カトリーナが楽しい飲み会に誘ってくれました。 AET仲間のダレンとその彼女、カールに、学校の先生のシズカに、タカシ先生。 シーゴブリンという(映画『今、会いにいきます』で撮影にも使われた)飲み屋さんに集まったのですが、日本語と英語が飛び交う不思議な空間でした。
ハロウィーンということで、カトリーナはカウガールだし、ダレンは海賊。ダレンの彼女はのりのりバニーガールのいでたちでした。 ハロウィーンのお祝いなんてわたしゃ初めてだったので、目を白黒させて驚いちゃったのですが、そういうノリも、日本っぽくなくって面白かったです。 おいしいものを食べて、お酒が進むと、楽しい気分も最高潮。 酔っ払えば酔っ払うほど英語がすらすらでてくるのはなんでなんでしょう? やっぱ外国語を話す上で一番の敵は羞恥心なのかもしれません。
カトリーナはいつも楽しい女の子だけど、お酒を飲むと本当に無邪気でかわいい! いっぱい楽しい話をしてくれたのですが、中でも、面白かったのが、アメリカの中での方言の話。 カールはテキサス出身で、テキサスなまりがあるらしい(私にはとんとわかりません)そして、アメリカでテキサスなまりは、田舎っぽくってかっこ悪いんですって。 なまりを冷やかされたカールが 「ワタシ、全然ナマッテなーいねー。 テキサスなんてイッタコトモナイし!」って必死。
それに対して、とってもキュートだとカトリーナが絶賛したのがボストンの英語。 「You should park the car in the yard.」で、park ・car・ yardはそれぞれ〔α:γ〕という発音が含まれているんですが、それがボストンでは〔α:〕になって、それが「超キュート」なんですって。 カトリーナはとっても楽しそうにボストンなまりをくりかえしていました。 こういう感覚って、例えば日本語で京なまりが女らしくってすてき!みたいな感じとおんなじなんでしょうね。
2004年10月30日(土) |
フューチャーキッズ儲かりマンデー |
日曜日の朝の7時からやっている「フューチャーキッズ」と、7時半からやっている「儲かりマンデー」。これが私の日曜日の定番になりつつあります。
「フューチャーキッズ」はテレビ版『13歳のハローワーク』といったところで、司会の青木さやかが子どもたちと一緒に毎回いろんな職業について見てみるという感じです。
青木さやかが子ども相手にぎりぎりの毒を吐きつつ、意外とやさしかったりするんですよ。
そして、間にさしはさまれている、ポストペットのモモとコモモのお話しがかわいー。
「儲かりマンデー」はまったく、新しい経済バラエティ番組でとっても新鮮です。
こうしてみると、やっぱり日本の社会ってお金のこと、特に金儲けのことについて声高に話すことをタブー視してきたんだなあって思います。
番組の内容は、世界一の投資家にインタビューに行って成功の秘訣やこれから儲かる物件を聞いたり、急成長を遂げる企業(例えば日産とか)の秘密を探ったりです。そして、株やファンド、投資といったことについて、ごく身近なものとしてわかりやすく面白く見せてくれます。 おすすめです!
久しぶりに列車に乗って出かけた帰りの車中で私の向かいの座席に乗り合わせた男子高校生がいました。 4人で一人の携帯電話をまわして、何か楽しそうに話をしています。 聞くともなしに聞いていると、携帯電話で交通事故の瞬間の映像を見ているようです。
「俺、マジ気持ち悪くなってきた」 「次、俺、俺見して」 「ねえねえ、もっとグロいのないの?香田さんが殺されたときの映像、マジグロいからね。俺、今でも覚えてるもん。」 「あれ、マジで忘れられないよねー。」 「すごかった」
いたって軽い雰囲気で話される内容に、私はものすごく嫌悪感を覚えました。
まるでジュースの回し飲みの雰囲気で何を話すのでしょう。 分別の欠如。鈍感な感受性。 絶望的な気分になりました。
しかし、彼らに同情の余地があるとすれば、彼らが生きているこの時代でしょうか。
情報の洪水に晒され流されながら、自ら舵を取るためのモーターはおろか、オールすら与えられていない不幸。
彼らだけでなく、この時代に生きる多くの人の不幸です。
ここで私の言うモーター、オールが意味するものは、自分の必要な情報を選び取る力、その情報の持つ意味を判断する力(政治的倫理的に)などが考えられると思います。
この力を持った人と持たない人を比べたときに、残念ながら後者の方が多いのではないでしょうか。 もちろん、一人一人が情報を選び取ることができるようになることが理想的だし、そのために、教育が多くの責任を負っていると思いますが、教育には時間がかかり、この危機は今ここにあります。
