森岡万貴 徒然記 (黒いブログ)
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2002年07月31日(水) コロ

コロにあった。
何年ぶりだろう。確か6年、、、

コロは、パーカッショニストのカヤの実家の愛犬で、おじさまおばさまと共に岡山・倉敷から遠路はるばる車に乗って移動し、今年の夏をカヤん家で過ごしているのである。

今日は、万貴ライブのメンバーと次回ライブの打ち合わせ。
場所をカヤの家にさせて頂いたのは、コロに一目会いたかったのもあって。

コロとは、大学生のコロ、いや頃に、カヤ達とパーカッションアンサンブルの岡山ツアーをやった時に、カヤの実家で出会った。
その時もう彼女は既にけっこうなおばあちゃんで、庭先で夏の暑さに茹だっていた。

カヤから「コロも車で来るんよ。」と聞かされたとき、森岡万貴は、岡山からの長旅に、年老いたコロが果たして耐えられるのか、一人で勝手にとてもとても心配していた。

玄関を開けると、コロはそこにいて、静かにしていた。
元気ハツラツ!とはお世辞にも言えないけど、思ったより元気な様子。
白内障で殆ど目は見えていないようだ。耳も弱っているという話。

おじさま、おばさまにお会いするのもとても久しぶり。大学生の時以来です。お元気そうで、すごく嬉しかった。

帰り、玄関先で挨拶していると、眠っていたコロが立ち上がって、ヨロヨロと見送りに来てくれた。
いいのに、、、ありがとうコロ。
出来るだけ沢山の夏を過ごしてほしいけど、年々ひどくなる猛暑は、コロの体力を奪う一方だろう。

もうすぐ岡山に帰っていくコロ。
今日、会えて、ほんとに良かった。


2002年07月30日(火) 脱線誘発剤

明日、家に人が来ることになったので、ササッと片付けよぅと簡易掃除を始めた。のが夜中だったなもう。
ササッと。と思っていてもつい、マジになってしまう森岡万貴。
また、面白そうなモノ達が出てくるんですよね、こういう時って。
いつかの写真とか、忘れていた郵便物とか、期限の切れた招待状とか。

あ、いまのフレーズ、歌詞に使えそう。

なんて考えちゃったりして、脱線しまくりながら各駅停車で片付けていると、、、

やっぱり朝になっちゃった。仕事行かなきゃ!


2002年07月29日(月) 仮眠→過眠

昨夜、大学の同窓会みたいな飲み会だったのね。
みんなそれぞれ、さまざま、いろいろ頑張ってます。
ヨーロッパに留学したり、オーケストラのオーディションを受けたり。
クラシックの学校だったから、私の活動は相当ヘンテコリンなわけで。
ま、道なき道をゆくのもまた一興。苦しいけどね。私はそうします。

で、明日も朝早いし、良い子で10時半ごろ失礼して、さぁ帰ろう♪とハチに乗り込んだ。

・・・う〜む、ちょっと酔っ払ってるかも。鴨。鴨。

覚まさなきゃね。と、ちょっとだけ仮眠することにして、運転席のシートを倒した瞬間。

一瞬で眠り姫に変身。トウッ!
速かった。ほんとに一瞬でしたね。

ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌン

起きたら夜中の2時半。
あちゃー。やっちゃった。

でも、駐車場の桜の木の下でハチに抱かれて眠るのも、なかなか気持ち良かったのでありました。


2002年07月28日(日) 蟻の巣

昨日、墨田区辺りをハチ(我が愛車)で通過していたら、浴衣ギャルが異様に多いな、、、と思っていたんですが、隅田川花火大会だったのですね。

い〜〜なぁ、浴衣。
私に浴衣を着せると、はっきり言ってかなりエロイですよ。
卓球とかやってる場合じゃないです。

ま、それは良いとして。

最近の夕暮れは、色がとっても綺麗です。
水色とピンクで出来ています。

見とれていると、ガードレールに激突しそうになりました。
危ねぇ危ねぇ。

なんとまぁ、まとまりのない今日の文章。
ま、こんな日もありんす。

蟻ん巣。


2002年07月27日(土) 多鯛ま

ニューヨークから帰って程なく山中湖で仕事をしておったので、しばらく更新できず、日記を楽しみにして下さっている方には申し訳なく思っておりました。
昨日、やっと自宅に帰還。
もういいかげんに書かないと、記憶が薄れていっちゃう!
と言う訳で、ランダムになるかも知れませんが、片っ端から埋めていきますので、宜しくお願い致します。

しっかし、暑いでんなぁ。
風なんて、熱波ですね、熱波。

さっき中学生を1時間半レッスンして、既に汗まみれ。
これから高校生のレッスンで移動ですが、こんな汗まみれで行っちゃっていいんでしょうか?
シャワーしたいーーーーっ
う〜〜〜
あ〜〜〜〜〜


とにかく、今日からコツコツ日記を埋めますね。

多鯛魔。


2002年07月26日(金) 曖昧な境界

サングラスを買った。

中国産オオサンショウウオが笑いかけてきた。大サービスであろう。
手の指は4本ずつで、足の指は5本ずつなのだ。


プロポーズをした、、

、、、、、夢を見た。


2002年07月25日(木) 徒然なるN.Y.紀行(晩貝) トンだお土産

ニューヨークは乾燥していた。とてつもなく。
そして森岡万貴は魚類になった。

帰国の朝、スターバックスで朝食を取っている時に、なんかひたすら痛いナと思ったら、両腕を中心にすごいひび割れ!
溝が深く、ウロコみたい。パッカパッカしてる〜!!わー、きゃー!

痛い痛い!
日本にいる時は殆ど使わないので、保湿剤を持ってくるのを忘れた。
そこらじゅうの役者さんにお借りして、なんとかこれ以上皮膚の水分が飛ばないように、色んな薬を手当たり次第に塗って塗って塗りまくる。(これがイカンかったのか!?)

これまた乾燥した飛行機内の14時間を耐えぬき、成田に付いてニッポンの湿気に圧倒されながらも「もうこれで大丈夫。」とホッとしたのでありますが。
これがなかなか良くならず、というか一向に良くならず、っていうか逆に悪化して、痛くて眠れない程になってしまいました。
ボディソープやなんかを全部買い換えて、保湿クリームを塗っていても、、、全然駄目。
肘の内側が一番ひどい。
こ、、これはまさか、アレルギーかなんかだろうか?病院いかなきゃ駄目かなぁ。。。

と、ナーバスになっていたのですが、魚森岡を癒すべくなんとグッドタイミングな!今週頭から仕事の現場が

温泉

のすぐそば。ありがたや〜〜〜
通いました。湯治のおばぁちゃん達に囲まれながら、毎夜毎夜、漬物のように薬湯に漬かっておりました。
ら、治りましたぁ!

流石、温泉パワア!!

ご存知のとおり、森岡万貴は温泉が大好きなのであります。
前世は、温泉のまわりに敷いてある石だったのかも知れません。
私を温泉に誘うと、すごい確立で、ゆきます。

さて。来月は再び渡米、ワシントンD.C.でございます。
今度は魚類に変身しないように、さっそく今から、潤い系のボディケア用品を買い揃えた森岡万貴なのでありました。


2002年07月24日(水) 今日の

夕焼け、超絶きれい。
(;_;)


2002年07月23日(火) 徒然なるN.Y.紀行(番外) 3秒kiss

今夜はパーティー。
キャスト・スタッフ全員、現地コーディネーターのYさん宅に招待していただきました。

ん?ちょっとまてよ、キャスト・スタッフ全員って、、、50人以上いるんじゃないの!?
入りきるんだろうか。。。

余計なお世話だが勝手にそんな心配をしながら、リンカーンセンターから南へ15分ほど皆でゾロゾロ歩く。まさにニューヨークはミッドタウンのド真中。
ドーンとそびえ立つ高級ホテル、かと思ったら、なんとこれがYさんの家だった。

まさにニューヨークのニューヨークによるニューヨークのためのマンション。(?)。みたいな、超ウルトラミラクルスーパーリッチな建物。
エントランスホールにはデパートのインフォメーションカウンターみたいな所にジェントルマンがニコニコ座っていて、エレベーターの場所を教えてくれた。
豪華絢爛な生け花や、見るからに高そうな絵画がいくつもある。
これ、高級ホテルでしょ!?どう見ても!

