ぐっどないとみゅうじっく
もくじきのうつぎの日社会の窓

林矢子ニューアルバム『唄箱』発売中!特集ページはこちら


2003年01月30日(木) マジでダメになる5秒前

強力毛生え薬


使用前



使用後


 誰も気付かない。お髭剃ったのにぃ…。髭が生えてようがなかろうが、僕のむさ苦しさは変わらないのだろう。それはそうと、秋元康や長野県知事(PG)みたいなアゴナシにならないように気を付けます。
 「気付かない細道へ向かえとか言って、一番気付いてないのはおめぇじゃねぇか!」って昨日、冗談交じりで話していたけど、当たってます。だから自分へ向けて歌うのだし、命令形だけどとても他人への説教でもなんでもないのです。


 ああ、本当にどうにかなってしまいそう。それでも平気そうな顔をして、生活してる自分ってなんじゃらほい?


2003年01月29日(水) 夢のようなひととき

 昼からリハ。ライブの候補曲を絞ったはずだったが、変更に次ぐ変更。伸ばしたり、縮めたり、曲自体を変えたりして。結局、終わって家に帰ってから、各々聴いてみて決定。自分らが選んだ1番いい形で、聴いてもらうのがやはり1番いい。そして、ようやくバンドと呼べるような実感がしてきた。歌い込むことももちろんだけど、身体を鍛えたらもうちょっとは良くなるんではないかと思い、家に帰ってから久々に腹筋をしてみるものの、見事に続かない。これでも中学生の頃は部活で30回3セットとかやってたんだんけどなぁ…。それももう15年前の出来事。


 相手も自分と同じことを思っているだろうと想定して、確かめもせずに行動してしまうのは甚だ勘違いも良い所。常識がないと思われても仕様がない。そんな行動を取ってしまった。折角それまで夢のようなひとときを過ごしていたのに、台無しにしてしまった。本当にごめんなさい。


2003年01月27日(月) 手紙

 全く知らないサイトからひそかにリンクされていて驚いた。しかも、まだ全部は観ていないけど、とてもすてきな作りだったのでなおさら嬉しい。コンタクトを取って、次の更新にはこちらからもリンクしたいな。

 それにしても今日は胸を締め付けられることが多かった。久方ぶりの手紙、相変わらずの字、それが好きだ。ただ、自分がどうすることも出来ず、待つだけなのは変わらない。相手を取り巻くすべてを傷付けることだけだったら、今までだって出来たはず。それをしなかったのは何故なのか。あすの夜まで考えてみることにした。


 Yへ。おめでとう。すべてのことが上手くいきますよう別の街から祈りを込めて。


2003年01月26日(日) 髪伸びたねぇ

 今日は高校の時の友達、Kの結婚式。式も披露宴もとても和やかなムードで微笑ましかった。ぎこちない指輪交換や友人のスピーチ、新婦から両親への挨拶は、何回見てもいいものだ。
 出席したクラスメイトも殆ど逢うのが卒業以来。何だか妙な感じ。国際結婚した人、子育てに勤しんでる人、35年ローンでマンションを買った人、それぞれの生活がある。中には10年ぶりに逢って「髪伸びたねぇ」って言ってくれた人もいたけど、冗談だったのか本気だったのか聞けず終い。タモリじゃないんだから…。駅まで話し「またね」とは言わずに別れた。
 Kとは落ちつたら、連絡を取ろう。今日は本当におめでとう!末永くお倖せに。


僕はKがのりピー語の書かれた下敷きを持っていたことを一生忘れません。


2003年01月25日(土) もっと光を

 夜からクラムボン@渋谷AX。いやぁ、めちゃめちゃ良かったです。感想は後でちゃんと書きます。今年は友部さん、シカラムータ、そしてこのクラムボンと言いサポートメンバーが素晴らしすぎる。出過ぎず、引っ込み過ぎずの演奏に魅了される。僕もサポートでやる時は、それを目指したいな。しかし、何と言っても『まぼぢゃ』をしっかりさせなければ。

