ぐっどないとみゅうじっく
もくじきのうつぎの日社会の窓

林矢子ニューアルバム『唄箱』発売中!特集ページはこちら


2003年03月31日(月) 春と修羅〜友部正人@吉祥寺スターパインズカフェ〜

 土曜の夜、久々に実家へ帰る。妹がしばらくニュージーランドへ行くので顔を見に。しかし、当の本人は遊びに行ってて居らず、マック(パグ犬7歳)と遊ぶ。相変わらず無細工。夜中に妹が帰って来て2時間ほど話す。顔を見れば文句を言い合っていた十代の頃ならまずこんなことはなかったが、二十歳を過ぎ、特に働き出すようになってからは少しは話せるようになった。妹は妹なりに抱え込んでいたり考えていることがあり、それは誰にでも言えるものではない。そこをはじめて聴かせてもらった気がする。餞別はないけど気を付けて行ってらっしゃい。
 家族と言うのは血の繋がりももちろんあるのだけど、共に生活している者としての影響は大きい。癖やしぐさが似てしまうのも遺伝と言うよりか、そっちの方が大きいのかもしれない。

 夕べは友部正人『言葉の森で』第2回@吉祥寺スターパインズカフェ。ゲストに鈴木祥子とベースにかわいしのぶ。開店前にチケットを買いに行ったら、ドラムとベースの音が聴こえたので不思議に思ったが納得。鈴木祥子はドラマーでもあった。以前にテレビ番組でカーペンターズをドラムを叩きながら歌っているのを観た事があった。最初にお互い自分の曲を弾き語り、後にバンドセッション。鈴木祥子のドラムは要所要所にオカズも入れて、非常にリズムもしっかりしている。僕も好きなタイプのドラマー。しかし、バランスと言う面では友部さんの唄を掻き消してしまうようなものだった。その時はPA(マイクやギターの音量)をもうちょっとどうにかならないものかと思っていたのだけど、よくよく考えてみるとそれは違う。基本的にPAは音を増幅させるものであり、バランスを図るものではない。いいバンドほど、PAを困らせることはない(但し渋さ知らズは別!)。即席のバンドとは言え、何を1番聴かせたいのかそれをはっきりさせておくべき。それはもちろん友部さんの唄以外何物でもないはず。そうでなくても鈴木祥子はいつもああなのか、心ここに在らずと言うように見えた。見えないと聴けないし、聴こうとしないと見えてこない。
 その中でも『カルヴァドスのりんご』は歪んだエレキギターで友辺さんがソロを弾く。お世辞には上手いとは言えないが、気迫迫るものがある。まるでニールヤングのような。途中で楽屋に潜んでたリクオ(第1回のゲスト)がすうっとステージに現れて即興でピアノで参加。居ても立っても居られずに出てきたのだろう。僕も鳥肌が治まらなかった。
 
 アンコールで『眠り姫』『イタリアの月』。この2曲は同じコードで同じで詞「君が〜」ではじまる。他にも同じコードではじまる曲は多い。コード展開だってそんなに多いわけではない。しかし、どれも同じに聴えたことはない。小さな穴から覗きこんだ世界が、果てしなく広がっているようだ。だから自分の過去の唄にそれほど興味がなく、これからの唄だけでもいいと言える潔さがあるのだろう。

 1月に鎌倉芸術館で友部さんを観たあの日から、僕らは変わった。それは修羅であり、天上であり、地獄でもあった。3月にまたこうして観ているのが正直何なのかよく分からない。5月にまた友部さんを観るとしたら、その頃の僕らはどうなっているのだろう。


2003年03月28日(金) 参戦

 夜からリハーサル。でも、まぼぢゃではなく林矢子と。去年の夏以来だから、半年以上振り。細かい所で合わないのはあるものの、全体的にはやり易かった。そして楽しい。最近、去年のリハの音源を聴き返しているのだけど、ベースが雑で下手だなぁと思う。…でも、するってぇと耳で聴く分だけでも、少しは今の方が成長があるんじゃないかと。この半年間のまぼぢゃの手応えが、別の形で実感できるのは嬉しい。
 そして早川義夫の言葉を借りれば、一緒にやっていなかった時でさえ「一緒に唄っていたんだね」と言われるようなベースが弾きたい。と、言うことで4月15日(火)@初台TheDOORS、参戦します。

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■CHARA『夜明けまえ』

斉藤和義のニューアルバムは欲しいけれど、CCCDなので買ってません!