Yさんの会社、その名も「ゴージャス・エンターテイメント」は、リンカーンセンター・フェスティバルに参加する我々の現地コーディネイトをして下さっていて、Yさんはこの会社で成功しているスーパー敏腕日本人女性。なのだと思う。

最初聞いたときは、すんごい社名だナと慄いていたんだけど、自ら「ゴージャス」を名乗るに堪えうるゴージャス!
40階くらいエレベーターで昇っただろうか、着いたYさん宅のドアの向こうは、、、

これ、ハリウッド映画じゃないの!?マジ!?

言うまでもなく、広い。広さに驚いてちゃイケナイ。特筆すべきはそのベランダだ。
ベランダがぁぁぁぁッ!!
とてつもなく眺めがいい。マンハッタンの夜景を独り占め♪
そして広い。めちゃくちゃ広い。バーベキューなんて、鉄板30枚くらい並べて出来そうだ。
ビックリ仰天してベランダに出て上下を見回すと、このリッチ極まりないマンションの中でも、こんなゴージャスなベランダが付いてるのはここだけ。
一番高い部屋なんじゃないのぉぉぉぉ!?
すごーい、すごーい!!

アメリカンドリーム。

という言葉が、ニューヨークを吹く夜風に乗って飛んできたような気がしました。

さて、出てくる出てくる、ビール、ワイン、フード!
そしてソンドハイム氏、ワイドマン氏、亜門さん、もう誰か分かんないけど偉い人み〜んな大集合!!

とても人の家でやってるとは思えないゲストの数と豪華さでした。

ソンドハイム氏を囲んで写真撮影などが行われている中、ベランダのベストポジションのベンチがあまりにも気持ちよくて、そこから動けなくなった森岡万貴。ひたすら飲む。
それにしてもなんてムーディーなんだ、このシチュエーションは。
「君の瞳に乾杯。」なんて東京の我が家の2階ベランダで言われてもおやじギャグにしか聞こえないけど、今ここで、マンハッタンの夜景をバックに、

「3秒見つめられたら、絶対キスしちゃう。」

口説きたい人にとって、こんなに成功率の高い場所はないでしょう。
男も女も、魔法がかかったみたいに普段より美しく見える。不思議!
このベランダ、魔法の愛の媚薬が撒布してあるんじゃないの?ほんっとにロマンチックでムーディで、、、あ〜〜〜ん。。。

いいじゃん、私だってたまには発情しても!

Jul.11,2002


2002年07月22日(月) 徒然なるN.Y.紀行(番外) メトロポリタン美術館をさまよう鳥肌

セントラルパークを横切って5th Avenueを真っ直ぐ北に。
82nd St. メトロポリタン美術館に一人で行って来ました。
大英博物館、ルーブル、エルミタージュと並ぶ、言わずと知れた世界有数の美術館です。人類の文化的遺産を網羅的に収集した300万点以上のコレクション。
ものの本には、「広大でとても1日で全てを見るのは無理でしょう。」と口を揃えて書いてあります。

何の下調べもなくニューヨークにやってきた森岡万貴でしたが、メトだけはきちんと見ておきたくて、ホテルでガイドブックを参考に、予め順路を考えていました。

セントラルパークの、特にメトの周辺は、ストリートで作品を売る若いアーティストがたくさん軒を連ねていました。
思わず足を止めてしまう、素晴らしい作品がいっぱい!
ここだけでもmuseumみたい。
この中にも、やがて歴史に名を残す巨匠がいるかもしれないって、本当に思いました。

メトの中は、予想していたとおりまるで迷路。
まず目指すのは、エジプト美術、そして発掘された古代デンドゥール神殿がそっくり展示してあるギャラリー。
さっそく迷う迷う!

そして、アメリカ美術、ゴーギャンの特別展示、ヨーロッパ彫刻などを回って2階へ。
最も楽しみにしていたヨーロッパ絵画は、笑っちゃうほど膨大な量で、さまよいまくってやっと見つけた、前述の「トレド風景」。

メトの中は、殆ど全ての美術品が、ガラスケースなんかに入れられることなく壁やら床やらに展示してあって、こっちが心配になるくらい無防備にそこにあるんです。もちろん手を伸ばせば触れられるし舐められる。(舐めるヤツはいないか、)

一番楽しみにしていた「トレド風景」が、思ったとおり凄まじく素晴らしくって、全身鳥肌の森岡万貴。
ジリジリと作品に吸い寄せられて、その場を動けなくなってしまいました。

どれくらい時間が経ったのか、背後に気配を感じて振り返ると、なんと俳優H氏の姿が。この広いメトの中で偶然出会うなんて、ちょっとばかしロマンチックじゃないっすかぁ!と思いつつ、ニッコリ微笑んで挨拶すると、

「絵に貼り付いてるすっごい怪しい女がいると思ったら、万貴ちゃんかぁ!」

す、、、すんません。鳥に変身中なもので、、、

それでも懲りずに絵に吸着していると、今度は
「お、お嬢ちゃん、頼むからもうちょっと離れてね。(英語)」
と監察官のおじちゃんに優しく怒られてしまいました。
気付くと、絵まであと2センチくらいまで寄っていた、危険人物森岡万貴。
そりゃ怒られるわな。

いいかげんにしなさい。と自分で突っ込んで人間に戻り、遅いランチを取ろうと、1階のカフェテリアを目指しました。

で、迷う迷う!!ただでさえ迷ってんのに、途中でピカソやらマティスやらに出会って吸い寄せられるわ、何度さまよってもアフリカ・オセアニアの奇妙なお面ばっかりのブースに出ちゃうわ、カフェまでの道のりは遠く険しかった。。。

天竺を目指す三蔵法師の気分。ガンダーラ。。。

その流れでインド・中国・日本など、アジアの仏教美術のブースへ。ここでも鳥に変身。圧倒的な神秘。
そして世界の楽器のブースを廻っていると、あっと言う間に夕方になりました。

カフェでは、室内楽のコンサートが始まりました。大階段の上からエントランスホールを見下ろすと、調和のとれた壮大なフラワーアレンジメント。

もう行かなきゃ。
大階段を降りかけた時、どうしてももう一度「トレド風景」に会いたくなり、、、

ダッシュ!(一応控えめに)

遠い遠い!広すぎるゼ、Met!
珠玉の美術品が乱舞するいくつものブースを風のように駆け抜けて、やっと辿り着いた目的の部屋。

監察官のおじちゃんの目がキラリと光った。

Jul.12,2002


2002年07月21日(日) 徒然なるN.Y.紀行(番外) 「トレド風景」

El Greco「View of Toledo」

実際に見るのとは、180度違うけれど、一応、、、
私の目に焼き付いたのは、もっと深い深い深い深い重い重い重い重い、、、
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/greco/toledo.jpg

所蔵:メトロポリタン美術館 ニューヨーク
http://www.metmuseum.org/

の中の、
http://www.metmuseum.org/collections/view1.asp?dep=11&full=1&item=29%2E100%2E6

この絵がどうしてもみたかった。
メトを彷徨って、この絵の前から離れられませんでした。
一番最後に、もう一度みて、目に焼き付けて帰りました。

Jul.12,2002


2002年07月20日(土) 徒然なるN.Y.紀行(番外) DELIに助けられた10日間

ニューヨーク初日からの森岡万貴生存のためのハードルは、ジャンクフードがはびこるマンハッタンで「いかにしてバランスの良い食事を取るか!」だったんですが、これに助けられました。

デリ。

‘デリカッセン’の略です。え?‘デリ合戦’じゃありませんよ、

http://www.e-cafe.ne.jp/jp/what/what's2ab.htm

とっても分かり易いので、是非ココ↑を見てみましょう。
ニューヨークには、24時間営業のデリがあちこちにあって、日本のコンビニみたいな感覚なんですが、感動的に森岡万貴を救ったのが、「サラダバー!」でした。
全く持って利用しない日はありませんでした。毎日通ってました。
サラダバーといっても、サラダバーじゃありません(?)。サラダバーについての説明は、上記ページの2つ目のセンテンスに書かれてあります。
(それにしても、このページの文章、めちゃくちゃ分かり易いな。見習わなきゃ。。。)

ニューヨークのデリは、コリアン系のオーナーさんが多くて、お総菜の味付けも良かった。何種類ものサラダの他に、肉料理、魚料理、果物、お寿司だってあります。アボガドとサーモンの巻き寿司を恐る恐る買ってみたら、万歳するほど美味しかったです。
何より量り売りなのが幸せ!こっちのレストランって、量が尋常じゃなく多いんだもん!!

