まずは2002年5月31日を参照。 山口で苦楽をともにした恋ばな同盟のゆきちゃんとなっちゃんのその後です。 今でも同じ学校で勤めているのはなっちゃん。 ゆきちゃんは、長い春を乗り越えて高校時代に付き合いだした彼と去年の秋に結婚しました。せっかく萩に帰ったので、恋ばな委員会、復活しよう、と話はとんとん拍子にすすんで、今日の実現です。
ゆきちゃんの結婚式に二人とは会っていたので、そんなに久しぶり!って感じでもなかったんだけど、今回は、なんと言っても、“主婦”ゆきちゃんでした。
新居は清潔に整頓されていて、そこでかいがいしく立ち働くゆきちゃんは、とってもかわいらしい奥さん、って感じ。 だんなさんは、「のほほん」 おっとりおっとりしていて、ゆきちゃんが 「ほら、お皿運んで」 「そうやって、また、わざと忙しそうにしてから」 みたいな感じで、お世話焼いて、ほほえましいの。
みんなでお酒を酌み交わして、鍋をつついて、つのる話しを夜が更けるまで語り明かしました。うーん。新婚ゆきちゃんを見て、開店休業気味の“女”業を反省!
旅にでる、と言ったら、さして驚きもせず、「林芙美子の『放浪記』ですか?」といわれました。 そんな、にぎりめし担いでいくような旅じゃないですよ。 瀬戸内海を横目に行く旅ですけどね。
そして、かなりの強行軍。 今日の学校が終わって、最終のしなのに飛び乗って名古屋まで。名古屋からは漆黒の山陰本線を西へ西へとひた走る夜行列車で。 新山口駅に降り立ったのが7時30分。 バスで萩市まで1時間20分。 10時からの卒業式にジャストで間に合いました。
私が教師になって二年目の年に、初めて学級担任をした生徒たちが、晴れて卒業するというのだから、時の経つのは早いものです。
2002年3月20日の日記を読み返すと、3学期の終業式での彼女たちとのお別れのことが書かれています。 ほんとにぶつかり合いと話し合いの日々だったよねえ。 ただ高校に通って、勉強をして、課題をクリアして、テストを受けて、ということが、ものすごく努力と力が必要な子もいるんだ、ということを、私は彼女たちと学校生活を送る中で学びました。
だから、本当に、「3年間よくぞやめずにがんばりぬいたね!」という気持ちでいっぱいです。 2年ぶりに会う生徒たちは、それぞれちょっと大人っぽくなって、しっかりと自分の道を選び取っているようでした。
教師という仕事のいいところは、生徒たちの未来を、その隣で自分の未来のように希望を持って眺めることができることかもしれません。 彼女たちが卒業する姿を見送って、ようやく私は担任の仕事を終えた気がしました。
2004年02月23日(月) |
アンニュイに歌ってみたりして |
♪今年最後の雪の華が〜・・・みたいな? よく知りもせずに、中島美嘉の歌を口ずさんでみること数回。
校舎の4階、閑散とした国語研究室の窓からは日本アルプスの白い山々が一望にできます。
昼休みのひだまりはぬくく、いつの間にか、春がそこまでやってきていることを感じさせます。「春だにゃ〜」
でも、そう思った翌日にはなぜか、雪が降ります。 そして、歌う中島美嘉風の鼻歌。
♪今年最後の雪のは〜なが〜・・・ってこの前歌ったじゃん!みたいな。
2004年02月22日(日) |
塩野七生『サロメの乳母の話』 |
歴史は必ずしも事実とは限らず、後世の人がどのように受け取るかによって左右されるものだろう。 学校で教えられる歴史は、歴史はただひととおりの道でしかないような印象を与えがちだが、史実をもとに、どのように考えるか、ということが歴史の本当の面白さなのだろうと思う。
『サロメの乳母の話』は言うなれば、西洋史で誰もが知っている人物の意外な素顔をその人物に近しい人の口に語らせた外伝的な物語の数々だ。
