私はなんのために歩くのだろう。誰のために歩くのだろう。現時点の答え。多分誰も、誰かのために歩くことなんてできないのだろう。自分の五感と意識を介す限り、そこには主観が付いて回るからだだから誰だって自分のために歩くんだ。誰かと並んだり寄り合ったりしながらでも、依存してでも。結局は自分のために歩くのだと思う。だから私もそうなんだろう。だから私も歩くのを続けようと想う。全ては昨日までの私に報いるため。苦しいのも痛いのもたとえ立ち止まってもまた思い出しては歩み始めるのだろう。