左の親指と右手の薬指の爪を削り合わせると、ポッ と鋭い痛みが少しだけ灯る
灯ってはしだいに闇夜に消えていくともし火に、哀しみが加速しながら、あの人の方へと
風通しの良いソファー、朧に舞い上がったカーテンが靡いている
黒々とした柱のベランダの先に、月夜にほだされたような草原が笑っていく
駆け抜けて遥か遠く、ぼやける林の上には街の煌きが白い蛍の群れのように飛び回っていた
ここだけが暗すぎる
苛めて、灯しだす爪
消えていないように、何度も何度も、何度も
もう言語という形では、虐め傷つけるのが終ってしまったかのように
注記
「靡(なび)く」、「遥(はる)か」、「煌(きらめ)く」、「苛(いじ)める」、「虐(いじ)める」
執筆者:藤崎 道雪
「
暗黙の未来
思いのままにならないからこそ、敬虔を感じさせる未来
未来の無前提そのものが潔い白を、漆黒の闇にほんのりとのせる
そこに色を浸ける人の恣意
婚約や保険たち
有彩色をたらせば、ほのかな白はとり返せない。
全てを破壊する漆黒という死で押し潰すしか、無彩色は繰り返せない
」
注記
「浸(つ)ける」は、後の液体にたらすを「垂らす」に示唆。
「たらす」は、「垂らす;液体などを少しずつ上方から流す。」が表の意味で、
裏には「誑す;①うまいことをいってだます。②(子供などを)すかしなだめる」の意味もある。
執筆者:藤崎 道雪
吐き捨てた唾は、鋭い放物線を描いてピンクのタイルに漂着(ひょうちゃく)した。
中心には、ペールトーンの緑色の痰(たん)があるから広がらなかったのだろう。
「げっ」
という声を出すやいなや、同色相の手酌(てじゃく)を探した。
少し遠い。
体を湯船から出さないと取れない。けっこう遠い。
「ピュゥゥ」
今度は、風呂場のお湯で水鉄砲ならぬ、口でのお湯鉄砲。
「あれ、したすぎるな」
「ピュゥ」
「ぅ、量が少ない。えっと・・・」
「ピュゥゥウウウウウ」
「おお、緑の的が揺れ出した。ちょっと下がったぞ。おっしゃ!!」
「ピュゥゥウウ」
「いいね~。いいよ~~ん♪」
「ピッゥゥゥゥゥゥウウウウ」
「あちゃ、右過ぎた。」
「ブブゥゥゥウウウウウウウウウ・・・」
「力みすぎ~。拡散してしまった。」
「ピュゥゥウウ」
「大当たり~~~~~♪」
汚いと思っていた緑は何時の間にか好奇の対象になったので、栓に流れて行った時は少しガッカリした。
目を移すと外は夕焼けの兆(きざ)しが見えてきている。
さて、催(もよお)してきたし、便所行って街にでも出ようかな。
執筆者:藤崎 道雪
どんなに足掻(あが)いても 人という泥沼から飛び立てないのなら
せめてそれを受け入れることにしよう
どんなにのたうっても 香ってくる男の性(さが)を振り払えないのなら
せめて受け入れて自分につけたそう
泡沫(うたかた)の人、儚(はかな)き定められた男という業(ごう)を受け入れる。
けれど 残りの私というのは はたしてあるのだろうか
人であることよりも弱々しい男
その男にも太刀打ち出来ないで翻弄(ほんろう)されつづける私
その 私 というのはあるのだろうか
執筆者:藤崎 道雪
肉体が爛(ただ)れていく流れに載せられて薄められて行く音楽たちの群れ。
ヒットチャートが安直に取り替えられていくのが当然のように、膨(ふく)らんでは萎(しぼ)んでいった繰り返された行為たち。
「ああ、一目見たときのドキドキと近づこうとする時の焦りと、「側にいたい」という台詞の逡巡と、目くるめく嬉しさと、違いを確認した絶望の一歩手前と、希望を切断に替える瞬間と」
それらの多くの塊たち。
「塊たちが、吐き出す微か過ぎる灰色の霧が視界を覆う。夕焼けの光度が上がれば上がるほどアリアリと霧がある。纏(まと)わり疲れた徒労感を思い出し、哀しみが赤い光に溶けていこうとする。」
揺れて酔っている感覚たち。
「好きかも。一緒にいるとドキドキする。側にいたいだけなんだ。つきあおう。優しいね。安心できるんだ。何でそうなんだろう。浮気って? 何処に行ってるんだ。そこは嫌い。全てが鼻につく。別れよう。もうどうでもいい。」
未来にもあるかも知れない言葉たち。
中学生の初々しい時代に戻りたい訳ではないのだ。全てのもの達を消去して、清明色に戻りたい訳ではなく、膨らみを繋(つな)ぎ止めておきたいだけなのだ。
膨らみを胸の手の中に繋ぎ止めておきたいだけなのだ。
心を満たして行く熱い熱気を、赤い夕焼けに拡散させたくない。
呼吸をするたびに、熱い熱い空気が流れ出ていくのを感じたくない。
様々な赤い灼熱(しゃくねつ)が私の気道を通り過ぎて行ったけれど、
ただ、ただただ、熱い空気を安定した物質に換えて欲しいだけなのだ。
夕闇から心臓に寂しさを感じさせない、熱い質料で埋め尽くしたいだけなのだ。
注記;「萎(しぼ)む」は、元来は草が枯れてしぼむことをいう。委は農耕儀礼で舞う女性の姿だから、女性であることと、その前のしなやかな状態を暗示している。
執筆者:藤崎 道雪