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2006年06月05日(月) 6月4日のlesson de ラ・パレット…

4月に続いて、今回も、大勢の皆様に聴講にいらしていただき、程よい緊張感の中でのレッスンとなりました。
人数が多くても、落ち着いた雰囲気なのは、集まった皆様の人柄でしょうか。
この公開レッスンにも、一定のカラーができてきたようで、企画を立て始めた頃から比べると、夢のようです。

この日、レッスンで取り上げられた曲は以下の通りです。

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 バッハ 小プレリュードヘ長調 BWV.927
 クーラウ ソナチネOp.55-2 第1楽章
 ランチアーニ 朝の歌
 レヴィ タンブランOp.30-6
 ツェルニー 30番 11 12

 ツェルニー30番  20 21
 バッハ インヴェンション 3番 14番
 バルトーク ミクロコスモス3巻より
 モーツァルト ピアノソナタK332 第1楽章

 バッハ シンフォニア 7番
 ショパン ワルツop.18
 ショパン 幻想即興曲

 ラヴェル 「鏡」より 蛾
 バッハの平均律一巻 4番 7番

 シューマン ファンタジー C-dur Op.17
 ラフマニノフ 絵画的練習曲 Op.33 No.7

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この日の先生のお話で、一番印象にのこり、考えさせられたのは、
「子どもの頃に耳に受けた音は、一生その人の中に残ってその人の音となる」
という、先生ご自身の経験を交えたお話でした。
子どもだからこそ、本当の音楽的な音を聴く機会を多くもつべきであり、後からどんなに勉強しても、演奏家になってコンサートで演奏すると、その人の本質が出てきてしまう…という現実は、お子さんを指導する立場の者として、何をしたらよいか、考える指針の一つとなるように思いました。

その答えの一つとして、先生が示してくださったのが、
「子どもに弾いてあげること。その音が美しければ、それが子どもの中に残る」
というやり方。これができるためには、指導する側自身の中に音を持っていること、そして、それを常に示せるように、研鑽を重ねること…が必要ですね。

それをCDで代用することについては、
「CDは写真、CDには音のふくらみ(本当の音楽のよろこび)がないから、CDだけで済ませてはダメ。」
という明確な回答が示されました。

ちょっと脱線しますが、この音のふくらみとCDの関係について、私自身、忘れられない思い出があります。
それは、ルイサダ先生が、ショパンコンクール後、日本でリサイタルをなさり、レコーディングをはじめられた頃のこと。
コンサートで、ルイサダ先生のピアノの音の響きの美しさに魅せられていた私は、最初のCDが発売当日に、無理矢理時間を作って買いに行き、夜、仕事が終わってから、胸を躍らせて聴き始めました。
しかし、スピーカーから聴こえてきた音は、ルイサダ先生の演奏から一番魅力的な響きを取り去ったようなもの。
本当に感動的な音楽は、同じ空間に身を置かなくては聴くことはできないのだ…と、身をもって知った瞬間でした。

閑話休題。

この子どもの時の音…というのは、決して、プロになった時だけ問題になってくるのではないのではありません。
なぜなら、ピアノの音は、誰にも聴かれずに弾き続けることはできないし、将来、親となり、お子さんと共にピアノに向かうときがくれば、世代を越えて受け継がれる可能性があるものだからです。
音楽家が一人出るには三代かかる…といわれるのも、こうした細かなことの積み重ねを指しているのかも知れません。

この日は他にも、文化について、エチュードへの取り組み方、本当のリズム感とは…など、様々なお話について、先生の経験や、先人の言葉を交えながらのレッスンは、長い目で見て、自分の中に残しておきたいものが沢山あるような気がしました。
この公開レッスン自体も、レッスンを受ける生徒さん、聴講する私たちの中に、魅力的な音、音楽を残すためのひと時と言えると思います。

次回は、8月6日日曜日です。
お申し込みをお待ちしています。


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