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リンクフリー、辞めてもいい?(苦笑) | ||||||||||||||||||||||||
ぼく ドラえもん(韓国Ver.)
なんと私めが2月度の無線LAN成績トップ営業に! まぁ始まって二日目のレースだからな。1/25〜2/21までのレース。 2/21にはどうなっていることやら(笑) しかしスタートダッシュでぶっちぎりなのでこのまま1位だと思うが。 えらいぞ、オレのスタッフども・・・そしてオレの生き様を見ろ。見さらせ! ・・・営業の仕事、嫌いなんだけどなぁ。
最近、カッターを使用しなくても気軽に吸える俗に言うシガリロという葉巻にハマっている。これは、ヤバい。やっぱ葉巻吸うと普通の紙巻煙草吸うのがバカらしくなる。オレが気に入っているのはPANTER MIGNONというPANTERブランドで一番人気がある(らしい)シガリロである。馳星周の日記でシガリロの存在を知った。小田急線新宿駅の地下で売ってる。10本800円と値段も手ごろで非常に美味しい。これだよオレが求めていたのは。とりあえずネットでPANTERブランドを一揃い買ってみた。こうやって、葉巻好きはどっぷり浸かっていくんだろうなあと可笑しくなってくる。保存する湿度がどうとか熟成の度合いがどうとか、葉巻は言い出したらキリがない。不夜城IIIでは劉健一が数百万かけて、葉巻の最も美味いといわれる湿度にマンションの部屋を改造した件があるくらいだ。まぁ、そこそこハマってそこそこ楽しもう。さすがにルィヴィトンのシガーカッターは会社の喫煙室で出せないしなぁ(笑)JTの煙草よりは身体に害は無いらしいし。とにかく美味いんだな、葉巻は。
1979年、京都府宇治市の川島家と、大阪府吹田市の田村家に、それぞれ次男が誕生しました。両方とも、ごくごく普通の、ほのぼのとした家庭。川島家の次男は明(あきら)、田村家の次男は裕(ひろし)と名付けられ、ともにすくすくと育ちます。この2人の男の子が、様々な紆余屈折を経て漫才コンビを組むことは、神様以外、誰も知りませんでした。 川島明は、ちょっと内気な子供でした。絵を描いたり、粘土遊びをしたり、自分の世界に入り込むのが好き。幼稚園時代は、寝る前に必ず、洗濯バサミをパズルのように組み合わせて、動物やモノの形を3個作るのが日課でした。幼稚園時代の数少ない友人が、小学校に入ってたくさん友だちを作ってくれたので、小学校時代は大勢の友だちに囲まれて楽しく過ごしました。お笑い好きの両親の影響でテレビのお笑い番組をよく見ていて、中でも中田カウス・ボタンの漫才が大好きでした。よくそのギャグを真似しましたが、友だちは誰もカウス・ボタンを知らず、小学校ではあまりウケませんでした。 中学に入るとサッカー部に。ちょうどJリーグが発足し、空前のサッカーブームが盛り上がっていた頃で、女の子にもよくモテました。両親が明という名前に込めた「明るく育って欲しい」という願いに応えて、実によくしゃべる元気な少年時代でした。転機が訪れるのは、中学卒業の時。高校に入学するまでの休みの間に読んだ本に影響されたのです。それはアドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」、そして坂本竜馬を主人公にした漫画「お〜い竜馬」でした。歴史に名を残す人間に比べて、自分は何と小さくて、カッコ悪いのだろう。仲間内で笑いをとって、はしゃいでいる自分が、バカに見えました。すると、誰とも話したくなくなります。 高校に入ってすぐの交流会で、展示物を破ってしまったのをチクられて、ボクシング部の顧問の先生に、歴史の資料集でボコボコに殴られたこともきっかけとなって、高校時代は突然、無口で暗い人間に。