Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
気付けば、もう10月も終わりに近付いてきている。 本当に時が過ぎるのが早い。 つい先日に今年が始まったばかりのように感じる。 其のように思うのは、歳をとった証拠だと誰かが言っていた。
レッスンのない日は一応「オフ」ってことにはなっているのだが、実際はレッスンのない日のほうが何倍も忙しかったりする。 溜まった洗濯物を片付けたり、掃除をしたり、事務仕事を済ませたり、銀行へ行ったり、病院に行ったり、兎に角フル活動。 そういう日に限って、意地の悪いことに日舞の稽古がはいる。
今日の稽古は、夏前にやっていた「京の四季」のお浚い。 数カ月ぶりに懐かしい振りを踊り、自分なりの「成長」や「変化」を自分の中に見つける。 日舞を始めたばかりの、右も左もわからぬまま、見よう見まねで踊っていた数カ月前を新鮮に思い出す。 たった数カ月とはいうものの、僅かばかりなりとは言え、重ねて来た何かを実感する。そのような貴重な稽古であった。 忙しい時間の合間をぬい、駆け付けてまで稽古をする本当の意義が見えたような気がする。
自分のもとに来る子たちにとっても、日々のレッスンが意義あるものになればと思う。
基本的にリバイバルの作品をやることは「手抜き」のように感じられて、あまり好きではないのだが、こうして過去にやった作品をゆっくりと浚ってみることは思っていた以上に貴重であり、意味があったりして、リバイバルをやるということは決して悪いことではないのだと気付いた。
さて、来月はオープンクラスで何をやるか。 悩まず「あの曲」にしてしまおうと考える。
ひとを叱ることが苦手だ。
ひとを叱れるほどの人間なのか、毎度、悩む。 叱る理由をあれこれ説明し、その諄さやしつこさにうんざりするのだ。 叱ったあとの気持ちの毛羽立ちも、堪らなく不快だ。 苦い薬をゆっくりと飲み込んだあとのように、じわり、じわりと苦みが残り、いつまでもすっきりとはしない。
ついつい、叱るということから逃げ腰になる。 どうにかして叱ることをせず、物事を済ませようとする、都合のいい自分がいる。 叱るという一番嫌な処方を誰かに押し付け、痛い思いをせずにいたいと思うのだ。 そういう自分の猾さもイヤになる。
空風のように、ひとの間違いを指摘して、適切に叱ることのできる人に憧れる。
例えば、日舞の師匠のように。 そして、カナコのように。
ひとを叱ることのできる人は、心が強く、そして本当の優しさをもっている人であると思う。 そんな風に自分もなれたら良いと日々思うのだ。
時として、叱ってもらえるということに深く喜びを感じる。 叱られるということは、今後期待されているという証だからだ。 見捨てられ、今後に希望をもてない存在に成り下がってしまったら、もう、誰も、私のことなど叱ってはくれないのだろう。 私を叱ってくれるひとは、叱られた私の苦渋の思いの何倍もの思いを抱え、それでも私を良い方向へリードしようとしてくれるのだから、何れ程に感謝の気持ちを持てば良いのだろうか。
叱る時、それは、自分の心に棘を刺す痛みに耐える時。 ひとへの期待と希望を自分の痛みをもって表す時。
いつまでも叱られるだけの立場でいられた子供の頃に戻りたいと思う、そんな弱さを許して欲しいと思う。 また、ひとつ、強くならねばならぬと思う。
雨の日々。 雨音が好きな私にとっては嬉しいことだが、我が家の駄犬には専ら迷惑な天候。
夏に調子を崩した足の靭帯の具合が悪く、久々にレントゲンなどを撮ってもらいに整形外科へ。 レントゲンじゃ筋肉は写らないとわかってはいるのだが、少々長引く痛みに「もしや骨?」と不安を覚えたためだ。 予想通り、問題は靭帯。骨は無事。 当然のごとく「仕事は安め。安静にしろ。回復を待て。」との指示。
去年の入院騒ぎのあと、全くもって健康チェックなどから遠のいているために、診察の時の質問にひとつひとつバカを曝しているかのような「わかりません」「しりません」の返答ばかり。 結局は「健康診断代わりに血液検査しなさい。」とのことで、ほぼ強制的に採血されてしまった。
不調を訴える私の身体のあちこち。 医師に相談をあれこれと。 特にこの数年で気になる箇所をいくつか説明する。 そのうちの一つが頚椎。 運転などをしていて同じ頸の角度を続けていると、頸が戻らなくなってしまうという恐ろしい現象が数年前から続いている。 医師は頸の触診をしつつ「これはね、普通より頸が長いからだねえ。負担があるんだよ。」と。 えええええ!! 私の頸が長い? 其れは確かに若い頃バレエをやっていた時分には今よりはすらりと長い頸と背中のラインをもっていたように思う。 しかし、この年齢になり、ふと気付くと、まるで頸がめりこんだかのように姿勢の悪い自分がいたりするのだ。 今後、頸の長さが短くならぬよう気にかけようと心に誓う。
さて、夜になりオープンクラス。 少人数の雰囲気の良いクラスだった。 ついつい、あれこれと、普段は教えられないような些細な部分にまで説明を加え過ぎ、見事な時間オーバー。 本日のメンバーはみんな着実で冷静な踊り方をする人ばかり。 どうもスリルとサスペンスに欠ける。 「もっと冒険しようよ、チャレンジしなきゃ!」という私のアドバイスもハタシテ生かされているのか。 ふと、あまりに冷静すぎる空気を感じ、うっかり血液型を聞いてみた。 見事、7割方がA型ということに驚愕。どうりで。 さらには発表会メンバーはみんな何型なのだろうと疑問が膨れる。
