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「 真理とは愚かさの結晶化 」
2020年05月15日(金)




 たおやかな富士は北の山中からみると

 四角四面の富士は南の山中から浮かぶと

 雄大な富士は西の茶畑からつっきると

 哀愁の富士は東の平野から探すと

 
 日本一の眉目秀麗な山でさえ、その多面性に驚くことがある

 宇宙全体を包み込むほどの広さがある心を持つ人の多面性は筆舌に尽くせなくある

 当たり前を徹底して知ることに人生の真理がある

  
 伊豆の達磨山からの富士は、映画のスクリーンに映ったような富士で、余所余所しくて、他人行儀で、感動する気持ちが抑えられてしまった

 かきつばたの唐衣のように着慣れてしまった人でさえ、場所を変えると歌に詠むほどの気持ちに移り変わってしまう

 どのようなものにも慣れ親しみ、形式主義化していってしまう人の愚かな性質を、徹底して知ることに人生の真理がある

 
 人として誕生させられ、人に育まれてきたのだから、人の性質を知ることの大切さは、何よりも第一なのではなかろうか

 恋心や情緒が、それは人の第一のものであろうか


注記:「かきつばたの唐衣のように」とは、『伊勢物語』の一首「からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」を指す。人の愚かさを知らぬゆえに生まれた歌ではなかろうか。

「 両足と片足とが人にはある 」
2020年05月01日(金)



 人は両足で歩くが、片足でケンケンすることもできる
 人は家族で育まれるが、一人で生きていくこともできる

 片足でケンケンをするなら、上半身に力を入れると速くなる
 一人で生きるなら、学歴や金銭、名誉、地位などがあると楽になる

 両足で楽に歩くなら、上半身に力が入らない方が向いている
 家族に恵まれるなら、学歴や金銭、名誉、地位などがなくても気にならないことがある

 家族が人生の目的だという人もいるし、学歴や名誉などが目的だという人もいる
 両足で歩く人もいるし、片足で歩く人もいる 
 どちらもどちらも

 上半身に力を入れて精一杯の方が向いている人もいるし、リラックスしてゆったりと歩くのが向いている人もいる  
 どちらもどちらも

 山登りの時に、片足のケンケンだと使う筋肉が固定されて苦しくはなる
 病気の時に、独りだと肉体も思考も閉塞して苦しくはなる

 反対の足を怪我をしてしまうと途端に歩きにくくはなる
 離婚や死別すると途端に投げやりになって悲嘆にくれるようにはなる

 命の育みは、人間を両足歩行として与えた
 けれども、人は片足も両足も選ぶことができるようになった

 大いなる命の流れがあることが、ただただ、ありがたく想うようになった
 両足も片足も体験し、楽しんでほしいものである
 
 そこに大いなる命の流れを感じられる契機がほかされている
 


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