毎日、股関節の手術をするかどうか考えてる。
痛みの頻度とか、歩いたときの痛みとか確実に悪くなってる。 でもまだ歩ける。 でも膝の時のように歩けなくなってきたら。 両膝に人工関節が入っているのに、股関節まで人工関節になったら私は出来損ないのロボット、ポンコツそのもの。 そこまでして生きる価値は私にはない。 負け惜しみでも何でもなく人生に悔いはない。 ご飯は美味しいし、一人で愉しめる趣味もある。
でもあと何年生きるか分からないが、痛い痛いで晩年を過ごすのも辛い。
でも例えばガンを患ってるひと、転移すればそして必要とあれば何回でも、嫌でも手術される。 私の場合、関節だから命に別状はないのだ。 だがそれを言われると私は叫びたいくらい辛い。 この痛みがどれだけ私の生活の質を下げていることか。 足の爪をつむのも、靴下をはくのも苦労してる。 毎日、家の中でさえ転ばぬよう、転ばぬようにと意識してる。
主治医も旦那も息子も手術を勧める。 「痛いならしかたないだろう。。。」と。
さて さて どうしようか??
私のプール友達は年上が多い。
携帯もスマホも持たないから市内なれど文通してた。 昨秋、体調不良から大腸がんが見つかってあれよあれよという間にストーマになってしまい、現実を受け入れられるようになったのに年末の12月10日に再手術になった。 結果としては最後になってしまった手紙には、12月10日が晴れならば、手術の成功を空に祈ってほしいとあった。 願い通り晴れだったから私は精一杯の祈りを空に向かって願った。 その後 何度か病状伺いの手紙を出したけれど、返事がなかったから良くないのであろうと案じていた。 電話してご家族にお尋ねしようかどうしようか迷っていたら、とうとうご主人から訃報の連絡が来た。
87歳。
私が図書館の本を借りてる話をしたら、持ってる本を貸してあげるからと言って、色んな本を持ってきてくれて感想を話すのが楽しかった。 彼女のお母さんのお着物をブックカバーにして何冊かプレゼントしてくれた。 万葉集をそらんじたり字も上手だし、尊敬できる人だった。
白神山地や平家の落人の里やら一人旅も好きだった。
ここ何日か、夜 寝る前に必ず彼女のことを思ってた。
何か・・・心にぽっかり穴が開いたようで寂しい。 コロナでお見舞いにも行けなかったからなおさらに。。。
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