愚痴日記

2005年02月27日(日) 分からん・・?


1週間か10日分くらいをまとめて書き込んでいるけれど
明日で2月も終わりだし・・と思って家計簿を開こうとしたら
何故か指定されたファイルは開けません・・と出る
何で・・!
この前 書き込みしてから何か変えたっけ・・
夫婦二人の家計も ほぼ確定しつつあるし
最近はそんなに大きい支出もないし
別に今さら家計簿でもないと思うけれども
何かしら数字にしたくて更新していたようなところはあるけれど
でも開かない・・となると何とはなしに腹立たしい
新しく作り直す・・としても
この前書き込みした分までのレシートは全部捨ててしまっているから
何か中途半端になるし・・



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「子供の独立に手をかす親」 と
「独立しても親への感謝と交流を忘れない子供」

             不登校の真実    巨椋 修

        



2005年02月24日(木) 終了

今日で一応 膝のリハビリを終了した
思えば13ヶ月 通ったことになる
長い間 歩かなければたぶん大丈夫だろう
平坦な道は何てことはない
ただ 階段の上り下り、とくに下りは怖いものがあるので必ず手摺を持つ
3月から駅前に出来る新しいジムのプールにまた通うので
理学療法士の先生がリハビリの終了を許可してくれた
泳ぐのではなくて 水中歩行をしなさいということ
水の中だと体重が約6分の1になるらしいし
水の抵抗が足の筋肉を強くしてくれるらしい
それに運動をしたら 高血圧も少しは改善されるだろう・・と期待している

それにつけても
病院というところはそこそこ元気なお年寄りのサロンだ
たいていの人が内科と整形外科の掛け持ち受診で
自分の悪いところとプロフィールの披露をしている
私は大正4年生まれだ、とか
わしは明治でも大正でもない昭和一桁だ、とか
去年おじいさんが死んで今は気楽な一人暮らしだ、とか
ひ孫が何人いるとか
会話のようだけれど
たいていはあまり人の話は聞いていなくて自分のことばかり話している
でも 私はそんなお年寄りの昔話が何気に好きだったりする
だったら 自分の両親の話をあの頃にしっかりと聞いてやればよかった・・と後悔している
父も母も寂しかったはずだ・・



2005年02月23日(水) 不細工な断水

下水道の工事が月曜日から始まって、まだ日も浅いのに 上水道の管を傷つけたようで 断水になってしまった
(本管の工事で各家庭に下水道管をつなぐ枝管工事はまだ先のこと)
ダンナは工事が始まったときに
聞いたこともない業者やな、とは言っていたけれど
まさか 断水騒ぎを起こすとは何とも不細工なことだ

応急処置をして夕方6時には水が出るようにはなったけれど
ダンナは どんな水が出てるかわかったもんやない、ということで煮炊きには非常時用に買い貯めてあったペットボトルの水を使った
正直 断水のあとの水は何とはなしに濁っている
お米を炊くのと 味噌汁に使ったら2リットルのペットは2本くらいすぐに空っぽになってしまう

ダンナはこんな不細工な工事をするんだったら
もう 下水は引かないと言い出した
ダンナのいったん口に出した言葉を変えさせるのは 大変なこと
今のままの浄化槽でも何の不便もないけれど
私としては生活廃水も含めて下水道に流したい
ダンナも若いときのようには
何が何でも・・ということは減ってきているけれど
しばらくほっておいたほうがいいのかな・・



2005年02月22日(火) 覚書



ま   豆
ご   ごま
わ   わかめ(海藻)
や   野菜
さ   魚
し   しいたけ(きのこ)
い   芋


まごわ(は)やさしい

日本人の身体に合う和食を食べていたら
今のようにキレやすい人間は増えなかったりして・・


子どもたちが小さくて忙しかったときのほうが
諸事万端、手を掛けていたようだ
私も若くて元気だったと言ってしまえばそれまでだが
やりがいがあったというほうが本当のような・・
最近は手抜きなのか・・夫婦ふたりでお鍋ばっかり食べている
だから 冬はいいけれど夏になったら困るのよねぇ・・



2005年02月20日(日) イメージする・・


たぶん
どんな人も
いろんな思いをかかえて
生きているだろうけれど
私だって
ささやかな願いがあるのです


願い事を口にしたら
ひょっとして叶うかもしれん


その思いが叶った自分をイメージして
こころ静かに日を送る・・
愚痴ったり
嘆いたり
そんな日々のほうが多いけれど
こころの中で静かに密かにイメージする


待っててネ・・




2005年02月18日(金) ロス結果・・?

