ。英語だって出る単に載ってる英単語を覚えろっていう教育はするけど、出る単に載ってる英単語を使えるようにしてくれる先生なんて全然いないじゃんねぇ。あれだけの語彙があれば、英語だってかなりのレベルのことが話せるのに…。あれだけの語彙力で、耳が慣れたら、英語の映画を見たときに字幕なんてなくたってどうにかなるのに…。もったいない。
相変わらず、論点がボケてしまったけど、「無知は罪である」なんていってことはないの。知識がなかったら、それを知ればいい話しだから。でもそれより大切なのは、知りたいと思う気持ちであって、好奇心であると思うの。好奇心はありすぎると、時にイヤな思いをしてしまうこともある。さっきも書いたけど、いろいろなことを知っていくと自分の愚かさがわかっていくの。悲観してしまうことがあるの。だから知るってことは不幸だっていうの。無知だと自分の愚かさに気がつかないことがあるから幸せだっていうの。でもねぇ、どんなことでもいいから興味を持って知ろうとする気持ち、好奇心を持って知ろうとする試み、これが大切なことであり、これがあるから生きていて楽しいんじゃないのかな。ムースはそう思ったんだ。
結論がボケちゃったけど、どうにか理解してください。表現が下手でごめんなさい。
この日記を毎日読んでくれる人へ。いつもムースの駄文に付き合ってくれてどうもありがとうございます。今日はムースの考えをちょっと書いてみました。読みづらいところ、理解しづらいところが多々あると思うので、いつも書いてるものの流れから何が書きたかったかを汲み取っていただければ幸いです。


2002年04月03日(水)



書けない…

朝起きるのがつらい。今朝は本当に起きるのがつらかったぁー。一応、7時半に目覚ましをかけてたんだけど、実際に起きたのは10時半になってから。本当にどうしちゃったんでしょうって感じなの。昨日、遅くまで起きてたかというと別にそうでもないんだ。一応、2時にはベッドの中に入ってたから、そんなには遅くないと思うの。でも、なぜだか起きれなかったんだぁ。もし起きてたら、学校へ行ってちょっと先生に聞きたいことあったんだけど。だって明日は試験なんですもの。しかも、この間提出した宿題を返してくれるっていってたんだけど、どこに取りにいけばいいかわからないの。だから先生に聞くのが一番早いと思って。でもねぇ、先生は10時過ぎたら出かけちゃって、来週までいないっていうから…。残念ながら会うことはできなっかたの。っていっても、今日の午後、学校へ行ったときに、宿題の返却場所がわかったからよかったんだけどねぇ。どこで返却してるかわかんなくって、今日だけで2回も学校へ行っちゃった。しかも、友達の家に行って、どこで返却してるかまで聞きに行っちゃった。でもねぇ、友達もいなくってちょっと困ったけど、まぁ、最後にはわかったからそれで良しでしょ。
それにしても、今日はすれ違いの多い日だったなぁ。だって、朝はプログラミング言語の先生に会いにいけなかったでしょ。で、友達にも会えなかったでしょ。さらに、今日は数値解析の先生に本を返さなきゃいけない日だったけど、数値解析の先生にも会えなかったの。っていうか、先生にはお昼にあったの。友達の家に行った帰りに、お買い物をしようと思って、大型の雑貨スーパーへ行ったのね。ムースのいるところにはHy-Vee(ハイビー)っていう食品のスーパーとWal-Mart(ウォルマート)っていう雑貨のスーパーがあるんだけど、今日はWal-Martへ行ったのね。ムースの頭もそろそろプリンになってきたし、またきれいに染め直さなきゃいけないし。2月に染めて以来、全然染めてなかったから、本当にプリンなの。っていうのは、2月の日記には書いたんだけど、ムースの髪の色って金髪なの。っていってもブリーチしてから色を入れてるわけじゃないから、どっちかっていうと茶髪なのかな?まぁ、そんなことはどうでもいいとして、そのWal-Martで数値解析の先生に会ったの。でね、あとで本返しに行かなきゃーって思って、家に帰ってきてから、宿題の残りを片付けていったら、もう先生はいなかったんだ。本当、今日は出会い運がないのかも。
