眼を閉じて、感謝のことばを唱え出す。
夜泣きの赤子の声がする。
抱きかかえ水を飲まして寝かせて、ほほえむ。
再び眼を閉じて感謝のことばを続けていく。
背後で鳴り響く轟音
「お前はまた1日死に近づいているのだ」
「お前はまた1日死に近づいていくのだ」
轟音を手でふさいで聴かないようにすることもできる
家族への感謝というあふれ出る想いで轟音にカーテンを掛けることもできる
しかし、私は轟音から耳を、全身をそらさないようにしよう
私の人生が全く無価値である、無意味である、ことを受け入れよう
私の人生が自分の感情があるから意味がある、という錯覚を
私の人生は自己決定があるから価値がある、という傲慢を
私の人生は信じるものがあるから恵まれている、という欺瞞を
私の人生とは公益のために生きるから正しいのだ、という独善を
排除して
私の人生は全く意味がない 価値もない
人間の命の儚さなのだ
全ての命の、全ての世界の存在者の儚さなのだ
1000年後、誰が覚えている? 何を残せる?
1000万年後、人が残っている? 文字が残っている?
その無価値さを受けとめもせず、その無意味さの正面に立っていよう
決して、
決して、目をそらずに、耳をそらさずに
そらさずに、という側から垢が付いてくる。
いつの間にかこっそりと
生物の防衛本能なのだから仕方がない
それも含めながら、つねに轟音に耳をふさがないようにしよう
苦しい
毎夜、毎夜、苦しい
けれど、決して慣れないようにしよう
それしか見当たらない
それしか足掻きえない けれど、それだけは足掻きえよう
誰も読まなくなる日記 けれど、それだけは書き記そう
社会的認知などに拘らず、社会的利益などもっての外だ
今の社会など後、100年も続かない、あと100万年さえ続かないのだから
それしか見当たらない
それしか足掻きえない けれど、それだけは足掻きえよう
俳句や短歌など四季の移り変わりをことばに移して、
移して、そのことばの凝縮だけを問うていく
言わば、消えゆく、多様性の多様を読んでいるに過ぎない
ああそうですか、そうですね、
で終結する閉じた世界に過ぎない
感覚の共有、ああそうですか、そうですね。
松陰先生の辞世の句のように社会に開けていく視点さえない、閉じた世界
どうしてことばの真理性に目を向けないのだろうか
ことばが千年受け継がれてきた・・・
確かに
しかし、物理法則は時そのものを解き明かすという真理性を帯びている
私達が生物であるのも、死を迎えるのも、多様であるのも包摂する真理性を
その真理性に晒されていなかった時代からの形骸を受け継ぐ短歌と俳句
奥底に潜んでいる怠惰さに、吐き気がする
けっしてサルトルの吐き気ではない、形骸化に気が付かない怠惰さに
吐き気がする
どうして死ぬのに、そんなに自分愛だけをつらぬくのか
男は自分の仕事の話ばかり、女は共感仲間かどうかばかり。
うまい飯、快楽、楽することばかり。
死ぬ怖さを忘れる、愚かなことと判っているのに、どうしてそんなのばっかり。
ばっかり、ばっかり、で、わたし、がっかり、がっかり。
あほ~になって、いつかポックリ。
そんな風に日常生活だけ観て生きていけるかね。
・・・ああ、判っているよ。
ありがとう。でも、見続けるよ。
年老いて、死病に取りつかれて、その時、気が狂わないか心配だけど。
多分、これしかできないんだ、ぼくは。
ぼくはずっと見続けるよ、ばっかりでがっかりになっても、自分がね。