Funnyの日記

2009年04月23日(木) ひと安心、でも…


実は3月中旬に私の甥が交通事故にあったのです。

はっきり言って「重体」でした。

一時は最悪の状況も覚悟するように医師に告げら体中の力が抜けるほどの衝撃でした。

頭部の損傷が激しく「助かっても重度の障害が残る」など、兄夫婦もみんなもこれからどうしたらいいのかと、途方にくれる告知でした。

頭や口、身体にもいろんな管が通され、生命維持装置もつけてられていました。

身動きできないようにベットに縛られ手足も固定してあるのを見て、かわいそうで涙しか出なくて。

ただただ回復を祈るだけでした。

仕事の交渉で海外に出かけていた兄は次の日に帰国したのですが、その悲しみようは見ているのも辛くなるくらいで、崩れるように「悲しい!」と泣いていました。

兄弟の中でも一番大人しく、親の言うことも黙って聞く子でじっとがまんすることが多い子でした。

あんなに優しくて大人しい子がなぜ?という気持ちでいっぱいでした。

始めの1週間は、ICUに入るのも恐く「昨日よりは良くなっていますように」と祈りながら病院に行っていました。

その日からは、仕事や用事が一段落しても「ホッとする」時間を感じられなくて、時間が取れれば義姉に様子を聞いたりできるだけ病院に行くようにして手足を触っては声をかけ、「みんな待てるからね!」と話しかけていました。


そうして、みんなの祈りが届いたかのように10日経った頃、まだたくさんの管が付いているので声は出せないのですが、話しかけるとうなずくようになり、3週間でうっとうしそうにしていた胃に入れていたカテーテルが抜け、「声がでない」としゃべったんです。

4週目には自分で食事が取れるようになり、一番心配した「脳の損傷による意識障害」は見られず、ずいぶんと良くなりました。

左膝の靱帯を断裂しているので、まだ車いすだけど自分でトイレにも行くようになったし。

ただ、視力が戻っていなくて・・・。

「明かりは見えるよ」と明るく話すのですが、一方の目は全くまぶたが開かないので心配していますが、本人は「片目が見えれば大丈夫だよ」と普段の飄々とした語り口調で話すのですが。。。

まだまだ今後も困難な手術が数回行われる予定ですが、意識が回復し本人の認知度も明確でリハビリもがんばっている様子なので、必ず通常の生活ができるようになるだろうと思っています。

兄も1ヶ月ほど休んでいた仕事も再開しているようだし。

まだまだ全快ではないけど、最悪の状態には至らなかったので少し安心しました。


身近な所でこんな大事故に合うなんて思いよらず、改めて交通事故の怖さを痛感しました。


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yu [HOMEPAGE]


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