うぅー、今日は書くネタがないよー。だって夕方から試験勉強をしようと思って、教科書をちょこっと読んだら、もう夜になっちゃったし…。だからねぇ、ネタ探しっていうかムースの好きな映画のことでも書こうかなぁーって思って、ヤフーで調べてたの。でもねぇ、何かしっくりこないんだよねぇ。だから今度は日記才人へいって、誰かネタになること書いてないかなぁって思ったら、ヒットしました。昨日は何だか硬い内容の日記になっちゃったけど、それっぽい日記に巡りあってさっきまで読んでました。もちろん、お題はパレスチナ問題。その人の書いたものは、日記というよりコラムだから面白かった。うんうん、頷きながら読んでたんだぁ。でね、その人ってHPを何コも持ってるみたいで、もう1つ日記のページがあったのね。それもねぇ、よかったよぉー。だから早速登録しちゃいました。だって読み応えがあるんだもん。それに結構長いの。だから好きなのかも。っていっても、ムースの日記のようにただダラダラと長いと、読むのに疲れちゃうよねぇ。でも、ムースの場合は日記だから。これはどう考えてもコラムじゃないもんねぇ。だからついついコラムに惹かれちゃったのかも。ムースの好きなものの傾向としては、詩っぽい日記とコラム系の日記とその日の出来事を書いた日記。ってこれ普通の日記なんだけど。あのねぇ、今、いろいろな日記を読んでるんだけど、1日の出来事を箇条書きにしてる人もいるのね。それはねぇ、ムースはちょっと…って感じなの。それより、今日は○○へいって、○○ちゃんと会って、○○を食べて、○○を見に行って…って方が好きなんだ。
そういえば、今「ロード・オブ・ザ・リング」を見に行ってる人多い見たいねぇ。ムースはここに引越ししてきてから映画って見に行ったことがないから、ネタ作りに今度見に行って見ようかなぁーって思ったんだ。見てみたい映画もあるし。あのねぇ、ジョディー・フォスターの「パニックルーム」っていうやつなの。これねぇ、ちょー恐そうなんだぁー。タイトルをクリックすれば、宣伝用のサイトの飛べるようになってるから興味がある人はクリックしてください。って、そのうちにリンク切れになっちゃうかもしれないけど…。ムースねぇ、今、この映画が見たいんだぁ。でも、今週末からモーガン・フリーマンとアシュレー・ジャドが出てる「ハイ・クライムス」っていうのが今週の土曜日からやるし。うぅ~ん、久々の映画だからあんまりはずしたくないし…。ムースも映画が好きでよく見に行ったけど、最近はおおはずれって映画が多いしなぁ。結構慎重になっちゃう。ビデオで見てると、はずれ映画でもそんなにはずれって思わないんだけど、映画館で見るとはずれ映画ってイヤなんだよねぇ。今気がついたけど、ムースの住んでるアパートって、繁華街のど真ん中だから、って200m程度の商店街なんだけど、映画館へも歩いていけるんだ。車で行くくらいなら、歩いていった方が早いんじゃん。やっぱり、今週末は映画館初体験してみようかな。
やっぱり、ネタのない日は書くのがつらい。っていうか、普段だって別に外出してるわけじゃないんだけど、ネットの中にある読み物を読んだりしてるから、いろいろな情報が入ってくるけど、今日はパソコンの電源を入れたのって、夜になってからだし、全然ムースのところに情報が入ってきてないの。だから思うこともなし。今度はそんな日用にネタを作っておくかな?今日の最後は、最近のムースのボケボケな行動について。って最近、ボケボケな行動が多いんだけど、この間はすごかった。多分、お昼くらいの出来事だと思ったんだけど、コーヒーを入れようと思って、台所へいってお湯を沸かしてたの。でね、よく間違えるのが、コーヒーを入れようと思ってるのに、なぜか冷蔵庫を開けて、コーヒーを探そうとしちゃうんだ。でも、これはまだいいの。ってコーヒーに牛乳を入れて飲むから。でもねぇ、この間はコーヒーの瓶を取って蓋を開けようと思ったのね。いつもだったらすぐに開くんだけど、その日は蓋がちょっと硬かったの。あれっ、って思って手につかんでた瓶を見たら、コーヒーの隣りにおいてあったパスタソースの瓶を開けようとしてたの。もう、これにはびっくり。だってパスタソースの瓶を開けたら早く食べなきゃいけないしねぇ。それに、瓶の大きさだって違うの気がつかずに開けようとしてたなんて…。