まずは、たちおくれている法的整備が速やかに整えられることが心から望まれます。 すべての規制が取り払われ、情報はすべて公開される流れのなかで、それでもやはり、侵すべかざる領域はあるように思います。
2004年10月28日(木) |
福谷修『サッちゃん 続・渋谷怪談』 |
「先生、サッちゃんってよんだことある?あれマジで怖いって。夜眠れなくなるからね。」と、ポンと男子が持ってきてくれました。
いやいやいや、私、自慢じゃないけど、怖がりだからね。 怖がりを自認しているからそういう怖いものには近寄らないようにしているんだからね。 ・・・借りちゃったし、読まなきゃかあ。
そりゃあ、怖いって言うんだから、当然怖い描写がどんどんでてくるわけなんです。 でも、私ってば優れた読解力あるもんですからね、そういうのが出てくるところは察知して、飛ばしちゃいました。 「怖い怖い、もー無理!」って2,3行先にジャンプ。
いつものようにお風呂で読んでいたのですが、 「水場は霊を呼びやすいという」とか、マジでそんな情報いらないから! 「風呂に入っているとき“だるまさんが転んだ”をしてはいけない。考えるだけでもだめ。そんなネタもあった。 ……考えちゃいけないんだ。 体を洗い終えると、リナは足元のシャンプーを取り、髪を洗った。 何も考えない。 目を閉じ、お湯でシャンプーの泡を流す。 ……考えない……。 シャワーから流れる温水が、髪をつたい、背中いっぱいにあふれて広がっていく。 後ろ人誰かいるかもしれないなんて思っちゃだめ……。 目を閉じたまま、次に右手でリンスの容器に右手を伸ばす。いつもと同じ場所にあるはずのリンス。 ん?リナは明らかにリンスの容器とは異なる物をつかんだ。なんだろう。目を開けた。」
もー!やーめーてー!
髪の毛を切ってから、身のまわりに元気な色が増えてきました。 黄色とかきみどりとか赤とか、パステルカラーとか、元気になる色の服を着ています。 髪の毛が長かったときは、似合わなかったそういう色が好きになって、黒とか、暗い色調がまるっきり気分じゃなくなりました。 髪の毛を切ると運命が変わるっていうのも、まるっきりの迷信じゃないんでしょうね。
今日はぱきっとした黄色のエリアラグが届きました。 それを部屋にしいてみたら、ナチュラルナチュラルしていた部屋が一気に元気な感じになりました。 カラーセラピーとか風水とか、全然詳しくないんだけど、明るい色が部屋にあふれると気分も明るくなるっていうのはうなずけます。 よーし、この冬はビタミンカラー路線で部屋を元気な感じでまとめてみよう。
2004年10月26日(火) |
ガルシア・マルケス『エレンディラ』 |
“大人のための残酷な童話集”です。大きな翼のある、ひどく年取った男(天使)のお話しや、行く先々で猛毒を飲んでは生還するなど奇跡を行って見せる行商人の話などが収められています。 まるで目の前にあるかのような描写と作者の思い描く空想の光景がまるで境界なく語られていく手法は『百年の孤独』と同じなのですが、短編だとその魅力が充分に生かされないなあ、というのが正直な感想です。 ただ、奇想天外な物語に終わってしまう感じがします。
、最後に収められている「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」は中編ほどの長さがあり、繰り返す不幸と残酷な所業が歳月の重みとあいまって、不思議なマルケスワールドに誘ってくれました。
『百年の孤独』にしても、この作品集にしても、やっぱり、その面白さは、非日常の世界に遊ぶことができるということのような気がします。 それはマルケスの文体が、ありえない現象をまるで本当に起きたことと同じように扱う幻想的なものであるということがまず第一の理由だとおもうのですが、その作品世界がラテンアメリカという、まったく異なる文化の上にあるということも大きな理由なのではないかと思いました。
例えば、家のつくり一つにしても、“ローマ風呂めいた孔雀模様と稚拙なモザイクで飾られた浴室”と言うときに、私の頭の中で想像するものと、作者やラテンアメリカに暮らす人々の思うものではかなり違うのではないかと思います。そして、この差は、目に見えるものの描写よりも、感覚、考え方のほうが大きいでしょう。 私がこの作家の作品を読んでいて感じる非日常感は、私の日常がよりどころとするものと、作品の背景となるものとの差異なのではないかと思います。移動サーカスや曲芸師、行商人でにぎわう街。 大きな船の停泊する港。 文字のの間から埃と汗のにおいのする乾燥した空気を感じます。
2004年10月25日(月) |
ダン・ブラウン『天使と悪魔』 |
