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2004年10月06日(水) 10月3日のlesson de ラ・パレット…

注意報が出るほどの大雨の日曜日でしたが、早い時間から熱心にいらしてくださった皆様で、会場のスタジオは満席となりました。
3年目を迎えて最初の公開レッスンですが、音楽への真摯な思いを持つ方たちが、少しずつ確実に、北川先生の教えを求めて集まっているのを感じます。
そして、公開レッスンが行われている空間には、純粋で濃密な音楽が満たされていて、音楽が心底好きな人ならば、そこにいることに幸せを感じられるような、そんな時間を共有する連帯感のようなものも生まれつつある気がします。

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ツェルニー30番より 1番
バッハ インヴェンションより 2番
ピュイグ=ロジェ ピアノ教本より  賛歌「舌よ、歌え」(エレディア)
ソナチネアルバムIより (曲は未定)
バルトーク ミクロコスモス2巻より 48番

バッハ インヴェンションより 11番
バルトーク 子供のために1―2より 豚飼いの踊り
モーツァルト ソナタ K545 第3楽章

ミクロコスモス6巻,ブルガリアン リズムによる6つの舞曲
イギリス舞曲SUITE2

ラヴェル 水の戯れ
リスト ため息

バッハ パルティータ第5番

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この日の公開レッスンを通して、ずっと考えさせられたのは、音楽が意味することを確実に表現することの難しさです。
バルトークや、ラヴェルでもそうですが、耳慣れたバッハなどでも、音楽を感じて弾いているかどうかで、演奏が全く変わります。
“楽譜の背後にある音楽”を読み取る力の大切さを、そして、それが本当に音になっているかどうかを聴く力の重要性を、改めて強く感じました。

北川先生のお話で、最も印象に残ったのは、「魅力的な音楽というのは魅力的な話し方と同じ」というものでした。
そのお話をされたのは、小学生の生徒さんのレッスンの時だったのですが、その後、成人された生徒さんのレッスンの時に、「ピアノの勉強ではなく音楽の勉強をしなくてはならない」とおっしゃったのにも通じているように感じました。
これは、なかなか理解できない方もいらっしゃるかも知れませんが、演奏というのは、本来、そういうものなのだというのが、私には、とてもよくわかりました。
私が尊敬する、ジャン=マルク・ルイサダ先生も、あの演奏から想像する、そのままのお話のなさり方だと感じますし、それどころか、お話のなさりかたそのものが音楽のようにも感じます。
北川先生とルイサダ先生は、世代は違いますが、マルセル・シャンピの元で学んだという共通点があり、そのせいか、北川先生のお話を伺うたびにルイサダ先生を思い出してしまう私なのですが、今回は、殊更に、強く思い出されてしまいました。

他にも、本当に適切なタッチとは、本番で緊張しない練習方法、ピアニストが非音楽的になる罠、バッハの音楽について、音の質とテンポの関係、音楽とは…など、ピアノを指導するためばかりでなく、自らが演奏するためにも、常に模索しているテーマがレッスンの中で自然に出てきて、聴講している皆様にとって、有意義な時間になったことと思います。

最後に時間に余裕があり、その時に、「生でなければ聴けない音」というお話をなさりながら、チラッとお弾きくださった、ベートーヴェンのワルトシュタインの美しさには、息を呑みました。
CDばかり聴いているのでは、絶対に出会えない、ホンモノの音楽でした。

他にも、大リーグで偉大な記録を打ち立てたばかりのイチロー選手について…など話も出て、そして、野球の話でも、結局は、音楽に繋がっていくのですね。でも、一生懸命にやっている人なら、自分の分野にひきつけて考えるのは、当然のことかも知れません。

そうそう、音楽を言葉で表すことについて、北川先生は、こんなこともおっしゃっていました。
「音楽を言葉で表すと、その言葉がどんなに適切なものであっても、そこにある種のすり替えが起きる。音楽は何かを知っている人は、その言葉の表すものの意味が分かるけれど、そうでない人にとっては、その言葉は意味がない」
ですから、このレポートで書かれているものも、すでにすりかえられてしまったものに過ぎません。
ホンモノの音楽に触れたい方は、ぜひ、会場に足を運んでください。

次回は、12月5日です。
大勢の皆様のご参加を、お待ちしています。


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