でね、つい4、5日前は、フライパンを温めてたときのことなの。フライパンをかなりの温度まで温めたんだけど、まだ必要ないやって思って、とりあえずコンロをけしたのね。ムースのアパートってガスじゃなくって電気だから。でね、消してから3分くらいしか経ってないときに、フライパンが邪魔だぁーって思ってどかそうと思ったの。普通、取っ手をつかんでどかすじゃない。なのに、何を考えてたんだか、フライパンの淵を持ってどかそうとしたの。当然、フライパンは熱かったです。ってなことで、指を火傷してしまいました。でも、すぐに冷やしたから大事には至らなくって、もう治り始めているけどねぇ。本当に何考えてるんだかわからないけど、ボケボケな行動が多くて困っちゃう。
今日はもう書くのやめまーす。明日は試験だから、いつものように落ち込んでると思うし、後悔日記がダラダラと書けると思うので、明日たくさん書きます。


2002年04月02日(火)



捕鯨問題

今日は朝からお勉強。っていいたいところなんだけど、落ちこぼれのムースがそんなことするはずがないよねぇ。別に鬱に逆もどりをしたわけじゃないんだけど、一昨日、昨日、今日と3日間はずーっとネットの中にいる感じ。昨日も夜遅くまで他の人の日記を読んでからの就寝。ってな訳だったから今日もお昼まで寝てるかなぁーって思いきや、ちゃんと9時半には目が覚めました。1日の始まりとしてはそんなに悪くないかな?だってお昼に起きちゃうと半日損した気分になっちゃうもんねぇ。何も朝早くから活動しようとは思わないけど、せめて9時には起きていたいなぁって思うんだ。だから今日はいい感じの朝だったの。
休みの日のムースは、寝起きからチャットの部屋が開いてるかどうかを確認してから、お気に入りに登録してある日記を読みに行くんだ。今日はねぇ、チャットの部屋が開いてなかったから、お気に入りの日記を読みに行ったの。さすがにお気に入りだけあって、どれを読んでもいい感じ。この時間は本当に楽しいねぇ。この間書いたんだよねぇ。今13コ登録してあるって。もちろん朝から13コ全部読みに行くわけじゃないけど、半分くらいは行ってるのかな?書くのは大変かもしれないけど、読むのはあっという間なので、7つのサイトへ行っても大体30分もあれば全部読み終わっちゃうかな?いつも思うんだけど、ここが絶好のネットをやめる時なんだよねぇ。でも、いつもここで他に何か面白いものないかなぁーって思って、日記を探しにいっちゃうんだ。今日ねぇ、コラムを書いてる人の日記を読みに行ったのね。何でかっていうと、この間行なわれた横浜市長選について書いてあったから。ムースはそのニュースをTVで見たわけじゃないから、何が起こってるんだかわからないけど、随分と若い市長さんが誕生したみたいだねぇ。で、その市長さんは無党派層の支持を受けなんだって?何となくわかる気がする。だって、ムースもそうなんだけど、自民党に投票しようとも思わないし、かといって民主党も…って感じだから。その人のコラムの中では、数年前の都知事選の青島幸雄や、大阪府知事選の横山ノックのことを引き合いに出して、今は無所属の人の方が支持を受けやすいっていうようなことが書いてあったけどねぇ。うぅ~ん、何となく納得。ムースもこれといった支持政党がなく、時流に従って投票するからなぁ。
でねぇ、ここのサイトからいろいろな新聞のサイトにいけるようになってて、さらに各新聞社の社説の見出しが載ってたのね。普段はね、日本野球界における諸悪の根源、渡辺恒夫がオーナーになってる新聞しか読まないムースなんだけど、今日はちょっと別の新聞も読んでみたの。でもねぇ、ちょっとムースには合わないと思った。実家はナベツネ新聞ともう一紙取ってることが多かったのね。って母が強引な勧誘に負けて取るっていうのが多かったんだけど。だからムースもナベツネ新聞のほかにも、毎日や朝日や産経って読むことあったけど、読みなれてるせいか、やっぱりナベツネ新聞になっちゃうんだよねぇ。で、今日再確認。ダメだぁー。朝日は苦手かも。優柔不断、時の流れに身を寄せて、あなたの色に染まってしまうムースでもちょっとダメだった。って実は社説自体にも引いてたんだけど…。1人で、何で今さらぁーっていいいながら読んでたんだ。うぅ~ん、抽象的にしか書けないけど、こういう風にしかいえない。島崎藤村の「破壊」を読んだりして、勉強したら、この問題について少しはいえるかもしれないけど、今はあまりにも知らな過ぎるから、これが目一杯だな。