リンカーンセンターに一番近い、チャイニーズ系オーナーさんのデリ。来る日も来る日も、サラダを求めて通いました。
充実したサラダバーの中で毎日欠かさず手を伸ばしたのは、

ブロッコリーのサラダ

ニューヨークにやってきて、唯一「こりゃ旨い!負けた!」と思える食べ物でした。
サラダといっても、生のブロッコリーと輪切りのオリーブ(これにもハマッた!)を和えて黒コショウをふっただけ。好みでドレッシングをかけて。
この生のブロッコリー自体が、とってもしっかりした意志をもった味をしていて、めちゃくちゃ美味しい。こんなの日本で食べたことない。気候が違えば、こんな別の野菜みたいになっちゃうんだ!
毎日毎日、ボーリボリかじってました。

デリがなかったら、間違いなくコーラックのお世話になっていたことでしょう。
ありがとう、デリ。(泣)


2002年07月19日(金) 徒然なるN.Y.紀行(番外) 地下鉄の中で

ずいぶん安全になったとは言え、ニューヨークの地下鉄ってやはり恐い印象があって、一人じゃ乗れないな〜と思っていたので、今日乗れて良かった。

あの昨年9月のテロ事件の影響で、ニューヨークの地下鉄の駅やラインも少し変わってしまったということです。
ホームや電車内の表示が、まだその変化に付いていっていないらしく、表示と全然違う駅に止まったりしている。

乗り込んだ電車。ん?なんかすごく落ち着くゾ。行きに乗ったのとは全然違う内装。綺麗だし。
どうやら日本産らしい。椅子やドアの造りが、山手線やなんかを走っている電車にそっくり。

テロの後、ワールドトレードセンター跡の瓦礫の下から見つかったサブウェイの電車の中で、このmade in Japanの製品だけが、破壊されずに残っていたそうです。確かな製品の実証。
そこで、除々に日本製の電車を増やし、移行させるんだという話を聞いた。

今回の旅で、グラウンド・ゼロには行かなかった。何故だか分からないけど、私は今は行かない方がいいと思った。

「I love N.Y.」のTシャツがストリートのあちこちで売られている。
そうだ、まだあれから1年も経っていないんだ。
悲しみと怒りが渦巻いているニューヨーク。

地下鉄の中で、静かに思いました。

Jul.11,2002


2002年07月18日(木) 徒然なるN.Y.紀行(番外) sola

エドガーズ・カフェ。
nahoに「お洒落なカフェに行きたい。」と甘えたら、連れてってくれました。
江戸川乱歩が影響を受けたことで有名な、エドガー・アラン・ポーゆかりの落ち着いたカフェで、私は一目で気に入りました。
クーラーの効いた窓辺の席でアイスコーヒーを飲みながら、幸せに包まれるひと時。さりげなく生けてある真っ赤な薔薇の一輪挿しがとっても綺麗。
ああ素敵。
森岡万貴は、なにしろ喫茶店が好きなのです。

森岡万貴攻略法「秘伝:カフェの術」
・・・不機嫌なときは、こじゃれた喫茶店に連れて行ってカフェオレでも与えておけば、すぐにご機嫌になるでしょう。

エドガーズ・カフェが気に入ったのにはもう一つワケが。
レストルーム(厠です。)が美しい。

う〜ん、これ、重要です。試験に出ます。
ホテルやシアターなんかは別ですが、ニューヨークの公共の場所で素敵に清掃の行き届いたトイレを見つけるのは、なかなか大変。美味しい物を食べた後、レストルームに行ってみてゲンナリすることもしばしばでした。
しか〜し、このカフェのレストルームは、広くて清潔で、調度品なんかもエレガントで、ひさびさにスッキリ♪(?。いや違うって。)

ウェイターもハンサムだし、総合的にとても幸せな気分でチップを払い、バスに乗ってnahoの家に向かいました。

nahoの家は、にゃろ〜、うらやましぃぃ、と言いたくなる便利で素敵な場所にあって、中に入ってみるとこれまたうらやましくなる素敵なアパートでした。
ニューヨークのド真中で、音出し可で、広くて、キレイで、セキュリティも良さそう。いいなぁ。。。

さっそくsolaに挨拶を、、、と思ったらお昼寝の真っ最中だったらしく、半目でかなり寝ぼけている。動作も鈍い。ご、ごめんsola...寝てたのね。

solaとは、nahoが飼っているインコです。その類まれな魅力については、nahoからよぉーく聞かされていて、会えるのを楽しみにしておったのです。

森岡万貴は驚いた。サンショウウオは驚いた。
なんて綺麗な色!

美しい空色と白のグラデーション。インコって、こんな色の子もいるんだぁ!

しばらく眺めていると、だんだんソーダアイスに見えてきた。
あの、昔懐かしいバー付きのアイスキャンディーです。
万貴小さき頃、夏の宵に良く食べたものよ。。。
嗚呼、久しぶりに喰いたいのぉ、ソーダアイス。。。

solaは血圧が戻ってきたらしく、最初は「誰じゃ、コイツ!」をインコ語で喋りながら興奮して暴れていましたが、私がアイスキャンディーの妄想にかられている間にすっかり落ち着いて、私の指先から肩までトコトコ歩いてきて、唇にキスしてくれました。

so cute!

喰わなくて良かった。(笑)

nahoには、千秋楽に向日葵をプレゼントしました。また一緒に仕事が出来ることを祈って!
solaの何倍もある巨大な向日葵。

ニューヨークにとっても良く似合う花。

Jul.11,2002


2002年07月17日(水) 徒然なるN.Y.紀行(番外) 憧れの聖地、ブルーノート!!

ニューヨーク公演で嬉しかったことの一つ。

nahoと知り合えたこと

彼女はニューヨークの音楽学校に留学中の、可愛らしい日本人フルーティストです。年は知らないけど、私より若いはず。
今回のミュージカルで急遽フルートが必要になり、現地オーディションを通過してニューヨーク公演に参加していたのでした。

人見知りしない森岡万貴、特技を活かしてあっという間に仲良くなり、1日彼女とデートすることに。
観光客向けの場所じゃなくて、実際の生活が溢れてる所に行きたい!とリクエストしたら、わざわざホテルまで迎えに来てくれて、サブウェイに乗ってウェストビレッジのダウンタウンに連れてってくれました。

降り立ったのは、West 4 St.駅。あぁ、いい天気。何気な〜くビルの狭間に目をやると、

ん?見覚えのある「♪」の付いた旗が。B、l、u、、ブルー、、。
!?!?!?
ぶっ、ブルーノート・ニューヨークじゃあーりませんかぁぁぁッ!!!!

うれしいうれしいうれしいうれしいうれしい♪!!!!
この時もし森岡万貴にシッポがあったなら、ちぎれんばかりに振っていたでしょう。

憧れのジャズ・ライブハウス、ブルーノートです!
大学時代から今日に至るまで、足繁くかよった青山にあるブルーノート東京。(チャージが高いから自腹では滅多に行けない。)
世界の超一流アーティストしか出演できない殿堂中の殿堂です。
ブルーノートでライブが出来るようになるまで頑張るぞ!なんて、実は身の程知らずな目標を立ててたりして私っ!!!くぅぅぅぅーー!!(>_<)

ニューヨークに来たからには絶対訪れたかったんだけど、ライブをやってる夜は仕事でダメだし、だいいち1人じゃ怖くて来れないし、諦めていたんです。

それが、今、打ち合わせてもいないのに、偶然にも目の当たりに、、、!!!
愛してるよぉぉおっ、naho〜〜〜〜〜〜〜!!!!

ヒデキカンゲキ

いきおいnahoに接吻しそうになりながら、気が付いたら無断で勝手に店中に入っていました。
さすが森岡万貴。いいのさ、ツマミ出されたらその時で!

