きよこの日記

2002年03月29日(金) さようなら

今日、引っ越します。
2年間住んでいた、この部屋ともお別れです。


・・・なんて、湿っぽくなっている場合じゃないぞ!
今日は、馬車うまのように働かないと、お昼には引っ越しやさんが来ちゃうんだからー!!

相変わらず、せっぱ詰まらないと動き出さない女だよー。
しっかりしろー。

朝から空はどんより曇って、びゅうびゅう風が吹いています。
さいさきよくないなー。
気にしない気にしない!



2002年03月24日(日) ほんとの理由

幸せなことに、最近送別会ラッシュです。

学校の先生、卓球の仲間、高校時代の友達、いろんな人に声をかけてもらっては、別れを惜しみ、ただ酒を頂いています。

みなさん「今日で最後」と思って集まっているから、なかなか忌憚ない言葉が出てくるわけで、そんななかで困ってしまうのが、「学校を辞めるほんとの理由」についてのつっこみ。

「今、一人暮らしをしているけど、母も歳だし、もしもの時にすぐに駆けつけられる距離にいたい。」

と、いうのが、公称の理由。
でも、「別に病気もちってわけでもないし、お兄さんも一緒にいるんだから、なにも、そう急いで帰ることないじゃない」と言われるのもごもっとも。

確かにね、 親類縁者のそばにいたい、という理由ももちろんあるけど、ほんとの理由は、ほかにあります。

どうしても、忘れられない人がいるんです。
ずっと友達だったのに、離れるまで、それ以上の存在だったことに気づかなかったから、今度は、友達以上の関係になれるように、その人の側に戻るんです。

な~んにも確証もないし、約束もないし、彼女はいるし、人の気持ち知っていながらどっちつかずだし・・・。
さんざんです。
「結婚します!」っていう理由だったら、説明も簡単だし、聞くほうも納得。
でも、私みたいな理由って、ちょっとありえないし、学校を辞める理由にしては我ながら軽薄な印象だと思うから、ごく親しい人にしか言わないことにしました。

「彼氏がいるんでしょー?」
「いいえ、いませんよ。」

「遠距離の彼が帰ってこいって言うんでしょ?!」
「いいえ、そんな風に待っててくれる人がいたらいいんですけどねー。」

うそはついていないでしょ?



2002年03月21日(木) 教師じゃなくなった日

テレビのリモコンをかちゃかちゃいじくっていたら、金八先生をやっていた。
思わず見入って、時間を忘れてしまった。

こんなに面白いドラマだったっけ?

いや、同じようにして、リモコンをかちゃかちゃやって、金八さんが目に入ったことは、これまでもあった。何度も。
でも、そんな時私は決まって、見てはいけないものを見たように、すばやく、ほかのチャンネルにかえていた。

金八先生を見るのは、すごく胸が痛かったから・・・。

どこにでもある、教師と生徒の対立、葛藤、ジレンマ。
それは、私の日常の現実そのものだったから。
金八先生は直視できなかった。

でも、今日は、金八先生を単純に楽しめた。
金八先生は完全にドラマで、私の非日常だった。

私は教師じゃなくなったんだなあ、って思った。

また、教師になるまで、もう少し、時間をください。
決して、教師が嫌になったわけではないのです。
でも、この一年間の私は、まるで、はじける直前の水風船のように、いっぱいいっぱいでした。
だから、少しだけ、これまでのことを振り返る時間をください。
そしたら、きっと、もう少しいい教師になりますから・・・。



2002年03月20日(水) みんなの成長

今日は一年間の学業を終える終業式でした。
長い長い、長距離走のゴールです。

昨日、「有終の美」の話をしたのですが、その言葉どおり、今日は26人全員が、一年間でもっとも美しく、すっきりと自信に満ちた表情で私を迎えてくれました。

子供たちの成長を実感する瞬間。こんなにうれしい時はありません。
どんなに悩み、腹を立て、苦悶したことも、この一瞬ですべて忘れてしまうのですから、私は単純にできてます。