2003年03月27日(木) 2万円

 昨日は昼間から、まぼぢゃリハ。いつもは池袋でやっているのを今回は南越谷(埼玉)で。電車の中から見える景色がどんどん長閑になって行く。僕が小学生だったの頃の地元に似ている。4/9@ドアーズまであと数回のリハ。こまっちゃんはヘルプのドラマーだけど、アレンジメンでも意見を言ってくるので、実質バンドとそんなに変わらない。頼もしい。
 終わってからダイエーの上階でご飯&コード理論講習会。こまっちゃんはドラマーだけど、学校で習っていたこともあって理論に詳しい。弦楽器2人がコードについて教わる変な光景…。作曲する者としては理論は特に知りたいと思わないのだけど、ベースを弾く者としては知っておきたい。本当は知らず知らず知っていたい。

 妹がまたニュージーランドに行くことになった。今度は少し働いてくるらしい。「成田へ向かう車の中で妹は僕からの封筒を開ける。その中には泥の付いた2万円が入っている。それは使わずに持っておくんだ」…なんてメールを送っていた矢先に古尾谷雅人が逝ってしまった。10代、20代の若い人より、この位、更にもっと歳を重ねた自殺の方が胸に突き刺さる。「結局は変わらないのだ」と誰も喋らない無言劇だけがその揺れを伝える。

 まぼぢゃにリンクが出来ました。こちらは細道と違って音楽サイトのみ。


2003年03月24日(月) 長い髪のBABE

24、5になったら 僕と結婚しよう
それまではお別れさ 長い髪のBABE
佐久間学『長い髪のBABE』

 高校生くらいの時に、CMかなんかでちょっとだけ聴いたこのフレーズが忘れられなくて、ずっと頭の中を廻っていた。しばらく思い出すこともなくいたんだけど、先日中古屋で激安で売っていたの見付けたので即購入。はじめてフルコーラス聴く。思っていた唄声よりも、ずっと骨太な声だった。ただ、記憶の中を想いを超えるのは難しく、これからこの曲を聴くことはあまりないかもしれない。記憶の中では時間が経つに連れ、自分の都合のいいように音や映像が作りかえられてゆく。
 しかし、何で24、5?適齢期??何にしろ僕はもうとっくに過ぎちゃったわのよ…。

「髪、伸びたねぇ」

「そんなこともっとカッコイイ男子に言われればときめいたかもしれないけど、あんたなんかに言われてもドキッとなんかしないわよ!」
と君は強がりを言った。あれは何年前だっけな…。


2003年03月23日(日) 人生ゲーム

 ふりだしへもどる。何度もルーレットを回したんだけどね…。しかし、まだまだ続く。最近のだと裏面もあるらしい。


2003年03月22日(土) どうやら僕も思春期のようです

 武富智の『武富智短編集 A SCENE、B SCENE』を読む。98年から今年に掛けて、ヤングジャンプなどに読み切りで掲載されたのをまとめた物。たまたま読んだ号に載っていて、それが余りにも良かったから切り取って持っていたくらい。それが今から3年前。3年越しの恋がやっとかなったような気分だ。どれも胸が「はきゅん!」となるような話で、読み終わった後に温かく切ない気持ちになる。特に10代の思春期の話が多い。ただ、僕が同じような経験をしたことはない。今になってもこのような話が好きなのは、何処かまだ学校に未練があるのかもしれない。
 しかし、どれもハッピーエンドに近い終わり方なので、一気に読むとお腹いっぱいになってしまう。なので1週間に1話くらい読むのがお薦め。お気に入りは50年続いた大衆食堂の店仕舞いの日に入って来た食い逃げ男の話。

 学校と言えば、春高バレーに母校が出場していた。その高校には未練も想いも何もないが、ちょっぴり嬉しい。

購入マンガ
■武富智『武富智短編集 A SCENE、B SCENE』(集英社)

 今、午前3時。大規模な空爆が始まった。雷みたいな爆撃の音、空襲警報のサイレンの音、本当に厭だな。実際に聞いたイラクの子供達は死ぬまでこの音に怯えなければならないのだろう。そう思った瞬間、CMに入るとその場には居ないことを思い知らされる。しかし、これはフィクションではない。