週末を乗り越え、月曜早朝。 外は雨。 背後のベッドでは、愚犬がすやすや。 この穏やかな光景が凄く好きだ。
『真夜中の〜』DVDを見ながら激沈。 「伊勢参りへ行くぜ〜」のあたりで記憶喪失。 続きは月曜の夜にでも。
しかし、最近、宵っ張りの私が「だ、大丈夫?」とツッコミを入れたくなるほど、こんな遅い時間に起きていてメールを送ってくれるメンバーがいる。 明日、仕事、だよね?おいおい、いいのか?真夜中どころか朝方のこの時間。まさか、もう起きてこれから活動、、、ってわけでもないだろうし。 ひとりやふたりじゃないから、不安さえ覚える。
誰かが言ってた。 リハーサルの期間は、プレッシャーからか私に叱られたりする夢を見たりして、熟睡できなかったと。
毎度ながら、こうして舞台を創るとき、本来、ど真ん中に存在しているはずの自分が、実際には完全なる蚊帳の外であることを思い知る。 みんなのことを一番わからないままなのは、唯一私ひとり。 この孤独感や焦燥感がイヤで、いつも「もう舞台は創りたくない」と思うのだ。
「お返事はいりません」と優しい前置きをしながら、今の心境をメールで語ってくれる人のほうが、どこか心に触れていられるので安心を覚える。 他愛のないものこそ、私の心のビタミン剤になる。 週末に憔悴しきった心身を癒してくれる。また、これで来週も頑張れると思えるのだ。 私だって、変わらぬ、独りの、ちっぽけな人間なのだから。 みんなが不安に思う時、私は、みんなの不安を全部吸収しちゃって、その何倍も不安がふくれあがっていくのだ。
刹那な感じは、真夜中の雨のせいだろう。 いや、リハの後、砕け散った奥歯の詰め物のせいだと思う。 冷水がしみて、たまったものじゃない。明日歯医者に駆け込めることを祈ろう。
カナコと『NANA』を観に。
良い息抜きになったとは思う。
しかし、中島美嘉嬢があまりにも痩せ細っていて、心配になる程。 我が身が太りやすい体質のため、スレンダーな女性には大変な憧れがあるのだが、さすがに、あれ程までに細くなってしまうと不安が募る。 「太っちゃう〜」と言いながらも、甘いものをつまんでしまう、ちょっぴりチャピーな女性は、それだけで可愛いと思う。 いや、決して自己弁護などではないつもり。
健康そうであることが、痩せていようと太っていようと、一番魅力的。 真剣な顔と、力がぬけた笑顔、両方を持ち合わせているのが、一番魅力的。
リハばかりで、顔を合わせても、どう発表会を創っていくか、打ち合わせばかりだったが、今日は久しぶりにカナコとプライベートでくだらない話などができたのも嬉しい。
水面下で、微妙に面白いプロジェクトが進行しそうな、そんな、予感めいたものがある。
ちなみに、今日はカナコの誕生日。 2×歳、おめでとう♪
午後10時。 待ちに待った「大奥〜華の乱〜」。
最初は日舞の勉強のために見始めたのだが、気付けば完全にハマってしまうほど好きなドラマだ。
しかし、今回は更に特別だ。 エンディングに流れるテーマソングに東京事変が選ばれた。 椎名林檎を心から愛する私にとって、ドラマ「大奥」とのコラボレーションは、気絶するほどに感極まるものであるから。
今朝には東芝EMIでテーマソング『修羅場』のPVを期間限定にてフリーストリーミングが始まり、起き抜けに早々、この楽曲を聞いた。 『修羅場』というタイトルからして、いかにも、ドロドロな、ああいうような、そういうような、其のようなものを想像していたのだが。 多くは語るまい。 http://www.toshiba-emi.co.jp/vmc/issue/issue_48.htm 興味のある方は是非ご覧になってください。
まずは、これから、私のもとにも次々と訪れよう「修羅場」において、この楽曲は活躍していってくれることだろう。
気付けば、随分と長い間、日記をちゃんと認めることをしていなかった。 というのも、普段からレッスンでお会いしているメンバーや、近しい友人たちは知っている通り、発表会の準備でただならぬほど忙しい日々を過ごしているからだ。
週始めの日曜にリハーサルで始まり、土曜にリハーサルで終わる。 潔いくらいのダンス漬けの毎日だ。 当然だが、普段通りのレッスンも、自分の日舞の稽古も欠かすことはない。 オフィシャルな休みの日も、結局は振りを創ったり、そのための資料や素材を探したり、衣装やら演出関係のものを探したりと、ダンスから離れることは一瞬としてない。 ほんの少し、ダンスから放たれたいと願い、買い物などに出かけても、結局は「あ、これならレッスンの時に着れるなぁ」「こいつは衣装にいいかもしれないな〜」という具合だ。
唯一、ダンスという魔物から逃れられるのは、掃除をしている時。 只管に片づけものをしていると、其のことに集中できるので、ダンスから離れることができる。 そして、そういう時に流すBGMは決まってクラシックかラウンジになる。 綺麗に片付いた部屋で、ゆっくりとお茶でも飲みながら過ごす秋の夜長が夢なのだが。。。 読書の秋ということで買い込んだ本が部屋の片隅でページを広げられることもなく積まれたままになっているのが物悲しい。 当然ながら、部屋を掃除する時間を捻出するのは絶望的なほど厳しい此処最近。
風邪が流行り始めたとのこと。皆様ご用心を。
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