去り行く私のために、一人一人手紙を書いてくれました。
忘れ物がいつまでたってもなくならなかった、あの子達が、一人残らず書いてくれました。

おこづかいから少しずつだしあって、春色の花束を用意してくれました。

みんなで色紙に、よせがきをしてくれました。
昨日、終礼の時に辞めることを告げたから、本当に時間はなかっただろうに・・・。

今日は、ちょっとだけ自慢をさせてください。
私は、こんなにいい生徒たちと一年間ともにすごしてきたんですよ!
生徒からもらった、手紙の一部です。

「先生がたんにんでいろいろなことを教わりました。
高校に入学した時にくらべあたしは成長したと思いマス。
これも先生のおかげだと思います。
先生におこられた事や、注意されたこといっぱいあるけど、あの時、先生におこられていなければ、今のあたしがなかったと思います。本当にありがとうございました☆」

「初担任でいろいろたいへんだったのに協力っていうか迷惑ばっかかけてゴメンナサイ。
いつもいつも先生に怒られてた気がする。んでいっぱい逆切れしてた気が・・・。本当にたくさん迷惑かけてゴメンナサイ。
でもこの一年間で○子は本当に少しだけど変わった気がする!!
提出物も前よりは出すようになったし、これもやっぱ、毎日毎日うるさく言ってくれた先生のおかげだと思う。
高校入って初めての担任が先生でよかったよ。そして今までで一番言いたいこと言える先生だった!!すごく話しやすかった☆やっぱ若いから!!」

「すごくすごく短いような長いような、あっという間に過ぎてしまった一年間だったけど私は先生のクラスになれて本当によかったです。
たまに反抗してしまったりして本当にすみませんでした。そんな時でも先生は優しくしてくださってすごくうれしかったです。
私の母はいつも仕事で小さいころから一緒に過ごしたことがほとんどなくて、兄弟や姉妹もいないのでいつも一人ぼっちでした。
なんだか先生は私のお母さんのような、お姉ちゃんのような気持ちがしました。
時には怒り、時には優しく見守っていてくれて本当にありがとうございました。
先生が長野へいってしまったらまた一人ぼっちになっちゃうけど私にはたくさんの友達がいるからなんとかがんばれそうです」

私もみんなとの一年間を宝物に、新しい一歩を踏み出していこうと思います。




2002年03月19日(火) 携帯をにぎりしめて通話ボタンが押せません

声を聞くだけで、すごく幸せな気持ちになれる人。
いちばんつらい時に、電話をかけたくなる人がいます。

私は、人に弱みをさらすことがすごく苦手で、
「人に相談して、あわれまれたり、ありきたりなアドバイスをされるぐらいなら自分で悩んで解決したほうがまし」
と強がってしまいます。
でも、自分で自分の問題をすべて解決できるほど、私は堅固な心の持ち主ではないのです。

できる限り努力して、努力して、心がつかれきってしまった時、決まって電話をしたくなる人がいます。
なんででしょう?
その人と話すことは、本当にとりとめもない、くったくのないことばかり。
でも、世間話の間に、ぽつりぽつり愚痴を話します。
その人は、ただ聞いてくれます。
そして、一言二言いってくれます。
ただそれだけです。

でも、電話を終えた時、それまで胸にかかっていたもやもやが、すっきりと晴れているのに気がつくんです。

あーあ。今も、電話したいんだ・・・。
でも、電話できないんです。
携帯電話をにぎりしめたまま、通話ボタンが押せずにずっと見つめているだけ。

話したくてたまらないのに、私から電話して、そっけなくされたら・・・という、「もしも」がこわい。
「あの人から、かけてきてくれないかなあ」なんて、限りなく0パーセントに近い「もしも」を、待っています。