2003年03月21日(金) 夜明前〜林矢子@初台DOORS〜

 「南へ行こう雪を知らない国へ 夢の醒め際そっと潜り抜けて」

 林矢子@初台DOORS。1曲目『楽園ワルツ』。上記の詞で始まるこの唄は、僕が一番最初に聴いた彼女の唄。そして僕が参ってしまった唄でもある。メンバー募集で多くの人の音源を聴いたり、スタジオに入って来たけどここまで嫉妬させられた唄い手は居なかった。それよりもすうっと胸に染み込んできて、嫉妬よりももっと圧倒的なものを感じた。それから6年経った今でもこの唄は色あせるどころか、今も尚僕を激しく揺さぶる。
 他にも夕べは『青のかたみ』『ねがい』『星座』と聴いている者のたましいに問い掛けるような唄が続く。音だけで言うとその対極にある『さめぎわ』『海あかり』静かな曲はやさしく抉るような刃を持つものだった。
 久々に聴いた『月読唄(つくよみうた)』も聴きながら、此処が何処かを忘れさせてくれた。最後の『感覚の夜』が終わると、僕はひとたまりもなくなっていた。そして彼女に最近で1番良かったことを告げた。

 実はスタッフとして働いていたから曲順も何も知っていたはずなのに、ライブでは聴き惚れてしまった。リハーサルの時も最初はギターの音色がどうだとか、唄の響きがどうだとか気にしていたのだけど、それが終わってしまうと、ただ椅子に座りながら観客として聴き入ってしまい、役立たずさにはっと我に返る。

 ここ1年で音楽の世界も生き急ぐように「今までのようではいけない」と急激に変わり始めている。しかし、それとはまったく別の次元の所で林矢子の唄は紡がれていると思う。彼女は産まれる前から唄うことを望んでいたし、これからも生きる為に唄い続ける。それを知らせる為の夜明け前のようなライブだった。


 今日は1日中テレビを観ていた。頭の後ろを鈍器で殴られ続けているような感覚。湾岸戦争の時とは明らかに違う漂う空気の重さ。ブッシュ、小泉、フセインの言葉に頷けるようなものは何ひとつ見当たらない。それでも声を挙げなければ、黙っているのと同じなのだ。


2003年03月18日(火) ふきでもの

 鼻の頭ににきびが出来ました。中学生くらいなら「わぁい、やったあ両想い!」と喜べるのだけど、二十歳過ぎたらふきでもの…。治さなきゃね。ところでおでこが想い、顎が想われ、フリフラレは右左どっちだっけ?聞く人によって様々なのです。

 『僕の生きる道』(フジ22時〜最終回)毎週何となく観ていたのだけど、どんどん切なくなるどころか尻窄み。前半のあの殺伐とした雰囲気は何処へいったのやら…。死を覚悟した本人はいいとしても、周り全部がいい人過ぎて面白みに掛けた。しかし、あの倖せとは縁がなさそうな草剪剛はハマリ役。このドラマの為に5キロも痩せたそうだ。僕もお声が掛かれば5キロくらい…ね。


2003年03月17日(月) 俺のヘッドの中のあんたっていったい誰なんだっけ?

 夕べはろぷろぷ@渋谷アピア。もともと彼女とは1年半くらい前にメンバー募集で知り合って、1回スタジオに入った。結果は一緒にやるより、お互いがお互いの曲をやる方が良いと思った。それだけ唄を歌う2人が混ざり合うのは難しいこと。僕が唄うギタリストではなく、ギタリストを探し始めたのもこの頃からかもしれない。
 ほぼ時間通りにアコースティックギターを持ってTシャツ1枚で登場。少しずつ爪弾きながらインストではじまり、そのまま1曲弾き通す。次に彼女の代表曲とも言えるようなアップテンポな唄。これでもかと言うくらい韻を踏んだ詞の印象が残る。全体を通して言えたのだが、エレキな弾き方だとカッティングが弱いのか、ギターの音量が小さい。もっとアコギ特有の弾き方があるはず。もちろんPAのバランスもあるのだけど。
 以前デモで聴かせてもらった「ステッペンウルフ」をドイツ語に直したタイトルの唄(ごめん忘れてしもうた…)。これも1度聴いたらすぐに口ずさめるような、印象に残るメロディーの曲。要所要所、ギターでも聴かせる。あまりこのように弾きまくるタイプの女性のギタリストも珍しい。田淵ひさ子(元ナンバーガール)なんかよりも、もっとブルージー。唄に関してはせっかくファルセットで綺麗に出ているのに、他の所でがなるのは勿体無いと思った。
 メンバーは未だ見付かってないらしいのだけど、4月にはバンド形式でライブをやると言う。こっちの方が彼女としても本領発揮となりそうだ。また、足を運んでみたい。