お昼過ぎだったので、まだリハも始まっておらず、薄暗く静まり返った店内でスタッフが1人、テーブルをガタガタ動かしていました。
思っていたより狭くて古びた店内。
ブルーノート東京のソフィスティケイトされた雰囲気とはまた違う、ジャズの歴史が染み付いた、渋い、そして媚びないライブハウスでした。

かっこE〜〜〜
いつかここでライブが出来るように、がんばろ。
夢見ないことには、何にも始まりませんからね。

その後、少し歩いてnahoお勧めのオーガニックレストランでランチ。
今日もとっても良い天気。日光が矢みたいに突き刺さってきます。恥ずかしいなんていってらんない、紫外線をシャットアウトしないと!!万貴アイテム「日傘」登場。トウッ!。さすがに今日の紫外線にはnahoもたまらず「入れて〜」。

虹の旗がはためくゲイ・ストリートを、「アイアイ日傘」で歩く、エイジャン・ガールのカップル。う〜ん、明らかに珍種だこれは。
「これ、新しいレズビアン・スタイルとしてニューヨークで流行るかもね!」
なんて冗談を言いながら、再びサブウェイに乗って、nahoのお家のあるアップタウンへ向かいました。

Jul.11,2002


2002年07月16日(火) 徒然なるN.Y.紀行(番外) 強制時差呆け克服法 ※禁:幽体離脱

昨日、成田から日暮里に向かう京成電車の中で、思いっきり口を開けて寝ている自分に気付いてから、殆ど本能だけで家に帰り着いたらしく、スーツケースが重かったこと以外は何にも覚えていない。
犬が、遠く離れた土地からでも我が家を探し当てて帰ってくるのにちょっと似ている。

な、くらい、憔悴しきって帰ってきた私。
なんとなんと、今日から早速、

お仕事。

我ながら、良く起きられたなと。
時差呆け以前の問題で、恐ろしく慢性的な睡眠不足だったので、何度も幽体離脱しそうになりながら仕事をなんとか無事こなしました。

明日も明後日も、朝6時半起きでお仕事。わーーーーお(涙)。ややや、休みは、、、?

後日談ですが、結局これが功を奏したらしい。
帰国初日から無理矢理にでも朝起きて仕事をし、夜に寝ていたので、時差呆けと言われる症状は出なかったです。最初は幽体離脱しないようにするので必死でしたが。
役者さん達の間では、ひどい時差呆けがズーーーーッと続いて、「な〜〜〜んもする気が起こらんわぁ〜〜」と(マンガ日本昔話風に)つぶやいてしまう‘ものぐさ太郎症候群’が蔓延していたそうな。


2002年07月15日(月) 徒然なるN.Y.紀行(11) 湿気な祖国

成田だ。日本だ。東京だ。

なにこの湿気ェェェェェェェェ!!!、、、ェ。
まだ梅雨明けしてなかったのね。。。すごいな、それにしてもこれは。

これが、帰国後さいしょに思った事でした。
17:30、成田空港に着いた「太平洋序曲」ご一行様。

へ?

って言いたくなるくらい呆気なく、解散になりました。
森岡万貴的には、一応軽く集まって、制作さんが「家に帰るまでが遠足です。」的トークをし、1本締めかなんかで締めくくって頂けるとキリが良かったのですが。。。

ゲートを出たら、まぁほいだら、それぞれワラワラと帰りまひょ、みたいな感じで何のイベントもなく解散になりました。
まぁ、1ヶ月後にはワシントンD.C.公演の稽古で顔を合わすことになるんだから、これでいいのか。

・・・・・・。
うーーん、でも、なんだかもうちょっと脳を整理したかったので、1人でカートを押しながら空港内を彷徨って、結局スターバックスに入りました。
昨日、ニューヨークの56th Streetで飲んだのと同じ、カフェラテを頼むと、

ち、、、小さい。
たった10日間とはいえ、やはり私も、多少なりともアメリカナイズされたらしいぞ。何だか量が少なく感じてしまう。
そう、アメリカの食べ物はとにかく量が多かった!最初は「こんなの1人じゃ食べきれんっ!」といちいちオーバーアクションしていたけど、そのうち慣れちゃったのだわ。

でもあれは、やっぱり良くないと思う。
ニューヨークの街を闊歩する成人女性の中から、スリムな下半身をキープしている人を捜すのは、マンハッタンで吉野屋の牛丼を探すくらい難しい。(ちなみに吉野屋はあります。)
ティーンの女の子たちには、スレンダーな子も沢山いるのに。アメリカの油ギッシュで過剰な食文化が彼女らのキュートなお尻を巨大な瓜に変身させるのだ。もったいない。もちろん健康にも良くないし。。。あ、蕎麦食べたい、、、

そんな事をしみじみと考えながら京成電鉄に向かう森岡万貴の脳裏には、何故か「小さい秋みぃつけた」がエンドレスで廻っていたのでした。


2002年07月14日(日) 徒然なるN.Y.紀行(10) 天使のミロンガ

帰国の朝。
結局、1睡もせずにむかえました。もう夢遊病者みたいな気分。

荷物をまとめて、ホテルの目の前にあるスターバックスで、カフェラテとブルーベリー入りのベーグルを食べる。これがまた、硬くって!
歯が疲れたので、持って帰ることにしました。

10日前に、J.F.ケネディ空港からリムジンバスに乗ってホテルに向かっていたときは、マンハッタンは何だかハリボテみたいに見えた。作り物のテーマパークみたいな。
今、同じ道を走っているとは思えない。
中身の詰まった現実的な風景が流れていく。たった10日、居ただけなのに、宝石みたいな貴重な経験をすることが出来ました。

ニューヨークの旅で、一番心に残ったのは、やっぱり一昨日の大失敗です。
あれは、もう、一生やらない(事を祈る。。。)ぞ。

ところで森岡万貴、空港の手荷物検査で眉毛カッターを没収されました。
そうだった、、スーツケースの中に入れておかなきゃいけないんだった。すっかり忘れてた。
俳優S氏は爪切りを、H氏は鼻毛切りを没収されていました。問答無用です。
(戻ってこないんですよー。)

機内に乗り込み席に着くと、実に様々な人種の人々。ニューヨークなんだなぁ、としみじみ感じる瞬間です。
お隣2列は東南アジア系の大ファミリーが埋めていました。おじいちゃんに抱っこされたつぶらな瞳の赤ちゃんが、極上可愛くて可愛くて、、、!森岡万貴はもう釘付けでした。
あんまり可愛いんで、静かに観賞していられなくなり、思わず、

万 「天使みたいですね。」と(勿論英語で)言うと、
婆 「ありがとう。あんたも子供、いるんかね?」と(勿論多分英語で)おばあちゃま。
万 「・・・いえ、まずつくる相手がいまへんがな。」
婆 「HAHAHAHAHAHA!」

和やかな機内の一コマ。

ノースウェスト航空NW18便。14:50定刻で、ニューヨークの空へ舞い上がりました。
成田まで、13時間40分のフライトです。
離陸して程なく、森岡万貴は指先から溶解を始め、10分後には完全に液体に変身していました。


2002年07月13日(土) 徒然なるN.Y.紀行(9) 人は1人じゃ生きられない

昨日の失態を一生の教訓に。

依然として眠れないながらもベッドの上で粘って、身体だけは休めるようにしました。

今日は、午前・午後とリンカーンセンターフェスティバルから招待していただいたミュージカルを2本観る予定だったのですが、キャンセルして夕方までホテルで静かにしていました。

今日、千秋楽です。泣いても笑っても。

不安でした。昨日と同じあの場所で、ちゃんと演奏できるだろうか。
また手が震えて、コントロールを失ったらどうしよう。

昨日のトラウマが、ボウボウだった私の心臓の毛を、きれいさっぱり毛根ごと抜き去っていました。

心細さでどうかなりどうだった森岡万貴。
私が眠れないことを知って、以前から心配してくださっていた役者さんが、ホテルに残って色々と親切にしてくださいました。有り難かった。

このとき、痛烈に感じたこと。

ーーーー人は1人では生きられないーーーー

なんかクサイですが、、、今まで自分の力だけで殆どの事をやってきた、これからも自分の力だけで殆どの事が出来るんだ、なんて思うのは高慢だ、と心の底から思ったんです。

会場に向かう途中のデリで、大きな向日葵を一輪買いました。

少し早めに会場入りし、やぐらに登って丁寧にウォーミングアップをしました。
今日も満員のお客様。幕が開いた時、ほんとにガラにもなく激しく緊張していました。
最初のナンバー。手よ、言うことを聞いてくれ。。。

祈るような気持ちで音を出して、、、いつもの感触が甦ってきました。
心で描いたとおりに音が出る。当たり前に仕事をして当たり前に使っていたけど、今日は自分の手がとてもいとおしく思えました。

カーテンコール。出たのは一昨日のような自信と感動の涙じゃなくて、初日についた安堵のため息でした。
、、、振り出しに戻っちゃった。
でも、爽快で落ち着いた気分でした。昨日の失敗は一生戻ってこないけど、おかげで自分の高慢さを見直して、人の優しさに気付く機会を得ました。

千秋楽のスタンディングオベイションは、一際盛大でした。
半ば放心状態でヤグラから降りると、最初はあんなにヤル気のなさそうだったアメリカ人スタッフが、力一杯の握手をしてくれました。

Good job!

