愚痴日記

2004年08月31日(火) 華氏911

華氏911を見てきた
観客は中高年が多かった
けっこう一人で見にきてるおっちゃんやおばちゃんが多かった

政治的にかたよった映画、だとか
プロパガンダだとか言う人もいるが見ないことには批判もできない
話題になっていることも事実だし・・
4年前の大統領選挙からスタートしていた
そして 大統領に就任してから9・11までの8ヶ月間、ワシントンポスト紙によると42%が休暇だったと、つづく
イラクでの戦闘よりもアメリカの軍隊に焦点をあてていた
アメリカ自身もかなりの兵の犠牲があったわけで
その兵たちが最初の思いと違ってブッシュにだまされた、と考えはじめる
その兵たちは
大学に行く学費もなく、奨学金もあてにできず産業空洞化で
貧困からの離脱は軍隊に入り、奨学金で高等教育や職業訓練を受けることだ、
と志願してきた行き場のない若者たちだ
ムーア監督がホワイトハウスの前で連邦議員に
自分の子供をイラクに行かせるようサインを求めるが
ほとんどの議員が最初は握手のために差しだした手を引っ込めて立ち去る
人は自分に都合の悪いことには無視するか開き直るかする
結局はこの戦争で得をしたのは
ブッシュのスポンサーである軍需産業だけなのだ
でもアメリカがほんとうによく考えなくてはならないのは
テロが起きる、とまるで洗脳されるようにほとんど一方的に言われたことだろう
ほんとうにテロが起きると信じこまされたことだろう
私は9・11のテロもあやしい・・と思っている(これは超、私見ですが・・)



2004年08月30日(月)

オリンピックが終わった
私としては早く終わってほしかった
これで夜更かししなくて済む、とホッとした人も多いのでは・・
金がいくつとか過去最多のメダル数とか 正直うんざりしていた
そりゃぁ 頑張った選手には心から お疲れさま、よう頑張ったネ と思うが
メダルを取れなかった選手のことを思ったら
そしてそんな選手のほうが多いんだから あまりはしゃぎたくない
いくら参加することに意義があるとはいっても
やはりメダルを取るのと取れないのとではかなりの差があるだろうし・・
まぁ 私がスポーツに興味がないからだとは思うけれど・・
世界がオリンピックで浮かれている時に
何か大変なことが起きてはいなかったのだろうか・・
北朝鮮に拉致された人たちへの再調査とかで
日本としてはそちらのほうの世論を盛り上げるべきだったのでは・・

たぶんホテルでたっぷりオリンピック観賞をしただろう・・?・・小泉さんには
オリンピックモードをはやくもとに戻して頑張ってほしい(嫌味だねぇ・・)



CMOSバッテリーの消耗とかで
私のパソコンはメーカーへしばしの旅にでました
いまどきメールの送受信もできない古いパソコンでどうなることやら・・



2004年08月28日(土) 早や 5年・・

明日 29日は父の命日
早や5年・・
大きな台風がくる・・らしいので今日、父の骨を納めたお寺にお参りに行ってきた
せっかちな父だったから早い目がいいだろう
それに日曜日は混むしね
私もずいぶんと勝手な人間であれほど疎ましいとさえ感じた父だったけれど
いざ 死なれてみたら寂しくてならない
父が死んで4ヶ月半して母も亡くなったときには
私にはもう『ふるさと』はないんだ・・と思った
死に様は生き様、という意見もあるが
そういう考えは好きではないが父はさすが、だったと思う
その点だけは見習いたい、というか遺伝してほしい・・と密かに願っている

私の前に拝んでもらっていた人の塔婆がチラッと見えたんだけれど
「水子の霊 25回忌回向」 とあった
このお寺で水子の供養もしていたんだ・・
それにしても25回忌とは・・
早産か流産したのか、それともやむなく中絶したのか
生きていれば、産んでいれば25歳になっているってことか・・
毎年 供養されているのかどうかそこまでは分かるはずもないが
いまだに引きずっている・・というのは言いすぎだろうか・・
まぁ 忘れることができるはずもないが・・



