健康日記

2002年05月23日(木) 母の旅行

診察の度に,少しずつ考えを他の方向に向けさせようと,先生が試みているのを感じる。

6月に母が来る。
今からそれなりのストレスになっている。
母がいる間,自分だけの為に週末を使うことが出来なくなる。

母は私の留学が決まってからずっと,フランスに来ることを決めていた。
とても嬉しそうにしていたし,犬を連れてくるために訓練をしたりしていたので,来ても良いと答えた。
夏は暑いので体力をつけるよう,冬の間からしつこく言ってきたし,言葉を練習するようにも言ってある。

切符を取ると言う話をなかなか聞かないので,ネットで旅行代理店を探し,電話させた。
グルノーブルあるいはリヨンまで直接飛行機で来るよう言ったが,どうしてもパリまで迎えに来いという。
疲れるからいやだと,何度も断ったが,敵はしつこかった。

切符の話だけでは終わらないであろう事は今から想像に難く無い。
犬の躾けは間に合わず,置いてくることになった。
それはそれで,私が考えることが少なくなってよいのだが,今度は3ヶ月預けることで,ぐじゃぐじゃと悩みをぶつけてくる。
そんなことは私の知ったことではない。

荷物についても,必要な物,必要でないものをある程度電話で指示したが,メモするなどということはせず,何度も同じことを聞いてくる。
暑い場所は嫌だの,犬を置いていくと帰った後が心配だの,出発日について父が文句を言っただの,そんなことを言われても何も変えられないし,時間を食うだけである。

先週,予定を確認するために大学から電話した。
大学からだと言っているのに,結局1時間もかかってしまった。
母に電話すると,用件を言わせてもらえるまでに,ながながと愚痴を聞かされるのだ。

電話を切ってしまうことはしなかったのですか,と言われるまで,途中で切ってしまうことは考えなかった。
どんなに腹をたてても,途中で切るということは滅多にしない。
過去に1回か2回しかなかっただろう。
用事があってかけたのに,自分の用事を切り出す事が出来るまでに,長くかかるなら,その時は諦めても良かったのではないか,と言われ,なるほど,そうかもしれないとやっと気づく。
電話を途中で切られたら母は怒るだろうが,そんなことを考えて,切らなかったのではない。

私が母に来ても良いと言ったのは,母がある程度自分で行動できると思っていたからである。
何でも人に頼って,いつも私にくっついて行動しようとする人物を受け入れたつもりはない。
暑いのが嫌だというので,じゃあ,山に一週間居てもらおうというと,言葉が出来ないのに,と言う。
夏の間仕事をすることは言ってある,どうしろというのだ。
考えれば考えるほどいらついてくる。

パリまで迎えに行く事について,なぜ,行くと言ってしまったのかと聞かれた。
行けないなら行かなくて良いのではないか,行かないとどうなるのか,と聞かれた。
どうしても迎えに来いとしつこく言われ,私が母に対して厳しすぎるとまで言われ,渋々承諾したのだ。
行かなければ,おそらく旅行を中止し,死ぬまで嫌みを言われることだろう。

別の考え方をするようにした,と答えた。
迎えに行くということは,週末を2回使うということだ。
その分母のために使う時間を減らせばよいと。
時間と疲れのことはそれで解決できる。
けれども,私に頼り切る人間が来るということは変わらずにのしかかっているのだ。



2002年05月17日(金) 脱毛

生まれて初めて,人様に脱毛してもらいました。
ばりばりはがすタイプのですが,自分でやるのと違って痛くないですね。
かみそりだとすぐに生えてくるし,生えてくると痛いし,これならやってもらったほうがいいな,と思いました。



2002年05月16日(木) カップルの生活って何だろう?