たとえば、「キリストの弟」はイエス・キリストの生涯を、キリストの弟(義理?)が語ったものだが、
「兄の仕事ぶりは、褒めたものではなかった。 時々気分が散ってしまうのか、妙なところで、ずさんなできになってしまうのである。 だから、弟のわたしが、兄にまかせた仕事でも、それが終わったところで一応の検分をし、その後でなければ、依頼主に渡せないのだった。
でも、ずさんなできのところを見つけて、兄に文句を言いに言っても、結局きついことはなにも言えなかった。 自分の間違いを指摘された兄は、いつもきまって、申し訳ないとでもいうような、しかし、ほんとうは少しも悪いとは思っていない、優しい微笑を口許に浮かべるだけだからだ。」 と、とっても人間的なイエス像が描かれていて面白かった。
どれも読み物としてもとても面白い上に、ただの作り話でなく、作者自らのしっかりとした研究に基づいて書かれているなあということが感じられて、骨太だ。
高校時代、世界史で勉強した人物や事件、また、宗教の時間に読んだ聖書に出てきた言葉が、物語の中で生き生きと迫ってきて、懐かしいような、新鮮な気分になった。
2004年02月19日(木) |
有閑マダム、また、いえねこ |
中沢先生のお宅で、将来の夢は? という問いに私は「有閑マダム」と答えました。
中沢先生はおののきました。 「ええー。有閑マダムなんて、でっぷり太っていて、ごてごてした宝石をつけているような、あんなのがいいんですか?」
あれ?有閑マダムって、そんなですか?じゃあ、違うなあ。
私が思っていたのは、その字のごとく、暇を持て余している主婦という意味の有閑マダムでして、そんなスノッブな存在を目指したりはしていないです・・・。
さて、有閑マダムじゃないとしたら、私の願望をなんと名づけたらいいのだろう。
うーん。 ぴったりの言葉は・・・。 ふと横を見ると、クロがころんと横になって、気持ちよさそうに寝ています。 なんてお気楽で、のどかなんでしょう・・・。
そうだ。私もいえねこがいい。私の将来の夢は、いえねこ!
授業というのは、段取りどおりいっているか、生徒はのっているか、時間配分はいいか、気にすることだらけで、やるほうにとっては楽しいどころの話ではないのですが・・・。
今日は初任者研修の一環で道徳の授業をしました。 道徳は国語と似ているようで、まったく違うので、いつも、道徳の授業が近づくと、ゆううつ〜な感じで、昨日も、ほんとにうまくできるか気が気じゃなくて、夜も寝たんだか寝てないんだか。
授業の後に後指導と称して、見学に来てくださった先生方との検討があるんだけど、それを思い浮かべると、一ミリもミスできないぐらいの気分になって、ため息が出ちゃいます。 一番道徳の授業で難しいことは、押し付けになってはいけないけれど、導きたい結論はある、というアンビバレントなところで、その結論に生徒が自然にたどり着き、すっと心に落ちるように一時間を組み立てなければならないということです。
なにについて扱うかも散々迷って、昨日まで悩んでいたんだけど、「自分勝手ってどんなことか、どうして自分勝手なことをしてしまうんだろうか」ということをやってみました。
中学3年生だから、当然自分勝手な行動がどういうものか、それがやってはならないことだ、ということは頭で理解できているので、その表面的な理解をどれだけ深めて、実感を持って、自分自身に還元できるかが勝負でした。 他人の自分勝手な行動を批判することは誰にでもできるので、そこから一歩進んで、誰しも自分勝手なことをしてしまうものだが、どうすれば自分勝手をしなくなるだろうか、ということを考えてもらいたいと思いました。そして、やってみての感想なのですが、ものすご〜く楽しかった。