『ダヴィンチ・コード』で一躍有名になった象徴学者ロバート・ラングドンのシリーズ第1弾は『天使と悪魔』です。 第2段を読んでから第1弾を読むのは逆行するようで、気が進まなかったのですが、本屋さんでみかけたら我慢できなくってやっぱり買ってしまいました。
うーん。面白い。 日曜日の午後はどっぷりと読書。
予告殺人と、時限爆弾爆発までの制限時間。絶対絶命の状況の中から一つずつヒントを見つけ出して、なぞを解いていくのですが、読み出したらとまらない!やめられないんです。
今日は、学校から帰って、すぐに続きを読み始めて、9時に上巻を読み終えました。そこで下巻を携えお風呂につかって第2ラウンドへ。
1時間ごとにひとり、またひとりと着実に予告殺人は実行されていき、時限爆弾のリミットが刻一刻とちかづいてきます。 だけど、犯人は、いつも寸前で追跡をかわします。 そして、お風呂のお湯はどんどんぬるくなります。 睡眠時間は刻々と削られていきます。テストの採点だって残っているのに・・・やめられない!! もうやめるべきだと思っていてもついつい熱いお湯を足している私がいました。
一番気がかりなのは、殺人犯を裏で操っている黒幕は誰なのかということ。 それは『ダヴィンチ・コード』の時同様、作品前半から登場している意外な人物なはず!それが誰なのかが気になって気になって、それを見るまでは本を閉じることなんてできなかったのでした。
結局、黒幕は私の予想通りのあの意外な人物で大満足。 エンディングまで見届けて、お風呂から出てみてびっくり。 時計の針はもう2時をさしていました。
朝は早いぞー。
大きな大きな報いを受けた一日でした。 教育の成果は明らかな形で目に見えることなんてほとんどないものですから、期待していなかったので、思いがけないことに私のほうがびっくりしてしまいました。
というのも、今日は子どもたちの新人戦、市中大会だったのですが、団体戦でいつもどんじりあたりの私たちが、破竹の快進撃で第2位だったんです!
私が予想もしていなかったくらいなので、本人たちは大喜び。
「私たちって、すごくなーい♪」
すごいすごい。ここまで私についてやってきたのがすごい。 怒鳴りつけたことも一度や二度じゃなかったし、先輩が2人しかいなくてあまり教えてもらうこともできなかったのにね。
まだまだよわい。と思っていた子たちだけど、いつの間にか、たくさん力をつけていたんだねえ。 それを見抜くことができてなかった私のほうがまだまだだね。
教師という仕事は、子どもが成長するのをそばでみていて援助することかな、と思います。 一人ひとりにとって、望ましい方向があって、そこにいたるために、私はいろんな手立てをこうじます。 思いっきり褒めたり、励ましたり、冗談で笑わせたり。 そして、こっぴどく叱ったりします。 逃げだそうとする前に立ちはだかる壁にもなります。
それは、楽しくないし、わかってもらえないことも多いけど、でも、子どものうちに、悪いことをしたときはきっちり叱られるということを経験しておくということは重要だと思うので、ぴしゃりと叱ります。
「教師じゃなければこんなふうに人間関係に波風立てずに笑ってすごせるだろうになあ・・・」と思うこともありましたが、叱ることもお仕事と、最近は達観の境地です。
叱るということについて、まったく同感という文章を見つけたのでご紹介します。 じっぽさんの活字中毒R。10月16日のものです。 http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20041016
この前、私はちょっとしゃれにならないような大きな失敗をしました。 日記に書く気にもなれないような、深刻な失敗です。 100%私の過ちで、弁明のしようもないので、私は覚悟を決めて校長室に謝りに行きました。 校長先生は、私を叱りませんでした。 声を荒げることなく、善後策をたててくださいました。 このことで私がどれだけ救われたか、本当に感謝に堪えません。 もしも、あそこで叱責されていたら、ぺしゃんこにつぶれて落ち込んで、二次的な失敗を重ねてしまったような気もします。
叱る、ということは本当に難しいです。 私も校長先生のように、しかるべき時、叱り方、ちゃんとコントロールできるように気をつけなければならないと思います。
「英語が話せる」ということに日本人は弱い。 英語が話せるだけでなんだかすごーく頭がいい人という扱い。 そのコンプレックスが過度に早まった英語教育を過熱させる。
でも、私はあまりにも小さい時期からの英語教育、いわんや日本語とのバイリンガルに育てようなどという試みにはNOという立場です。
でも、スポンジのように何でも吸収できる小さいころに英語を勉強しておいたほうがあとで楽だから、という意見もあります。
