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2010年01月18日(月) 永遠の小林繁、背番号19

新年初書きでございますな。。

長年のファンであった小林繁氏の訃報を母が持って来たのです。。
体調がよくなかったので横になっていると、
「小林繁…死んだよ!」だと…
って、何でこんなに悲しい話でスタートなのか…


確か「ドカベン」を読み始めたのと「野球狂の詩」でプロ野球に興味を持ち始めたのが影響した頃だと思うけど、私にもジャイアンツファンであった時代があったのですよ。。で、その時一番好きだったのが小林投手です。と言ってもその頃はもう小林のジャイアンツ最終年で、その次のシーズンはジャイアンツではなくて、阪神でした。例の江川問題、の直前だったわけ。


「江川問題」なんて知らない世代のほうが多いんですが(私も何で自分が知ってるのかよく覚えてないんですが)、誰が阪神に行くことになるか考えたら、小林しかいないんじゃないか(阪神側が納得できるという意味も含めて)、という感じだった。あの時、小林は宮崎キャンプに行く直前だったと思う。小林投手が好きで好きで、報知新聞社の出してる雑誌なんかでそういう情報を得ていたんだとおもう(そういや「プロ野球ニュース」を父と一緒によく見ていた)。。この江川問題のことで、父が取っていた読売新聞の配達所に電話し、
「こんな汚いことするような会社の新聞は取らない。余りにも汚いじゃないか」
と抗議していたのを覚えている。


で、阪神に行ってから2年目位からは私自身も学校の勉強で忙しく、野球を見なくなっていた。引退した事を聞いた時は寂しく思ったけれども、当時阪神というチームがあまり好きではなかったので、現役時代の小林に関しては、それまでで終わっていた。

選手時代にはあまり喋る所を見たことがなかったように思うが、この人は本来はよく喋るほうで、またその話が聞いていて非常に面白かった。
それは引退後の小林繁の魅力再発見だった。
例えばテニスの伊達公子のライジング・ショットの解説をしてくれたことがあったが、非常にわかりやすく面白かった。
また、野球の解説ではピッチャーの球や選手の投球角度なども、この人の野球観、野球に対する情熱を窺い知れ、聞いていて大変面白かった。
プロ野球チームのオンラインゲームのインタビュー記事も読んだが、アンダースロー、サイドスローの理論などが語られていて、野球好きなら誰でも夢中になって聞き入る話だった。
とにかく、そういう魅力を持つ人だった。


評論家から近鉄のピッチングコーチになり、その後ずっと動向気にしていた。梨田さんが日ハムの監督になった時に一緒にハム入団で、しかも今年からは1軍のピッチングコーチ決定していたので、時々BSとかで放送される日本ハムの試合で投手交代の時にマウンドに行く所とか見れるぞ!と凄く期待していた。

とにかく残念で残念で仕方がない。こんなに残念な思いは、父を亡くして以来思った事がない程だ…
でも、一番小林自身が残念で無念だろうな、と思う。
それを思うと、本当に不憫でたまらない。
余りにも急な死で、何もかもそのままにして逝ってしまった…
心から哀悼の意を表します、それしか出来ない自分。


色々死について考えてはくよくよと日々思う、しかしこういう死に方もあると、納得するしかない…
とはいえ、今からまた少し泣こうと思います。。


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