授業前の憂鬱が嘘のよう。 なによりも、生徒の反応に感謝! いつも国語でも自由に質問したり、発見をつぶやいてくれたり、私のボケに突っ込んでくれたり、と、すごく素直で、明るい生徒たちなんだけど、今日はまた、期待以上の反応のよさでした。
前述したように、押し付けずに、生徒の言葉の積み重ねが結論に自然に至るのが理想だから、自由に、積極的に意見を言ってくれて、ほんとに助かった。
しかも、楽しんでくれたんだよねえ。いっぱい笑った授業でした。
私もどんどん楽しくなっちゃって、ほかの先生が見ていることなんて、ぜーんぜん忘れちゃった。
授業が楽しいなんて、多分、初めてだぞ。 生徒と私、みんなで授業を作り上げることができたって、実感できた授業でした。
これはある授業中の話。 おしゃべりばっかりしているA君。 業を煮やして注意をしたら、「だって、次の時間はちゃんと勉強しなきゃ怒られるから、先生、今は遊ばせてよ」とのたまった。 私は言った。
「何を言っているの。ダイエットは、明日からじゃダメなんだよ!」
教室の反応は「???」 突然何を言い出すの?と言わんばかりの不思議そうな顔。
そうかあ、比喩で婉曲的に言っても、伝わらないんだねえ。 「だからね、ダイエットは明日からって言って目の前のケーキを食べていては、いつまでたってもダイエットはできないでしょ。それと同じで、勉強だって、今すぐ、始めなくちゃだめなの!」
比喩がわかるかどうか、これはきっとわかりやすい国語力のはかり方だと思う。
なぜなら、比喩が理解できるということは、具体と抽象の間の連結をすんなりと行き来できているということだから。
抽象的な事柄を具体的事例で考えられる。 具体的事象を抽象化できる。
これができるか否かが理解力の大きな鍵を握っているといえるでしょう。
だけど、さて、このことに気づかせ、なおかつ、そういう力をつけるには、どうしたらいいのかなあ?
ひとまず、わけがわからないと言われながらも、今日のような比喩を使い続けてみるってものかな。
気のおけない人、というのはまったく心の隔たりがなく、心うちとけた人のことを言うんだって。 でも、気のおけないって、逆の意味みたいだよねえ。 ずーっと釈然としない言葉です。
今日は、国語科の先生たちで、ちょっと早い年度末お疲れ様会でした。お局先生の鶴の一声で、フランス料理のフルコースを食べに行くことになりました。 つたを這わせた瀟洒な洋館風の造りのそのレストランはあめ色に輝く木のぬくもりに満ちていて、品よく落ち着いた雰囲気。 個室に通され席に着くと、抜群のタイミングで給仕が現れ、流れるように準備が整い、会食が始まりました。 耳慣れない横文字の料理の数々は、当然のようにおいしく、一分の隙もないものでした。
そして、ワイン。きっと、川島なおみさん等ワイン通という方々が、ゾゾゾっとテイスティングして、「まるで森で若鹿にであったような・・・」とか、言い出すのはこういうワインのことなんだろうなあ、などと思いつつ、とてもおいしく、くいくいといただきました。
ほんの2時間前まで学校の騒々しさの中にいたのが嘘のような、リッチで静かな世界を堪能しながら、私は思いました。こういう特別な会食は気のおけない人とのとっておきでありたいものだ、と。
BGMすらない個室に響くのは緊張したナイフとフォークのたてる音と、無粋な職員室の噂話。 あんまりにもふつりあいでしょう。 せっかくおいしい料理をいただくのなら、マナーなんて気にせずに、楽しい会話に花を咲かせたいものです。 学校つながりのお付き合いは、居酒屋とか焼き鳥屋が分相応というものでしょうね。