 しばしの休憩を挟み、ギターを抱えてステージに1人の中年の男性が上がる。名前も忘れてしまったが、あのギョロっとした眼差しは忘れられない。3曲ばかり歌ったところでそそくさと帰ってしまった。唄の内容もはっきりと覚えていないのだけど、すごく気になっている。

 最後にTOUCH ME。遠藤ミチロウと中村達也(元ブランキー)のユニット。中村が登場した時、一瞬吉田達也(シカラムータ)の間違いか!?と思うような地味な出で立ちだったのだけど、曲が進むに連れ、着ていた上着も脱ぎ眼鏡も外し、あの腕一面のタトゥーがお目見えする。初めて生で聴いたけれど、凄まじいドラミングだった。聴くものを近寄らせないような破壊力なのに、圧倒されて見入ってしまう。でも、この遠藤ミチロウはどうしても僕は好きになれない。嫌いになれるほどの想いもありません。中村のドラム以外は何も感じ取ることが出来なかった。

 アピアに行くのはおそらく2年ぶりだったけど、以前のステージがくつろぎの場所兼楽屋になっていたのに驚いた!ステージは隣の部屋に移動。しかし、あのお客をバカにしたような量のドリンクは何なんでしょう。ジンライムを頼んだんだけど、ジンが強すぎるし…。ドリンクを蔑ろにしているライブハウスは好きにはなれない。もちろん店員の態度も。観る方も演る方も気持ち良くやりたいものです。

 今宵はリハ。こまっちゃん(ヘルプドラム)と2回目なのだけど、リズムがしっかりしていてとてもやりやすい。自分がいかにずれているのが分かる。新曲もはじめて合わせたけど、特に注文つけることなくOK。帰りの電車でずっとこの曲だけリピートで聴いていた。
…と、言うわけでここの上にも載ってますが、次のライブは4月9日(水)初台TheDOORSす。詳しくはまぼぢゃHPでご覧下さい。


2003年03月15日(土) 時間

 「時間、それは全ての人間に同じように流れているわけではないと思うよ」

 今は午前2時20分。新日本プロレスを観終わりました。中西学(挑戦者)vs永田裕志(チャンピオン)のIWGPヘビー級防衛戦。う〜ん、いまいちでした。結局、60分戦って引き分けで永田の9度目のベルト防衛。これは橋本伸也と並ぶ記録なんだけど、どうもいまいち貫禄がない。永田はパフォーマンスとして、技を掛ける時や勝った時に敬礼をするのだけれど盛り上がりに欠ける。猪木にも「永田のあのパフォーマンスは何だ、意味があるのか?」とまで言われていた。実際聞いたら特に意味はないそうだ。こんなんがトップにいるから、どんどん選手が離脱して行くのだろう。
 それとは反対にノアの小橋建太(挑戦者)vs三沢光晴(チャンピオン)GHCヘビー級王座戦。こいつは凄まじかった。「あ、あ、そんなことしちゃあ、死んじゃうって、おいっ!」な技を両者連発。33分28秒に渡る激闘の末、小橋のラリアット&新型のバーニングハンマーで三沢をマットに深く沈めた。
 リングサイド席にには内館牧子が居た。もともと彼女は格闘技好きで小橋のあの丸太ん棒のような太い腕の大ファン。以前、彼と話している時の彼女はまるでおぼこの少女のようだった。

 格闘技は好きだけど、プロレスは嫌い、観てられないという人は結構多い。そんな人はきっと後者のような試合を観ていないからだと思う。運悪く前者のような試合を観てしまって「なぁんだ、そんなもんか」と思い、それ以後観ていない、と。数秒で華麗に決まる相撲や、K-1、PRIDEももちろん好きだけど、プロレスは自分の中ではちょっと印象の残り方が別だったりする特別なもの。時間ではない何かがそこには蠢いている。