授業中、先生の話など一つも聞かずに、ずっと空想の世界に入り込んでいました。「今ここに怪物が入ってきて、クラス全員を食べてしまえばエエのに」そんなことばかり考えていました。卒業写真に写るのも拒否するくらい人との交流を断ち、人の目を気にしなくなったので服装もどんどん汚くなりました。いつも何かに腹を立てて、「みんな死んだらエエのに」と思い続けていました。 それでも、「俺が今考えていることは、他には誰も考えていないのでは?」と思うと、不思議なもので、頭の中で空想し続けていたことを、誰かに知って欲しいという欲求が生まれます。頭の中のことを何かで表現してみたい。どうやればいいのだろう?そこで思い出したのが、小さい頃好きだったお笑い。そうだ!吉本の学校に行こう!・・・突然、そう決意するとバイトでお金をため、勝手に願書を取り寄せてNSCに20期生として入学したのでした。彼のことを、お笑いとは無縁と思っていた高校時代の同級生たちは、とうとう気が狂ったのだと噂し合いました。 一方、田村裕は、製薬会社の課長の息子として、何不自由なく、明るく活発に過ごしていましたが、小学4年生の時に、人生がガラリと変わってしまいます。母親がガンで亡くなったのです。父親がギャンブル好きで、借金をしていました。それを母親のパートの収入で返していたのですが、当然、それも返せなくなります。妻を亡くした悲しみもあってか、父親のギャンブル狂いはさらに激しくなり、借金は膨らんでいくばかり。とうとう中学2年のある時、1週間のうちに家財道具が次々と売り飛ばされてしまいます。クーラーがなくなり、コンポがなくなり、テレビがなくなり、そしてとうとう家がなくなってしまいました。 父親は蒸発。突然、家を失った兄と姉と3人兄弟は途方に暮れます。大学生の兄はバイト先のコンビニで寝泊りしました。高校生の姉は、家がなくなったことが恥ずかしくて友だちに告白できず、公園で野宿。中学生の裕だけは事情を話して友だちの家を泊まり歩きました。そして、泊めてもらった友だちの家の人が「やっぱり兄弟そろって暮らしたほうがいい」といろいろ手を尽くしてくれて、やがて生活保護を受けながら3人で暮らすようになります。 極貧生活の中で、しかし、高校にも進学し、バスケットボール部にも所属しました。兄が「俺が親代わりや」と頑張ってバイトして、「クラブはやめるな」と意地になって続けさせてくれたからです。しかし、やがて生活保護も打ち切られると、1日の食費は300円に。朝晩の食事で精一杯で、お昼の弁当代もありません。昼休みに食堂に行くと、みんなが楽しそうに笑っています。「何がおもしろいねん!」と腹が立って、1人、体育館でバスケの練習をしていました。5時間目の始業チャイムがなると、冷水機で思いっきり水を飲んで、それで空腹を癒していました。 そんな毎日が続くうちに、ごく自然にこう思うようになります。「早く死にたい」「死んだら楽になる」「もう15年も生きたんやし、これで十分や」。すべてに絶望しかけた時、彼を救ってくれたのは担任の女性教師の手紙でした。「笑っている田村くんも、悩んでいる田村くんも好きです。先生もクラスのみんなも・・・」。自分のことを心配してくれている人がいる。それに励まされ、もう少し生きてみようと思いました。そして、「いつも笑っていよう。そうすれば死んだお母さんも喜んでくれる」と考えるようになります。 とにかく人を笑わせるのが唯一の楽しみでした。人を笑わせることに、貧しさも、不幸な生い立ちも関係ありません。お笑いの世界は自由でした。「お母さんの子供が、しっかりと生きた証を残したい」「何でもいいから、名前を残したい」そんな思いが強くなった高校3年の時、やっぱり選んだのはお笑いの世界。