平日は長く、週末は短いな〜。 最近、週末のために生きている感が非常に強くなってきました。堕落路線まっしぐらです。
週末の予定が先の先までつまりまくってます。 どんどん予定をいれます。久しぶりです。こういうこと。 ちょっと前までは、週末は2日間とも空けておきたかったから。 なんにも予定がない日がないと、一週間がんばれない気がして、友達と遊ぶこともできなかった。
でも、本来的に私はスケジュールをいっぱいギリギリまで詰め込みたい人だと思うので、予定を入れられなかったころがちょっと普通じゃなかったんだよね。 昨日も今日もも卓球の試合でした。
だいたい私って頭が悪いんだよね。覚えるということがほんとに苦手。 学生時代だって、テストが終わったころに頭に入るって感じだった。教師になった当初は、生徒の名前が覚えられなくって、ほんとに苦労した。(これはだんだん早く覚えられるようになってきたけど) でも、社会に出ると、一字一句覚えておかなければならないことなんてほとんどないから、事なきを得ていたんだけど・・・自分の暗記力のなさを久々に痛感したのが百人一首でした。 この前、百人一首の大会に出ようと思いたって、決まり字の一覧表を手に入れたの。例えば「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」という歌だったら、「はなの」が決まり字だから、“はなのわがみ”みたいにして覚えればいいというわけ。 言うは安し、行うは難しでして、“む-き”“す-ゆめ”みたいなのが、ひとっつも覚えられないんだよ・・・。 子どもだって、一週間で100こ全部覚えちゃうって言うんだけどねえ・・・。 いや、逆に、子どもだからこそ、スポンジみたいに難なく吸収しちゃうんだろうね。先日紹介した『不実な美女か貞淑な醜女か』の一節。 「理解したものは覚えやすく、その逆は覚えにくい。未知の領域に関する発言や、母国語でも理解しかねる概念など、何度聞いてもすぐ失念してしまうのに、馴染みの概念から組み立てられた話は、記憶のキャパシティーが驚くほど大きい。 ベテランの会議通訳者が、専門用語を一つでも多く覚えることよりも、その専門領域に関する本を少なくとも一冊読みきることに力を注ぐのは、そのほうが結局その領域全般を理解することに、ということは専門用語を覚えることにも役立つからだ。第一、大人の脳味噌にとって、暗記は苦痛なのに対して、理解のプロセスは極上の快楽だ。(中略) 単語のればるで意味が欠如している場合は、単なる音の羅列になるし、また単語一つ一つは意味を持っていても、その単語同士のつながりが意味をなさないとき、われわれは理解不能に、したがって記憶不能に陥る。」
100首の中には、すんなり覚えられたものもありました。 「うかりける人を初瀬の山おろしを はげしかれとは祈らぬものを」 “うかリーはけ”は「うっかりはげちゃった」。なーんてね。
2004年02月13日(金) |
米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』 |
タイトルがとても興味深いですね! 私もその手の本だと思って読み始めたら全然違いました。 著者はロシア語と日本語の通訳をしていらっしゃる方です。ときどき、テレビにもコメンテーターとして出演している人ですが、頭の回転が早く、理知的な人だという印象そのままの文章で、通訳ということについて、その難しさ、基本的スタンス、翻訳との違いなどをエピソードを交えて書いています。
