愚痴日記

2004年06月30日(水) たぶん 旅行には行くだろうなぁ・・


副収入があったから 夏の旅行の代金にしようとダンナが11万円くれた
(少し 半端な金額ですが)
家計を全部 私に任せてお小遣いをもらってるのだから へそくりにでもすればいいのに・・
でも 正直 今の私は娘のことが気がかりで旅行という気分ではない
が それを言うとダンナの機嫌が悪くなる
もう 完全に子供は子供、俺らは俺らでやっていかなあかんのや、と言う
確かにそういう見方もあるけれど
そうかんたんに気持ちの切り替えは母親としては出来ないと言うと
そしたら娘と一緒に住むしかないだろう・・と言う
それが 今となっては出来ないから私は苦しんでいるのに・・




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「人の親の心はやみにあらねども 子を思う道にまどいぬるかな」       
                 藤原 兼輔

子を持つ親の心は、分別がないわけではないが、子供のことを思うと、
闇夜の道に迷うように、思い迷ってしまう・・・・・。
「親バカ」といわれても、わが子を案じるあまり判断力を失ってしまうのが
いつの時代も、変わらぬ親の姿である。


「お母さん、どの子がいちばんかわいいの?」
八人兄弟の五番めに生まれた私の問いに、
母は「病気をしている子がいたらその子、家にいないで遠くへ行ってる子」と言いました。


               親のこころ   木村 耕一 編著


ただ ただ 満たされない私を自分で慰めるために買った本でした



2004年06月28日(月) 野沢 尚 さん

作家の 野沢 尚 さんが亡くなられたようだ

この方の書いた「深紅」という小説はかなり心にのこっている
小学校の修学旅行に行っていて6年生の女の子がひとり難を逃れたという、
阿佐ヶ谷一家殺人事件(もちろん物語です)
そのあまりにも凄惨な殺害方でその女の子はずっとPTSDで苦しむ
犯人にも自分と同じ年齢の少女がいたことを思い出して近づいていく
自分も苦しんだがその少女も死刑囚の娘である、辛くないわけがない
そして殺された自分の父には殺されるだけの理由があった
もちろんどんな理由があっても人を殺めてはいけないわけで、
まして幼い子供も標的にするのはどんな弁解も許されるはずもない
その物語の中に裁判とは加害者ものであって被害者のものではないとある
確かに今頃の事件を見ているとそう感じる
子供が犠牲になることは ほんとうに悲しい
私がその本を読んでいた頃ちょうど、大阪の池田小学校の宅間被告に死刑判決がでていた
だから私はその本の内容を強く覚えていた
そんな本を書かれた作家にも興味を持っていた
その作家が亡くなられた

「深紅」とは血の色だったのだろうか
それとも家族へのたぎる思いだったのだろうか



2004年06月26日(土) みんなで投票に行こう


中曽根元総理が「自省録」 歴史法廷の被告として  という本を出した

すべてを書き遺した回想録
「戦後政治の総決算」を唱えた男の栄光と挫折の人生体験が見事に息づく書下ろし
新聞の広告には
「総理の一念は狂気であり、首相の権力は魔性である。」 とある
この言葉は正に今の小泉さんに当てはまる
うれしそうに出かけていったサミットでは
ブッシュ大統領への手土産のように多国籍軍の派遣を決め
人生いろいろだから政治もいろいろだと言いたいのか
選挙ではテーマは「日本」、自民党だと広告する
年金の強行採決なんかで旗色が少し悪くなってきたが
投票日近くになってきたら曾我ひとみさんの家族との再会でももってくるつもりだろうか

前回の参議院選挙で一番の票を集めたのは 桝添要一の158万票だった
あと2位から9位までが公明党の議員という
組織票のなんという恐ろしい結果だろうか・・
棄権する人も多い最近の選挙だが
例えば 何処かの党とか無所属の立候補者でもいいから絶対に誰かに投票しなければならない、
と 決めたらどんな結果が出るのだろうかと、ふと想像してみた









2004年06月24日(木)


今頃は日の出が早いので動物たちも早起きなのかな
何処の犬だろうか、あの泣き声は何かを訴えているように思う
ウォ〜〜ンと引っ張るように低く鳴いている
ゴミの日はカラスがことさらにうるさいし
何故かウグイスがかしましい
知らない鳥の声も聞こえる