彼はNSCに入学したのです。 こうして、たまたま同じNSCの20期生となった川島と田村。その第一印象は、お互いにあまり良いものではありませんでした。川島は相変わらず「みんな死んだらエエんや」という思考を引きずっていて、服装も実に汚らしいままでした。田村は「何やコイツは」と思いました。でも、ネタの発想は面白い。悩んだあげく、田村のほうから川島にコンビ結成を持ちかけました。川島は田村の積極性がイヤでした。明るくて、どんどん前に出る人間が苦手だからです。しかし、断る勇気もなく、ズルズルとコンビを続けることになりました。 ネタを作るのは川島。高校時代、授業中にずっと空想していたシュールな世界を、コントで表現しようとしました。田村をはじめ、周囲の人間にはウケるのですが、NSCの先生にはまったくウケませんでした。NSCは実力の世界。面白さのレベルでA、B、Cと3つのクラスに振り分けられます。20期生は特に不作で、Aクラスは1組もなし。BクラスとC1、C2クラスに分けられましたが、川島と田村のコンビは、ずっとC2クラス。それも「お前ら、やめたほうがエエで」とずっと先生に言われ続ける、最低の生徒でした。 それでも何とか卒業しました。「いつかこの先生を見返してやる!」そんな思いでコントを続けますが、全然、芽が出ません。そんな時、あるオーディションに出場するために漫才をやってみました。やりたいのはあくまでもコント。なぜならコントは何をやっても自由で、漫才だといろいろ制約があるように感じていたからです。しかし、その場しのぎで作った漫才が実によくウケるのです。2人は開眼しました。「漫才という型にはめることで、自分たち独自の発想が観客にも分かりやすく伝わるのだ」。初めてお客さんというものを意識したのでした。 ところが、お笑いの世界は奥が深い。自由な発想を漫才という枠にはめこむだけでは、まだ何かが足りないのです。お笑いコンクールのオーディションにも受かったり落ちたりが続きました。壁にぶつかって悩みました。どうしたらいいのか。でも、考えても分かりません。ある時、ほとんどヤケクソで、川島はお客さんの目を忘れ、自分がやりたいことだけをネタにしてみました。すると、これが大ウケだったのです。以前、自由にやっていた頃にはウケなかったものが、漫才という制約のある不自由な(と自分たちでは思った)世界を通過し、再び自由にやってみようと思った時に、輝きを増したのでした。 ちょうどM1グランプリという優勝賞金1000万円をかけた漫才のガチンココンクールが開催されることになり、彼らも出場することにしました。目標は3回戦に残ること。途中で落とされても別にテンションは変わらないし、という気楽な立場での参加がよかったのか、のびのびと漫才を披露した2人は、あれよあれよという間に決勝進出を果します。ちょうど伸び盛りの時期というタイミングもあったのでしょう。NSCのC2クラスの劣等生が、わずか数年で、賞金1000万円を狙う2600組の中のわずか10組に残れたのです。 「麒麟」という漫才コンビの話です。朝日放送のナイトinナイト「ナンバ壱番館」という番組でM1グランプリの特集をすることになり、それで彼らを取材しました。22歳の若者2人に、そうたした話はないだろうと思っていた僕は、彼らの歪んだ青春時代の話に夢中になってしまいました。それにしてもです、何とお笑いの世界の自由なことでしょう。「みんな死んだらエエのに」と殻に閉じこもり空想の世界に逃避していた若者と、「早く死にたい。死んだら楽になる」と思っていた若者が、こうして出会え、そして一緒にコンビを組むなんて。他ではなかなか考えられないのでは?