 そんなことを思っていたら、ポンチ(まぼぢゃドラム)から電話。曲のアレンジやバンドのことで小1時間ほど話す。それに加え、僕の日記が暗いという。まぁ、最近は以前に増して自分でもそう思うけど、しょうがないじゃないの。これが隠しようもない自分だもの。でもね、今日は色んなことで光が見えかけたよ。もっと光を…はゲーテの死に際してのことば。っちゅうてもゲーテのことは読んだこともないおバカさんです。


2003年01月24日(金) 『千と千尋の神隠し』を観て

 「わたしが欲しいものは、あなたには絶対出せない」

 これが今日の『千と千尋の神隠し』で唯一印象に残った言葉。カオナシが千尋の欲しがるものを何でも出そうとした時の千尋の科白。確かにこれで物語りは展開するが、それほど大事な科白ではない。ただ、僕にはこんな言葉が、今はまるで自分に向けられたようによく響く。
 他のことをしながら観ていた所為か、あまりにもハッピーエンドな終わり方がマンネリにしか感じられなかった。観る状態、気持ちによっても違うのだろうが、果たして気持ちが上向きな時でも良いと思えただろうか。
 「かつて僕は正直なところ、白土三平氏描く忍者漫画の残酷さには耐えられなかった」と手塚治虫が『ぼくはマンガ家』の中で語っていた。確かに『カムイ伝』のラストシーンように今まで信じてきたもの、積み重ねてきたものを、自然や災害ではなく人の手で一瞬で消し去るものを、やたらと子供に薦めれば良いものかどうかは疑問に思う。ましてや子供が1番最初に手に取る漫画だったら…。しかし、こういう世界も実際あるのだと知っているのと知らないのでは全然違う。それよりか本当は人の一生なんて、こういう世界だけかもしれない。『カムイ伝』はすべての子供に薦められるものではない。それでもすべての人には読んで欲しい。
 僕は逆説的にしか物語を捉えれれず、主旨を理解できてないだけなのだろうか。誰か何とか言ってくれ。

 夏木マリの吹き替えはすごくよかった。でも、画はどうしても黒柳徹子にしか見えなかったな…。双子の黒柳徹子、う〜ん…五月蝿い。しかし、なんであんなにも千尋にお母さんは冷たい態度を取るのだろうか。「自分がああいうような冷たい態度を取っていないか?」…と宮崎駿のメッセージとして捉えるのは考えすぎか。


2003年01月23日(木) 女の娘になりたい

「ねぇ、女の娘が髪を切るわけ知ってる?」
「ううん、知らない」
「私、好きだったんだ。英嗣くんのこと」
「えっ!?」
「でも、さよならだね…」

 こんなあだち充のマンガか、安物ドラマのような妄想をしながら髪を切りました。誰も気付かない程度に。髭も今のところ生えているけど、もうかなり飽きてきた。もう、いっそのこと髭も剃ってイメチェンでもして、女の娘になってしまいたい。別に女の娘が楽だとかそう言うのではなくてね… 。
 妹は小さい頃、毎日外で遊んで必ず痣を作って帰ってくるような子だった。僕はと言えばその正反対で、家の中で遊んでばかりいた。母が「男と女どこかで入れ替わっちゃったみたいね」と揶揄った。化粧も嫌いじゃないし、スカートをはくと強くなれそうな気さえしてくる。行きつく先はおすピー路線か…。男もつらいけど、女のもつらいのよ。友達になれたらいいのに。

 仕事で今まで行っていた他に別の店舗へ行くことになった。面倒くさいけど、こちとら明日なきバイト風情。そんなことも言ってられない。場所も今までだったら手放しで喜べたけど、今はそうもいかない。手放しの喜び。手間なしの漂白。そうそう、洗濯しなきゃな…。