2002年03月18日(月) 子どもみたいで恥ずかしかった話

長い冬のトンネルもいよいよ出口が近づいてきたようです。
校舎に差し込む日差しが、やわらかさを増し、寒がりの猫のような生徒たちですが、ストーブをつけずに過ごす日も出てきました。
一年前、彼女たちがうれしはずかし新入生だったころと、おなじ空気が流れ始めました。

学年末も、押し迫ってきて、今日は、学年末テストの概況を報告しあう職員会議でした。
そして、今日の職員会議は、今年度最後の職員会議でもあったので、退職者の発表がありました。
退職者は一人一人、挨拶をしていき、最後が私の番でした。

私は、立ち上がり、感謝の言葉を述べようとしましたが、涙が声を遮って、まったくうまくしゃべれませんでした。
ただ、泣きつくしてしまって、まるで、物分かりの悪い子どものようでした。
本当に恥ずかしい。

一体どうして私はあんなに泣いてしまったのでしょう?
学校を去ることは自分で決めたことです。
もう、1年以上前からかたく決めていたことでした。
だから、後悔のないように、一所懸命にやってきたつもりです。

なのに、なんで泣くのでしょう?
私以上に、きっとほかの先生方は怪訝に思われたと思います。
だって、泣くぐらいならば、辞めなければいいのですから。

こんな私は、情けないです。
大好きな学校で、後輩たちを教えることが、希有な幸せと知りながら、それ以上に、私にとって重要なことを、見つけてしまったからこの学校を去るのです。
自分の中で、はっきりと、わかっているのだから、しゃんとして、去りたかったです。
こんな、だだっこみたいな私は、子どもみたいで、ほんとに恥ずかしい。




2002年03月17日(日) ストレスの人

ちょっと、参ってるなあ、と思うこと。

①夜中に目が覚める
②食欲がない
③涙もろい

どうしちゃったんだろ。
・・・原因は言わずもがな。

生活指導、教科指導、書類がき、申し送り、引越し準備・・・。
たくさんやることはあるから、くるくるとよく働く私。
でも、今の私を動かしているのは、から元気だけ。

あ、今日、気力タンクが満タンになりそうないい夢を見ました。
私の片想いしている人が、彼女と別れて、私に好きだと言ってくれる夢です。
いつも、その人が現れる夢は、悲しい現実を象徴していたり、暗い未来を暗示するものばかりなので、うれしいなー。



2002年03月16日(土) 愛情をはかるもの

今日は、かしまし娘4人で焼き肉フィーバーです。
おいしいものを食べて、おいしいお酒を飲むと、口もすべらか本音もばんばん飛び出します。

娘の一人いわく
「割り勘なんてしちゃだめ!
女にお金出させるようじゃ、愛されてないね。
どれだけお金を出してくれるかで、愛情がはかれる!」

ほえ~。
そんなもんかにゃー。
うーん、青天のへきれき。

私は、おごってもらったりしたら、
「おごってもらいたくて、ついてきてるさもしい女だって思われたらやだな」
って、かえって気になってしまう。
割り勘にしたほうが、フェアな感じでいいのになあ。

だいたい私は、「愛されるよりも 愛したい マ・ジ・デ!」(By kinki)
な人だからねえ。
どんなにお金出してくれる人だって、興味ない人と、つまんないよもやま話するぐらいなら、家で寝てたいぞ。



2002年03月12日(火) 田中眞紀子『時の過ぎ行くままに』

小泉内閣発足ごろから、私もご多聞にもれず、この劇場型政府のウォッチャーになってしまった。

私の一番の関心事は「ほんとのところどうなの?」ってこと。
ワイドショーを見れば、首相をやたら持ち上げたり、がんばれ真紀子氏だったり。ひたすら官僚や、自民党が悪い、と言う論調。
一方、おじさん向け週刊誌なんかを見ると、まるで逆のことが言われている。

「こりゃあ、扇動されちゃあなんねーべ。」
というわけで、真紀子さんのエッセイ集を読んでみました。

『時の過ぎ行くままに』は、まだ、議員にもなっていないころの真紀子氏のエッセイを集めたものです。
これを読んで、まず思ったのは、非常にいい文章を書くと言うこと。
うまい!おもしろい!教養があふれ出てる感じ。