 時間といえばゆら帝の『しびれ』に入っている「時間」が最近お気に入り。冒頭のが曲中の台詞。
 今日は2、3分が無限に引き伸ばされたような気分。なんて、いつも支離滅裂で何言ってるか分からなくてごめんなさい。

 明日はろぷろぷ@渋谷アピア。アピア行くの、何年振りだろ…。


2003年03月14日(金) 待ち人

 ある人は生きてゆく中で一番大切なものはタイミングだと言い、ある人はバランスだと言った。僕はそれに答えられなかった。それを未だに探している。答えが出たなら眠れるだろうか。笑い合えるだろうか。その答えさも分からないまま。

 大切な人が死ぬかもしれないって時に何にも出来ないなんて、こんなに無力なことはない。ましてやそれが病気や天災でない場合、無力さは増す。力とは引き合うものだけでなく、何もせず待つことだと誰か言い切ってくれ。


 リンク、2件追加しました。


2003年03月13日(木) 恋なんかわかんない娘

 春だからでしょうか。ねじを何処かに忘れた方が増えてきました。

 お使いで外を歩いていたら、車の中から人に急に呼び止められて「すいません!道を尋ねるんじゃないんだけど…」と40代後半の男。「これ、うちで売ってた物なんだけど、売れ残っちゃたのね。会社に持って帰ると上司に怒られちゃうから、君にもらって欲しいんだけど」と、ロレックスの偽物を見せてきた。怪しい…。要らなきゃ捨てれば良いし、明らかにその先には何かが手薬煉引いて待っているようにしか思えなかったので丁重に断る。すると「んだぁ!?ふざけんなバカヤロ〜!」…と言ってその車は去って行った。
 道往く人に全部に声を掛けていたようじゃないし、何故僕が選ばれたのだろうと思う。あまり話しかけられるような風貌じゃないし(でも、道はよく聞かれる)、僕じゃなくても他の人が居るだろうに…。

 でも、恋なんてそんなものだと思う。何も自分じゃなくとも容姿のいい人は他にも居るだろうし、何故自分が選ばれたのだろう、と。その他大勢から無作為に選ばれたものではないし、橋のない川を隔てても出遭ってしまう。だって、たましいを揺さぶられちゃったんだもの。そこに橋が架けられるかどうかはそのあとの問題。
 あなた、まぼろし?そうぢゃないでしょう。



2003年03月12日(水) みちづれ

 まぼぢゃHPにも書きましたが、ドラムの長崎”ポンチ”勉が脱退しました。原因は色々ありますが、もう彼と音楽やバンドを一緒にやったりすることはないでしょう。彼との付き合いはもう10年近くになりますが、今まで誤魔化して来たものが今回あることを切欠に突出したまでです。今まで薄々分かってはいたんだけどね。ただ、それを曖昧にして来た僕が全て悪いのだと思います。彼は僕を「甘い」と思っただろうし、僕は彼を「思いやりがない」と思いました。その食い違いは最後まで分かり合うことがなかったです。
 僕は彼のドラムが好きだったし、彼も僕の唄が好きでした。それでも後ろ向きな答えを出した訳じゃないので、全然滅入ってはいません。むしろ、これからの方が色々と何か出来るんじゃないかと僕は思ってます(きっと将司くんも…)。当面は2人での活動かなぁと思っていた矢先、将司くんの知り合いのこまっちゃんと言うヘルプのドラマーが見付かりまして、月曜にはじめて音を合わせました。まぼぢゃを入れると4つもバンド掛け持ちしているので、忙しい身ですが何とかこれからも手伝ってもらえそうです。実際、ここ10年一緒にバンドをやったドラマーはポンチだけだったので、この間のスタジオでは居るはずの者が居ない違和感があったのも確かです。しかし、まぼぢゃはもう次の道を歩み始めました。
 そしてみちづれを探しています。一緒に心中できるドラマーを!「我こそは是非!」または「知り合いにこんな人がいる」などありましたら僕までお知らせ下さい。宜しくお願いします。
 トップのポンチ絵(マンガぢゃないよ)も変えないとなぁ…。

