パートを休んでいるので 朝 ダンナが出かけて夜、帰ってくるまで誰とも話さない日が続く 退院してすぐに お見舞いに来てもらったお礼のメールや電話をしたが ひととおり済んだら 再度メールをするのも気がひけて大人しくしている たまにかかってくる電話も何かのセールスばっかりでつまらない 暇を持て余しても 足が悪くて休んでいるから 買い物に行く元気もなくて 一日が長い やっぱり 家にこもっていてはダメだ
年甲斐もなく センチメンタルな気分
何があったわけでもないが・・
人は自分に関係のないことや 興味のないことには冷たいネ
テレビや新聞で報じられることにしても
わが身が痛くもかゆくもなければ 知らん顔でやりすごす
かく言う私もそんな人間だ
じゃぁ 私に何ができる・・?
私に何かあったときに 誰かが助けてくれるの・・?
開き直ってどうする・・
今回の入院で 私はいっそう老後ということを考えさせられた 自分のことが自分でできるうちはいい でも 綾小路公麿 ではないが 老いはもれなく付いてくるのだ 同じ 病室に88歳の人がおられた 骨粗しょう症による 圧迫骨折で12月12日から入院されている だから お正月も病院で過ごされた 子どもさんが3人おられるようだが (ご主人も早くに亡くされている) 私が入院していた10日間の間にどの子どもさんのお見舞いもなかった もう一人 お正月を病院で過ごされた方がいて その方の話でも一度も誰のお見舞いもなかったようだ 人様の家庭のことだし どんな事情があるのかも何も知らない その おばあちゃんは だからと言って愚痴のひとつも言うわけでもなく 自分の洗濯物は病院のコインランドリーで洗っておられた ある日 私がリハビリに行きましょうと お誘いしたら 今日はちょっと外出いたします と言われる 寒いのに どちらへ? とお尋ねしたら 市役所へ 介護認定とホームのことを聞きに行ってきます と言われた 要するに 自分のことは自分でされているということ そのおばあちゃんは 目も悪いらしくて障害者手帳を持っておられた 今の行政だと ヘルパーさんとか民生委員の方たちに相談もできるだろうに わざわざ不自由な身体で自分から出かけていかなくてもいいだろうにと思った そして その外出の帰りに同室の私たちにお土産も買ってこられた (相部屋だと お見舞いでお菓子などの頂き物があればおすそ分けをする) そのおばあちゃんには お見舞いがないので気にしておられたのだろう
人間が生きていくのに自分のことは自分でするのが当たり前だ だが 時として人はこのような場合 子どもを頼りにしがちだ そのこと自体 非難されることでもないが 子どもにしたって 相談されたいと思っている場合もあるだろう でも だんだんと少子化になっているわけだし 残念なことだが 子どもに恵まれなかった方もおられる
私もそのおばあちゃんに見習って 淡々と生きていきたい (でも 心のなかは 自分だけのもの・・) 最近は自分の子どもに迷惑をかけたくない という人も多いけれど 決して 忘れることなく 精神的に自立していたい
10日間の入院生活は あこがれだった 食っちゃぁ寝 の生活だった 手術が終われば 点滴とリハビリの他は何も用事がない 入院が決まった時 真っ先に考えたのは何を読もうかということ 市の図書館のではなくて 自分の本を読もうと思った それで 用意したのが 京極夏彦の 「後巷説百物語」 あとは お見舞いに来てくれたパート仲間が差し入れてくれた2冊の本 きっちり 読み終えて帰ってきた リハビリも日を重ねると話相手が自然と何人かできてきて 談話室でお茶を飲みながら それぞれが自分の病気の披露をして時間をつぶしていた 主婦にとって 上げ膳据え膳 という夢のような生活にもかかわらず どの人もみんな 家に帰りたがった もちろん私だって! 人はやっぱり 非日常は好まないのだ
病院の眠れぬ夜に咳聞こゆ
点滴と痛みなければ そこそこに
病院の長い一日今日もまた
点滴のノルマこなして昼ごはん
冬日らし 点滴越しの空を見る
寒いわよ 来てくれし人 皆が言う
別世界 街ゆく人は寒そうな