でも、この自称田中真紀子像があまりにも一般的な真紀子氏のイメージとかけ離れていて、びっくり。
このエッセイに描かれている真紀子像は、「良き母」「良き妻」「良き娘」しかも「才色兼備」!
どじ話のかくし味でいやみな感じはしないけど、「よくもこんなに自慢話をして恥ずかしくないなあ」と感心してしまいました。

多分、真紀子さん、世の中で一番自分が好きなんですね。
自分にすごく自信があるんです。

だから、真紀子さんの発言って、自分の個人的視点。
政治的視点とかとは、かけはなれて、けっこう感情的に好きなことをいうから、まあ、見ているほうにとってはわかりやすいし共感できる。
でも、自分の発言の影響力ってもの考えてくれないとねえ。

ほんとうに、私は残念です。
真紀子さんって、やっぱりすごく才気あふれる方だし、カリスマ性もあるし、パワーもあるし、大物だと思うんだけど・・・。



2002年03月10日(日) 春らんまんドライブ日和

今日は、友達を誘って山口市までドライブです。
朝からとてもいいお天気。
車を走らせると、窓から吹き込む風がとても爽快!

目的地は「ザビエル記念聖堂」
山口県にで育ったくせに、一度もいったことがなかったので、引っ越す前に行くべし!と、思い立ったのです。

いつも休みの日は一人暗く過ごすことが多いので、こんな休日ってとてもし・ん・せ・ん♪
助手席に人がいるのになれていないので、ちょっと緊張~。

でも、ザビエル記念聖堂、行ってみたら、近くの道をいつもとおっていたことが判明。
そんなもんよね。人生って。

記念聖堂は、とてもきれいで立派でした。
マリア像と写真を撮りました。
私はクリスチャンではないんだけど、キリスト教を信仰する人の、一途な想いにはいつも心が洗われる思いがします。
なんか、自分の弱さをみつめ、少しでも正しく生きたいって、いう気持ち、胸を打たれます。

と、なごんだのもつかの間、友達が空腹でご機嫌ななめになってきたので、丘のふもとのこじゃれたレストランでランチを食べることにしました。
バイキング形式って、ついつい食べ過ぎちゃうんですよね。
もう、なんでそこまで食べるかなあ、と自分でも不思議なくらい食べてしまった。
帰りの車の中では、恥ずかしながらウェストのボタンを外して運転してました・・・。
たまには、いいよね。自分にご褒美!



2002年03月09日(土) ちょっとおセンチな日々

小春日和、というには、あまりにものどかな一日です。

玄関のドアを開いた瞬間やわらかな、あたたかい光に包み込まれて、もう、ほんとに春は目前まで来ているんだなあと実感します。

今年の春は、とくに私にとって待ちわびていた春です。
やっと、あの人のいる土地に行けるのです。
2年間は長かったなあ・・・。

彼女がいるし、あまりにも遠いし。
私のこと好きになってくれるとも限らないし・・・。
でも、あの人への思いに自分が納得しない限り、ほかの人のことを好きになれそうにないからがんばるのです。

と、いうわけで、待ちに待った春、なのですが、なんででしょう?
最近よく涙します。
ひどく感傷的です。

ほんのちょっとした一瞬や一言に泣きそうになってしまいます。
眠りにおちる前のひとときに、ふと涙が流れます。

今年度の仕事がひとつひとつ終わっていきます。
ここを離れるカウントダウンは一年以上前に始まっていたはずなのに、残りわずかとなるとたくさんの思い出がよみがえります。

2年間って、短いようだけど、たくさんの人と出会いました。
生徒との出会い。
趣味で知り合ったおじさん、おばさん。
高校時代に習った恩師に教師として出会う。
なんて、恵まれた2年間だったんだろうと思います。

さあ、この2年間を有終の美で飾らなければ!
がんばがんば!