一昨日、昨日、今日の千秋楽。この3回の本番を通して学んだこと、
森岡万貴は一生忘れません。

ニューヨーク最後の夜が更けていきました。


2002年07月12日(金) 徒然なるN.Y.紀行(8) 懺悔

はっきり言って、全然寝ていない。
眠れないのだ。自分でも信じられないくらい。

ニューヨークに来て、まともに睡眠が出来たのは1日だけだった。
神経が立っていて、ほんのかすかな物音にも起きてしまう。
悪いことに、しかも相部屋だった。

森岡万貴は日本では、携帯アラームのみで起きているのですが、ニューヨークには持って行かなかったのね。使えないし。
で、小さなトラベル・クロックのアラームを目覚ましにしていたのです。
これがまた、とても控えめな音しか出ない大和撫子な代物で。

ニューヨークに仕事をしにやってきて、遅刻なんて死んでも出来ません。
「この小さな音で絶対起きなきゃ!」
と思って気合いを入れてベッドに入っていたので、それ以上のデシベルの物音すべてに反応するようになっちゃったらしく、遠くのエレベーターのチャイムとか、悪気のないルームメイトの生活音なんかにイチイチ反応して、殆ど眠りに落ちることなく朝を向かえる日が続くようになりました。

昨日くらいから、身体がやっぱりおかしいな、と感じるようになり、今日こそは眠らなきゃ!と焦るストレスでますます眠れない、という悪循環になってきました。

自分がこんなに神経過敏になるなんて、予想もしなかった。

初日が開いてからのキャスト・ミュージシャンの入り時間は、夕方。
それまで観光をするもショーを観に行くも本人の自由だったので、みんなそれぞれのペースでニューヨークを満喫していました。

私は昨日は、フルーティストのnahoの家にお邪魔することになっていて、とても楽しみにしていました。ところが先述のとおり、全く眠れぬままグッタリ疲れて朝を向かえ、行こうか行くまいか、かなり悩んだんですが、結局行くことにしたんです。

身体が疲れ切っているにもかかわらず、昨日の本番ではとても手応えのある内容の仕事ができたので、私は自分の力を過信していたんだと思う。

今日は朝から1人で、1日中メトロポリタン美術館を巡る計画でした。
メトは、私が今回のニューヨークツアーで最も楽しみにしていたプランです。他に何が出来なくとも、ここだけは行こうと思っていたんです。

で、相変わらず一睡も出来ぬまま起床。起きてみて、頭はボーッとするし、クラクラするし、食欲は無いし、目は霞むし、明らかにこれはヤバイと感じました。
・・・本番まで静かに休んでなさい・・・・というお告げが何処からともなく、、。
行くべきじゃない、とは確かに思った。疲労のピークがきている。
でもでも、せっかくニューヨークに来て、メトだけは何が何でも、、、、

ここで私は、プロにあるまじき間違いを犯してしまいました。

メトでのお話は後日ゆっくりするとして、、、結局私は、フラフラしながら一人でメトに歩いていき、朝から夕方まで広大なメトの中を、ろくすっぽ何も食べずに歩き廻って、セントラルパークを歩いて横断してエイブリーフィッシャーに入り、全く休養せずに本番を迎えたのでした。

1人で行動していたため朝からずっと緊張していたので、会場入りして見慣れた人々に囲まれた途端、張りつめていたものが緩んでしまったのでしょう、こともあろうか、身体も精神も、本番中に全くコントロールが効かなくなってしまったのです。

目が霞む、手は震える、まっすぐ立っていることすら難しい状況になり、それでも次々と重要なソロが迫ってくる。
昨日まで何も考えなくてもキマッていた事が、ことごとく出来ない。思ったところへ手が降りない。ミスタッチはする、指揮に付けられない、、、もう音を出す行為自体が恐ろしくなっていました。

こんなこと、何年もパーカッションをやってきて、初めてだ。
怖くて打てないなんて。。。自分の手が全く言うことをきかない。

やぐらから見下ろす会場が、昨日までと全く違う景色に見えました。ここで自信を持って演奏していたなんて信じられない、同じ自分だろうか?とさえ思いました。

やっぱり休んでおくべきだった。自責の念に駆られました。
何とか立て直さなきゃ、と気持ちは焦っても、身体は全く言うことを聞かない。私の異変が飛び火して、他のミュージシャンの方もミスを連発する結果になってしまいました。

泣きたくても、涙も出ませんでした。
私が高慢だった。昨日と同じように、疲れていても出来ると思っていたんです。
一期一会のニューヨークのお客様の前で、こんな納得のいかない演奏をしてしまうなんて。自分が許せませんでした。

ボロボロのまま1幕が終わりました。腰が抜けて、しばらくその場にうずくまっていました。
このまま引きずって2幕をやる訳にはいかない。なんとかしなきゃ。
でも、20分のブレイクでも震えが止まらず、自分で頬を殴りまくっても感覚は殆どなく、本番中に倒れてしまったらどうしよう、という不安と心細さで内蔵がつぶれそうでした。

本番中に私が倒れるというのは、どういうことか。
舞台が壊れてしまう。これはおごりではなく、ほんとに「木」が無いと芝居が進まない部分が何ヶ所もあるのだ。その重要なパートを受け持つ者が倒れたら、どれだけの迷惑が掛かるか、ちょっと想像するだけでも恐ろしい。本番中に気絶することだけは、死んでもやっちゃ駄目だ。何が何でも自分の力で立っていないと。

やぐらに登る階段の下で、

誰でもいいから、骨が折れるくらいキツく抱きしめてください
誰でもいいから、あざになるくらい強く殴ってください

ほんとにそう思ったんです。それくらいこの時の私は、神経伝達経路が麻痺していたようです。

2幕は、なんとか持ち直して、大きな事故なく終わりました。
カーテンコールでミュージシャンにサスが当たった瞬間、私は前を見ることができませんでした。

鬱ぎ込んでいる私に「どうしたの?何かあった?」と声をかけてくれる役者さん達。演奏が良くなかったことには、不思議なくらい誰も気付いていなかった。
私の今日の演奏は、実際には昨日とそんなに変わらないのかも知れない。
出すべき音は全部出ていたし、芝居に影響を与えるミスはしていない。
でも、今日の演奏、私じゃない。
ベストの状態で本番が出来なかったのは、自分を過信していた私の甘えです。
遊びにきてるんじゃない、仕事にきている、私はプロなのに。

今日の本番は、一生戻ってこない。

指揮者をはじめ、ミュージシャンの方に謝罪して、明日の本番前の予定をキャンセルし、ホテルに戻りました。


2002年07月11日(木) 徒然なるN.Y.紀行(7) ニューヨーク初めての涙

昨日、照明オペレーターK氏のお話を聞いて、気持ちも新たに3日目の本番を迎えました。

ところで、セッティングの日から気になっていた物があるんですが、私のパーカッションブースの中に、カメラが設置されてあったんです。
ちょうど顔の高さくらいで、明らかに私を狙うアングル。

「・・・なんで私を映してんのかな?」
一体誰が見ているんだろうと不思議に思っていたら、昨夜疑問が晴れました。

私は肉眼で舞台を見ながら、役者さんが座るタイミングとか、息を飲む瞬間とか、転換が完了した瞬間とか、ココぞと言う大事な瞬間に「木」を打っているんですが、私のこの「木」が音を発する瞬間に照明を切り替えるところがあるんだそうです。

「木」が鳴った瞬間で、同時にバッと照明が替わる。
これが理想なので、K氏は私のアップが映ったモニターを睨みながら、私がまさに木を打たんとする、ほんの一瞬の呼吸と予動をかぎ取って

「GO!」

を出すのです。
私は役者さんの心の動きをなるべく汲み取って芝居に同化して「木」を打っているので、当然いつも決まったタイミングやフィーリングではありません。切迫したシーンでは、殆ど前置きなく息を詰めていきなり打ったりします。
これにキューを付けてくださっていたなんて、信じられない!神業です。
もう、まったくもってますます尊敬してしまいました。

このカメラは、照明の他にも指揮者や舞台下手、上手、音響などにも私の映像を送っているそうで、責任の重さを痛感すると同時に、スタッフさん達とガッチリとタッグを組んでもらっているような心強さも感じました。

今日の本番は、だから、ものすごく新鮮だった。鳥肌が立って、ゾクゾクしました。爽快な緊張感でした。
カーテンコールの歓声の中、やっと緊張感から醒めて、私の横の小さいカメラからはるか客席3階の照明さん、客席1階の音響さん、舞台下手にかすかに見える舞台監督さん、衣装さん、、、と順番に目を移していると、自然と涙がとめどなく溢れてきて、グチャグチャになってしまいました。
そして気が付いたら、横のカメラに向かって「ありごとうございました。」とつぶやいて頭を下げていました。

