森岡万貴 徒然記 (黒いブログ)
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しもやけが治って、ビブラフォンが弾きやすいことだよ
ありがたや、ありがたや
1.5倍に腫れたムクムクの指だと、 Close Voicing(密集和音)が弾きづらい(隣のバーをヒットしてしまう)ので、
「ムキーーーーーーッ!!」
ってなってたんだよ冬の間。。
ああ、このように、 腫れていない指で弾くのは久しぶり
ありがたや、ありがたや
そして更に、しもやけ+アカギレ てると、 またしても Close Voicing の度に、マレットが傷口に食い込んで、 流血の練習なんだよ冬の間。。
ああ、このように、 しもやけもアカギレも、ほぼ治った指で弾くのは半年ぶり
ありがたや、ありがたや
人体、ばんざい!!
・・・歌詞になるかな?(ならんな)
今日は、中学時代の吹奏楽部の学年同窓会でした。 何十年ぶり!?のたくさんの仲間が日本中から集まって、再会できて本当に嬉しかった&楽しかった♪ そして何よりありがたいことには、顧問の川辺慎作先生が、来てくださったのです。 父が他界したとき、中学一年生だった私にとり、先生は恩師です。 そのとき川辺先生は、ちょうど私のクラス担任の先生、そしてクラブ顧問の先生でした。 父のお葬式が終わって間もない頃、先生は、休憩時間に私をひとり音楽室に呼んで、「大丈夫か?」と話を聞いてくださいました。 先生は覚えておられないかも知れませんが、私は鮮明に覚えています。 どれだけ温かかったか。 二年生になってクラスが変わった後も、変わらず温かく厳しく見守り、いつも気にかけてくださって、心の支えになってくださいました。 そして、これは誰にも話したことはないので、勿論ご存知ないと思いますが、 川辺先生が音楽の授業で聴かせてくださった、バッハのカンタータに衝撃を受けて、たとえようもない音楽の荘厳さ、美しさ、切なさ、、あぁどうしても言葉にはできない、、、音楽それ自体の深淵に開眼し、それから私は、本格的に音楽の道を志すことになったのです。 あの瞬間。 あのレコード(レコードでした!)を聴いた瞬間のことは、忘れられません。 小さい頃からピアノのレッスンは受けていて、バッハの易しい曲も弾いていましたが、ただ楽譜通りに上手に弾く練習から、なかなか次の表現へと進めなかった私。 それは、クラシック音楽と感動が、初めて結びついた瞬間でした。 突然一斗缶が頭上から降ってきたような、稲妻が体を直撃したような、至福のショックとともに、私の内で何かが、何かが目を開いたのです。 こうやって書くと、 なんだか凄まじいことのようですが、なんというか、もっとすごくすごく自然で、強烈なのに穏やかで、全く新しいというよりむしろ懐かしいというか、今まで詰まっていた水路に再び水が流れたような、、、。とにかく静かな涙が出ました。 感動したんです。 それから、先生にそのレコードをお借りして、カセットテープ(カセットテープですよね、その時代!)にダビングして、テープが擦切れるほど聴きました。 ・・・今の中学生に、「(カセット)テープが擦切れるほど聴く」って、意味通じるのかな?(笑) 三年間、レコードをたくさんお借りしました。今でも、そのカセットテープたちは残しています。 コンクールが終わってクラブ引退、そして中学を卒業して高校へ進んでからも、ずっとずっと今まで、気にかけてくださって、励ましてくださった川辺先生。 本当にありがとうございます。 感謝という言葉では、済まないです。 先生、大好きです。 そして、同窓生のみんな、ありがとうございます。 こんな変な活動(いや、音楽活動だ!!)を、えっちらほっちら続けているヤツ(森岡)を、見守ってくれて、ありがとう。 みんな、大好きです。 今日の同窓会。参加できて、本当に幸せでした。 幹事のお二人、本当にありがとう。ご苦労様でした。 いいときもあるし、しんどいときも、そりゃぁあるけれど、 いま、できること。 これからも、わたし。ミュージシャン。たゆまず、おごらず、頑張る。 よし。
自分が出来ていないことを、人に助言する。要求する。
それって、、、
● 思いやり
● 思いあがり
どっちかな。
この世は、鏡の世界。 誰かの言動を不快に思うなら、自分の中にあるその要素を反射して見ているんだって。
高慢な人と、謙虚な人。 どちらと一緒に居たいかな。
他人にしている、そのアドヴァイスを、まず自分が、やろう。
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