愚痴日記

2008年06月28日(土)

最近のワーキングプアなるものが
戦前の資本家の搾取による過酷な労働形態に似ていると
小林多喜二の『蟹工船』がすごい売れているようだ。
私はこの本を何年前に読んだのだろうか・・。
最初から読もうと思って読んだ本ではない。
三浦綾子著の『母』という本を何気に本屋さんで買って読んだのが始まりだ
これは小林多喜二の母であるセキが主人公だ。
「わたしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて」と 母セキがいうように、プロレタリア作家だった多喜二は治安維持法なんて馬鹿げた法律でもって特高に拷問死させられた。
その『母』という物語を読んで多喜二の『蟹工船』なるものがどんな小説なのかと興味をもったからだった。
15年も前のことだったと思うのだが・・。
小説そのものより多喜二という人物とその母セキに大いに興味をもった。
多喜二の母として、多喜二が属していた共産党という団体を、多喜二を愛するが故に理解しようとするのだった。
前回の大河ドラマ『天承院篤姫』で西郷と袂を分けていこうと決めた大久保が母に「これからは鬼になります」と告げたら母は、「あなたが鬼になるのなら私は鬼の母になるまでのこと」という台詞があった。
正に母とはこうしたものだろう・・と真に思った。
私も子を思う母ゆえに・・・。
だから私は『蟹工船』よりも三浦綾子著の『母』をお薦めしたいと思う。
でも文学作品としての『蟹工船』はいくらバカ売れしても、80年前の作品ゆえにもう著作権は切れているようです。




















2008年06月26日(木)


ダンナはこの地で生れてこの地で育った。
新婚さんの頃にしばらく隣りの町に住んだことはあるけれど
奈良を出たことが無い。
兵庫県生まれの私もみっつの時に両親の生まれた奈良に帰ってきた。
だから夫婦して奈良という土地に愛着がある。
当然 昔からの知り合いもいる。
ダンナの同級生で子どもも同級生という親子がいて、そこの家業はガソリンスタンドをしている。
私らが子供の頃は炭やら練炭などの燃料を生業とされていた。
とても羽振りのよかったことは子供ごころにも想像がついた。
その後 プロパンとスタンドを兼ねて商売されていて、ダンナも・・・のカードをつくるまではそこで給油していた。
それが どうやら店仕舞いされたようだ。
ダンナが久しぶりにそのスタンドの前の道を通って気がついたと言う。
すぐ近くに今はやりのセルフのスタンドが出来ていたから影響したのだろうか、さらには最近の原油高も拍車をかけたのだろうか・・。
奥にあった住まいも引き払ったような形跡があるとかで、ダンナは幼なじみだったY君の行方を気にしている。
いつも同窓会の幹事を引き受けてくれていたのに、そういえば去年はその案内もなかったなぁ・・。
でもこれは他所事ではない。
我が家も時代の波に乗り切れずに(そういうことにしておこう・・)、図らずも世間の風にさらされている。
苦しいながらも何とかなるだろう・・という心境に夫婦してたどり着いたけれど、健康だけが頼りの日々を過ごしている。


















2008年06月20日(金)

梅雨空が戻ってきた
うっとおしいけれど これが今の本来の姿・・

何か書き込もうと思うけれど 今の私は停止状態か・・

些細なほんの小さなことがしこりになって心の中で引っかかる・・

昨日の朝 起きたときにはつぼみだったオニユリが
パートに行こうと外に出たときにはキレイな花を咲かせていた
何・・アゲハなのか・・さっそく蝶も飛んできた
母の日にもらったカーネーションも枯れた花は摘み取って
お水だけはあげていたら また赤いつぼみを見せている
かぼちゃの種をチューリップを植えていた隣に
そのまま置いておいたら今日は花を咲かせている
・・ということは・・実をつけるのだろうか・・
朝顔もそろそろ支柱をしてやらないと・・

放っておいても自然は時を刻む・・











2008年06月13日(金)