2000年4月から生活を共にしている人と,私の留学のため,今は別居中。
この事について,ロジェはどうしてそう言うことが出来るのか,相手の浮気が心配でないのか,あるいは私が浮気するのではないかと相手が心配しないのか,という。
そう言う心配は私は全然していない。

相手が私を大事にしてくれているのはわかっているし,私が彼を大事に思っていることも,彼はわかっていると思っている。
彼を信頼しているし,彼も私を信頼してくれている。
この「信頼」というのは何なのか?と診察で聞かれた。

改めて何なのかと聞かれると,答えに詰まる。
彼は私を一番に気にかけてくれるし,私の一番の理解者であり,また,彼が相談事をする相手はまず私である。
外ではあまり人に言わないことを,私には言っている。

「彼も人間でしょう?」と聞かれ,「それはもちろん,彼にも欠点はあります。」と答えた。
先生の言葉には,欠点という含みはなかったようで,今の関係が何かの要因で変わる可能性があるだろうということを指していたようである。
彼に誰か別の人が現れるとか,私に新しい出会いがあるとか。

そう言う可能性は完全に否定はできないのだろう。
でも,私には,彼との生活をより良くする努力をすることは考えられても,彼を放り出して,他の人と生活を築いていくということは考えられない。
彼との生活に失敗したら,どうして他の人との生活が成功すると想像できるだろうか?

万一彼に恋人が出来たら,私は彼と別れるだろう。
それは多分,私との間に修復不可能な問題が出来ている事が前提になると思う。
そんな問題が出来るとしたら,おそらく私に非があるだろう。
金銭感覚の欠如,健康上の問題などによって,彼の負担が重くなりすぎる可能性は否定できない。
そうなったときに彼が他所を向いてしまったら,改善する努力はするとしても,おそらく既に彼は私に愛想を尽かしていることだろう。

あるいは彼の方に,何か問題が起こった場合,私は彼が楽になれる様努力するだろう。
それでも,改善されなかった場合,おそらく他の人と新しい生活を始めるという選択は無いだろう。

どちらの場合も,おそらく彼にとって,あるいは双方にとって,家庭は居心地の良い場所ではなくなっているだろう。
私は生まれ育った家庭が居心地の良い家庭ではなかった。
多分そのためだろう,居心地の良い家庭を持ちたいという欲求が大きい。
これからの長い人生,何があるかは予想できない。
今築いている途中の新しい家庭が,居心地の良い場所に出来なかったら,私はどうする,あるいはどうなるのだろう。


ロジェとブリジット,知りあったところは全く異なるけれど,二人とも配偶者との間がうまくいっていない。

ブリジットの夫エリックは数年前から鬱がちで,通院している。
二人の間に会話は少なく,エリックは感情を表に出さない。
ブリジットは,仕事さえ見つかれば,そして,誘いがあれば他の人と生活するために家を出るという。

ロジェの奥さんは,ロジェが浮気するのではないかといつも心配していた。
そして,ロジェを拘束していた。けれど,ロジェに対して高圧的で,ロジェは家に居場所が無いと感じている。
私はロジェと話していて沢山共通点を見つけることが出来るが,奥さんとの間に共通点は少ないという。
私のような人で,一緒になってくれる人がいたら,家を出るという。

メガには23歳年上の恋人がいる。彼には奥さんがいるが,うまく行っていない。メガには離 婚すると言っているという。メガにとっては落ち込んでいたところを救ってくれた人だ。でも,奥さんが知っているかどうかはわからないが,結婚したままメガと付きあっている。

ブリジットの話を聞いたあとメガに出会い,その後にロジェの話を聞いた。
ブリジットもロジェも愛情の無い生活は出来ないと言っている。
愛情って何だろう?

ブリジットはエリックが自分に触ろうとしないという。
愛情は身体で表現するものだと。手を握ったり,キスしたり。
そして,愛情が無い生活は出来ない,と言った。

ロジェの奥さんは,肉体関係を拒んできた。
ロジェには男性としての役割を持たせてくれる相手が必要だったという。
そして,そう言う相手を持ったことがある。
40代を迎えたころに,特に必要を感じたという。

この三つのカップルの話に,何か私は違和感を感じた。
フランス人は挨拶にキスをする。
この習慣は,私は心地良く感じる。
普段から身体をコミュニケーションに使っているから,敏感なのだろうか?
カップルがキスしていたり抱きあっていたりという場面はしばしば見かける。