この本を読むと、通訳者の華々しい活躍は、ひとかたならぬ努力の賜物であることがわかります。 タイトルの不実な美女とは、話し手の言ったことに対して不誠実で歪曲や誇張があるが、美しく整った訳、貞淑な醜女とは、話しての言うことには貞淑で偽りないが、文としては美しくない訳の比喩です。 もちろん、“貞淑な美女”が理想的なのですが、瞬間的に通訳をしていく中では、理想どおりにいくことのほうが難しいので、スタンスとして、“不実な美女”と“貞淑な醜女”どちらを求めるべきか、ということなのですが、さて、どっちだと思いますか? また、比喩の場合と直接的に女性のことを言う場合と、答えが違うかもしれないですね。
門外漢にはなかなか想像できないような通訳の世界をわかりやすく示してくれる、という点で、この本は通訳を目指す人が読むととてもいいだろうなあ、と思いました。
2004年02月12日(木) |
なぜ腕を振り上げる必要があるのか |
朝のニュースで、韓国の中学生が(多分通学のための専用バスで)座っている一人の子に対して、何人もの子が殴る蹴るの暴行を加えているビデオが流されていました。
先週でしょうか、やはり韓国で危ない運転にクラクションで警告を鳴らした路線バスに、クラクションを鳴らされた人が逆上してバスに乗り込み無抵抗の運転手を何十回も殴ったり蹴ったりする映像も目にしました。
私はこれらの映像の痛々しさに眉をひそめました。 それと同時に、その映像の不自然さが強く残りました。 暴行を受けて人形のようにたやすく右に左に揺さぶられる体。 それは、私にとってあまりにも現実味のないものでした。
例えば私が誰かに対してこんなふうに手を振り上げたり危害を加えるようなことがあるか、と考えると、どんなことが起ころうともあり得ない、なし得ないことだと思われます。
それは私が人格的にどうこう、ということではなくって、どんな出来事も、私に暴力という手段を選ばせる要因にはならないように習慣づけられているということです。
もし、これが道徳ということならば、私にそういうものが当たり前に身についているというラッキーに感謝します。 逆に、ニュースの映像でめちゃくちゃに暴力をふるっていた人たちは、きっとちょっとしたきっかけがすぐに暴力につながるようになってしまっているんだろうと思います。 こわいことです。
それとはまったく関わりのないことかもしれないのですが、いつの間にかK-1 など、格闘技が市民権を得るほどの人気を誇るようになったことを私は不安に思います。
少なくとも、4,5年前まで、「格闘技が好き」と言うような人はごく一部のマニアックな人でしたが、ご存知の通り、去年の大晦日は民放各局が格闘技番組を紅白にぶつけてきました。 そのことを初めて聞いたときは、「紅白にはかないっこないから、民放も開き直ったんだなあ」って、本気で私は思ったのですが、ふたを開けてみたら、老いも若きも、男も女もみ〜んな格闘技を見ていて、二度びっくり。
それが、暴力ではなくて、スポーツだと理解できればいいのですが・・・。
「もう、風邪は大丈夫? 教頭先生とか、最近元気がないって心配していたから・・・。
僕もねえ、教師を始めて4年間はいつやめようかって、ずっと思っていたよ。校長にもやめるって言いにいったんだけど、あと3年やってみて考えろって言われてね、3年やるころには色んな責任が出てきて、辞めるどころじゃなくなっちゃったけどね。 それに、今辞めても、こんなご時世だから、そうそう就職口なんてないしねえ。」
私は初任者なので、指導の先生がいて、毎週一度か二度、授業を見てもらっていろいろアドバイスをしてもらいます。 言うなれば私は教師でありながらも生徒なのです。
だけど、生徒でありながらも私はもう子どもでもないのが難しいところです。 生徒にやるように、私にやられても、困ります。
冒頭の指導の先生の言葉は、私からの相談を聞きだそうという働きかけなんだろうなあ。 こういう教育相談の切り出し方、初任研でやったよねえ。なんて、とっても居心地悪いです。