そういえば、島崎藤村の「破壊」ってまだネット上にはないんだよね。今日もねぇ、青空文庫へ行って、あるかなぁーって思ってみたんだけど、なかったから「千曲川のスケッチ」をダウンロードしてきちゃった。今度ねぇ、これを読もうと思うんだぁ。でも、その前に、久々に太宰治の「人間失格」かな?これを読まないとねぇ。ムースがこれを初めて読んだのって、大学1年生の時だったんだけど、あまりねぇ記憶に残ってないの。何でかわからないけど。友達はあれを読むと自殺したくなるらしいっていってたし、ちょっと期待してたんだ。自殺したくなるかどうか。でも、全くそんな気など起こらなかったの。あっ、ちなみに、今も自殺願望なんてないので。いくら「人間失格」が読みたいっていっても、昔読んだことあるから、読みたいって思ってる。それだけだから。ってなことで、「人間失格」もダウンロードしたの。それとねぇ。夏目漱石の「こころ」。これも国語の教科書に出てたよねぇ。私とKがお嬢さんに恋して、お嬢さんを取り合って、最後にKが自殺しちゃうお話。うぅー、今日は自殺って文字が多いなぁ。ちょっとイヤだなぁ。っていっても事実だしなぁ。これをねぇ、「人間失格」も前に読もうかなぁって思ってるんだ。何でかっていうと、教科書では読んだけど、あれって1部を抜粋してあるだけだもんねぇ。だからちゃんと読もうと思ったの。それに昔ねぇ、って大学に入った頃なんだけど、ムースと友達が日比谷公園で食後の休憩をしてたときに、いきなりFM東京のインタビューで「夏目漱石についてどう思われますか?」って聞かれたことがあるの。きっとムース達を見て、この人バカそぉーって思って選ばれたと思うの。でもねぇ、どう思われますかっていわれたって…。はっきりいって困りました。ムースの周りには、賢そうなサラリーマンやOLがうじゃうじゃといたんだから、その人たちに聞けばいいのにって思ったんだけど、賢い人に聞いて、賢い答えしか返ってこなかったら困るもんね。そこでムースが登場だったんだ。もちろん、どう思いますか?なんて聞かれたって答えに困っちゃうじゃない。そうしたらねぇ、夏目漱石の本で何を読んだことありますか?って聞いてきたの。これがねぇ、タイミング悪かったんだ。たまたまムースが「彼岸過迄」を読み終えて「虞美人草」を読もうかなぁーって思ってた時だったし、夏目漱石にちょっとはまってたし。しかも毎日のように次は夏目漱石の何読もうかなぁーって思ってた時だったから、タイトルが気持ちいいくらいに次から次へと出てきたの。そしたらインタビューアのお姉さんが驚いちゃって、趣味は読書ですか?って。違いますってきっぱりといいました。だって読書なんて趣味じゃないもん。学校へ行くのに片道2時間半もかかってたから、暇つぶしに本読んでただけだし。だからなるべく厚く、値段が安く、そしてすぐに眠れるのって思って訳のわからない本ばっか読んでたんだもん。まぁ、こんなことがあったから、夏目漱石の本はなるべく読もうかなぁーって思ったんだ。それに今の千円札の人だもんねぇ。
って青空文庫には夕方になってからいったんだ。昼間はねぇ、社説を読み終えたあと、何かを調べようと思ってヤフーにいったのね。でね、そこに載ってたニュースを読んではまっちゃったんだ。そのニュースっていうのが、「商業捕鯨 WWFが条件付容認」っていうニュースなの。何でかっていうと、貧乏人ムースは捕鯨賛成派だからなの。だって貧乏人の味方、鯨のベーコンが今や高級食材なんだよ。小学校の給食によく出てた鯨の竜田揚げなんて高くて食べられないんだよ。これはすべて捕鯨が出来ないから。っていってもその分、牛肉が安くなったからいいかなぁって思っちゃうけど。あの、プロレス好きの人にとってみればWWFってトリプルHとかロックとかがいるプロレスの団体だぁーって思うかもしれないけど、これは世界自然保護基金の方なので。お間違えなく。ってWWFと聞いてプロレスを想像してしまうムースもムースなんだけど。