  早や五年 父逝きし夏 また巡りて

  覚悟せし 父を看取りて トンボとぶ

  忘れまい 孤独に生きた父なれば

  父の子と思うことあり 我ゆえに



2004年08月25日(水) いまはスィーツというらしい

8月2日に会社で受けた健康診断の結果がでた
相変わらず 中性脂肪が高め
『肥満傾向がみられます
食べすぎや就寝前の食事を控えてください
運動も大切です』
そんなことわざわざ書いてくれなくても承知してます
ご飯を食べて検診を受けたら中性脂肪が上がるんだから検診は午前中にしてよ
そしたら朝ご飯を抜くからさ
午後からの検診で朝ご飯も昼ご飯も2食も抜けないよ
朝を普通にして昼をほんの少しにしてもこの結果だからね
情けないね、検診のためにご飯を減らさなくてはならないなんて・・

この夏は暑さのせいもあるが 
スィーツというか いわゆるデザートといわれるものを食べ過ぎている
自覚症状多いにあり・・
今までやけ食いなんてしたこともないのに
今年は娘のことで寂しくてほんとうにやけ食いしてやろうかと何回も思った
5月の中ごろは私、ほんとうに寂しかった・・
私がいつまでもしつこい・・とダンナにも息子にも言われて
さりとて自分の気持ちを納得させることができなくて
つい 甘いデザートに手がいった(いや、口がいったのだ)
今も納得したわけではないが 娘といえども別人格なのだ
私の思い通りになるわけがない
いいえ 思い通りにしたいわけではない
会いたいのだ、話がしたいのだ、この手で抱きしめたいのだ・・



2004年08月24日(火)


私がパートを始めたころの先輩のパートさんからメールをもらって久しぶりにお会いした
一人は67歳でもう一人は65歳
人生の先輩でもあるが仕事でもずいぶんと可愛いがっていただいた
私が37歳でパートに出た時、このお二人は50歳前後だったことになる
私は3年くらい前から膝を痛めたのであんまり頑張れないでいるが
この人たちは60歳の定年まで勤められてほんとうによく働かれた
67歳の人はそんなに身体が大きいほうでもないのに
インテリア担当ということもあってか
定年間際でも6畳の丸巻きじゅうたんを肩にかついでレジまで運んでいた
今 40歳くらいのパートさんでもよう担がない人もいるというのに・・
私も50の半ばになってみて この人たちの頑張りに改めて気がついた
時々 思うことだが私は定年まではとてもしんどくて働けないだろうと・・

久しぶりにお会いして一緒にお昼を食べながらいろいろな話をした
年金の話はしっかりと聞いた
やはり受給額が少しづつ減らされているらしい
でもこの人たちのダンナさんはしっかりした会社に勤められていたから
生活には何の不自由もないのだ
この人たち自身の年金は今でいう3号受給者だからお小遣い程度らしい
が、結婚前の厚生年金が加算されていたら充分なお小遣いになる
額を聞いて私はうらやましかったよ・・
私が受給する頃は団塊の世代で支払い額がふくらんで破産が目に見えているから・・
ということでいったいいくらの受給額になることやら・・

それより何より私の息子や娘の頃にはどうなることやら・・
子供たちにたとえ少しでも財産を残す甲斐性はないしねぇ・・
将来に希望の持てる制度に一刻も早くに改正してほしいものだ






2004年08月23日(月)


よく 会社なんかで男の人が女子社員のことを「女の子」という言い方をする
私のゆがんだ(?)おばちゃんの精神からみたら
そういう呼び方をされるのはやはり独身の20代の女子社員を指すように思う
そのことを私がどうのこうの言うつもりは全くないのに
「こんな言い方をしたら叱られるかな」 と 私の顔をみながら総務のマナージャーが言う
「女の子ではなくて女の人、ですかねぇ」とも言う
女の子という言い方は 自分より下に見ているというか
すこしセクハラっぽい響きもあるように私は思う
私の場合 もうどう間違っても「女の子」とは呼ばれることはないだろうから
多少の僻みが顔に出ていたのかなぁ・・



2004年08月22日(日)

 久しぶりに夜更かししています
眠いけれど 寝ないでいます
24時間テレビもオリンピックもあまり興味がありません

映画館で見そこなった「スパイ・ゾルゲ」を BS放送で見ました
ダンナは映画の東京の町並みが変だと言います
でもダンナも私も戦前の東京の町並みを知るはずもありません
あとでネットで検索してみたら映画の町並みはコンピューターグラフィックだそうです
私の頭の中で歴史のはっきりとした筋書きが理解できてるわけではありません
今のこんなに情報が溢れている時代にあっても知らない、知らされていない事実があるはずです
ただいつの世にあっても 戦争を回避させるために奔走した人々がいたのです
そのときには理解されなくてもあとで歴史が教えてくれるにしても
やはり人間は与えられた命を大切にして信念を持って生きるべきです