 10日にした棚卸の概算結果が出た
棚卸が終わったときは
自分の担当で札落ちが無かったことで安心していたが
終われば終わったでロスの心配をしないといけない
まぁ 私の担当しているパジャマの部門は大丈夫だったようだ
ロスの出ている部門は調査をしないといけないようで
それはそれで大変そうだ
婦人肌着、かばん、化粧品、文房具、ゲームや書籍など
やはり普段から万引きの多い部門にロスが多く出ているようだ
最終的にどんな決算報告を出すのかは
我々のような末端のパートには知ることもないが
店全体ではかなりな数字になっているように思う
靴売場には履き古した靴が置いてあったり
少し前まで確かに陳列してあった旅行カバンが無くなっていたり
(レジの履歴をみたらカバンの売り上げがないから分かる)
肌着売場の隅に値札が数枚捨ててある
(値札を取っておけばもし見つかっても家から持ってきた自分のショーツだと言うつもりか・・)
他店の防犯カメラでは
小さい子供をつれた大人が
大量の化粧品を自分のカバンに詰めている映像が残っている
大きな物でも正々堂々と持ち去れば誰も不審には思わないふしがある
万引きをすることはもちろん犯罪だけれど
される側にも責任はあるだろうなぁ・・
自分の担当の部門で万引きが発見されたら
それはかなりショックな出来事です
確かに次から次へといろんな商品が並べば
まともにお金を出して買うことがバカらしく思えるのかもしれない
うちの店では
学生なら学校へ
大人なら警察へと通報のマニュアルが決められているようだ
学校や警察にだけは・・という言い訳は通用しないようで
その後のことを思うとやはり魔が差したというわけにはいかないようだ





2005年02月15日(火)

パート先のスーパーの道をまっすぐ行くと小学校がある
今日 朝一番のシフトで出勤したらスーパーの駐車場にパトカーが2台止まっていた
顔なじみのガードマンのおっちゃんに「何かあったん」 と聞いたら
小学校への道は一方通行やから取り締まりや、と言う
小学校へ行くその道が子どもたちの通学時間帯は一方通行だということは知っていたが
取り締まりを見るのは初めてだ
その先の
以前は有料道路だった道へ抜けるところでシートベルトの取り締まりはしょっちゅうしている
きのうの寝屋川の事件をうけて警察も小学校への不審車を制御しようというのだろうか
明日からもしばらく続けるのだろうか

愛知県で起きたスーパーでの事件が
売場で万引きした包丁での惨事だったので
うちのスーパーでも包丁を管理することに決めたらしい
見本だけを展示して
あとは在庫として番号管理するらしい
ドンキホーテで火災があれば消防の立ち入りがあるし
店内で事件があれば我々にも不審者に気をつけよ、と言う
たしかに変なお客さんはたまにいる
婦人服売場の試着室を覗いたり
ピンクのパンストを試着していいか、と聞く男の人がいたり
水着売場で声を出してひとつひとつビキニの水着を触る人がいたり・・
何か じわじわと世の中がこわいことになっていくような・・



2005年02月12日(土) 伯母と叔母

 きのうは叔母のことを伯母と書いてしまった

私はずっ〜と 
伯母とは母方のおばさんのことで
父方のおばさんが叔母さんだと勘違いしていた
昔、むかし 伯父と叔父の違いを知りたくて辞書で調べたことがある
そのときに間違って覚えてしまったようだ

伯母 
父母の姉、または父母の兄の妻。
叔母
父母の妹、または父母の弟の妻。

だから 昨日の伯母は伯母ではなくて叔母でした。
お詫びして 訂正します。
どうも失礼いたしました。

私という人間はひとりしかいないのに
ダンナの姪や甥たちからみたら 叔母で
私の弟の姪や甥たちからみたら 伯母です。
まぁ しょうもないことを書いている感じはあるけれど
50を過ぎても 知らないことや勘違いをしていることはいっぱいあって
笑って済ませる話ばかりではないわけで・・



2005年02月11日(金)

