Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年06月26日(月) 気迷い

M子ちゃんよりメールが届く。
ふとした時に、彼女の思いが伝わるかわいらしいメールだ。
毎度、其のメールに励まされたり、癒されたりする。

今回戴いたメールの中身は「久しぶりにレッスンを受けようと思ったけれど、体力も気持ちも自信もなくて途中で帰ろうかと迷った。
でも、踊ったら気分爽快ですっきりした!」というもの。

私も同じことを繰り返している。
毎度「やっぱり今日は稽古を休んでしまおう。」と思うのだ。
踊れない自分を想像するだけで気持ちは萎えてゆくし、今既に溜め込んでいる心身の疲れを引きずって稽古場へ行くのも辛いのだ。
「ぐだぐだ云わずに、とっとと稽古へ行け!毎日行っているわけじゃないんだし!」という正しい自分と「いいよ、今日くらい休んでも。どうせ趣味だし、来週もあるし。」という紛った自分が鬩ぎあう。
それこそ体調が悪い日や、他にも沢山やらねばならぬことがある時は、朝から迷う。休もうかと。
そして、今自宅を出ないと間に合わなくなるという瞬間までも悩む。やっぱりやめようと。

掲示板にY子が書いていた「迷ったら行く!が一番です。」という一言。

其の通り。
迷い、悩んだら、行く。
とりあえず行く。

踊ってしまえば、数時間前の迷いが馬鹿らしくなるほどスッキリするのだ。
そして、稽古が終わった頃には「やっぱり着て良かった!」と安堵する。
毎回、このパターン。
子供の頃、週に一度のバレエのレッスンが好きで堪らなかった頃、大学になって講義をサボってスタジオに向かった頃にはなかった迷い。
大人になると、兎角、猾いことばかり考える。都合の良いことばかりに流される。楽なほうへ、楽なほうへ。

そんなわけで、今日も渋る体調不良を駄目出しして、トレーニングへ。
レッスンも、稽古も、トレーニングも、その実態は、自分へのご褒美だというのにね。ストイックに考えるから無理が出てくるのだろう。
明日はもっと前向きになりたいものだ。


2006年06月22日(木) 疲労困憊

現在時刻、23日、午前6時半。

先ずは、全日本蹴球代表の皆様、応援の皆様、大変お疲れさまでした。
たった数分とは云え、ブラジルに先制点を貰っていられた或の時、本当に仕合わせでした。

どのような失敗であれ、失点であれ、其れは必ず次に繋がる、糧になると信じています。物事は結果だけではなく過程も全て引っ括めて、無意味なことはないのだと思う。例え、其の結果が悪いものであったとしても、其処から学ぶものや、其処から生まれるものは無限だと思う。
失敗を恐れ、その場に佇み、先に歩みを進めなければ、結局は昨日と変わらぬ自分が在るだけ。
此の痛みを忘れず、4年後に更なる成長を遂げた日本代表になってくれるように。

私のNAKATA Tシャツは4年後まで、また箪笥に保管しておくとしよう。3回とも頑張ったね。有難う。

***

疲労困憊の一日。
とは云え、収穫もあり。

午前より祖母を車で迎えに行き、家族の会食のため虎ノ門へ。
懐石料理は目も舌も歓ばせてくれるので好き。
午後のお茶で、本当に久しぶりにレモンパイなどを食す。
子供の頃は、チョコレートやらクリームたっぷりのもののほうが魅力で、あっさりしたものについては興味がなかったのだが、こうして大人になってから食べてみると過去の記憶を覆すほどの美味しさ。
ちょっとハマりそうで恐い。