購入CD
■小島麻由美『愛のポルターガイスト』
■つじあやの『雨音』
■椎名林檎『茎』

 僕が聴きたいのはこれらじゃないことだけは分かった。1分22秒。今日はこの時だけに無限の音楽や倖せを感じた。


2003年01月22日(水) 診断結果

さしずめぼくはペーターで
きみのおやつを狙ってる
あんなに笑い合ったって
夜にはおじいさんの胸へ帰ってゆく

 『アルプスの少女ハイジ』を観ながらこんな詩が浮かぶ。果たしてペーターがこんなことを思っているかどうかなんて知らないけど。詩はいくらでも出てくるのに、今まで作っていた曲と繋がらない。天才はスランプ知らず。凡才は…。

 今日のリハでは将司くんが力強いカッティングの為、指を切るハプニングも合ったものの濃い内容だったと思う。ただ、どれだけ入っても時間が足らないような気がする。新しい試みをしたが、機械との相性でいまいち。でも、欲しいものが出来た。最近物欲もなかったから、それはいいことなのだろう。

 一昨日のテニスの夢、診断結果が出ました。テニス=自立、サーブが決まらない=しばらく思うようにはならない、だそうです(M゙ちゃん情報ありがと!)。自立したいんだけど、上手くいかないのか…。ひとり暮ししているけど、自立しているとは言いがたいもんなぁ。何にしても、僕は頼りないのです。


2003年01月20日(月) 言語のない会話〜JOHN ZORN'S COBRA『シカラムータ部隊』@渋谷La.mama〜

 テニスのサーブがなかなか決まらない夢を見る。テニスなんて高校生の時、町内会のサークルでおばちゃんに混ざりながらちょこっと齧っただけなのに。誰か夢判断して頂戴。

 夕べはJOHN ZORN'S COBRA東京作戦『シカラムータ部隊』@渋谷La.mama。今回のは通常の演奏ではなく「COBRA」という1984年にジョン・ゾーンが作曲したゲームの理論を応用した即興演奏の形をとる。プロンプターと呼ばれる指揮者的人物が出す19枚のカードのサインによって演奏が行われる。演奏者からもプロンプターに注文が出来、それらによって大きく演奏も変わっていく。メンバーは大熊ワタル(cl)、太田惠資(vl)、桜井芳樹(g)、さがゆき(vo)、関島岳郎(tuba)、坂本弘道(vc)、海野知子(trumpet)、渡辺明子(trombone)、沢田穣治(b)、川口義之(sax)、吉田達也(ds)。プロンプターは巻上公一(ヒカシュー)
 
 11人のメンバーがステージに揃ったところで、代わる代わる音を出して行く。客席側からはサインを出すカードはわからない。正確に言うと、見えても数字やアルファベットが書いてあったりするだけで何も分からないのだ。例えばAひとりが演奏している途中に、他のメンバーが挙手をする。Aがその中で仮にC、F、Hと選ぶ(手が離せないため目線やあごで)と次の小節からはその4人での演奏がはじまる。それが数小節で入れ替わり、その次にはC、F、Hの人たちとB、D、Eが交互に演奏したりする。そのパターンが3種類、4種類にも増えてゆく。それがなんともスリリングなこと!最初はステージ上で何が起こっているか分からないまま1曲終わってしまったが、観ているだけで、次第に何となく分かってくる。唯一ちゃんと分かったことは、緑のバンダナを頭に巻くとその人が主導権を握るということ。自分が弾いてもいいし、選んだ人だけに弾かせる場合もある。自分と同じように真似させることも出来る。
 それにしても、全員の反応のすばやさには度肝を抜かれる。反応の鈍さや遅れはそのまま音に出る。しかし、その間合いすらも手玉に取るように音で遊んでいる。
 メインの楽器の他に飛び道具も多く持参。絶妙な使い方なので、即興でも音が厭なぶつかり方をしない。親の仇のように新聞紙を千切る大熊氏、「シェーッ」を決める太田氏、縦笛を2本吹いたままウクレレを弾くのを指示されて、戸惑う川口氏、吉田氏のドラムをチューバを持ちながら真似する関島氏、ドラムを叩きながら物販DVDの宣伝する吉田氏、などなど普段は絶対お目にかかれないようなものばかり。もちろん何時ものように、電動カッターで火花を散らし鉄鋼所のような焦げ臭いを撒き散らす坂本氏も健在。アンコールでは巻上氏も参加し、プロンプター坂本氏で異様な盛り上がりを見せる、あっという間の2時間だった。