森岡万貴、ニューヨーク初めての涙でした。

初日と2日目は、なんとか無事に本番を終えた安堵感が先にきて、感動する余裕も無かった感じですが、やっと今日。

心の底から、ここで仕事が出来て良かったと思いました。


2002年07月10日(水) 徒然なるN.Y.紀行(6) 惚れたゼ

怒濤のように駆け抜けた初日が、予想以上のあたたかい拍手の中、無事に終わりました。音楽監督、美術・音響・照明プランナー、振り付けなどの制作サイドのスタッフは、今日の便で帰国します。
昨夜は、森岡万貴を「娘」と可愛がってくれる、音響プランナー「とうちゃん」(と勝手に私が呼んでいる)の送別飲み会に参加しました。

ホテルの1Fにある高そうなバーに初めて潜入(とうちゃんありがとう)。そう言えば、ニューヨークに来て初めての飲み会かも。

ビール片手にアツアツのエスカルゴを食べる。あぁいい感じ。

しばらくすると、亜門さんの姿が。

ガラス越しに眺める56th Street。やっとニューヨークの景色が突拍子もないものではなくなってきたような気がする。

ーーーー浅い眠りーーーー

通りかかったデリの店頭で売っている、向日葵の美しいこと!!
ニューヨークは、向日葵がとっても良く似合う街だと私は思います。

2日目の公演も、無事に終わりました。
今日は、音響、照明、舞台監督さん達、スタッフ飲み会に参加!(飲んでばっかり!?)
セントラルパークからすぐの、めちゃくちゃ賑やかな(と言うよりウルサい)バー。日本で言うと、白木屋とか村さ来とかでしょうか。
照明オペレーターの方と、初めてお話しました。
なんと、こっちでは、日本人スタッフは機材を触っちゃいけないんですって!!!
アメリカの労働組合の規定らしいんですが、実際にタクを操るのはアメリカ人スタッフだけ。日本サイドのスタッフは、口頭で指示を出すのみなんだそうです。

森岡万貴は、死ぬほどビックリしました。

3時間の公演中、照明切り替えのキューは、200カ所以上あるんですよ!
それも、役者の歩き出しとか、床に倒れた瞬間とか、セリフを発する瞬間とか、ものすごいキワドいタイミングで。
歩き出しちゃってから切り替えたらもう遅いんで、さあ足を出すゾ出すゾ、、と言う「呼吸」とか「間」を感じ取って、一か八かほんのわずか前で切り替えないといけません。
こんなの、舞台の流れを丸暗記していたって難しいのに、その上自分でやちゃいけないんですよ!?

まるまると太ったアメリカンが緊張感なく照明タクに座っていてですね、その隣でいくつものモニターを睨みながら

「スタンバイ」 でスイッチに指をかけさせ、
「GO!」 でスイッチを押させる。

を200回以上やるんですよ!?ヒエーーーー

アメリカ人スタッフは、芝居の内容や緊張感と関係なく、「GO!」と言われたらソーセージみたいな指でスイッチを押すだけ。
当然、時差があってちょっと遅れるので、キューのタイミングは役者の呼吸より更に更に!ほんのわずか早めにださなくちゃぁいけません。
キュー出しが完璧でも、アメリカンが同じ気持ちでボタンを押してくれる訳ではないので、予想外に遅れたりすることも度々。

「めちゃくちゃ歯がゆいですね。自分で押せれば。。。」

言うまでもなく、照明が切り替わらなかったり、ヘンなところで切り替わっちゃったりしたら、舞台は壊れてしまう訳です。

考えても見てください!1人でやりゃあ済むものを、2人でやっているために格段に仕事が困難になっている。通訳さんを通すからますます時間がかかる。人件費だって2倍いる。
2人でやるメリットって、1つも無いどころか、、、



ななな!なんてイケてないシステムなんだぁぁぁぁ、、、、アメリカ!ヘンだぞぉぉッ、そこぉぉぉッッッ!!!!!

それにしても、こ、ここ、、、これは想像を絶する過酷な仕事だ。。。
「とても難しいけど、この環境の中で可能な限り高いクオリティに近づける、それしかないです。」
これが、プロフェッショナルと言うものだ。
たんたんと静かに語るK氏を、森岡万貴はもう、ただただ尊敬していました。

照明チーム一つ取ってみても、こんなに隠れた苦労があるんです。
音響、衣装、舞台、音楽、、、どの部署も問題を抱えながら悪戦苦闘して、この場で出来うる限り理想の作品に近づけていく。

一つの舞台を創るのに、スタッフの計り知れない努力が幾重にもあることを、再確認した夜でした。

だから、素敵なんです。舞台は。


2002年07月09日(火) 徒然なるN.Y.紀行(5) ニューヨーク1のため息

今日はいよいよ本番初日です。
ソンドハイム氏とワイドマン氏もお見えになっていた昨日のゲネプロは、途中までしか出来なかったし、テクニカルトラブルもあり、不安がいっぱい。
なので、今日も本番前に通しGPが入りました。

森岡万貴、本日一番の不安材料は、

指令【朝イチでXylophone(木琴)を入れ替えるべし】

リース会社の楽器があまりにもピッチ(音程)が低すぎて、ピアノや他の楽器とぶつかりまくって気持ち悪くて耐えられないので、ついにダメが出たのだ。

今回のアレンジではこのXylophoneが大活躍で、これ1本の伴奏だけで役者さんが歌う部分もある。稽古初日から問題になってはいたのだ。
キーボードパーカッションのピッチだけは、プレイヤーがいくら念じても変えられない。木を削るしかない。
紆余曲折の末、やっと昨日の午後に交換が了承された。早速オーダーしたけど、今日の朝にしか届かないという。

まともな楽器が来るのは何より嬉しいんだけど、稽古中ずっと弾いて慣れた楽器を、本番当日になって別のものに入れ替えるというのは、演奏する側にとってはものすごいストレスです。メーカーが違えば、材質や鍵盤の幅も変わってきます。本番中は暗闇の中で演奏しているので、殆ど鍵盤が見えない。
ブラインドタッチで弾いているのです。1回のGPだけで、感覚を掴むことができるだろうか。

更に。一昨日の日記にも書きましたが、物凄いチミツにセットを組んでいるので、他の楽器やマイクの角度なんかが崩れないようにそっとそっと、内蔵摘出手術をするみたいな気分で入れ替えなきゃいけません。
何より、メーカーの違うXylophoneの横幅が違っていたら、セッティングの1からのやりなおしは必至。

気が重い。。。

ホールに着いてみると、来てます来てます、新しいXylophone。
1度入れ替えたら、もう元に戻す時間は無い。泣いても笑っても、この楽器で本番に間に合わせないと。
異常がないか軽くチェックして、ちょっと深呼吸してから、ヤグラに上げるGOを出しました。

前述のとおり、アメリカ人スタッフが4人がかりでロープを使ってXylophoneを降ろし、新しい楽器をロープに縛って、目を覆いたくなるくらいゴンゴン壁にぶつけながらあっという間に入れ替え終了。

さ、、、さんきゅー。(汗)(再び)

さて、緊張の一瞬がやってきました。セットの中にうまく収まってくれるか・・・

すっぽり。

ばっちり。

ホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。
とニューヨーク1の安堵のため息をついたのでした。
問題のピッチは、これまたバッチリ。思い切って交換して良かった。

こんな具合に、音響、照明、大道具、小道具、衣装、、、全ての部署で次々と発生するトラブルとの格闘を、それぞれがギリギリまで繰り返して、そして幕は開きました。

初日の本番は、、、

大成功。スタンディングオベイションの喝采でした。
嬉しいよりも、、、何だろう、

ホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。


2002年07月08日(月) 徒然なるN.Y.紀行(4) ニューヨークに住めないわけ。

ニューヨークへ来たら、きっとここに住みたくなるだろう。

と、来る前の森岡万貴はなんとなく感じていました。
エキサイティングで、チャンスが沢山あって、自由で、、

来て4日目なので、まだ何にも見えてないけど、一つ、これは絶対に住めないだろうとひるんでしまった事。

空気がもう、これはもう、信じられんくらい汚れている。

ホテルからセントラルパークの前を通ってリンカーンセンターまで、徒歩約15分。
この移動だけで、ノドが悲鳴をあげた。
目も痛い。
東京の空気も相当汚染されてるけど、これでは森岡万貴は生息不可能だ。
こんなのを毎日吸い込んでたら、、、。

ニューヨーカーはこの空気に順応しているらしく、マスクをしている人は皆無。信じられない!