 
もう15・6年前になるだろうか・・
2月12日にたしか55歳で亡くなった叔母がいる
母のいちばん下の妹のその叔母に私はあこがれていた
ある神社の社務所に勤めていて
その神社の宮司だった人と結婚した
その宮司だった人は 別のある神社の跡取りで 
叔母と知り合った神社には修行というか勉強で来ていたようだ
叔母のほうが年上だったこととか
家の釣合いが合わないとかいうことで
姑になった人からは結婚式にも出てもらえなかった
夫婦仲はとてもよかったけれど 何故か子供ができなかった
そういう家では跡取りができないということは致命的らしい
結婚に反対した母親から
あんな子供もできない年上の女とは別れるように常時言われていたようで
別れないなら自殺する、と言われたことが引き金になったのか
魔が差したのか叔母夫婦は離婚してしまった
(もちろん夫婦のことは傍目には分からない・・)
その後 夫だった人は自分が後をとる神社に帰り
結婚もして子供も出来たようだ
叔母はそのまま知り合った神社の社務所で事務をとっていた
そして 15・6年前にガンに侵されて若くして亡くなった
お葬式にはダンナだった人も会葬に来て
私が悪かった、と叔母の霊前で泣き伏した

私が言いたいのは(書きたいのは・・)
叔母は離婚したあと一人暮らしだったから
私の母や上の叔母たちが遺品の整理をした
その中に 男物の真新しいパジャマと一組のダブルの寝具があった
それらの品々を見て 母たちは叔母の気持ちを思い改めて涙した
私もその話を聞いて 叔母の心を思った
その叔母の形見として
着物とか少しばかりのアクセサリーとか服を私も貰った
叔母の編んだレースとか裁縫箱も手元にある

建国記念の日の今日、叔母のことをふと思い出した・・
(その神社にとって 建国記念の日というのは最大の行事なので、いろいろ準備もあるし、建国記念の日の前に死ぬことは神社にとても迷惑をかける・・と心から思っていたはず・・そしてその建国記念の日の翌日に亡くなった・・)
叔母は母と同じお寺で眠っている





2005年02月10日(木) 棚卸

今日は棚卸
半年なんてあっという間
以前は自分たちで棚卸をしていたけれど
数年前から委託棚卸になって 準備がたいへん
結構 札落ちというか価格の分からない商品があってその度にPCで作成する
店を休みにしないで 夜間を利用しての棚卸
棚卸を請け負う会社があるなんて パートに出なければ知ることもなかっただろう
でも 以前のように店の定休日に皆で棚卸をした日々がなつかしい
お昼休みに フロアごとにお弁当を食べるのだけれど
全員が出勤してるから 食堂が満員で売場でそれこそ遠足気分になって
普段と違いお客様の目を気にしないで1時間、こころゆくまでおしゃべりした
昔をなつかしむのは 年老いた証拠らしいが
社員やパートを休日出勤させるよりも
委託棚卸にしたほうが経費のことも含めて効率がいいのだろうか
まぁ 遊びに出てるんじゃないから 仕方ないかなぁ・・



2005年02月09日(水) あと2種類でシリーズが揃う

 家の不用品を片付けないといけないのに
余計なものは買ってはいけないのに
キャラクターには何の興味もないはずなのに
つい、買ってしまいました
欲しかったから・・
可愛いかったから・・

『アイドル ペコちゃん』
ミニミニ ペコちゃんの新シリーズ
洋服がお着替えできるタイプです(帽子は取れません)
ペコちゃんの形をしたかわいい小粒チョコレート入り
どれが入ってるかはお楽しみです

去年はペコちゃんの文房具シリーズ
その前はキーホルダーのシリーズ

とても全部のシリーズは揃えられないけれど
(同じものが重なるし、そのうち売り切れてしまう)
私はペコちゃんが大好き
50も半ばのおばちゃんだけれど
ペコちゃんには癒される
ダンナに「また 買ったんか」 と言われても
重なったペコちゃんは カバンにぶら下げている
きのうは 31年目の結婚記念日だったけれど
ペコちゃんを二つ買って、自分へのプレゼントにした
それで私は充分だ・・

あとは・・




2005年02月08日(火) サッカー

 
 明日 北朝鮮とのワールドカップに向けたアジア予選がある
スポーツにはあまり関心がない私でも
諸問題が山積みの今、勝敗が気になってしかたがない
政治とスポーツは別問題だとはいうけれど
スポーツはルールにのっとったケンカだと私は思う
両国の選手たちには もてる力を充分に発揮してもらいたいと思うけれど
サポーターの動静も見逃すことができない
去年の中国でのことを思い出して
あんなマネはしてほしくないとつくづく思う
でも 日本という国はサポーターよりも
マスコミのほうが心配かなぁ・・