ご心配してくださるお気持ちはありがたく頂戴しますが、私はよほど心許した人でない限り、自分の胸のうちは絶対に打ち明けたりできませんので、悪しからず。
「きよこ先生は、朝、学校に来るのが嫌なことある?」 「ええ。ありますよ。って言っても、それは4月当初からなので、今に始まったことではないんですけどね。」 って言ったら、先生、愕然としていた。
私ほど猜疑心が強い人間はそうそういないとは思うけれど、でも、誰にとってもきっと悩みを打ち明けることってすごく重大なことだから、信頼関係がちゃんとできていないと成り立たないよね・・・。
私が指導の先生に対して不信感を抱いているのは、先生が私自身のことを心配して相談を持ちかけたのではなく、指導教官としての責任や保身からの行動だったと思ったからです。 今まで私が本当に困って、アドバイスをもらおうと相談したこともあったんです。 でも、その時に言われた言葉は「まあ、時間をかけてゆっくりやっていくってもんじゃない」と、いうほどのあしらいの言葉でした。 こういうことの積み重ねで不信感が募っているというのに、どうして本音をさらせましょう。
でも、このことは私の今後への戒めとしようと思います。 生徒に対して、保身や義務感から心の内を聞きだそうとするなんて愚かなことをしないように。
2004年02月09日(月) |
どうでもいいことだらけの世界で |
本当にやりたいことはありますか?本当に好きでやっていること。
例えば私にとって、教師という職業は自分でなりたくてなったものだ。好きでやっている。企業で働く自分なんてとても想像できない。 だけど、だからといって、教師の仕事が本当に好きかというと、私はそれほど勤勉ではない。教師として極めることが自分の人生の目標だとはとても思えない。もっと言えば、5年後、教師を続けている自信さえ持てずにいる。
5年後も確実に続けているであろうこと。きっと、卓球は続けているだろうと思う。おばあちゃんになっても卓球しているだろうと思う。 でも、卓球が好きで好きでたまらないからやっているかというと、そうでもない。卓球は好きだ。続けていきたい。でも、いつもいつもたまらなく楽しいからやっているというわけでもない。
練習も、誘われればやるけれど、やり始めて5分で「もうやめてもいいな」という気分になることもある。
本当に自分がやりたくてたまらなくってやっていることって、本当にまれだ。 なんでこんなことを思ったかというと、昨日、大学のOB杯に参加して、何年かぶりに「卓球をすることが楽しくて楽しくてたまらない」という気分になったのだ。
相手が誰だろうが、卓球をしたくてたまらなかった。 その試合が一回戦だろうが決勝だろうが関係なかった。
卓球をすることが本当に楽しいと思って初めて、ずいぶん長い間、そういう感覚を持たずに過ごしてきたことに気づいた。
私は思っていた、“人生のほとんどのことはどうでもいい”って。 自分が本当にこだわりたいこと、好きでやっていることはほんの一握りで、それ以外のことは周りとのかねあいや、必要に迫られてやらざるを得ないことなんだと。 でも、そんなふうに思ううちに、私は「どうでもよくないこと」までどうでもいいことのなかに埋没させて暮らしていたみたい。
こころおきなく卓球をしたら、とってもおなかがすいた。 猛烈におなかがすいて、みんなで夕食を食べた後、うちに帰ってもう一食作って食べた。 本当におなかがすく、ということも忘れていたみたい。 拒食症はやんわりとした自殺なんですって。生きることを潜在意識下で拒絶しているんですって。 ようやく私は生きようとしだしたということかな?