祖母を送って下谷へ。
ついでに祖母が箪笥をひらいて、着なくなった着物をたんまりと譲ってくれる。従姉妹がたくさんいると云うのに、着物を嗜むのは私ひとり。
同行した母も、一緒になって次々出てくる絶品の着物に大はしゃぎ。
大島や紬や、私が欲していた単の博多帯や夏帯、さてはいにしえの夏羽織まで。
祖母の着物は上等なものばかりで普段には勿体無くて着られないが、「着物は着られる美術品」とばかりに、着用しないまでも箪笥に入れておくだけで心豊になりそうだ。
そうこうしていると、箪笥の奥底から「帷子」が。
しかも徳永の家紋のあるもの。曾祖父が亡くなった時に祖母が形見分けで貰ったものだそうだ。「持っていくか?」と聞かれたが、そんな歴史あるものを引受けるのは恐れ多い。眺めるにとどめておく。

自宅に戻り、戴いた着物たちを落ち着かせてから、トレーニングへ。
このところトレーニングの終わりに30分ほど泳ぐようにしているのだが、ダンスで使う体力と泳ぐ時に使うものとでは全く違うもののようで、100メートルも水中移動すれば再起不能なほどに疲れ果てる。
学生時代に100メートル個人メドレーを2分30秒きったのは夢だったのだろうか?息継ぎの度に溺れかける自分が情けない。

今日は、これから少し休んで夕方からの稽古にひかえよう。


2006年06月20日(火) 山梔子の季節

いろんな意味で絶不調。

何故か右側が祟られている。
口内炎、手首の関節炎、膝上の痛み、頚椎の痛み。
久々に頻繁に整体へ行って調整を試みるが、芳しくないのは気候の所為だろうと思いたい。

一般には憂鬱と云われる雨の日は、私にとって水音とともに心安らかに過ごせる有難い日。
庭の緑も十分な潤いを得て、生命力を分け与えてくれる。
ちょうど2日ほど前より山梔子の花が咲き始めた。
一昨年、私が鉢植えで買ってきたものを母が庭に植え替えたものだ。
池では菖蒲も美しく咲き始めた。
たいして手入れもしていない雑草だらけの庭だというのに、我が家の草花たちは何とも強靭で優美なのだろうか。
私も其れのように在りたいと心底思う。

6月も下旬。
2006年もあと10日で折り返し地点。


2006年06月15日(木) 互譲生活

毎日、たった3回だけ、ひとに譲る。

エレベーターに乗る時の順番。
コンビニの出入り口。
駅の改札。

此れを普通にするようになって、何れ程、毎日の生活が楽しくなったか。

ほんの僅かな行動だが、誰の為ではない、自分の為に楽しんでいる。
如何にわざとらしくなく、スマートに他人に何かを譲るか。
気付かれないように譲ってみると、意外や人は大変敏感で、密かに譲ったとしても必ずと言っていいほどわかってくれる。そして、譲ってもらうことに慣れぬ人ほど柔らかい笑顔を見せてくれる。
勝利宣言をするかのように、堂々と譲ってしまっては、この柔らかい笑顔を見ることはできない。本当に、そっと、さり気なく譲るのがいいのだ。

自分がされて嬉しく思うことは、基本的に誰もが同じく嬉しく思うものだ。
自分が譲られて嬉しく思うのならば、人に譲ればいい。
非常に簡単な方程式。

例え譲った相手に感謝されなかったとしても、其れは気にするべきではない。譲ることは「自己満足」だから。譲った自分が気持ち良ければいいだけのこと。

憂鬱な梅雨の季節。
そんな時こそ、ほんの少しだけ爽やかに過ごせればと思う。


2006年06月12日(月) 青菜に塩

1年ぶりくらいに友人S嬢に逢って、『嫌われ松子の一生』を鑑賞する。
もともと長い作品だとか、見ていて疲労感漂う作風だとかいうのを聞いていて、覚悟していたというのに、見事途中で撃沈。見たかったAIちゃんの出る監獄シーンを見落とすという情けない事に。Bonnie Pinkのエロダンスシーンはしっかりと見ることができたが。