どんよりと ビルにかぶさる 雪雲か
痛みとれ 雲の流れに 吸い込まれ
今日もまた 雲の流れを見て過ごす
病室の 四角い空に 雲ながる
雲 切れて 空が広がる 枯れ木立
暮れていく街を眺めて 迎え待つ
あんなに膝の手術はしないと決めていたのに15日に手術をした 膝の関節内に遊離体(俗に関節ねずみ という)が できていて 半月版も損傷していたため 歩いている途中にガクッと膝が折れる症状が出てきた ここまでになったら 手術をしないという選択肢はとても医者を納得させられない 関節鏡による手術なのですが 遊離体がうずら玉子ぐらいの大きさだったため 7針縫う切開をして 9泊10日の入院になってしまいました モニターに写しだされる遊離体は 金平糖のような形状で全体に突起があり 真っ白で その名のとおり関節内を行ったり来たりしていた 最初は一つしかないと思われていたけれど 結局 遊離体は2つあって 手術時間も何やかやで2時間半もかかった 腰椎麻酔は思っていたより 痛くはなかったけれど 手術が終わる頃には もう麻酔は切れかかっていて 痛みは我慢の限界を超えかかっていた (私は 痛がりの怖がりでテレビの暴力シーンとか拷問の場面は見れない) 点滴で痛みを抑えてもらっていたけれど 完全に抑えられるものではなく うとうとするなかで 久しぶりに娘の夢をみた 夢の中の娘は姿は幼稚園児だが 口にする言葉は親に反抗していた18歳頃のものだった その夢のなかで 私が思っていたのは 娘も 振り上げた拳の下ろす場所というか 下ろし方を見つけられないでいるのだなぁと・・
お母ちゃん ゴメン
今日 命日やのにお墓参り 行かれへん
15日に行けないとわかっていたら 13日でも14日にでも行っとけば よかった 今年はお正月から 私にはめずらしく風邪ひいて 熱が出て パートも思い切り 休んでしまったし・・ あれから4年 今 私はしみじみと 親の存在の有難さを感じています きっと 修ちゃんが お墓に行ってくれると思います あれからも いろいろあったけれど 姉弟は仲良くしています それだけは 安心してください 私も いずれはお母ちゃんの居るところへ行きますが その時 こっちでの お土産話をひとつでも多く聞いてもらえるように しっかり頑張って生きていきます おとといくらいから こっちはずいぶんと寒くなりました そちらは どうですか
うちのスーパーは2月20日が決算 そのからみなのか いや いつもの年より早いなぁ 前期の決算も下方修正していたし かなり苦しい数字が予想される どうせ お金がかかるのなら ということだろうか いつもの年よりはやめの転勤命令が出た うちの店は正社員が5人出て行って 二人しか入ってこない ということは 店内でやり繰りしなくてはならない 私の直属の上司も転勤が決まった 今よりも自宅から近い店になって より大きい店舗への配属になったので 栄転と信じているらしくて すこぶる機嫌がいい 「○○さん (私のこと) はじめとしてオペレーションの人が頑張っていい結果を出してくれたから 私もより大きい店へ行くことができました。有難うございました。」 と 私に挨拶した 私も 「健康に気をつけてこれからもがんばってください」という ありきたりな返事をしたが もう言い合いもできないなぁと寂しい気もある 5人の転勤者のうち 2月7日に結婚するカップルがいる だのに 男子社員は鳥取の方の店 そして女子社員は和歌山に近い大阪府の南のほうの店 て ことは この二人は結婚しても一緒に住めない これはどちらかを辞めさせようとする会社のいじわるだろうか・・ しばらくは 別居で様子を見ます・・と言っていたけれど まぁ 最近はいろいろで何でもありの世の中だから 結婚するから一緒に住むのが当たり前と考えるほうがおかしいのだろうか 私が口出しすることではないのだが・・ それよりも 社員を減らされたあとのことを考えなくては・・