仕事で疲れて帰ってきて、ビールを飲みながら聴くアメリカン・ハードロックのなんと力強いことよ。弱気になってもう倒れそうになる自分を何度も立ち上がらせたヴァンヘイレンやサヴァイヴァー、ボンジョビ、おっとレッドツェッペリンも。様々なロックの神々が奏でるギターの音、叫び声。感情の塊が体内に飛び込んで、じわじわと染み込んでくる。音楽は言語も時代も超えてオレを助けてくれる。素晴らしいなぁ〜。ところで、年賀状だが、正月切手が数枚当たってたわ。これで年賀状くれた人に返そう。年末は全然書く心と時間的なヒマがなかったよ。心が壊れたのだろうか。あっはっは。
眞鍋かをりより美人な母親・幸子 ↑音だけで映像が観れない方はhttp://www.divx.com/divx/から FREE DOWNLOADをしてください。
最近知識欲が日に増して強くなりてようよう、様々な本を手に取りて読んでいるでごじゃる。雑誌は一日に3冊以上、小説は1冊以上をいつの間にか読み終えているでごんす。おそらくは何かを考えなくてはいけないのが片腹痛く、何も考えたくない路傍の案山子と身を移すことで、他人の思考に浸かっているのが、比較的楽なのだろうと分析す。二月の後半から勤務先が汐留になるが、その際に部署移動となることによって、これもまた日々の生活がより良い方向に向かうのだな候。我が背負いし因果律の回転が再び始まる。いつになったら、小生は痛快ウキウキ通りを歩けるのだろうか。
今日の名言
また小説を読んだ。奥田英朗の「イン・ザ・プール」。続編「空中ブランコ」は直木賞を受賞した。この小説を読んでよかったのは、まずちゃんと笑えたことである。小説で読者を笑わせるのは、結構(いやかなり)難しい。ちなみにオレは大爆笑作と言われている(らしい)京極夏彦の「どすこい。」という小説でこれがまた、クスリとも笑えんかった。才能無いよ、京極。作中のしりあがり寿のマンガがちょっと面白かったけど。こういう“笑える”小説ってのは発想力がモノを言う。いわゆるボケの部分。それと登場人物による痛烈なツッコミだな。ギャグの基本なんでしょうけど、そういうのがホント響く。東野圭吾の「名探偵の呪縛」「名探偵の掟」もイイ。今まで一番笑えた小説は三谷幸喜著作の「経費では落ちない戦争」(←小さな出版社から出版されたため、現在絶版)だったが、この「イン・ザ・プール」も結構イイとこ行ってる。奥田英朗は代表作「最悪」「邪魔」というようなノワール風味の小説が非常に良いのだが、今回の「イン・ザ・プール」にもその片鱗、人間に対する彼ながらの洞察、皮肉のペーソスがいっぱい合ってとても楽しめた。「空中ブランコ」も買おう。なんとこの小説、主人公の精神科医が松尾スズキで映画化されるらしい。脚本はクドカンの方が良かったんでは〜?と余計なお世話にも思ってしまう。短編集だし、あらすじだけ書いてもオモロないので概要はカット。いやーたいした才能だわ。巧い。
仕事の合間に八王子駅前の本屋に寄り、今年のすばる文学賞受賞の作品を立ち読みした。最近、新しく小説を読むことは少なかったのだが、タイトルがひっかかったのだ。「となり町戦争」という作品名に惹かれた。以下内容を書く。これからこの小説を読む予定のやつは読まないほうが良い。約20分で読んだので所々抜けているが覚えているところだけ書く。細かい名称は違うかも。気にするな。
iPod Miniへの愛情が伝わってきます。 選曲も「Tiny Machine」を選ぶところが憎い。 『iPod』ファンが自主制作したCM、ウェブで話題に(Wired News) ガルシアへの書簡(原文) 著:エルバート・ハバート (次の物語は,1899年に、わずか1時間で書き上げられた。 著者エルバート・ハバード はごく平易な文体で書いたのだが、そこには非常に重要な基本的教訓が含まれていたため早くも1913年には原本が4千万部印刷されていた。 日露戦争中、前線に向かうロシア兵士は皆、 「ガルシアへの書簡」 を一部携えていた。日本軍は捕虜のロシア兵から没収したその本の数から直ちに翻訳すべきであると考えたし、後には勅命によって、武官と文官を問わず、官吏全員に一部ずつ与えられた。この物語はこれまでに、ロシア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、トルコ語、ヒンズー語、日本語、そして中国語に翻訳されている。 