今日もたぶん ふつうの一日だろう
すくなくとも私のまわりは・・
もちろん事件や変わったことが起きてほしいわけではない
ただ 毎日 夜になると
あぁ、今日も終わったなぁ とつくづく思ってしまう



2004年06月22日(火)


しばらく 

しばらく

ガマンしようと思う・・

私だけじゃなく 人は誰でも寂しいのかもしれない

ひとつの思いを人間って どれくらい持ち続けることができるのだろう・・



でも 何故こんなことになってしまったのだろう・・



2004年06月20日(日)


しばらくおさまっていた更年期特有のほてりをまた感じる
いきなり 首から上だけがカーッと暑くなり
そのあとはサーッと引いて 寒気を感じる
エレベーターのように気分も上がったり下がったりでしんどい
情緒の不安定も拍車をかけて塞いだ気分の日が多い
心の持ち方次第である程度は自分で解決できる問題らしいが
私だって自分がこんなにぐずぐずと不定愁訴を訴えるとは思いもしなかった
本を読んだりパートに出たり 気晴らしはけっこうあるのだけれど
誰にも本心をわかってもらえない
ここにもほんとうの言葉を見つけられない・・
寝てもイヤな夢をみるし
起きていても鬱々としている
つくづく イヤな人間だ・・



2004年06月19日(土)

「目的地周辺に着きましたので案内を終了します。運転、お疲れ様でした。」

ナビをつけておいてよかったとは思うけれど
狭い路地ばかりでゴチャゴチャと入り組んでいて どれが目指す建物が分からない。

寮に入るとはうまい考えだとは思うけれど
夢で見たとおりなら 抜け出すことができないタコ部屋のようなものではないのか・・
部屋はいくつあるのだろうか、1ヶ所しか灯りがついていない・・
と、いうことは・・

親としてはどうしたらいいのだろうか・・
ダンナと私の意見が合わない・・





家族がつねによいものではないとしても、
ときに傷つけ合うものだとしても・・・・・
また、この世界が虚しく、報われることの少ない、つらいものであるとしても・・・・・

           幻世の祈り   天童 荒太 著


わたしには、ただ祈ることしかできません。
あなたがいつか、生きつづけてみてよかったと、思える日が来ることを・・・・・
あなたを心の底から受け入れてくれる人が、きっと現れることを・・・・・
あなたのもとへもつながっているこの空へ、祈らせてください。

            贈られた手   天童 荒太 著



2004年06月17日(木) 我が家にも予算がある


まぁ どこの小売業でもそうだろうが売り上げ第一である
毎月の予算がたてられていて
昨年との対比もあって 数字に追われる日々の繰り返しだ
いくら先月に月予算を達成しても 月が替わればまた一からの出発
正社員にとっては ただの数字とは言えない悲しいサラリーマン生活
先月度は99.5%というイヤな終わり方をしたものだから
今月度は予算必達という店長命令がでた
うちのスーパーは毎月20日が月度の締め切り
今日は17日でこのままでいくと先月と同じような展開になるからと
店長のキツイお達しにマネージャーたちは戦々恐々
まして台風がきたらお客さんの出足も鈍るから今日、明日が勝負と言う
そこで言われだしたのが従業員の買い物
例えば 従業員が約250人いるから
8割方くらいの200人が一人当たり5000円の買い物をしたら
それで100万の売り上げになると言う
1万円買ってくれたら200万の売り上げになると言う
確かにそうだけどそこまで言うか・・
わたしゃ 自慢じゃないが出勤した日は必ず食材を買って帰るよ
休みの日だって買い物に来る日がたくさんあるよ
うちの家にはここのスーパーの商品で溢れかえってるよ
もらったお給料は全部お返ししているような状態
だからさらに買え、なんて言わないでほしい・・




2004年06月15日(火)


数の論理で否決されることは分かっていたけれど
内閣不信任案、可決してほしかったなぁ・・
それにしても何とかならんのかぁ〜

話はずいぶんとそれるのですが 民主党の岡田代表、
私にはアニメの「美味しんぼ」の山岡さんが年をとって少し太ったように見えるのだけど・・
上目遣いなんかそっくりではないかと・・



