心臓の光を突き刺せば、ガラガラ、と血の溢れた形体に
希望の光を打ち砕けば、コロリン、と心の壊れた形体に
視覚の光を奪い取れば、ボタボタ、と快に壊れた形体に
心臓を壊すのは30分でよい
希望を壊すのは30時でよい
視覚を壊すのは30日でよい
なんと危うい均衡の上に創られた、健常、健康、常識、常態の総体
血に支えられた健康は心で造られた常態を創り
心で造られた常態は快で産みえない常識を創る
常識が破壊されて快楽に堕ち
常態が破壊されて肉塊に落ち
健康が破壊されて死骸に落ち着く
なんと危うい均衡の上に創られた、健常、健康、常識、常態の総体
だからこそ、総体を慈しむ
だからこそ、壊れた形体をも慈しむ
付記:「慈(いつく)しむ」
箒木の
大樹へ暮れゆく
老いとてゆけど
付記:帚木は「ほおきぎ」アカザ科の植物、と
「ははきぎ」と読み、遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木を指す。『古今和歌集』の坂上是則の歌「園原や伏屋に生ふる帚木のありとてゆけど逢はぬ君かな」がある。
文意は、「箒木が夕暮れで陰を伸ばして大樹になっていく。私もそのように老いていくのだなぁ」という意味。つまり、
「老いとは、箒木の実態と陰の大きさ(虚勢)のズレが生じることを意味し、それを夕暮れ時のように詠嘆(えいたん)して眺めるだけで、ズレを埋めないこと」を意味する。「老いれば深い感動が生まれるが、その感動は、実態と虚勢のズレによって生じる」という意味。
帚木(ははきぎ)が箒に見える虚勢は「近づいても逢ってくれない人、逢えそうで逢えない人の喩え」になり、それをこの詩で「近づいても素晴らしさが見えない人、素晴らしそうで素晴らしくない人の喩え」と置き換えた。嘆く、だけなのか、という岐路に立っている気持ち。