っていうかスカパー見てるといっつもWWFがやってるから、イヤでも見ちゃうの。でね、話を戻して商業捕鯨なんだけど、ムースも確かに乱獲はいけないと思う。っていうか、日本の漁業のやり方って、何でも根こそぎ捕っちゃうように見えるの。でもねぇ、ある程度制限をつけて捕る分にはいいと思うの。ムースは環境学の人じゃないからよくわかんないけど、生態系を守るためには鯨を捕ることも必要でしょ?それを何でもかんでも捕っちゃいけませんっていうのはおかしいと思うの。外人ってこういう討論が好きみたいなのね。でね、前にムースがスペインにいたときにやっぱり授業中に捕鯨問題が出たのね。ムースは日本人は食べるために鯨を捕ってるんだから、捕鯨は必要だっていったの。そこにはノルウェー人がいたから当然ムースはタッグを組んでがんばろうって思っちゃった。だってノルウェー人も鯨を食べるって知ってたから。そうしたらね、他の外人から、でも鯨を食べなくたって生きていけるでしょ?って返ってきたんだ。だって、それをいうんだったら、牛を食べるあなた達は?ってことになっちゃうよね。生きるためとはならないと思うの。だって日本人なんかは明治時代になるまで牛なんて食べなかったけど生きてこられたもんね。ってことは、他人の国の食習慣にけちつけるようなものじゃない。大体、鯨がここまで減ったのは、日本の乱獲もあるかもしれないけど、鯨油をとるためだけに鯨を捕って捨ててきた欧米諸国が悪いんだよね。でね、このことを調べようと思ってとあるサイトへいったのね。そうしたらねぇ、またまた出てきましたイギリスの名前。もー最悪。
国際政治におけるイギリスってムースの中では最悪なの。ムースの知ってるイギリス人は普通の人だからいいけど、政治家になるようなエリートイギリス人は本当にイヤ。ってあったことないから、実はどんな人がいるんだか知らないんだけど。っていうか、アメリカ人の大好きな議論の中に中東問題ってあると思うんだ。実際ムースも中東問題について聞かれたことあるしねぇ。でもねぇ、これを語るにはムースはものを知らな過ぎるから、いつも聖書の世界のことはわからないっていって逃げちゃうんだけど、実はムースの中ではイギリスが悪いってことになってるの。っていうのは、イスラエルの歴史について書いてある本を読んだことあるのね。歴史っていっても近代史なんだけど。大学の一般教養で歴史の授業を取ってたから、レポートを書くためにその本を読んだんだけど、もうねぇ、その本を読めば読むほど何やってるのぉーって思った。映画「アラビアのロレンス」を見ればわかるけど、あの辺りってイギリスの統治下だったんだよね。映画にも確か出てきたと思うけど、部族同士の争いを抑えるのは大変だったと思う。でもさぁ、統治しきれなくなって、独立を認めようって思ってる時に、ドサクサに紛れて、イスラエルまで作っちゃうっていうのはねぇ。そりゃ、あまりにも強引だよ。イギリスがもうちょっとしっかりしてくれればぁーって思った。確かにあの頃はユダヤ人が迫害にあってたし、行き先を失ってたのは事実だと思う。迫害から逃れるためにたくさんの人がアメリカへ行ったよねぇ。最近TVでよく取り上げられる、リトアニアの元日本領事、杉原智畝だってユダヤ人をアメリカへ逃がすために日本の通過ビザを発給したんだよねぇ。とにかくあの時はユダヤ人の行き場所はないっていうのはわかるけど、だからといってイスラエルに帰すのはねぇ。ムースはその辺の詳しいことがわからなかったから、またまたヤフーにて検索。そうしたらねぇ、案の定、聖書のお話がたくさん書いてあった。当たり前だよねぇ。そうそう、ムースねぇ、マリリンに薦められて聖書を読んだことがあるのね。マリリンが貸してくれるっていったから、借りて読んだの。っていっても一番最初に書いてある創世記だけ読んで挫折しちゃったけど。でもねぇ、今思うと全部読まないとダメって思うの。っていうのは、例えば美術館へ行ってレオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐を見たとする。ムースには誰が誰だかわかんないけど、聖書を読んで、誰が誰だかがわかったら本当におもしろいと思うの。っていうか、ヨーロッパの学生ってそれがまるで常識のように知ってる人が多いのね。もちろん、知らない人もいるよ。でも知ってる人は多い。そういうときに、ムースは1人孤立するの。だって1人だけ、誰が誰だかわかんないんだもん。その度に、あぁー聖書読まないとダメだぁーって思うんだ。っていっても1度挫折してるんだけどねぇ。だって聖書読んでても面白くないんだもん。いろんな人の名前がたくさん出てきて、そのうち誰が誰だかわかんなくなっちゃうし。でも、中東問題を語るなら聖書での出来事もわからないとねぇ。っていうかあそこが発端だから。