2004年06月13日(日) 眠れぬ夜もある


辛い経験や境遇で世間を拗ねるというか 
感情を出さない生き方を送るという登場人物の小説がたまにある
自分を封じこめるというのも ひとつの選択肢だろうが
その後の人生のいろんな場面でクラッシュバックするだろう過去の事実は消せない



何気にタイトルにひかれて図書館の書架から抜き取った本だった


自分を愛してくれている人間を平気で裏切るのは、相手をおとしめるためでなく、自分の価値を正当に受け入れていないせいだ。愛されていい資質があると、けっして認めようとしない。だから、絶対に言いわけをしない。また、置き去りにされ悲しむ人間がいることも、無視する。

              安達 千夏 著 「モルヒネ」



私が理想とする 感情を表に出さないという生き方はとてもできそうにないが
どう生きるかを選ぶのは個人の自由意志だ
感情をほとばらせようと
淡々と生きようと すべて私のことだ・・

私は たぶん・・不幸じゃない・・ただ 寂しいだけ・・



2004年06月10日(木)

私が痛い足をかかえても パートを辞めない理由のひとつにパート仲間との交流がある
パートを始めるというときにスーパーなんて女ばっかりで人間関係が難しいと言われた
でもその時は 家のローンもあったし
これから予想されるであろう教育資金のやり繰りもあった
結婚前のいわゆるOL時代とは違って
家事、子供の学校行事や近所のこと、ダンナの親兄弟との付き合い(同じ市内に住んでいるのでこれが一番、しんどかった・・)とか
私の肩にかかってくる諸々の用事が山積だったから必死だった
(今 思うと我ながら良くやってきたとつくづく思う・・)
幸いに先輩のパートさんは確かに少々、怖い存在ではあったけれど
こちらから声をかけていったり、頼りにするような態度でいたら
30代だった私を50代の先輩パートさんは可愛がってくれた
そんな先輩パートさん達が定年で次々に退職されていって
私が先輩といわれる立場になってきたら、結構居心地がいい
体型的に少々、威圧感があるように感じられているようだけれど
それでも映画やランチに行ったりメール交換をする仲間ができてきて楽しい
それぞれの家の事情をあからさまに話すということはしないが
それでもみんなが何かしら抱えていることは想像できる
障害をもった子供がいたり、親の介護だったり、ダンナの会社の状況とか
ほんとうにそれぞれの家の事情をそれぞれの立場で頑張っている
それでもみんなパートに出てきたら精一杯仕事をしている
そんな中に私も身を置いておきたくて
会社のシステムとかパートというあやうい立場に愚痴を言いながらも辞められずにいる






2004年06月08日(火)

今日は大阪の池田小学校での事件から丸3年
佐世保の事件でも 
父親が心境をつづった手記を新聞に寄せているが親の気持ちが切ない

娘と一緒に遊びに行った思い出の場所に行ったりした時には、不意に涙があふれて前が見えなくなる。池田小学校の「池」という文字を見ただけでハッとする。

私はふとしたテレビの場面なんかで不意に涙がでてくる
パートの帰り道、疲れた足を引きずりながら歩いているときにも
突然 寂しさというか寂寥感が襲ってきてなお更 歩が鈍る
一人でいても 町にいて人ごみにまみれていても 
何故か娘の横顔ばかりが目に浮かぶ



エンピツフォームメールというのを利用して
娘の名前で私のアドレスに自分でメールを書いてみた
(自作自演の観客のないひとり芝居ですが・・)


件名:迷っています
今は自分のことしか考えられません
はっきり言って お母さんの気持ちはうっとおしいです
しばらく そっとしておいてほしい
私も変わりたいです 



2004年06月07日(月)