我慢して4日間、なるべく外の空気を深く吸い込まないようにしながら歩いてみたけど、行きも帰りもノドが痛い痛い!
ミュージシャンの中でも、咳が蔓延し始めた。

あとですね、これは帰国後に森岡万貴の皮膚を相当苦しめることになるんですが、ものすごく乾燥してるんです。
気温がめちゃくちゃ高くても湿気が無いので、日本のこの気温で感じる暑さよりも全然暑く感じない。不思議なくらい。
でも、日差しは同じかそれ以上に突き刺さってくるので、皮膚の水分は一瞬にして飛び、油断しているとみるみる日焼けしてしまう。

森岡万貴×日焼け=絶対禁止

この方程式、試験に出ます。
って言うくらい紫外線が徹底的に駄目な皮膚に覆われている動物なのだ私は。
なので、夏は帽子、長袖のシャツ、サングラス、そして日傘が必需品。

しか〜し。
ニューヨークでは日傘をさしている人は、これまた皆無。日傘文化は全く無いらしい。
長袖のシャツだけでも、すれ違うアメリカンの注目を集めているのに、こんな抜けるような青空の下、傘なんかさしてたら100%「キテる奴」だと勘違いされてしまう。ポリスに追いかけられるかも知れない。

で、これまた我慢して、「日なた部分に入ると日陰まで猛烈ダッシュ!」という怪しげな動きをしながらストリートを歩いていたのであります。(これも相当ヘンか!?)

この話を、現地オーディションを通ってニューヨーク公演のみ参加するフルーティストのnahoにすると、
「そんなの、全然平気なのにィ〜。」
と、あっさり言われた。そうかなぁ〜、この街じゃ、日傘なんかさしてたらどう見ても浮くと思うんだけど、、、

naho「何やったっていいんですよ。最初はちょっと不思議がられるかも知れないけど。
   だってそれがニューヨークだもん。」

か、、、かっこいい。

なるほど。マスクしたって日傘さしたって、他人に迷惑をかけるわけじゃなし。なるほどな。
ちょっとこの街のこと、好きになった。


2002年07月07日(日) 徒然なるN.Y.紀行(3) 感じてしまうこと。

ニューヨークへ来て初めて、昨夜は時間的には少ないけどやっと熟睡が出来たので、よし。時差ボケはもう大丈夫だ。と思ったんですが、この日から帰国まで、全然寝られない日が続くことを、森岡万貴はまだ知らない。。。お〜こわ。

今日からいよいよ舞台稽古です。予想通り、波乱万丈、森羅万象。
なにせ、チーフを除き殆どが現地スタッフ。言葉の壁もあり、なかなか思うようには進まない稽古。時間だけがどんどん過ぎて行きます。

アメリカではユニオンが強力なので、どんなに予定より遅れていても休憩時間になると容赦なく休まねばならんのです。
1分1秒でも過ぎると、舞台に居るだけで怒鳴られる。早口の英語で。お〜こわ。
ひそかに「ランチおじさん」と呼んでいたコワモテの相撲レスラーみたいなマネージャーが発する「Lunch!」の一撃で、猫も杓子も泣いても笑ってもナダメてもスカシてもスガシカオも、

ランチなのだ。

それでいて、開始時間にはとってもルーズな人もいたりして。
さらに輪をかけてイカンことに、場当たりやってんのに舞台上で寝てる巨大な黒人さんまで出現。
俳優O氏は、故意か否かは定かではありやせんが、踏ん付けちゃったそうです。
しょうがありません。だって暗くって全く見えないんだもん。暗闇から、巨大掃除機かと思わせるゴォォォォォォという重厚なヒビキ、いや、イビキだけが聞こえてくるんですよ。コワイです。っていうか、寝んなよ仕事中に。

怪我と向かい合わせの危険なシーンが多い役者さん方は、完全にご立腹。

私には分かっていた。
ナメているのだ。ジャパニーズ?なにそれ、中国?
くらいなんだろう。アジアはひとくくりで、国の区別は正確には、無い。

昨年、とある現場で沢山のアメリカ人と仕事をしていた時に、ときおり感じたことだった。
みんなすごくいい人なんだけど、本当に仲良くなるまでは、言葉や振る舞いの端々にどこか見下したようなフレーズを嗅ぎ取った。
戦争で勝った国と、負けた国。
歴史は潜在的にわずかでも先入観を刷り込むのだろう。
悪気はなくても、それが毛穴から微量に発散されている人がいるのだ。

昨日のレンタル楽器事件についてもそうだった。
蓋を開けてみると、
・音程が異常に低いシロフォン
・完全に金属疲労済みのトライアングル
・上下バラバラのスタンド
などなど。頼んだのに届いていない楽器だって幾つかある。
特にトライアングルは、後世に語り継ぎたくなるような想像を絶する代物がやってきた。

普通トライアングルというのはですね、文字に変換すると、

「チーーーーーーーーーーーーーーーーーン〜〜。」

ですよね。
で、届いた楽器を打ってみると、

「チ。」

っていうんですよ。
へ?余韻は?余韻は?って、いくら空気中を探しても見当たりません。
これははたして、楽器と言えるのでしょうか?(言えるワケないっしょ。)ただの鉄屑です。

レンタルで食ってる楽器屋さんがですね、こんな楽器達で仕事が成り立つはずがないんです。
ということは。明らかに、二軍楽器が届いているのです。
その証拠に、昨日「こんなの使えるかぁッ!」と吠えて交換を依頼したら、何時間後かにはキチンとした立派な楽器がくるんだもん。
最初から、何故にこっちを持ってこんのじゃ!?

森岡万貴は、静かに思いました。

「なめとんな。」

あぁ、またか、と思ってしまったのは自分でも悲しいことですね。

交換してもらうといっても、狭い空間に5ミリ間隔くらいで緻密にセットしたおびただしい楽器達に加えて、既にPAマイクが立っているので、その中の楽器を入れ替えるのは一苦労どころではありません。最初から普通の楽器を入れておいてくれれば、、、。

ほんとはね、みんな(じゃないかも知れないけど)根はとってもイイ人だし、優劣なんか今更無いって、ちゃんと付き合えばすぐに分かってくれるってことも知っているので、腹を立てずに、なるべくコミュニケーションを取ることを心がけていたんですが、やっぱりちょっと寂しかったな。


2002年07月06日(土) 徒然なるN.Y.紀行(2) 泥になるまで

ニューヨークで初めての目覚め。
は、実にスッキリとしたもので、、、というより時差ボケで目覚ましよりも2時間程早く目が覚めてしまった。
我々の基地となったホテルは、57th Streetにある「ル・パーカー・メリディアン」という一流ホテルでして、リンカーンセンターまで歩いて15分ほど。
かなりリッチな立地条件です。(はい、笑って笑って!!)
なんと隣には、あのクラシックの殿堂、カーネギーホール。カーネギーホールだぁぁぁ!10秒ですよ、歩いて!!テン・ミニッツ!!
一応クラシッカーな森岡万貴、これにはさすがに興奮してしまいました。

さて、当然観光に来たわけではないので、早速今日からお仕事開始です。
朝10時から、会場となるエイブリーフィッシャーホールで楽器のセッティング。これが大変。なんてったって、舞台カミシモの上方にヤグラを組んで、ミュージシャンはそこで演奏するのだ。膨大な量の打楽器やら音響機材やらを、なんと「はしご」で上げるのよ。マジですか!?それ、アナログ過ぎやしませんか!?リフトとか無いんですか、リフトとか!?

ええっと、エイブリーフィッシャーはですね、リンカーンセンターにございまして、ニューヨーク・フィルの本拠地として有名な、2500人収容の立派なホールです。
まさかここにヤグラを組んだり水を張ったりするなんて、ホールの設計者は予想もしなかったろうなぁ。

楽器運搬がミミズの次に不得意な森岡万貴的には、セッティングの今日この日がですね、相当憂鬱だったわけですが、気合を入れとかないと怪我をするので、持参の軍手にねじり鉢巻(これはウソ)で、かなりアグレッシブな自分を演出しながらホールに着くと、、、

マッチョなアメリカ人スタッフさんがヒョイヒョイヒョイッと上げてくださったのでした。
これがお見事。ヤグラの上からロープを垂らし、それを下にいる人が楽器にくくり付け、ウオリャァッと上から引っ張り上げる。
すごい速さ。サカイ引越センターも真っ青です。
そして、、、。すごい荒っぽさ!ゴンゴンあちこちに当てまくりながら、漫画みたいに楽器を次々と上げていくマッチョマン達。

さ、、、さんきゅー。(汗)

これ、自分の楽器だったら悲しかっただろうな。良かったリースで。。。と思ったのもつかの間

良くないのだ、全然!!!