 別れといえば…前田耕陽と中村由真が離婚。別にどっちとも好きじゃあないんだけど、小学生の時に買ったファミコン雑誌に中村由真が載っていて、デートのアドバイスをしてました。「彼女を家に招いた時はさりげなくトイレの場所を教えてあげること」「彼女を連れて歩く時は道路側に男の子が立つこと」などが書いてあり、僕はそれを今でも覚えていて結構けなげ?に守ったりしています。
 それでも「私の右に出るものは居ないのよ!」と道路側を歩かせない困ったちゃんも時たまいるのです…。


2003年03月09日(日) 燃ゆるような春〜林矢子春猫ライブ@南青山BAsalon〜

 木曜日。夜、冷たい雨の中林矢子春猫ライブ@南青山BAsalon。ドアを開ける前から店内の明るい照明と温かい空気が伝わってくる。座り心地がよく、思わず眠ってしまいそうなソファーに腰かける。

 まず『栞』を歌い始めると、彼女の唄がこの場所の雰囲気が合うのが分かる。いつもは最後の方にやっていたこの唄を1曲目に持ってきたのも正解。ただ、ギターはもう少し粒を揃えた方がいいと思った。『花のゆれ』『雨の色は』などCD収録曲は、聴き比べて明らかに今の歌の方が艶がある。CDの歌が決して悪いわけではないが、それくらい格段によくなっている。『たゆたい』はMCでも言っていたが、元々この唄は交換し合うということで、僕が貰ったが(まだあげてない…)バンドでは歌っていない。色々なアレンジを考えてはみるものの、彼女の唄を聴いていると、このギター1本をバックに歌う以外考えられなくなる。バンドがもっと固まったら、まぼぢゃでも歌いたい。ゲストで呼ぶのもいいなぁ。
 『夏離れだより』。冬に聴く夏の唄もまた格別なもので、色んな夏を思い起こさせる。何処かでヒグラシが鳴くような長閑さではなく、もっと張り詰めた冷たい夏。『海あかり』。アカペラの歌い出しと、ギターのハーモニクスにはっとさせられた。『ねがい』では、うしろでパーカッションの音が鳴り続けている。聴こえない音が聴こえて来るのもライブの醍醐味。それが唄とギターだけで出来るのは不思議。
 新曲『感覚の夜』。当日までやるかどうか迷っていたそうだが、聴けてよかった。最初ちょっととちってたけど。彼女の中で今までにない詞の形。高音と低音の落差が出す心地よさと言うのだろうか、サビのメロディーがしばらく頭から離れない。ライブの何処の位置においても映える唄だと思う。最後に『釦』で終了。春にはまだ程遠いような気温の中で、燃ゆるような春を観た。

 全体的に思ったのが、殆ど出ていないようなマイクはどかして生唄で聴きたかった。そうすればもっと声の伸びが良くなったはず。決して悪くなかったのだけど、そこは勿体無いと思った。初めてやる場所はそこも考えなければいけない、と自分のライブでも言われたし、深く感じた。3月19日(水)にもうひとつライブが決定しました。お馴染み初台DOORSです。もちろん僕も足を運びます。


 金曜日。前大信@大久保水族館。ドアを開けるともう前君が歌っていたので遅れたと思ったが、ゲストとして1曲歌っているだけだった。空いている席を確認して、歌い終わってから移動しようと思っていると、店の人に急かされるように席を案内された。席に着き、カシスソーダを飲むとかなりの薄味。多分、この店にはもう来ない。前君が歌い終わった後、2曲ほどその人の唄を聴いたが何も感じられなかった。後ろにある水槽の亀をずっと見ていた方が面白かった。
 しばしの休憩を挟み、前君登場。アカペラで『アメージンググレイス』を熱唱。続いてビリー・ジョエルの『素顔のままで』。編成はドラムにキーボードのみ。ただ、歌っているようなキーボードが全てをそれを感じさせない。彼はJUDOと言う3ピースロックバンドで唄とピアノをやっているらしい。ドラムのえばやんも派手さはないが、叩いている顔がなんとも言えない表情で良い。笑ってはいけないのだけど…。
 今回はオリジナルはなく、全部カヴァーなのだけど、歌っている本人が何より楽しそうだ。普段はまずこんな顔見た事ない。MCをすると頼りなさげないつもの前君なのだが、歌い出すと別人のよう。最後にビートルズの『オーダーリン』。ゲストで最初の出演者も出たのだけど、前君との差がありすぎて惹き立て約になってしまったいた。
 アンコールにやる曲がなくて、もう1回『オーダーリン』。盛り上がって観客も参加する。2回続けてこの唄を歌えるなんて、大した喉だ。それだけこの曲は難しい。多少、内輪ウケようなものはあったが、それとは別に前君の勇姿を観れただけでも満足。次はあるのかな。