確かに、若い脳はなんでも困難なく吸収します。 やみくもに吸収するといってもいいでしょう。
小さい子が日本語と英語の単語をないまぜに話すのは、日本語と英語という区別がないからです。 しかし、より複雑な文になっていくほど事態は難しくなってきます。
日本語と英語というまったく異なる文法を一度に同様に習得することは幼い頭脳にとって過度の負担です。
そして、どちらの言葉も不完全、ということになります。
バイリンガル研究というのはかなり昔から盛んにされていますが、「完全なバイリンガルというのはありえない。完全なバイリンガルに見える人でも、かならずどちらかの言語がベースとなっている」というもののようです。
では、英語ならずとも外国語を効率よく身につけるためにはどうすればいいか。
私は、まず自分の生まれながらの言葉をしっかり身につけることが大切だと思います。
基本となる言語との比較で言語は習得されます。 ベースとなる言葉がしっかりと固まったものでなければ、ほかの言葉をその上にしっかりと打ちたてることはできないのです。
ながーいS、インテグラの話。
高校時代の数学の先生は数学博士。 なんでも、教師を続けながら博士論文を書かれたそうで、定年退職した現在はオハイオ大学で大好きな研究をして第2の人生をエンジョイしていらっしゃるそうです。
しかし、そんな先生の高尚な授業は、残念ながら文系まっしぐらな私にとっては馬の耳に念仏でした。 今でも覚えているのは、とっても楽しそうに話される天才数学者の話や、ずっと証明されずにいる仮説の話しとか。
逆関数を習ったときに先生はこうおっしゃいました。 「100円玉を一個入れたら、ジュースがでてくる自動販売機を関数とします。 逆関数とは、ジュースを入れると100円玉が出てくる自動販売機です。」
今朝、自動販売機で120円を投入。あったか〜い紅茶を買ったら、ガランガランっと二本も出てきた。
???
先生、これは一体どんな関数なんでしょう?
とりあえず二本ともおいしくいただいちゃった。
私の英語熱が頂点に達したのは高校一年生である英語の先生に出会ったときでした。 彼女は当時50歳。 見た目はふつうのおばさまです。 ところが彼女はあらゆる意味ですごい。とにかく授業がすごい。
週に3回のグラマーの時間、1時間で軽く教科書8ページは進みます。 演習形式で15人の生徒が次々に指名されます。予習をしないということなど決して許されません。 答えを言いよどんだり、間違えたりすると、ピシャーンと雷が落ちる。 突然教科書にない発展問題が口頭で出され、それに答えられないと、「あんたなんか、こんな問題もわからないのー!!そんなに勉強が嫌なら高校なんて辞めてしまいなさいよ!義務教育じゃないんだから、お金がもったいないよ!隣の人答えて!」
私なんか怖さのあまり授業中ずっとがたがた震えていました。
そして曲がったことが大嫌い。 時々、授業の始まりにおっしゃいます。 「予習をほかの人に見せてもらった人、立ちなさい!!」
それで、9割の生徒が立ち上がります。
「あんたたち、何て汚いの!人の予習した内容を写させてもらうなんて、知識の泥棒よ!汚らしい。教室の後ろで正座しなさい!!」
その時間は正座する9割も地獄。生き残った1割も地獄です。
まるでスポ根ドラマのような英語の授業です。
それでも、私は先生をとても尊敬していました。 それは先生についていけばハイレベルな英語を知ることができたというのもありましたがやはり高潔な人間性に憧れていたのだと思います。
クラスに吃音の子がいました。話すときにどもってしまうのです。 その先生に指名されたときなど緊張もピークですから、日頃よりもうまくしゃべれません。
「ア、ア、ア、ア、アイ ハ、ハ、ハブ・・・」という調子です。 でも、先生はそのことについて何ひとつ文句を言ったことはありませんでしたし、どんなに時間がかかっても、せかさずじっと言い終えるまで待ってくれました。 だから、みんなで「先生は厳しいけれど本当はやさしい人だよ。きっと」と励ましあってがんばりました。
結局最後の最後まで一度たりとも授業で先生の笑顔を見ることはありませんでしたが。
中学生から高校生のとき、一番好きな教科はダントツに英語でした。 高校時代は英語オタクというほどののめり込みようで、常に英和辞典を持ち歩くほどでした。
新しい世界と知識を手に入れることが楽しくて楽しくてしょうがなかったのです。 私が英語にのめりこんだのはただ、それだけだったように思います。 英語を話せるようになりたい!という望みは不思議とあまりなく、むしろ新しい構文をマスターしたり、長文を読んだり、日本語との相違点を見出したり、そういうことに興味がありました。