2002年03月08日(金) アイロンに鼻歌♪

家事がばちっとできるひとって、無条件に羨望のまなざしを送ってしまいます。

私ってば、がんらい怠け者のめんどくさがり。
おまけにおおざっぱときているから、きちんと家事がこなせない。
いつもチリ一つないお部屋、ぴかぴかに光るシンクなど、ほんとうにあこがれてしまいます。

「やるぞ!」ときめてこなすことはできるんだけど、継続的にすることができないのです。
日曜日に掃除した部屋は、土曜日までにだんだん散らかっていくのです。
お弁当を3日連続で作ったら、2日はコンビニで済ませたいのです。
洗濯物はぎりぎりまでためてしまいます。
いつも、あたりまえのように、きちんと家事がこなせる人になりたいなあ・・・。
こんな私は嫁に行けるでしょうか?

でも、結構好きなのが、アイロンがけ。
キーピングをシュッと吹いて、スチームもくもくさせながら、えり、袖、身ごろ、とアイロンを滑らせていくと、しわしわだったシャツがぱりっと生き返ったようになります。
気持ちいい・・・♪
ある意味、癒しです。

子供のころから、アイロンがけは自分でやることになっていました。
その日学校に着ていくシャツと、ハンカチは、朝、自分でアイロンをかけるのが習慣でした。

「すずめ百まで踊り忘れず」っていうけれど、掃除とか、洗濯も子供のころからちゃんとお手伝いしていれば、今になって、
「できないよう」
と、悩むことはなかったのかもしれないなあ。

よーし。
私の子供には、小さいときから、炊事、洗濯、掃除覚えさせよーっと。
・・・けっして、私が楽したいからじゃありませんよ。ほほほ。



2002年03月07日(木) 平野啓一郎にわくわく

まだ読み始めたばかりなんだけど、かなりのわくわく度。
平野啓一郎の「日蝕」
何年か前、現役京大生で芥川賞をとった、大物新人、茶ぱつでピアス、と騒がれた、あの人、あの作品です。

あのころ、私は大学生で、「こりゃー一度読よんどかにゃなんめえ」と、思ったまではいいのですが、買うほどの興味もなく、先日の図書室での出会いまで、半分忘れてました。

そんなわけで、あまりきたいもせず、
「とりあえず読んでみるか」
とページを開いたのですが、これが面白い!
だけど、
「この本読んで「面白い」って言う人、限りなく少ないんだろうなー・・・」とも思う。

だって、舞台がヨーロッパ、中世、主人公はドミニコ会の修道士。
それでも、遠藤周作みたいに、普遍的な人間の問題を扱ってくれればいいけど、神学まっしぐら。
これはストライクゾーン狭いです。

でも、私にはどんぴしゃり。
世界史大好き、キリスト教の教義に興味津々。

しかーし、この作品を私が面白い、と言うのは、素材が私の興味にはまったからだけじゃない。

「見てきたことを見たように書くのは小説家ではない。
小説家は見たことのないことをまるで見たかのように書く」

という言葉を聞いたことがあるけれど、この言葉に従うならば、平野氏は本物の小説家だ。

表現は古めかしく、荘重だからけっしてとっつきやすいとは言えないんだけど、気がつくとワールドにはまってる自分がいる。
一つ一つの表現、登場人物の思いに引き込まれてしまってる。

いつも、昼食を食べた後の、数十分の息抜きにこの本をてにとるんだけど、一人中世フランスにトリップしてる。

そして、思うのは、「一体この平野氏とは何者?」ということ。
略歴を見ても、キリスト教とのかかわりは見えてこないし、もし、キリスト教者であっても、こんなにリアリティを持って神学のことを話せる人ってそういないと思う。

平野啓一郎、こんな小説家が同年代にいるって、すごく誇らしい気分だ!



2002年03月06日(水) ラーメン大盛り

むしょーにラーメンって気分!