日本でサッカーがJリーグとして ひろく観戦されるようになったのは12,3年くらい前からだろうか
その頃のサッカーの看板選手といえば 読売ヴェルディのカズこと三浦和良選手だった
ちょうど 中学から高校に進学する年齢だった娘がサッカーファンだった
野球といえば巨人、という雰囲気のなかで
何故かダンナは娘が読売ヴェルディのファンだと思いこんだ
それで J1のカテゴリーショップでヴェルディグッズを買い込んできた
娘を喜ばしたい一心で・・
が 娘は一瞥しただけで手にしようとはしなかった
怪訝に思ったダンナが娘に声をかけたら
「タイガースファンがジャイアンツのグッズを貰って喜ぶと思うか?」と言う
「それなら お前は何処のファンなんや」 と聞いたら
娘は含み笑いをして言わない
ふだんからあまり自分のことを口にしない子だから
ダンナとしては せっかく買ってきたヴェルディのグッズがムダになったことより
娘のほんとうに欲しいチームのグッズを買ってやりたいのか
娘をカテゴリーショップに連れていって自分で選ばせた
そして娘が選んだチームは浦和レッズだった
そこの主力選手の福田正博選手の熱烈ファンだったようだ
目をかがやかして浦和レッズのグッズを選ぶ娘の姿をはっきり覚えている
どこで サッカーの詳細を目にしていたのか親にはわからなかったが
福田選手には便箋10枚くらいの分厚いファンレターを何度かだしていたようだ
いつ 録画したのか福田選手の活躍するプレーのビデオをそれこそ擦り切れるくらい見ていた
テレビに顔をくっつけるようにして・・

昨日、今日の北朝鮮との試合に向けたテレビの報道で
そんな数年前の娘を繰り返し、繰り返し思い出している





2005年02月07日(月)


家の不用品を片付けようと とりあえずは毛糸と戯れているが
2階の押入れをガサゴソしていて 縫いかけのスカートを2枚見つけた
5年、いや・・もっと前かな・・布団売場のとなりに手芸品のコーナーがあって
そこで見つけた可愛いプリントとスゥエ−ド風の生地をスカートにしようと
型紙をその売場のパート仲間に作ってもらったのだった
その後 家のミシンの調子が悪くなって
修理をしなかったので その裁断した生地もそのままになってしまったようだ
今だ ミシンは修理していないし
何より 私がスカートをはかなくなった
何でもかんでも 飛びついたはいいが
中途半端なものが 家のあちこちに見られる
とりあえずはその裁断した生地をどうするのか・・
膝の手術をして一年が過ぎたが
何とはなく心もとないのでサポーターをはめている
そんな足でもうスカートははけない
まして裁断した生地のひとつはミニだし・・
私はミニスカートが好きで 若い頃はかなりハマっていた
体重も今より20キロは少なかったから 
うぬぼれが85%くらいはあるが自分では似合っていると思っていた
私の母や伯母の時代なら女が膝から上を出すなんて・・という考えもあったが
ツィギー(知ってますか・・どこの国のモデルさんだっけ・・)が
細い体で超ミニで現れたときは
そういう母たちのような考えでいた日本の女にカルチャーショックを与えた
私もあの細過ぎる体はともかく
ミニスカートには強い好奇心をいだいた

話はそれたけれど
娘もスカートはめったにはかない子なので
家にいたとしてもその裁断したままの生地は行き場がない
さて どうしたものか・・ 





2005年02月03日(木) 寒いです


家の中の不用品を片付けて
来る老後をすっきり迎えて(・・?)
あとに憂いを残さないように・・と思って
ゆっくりペースで まずは毛糸の始末から始めている
が・・あるわ、あるわ・・
子どもたちのセーターを数多く編んだので
残り糸も少しづつだが かなりある
もう1本どりじゃ追いつかないので
4本どりくらいの太い糸にして 円座をざくざく編んでいる
室内履きのカバーなども多く編んで
今度 何かのバザーに出そうと思う
 
本も何年か前からは買うのをなるべく我慢して
市の図書館を利用するようにしたが
それでも 捨てられないものもかなりある
雑誌もすこしづつ 破棄している

スマートに生きるって
私のような人間には難しいことのようだ



一日を 毛糸と遊び 心満つ

一目ごと 過ぎし日思い 毛糸編む

ご無沙汰は 敷居を高くするばかり

パート終え 雪に向かいて 家路つく


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孫二人 [MAIL]

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