私はコーヒー党のつもりだけれど
たまに飲むミルクティが心に沁みることがある
レモンティではなくてミルクティ・・

今朝は何気に寒かった
ダンナが出かけて
きょうは私も朝一のシフトだからそんなにゆっくりは出来ない
でも PCを開いて知った友の抱える心配を思うと切ない
きっと ブログだけでは読み取れない苦労もあるのだろうな・・
顔が見えないから
さりとて見えたからといって
私が彼女にしてあげられることなど何もないかもしれない
でも じっと目を見て話すだけでもほっこりすることがあると私は思うのだ
だから 我が娘のこともそうだけれど
見えない不安を落ちつけさせるためにも
きょうは久しぶりにお砂糖をちょっぴり入れてミルクティを飲んでいる



今さらに気づくや我のもの知らず

雨浴びて色を濃くする紫陽花や












2008年06月09日(月)


6月8日の夜が明けて、誰にも平等な一日がまた始まる
でも きのう秋葉原で通り魔事件に合われた方にとっては
どんな夜明けになったのだろうか・・
亡くなられた方はもちろんそのご家族にとっては、眠られぬ夜を過ごして
「私はこんなに辛くて悲しいのにそれでも朝はやってくるのか」と
どんな思いで長い夜をすごされただろうか・・
そして重症の方々も痛みとか恐怖とかで、これもまた眠れない一夜をすごされたことだろう・・
怪我で入院されておられる方々の一日もはやい回復と、無残に天に召された方々のご冥福を心より祈りたい

それにしても・・
6月8日とは7年前の池田小学校の事件もあるし呪われた日なのだろうか・
きのうはダンナの誕生日だった
自治会の清掃日だったから
「仕事でもこんなに汗かかんわ」と 汗びっしょりで帰ってきた
心地よい疲労を感じてゆっくりした一日のはずだったのに・・
ダンナは昭和24年6月8日で2・4・6・8という尻上がりの自分の誕生日をとても自慢していた
だけど7年前のあの事件に続いて今度の事件も6月8日
事件にあわれた方々やその周りの人たちにとって、6月8日という日は忘れられない忌まわしい日として記憶に残るのだ
だからこれからも毎年やってくるダンナの誕生日には、いくら関係ないとはいっても例えばケーキなどを心静かに食べよう・・なんて気にならない
今まで大病もしないで、そこそこ健康で過ごしてこれたことを感謝するだけの日になるのだろうか・・


















2008年06月08日(日)


きょうは自治会の清掃日で
家では何〜〜んにもしないダンナが
私の足を気遣って代わりにでてくれた。
毎年のことで
私はどうも合点がいかないのだけれど
なぜか女の人ばっかりで草刈りをしている。
何で よその家ではダンナさんが出てこないのだろうか。
だから 筋向いの奥さんのように
用事があって出かけてしまったらそこの家は不参加ということになる。
だけどダンナさんは植木が趣味で取得したらしい『樹医』というプレートを玄関の表札の横に貼っているのだ。
だったら年に一度の草刈りくらい出ればいいのにと思ってしまう。
だから毎年 うちのダンナは貴重な男手になってしまってる。
まぁ お世辞もあるのだろうけれど
「いいダンナさんねぇ」と 褒めていただくけれど
私にすれば「お宅らのご主人は何してはるの?」と 問いたい!












2008年06月01日(日)


年を重ねたことによる
思い込みや勘違いやうっかりで小さな失敗が続いた
どれもこれも笑ってすませられることだけれど
こうなったらどんな時にも自我を通すのは止めよう・・と思っている
はっきりと私という己の立場を理解しよう
寂しくても現実は日々、老いているのだ
昔 年を取ったら気が長くなるということをよく聞いた
今はそうではなくて反応が鈍くなったのだと思う
高齢でもよく怒るひとは 老いてきた自分を認めたくないために怒っているのだろう、
もしくはまだ怒るというエネルギーが残っているということだろう

きょうから6月
そろそろ梅雨入りだろうか
そしてきょうは義母の祥月命日
義兄と袂を分けた今となっては、墓さえも義兄のものなのだ
それも寂しいことの一因だなぁ・・




水無月や 嫁の立場で 義母偲ぶ

ありし日の 義母を偲びて 青き梅





















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