 はじめは外国語のように聴きなれないものだったが、それが母国語となり、共通の会話になった。しかし、それは人が誰もが知っていた原始の音だった。そんな言語のない会話を聴いた夜だった。
 僕のかなりの表現不足はあるものの、これほど説明しきれないライブも他にない。とりあえずは観て!としか言いようがなくなる…。3月16日にも同じ渋谷La.mamaで他の面子で開催されるので興味がある方は是非。


 日々、卑屈になる。人と接するのが億劫になる。このままだと、やさしくされてもやさしく返せない。やさしく出来ても嘘のような気がする。まるで「ガンダムを動かすのは、ぼくが1番上手いんだ」と言い張るアムロのように、ひとりよがりの心は張り裂けそう。


2003年01月19日(日) 掌の砂

 夜からYBと逢う。YBの知り合いが働いている湯島駅の近くの店で呑もうと思ったが、値段も格調も高かったので店の前に来て引き返す。もう少し大人になったら…と言うことで、何度か行ったことのある仲町通りの『夢や』へ。以前、ふたりで地元柏の「訳ありの未亡人の美人女将がいる店」を散々探したこともある(結局、見付けられなかったけど…)。理想の女将ではなかったようだが、初めてのYBも気に入った様子。なんと言っても食べ物が旨い!そして何度行っても飽きない味。よく煮込んだ大根を頬張りながら話す。

 YBがボクシングを離れてもう丸1年が経つ。去年の5月に網膜剥離が発覚してから選手生命を絶たれた。何度目かの手術で、ようやく完治したものの視力が元に戻るわけでもなかった。それでも今の何でもない生活を持て余すように、もう1試合だけ最後にやりたいと言う。このままでは引退できないと。網膜剥離になったボクサーは基本的に試合は出来ないのだが、誤魔化してそのままやっている選手も多い。上位にランキングされない限り、それが発覚することもない。それだけこの世界で知名度を上げることと、生活していくことの難しさが分かる。もちろん、試合をしてパンチをもらえば失明の可能性はかなり大きい。それでも「後悔しないために」と言う。僕なんか後悔しっぱなしだから、その気持ちは痛いほど分かる。そして、そうしてまでも望んだ試合を観てみたい。しかし、心からそう伝えられない僕が居る。だから、いつまで経っても僕は中途半端だから、掌から砂がこぼれ落ちるように何も手に入れられないのだろう。

 散々食べた後、最後に支那そば屋で〆。YBは半チャーハンのセットも付けていた…。う〜ん、やっぱりもう1試合行けそうだ。


2003年01月16日(木) まぁるいたまご

 「話がある」と言って、将司くん(ギター)が職場近くまで車で迎えに来てくれた。スタジオ以外でも将司くんとは何回か逢ってたし、特別めずらしいことじゃなかったけど、今日は何かが違ってた。そのまま車に乗って、僕の家の近くまで送ってもらった。車の中では今までどうやって音楽をやってきたのか、お互い話したりしていた。ファミレスに入り、少しすると将司くんがとても言いづらそうに、恐る恐る切り出した。「バンド名、まぼぢゃにしたいんだけど…」と。それまで僕の心は「バンド辞めるとか言い出すんじゃないかなぁ…」と不安でいっぱいだった。でも、それは僕の杞憂で終わってくれた。
 元々将司くんは「バンド名は短くて、あまり深く意味を持たせない名前がいい」と言ってた。それを僕がまぼろしなんかぢゃないで押し通した。それがずっと気にかかってたみたい。でも、言ってくれてありがとう。またひとつ何かを失うところだった。それで僕もまぼぢゃに同意。昨日、ひとつがまぼろしになったし、丁度いいのかもしれない。そういうわけで『まぼろしなんかぢゃない』、改めまして『まぼぢゃ』で今後行きます。夜露死苦、機械犬(よろしく、メカドック)!
 