2004年02月08日(日) |
もっとも弱い姿を見つめられる強さ |
学生時代の先輩後輩集まって、久しぶりに飲む機会がありました。 大学時代の思い出話や近況報告、話は尽きず、お酒は進みます。 久しぶりに酌み交わす杯に、ちょっと羽目をはずして、大学生のノリで飲みたい気分になるのも人情です。ある先輩がしたたかに泥酔し、お座敷で眠ってしまったのですが、眠ったまま、胃の中のものが逆流しだしました。 わ、っと、近くにいた後輩が袋を用意したり、ふくものを差し出したりしたのですが、その中で、ある先輩が、さっとやってきて、はいてしまった先輩の口元に袋をあてて、しっかり吐しゃ物をうけとめ、嘔吐が止んだな、というところで、ゴシゴシと、吐しゃ物にまみれてしまったトレーナーをふいてあげていました。 後輩たちは、「やりますから、いいですから」と言ったのですが、 「いや、俺らが一番近い仲間だから」って言って。
なんてすごい人がいるんだろうなあ、って私は愕然としました。
いくらでも無視できたし、後輩にさせることもできたし、そうした先輩だっているんですよ。もちろん。 一番弱い立場の者、卑しまれるような行為に温かい愛情を持てる、それは、本当に尊いことだと思います。
私はこの光景を見て、マザーテレサの「路上で死に瀕した貧しい人々や、捨てられた孤児、病人の中にイエスがいらっしゃる」という言葉を思い出していました。
多くの人は、偉いもの、崇め奉られるもの、権威あるもの、美しいもの、そういうものに惹かれます。 そして、そういうものに対してはとってもいい顔を見せます。弱い立場のものに見せる冷淡な顔とは対照的に。 悲しいなあと思います。自分が、そういう顔をしているだろうなあ、と思うから、悲しいです。
2004年02月04日(水) |
A・D・S・L 性(サガと読んでください) |
アナログ回線で、ジーコロジーコロネットにつないでいた私ですがようやく、ADSL開通! あの、シャワーのコマーシャルのたとえはまったく絶妙だったなあ、と思うのですが、それまでの私のパソコンには“ちょろちょろ”でしか情報がやってこなかったのですが、 ADSL“どば”っとやってきました。 文明の利器ですね。
そして、つなぎっぱなしって、ナニ? なれないわあ、当分。 一ヶ月の接続時間を10時間に収めようと、ちまちまつないだり切断したりしていた長年の癖がからだにしみついちゃっているんです。 ブラウザ開いてソコンの前を離れたりすると、つい、足早に戻ってきてしまう。貧乏性だわあ。
2004年02月03日(火) |
Which is the best way to do? |
朝起きた瞬間のどが痛かった。 鏡をのぞくと腫れた扁桃腺が見える。 風邪を引きました。 でも、体はそれほどだるくもないです。 熱があるかは体温計をもっていないので測るよしなし。 休むか行くか果てしない葛藤。 休めば私の授業をほかの先生に行ってもらわなければならない。数少ない空き時間を奪うのは心苦しいから休むべきではない。 しかし、今日は3年のクラスが2時間ある。受験を控えた生徒に風邪をうつしてしまったら取り返しがつかない。
どうしようどうしよう。
頭がぼんやりしていてうまく判断ができず、結局時間に迫られるように学校に行った。 それでも、まだ連絡伝達だけして帰ることもできるか、なんてぐずぐず考えていたら、帰るタイミングを逃し、結局授業を4時間すべてやってしまった。 やり終えて、体がだるくてボーっとする。 どうやら本格的に熱が上がってきたことが感じられたので「帰ろう」と決断したのは2時でした。 子どもじゃないんだから、自分の身の処し方ぐらい自分で判断しなさいよね。
2004年02月02日(月) |
村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』 |
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者あとがき豪華版です。 私が一番興味があったのは、結局サリンジャーはどんなメッセージをもって『キャッチャー』を書いたのか、ということと、『キャッチャー』の一般的な読まれ方ってどんなだろう?っていうことでした。
でも、この両人の対談を読んでいて、もっと印象的だったのは、アメリカの社会論みたいなことでした。 当時のアメリカだったからこそ『キャッチャー』だった、というような読み方が面白かったし、合点ときました。