たぶん 1月6日だったと思うのだが 関西で 滋賀県の某地を震源とする地震があった 午後の2時50分 私の住んでいる所は震度3だった あっ 地震だと思って ごろ寝していたし そのままぢっとしていたが けっこう長かったように思う もちろん 時間なんて計ってはいないが 怖いものがあった 震度3 って けっこう揺れる しばらくして 治まったけれど こんど 私の心臓がバクバクしてる 何だか 胸が苦しい その時 唐突に思ったことは こんな時間帯に もし大きな地震が起こったら 家族バラバラになっちゃうなぁ・・と それからというもの 夜になったら 胸が苦しい 風邪薬を飲んでも 眠れない夜が続いている 左胸のいつも同じ場所が苦しい そのうち 治まるけれど 相変わらず眠れない それにしても よくもまぁ こんだけいろいろと身体の不調を言えるもんだわ・・ 自分でも 少しあきれている・・
明日は成人式
息子が成人式を迎えてスーツ姿を見せてくれるのは 一人前の男になったんだという感慨がある そして 娘の振袖姿を楽しみにしている親御さんも多いと思う 私もそのひとりだった 娘に成人式どうする? と聞いたら 着物が着たいと言う それまでの いろいろなすれ違いのなかで期待はしていなかったのに着てくれると言う 私は喜んで準備にかかった いままでの経過から一抹の不安があったのか 私が娘時代にひとつづつ自分で買った振袖と帯を用意した こういう日も来るかもしれないと大切に持っていた着物だ 娘に実物を見せて了解もとった ぞうりとバッグ、ショール、髪飾りは新しいものを買った 美容院も予約した だが 娘はドタキャンした 理由は今もわからない・・ 貝になった娘は何も語らない・・ 近所だった美容院ゆえ 菓子折りをもってお詫びに行った いくら親バカと言われようと わざわざアッシー君になる父親も多いと聞く だから 我が家には息子の成人式の写真はあっても 娘の晴れ姿の写真はない 人生はそんなことだけが晴れ姿でないことくらい私も理解できる でも、でも、この割り切れない思いはず〜っと私の心に残って消えない あれから6年・・ 毎年 よその娘さんの振袖姿をみるたび 胸が苦しい 明日もきっと・・
完全に直りきらないうっとおしい風邪が なお更 私を感傷的にさせる
お正月にひいた風邪が治りきっていなかったのか また熱をだした こんどは 38.4度 私の長い人生の中では けっこう高熱だ 咽喉が猛烈に痛くて エヘンをするのも辛い 咳やくしゃみをした後は 咽喉と頭がキーンと痛む 声もかすれてしゃべり辛い それに 私には珍しく食欲がない 誰かに何か作ってもらいたい 病気になったら 誰かに甘えたくなるようだ
よく 亭主 達者で留守がいい と言うが こんど 女房 元気で無口がいい とダンナに言われた
声がかすれて しゃべり辛いのと しんどいので大人しくしている ダンナに静かでいいと言われたけれど 私は たいてい ネットか本を読んでいるから 普段から静かなはず・・
今日はパートを休もうと思う 結婚するまえのお勤めでもパートを始めてからも風邪で休むなんて初めて・・ けっこう ヘコんでいる・・
きのう 私は6日なのに 七草粥を食べる日と日記に書いてしまった 何をボケていたのか きのうではなくて今日だ 別に七草粥を6日に食べても10日に食べてもいいわけだけれど そのことに全く気がつかなかったことが情けない 思い込みと言ってしまえばそれまでだが・・ 年賀状も喪中の案内が来た人にも出してしまっていた その人がお父さんを亡くされて 母ひとりになりましたので 田舎に帰ってきました と お土産をいただいてはじめて気がついた しまった! あとの祭りである 何と失礼なことをしてしまったのだろう そういうことが最近 多いように思う ボケてきたことに間違いはないだろうが 七草粥のことは別にたいしたことではないが 人様を相手の場合はひたすらお詫びするしかない ダンナが車を運転するときにかけるサングラスを買い換えるからと私が預かった 何日かしてそのことを言われたが 私、知らんよ と突っぱねた ダンナに お前確かにハンカチに包んでカバンに入れてた と言われて カバンをひっくり返したら ダンナの言うとおり ハンカチに包まれて出てきた 完全に私の失念だ 人ってこんなにも物忘れをするものだろうか・・ 私は特別なのか・・?