 本当に僕は何も持ってない。だから唄うんだとか、そんな時だけ都合よくかっこつけるなんてまっぴらだ。人間の70%は水分で出来ていて、バファリンの半分はやさしさで出来ている。じゃあ、僕はと言えば水分もやさしさもなくて、君だけで出来ていた。だから今、何も持ってないから僕は手紙という名の凶器で君を切り刻んでいる。
 
 まぁるいたまごになれた気がしたよ、ほんのちょっとの間だったけれど。


2003年01月15日(水) 煩悶

 本当ならば今日からこの日記を休もうと思ってた。大袈裟じゃなく、今日人生最大のことがあったから。もう自分の気持ちは上手く綴れそうにもないので止めようと思ってた。でも、そんなことを考えながら帰路の中で、どんどん怒りが込み上げてきている自分が居た。結局、呪うことも殺すことも壊すことも出来なかった自分に。躊躇ってしまった自分に。誰が悪いとか、そんなのもうどうでもいい。だから唄わずにはいられない。

 と、言うわけでこの日記も、もちろんバンド「まぼろしなんかぢゃない」も続いていきます。なんだかいつも以上にまとまりがないけど、哀しみより寂しさより自分への苛立ちであふれています。

※今日から「↓クリックすると内容が変わります」止めました。何か感じるものがあったらお手数ですが、右下の投票ボタンを押してください。


2003年01月14日(火) 花を贈る

花を贈る イギリスの人に
花を贈る オランダの人に

 昔、メンバー募集で知り合った『ラヴカ』と言うバンドの唄。確かこんな詞だったと思う。Mさん、その後どうしているだろう。

 今日は母の誕生日。何をあげるか色々迷ったけれど、デンドロビュームと言うの花を贈る。ただ、以前にも同じのを贈ったような気がしてならなかったが、後で聞いたらやっぱりそうだったみたい…。以前贈った花は今、祖母のところにあるらしいのだけど。それでも、おめでとう!息子は何とか暮らしています。
 花と言えば、2ヶ月に1回くらい『ガーベラの育て方』でこのサイトが検索で引っ掛かる。僕の唄で同名のがあるから。実際、贈ったことはあるけど、育てたことはない。そんなに難しいのかなぁ。花言葉は「永遠の愛」。僕の唄もそんなことを歌っています。
 ちなみに同じく今日が誕生日の人は三島由紀夫、田中眞紀子、ルー大柴、渕正信 (全日本プロレス) 、石田純一 (不倫) 等、なかなか濃ゆいメンツ。母はそんなに濃くないんだけどなぁ。実は知らない一面があるのかもしれない…。

 日曜の友部正人@鎌倉芸術館のことを書こうと思ったけど、ちょっと書けるような気分ではないのです。他人任せだけど、唄箱日記にすごく良く書かれてます。

 昨日の高校サッカー決勝。国見を応援してたけど、市船優勝おめでとう。Jリーグよりも日本戦よりも高校サッカーが好き。高校生とは思えないほどの逸材を観るのもいい。基本だけど、ロングシュートを押さえて打つのは、なかなかむつかしい。試合後の国見のキャプテンの呆然とした顔が印象的だった。