一瞬、英語の先生になろうかな、と思ったこともあるのです。それが実際には国語の教師になっているのは、こういうわけです。
あるときふっと思いました。 結局、英語の理解は辞書的な理解を超えない、と。 経験の中から身についたものじゃないから、母語である日本語を超えることはできないんだ、と。
足の小指をたんすの角にぶつけたときに「Ouch!」では感じはでないし、「It〜that」の構文は訳せても、どんなシチュエーションでそれを使えばしっくりくるのかはわからないのです。
私が本当に知りたかったのは、言葉という複雑で繊細で高機能な道具の世界についてで、それを知るためには、母語である日本語について深く知ることよりほかはないと思ったのです。
まあ、私が英語の先生を目指さなかったのは、当時の私は自意識過剰な思春期まっさかりだったので、「r」や「th」の発音を公衆の面前で披露することを生業とすることなど思いもよらなかった、というのが本当のところですが・・・。
2004年10月11日(月) |
まだまだマイナス収支 |
おばあちゃんにつきあって買い物に出かける。
おじいちゃんが車を運転できるとは言えども、女のきまぐれで目的のない買い物におじいちゃんをひっぱりまわすのは気が引けるものらしい。
おばあちゃんの気の済むまでお付き合いできたらいいんだけど、私、テストの採点が終わってないこととか、翌日の授業のこととかが気になって、早めに切り上げてもらってしまった。
そして、じゃあまたね、という段になって、おばあちゃんが「これ、昨日のご馳走買ってきてもらったから」とお札を私にさし出した。
実際にかかった額よりも明らかに大きな額のお札。
「いらないよー。もらえないから。これ、もらっちゃったら、今度買ってこれなくなっちゃうから困るよ。」
だけど、おばあちゃんも収めてくれない。
「いいのいいの。これもらってもらわないと、今度買い物を頼めなくなるから。」 受け取る受け取らないのすったもんだ。 私がどうしても受け取らないというので、おばあちゃん、私の車のダッシュボードにお札をほおりこんだ。 まいった。降参です。 すいません。いただきます。
でも、こんなにお金をもらいたくないと思ったことはない。 忌むべき存在と言うほどに思えてくる。
見返りにお金をもらってしまっては、商売になってしまう。 私はただそうしたいと思うからしているだけなのに・・・。 今までにおじいちゃんおばあちゃんにしてもらったことが山ほどあって、その恩を返したいと思っているのに、恩を返すどころか、お世話になるばっかりだよ。情けないよ。
2004年10月10日(日) |
孫がネギしょってやってきた |
3連休も練習試合と、仕事で半分を過ぎて、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行く。 「これから行くね」と電話をする。 「何かほしいものがあったら買っていくよ」と言うと「いいよいいよ。きよこが食べたいものを買ってきたらいいからね。あとでお金払うから」と言われる。
子どものころから私にとって一番温かい人がおばあちゃんだった。 やさしくて、しっかりしていて、こんな人に私もなりたいって初めて思った人だったことを思い出す。
飯田でショッピングセンターに寄って鍋の材料を買い込む。 そう言えば、“鴨がネギしょってやってきた”っていうけど、私ってば、“孫がネギしょって”だわ。 ふふふ。おもしろ〜い。
夕方6時を過ぎておじいちゃんたちの待つ家に到着。 いつもなら夕食を食べ終えている時間だから急いで鍋の支度を整える。
おじいちゃんが退院してから会うの初めてだったけど、予想していたよりも元気で、ほっとした。 人手がないからしょうがないとはいえ、稲刈りをしているなんて、考えもしなかったよー。 それに、車の運転まで。 ・・・大丈夫かなあ。心配だなあ。 「おかげさまで、今年も豊作だったよ。昔の人は言ったんだがね、年寄りがつくる最後の年は豊作になるって。 だから、もう、今年でおれも稲作りは最後だわ」
「その話知ってる!。去年も聞いたー。もう、それ聞くの5回目だよ。」 わははははーーー。
は、は、は、・・・・はあ。
これで田んぼ作るの最後なんて言わずに、来年も再来年もおじいちゃんには変わらずにいてほしい。 でも、見ないふりをしても確実におじいちゃんもおばあちゃんも年をとって、身体も弱くなってきている。 二人を楽隠居させてあげられないのかなとも思う。
孫に何ができるかなあ。
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