そういえば、NYからの帰国便で『プロデューサーズ』を上映していて、帰途は14時間ということもあって余裕をかまして見ていたのだが、何と結局で出しの部分しか見れず仕舞だった。
どうやら睡魔には抵抗できない躯になってしまったのだろう。

S嬢曰く、「メルヘンとバイオレンスの双方の極端パワーが凄い作品」とのこと。格闘技とかが好きな人なら結構楽しめるのかもしれない。
因に私はバイオレンス系、格闘技、リアルなスプラッターの類は苦手。
痛そうなのとか、汚いのとか、無理。

ネタばれになるので、詳しくは述べないが、私が楽しめたシーンは矢張りところどころに無意味に挿入されたミュージカルシーンと、片平なぎさと、睡眠薬吹き出しあいのあたり。
下らないプチ吹き出しネタは結構好みで、思わず吹き出してしまった所も。

何より印象的すぎたのは、予告編であったモト冬樹が主演の「ヅラ刑事」という作品。腰砕けのくだらなさ。

***

夜は普通の日本国民のひとりとして、ワールドカップ鑑賞を行きつけのバーにて。
これについては特記すべきではないだろう。
多くは語りたくない。多くの日本国民が同じ思いの日付変更線。
凹み酒は躯に良くないので、とっとと退散。なんとも後味が悪い。

***

7月あたまに恒例『MDS縁日飲み会@富士神』が決まった。
掲示板にY子が記載してくれたが、是非浴衣で集まっていただけたら嬉しい。久しぶりの人も、最近音沙汰のない人も是非誘ってあげてください。
勿論洋装でも歓迎。
浴衣については、実は昨日詳しくブログを書いたというのに、なんとブラウザが途中で見事ブラックアウト。
また近々、浴衣については書き直します。
たぶんMDS和装クラブ部長のM子ちゃんがフォローしてくれると思うので、わからないこと(浴衣を着る場合に必要なものは?とか、素朴な質問など)は遠慮なく掲示板で聞いてみてください。

***

本日、『ガッカリ3本立て』にてお送りいたしました。


2006年06月09日(金) 粒々辛苦

稽古へ。

私にとっての稽古は「単に楽しくワクワクするもの」では決してないのだろう。そして、師匠と向き合うことではなく、自分自身の甘さと向き合って、徹底的に自分を鍛え抜くことを「稽古」なのだと思う。
趣味だろうと、関係ない。
其れを通して、初めて見えてくるもの、感じてくるものがたくさんある。

毎度のように、稽古をしている最中は「もうやめよう」という気持ちでいっぱいになる。
腰も膝も痛くて、思いどおりに動かない自分の体が疎ましく、本当に苦しくて堪らないのだ。

自虐的と言われれば、確かに其の通りかもしれない。

この週に一度の稽古の時間が本当に純粋で、心研澄まされる。
怒鳴られれば怒鳴られるほど、今していることだけに集中し、雑多なことを全て忘れ去る。
ひとつひとつの動作、指先、つま先に思いを込めてゆく。
少しずつ、自分の体が浄化されてゆくような気分になるのだ。

***

昨日は親友の誕生日を祝いにでかけた。
久しぶりの遠出で横浜へ。

育児真っ最中の彼女の姿は、既に立派な母親。
私と言えば、彼女と出会った頃とは何一つ変わらず、全く大人になっていないことを実感して寂しく思う。置き去りにされたかのような気分なのだ。


2006年06月03日(土) 知音は土曜に

『踊堂結社』の始動記念。

敏腕制作カナコと企画会議。
事前よりラブコールをしていたのだが、ようやく色好い返事を貰うことができた。此の難関さえ突破すれば、舞台の実現は決定したも同然だ。
私の中では、振りを作ったり、演出を考えたりするよりも、一番困難なダンジョン。