 もう何も要らない。欲しいものはひとつだけ。


2003年01月12日(日) 欠けてく月の向こう側

 午前中からスタジオ。初ライブに向けての内容に徐々に変更していく。ただ曲がどれも長いので、えいじ困っちゃう…。終わってからバンドのHPの原案の絵をポンチ(ドラム)に見せてもらう。4枚ほどあったが、どれもなかなか甲乙付け難い。長い付き合いだけあって、ちゃんと僕のツボを得ている。終わって外へ出ても、まだ空が明るい。冬の寒空は白い肌のように透き通る。

 東海道線に揺られながら遅目の昼食。夕方から鎌倉芸術館で友部正人30周年記念コンサート。今日はお眠なので感想はまたあしたに。
 終わってから「半額」の看板に釣られて入った呑み屋だったが、日替わりで1品のみでした…。でも、量も多く味も濃く僕好み。帰路の途中、ビルとビルの間にちょっと欠けた大きな月発見。そういえば呑み屋でかかってた女性の声での『満月の夕』。あれは誰だったんだろう。


呑み過ぎで吐きそうな林矢子…ではなく、頬張ったコロッケが熱いだけ。


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2003年01月10日(金) 届いていますか?

 久しぶりにアコギで歌う。埃がかぶるくらい弾いてあげてなかった…ごめんよぅ。昔の自分の唄や他人の唄を引っ張り出して来たりで、小1時間ほど歌う。しばらく弾くと左手が弦の匂いがした。バンドで今やっている唄もこうして骨だけにすると、普段は聴こえないものも聴こえて来る。以前は「どこまで増やせるか」に躍起になってたけど、今は「どこまで削ぎ落とせるか」の方が好き。僕の唄はあなたの子宮まで届いていますか?

 『ニュース23』に井上陽水が出ていた。最近はオリジナルをジャズ調にアレンジしている。「最後のニュース」は髪の毛が逆立つような気迫だった。終わりの方にも歌ったらしいのだけど『タモリ倶楽部』を観てたら観逃しちゃったよ…。

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2003年01月09日(木) 自己完結

 このままでは人として駄目になっていくような、とても詰まらなくなるような、それを崖まであと一歩の所で気付かされ、踏み止められた気がする。とかなんとか言っちゃって、谷底からわーわー喚いているだけだったら厭だなぁ…なんてこんな自己完結型のやり取りさえも、もう飽きているはず。さっさとサイコロ振って次に進みます。


2003年01月07日(火) 初志貫徹

 色々迷ってましたが、バンド名はやはり
『まぼろしなんかぢゃない』で行きます。他にも候補がいくつかありましたが、将司くん(ギター)に僕がどうしてもこれで行きたいと、玩具を欲しがる子供のように、地団駄踏んで駄々をこねたのです。決めた切欠は12月に観たフランソワ・オゾン監督の『まぼろし』であったり、今やっていることにすべて対しての返答であり、初志表明でもあるのです。
 そもそもこの名前は林矢子の唄で、その名と唄の内容に強く惹かれたこともひとつの大きな理由です(最近歌ってないね…)。

 何はともあれ初ライブ決定しました!
3/2(日)新宿JAMです。
オーディションライブなので時間はお昼頃で、時間も少々短いものですが、メンバー3人とも意気込んでリハに励んでます。詳細が分かり次第、またお知らせします。
それでは今後とも『まぼろしなんかぢゃない』を宜しくお願いします。

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2003年01月06日(月) I'm Shot!