だいたいが 心ここにあらず・・ ということか
今日は七草粥 を食べる日で 小寒、いわゆる寒の入り
両親が共に奈良県の出身なので 日常的にお粥を食べて育った 奈良では お粥とは言わないで おかいさん という 茶粥に芋粥、そして母のつくる小豆粥は絶品だった お正月に私が実家に帰ると連絡したら 必ず小豆粥を作ってくれていた 小さく切ったお餅もいれて 何より母の味がした 昔は余り豊かでない暮らしの中で 少しでも米のかさを増やすためにお粥にしたのであろうが・・ 今では病人食というよりダイエット食になっている バーミアンという中華レストランのメニューにも中華粥があって ピータンやねぎ、ザーサイを入れて食べる 中華のお粥は日本のお粥と、比べたら ねばりが多いように思う ミスドのメニューにもお粥がある、これはとてもシンプルなものだ 最近の私は 発芽玄米のお粥を時々 食べている これが思ったよりおいしくて 身体にも良いらしいのでうれしいかぎりだ 今はスーパーで 七草粥 にと七草をセットして売られている 私もきのう 1パック買ってきたのでこれから コトコト おかいさんを炊いてみよう
相次ぐ不祥事に悩まされてきた兵庫県警が、すべての警察職員に家族や恋人の写真を携帯させて勤務にあたらせる。5日から本格的に実施する。「大切な人」の写真を持たせることで、深酒や破廉恥な行為から、汚職などの犯罪まで食い止めるのが狙い。「犯人を追いつめる危険な任務の時にはちゅうちょしてしまう恐れがある」といった声もあるが、県警は「大切な人を思えばこそ、仕事もきちんとこなせるはず」と、「苦肉の策」で臨む。
新聞記事から
言葉のみの訓示や指示だけでは防ぎきれないと考えてのことらしいが いくら不祥事続きとはいえ 何でもそうだがたいていの人間はまじめに日々、精進している いつも少数の心ない人間のために迷惑をこうむる ベテランの警官の方ならプライドというか誇りを傷つけられるような気がするのでは・・ 警察官による携帯電話での出会い系サイトを安易に利用しないように とか 抜き打ち検査も予定されているらしい まぁ 確かに考えられないような事件が増えてきていることは事実だが いい年をした大人が プライベートな部分をさらけ出されることになる 価値観の押し付け以外の何ものでもない 常時 持ち歩いたら日常的になってしまうのではないのか 私だったら そんなことで自分の写真を持ち歩かれるのはイヤだ うちのダンナなら オレ、恥ずかしくて不細工なヨメハンの写真をよう持たんわ と言うだろう いや! 妻である私の写真を持ってもらえると思うのは私だけで 案外 ひいきの女優さんの写真だったりして・・
2004年01月04日(日) |
お正月休みもオシマイ |
今年は健康に気をつけてとことさらに思っていたのに 風邪なのか熱をだしてしまった 咽喉は痛いし頭もクラクラするし 身体の節々は変にフワフワして自分の身体ではないような感じだった もともと私は平熱が36度以下だから37度5分の熱はしんどい(大げさですか・・) ○○は風邪をひかない というのが私の自慢 ? だったのに 最近は基準も変わってきたのかねぇ たまに風邪をひくとしんどくて仕方ない うつらうつら していて見た夢も向かいの家に弔問に行く夢だった 確かに去年の3月に奥さんが亡くなられて喪中だけれど 弔問は拒否されたのだった そんなことが私の頭の片隅を占めていたのだろうか・・ ダンナが溶かして飲むかぜ薬がよく効くというのでふつうのかぜ薬とダブルで飲んでしまった 確かにあんなに昼間もうとうとしたのに夜は夜でぐっすり寝れた おかげで かなり楽になったように思う
明日からはたいていの人はまた仕事だろう ダンナも鈍った体で仕事ができるのか・・
2004年01月01日(木) |
本年もどうぞよろしくお願いいたします |
お正月にふさわしいとてもよいお天気で暖かだ
来客がないつもりだったが ダンナの姪夫婦が5歳の子どもをつれて新年の挨拶に来てくれた おみやげにもらったのが 平成15年大晦日早朝搾り というお酒 つまりはきのうの朝に搾られたという生酒 白ワインのようにうっすらと色がついたそのお酒はほんとうにワインのような味がした 夕食は すきやき にしたけれど そのお酒はとてもおいしいものだった 夕べのかき鍋といい 今夜のすきやき といい 息子が一緒だときれいに食べつくされて気持ちがいい 私はなぜか 食事を多い目につくる癖がある 心の中では いつ子どもが帰ってきてもいいように作っている という言い訳をして いつもダンナにあきれられながら 残り物の始末をしている 息子のいる間はその心配がなさそうで ホッとしている
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