彼女との企画も、回数が重なり、企画会議と言っても然程の事ではなく、
「じゃ、私、今から何やればいいんだっけ?」
「創作しといてください」
というサラッとした流れだ。表面上。
勿論、その裏側、否、内側では「遂に始動だ。身体も心も準備オッケーにしなきゃ!」と目一杯互いに気合いを入れている。

次に出演を依頼するメンバーに連絡を入れる。
本当に半年ぶり、一年ぶり、というメンバーにも連絡をとる。
即座に戻ってくるメール。
長いこと、随分音沙汰なくしていたとしても「舞台」という免罪符が此処で役立つのだ。

まずは、例年、恒例となってきているけれども、心より信頼できる人に制作を頼むことができたこと、そして、其れを快く受け入れてくれたこと、それが嬉しい。

つぎに、長く連絡を取らなくても、「一緒に踊らない?」という私の声に反応してくれる仲間が存在してくれていることに感謝する。

踊る仲間というものは、言葉を重ねることがなくても、音が流れ、其れにのって一緒に動くだけで、不思議なシンパシーを得られるものだ。
重ねてきた「踊り」が、何よりも強い絆である。

「舞台」は何れ程望んだとしても、ひとりで作ることはできない。
世の中には独りで創る賢者も存在するのだろうが、私にはできない。
一緒に互いを高め合う、そういう仲間たちに支えられて、初めて「舞台」を創ることができるようになる。
自分一人の力では出来ないことだからこそ、貴いのだ。

自宅に戻り、メールをチェックすると、NYの親友からのメールが届いていた。(3年に1度、あるかどうかの貴重なメールだ!)

私はひとりじゃない。
その事実が私を温めてくれる。
昨日、電灯にとまったてんとう虫が運んで来てくれた仕合わせは此れだったのだろう。

これから当分、登り坂を只管に先頭きって歩んでいかないとならない。
それは時として厳しく辛いだろうが、天辺に到着した時の眺めを想像すると、険しいほどに期待が高まるというものだ。
身体と心のコンディションを整える作業は、既にスターとしている。
怪我と病気だけには気をつけてゆこうと思う。平凡な事柄っぽいが、此れが何より大変なことであるのだから。


2006年06月02日(金) 芳香崇拝

気付けば6月。
先日新年を迎えたばかりのような気がするのは、私だけではない筈。

片付けヲタクの私は、日舞の稽古が師匠の都合によりお休みになった今日も片付け日和と箪笥の中などをゴソゴソ遣っていたが、昼頃にニューヨークから送った自分宛の荷物が到着したことにより本格的片付け大会に昇格。とは云え、船便で送ったものは殆どが消耗品ばかり。
「嗚呼、最後の2本だわ。」とチビチビ使っていたハンドソープやボディーミストなどがごそっと届いて、思わず狂喜。

云わずと知れた「匂いフェチ」でもあるため、NY仕込みの香りには滅法弱い。ハンドソープやボディーミストやローションから柔軟仕上げ剤も何もかも留学時代の「あの香り」にこだわってしまう。
日本人にとっては強い香りなのか、同じような香りのものはなかなか見つからないので、尚更貴重で懐かしい。
最近ではソニプラやドンキで輸入ものの柔軟仕上げ剤や芳香剤が入手できるようになってきたので喜ばしい。

香りは時として音楽と同じ。

その匂いを嗅ぐと、ある想い出が甦る。
例えば、それは、好きな人の匂いだったり、子供の頃に嗅いだお日様の匂いだったり、抱締めた子犬の匂いだったりする。
匂いと記憶は密接だ。
すれ違いに、昔の彼が使っていたコロンの香りがしたりすると、思わず立ち止まってしまったりする。

今、私の部屋はNY留学時代に住んでいたアパートメントと同じ香りがする。あの頃に戻ったかのような、不思議な気持ちだ。

届いた品々をひとつづつ仕舞いながら、ふと天井を仰ぎ見た。
電灯にテントウ虫。
何となく、いいことがありそう。

皆さん、素敵な週末を。


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