打楽器はアメリカの楽器屋からレンタルすることになっていたのですが、ここでちょっと(かなり)凹む問題発生。
これについては、日を改めて書くと思います。

役者さんたちは、お昼過ぎには楽屋セッティングを終え、メジャーリーグやブロードウェイに散って行かれました。
森岡万貴は、なんとか19時ごろに一段落。おっ、ギリギリでショーに間に合うかも!
一人でブロードウェイまで走り、Lunt-Fontanne Theatreで当日券を買って、「美女と野獣」を観ました。
これは、、、
泣きました。良かった。ベル役の女優さん、すごい素敵だった!!

ショーが終わったのが23時前。
朝から動きづめだったし、一人だったので緊張していたのもあって、本日の生命力残りわずか。
よろめきながらデリで朝食用のヨーグルトとマフィンを買って、基地に帰り泥に変身したのでありました。


2002年07月05日(金) 徒然なるN.Y.紀行(1) 野菜を求めて三千里、、、の夢を見た

1時間ほど仮眠を取って、ヨタヨタとスーツケースを担いで成田空港へ。
15:25いざアメリカ大陸へ!と思ったら、機内エアコンの故障で離陸直前に空港に逆戻り。30分程遅れて、無事空へ。
12時間半のフライトですっかり干物に変身した森岡万貴。降り立った地は、アメリカ・ニューヨーク州のJ.F.ケネディ空港。
日付変更線を超えたので、到着は同じく5日の15時30分でございました。

ホテルに着くや否や、荷物もそのままで飛び出して、役者のみんなとブロードウェイへ。
初日以降は夜に本番があるので、ソワレ(夜)のショーが見られるのは今日か明日しかないのだ。
タイムズスクエアにある有名な半額当日券売り場「TICKETS」は、すでに長蛇の列。
あきらめてシアターで正規値段当日券を購入。
「太平洋序曲」の作詞作曲者であるS.ソンドハイム氏の作品、「in to the woods」を44ストリートのbroadhurst theatreで観ることに。
主演はヴァネッサ・ウィリアムズです。

無事チケットを手に入れ、開演までの間に夕食を、と思って入ったピザ屋。
これが、想像を遥かかなたに越える、、、不味さでございまして。。。
そして量が多い。あまりの不味さと多さで誰一人として完食できなかったのさ。
「これがニューヨークの味なのだろうか、、、?私、10日間やっていけるかしら、、、。」
と、かなり不安になったのでございました。
この不安は、後々少しずつ解消されていくのでありますが。

シアターの前には、冗談で作ったとしか思えないような長〜い長〜い長ぁぁぁ〜いリムジンが横付けされ、いよいよショーが始まりました。
さて。今日(昨日か?)東京の我が家を出発してから、殆ど寝ずに30時間が経過している訳であります。重いスーツケースを押したり引いたり、機内からは英語の世界、入国審査やなんやかやを経て、、、緊張しっぱなしだったわけで。

私の前の席に座っていた俳優H氏は、ショーの間中おかしいくらい爆睡しておりました。
私は、体は疲れきっているのに頭は爛爛と冴えていて、初ブロードウェイ・ショーで爆睡!は免れました。
ショーの内容については、、、。う〜ん、どうでしょう。
後日、亜門さんに「どうだった?」と聞かれ困った次第で。。。私的には、あまり、、、ハイ。
英語のジョークなんかが全部聞き取れれば、もっと面白かったのでしょう、、、肺。

帰りはデリで朝食のヨーグルトを買って、ホテルに。
何を隠そう、初めてのアメリカ。
しかもここはニューヨーク。マンハッタン。ブロードウェイ。だぜ。
何から何まで勝手が違い、英語が割と平気な森岡万貴も、さすがにクラクラしながらの帰途でした。

何より重要な「食べること」に関しては、「勝手に食べてね♪」という事で、制作側から支給されている日当で3食共それぞれ勝手に取ることになっていたので、あの頗る恐ろしいピザ屋の洗礼を受け、相当アンニュイな気分になって就寝したのでした。
意識していないと、脂肪分と糖分だらけで野菜が圧倒的に不足してしまう。
ここニューヨークで、栄養のあるものを安く食べられるシチュエーションを、なんとしても早くゲットしなければ!、、、本番までに体を壊しちゃいそう。


2002年07月04日(木) 一滴鱒

4日ごしの思いが実り、やっと乾いた洗濯物!

をスーツケースに詰めて、明日からニューヨークへ

一滴鱒


2002年07月03日(水) 熱夜バトル

ちょっとちょっと!
洗濯物乾きまへんでぇ。
ここまで来ると、可笑しくなってく、、、るけど困るぅぅぅ(涙)
アメリカに行ってる間に、家中カビだらけ!?
いや〜〜〜ん(涙)

しかも今日はですね、この湿気の中、アイツと熱い夜のバトルを繰り広げましたゼ。
アイツです、アイツ。

5月28日から付き合っている、彼。
詳しくはこの日の日記をご覧あれ。

して、勝敗は?

30分に及ぶ濃密な戦いの末、森岡万貴勝利!
(見つめあうこと20分、本番2分、後処理18分。半泣き。)

でもせっかくお風呂に入ったのに、汗ビッショリになり、再び風呂に入るハメに。
彼ったらもぅ、ハードなんだからん。

・・・寝よ。


2002年07月02日(火) 偶偶なの。(ぐーぐーじゃないってば!)

今日もまた、笑っちゃうくらいに湿気がすごいですねぇ。
恐るべし日本の梅雨。
そして、私の洗濯物は、いったいどうなっちまうのでしょうか?嗚呼、、、

今日は、NHK「美しき日本100の風景」のレコーディングで赤坂のスタジオへ。
ハイビジョン放送で、ナレーションは大竹しのぶさんだそうです。

本日のメニューは、マリンバのみ。
「長良川」の映像につける音楽の旋律を弾きます。

そういえば、マリンバに触ったの、何ヶ月ぶりだろ?相当長いこと、マリンバを弾いていない。
久々に聴くと、やっぱりあったかい音ですねぇ。木のぬくもりですね。

長良川は、通過したことは数え切れない程あるけど、まじまじと見たのは1回だけ。大きくて綺麗だったなぁ。
そのイメージを思い浮かべながら、勝手にイントロにアドリブを入れちゃたりなんかして、テストのつもりで気持ちよくテイク1を終えると、

「はい、オッケー。お疲れ様でした。」

「え!?もういいんですか!?」

「うん。」

「、、でも、1箇所左手、違う音弾いちゃった。1瞬だから、バレないかも知れませんけど。。。」正直じいさん森岡万貴。

で、1コーラスだけ録り直して、あっという間に終了。

「いやぁ、エンディングのGの音も、良かったよ。」

「ありがとうございます♪」
・・・実は、エンディング8小節だと思って気持ちよくアドリブしていたら、4小節だったらしく、私の中の半分で伴奏が終わっちゃって、「うわっ」と思いつつも何食わぬ顔でたまたま弾いていたG(ソ)の音をフェルマータして終わった次第でございまして。。。

心臓の毛がボウボウになってきたような気がする森岡万貴なのでした。


2002年07月01日(月) させてぇぇぇぇ

いやぁ、これでもかと言わんばかりの湿気でございますなぁ。
さすが日本の梅雨。

って、感心してはいられない。
洗濯をしなければ!アメリカに行く前に!
でないと服が無い。(貯め過ぎ)

明日から渡米の日まではずっと仕事が入っているので、今日までに洗濯を終わらせるハズだったのに、昨日はあまりの湿気に断念。
今朝起きて週間天気予報を見ると、、、

ゲッ!ずっとこのジトジト状態が続くのかぃ!?
あいや〜〜〜

で、恐る恐る洗濯をしてみた。

案の定、干せども干せども一向に乾かない。逆に湿気を吸って重くなっていくような気さえする。
にわか雨なんかも降っちゃってまぁ!
部屋干ししようにも、部屋の中も湿気ムンムンで、こんな所に干したら絶対良くない。

あぅ〜〜、お布団も干したいのに〜〜〜

洗濯物、5日までに乾くだろうか。。。


maki morioka |HomePage

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