 今日。朝、アキレス腱をドアに挟んで流血。2分くらい痛がる。いいともにSKETCH SHOW(細野晴臣、高橋幸宏)が出ていてびっくり。はっぴいえんど繋がりはまさかと思ったけど、やはりなく次はテイ・トウワでした。
 昼、塩ラーメンを食べてから、部屋の掃除。久々にすると楽しい。毎日は出来ねぇな…。夕方、YAから保険の再勧誘。従兄弟のRちんからも電話。わざわざ頼ってくれるなんて有難い。あとはひたすらパソコンに向かってまぼぢゃのページを試行錯誤。先日のJAMのライブレポを載せましたのでご覧下さい。怒りはひとつは解決。


2003年03月08日(土) 1人の怒れる男

 今日は人生最大に怒ってます。怒ってますなんて冷静に書いている自体余り怒ってないのかもしれないけど、本当に怒りに満ち溢れてます。先ほどまで震えが止まりませんでした。今日は普通に眠れそうにありません。すでに4時半。でも、カルシウム不足ではないです。牛乳かなり飲んでます(そう言う問題じゃないってね…)。

 昨日観た林矢子のライブ、今日観た前大信のライブも本当に素晴らしかったのだけど、今は感想を書ける気分じゃないんです。近頃色々あり過ぎるぜ…小田英嗣。


2003年03月05日(水) もしもピアノが弾けたなら

 朝、猫の鳴き声で目が覚める。呼んだ?そして明日は春猫ライブ@南青山BAsalon。迷わず行きたい…。

 今まで見ても見ぬ振りしていたものが、今日いっぺんに溢れ出た。結局、遅かれ早かれこうなったのだ。それでも僕らはとどまることを知らず進むだけです。僕がもしもピアノが弾けたなら、もう少し早くこうなっていたのだろうか…。
 『もしもピアノが弾けたなら』と言えば西田敏行、大丈夫だろうか。どうしても赤の他人のようには思えない体型。ごくたまに似ていると言われる。逢ったら、ドッペルゲンガー!…なんてな。

 『赤毛のアン』最終回。通してちゃんと観たのは、この歳になって初めて(っつうか原作読め!原作!)。最初はアンのあまりにも息継ぎを知らないおしゃべりと妄想癖に辟易していたのだけど、観ているうちにどんどんアンが身近なものになり、どんどん感情移入。それが最高潮に達する頃に急にアンは大人になってしまって、妄想をやめてしまった…。それからは余りのめり込めなくなってしまった。それでもマシューが亡くなる前日、アンと過ごした夕暮れは印象深い。
 僕にもアンとダイアナ、またはアンとギルバートのような人が居る。まぁ、僕ぁダイアナほど可愛くも、ギルバートほど頭も良くないのだけれど…。

 「好きだったんでしょ?セイラさん」とフラウ・ボウに言われて返事に困るのはアムロだけじゃないはず。もちろん僕もそうでした。何のこっちゃと言えば、声優の井上瑤さんが亡くなりました。『機動戦士ガンダム』のセイラ・マス、『うる星やつら』のランなどをやってました。ご冥福をお祈りいたします。

 帰りに偶然、わい子さんと出逢う。これで逢うのは3回目なのだけど、色々話を聞いているのでそんな気がしない。そして意外な所で逢うと、どうしてもしどろもどろになって何を喋っているのが自分でも分からなくなる。そんなことありませんか?