2週間ぐらい前から。
「ラーメンん食いてーなー、おい」
と、ラーメン屋さんを横目に家路をたどる日々でした。
とっとと、ラーメン屋の暖簾をくぐればいいんだけど、ラーメンフィーバーの胃袋を満足させるにはしかるべきタイミングで、しかるべき味のラーメンでなくてはならないのです。

そしてついに、来るべき時が・・・。
お酒飲んだおじちゃんが、〆めにやってきそうな趣のラーメン屋さん、お昼に一人でひょっこり飛び込んでみた。

ちゅう房にはおばちゃんが二人。
お客さんは高校生の男の子が二人。
フェミニンな装いの私は、明らかに異質。

「大盛りラーメン一つください」

ちょっとはずかしかったけど、私の燃えるラーメンごころは、熱く大盛りを欲たのでした。



2002年03月05日(火) きよこ舞う!

今日は踊りのお稽古がありました。
今、一番のいやしであり、とても素敵なんです。

「藤娘」をお稽古中。
日本舞踊ってだけに、三味線やお囃子、うたいに合わせて踊るのですが、この藤娘はちょっと感情移入。

♪男ごころの憎いのは ほかのおなごに神かけて ・・・ うんぬん

恨みを込めて舞うのです。

日本舞踊を始めて1年ぐらい、立ち方、指先一本、これまでの私って、なんてガサツだったの!と日に日に女らしさを身につけていく感じがたまらない。
でも、見た目の上品さを表現するのって、けっこう体力がいったりする。
ぐっとひざを折って~、なおかつ背筋はしゃんとして~、一節踊ると体がポッカポッカしてくるんです。
有酸素運動だから、ダイエット効果があったりなかったり。

そして、踊りを習うもう一つの効用。
それは、「できない」気持ちを実体験できること。
教師なんて商売をやっていると、自分の得意分野のことしかしなくていいから、
「なんでこれができないの?」
と、自分がかつてできなかったことなんて、すっかり忘れて腹を立ててしまうことがあったりする。

でも、踊りのふりが覚えられなかったり、練習せずにお稽古にいかなきゃいけない時とか、ほんと、切なくって、
「ああ、私も毎日学校で、生徒にこんな切ない思いをさせてるのかなあ」
「師匠はこんなこんなへたくそな私に、よく怒らずに付き合ってくれているなあ。ありがたいことなり」
と、自分の教師っぷりを、省みるいい機会なのです。






2002年03月04日(月) 被ものまね

クラスの人気者のもちネタナンバーワンは、「教師のまね」だろう。
いや、「教師のまね」ができるから、人気者とも言えるかもしれない。
教師のまねができる幸運な能力をもてば、勉強ができなくても、ネクラであっても、みんなに一目置かれ、クラスの中で確固たる地位を確立できるのだ!

そんな偉そうに力説するほどのことじゃないな・・・。
今日は私、初めて、「教師のまね」されたってことを伝えたかったの。

これって、ちょっとうれしかったりする。
「へー、私ってこんな風に生徒に見えてるんだあー」
と、素朴に感動。

「ちょっとー!あんた!」
だって!

以前、生徒に
「私のまねって誰もしてくれないの?」
って聞いたら、
「先生、特徴ないもん」
と言われたことがあった。
そして、それを言われて、納得してしまった。
私って特徴ないかも。
確かに、”教師かくあるべき”っていうプロトタイプが私の中にあって、その優等生然とした形に自分を押し込んでいるところがあったもんなあ。

だから、ものまねされるようになっただけ、自分らしさが出てきたってことだよね。
” 教師の私”じゃなくて、”私が教師”なのだ。

「真似(まね)ぶ」は「学ぶ」の語源だと言う。
生徒諸君!大いに学んでくれたまえ。









2002年03月03日(日) 昭和的家族像

私の理想の家族像の一つの形が、向田邦子の描く作品の中にある。
頑固一徹、昔気質で不器用だが、何よりも家族のことを大事に思っている父親。
文句一つ言わず、夫の三歩後ろを黙ってついていく、働き者でしっかりものの母親。
できはいまいち、おてんばでやんちゃだが、気持ちが優しい子供たち。
貧しいけれど温かい。ものはなくてもつながっていた(らしい)昭和の家族像が私はとても好き。