(映画よりネットで検索した内容のほうがおもしろい・・)





2004年08月19日(木)


光男   「おじさん、人は何のために生きてるの?」

寅さん  「・・・ん・・・
      それはなぁ、人間生きてりゃ イヤなことばっかりよ
      だけどな たまには、生きててよかったと思うことがあるもんだ
      そのために生きてるんだよ」



寅さんの映画を私は劇場では見たことがない
我が家は地形上の問題があるのかNHKの写りが非常に悪い
そのためケーブルテレビに加入している
最近はデジタル放送とかいうものも始まってチャンネルが3桁になった
ケーブルテレビではかなりの頻度で寅さんの映画を放映している
あまり熱心に見ているわけではないが
寅さんはたまに人をホロリとさせるようなとても良いことを言う
寅さんのように何処かしら人を引き付ける魅力をもった人に
うちの娘のことをお願いしてみたい・・・





2004年08月18日(水)


オリンピックを見ていて今、寝不足の人が多いようだ
パート仲間でも
ついつい気になって朝の4時まで見ていた、と言う人もいる
私にはとても考えられない
もともと夜更かしができないというか
日付が変わるころになってくると自然に大人しくなってくる
でもお昼寝をしてしまったりしたら
2時になっても3時になっても眠れないのが分かっているから
そうならないためになるべくお昼寝をしないようにしている

義父や母の介護で病院に泊り込んでいたときは
一晩中 起きていたけれど今、思えばよう頑張ったなぁ・・と思う
あの時は家の布団で自由に手足を伸ばして寝れることの有難さをつくづく感じていたものだ
うちの子供たちは親が神経質なのかそんなことは関係ないのか
ふたりともよく夜泣きをした
そんな日々の繰り返しのときは
いったいいつになったら朝までぐっすり眠れるのだろうかと思っていたけれど
その頃は若くて元気だったのだと今になってしみじみと懐かしんでいる






2004年08月16日(月)


ことしの夏の暑さに参ったわけでもないのだろうがパソコンの調子がとても悪い
毎日 朝夕にパソコンを開くのだけれど
今日は大丈夫だろうか、今日は起ち上がるだろうかと冷や汗ものだ
メーカーのサポートセンターに電話をして聞いてみたら
何とか電池(シーモス電池・・???・・・)を換えるようにと言う
リカバリーする方法もありますと言う
でも 私 リカバリーしたくない
オリンピックなんて見れなくてもいいけれど
パソコンが起ち上がらないのは困る

最悪 息子が新入社員だったころの古い95のノートパソコンがあるけれど
そのパソコンは何故かメールの送受信ができない
困った、困った・・・



2004年08月14日(土)


6月に55歳になったダンナも11月に54歳になる私も共に
いわゆる団塊の世代といわれる最後の年代だ
そして11月に30歳になる息子は第二の団塊の世代になる
あの戦争さえなければ急な人口増加もなくて普通の人口分布になったのだろうが
誰しも自分の生まれる時代を選べないのだから仕方のないことではある
でも 団塊の世代が日本をダメにするといったような意見まで出てくるにいたっては
悲しい
ダンナも私も競争相手の多い年代にあっても そのことを意識することなく
いわゆる全共闘といったようなものにも全く無縁で悪くいえば流されて生きてきた
体勢に逆らう勇気も知識もなくて
心の中では親に反発しても少しばかりの無視だけでやり過ごしてきた
息子のように親に辛辣な意見をいうこともなく
娘のように親を切り捨てることもできなかった
よかったのか悪かったのかは個人によって別れるのだろうが
思い起こせばあっという間だったということはダンナとも共通した気持ちだ

明日は終戦記念日
戦争をかいくぐってきた高齢の人たちには悲しい辛い思い出しかないだろうが
今年はオリンピックの話題のほうが大きい
なにせ総理大臣が長い夏休みをとっているのだから・・



2004年08月13日(金)

旅行に行ってきました

穂高と乗鞍とそして今、話題の白骨温泉
白骨温泉は入浴剤の問題が発覚する前から予約していた
キャンセルするお客さんもいたようだが温泉はとてもよかった
予約していた旅館は入浴剤の混入はしていなかったようだが
もし入浴剤を混入していたらあんなに浴槽の淵に白い突起物がつくはずもないだろう
温泉は硫黄のニオイはするし白い色はついてるしムード満点
ただああいう騒ぎがなかったらもっと楽しめたとは思う
旅館の従業員の人たちも自分の勤めている旅館は入浴剤の混入をしていなくても
自分たちのこととして受け止め言い訳じみたことは何も言わずただひたすら頭を垂れていた
ダンナとも話していたのだが白骨温泉の件は温泉の効能に変化があったわけではない
ただ白濁しなくなっただけだ
でも最近の傾向としてごまかしは命取りになる
日本人はすぐに忘れてしまうけれど当事者ともなれば建て直しが大変だ