購入CD
■イースタンユース『其処カラ何ガ見エルカ』
■斎藤和義『喜びの唄』


2003年03月04日(火)

 林矢子が昨日のライブの感想を唄箱日記に書いてくれました。かなりの酷評ですが、的確だと思います。僕の中でも誤魔化していた部分がもろに出てしまったのが本音です。あとは精進するのみ。

 今日の永六輔のNHK人間講座『人はなぜ歌うか』は素晴らしかった!これまでは「日本の歌がこれまでどのようにして歌われてきたか」が中心だったのだけど、今日は2人の歌い手のエピソード。
 まず淡谷のり子。彼女は10代の頃、生活の為にヌードモデルをやっていたが、あまりの恥ずかしさに気を失ってしまったこともある。
 そして沖縄のある街での話。もともと永が沖縄に住む淡谷のり子好きのお婆さんから、託を頼まれただけのものだったのだけど、それを聞いて淡谷自身がその人に逢いに行き歌うと言って聞かなかったそうだ。その街には歌う場所もないので、浜辺でピアノをバック歌う。しかもそれは台風が近づく嵐の中だった。「ツケまつげが飛んだら絶対拾ってね、高いんだから!!」と永は司会&まつげ拾い係りを担当。お婆さんのまるで仏に祈るかのように手を合わせる姿を見ながら歌い上げたそうだ。そこで淡谷の目に光るものがあったのを永は見逃さなかった。歌い終わった後に「泣いてたでしょ」と聞いたのだが、断固として「泣いてない」と淡谷。何度も何度も問い詰める中で、歌いながら2度だけ泣いたことがあると話し出した。1度目は戦禍の中、今まさにこれから出発する学徒兵を見送った時。強要された唄は歌わず、あくまでも自分の唄を歌う。派手な格好は許されない中、ツケまつげと真っ赤な口紅も外さなかった。その為、憲兵隊に殺されかけたこともあるそうだ。2度目は今回だと、最後は泣いたのを認めた。
 元々淡谷は、他の歌い手が大勢の前で歌うのとは反対に、渋谷のジャンジャンという100人くらいしか入れない所で歌うのを好んだ。それ以上に誰か1人だけの為に歌えるって本当に素敵だ。歌うことの原点は何かひとつの為だけに歌い出すのだと思う。

 もう1人は三波春夫。亡くなる少し前に老人ホームの慰問をやっていた時の事。そこには何時もどこに居ても1人で歌っているお婆さんがいる事を予め三波は聞いていた。実際、三波がその場へ行くと歌い出す前にそのお婆さんは1人で歌い出していた。通常なら邪魔だと止めてもらうか、歌い終わるのを待つのだろうけど、三波はそのお婆さんの隣に座り一緒に歌い始めた。それに加わるかのように普段は歌っていなかった周りの人たちも、一緒になって歌い出した。その場を観てはいないものの、話を聞いているだけで泣きそうになった。

 「唄は歌い手だけが特異で歌うものではなく、それぞれの心の中に紛れもなく持っているもの」と永自身も言っていたし、それを深く感じた。「芸人は常に謙虚でなければならない」と言う言葉を最近教えてもらった。昨日のライブのビデオを観たが、何処か僕は偉そうだ。そんなつもりはないのだけれど、無意識に傲りがあるのかもしれない。

 ※明日、火曜日午後3:30〜4:00再放送です。観れる方は是非!見逃した方は再々放送の3/29を待ちましょう。永の人間講座自体は月曜の午後11:00〜11:30で、今月一杯やってます。


2003年03月02日(日) 空は青くなんかない

 昨日の雨がまるで嘘のように晴れた日曜日。まぼぢゃ初ライブ『空は青くなんかない』(玉貴さんのお言葉から勝手に頂戴)何とか終わりました。20分と言う持ち時間が早かったのも確かなのだけど、その中でももっと間を大切にしないと駄目だと深く実感。しかし、本当に課題が山ほど出来たライブでした。あとはそれをひとつひとつ解決していくのみ。
 ご来場頂いた皆さん、本当にありがとうね。感想など、まぼぢゃHPに書いていただけると小躍りします。撮影の渋谷くん、チケット販売の中津川弦ちゃんにもありがとう。



2003年03月01日(土) 初ライブ

 いよいよ明日、まぼぢゃの初ライブ。いい感じで気持ちが高まってきてます。励ましやのメールや電話をくれた人、ありがとう。もちろん、行けなくてくれた人も。
 まぼぢゃHPもオープンしました。http://www3.to/mabodyaです。どうぞ、遊びに来てくださいね。明日、逢えるのを楽しみにしてます。


臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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