うまく行っていないから別れるというのならわかるのだが,他の人のところに行くというのが私には解らないのだ。
診察で話すと,それは私がうまく行かなければ別れるという二つの選択肢しか考えていないからではないかと言われた。
確かにその通りなのだけれども,なにかしっくり来ないのだ。

何か,「彼女が欲しい,彼氏が欲しい,結婚したい」という希望を耳にするときのような,違和感を感じるのだ。
これらの希望を耳にすると,だれでもいいから相手になって欲しいというふうに聞こえ,そして,幸せは誰かがもたらしてくれるものというふうに聞こえる。

「一人で得られる幸せと,二人で得られる幸せは違うのではないか」と言われた。
確かに,彼と二人の生活はとても居心地がいいし,一人に慣れるのに時間がかかった。
でも,新しい相手を見つける,という発想がどうにも解らないのだ。

二人あるいは複数での生活を維持するには努力を要する。
一人の相手との生活がうまく行かなくなったとき,新しい相手を探すものなのだろうか。
新しい相手が必要なのだろうか?
考えても,何かしっくり来ない感じは残ったまま,何の答えも得られない。

「人が言った事が問題ではなく,受け取り方の問題でしょう」と言う言葉で診察は締めくく
られた。



2002年05月14日(火) むくみ

私は疲れるととてもむくむ。
ときどき,むくみをとるオイルでマッサージをする。
最近は大分さぼっていたが,久々に昨日の夜やってみた。
お風呂上がりだと,20分もすればトイレに駆け込むのだけれど,ここでは朝シャワーの生活。
あんまり効果ないな〜などと思いながら,布団に潜り込む。


そうしたら何と,夜中のうちに2回トイレに行く羽目になった。
余程水分溜めていたのね。


むくみからは離れるが,おととい少し散歩をしたら,筋肉痛やら,腸が活発になるやら。腸にも色々溜めていたらしく,ただいま私の体は大掃除中。
ついでのように,下痢が再開したのには頭を抱える。



2002年05月02日(木) ウイルス感染

長いこと続いた下痢と微熱,血液検査の結果,ただのウイルス感染でした。
ウイルス感染というのは,細菌の感染より普通に起こる感染です。
ようするに,大したことないと言うこと。
でも,長く続くと身体が辛いんです。

お医者さまに,下痢は止めないといけない,と言われました。
1月半ばからずっと,断続的に下痢が続いていたんです。

体調が悪いことに慣れすぎてしまって,早めに対処しませんでした。
お陰で,普通なら1週間も続くはずが無いものが3ヶ月も続いてしまいました。
毎週のように,熱か下痢があり,ということは毎週新たに感染していたということです。

どういう症状が,治すべきもので,どういうのは放っておくべきなのか,簡単に区別ができません。

面倒なもんです。



2002年05月01日(水) 長いことサボっていました

3週間前から,診察でフランス語で話すようにしました。
パリでの研修でフランス語で生活していましたから,いい機会だと思ったのです。
今までは,日本語で話していました。
日系の先生で,きれいな日本語をはなす先生なのです。
診察を受け始める前に,言葉はどちらでも,話しやすい言葉で話して下さい,と言われていました。
普段うじうじと考えてしまうのは日本語が多かったので,日本語で話していました。

けれども,日本語で話すということは,さらに日本語で考えてしまい,フランス語あるいは英語の上達を妨げていました。
どこかで,日本語を使わないよう切り替えないと,フランスにいるメリットがどんどん減ってしまう気がして,機会を伺っていました。
研修の間,日本語で考えませんでしたから,そのままフランス語で診察,以後自然にフランス語で考え,フランス語で診察を受けています。

ところが,フランス語で話したことを,日本語に考え直して書くという作業がとてつもない大事になってしまったのです。
どうやら,フランス語と日本語は,頭の中で全く違うところにあるようで,「フランス語で考えた考え」と「日本語で考えた考え」が辞書のように簡単には対応して出てきてくれないのです。
これも,未熟なためだと思うのですが。

こんなわけで,サボっていました。
今後は,今までの様に細かく会話を描写するのではなく,書き方が変わってくると思います。


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