ちょっと話がそれちゃってるけど、聖書ついでに。ムースの好きな作家って三浦綾子なのね。初めて読んだ作品は「塩狩峠」だったかな。でね、三浦綾子ってキリスト教徒だから、彼女の本の中には聖書から引用してあるものがあるんだけど、これがねぇ、心に響くの。ムースは彼女が引用してるもので、コリント人への手紙っていうところがあるのね。その中の「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 」ってところがねぇ、好きなんだぁ。三浦綾子曰く、この愛っていうことを私はって変えて読んでっていってるけど。ムースがねぇ三浦綾子にはまったのは、夏目漱石ブームの2年後のことなんだけど、失恋のショックで立ち上がることの出来なかったムースの心を存分に癒してくれたんだぁ。あの頃は三浦綾子を読みまくってたの。小説よりはエッセーばかりだったなぁ。だから実家には三浦綾子の本がたくさんあるけど、「氷点」もなければ、「細川ガラシャ夫人」もないし、「天北原野」もないし、「千利休とその妻たち」もないし、「泥流地帯」もないの。っていうか、ムースがエッセー好きなのかも。だってこの間だって唯川恵のエッセー読んでたし、昔、群ようこのエッセーも読んだことあるし、林真理子も読んだことあったような気がするなぁ。でも、三浦綾子のエッセーが今のところ一番好き。たまにキリスト教チックで引いちゃうときもあるけどね。
うぅー、捕鯨問題のはずだったのに、いつの間にか三浦綾子にまで発展してたぁー。とにかく、捕鯨にしても、イスラエルにしてもイギリスゥーっていいたくなっちゃう。でもねぇ、この2つの問題の共通点は、イギリスだけではないのです。実はナベツネのように権力を行使してる国がありました。それはいわずと知れたアメリカです。例えば捕鯨問題にしても、イギリスだって元々は捕鯨&乱獲をしてたんだよ。でもねぇ、アメリカがあるとき、ってベトナム戦争のあとなんだけど、突然しゃしゃり出てきて、捕鯨反対っていいはじめたの。当然、イギリスだって手のひら返すわねぇ。気がつけば他の国もみんなアメリカにくっついてしまって、今じゃ捕鯨をするのは野蛮人だみたいな感じでいってるよね。だって捕鯨に関しては日本ってかなりの悪者だもんねぇ。中東問題だって今じゃアメリカがしゃしゃり出て一生懸命いろんなことやってるよねぇ。残念ながらクリントンは中東問題を解決させることが出来なかったけど…。最後、かなりあせってたよねぇ。まぁ、それが今じゃ…。かなりボロボロ。アメリカがタリバンやビンラーディン捕りに夢中になってる間に、パレスチナ情勢がね。アメリカ、がんばれ!その間に捕鯨を再開できるようがんばるから。じゃないと貧乏人の食べ物、鯨のベーコンや鯨の竜田揚げが食べれないから。
ところで、杉原智畝役やったのって誰だっけ?滝田栄だっけ?それってマリコと勘違いしてるのかな?ちなみにマリコは、この日記にもたびたび名前の出てきた、キャロライン洋子がマリコ役でした。2年位前に、この再放送を真夜中に見て、1人で感動してたの。これ見たことあるーって感じで。っていうか、NHKのこの手の話が好きだからかも。ちなみに「なっちゃんの写真館」も見てたよぉ。っていうか寺内小春が脚本書いた連続ドラマってなぜか見てる。だってもう1つは「はね駒(こんま)」だもん。
今日も訳のわからない日記だぁー。っていうか勉強しろって?本当にそうでございます。明日こそは勉強するんだぁ。


2002年04月01日(月)




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