それより穂高連峰と乗鞍岳
私のように足の悪い者でも
標高2700メートルクラスの山へロープウェイとバスでほぼ山頂まで行けてしまう
2階立てのロープウェイで行ける西穂高口駅からの穂高連邦の眺めは素晴らしい
槍のように先がスッと尖った槍ヶ岳も視野にあってよかったわぁ
乗鞍岳へは一昨年までだったらマイカーで行けたようで
もっと早くに挑戦しておくばよかったとつくづく思う
それにしても山の空気と景色は素晴らしい
気温も16℃くらいで場所によったら寒いくらいだった


常に娘のことを念頭においての傍からみればお気楽な夫婦旅行です
例えば19年前に日航の墜落事故が起きたときには
息子が小学校5年生で娘は小学2年生だった
丹後半島の海水浴場の旅館であの事故をテレビで見ていたものでした
あの落ちた飛行機に乗っていた人達はどうなるの、という子供たちの真剣な問いかけに
多くは語れない母でしたが
私も若くて元気だったし子供たちも素直で可愛いかった
今も子供たちのことは可愛いけれど、状況はあまりにも変わってしまった




2004年08月09日(月) 夏休みの宿題


経費の削減で辞めたパートの補充をしてもらえないので
マネージャーが休みの時は店長ミーティングとレジの応援に行く
夏休みも中盤で計画的に宿題を進めているのか
工作用のセットや画用紙や絵の具類、それに原稿用紙がよく売れている
それらがレジにきたら私は今、家に帰ってきてくれている息子の小学生の頃を思う
宿題があるということが全く頭に入っていない息子は8月の25日を過ぎても毎日遊びほうけていた
でも26日、27日を過ぎたあたりから私のほうが落ち着かない
絵の一枚も日記の1ページも書けていない
そのまま9月1日に平静に学校へ送り出すことができないので
息子を強引に机の前に座らせて私の言うとおりに日記を書かせた
と いうのも 自分で思うように書いてごらん、といったら
今日はスイカを食べたので赤いおしっこがでました、とか
朝 起きて朝ごはんを食べて昼ごはんと夜ごはんを食べて寝ました、としか書かない
それでもいいのだろうが毎日がそんな文章でうまってしまった
あまりのことに何日かは私の言った文を書かせた
それにあの頃、毎年 郵便局がアイデア貯金箱の応募を募っていたがそんなことは
息子からしたら作りたい者が作ればいいという考えなのかどんな課題の宿題もしようとはしない
全く何も提出しないわけにもいかないので私が工作を作ったりもした
中学生にもなってきたら 私のさびついた頭では手のだしようもなく
ほっておいたけれどそれにつけても笑い話だ
その点、娘は女の子できっちりしていたのかそんな思い出は全くない
丁寧に絵を書いては校内で佳作くらいの賞はいただいていたようだ
ただそんなこともみんな今となっては思い出でしかない

息子の言うように
「おかんは全然 進歩がない」 のです



2004年08月08日(日) 祝90歳

明日は義母、すなわち姑の90歳の誕生日
姑からみたら孫である息子が帰ってきたので一緒に面会に行った
特別養護老人ホームに入所している義母は思っていたより元気だった
ダンナは父親似なので
若いときの亭主に似ていると、姑は自身の息子をいとおしそうに見た
歳をとると最近のことは忘れても昔のことはよく覚えていると言う
そういうことからもダンナと自身の亭主とを重ね合わせているらしい
孫の顔を見て「まだ ほかに子供がおったな、死んだんか」と いう
娘のことだ
それにしても何という言い方だろう
姑はまだボケてはいないはず・・
私の娘のことをそんなふうには言わないでほしい
確かにおばあちゃんっ子ではなかったけれども・・

息子は老人ホームの風景を
こんな世界もあるんやなぁ、と言う
昼過ぎに行ったのだがまだ食事中の人がいて
ヘルパーさんに食べさせてもらっている人
ただひたすら掻き込むように食べている人
ほんとうに無表情に食べている人
でも いつか私も行く道だろう・・
姑もポツリと言った
「先に死んだもんが勝ちや」