こんな私はきっと家族コンプレックスだと思う。
徹底的に家族に反抗しまくって、家族から自立しようとしてきたけど、それは、家族に対するあこがれの反作用なんだと思う。

だから、私は向田邦子の小説や随筆を読むとき、ちょうど小さな子どもが、白雪姫やシンデレラの物語を読むときのような淡い憧憬を抱き、夢見るような気持ちでページをめくっている。

でも、もちろん、そんな家族に屈折した思いを抱いた人じゃなくても、向田邦子はとてもお勧め。
まず、「眠り人形」とか、短編集を読んで、「向田邦子好きかも!」 と思った人にお勧めなシリーズ。

『父の詫び状』 『かけがえのない贈り物』

前者は家族との思い出をふりかえった随筆。
そして、この作品は向田邦子が大病と戦いながら飛行機事故の直前に書き上げたもの。
後者は実は、筆者は向田邦子の妹、和子さん。
向田邦子のたっての願いでつくられた料理屋「ままや」の開店を姉と家族の思い出を絡めて著している。

この2冊、向田邦子の大病、「ままや」にいたる顛末、姉の事故死について、姉妹そして、家族の思いが記されていて、向田家の絆の強さがひしひしと伝わってきて、たまらなかった。

「ままや」今も和子さんが守り続けていると言う。
いつか行ってみたいな。



2002年03月02日(土) 嗜好品

私はたばこを吸わない。
でも、周りで人が吸うのが気にさわる、ということもないのでうちに遊びにくる友達が
「吸ってもいい?」
といえば
「ええよー、どぞどぞ」
と言う。
それでも、吸うほうとしては結構気を遣うことのようで、ごめんねー、と言いながらビールの空缶を引き寄せる。

「仕事場ではたばこ吸わなくても平気だから、やめようと思えばやめられる気がするんだけどねー。でも、仕事が終わって、家に帰るときに『やっとたばこが吸えるー!!』って思うんよね」

この言葉を聞いて、はたと思い当たった。
私にとってのたばこは、甘いものだ!

私が仕事からの帰り道に考えることって、
「今日はなに食べようかなー」
で、お菓子を買わずに帰ることが出来なんだよね。
おなかが減っていると言うほどでもないから、もうちょっと私に意志力があれば、我慢できるんだろうけど・・・。

この意志薄弱さが恨めしい。
今も右手にはSweets。
今日のおともは最近のピカイチヒット茂林堂の「ぬかクッキー」
かぎりなく素朴。そこはかとないヘルシー感。
クッキーを食べていながら健康にいいことしているような錯覚が・・・。




2002年03月01日(金) アリーフリーク

以前から洋ものドラマに目がないです。
はじめは斜に構えてみるんだけど、気がつくと、どっぷりはまっちゃってる。
洋ものドラマ、おそろしでございます。

いま、私をテレビの前に釘付けにしているのは、「アリーマイラブ4」
金曜の午後11時から教育テレビでやっているのですが、その45分間ってば、私、お茶をくみにテレビの前を離れるのもいやなくらい、くびったけ。

11時までには、お風呂も入って、飲み物も準備して、と、万全の態勢でのぞむのが、週末のささやかな楽しみなんです。
と、ところが、今日は大失敗こいちゃった。

いつものように、「アリーが始まる前に」と、お風呂に入ったら、居眠りしてしまって、出てみたら11時25分。
「半分終わっちゃってるじゃーん!」
ショック!!!
アリー、ラリーとはどうなったのよ?!
いつのまにそんなパーマかけたのよ!!
アリー、カムバック!


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