おそらくこの他にも多くの言葉の翻訳があることだろう。その教訓は当然ながら、書かれた当時の時勢に適っていたが、今日もなお、さらに耳に痛い向きさえあるように思われる。) キューバがらみでいえば、私の記憶の地平線に、近日点の火星のように輝く一人の人物がいる。米西戦争が勃発したとき、反乱軍の指導者と直ちに連絡を取る必要があった。ガルシアはキューバのどこかの山塞にいる。どこであるかは誰も知らない。郵便や電報が届くはずもなかった。 大統領は彼の協力を得なければならない。しかも早急に。 どうすればいいのか! ある人が大統領に言った。 「ガルシアを見つけられる人がいるとしたら、それはローワンという男でしょう」 ローワンが呼ばれ、ガルシアへの書簡が託された。「ローワンという名の男」がどのようにしてその手紙を受け取り、油布の袋に入れて密封し、心臓の上にくくりつけ、4日後に夜陰に乗じて小さなポートでキューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え、敵国を徒歩で縦断し、ガルシアに書簡を届け、三週間後にこの島国のもう一端の海岸に現れたかを、ここで詳しく話すつもりはない。私が強調したいのは、マッキンレー大統領がローワンにガルシアへの書簡を託したとき、ローワンはその書簡を受け取って、「彼はどこにいるのですか?」と尋ねなかったことである。 この人こそ、その姿を不滅の青銅で象り、その像を全国の大学に設置すべき人物だろう。若者に必要なのは机上の学問でも、あれこれの指示でもなく、背骨をまっすぐに伸ばしてやることである。そうすれば信頼に応え、迅速に行動し、精力を集中して、任務を遂行するだろう。ガルシアに書簡を届けるだろう。 ガルシア将軍はすでに世を去ったが、ガルシアはほかにもいる。多くの人手を必要とする大事業を遂行しようとしたことのある人なら、きっと平均的な人間の無能さに愕然とした経験があるだろう。一つのことに集中して、それを遂行する能力、あるいは意欲がない。ずさんな手助け、愚かな不注意、なげやりな無関心、それにうわの空の仕事がお定まりらしい。騙したり、すかしたり、脅したりして、他人の手助けを強要するか、金で買うかしないかぎり、誰も成功は望めない。 読者諸氏よ、試してごらんなさい。あなたはいまオフィスにいて、六人の部下が近くにいる。その中の誰か一人を呼んで、頼む。「百科辞典で調べて、コレッジョの生涯について簡単なメモを書いてくれないか」 その部下は静かに「はい」と答えて、仕事に取りかかるだろうか?決してそうはしないだろう。 きっと怪訝な顔をして、 次の質問を一つか二つするだろう。 「どんな人ですか?」 「どの百科事典でしょう?」 「その百科事典はどこにありますか?」 「ビスマルクのことではありませんか?」 「チャーリーにさせてもいいんじゃありませんか?」 「故人ですか?」 「お急ぎですか?」 「その本を持ってきますから、ご自分でお調べになりませんか?」 「なんでお知りになりたいのです?」 あなたがその質問に答えて、その情報の求め方や、あなたがそれを求める理由を説明した後、その部下は十中八、九、ほかの部下の所へ行って、ガルシアを見つける手伝いをさせるだろう。それからあなたの所へ戻ってきて、そんな人物はいない、と言うだろう。もちろん私はこの賭けには負けるかもしれないが、平均の法則に従えば、負けないはずである。 もしあなたが賢明なら、「補佐役」にコレッジョの見出しはKではなく、Cであると、わざわざ説明したりしないで、優しい笑顔を見せて「もういい」と言い、自分で調べるだろう。この自主的に行動する能力の欠如、精神的な愚鈍さ、意志の軟弱さ、進んで快く引き受けようとしない態度のために、本物の社会主義者がなかなか現れないのである。 自分のためにさえ行動しようとしない人たちが、全員の利益のために、どれほどの努力をするだろうか?節だらけの棍棒を手にした副社長も一人は必要だろう。土曜日の夜に「クビ」になるのが怖いばかりに、大人しくしている労働者が多いからある。タイピストの求人広告を出せば、応募者十人のうち九人までが、ろくに綴りを知らないし、句読点も打てない。しかも、そういうことを知らなくてもいいと思っている。 そんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか? 「あの出納係ですが」と、ある大きな工場で監督が言った。 「彼がどうしたかね?」 「会計係としては有能ですが、街へ使いにやると、いつもというわけではありませんが、途中で四軒の飲み屋に寄り、目抜き通りにたどり着いたときには、何の用で来たのか忘れていることがちょいちょいです」 こんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか? 私たちは近頃、「虐げられ、搾取されている労働者」や「まともな職を求めてさまよう、よるべない人々」に対する感傷的な同情を耳にする。それにはたいてい、経営者に対する厳しい言葉がつきものである。だらしない役立たずの連中に気の利いた仕事をさせようと、むなしく奮闘して年齢不相応に老け込む雇い主、彼が背を向ければさぼることしかしない「手助け」を得るために、長年、忍耐強く努力を重ねている雇い主。こうした雇い主たちに対しては言うべき言葉もない。どの店でも工場でも、除草は常に行われている。雇い主は、事業の繁栄に役立つ能力のない「手助け」を絶えず解雇して、代わりを採用しているのである。 どんなに景気が良くても、この取捨選択は続く。ただ、不況で職が少なくなると、その選択が厳しくなって、無能で役に立たない人は、職を追われて、そのままになってしまう。適者生存の原理である。 どの雇い主も自分の利益のために、最も優れた人材、ガルシアへ書簡を届けられる人たちを残そうとするからである。 私の知っているある人は、非常に優れた資質を備えているが、自分で事業を経営する能力はない。さらにまた、他人には全く役に立たない。雇い主が自分に不当な圧迫を加えている、あるいは加えようとしている、という異常な猜疑心を常に抱いているからである。彼は命令を下すことができず、受ける気にもなれない。ガルシアへの書簡を託されたら、その返事はおそらく、「自分で届けろ!」だろう。 この男は今夜も職を探しながら街を歩いている。風がそのすり切れたコートを通して、ひゅうひゅうと鳴っている。 彼を知っている人は雇おうとはしない。常に人々の不満を煽るからである。彼には道理が通じない。彼に印象を与えるためには、靴底の厚い九号のブーツの爪先で一蹴するしかないだろう。これほど異常な性格の持ち主は、憐れむべきだろう。しかし我々は、大事業の経営に努め、終業ベルが鳴っても仕事の終わらない人たちににも、一滴ぐらい憐れみの涙をこぼそうではないか。なげやりで冷淡な連中、だらしのない無能な連中、そして恩知らずの連中を統率する苦労で、早々と白髪になる人たちのためにも。彼らの事業がなければ、この連中は皆、飢えて、住む家もないだろう。 私は言葉が過ぎただろうか?そうかもしれない。しかし世間全体が貧民化した今、私は成功者に同情の言葉を述べたい。この人たちは、勝ち目の乏しい闘いに挑んで、人々の努力を促し、勝利を収めながら、何も得るところがないのである。住むところと、着るものしかない。私は弁当持ちで出社し、日々の給料分の仕事をしてきた。同時に、人も雇っているので、両方について言えることがある。貧困そのものには、何の利点もない。襤褸(ぼろ)は褒めるべきものではない。そしてすべての貧しい人たちが高潔とは限らぬように、すべての雇い主が強欲で高圧的であるとは限らない。 私が心を惹かれるのは、「上司」がいるときにはもちろん、いないときにも勤めを果たす人である。そして、 ガルシアへの手紙を渡されたら、黙ってその信書を受け取り、愚かな質問をせず、すぐさま下水に捨てたり、そのほか、届けないで処分したりする気を起こさない人は、決して「一時解雇」を受けないし、賃金の値上げを求めてストをする必要もない。文明はそのような人々を捜し求める長い課程である。 そのような人の願いは何でも聞き入れられるだろう。そのような人はどこの都市でも、町でも、村でも、必要とされるだろう。どこの事務所でも、店でも、工場でも。世界中がそのような人々を呼び求めている。「ガルシアへの書簡を届けられる」人物は、非常に必要とされているのである。
1 :七つの眼鏡φ ★ :04/11/02 05:37 ふみひこ
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