2004年08月06日(金) 棚卸し

今日は棚卸しで私はタオル売場の応援に行った
プライスカードと商品が一致しているか、札落ちがないか確認して
ワゴンの下に引っ込めてある在庫商品のチエックをする
そこには私が売場にいたころからの商品、とくに雑巾が出てくる、出てくる!
私の子供が小学生だったころと違って最近は雑巾も商品として販売されることに少し驚いている
しかもキティちゃんとかあんぱんまんとかのキャラクター
雑巾にまでキャラクターをもってくるか!
夏休みも終わり頃になったら新学期に向けてまた売れるかもね・・

私はパートに出てもうじき17年になるけれど
その頃は今と違って年中無休じゃなかったから定休日を利用して棚卸しをしていた
全従業員が出勤しての作業だったからそりゃぁ楽しかった
営業日と違って交代なしで皆んな一緒にお昼を食べれたから
お客さんの目も気にしないで売場でワイワイとお弁当をひろげた
(全従業員が出勤しているので食堂は早いもの勝ちで満員)
そういう意味でも今はコミニュケーションが取りにくくなってきている
でも 今も棚卸しというと全従業員が出勤して準備にあたっているので
ふだんは人が足りないと駈けずりまわっているのに
お客様の目を気にしながらの作業だからお客様に失礼なのではないかと私は感じている



2004年08月05日(木)

頭が痛いとか
肩がこるとか
イライラするとか
ほてりやのぼせがあるとか
更年期にもいろいろな症状があるけれど
ひとつ 付け加えてもいいですか(誰に言ってるんだか・・)
それは
寂しさというか
これからイヤでもやってくるであろう老いへの不安です
人によっては
更年期が過ぎたら
バラ色の老後が待っている、と言っていたけれど
そうでも思わなければ長〜い老後を迎えられないから・・やせ我慢と言ったら
あまりにも悲しいかなぁ・・



2004年08月04日(水)


今日 あるパートさんが
「今の店長って お気に入りのパートがいるみたい」 と言った
やっぱりねぇ
私だけが感じていたんじゃなかったんだ
特定のパートを褒める、褒める
こういうパートさんがいるからうちの店も大丈夫だ、なんて言ってたし
どのパートも一生懸命に仕事してるのに
店長の見た目だけで褒めないでほしいと思っていた
そりゃ 店長も人間だから好き嫌いもあるだろうし
相性もあるだろうけれど
おばちゃんばっかりのパートなんだからもうすこしうまいこと言ってくれないと拗ねちゃうよ

ただ私がふと思ったのは
店長の褒めるパートはみんなうちの店でほとんど買い物しないよ
結局はそこそこ仕事をしてくれて
買い物もしてくれるパートが店にとってほんとうにいい(?)パートなんじゃないのかなぁ
すぐに売り上げのことを言うくせに
誰がどれだけ買ってくれたかということには知らん顔する
すこし勝手すぎはしませんか

以上、あるパートの愚痴でした



2004年08月03日(火)


お前みたいに2の次に子供のことばっかり言うのが理解できん
いくらお腹を痛めて産んだとはいえ
20歳を過ぎた子供のことはもうかまったらいかん
ひとりで立派(?)に生活してるのだからそれで何をいうことがある
息子もいずれ結婚するとして
相手の人も姑のお前よりは自分の親を選ぶだろうし
あいつの性格からして嫁さんの言いなりになることははっきりしている
娘にしたってあの調子だから
お前がほんとうに頼りにせなあかんのは 俺のはずや!


きのう ダンナに言われた言葉だが
何故か素直になれない私であります・・・・・
ダンナの言ったことは間違っていない
でも日本人の平均寿命から言うと あと30年からある・・・・・
あまりの年月に気が遠くなりそうな・・・・・



2004年08月01日(日)

 今日は8月1日

あの日から2年が過ぎた

でも私はあの日の喪失感と寂寥感を引きずったままだ

強く見える人間ほど脆いことを人はみな知ってくれているだろうか

親として私はどうしたらいいのだろうか・・






***********

死を考えた。理由はない。疲れたのでもない。もういいかと思っただけだ。気の迷いと言われればそうかもしれないが、気持ちは安定している。空が青い、空気が心地よい、だからもういいかと思う・・・・・人はそんなことで死を選ぶこともあるのではないか。

            「まだ遠い光」   天童 荒太 著



















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