イシダ植物の「転石」
 多感なお年頃、ついに三十路突入いたしました。
 これから先もローリングストーンしながらトーキンバゥマイジェネレーションだよ。

もくじつぎ見た?


2007年11月17日(土) ぶつぶつ。

相対性理論。
いやべつに天文学的難儀な話をするわけではないが。

久しく以前に親しかった異星の友人から通信があり、
「コドモガモウスグウマレル世」などと報告を受けたのち、
近況報告やら世間話やらしていた折に、
髪型の話になり
「私?私はいまアフロよ。
 アフロ奈美恵よ。」
などとのたもうたら通信が途絶えた。
とでも錯覚するように友人はコンマ数分閉口し、
そののちに短足は嘆息、相変わらずおめでたいことだ、幸せそうでよかった、と仰す。

幸せ、そら当たり前、私は私の友人知人みんなの幸せを願っている、
ただその中でもううちょっとだけ自身が幸せであると感じていたい。
もうちょっとだけいい男とか、もうちょっとだけ楽しい、とか。
というようなことを申し上げた。これが私の相対性幸せ理論。

だってたとえば先日も音楽を鑑賞すべくS谷のQトロというところに出かけたのだが
周りのみんなが同様の音楽家をもとめ其処に集っているのだから
みな同様に充足気分を味をうて居るのが当然、しかしながらそこでもうちっとだけ
楽しんで居るパフォーマンス、ノリ、ダンスなぞしてみたところ、
やや、たのしそうだね。なんつって私の輝き様に魅せられたる御人が酒を一杯供えてくれる、
というようなことが興ったりする。
しこうして私は同等の金額を支払っているにも拘らず余人より一杯分酔っぱらい、
一杯分より楽しい時間を過ごすことができる、という。
幸せは、歩いてこない、あとからくっついてくるんだねっ、ニャッ。ってなるわけで、
周りも幸せ、私はもうちっとだけ幸せがそこに成り立つのである。
この願いが叶ったことの満ちた気分といったら。

こんな話まではかの異星の友人には話してやらなかったけれども、
こんな調子で私は健在。

毎日マイスティースを聴いて次松ダンス。

こんな文体になったのも敬愛する町田被害者の「テースト・オブ苦虫3」をブックオフで昨日買ったせい。
大好きなもので周りを囲ってニクの歳の夜は更ける。

ああ、ちなみに同様に久しく以前に親しかった他の異星人よりこの夜は「黄色に行かない」
と通信があったので、奢ってくれるなら、とのたもうたら黄色だけに「おごって紅」
と仰すので終了、純白の毛布にくるまって初恋の夢を見る。


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