「以前アメリカのテレビ・ドキュメンタリー番組で、森の中にこもって生きているヴェトナム帰還兵たちを取材したものを見たことがあるんですが、そういう人たちで、森にこもって一人で生きている人ってずいぶん多いんですね、アメリカ全土で。要するに、社会と訣別して、森に入っちゃうしかないわけです。町や村の一角でこそっと静かに生きていくことができないんです。
つまり、ひきこもるという行為は、自己実現というアメリカ的義務を怠っているということになっちゃうんでしょうね。
そう思います。アメリカの場合は、まず、自分が自分であるアイデンティティみたいなものをつくって、それが他の人とどう違うかということを言語的に、ロジカルに証明しなくてはならない。
言語化できないとだめなんですね。
ええ。アメリカの場合まず、そういう個人的マニフェストみたいなものが提示されなくちゃならないということです。でも、ヨーロッパには世間からはずれたもの、はみ出したものをけっこう東洋ほどではないにしろ融通無碍に呑み込んでいく部分がある。そういう個人的マニフェスト作りみたいなものを真剣にやりだすと、人は痛切に孤独になっていかざるを得ないのかなあ、という感じはしますね。だから文学も出るとしても、ギャッツビーの孤独さとか、ホールデンの孤独さみたいなのは、ヨーロッパではちょっと見られないことなんじゃないかなと。」
サリンジャーは第二次世界大戦に出征した経験から心に深い傷を負いました。 帰還後の第一作がこの『キャッチャー』であり、この作品後、彼は外界とまったく隔絶した自分だけの地を手にいれ、そこにこもってしまっている、ということを分析した上の会話です。
“自己実現というアメリカ的義務”、現代の日本にも感じることありませんか? よく耳にする、「自分らしさ」とか、「オンリーワン」などという言葉は耳あたりがいいようで、でも、“確実に人とは違う何か”を求める厳しさをはらんでいます。 誰しも「自分らしさ」を追い求めるほど、直面するのは自己の凡庸さなのではないでしょうか。
それでも、「そんなはずはない、かならず私らしい、オンリーワンといえる何かがあるはずだ」と自分をせめたてることと、「あなたも私も同じ、ちっぽけな一人の人間だよ」と認めること、どちらが幸せなんでしょうね。
2004年02月01日(日) |
百人一首”ガマン”大会 |
国語教師のくせに、百人一首の経験がほとんどありません。 山口県では中学で百人一首なんて扱わなかったのに、長野県ではどこでもこの季節クラスマッチをやるらしい。教えられないので、私はひたすらに練習させるっきり。
なんですが、ひょんなことから、今日は地域の百人一首大会に参加してみました。気楽にちょっとやってみるか、ぐらいの勢いで参加したのですが、行ってみてびっくり。 参加者みんな、かなりやりこんでいらっしゃる・・・。 百首覚えているのが当たり前、決まり字も覚えていて、読み上げられた瞬間に手が飛んできた。私はというと、覚えているのは十首に満たないのだから勝負になりません。 一対一で向かい合っての競技かるたなので、目の前で次々と札がさらわれていきます。 もう、負けず嫌いでは誰にも負けない私ですから、悔しいのなんのって。 せめて、覚えているやつだけは、絶対にとる、絶対に!と、気合と集中力では誰にも負けないって感じでやりました。 もちろん結果は全敗。中学生にもおばあさんにも負けまくり。そして私は百人一首に二度と近づかないことを誓ったか? いいえ。私は来月県大会に出場し雪辱を果たすことを心に誓いました。
百人一首の対戦をしていて、卓球で初心者の人が試合に出たときの気持ちってこんなのかなあ、ということを思いました。 「よくわかんないうちにいいように負かされてつまんない!」 でも、もし生徒がそういうことを試合の感想として持ったら、私は 「もっと練習したらきっとだんだん面白くなるよ」 っていうだろうと思います。
“その世界を極めてもいないのに、面白くないとか、役に立たないとか、わかったようなことを論じるべきではない”という言葉が思い出されます。
この会にはスペシャルゲストとして、渡辺永世クイーンがいらしていて、目の前で模範試合を見ることができました。 張り詰めるような緊張感、一瞬を争うスピード感。 極限まで鍛え洗練された世界でした。 そして、日本百人一首協会の理事の方とお話して、百人一首の魅力についてたくさんのことを教えていただきました。
これはどうやら、突き詰めるだけの奥行きと深みのあるまだ見ぬ世界があるようです。 それを見る前に、投げ出してしまうのは惜しいという気がしてきました。せっかくちらほら決まり字を覚えだしたところなので、珍しく頭を鍛えてみよっかナ。
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