地元の山の中腹に 商売繁盛のお寺がある
昔からけっこう有名で 縁日といわれている日は善男善女の参拝でにぎわう
商売繁盛のみならず 良縁祈願でもけっこうご利益があるという
私も何年も前から 子供たちの良縁を祈願している
愛染明王さんという守り本尊に
息子と娘に年相応の出会いをお願いします、といつも拝んでいる
1月に膝の手術をして今年は足が遠のいていたが
きょうは急に思いたってお参りに行ってきた
平日だけれど 結構お参りしてる人がいてお百度している人もいた
このお寺は階段が多いので私もいつまでもお参りはできないと思っている
昼前に雨が降ったらしくて アジサイもきれいに咲いていて
線香のにおいがたちこめる境内は心が洗われる気がする
子供たちが小学生だったころは 石段ばかりの長い参道を下から歩いてお参りした
(麓からケーブルカーがでている)
私がふうふう言って登っているのに
娘がぴょんぴょん跳ねて行きつ戻りつしていた
息子に「お母さんはもう年やなぁ」 と言われて
それもなつかしい思い出のひとこまでしかない
ひとりのおばあさんが 杖をついて登っている
まさに 何年か先の我が姿だ・・



2004年06月06日(日)



私達は、人間とは何か、自分とは誰か、何のために私達はここに生きているのかといった問いかけと、真正面から取り組まめばならない時代にいるのではないかと思います。そして、その答えを得るために特に大切なことは輪廻転生、つまり、人間は何回も肉体の衣をまとったり脱ぎ捨てたりしながら転生をくり返す魂であるという事を、十分に理解することです。私達は何回もこの地球に生まれ、それぞれの転生でしなければならない体験をし、そこから学ぶべきことを学んで、一つずつ、階段を上がるがごとく、神としての自己をみがいてゆくために、永遠に生きている存在なのです。

          ブライアン・L・ワイス 著   「前世療法」 より






梅雨空のせいなのか
私の勝手な思い込みなのか
八方塞りな気分・・



2004年06月05日(土)

喜怒哀楽という言葉が好きで

明朗闊達のつもりだったけれど

支離滅裂な言動が増えてきて

何故にこうも 疑心暗鬼になるのだろうか


ほんとうに 輪廻は転生するのだろうか

やっぱり 因果は応報するのだろうか

夫婦春秋という唄は好きだけど(・・笑)

夫唱婦随なんて くそくらえだ!



何かいいことないかなぁ・・



2004年06月04日(金)

身体と知性(私にそんなもん あったっけ・・)のリズムが最低のラインなのか
小さな不都合の積み重ねなのか 気の晴れない日々が続く

どんな人も
今の自分が好きになれなかったり
人との関係がうまくいかなかったり
自分のいる状況が思いどおりにならないから という理由で
いっそ自分のことを誰も知る人のないしがらみのない場所に逃げ出したい・・
と思うことがあると思う
たいていの人がそんな思いの日々の繰り返しの中で
一日一日を繰り返しているのだろうけれど
私くらいの年になればそれもまた寂しいような気がして毎日をやり過ごす

もういいかげん自分に強くならねば・・

人を介して手に入れた久しぶりの娘の筆跡に涙がこみ上げる
娘も日々の生活に疲れている・・ように感じた



2004年06月03日(木) 重い人生

私はちまたの事件というか 何でも自分に置き換える悪い癖がある
神戸の酒鬼薔薇事件でも 宅間死刑囚の事件でも
いつも もし自分の家の事件だったら・・と思ってしまう
今度の佐世保の小6の女の子だって 普通の女の子だという
もちろん 殺害された女の子も3年前にお母さんを亡くしていて寂しかっただろうし
今度のことでも哀れでしかたがない
だが 殺してしまった女の子はこれからどんな人生を歩んでいくのだろう
小6の女の子だけではなく 両親もお姉さんも人生が変わってしまったのではないのか
私は イヤなことがあって
相手を殺してしまいたい・・と思ったことはありません! といったらウソになるけれど
そんな時 私のほうが死ねばいいんだと唐突に思う
今の現実から逃げ出したいという願望だろうが
私には死ぬ覚悟があるんだ(本音ではないと思うが・・)
という 何故か安心感が生まれる
話がそれたが ほんとうに小6の女の子はこれからの長い人生をどう生きるのだろう
思いがけず両親もあまりにも大きい荷物を抱えての人生になってしまった
こんな時 私はあまりにも不謹慎な言い方だが 私の家の出来事でなくてよかった・・とつくづく思う
ダンナも うちの娘はとんと連絡もしてこんが人様に迷惑をかけないで自分ひとりで生活してるんだからそれだけでもよし、と思わなくてはなぁ・・という
私も思い込みが激しいから
もし自分の家の出来事だったら・・耐えていくことはできないだろうなぁと思う



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