 昨日はNさんとジョン・レノン・ミュージアムへ。今、住んでいるところから電車で15分くらいないなのに、今まで行ったことがなかった。ジョンを全く知らない人でも生い立ちから凶弾に倒れるまで充分に知ることが出来る。それどころか好きな僕でも、はじめて知ることが多くあるくらいかなり濃い内容。展示物も多くギターをはじめ、衣装、直筆の詞、幼少の頃に自分で作っていた雑誌などもあった。
 最後に期間限定のコーナーで1980年12月8日、ジョンが亡くなった日を朝から時間ごとに追って行く。その日は『ジョン・レノン・コレクション』(現在廃番)のジャケットにもなっているフォトセッションを行いインタビューを受け、夕方からヨーコの曲のミキシングの為家を出る。その際、小太りの眼鏡をかけたファンにサインをしている。そして帰宅時に「ジョン・レノンさんですか?」の問いの後、拳銃で撃たれる。ジョンは「撃たれた!」と叫び、その場に倒れた…。その撃った男とは先ほどジョンがサインをした小太りの眼鏡をかけた青年だった。病院で息を回復することはなく、10時50分死亡が確認される。
 その最期に身に付けていたメガネと衣服が展示されている。メガネには血痕が付いたままで、今観ても痛々しい。衣服は袋に詰められたまま。警察に事件後、やぶからぼうに返却されたそうだ。ヨーコは「ジョンがサインをしている姿はまるで、天国行きの契約書にサインをしているようだった」と後から回想する。そして拳銃社会の危うさと自分がジョンを護れなかったことを悔やんでいた。

 ここをジョン・レノン好きなNさんと観れたことが嬉しい。そして昨日はあまり話さない僕が、しゃべり足りないと思うくらいの時を過ごした。Nさん、是非またとりとめのない話を。


左眼側の血しぶきのあと。

購入漫画
■『バカ姉弟 2 』安達哲(講談社)
■『しあわせ団地 5 』蓮古田二郎(講談社)
僕が唯一連載中で買っている漫画2冊。何故か両方とも巻頭にシール付き!

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2003年01月04日(土) なんだったんだ?4DAYS

 昨日は将司くんに借りたロシアの切り絵アニメーション作家ユーリ・ノルシュテインのビデオを観る。子供の頃、夕間暮れに観たような音のない物語が続く。それに少しだけ音が入り、緊張感も高められる。物語の運びももちろんのこと、ひとつひとつの描写が本当に切り絵とは思えないほどの繊細な絵の連続で、しかも実物よりもリアルに見える。しかし、1979年の作品『話の話』を最後に作品をこの世に出せていない。製作中の『外套』 (ゴーゴリ原作)という作品があるのだが、製作資金が足らず、全三部作の第一部までしか完成となっていない。ソ連崩壊後、国からはこのような芸術には資金の援助がない。後回しにされてしまうそうだ。ああ、なんてもったいない。どうにかしてでも続きを観てみたいと思える作品だった。

 今日は夜からリハ。スタジオ入るまでは風邪でだるかった身体も、歌ってしまえば、どっか吹き飛んじゃったみたい!その位気持ち良く歌えた。唄と演奏の交わり方はダメダメだったんだけどね…。あとはコーラスの練習。基本的に僕の唄はコーラスを考えないから、人に教えるんでも一苦労。
 それにしても歌うだけで治ってしまう僕の風邪、僕の年末年始のお正月休みは本当になんだったんだぁ…。

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2003年01月01日(水) 落陽

 これでもかっ!と言うくらい寝て過ごす。熱は36℃台まで下がったけど(平熱35℃台)まだ、だるい。たまに頭痛。何をするにも力が入らない。かなり充電したはずなのに、何も出来ぬまま放電されてゆくようだ。テレビも観てたけど「デヴィ夫人自転車に挑戦」以外、覚えているものがない。気付いたら陽は落ちて、辺りはもう真っ暗だった。

 録り溜めしてあったビデオの中から吉田拓郎のライブを観る。ここ1、2年くらいのスタジオライブ。歌はいいものの、演奏が体よくまとまっていて面白くない。下手でもいいから、若い人たちとバンドを組めばいいのに。そう、僕たちみたいな…。すくなくとも弾き語りの方がずっといい。
 意外なことに作詞を本人以外が結構手掛けている。安井かずみ、岡本おさみ、松本隆、阿木曜子、田口叔子など。拓郎の身体を借りて、自分の中の拓郎的な部分、あるは拓郎自身も気付かなかったものを吐き出させているのかもしれない。

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臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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